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1 投げ捨てられた額縁

 

 それは、雪積もる冬のある日のこと。


「君、クビ」

「えっ」


 ガシャン。手に持っていた仕事道具のバッグが大理石の床に落ちた。

 頭が真っ白になった私は、信じたくなくて、目の前の人物を凝視する。画廊のオーナーは手に取った額縁を一瞥し、廃材置きのスペースにそれを投げ捨てた。


「……っ」

「やっぱり女なんて雇うんじゃなかったな。全くもって使い物にならん。もう来なくていい」

「そ、そんな………嘘ですよね、ジルべさん」


 オーナーの名前を呼んで縋るが、眉を顰められるだけで。凍てつくような黒曜石の瞳は私から目をそらされ、ため息をつかれた。サラサラとした黒髪が静かにひとふさこぼれる。なんて絵になる人だろう。状況が状況でなければスケッチをするのに。


「話す時間が勿体無い。出ていってくれ」


 有無を言わさずにそう告げるオーナーはそう言って、私と、私の私物を軒先に締め出した。


 ああ、終わった。







 トボトボと、雪の中を歩く。寒いので、コートはすぐに着て、燻んだ茶色い髪を結いていた紐も解いた。

 センチメンタルになるには雪の中はうってつけだ。目が赤くなっていても、マフラーやフードで隠れるから、誰も気になんてしない。


(ダメだったか……)


 私は、単純に、絵が好きだった。力強い筆遣いの油絵、優しく色が溶け合う水彩画、木炭を使ったシックな絵や、ふんわりと光を纏うパステル画……どれも素晴らしい、目の前で見ていると、まるでおとぎ話の中に迷い込んだかのように惹きつけられる。自分が絵を描くのも好きだが、人が描いた絵にうっとりとする時間もまた幸せで、だから、どうやったら女である自分が、この小国で絵のそばの仕事にありつけるのか、ずっと模索していた。


 芸術の国と近隣から称されるほど、この国は芸術が盛んだ。それでも、女性が活躍できるほどには、未だ文化は発展していない。


 初めは掃除婦で売り込もうとしたが、どの画廊も絵描の卵が住み込みで働いており、女の出る幕はないと一蹴され続けた。画家に弟子入りするにも、女に画家の居場所を教えてくれる人なんてどこにもいないから、頼みの綱は画廊だけだ。

 貴族や富豪の邸宅で使用人になる教養は持ち合わせていたから、仕方なしに繋ぎで働いてみたものの、廊下に飾られる見事な絵の前で度々職務放棄してしまい、当然クビ。もちろん紹介状など持たせてくれなかった。


 どんな手を使っても、絵画職人になるしかない。そう決意して、さまざまな画廊、画商を再度訪問した。当然どこも門前ばらいで、貯金が底をつきそうという頃、とある画廊のオーナーが、額縁職人なら、という条件で雇ってくれた。


 だが、それも4日でクビときた。前回のメイドが1週間持ったので、最短勤務記録の更新である。



 ・・・



「何がそんなにダメだったんだろう」

「さあね、男ってのはプライドが高いから」


 雪の中でずっと歩いていても仕方ないため、以前お世話になっていた宿へとやってきていた。

 快く迎え入れてくれた女将が話し相手になってくれて、私はこの数ヶ月の話を食堂で愚痴っていた。ちなみにこの宿のお代は、宿に飾る絵を描くことで話をつけてくれた。絵1枚につき、1泊2食、お茶飲み放題。絵を描くだけで泊まれるなんて夢のようだ。ふっくらした体格も含め、まるで豊穣の女神のような人だった。


「きっとアンタの作品が凄すぎて嫉妬でもしたんじゃないかい?」

「さすがは女将さん、客商売のプロだわ、見ていない絵のことを褒めてくれるなんて」

「その絵は見てないけどさ、こーんなに別嬪さんに、こーんなに素晴らしい絵を目の前で描かれちゃ、そう言う資格はあると思うさね」


 女将のリップサービスに微笑むと、私は目の前のキャンバスに目を戻した。今描いているのは木炭の風景画。女将のリクエストで、題材は港町。昔訪れた港町を思い出しながら描き始めて早1時間半。お皿程度の小さな作品のため、そろそろ仕上がりそうだった。

 意外にもこの小国は画材の輸出国で、比較的安価に手に入る。なんでも代々王家が芸術家を排出する歴史を持ち、また芸術家やその作品の保護に熱心なのだという。


 画材の中でも木炭は一番手に入りやすく、しかし絵描の技術が明確になる。多くの画家達はあまり挑戦したがらないが、私は木炭で描くことが好きだった。濃淡をつけることで、キャンバスの生成りと黒の2色でも、充分絵として成立する。単純だからこそ、何でも表現できる気がする。


「で、実際のところ、どんな額縁にしたんだい?」


 新しいコーヒーを淹れてくれた女将さんにお礼を言いつつ、先程まで目にしていた光景を思い出そうとする。正直不味いが、顔には出さずに口にする。


「任されたのは貴族の絵を飾る額縁だったの。依頼主の絵を見て、あまり良い絵に思えなかったんだけど、額縁に翡翠貝の貝殻を埋め込むことで光を反射させて絵自体の見栄えを良くしようとしてね。けど、お貴族様に渡す額縁に貝殻なんてって怒られてしまったわ」

「翡翠貝ってったら、うちの一番いい部屋より高いじゃないか! それすらダメってば、贅沢なお話さねぇ」

「ね。いいアイディアだと思ったんだけどなぁ」


 細かく砕いた翡翠貝を魔法で埋め込み、絵のテーマに沿う讃美歌をモチーフにつけた飾りは、あの絵にとても合ったと自分では思う。だがしかし、それは無知な女による派手に酷い額縁と片付けられてしまった。


「よーし、これで絵は完成したわ。あとは絵が長持ちするよう定着魔法をかけるから、中庭を借りるわ」

「まぁ、嬉しいねぇ! 良いよ、中庭ぐらい自由に使っておくれ」


 フロントに戻る女将に礼を言って、私は食堂からつながる中庭へと向かった。




 こじんまりとした中庭は、ベンチが2つあり、腰ぐらいの高さの灯が4つ立っていた。灯を起点に四方を結んで魔術がかけられており、外は雪だと言うのにまるで温室のようだった。以前宿に泊まった際に聞いたところ、その時も宿代の代わりに気温をある程度一定に保つ魔術をかけてもらったのだという。貴族の邸宅でも魔道具しか見なかったから、手掛けたのは相当な魔術師だろう。あの女将、なかなか商売上手だ。


 まるで春の昼間のような庭は、草花で彩られていた。ベンチに座ると、キャンバスをふわりと浮かべる。


「定着」


 ふわっと小さな風と共に、木炭はキャンバスにしっかりとくっついた。

 これで、向こう40年ほどは、絵が汚れずに保たれるだろう。


「見事な魔法だね」


 声を掛けられると思ってなくて、ドキっとした。後ろを振り向くと、食堂につながる扉の前に、若い男性が立っていた。


「こんなところで精霊魔法を見れるなんて思わなかった」

「わ、私も見られるとは、思っていませんでした。……なぜ、精霊魔法だと?」

「これでも魔術師でね」


 立ち上がって挨拶をしようとしたら、手で止められた。


「横に座っても良いかな」

「も、もちろん。あの、どこかでお会いしたことが?」

「そういうの、他の男に言ってはいけないよ。君は美しいから、きっとみんな本気になってしまう」


 自分より綺麗な人に言われても何とも説得力がない。そのくらい、とても綺麗な人だった。

 サラサラな金髪と、翡翠の瞳、姿勢もよく、まるでおとぎ話の中の王子様だ。あの画廊のオーナーと同世代くらいだろうか? そういえば彼もとても見目麗しかったな。それより目の前の人物だ。


「精霊魔法ってことは、君はフィアド国の出身?」

「いえ、母が。私はこの国の出身」


 フィアド国。母からずっと聞かされていた憧れの国。そこは一年中温暖で争いもなく、精霊が存在している、らしい。

 母の出身の国で、いつか足を踏み入れてみたいと思っていた。けど、貴族でも富豪でも、商人ですらない自分は一人で海外へと行く術もなく、夢見るだけで終わっている。


「そうなんだね。僕はフィアド出身でね、だから、精霊魔法はとても懐かしかった」

「ほんと? フィアド出身? ええと、」

「エリアスで良いよ。君は?」

「あ……、そういえば私も名乗ってなかったわ。タシアよ」

「よろしく。タシア」


 久々に名前を呼ばれ、再度、どきりとした。ベンチに座る隣にキラキラ王子、実に心臓に悪いシチュエーションだった。


「しかし、実に見事な定着魔法だったよ。精霊魔法は独学で?」

「それも母が。それに、ここだと草花が生えているから、風の魔法と緑の魔法を混ぜて使う定着魔法の効率が良くて」

「なるほど。タシアのお母様は、さぞ素晴らしい魔術師のようだ」

「そうね、素敵な人だった」


 彼女を思い出しながら、過去形でそう呟く。ふと彼の方を見ると、何だか気まずい空気になっていた。


「ごめんなさい、誤解させたわ。結構会ってないんだけど、多分生きてると思う。素敵な人ではあったんだけど、母親としてはなかなかに残念な人で」

「なるほど」


 もうしばらく母とは会っていない。男ができたからと当面のお金を渡され、家を追い出された。それが冬の始めのことだ。当面と言われたがそろそろ資金は底を尽きそうで、正直どうしたものかと悩んでいる。


「ね、絵を見ても?」

「どうぞ」


 魔法で定着の完了した絵は、とある港町の風景画。

 キラキラとした水面の揺れと、船着場に佇むゴンドラたち。強く照りつける太陽が織りなす街並みのコントラスト。海から戻ってくる時の視点のその絵は、短い時間で描き上げた割に、結構良い作品が出来たと思う。目の前の男も、なかなか嬉しい反応だった。


「……すごいな。」

「しばらくここに滞在するから、いつでも仕事頂戴」

「本当か?」


 冗談めいて言った言葉だったのに、男は真剣な眼差しでこちらを見てきた。


「実は、魔術師の傍ら、副業として小さな画廊を経営しているんだが……君さえ良ければうちで雇われないか?」

「……え?」


 なんですと。


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