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君のとなりで転生

無印のヒロインを探していた2の悪役令嬢は4の悪役令嬢と共に3のヒロインに出会いました

作者: 緋水晶

短編ですが『断罪され路頭に迷っていた私は『悪役令嬢』とかいう存在らしいです』の続きで、そちらの対作品『甘い言葉に耐えられなかった転生ヒロインは愛しのアサシンを探すことにしました』と繋がっていますし、シリーズの他作品とも繋がっています。

そのためシリーズを読了済みであると前提して、ところどころ説明を端折っている箇所があります。

今作が今シリーズの初見という方には読みづらいかと思いますが、ご了承いただければ幸いです。


10/5 誤字報告ありがとうございました。

人物名の間違いが2か所あったようで、大変お恥ずかしい…。


君となシリーズ6作目。

ハーティア国が誇る壮麗な王宮の一室で、今一人の男性が土下座をしていた。

「イザベル、私がどうかしていた!どうか、また婚約者に戻ってほしい!!」

そう言って土下座をしているのはこの国の王太子であるオスカー・グラン・ハーティアその人で、その前に立っているのは彼のかつての婚約者であるイザベル・バートランド公爵令嬢だった。

何故『婚約者』に『かつての』という言葉がつくのかと言えば、彼が半年前に行われた学園の卒業パーティーの日に彼女に対して婚約破棄を突き付けたからだ。

当時オスカーはシャーリーという女性が無意識にかけた魅了の魔法にかかっており、イザベルがシャーリーを虐めていると勝手に思い込んでいた。

そして彼女に婚約破棄を突き付けたばかりか、国王に命じられた謹慎を破って彼女を攫い、隣国に追放までした。

考えようによってはそれを土下座一つで許せと言うのは釣り合いが取れていない。

いくら彼が王太子だとしてもだ。

無実の罪で3か月間も追放された隣国で彷徨っていたイザベルは、あと一歩で命を落とすところだったのだから。

だが魔法を解かれてまだ1日しか経っていない彼にはそれ以外に彼女に詫びる方法がなかったのもまた事実であった。

何よりまず謝罪を。

そしてできれば関係を修復したい。

それがオスカーの誠意と身勝手が入り混じった本心からの願いだった。

「イザベルよ、私からもお願いしたい。どうしようもない愚か者ではあるが、オスカーはあの者に出会うまでは確かにそなたを愛していた。それは私が断言できる」

土下座するオスカーの隣に立ち、そう言って頭を下げたのはオスカーの父であるこの国の国王だった。

当然いと高き座にある国王が臣下の娘に頭を下げるなど通常ではあり得ない。

しかし今回のことはその『あり得ない』が起こるほどの出来事だった。

オスカーがイザベルとの婚約を破棄してシャーリーと婚約したいと申し出た時、国王はすぐに事態の異常さに気がついた。

息子に何か、自分の想像もつかないような現象が起こっているのではないかと思ったのだ。

幼い日にイザベルに一目惚れしたはずの息子が平民の少女に恋をしてしまったという可能性は捨てきれなかったが、その少女に嫉妬したイザベルが彼女を虐めていたと聞いたからだ。

正直、嫉妬されるほど息子が愛されていると国王は思っていなかった。

多少の情はあったようだがあくまでもそれだけで、もしオスカーが婚約を破棄したいと言えばイザベルはすぐに了承しただろう。

だからそんな彼女が嫉妬に駆られて平民の少女を害するなど、あるはずがないとわかっていた。

けれど息子は何かに取り憑かれたかのようにイザベルを悪だと言い、自分は平民の少女と結婚するのだと繰り返した。

あの目に宿っていた狂気を今でも忘れられない。

3か月前に事の真相を聞くまで、本気でオスカーの廃嫡も考えていたほどだ。

だが幸いなことに原因がわかり、昨日ディアの王太子妃のお陰で魅了が解けたオスカーは無事とは言い難いが元には戻った。

後はイザベルが許してくれるか、そして再びオスカーと婚約してくれるか、それだけが問題だ。

最悪許してくれなくてもいい。

けれどゆくゆくは国母となる王太子妃は彼女でなければダメだった。

何故なら幼い頃から彼女しか見ていなかったオスカーのせいで、この国に彼女と同程度の王妃教育を受けている令嬢がいないからだ。

では他国ではどうかと問われれば、現在他国の王族と公爵家に婚約者のいない女性で年齢の釣り合う者はいない。

上位貴族ともなればそれはそうだろうという話である。

つまりイザベルが再び未来の王妃として婚約をしてくれなければ、オスカーは妃を得るのが遙か先になってしまい、王位を継いだとて子が成せなければ王家の血は傍系に取って代わられてしまう。

あんなことがなければ優秀で可愛い息子だったのだ、親としては彼の子供に王位を継いでほしいと思う。

3か月前にハーティアに戻り、今は失った体力と健康を取り戻している最中のイザベルに負担をかけるのは本当に申し訳ないが、どうかこの国のため、今一度婚約者に戻ってほしい。

国王はそんな真摯な気持ちでイザベルに頭を下げ続けた。

「ええ、と…」

ややして、いつまで経っても頭を上げようとしない国王と王太子を前に、イザベルが困惑と不安の声を上げた。

果たして自分の一存で決めていいのかと、その視線は横に控えている彼女の父バートランド公爵や、友人であり

オスカーを正気に戻した人でもある隣国の王太子妃ルリアーナの辺りを彷徨う。

この際助けでなくてもいい、せめて助言が欲しい。

彼女は目で必死に訴えていた。

「……ちょっとよろしいでしょうか」

そう言って口を開いたのは、そんな捨てられた子犬のような目をするイザベルを見かねたルリアーナだった。

本来なら他国の問題に口を挟む立場ではないが、どうしてもイザベルを放っておけなかったのだ。

「許そう」

「ありがとうございます」

頭を下げたまま発言の許可を与えた国王に礼をいい、ルリアーナはイザベルの横に移動すると、勇気づけるように彼女の肩に手を置いた。

「イザベルちゃん。私はこの国の人間じゃないから大したことは言えないけど、同じ婚約破棄を突き付けられた女性として言えることがあるわ」

ルリアーナはそう言ってイザベルににっこりと笑って見せる。

そう、彼女もまたイザベルと同じように当時の王太子候補であった自国の第一王子に婚約破棄をされた身だ。

その際の紆余曲折によって廃嫡された第一王子の代わりに王太子になった第二王子と結婚して今は王太子妃となっている。

国王もバートランド公爵もそれを思い出し、そんな彼女であればここにいる誰よりもイザベルの気持ちに寄り添えるだろうと考え、固唾を飲んでルリアーナの言葉を待った。

「婚約破棄をされて、貴女は傷ついた?」

その言葉に、土下座しているオスカーの肩が揺れた。

「え?ええっと、そう、ですね…」

それに気づかず、イザベルは当時を思い出そうとするかのようについと上を見上げ、

「信じていただけなかったことには傷つきましたし、国王様との約束が果たせないことには申し訳なさを感じましたが、そう言えばオスカー様と結婚できないことに関しては、大して気に留めていなかったような…?」

うーんと悩み続けるイザベルの足元で、オスカーの肩がまた震えた。

「それよりも私を追放しに家に来た時の方が怖かったですね。話もきいてくれませんでしたし、かなり力任せに腕を引かれたり突き飛ばされたり。婚約破棄よりもそちらの記憶が強いです」

イザベルが怖かったと言うとオスカーの肩が小刻みに震えだし、次第にそれが大きくなっていく。

「それに、ルリアーナ様やアデル様を見ていたら私がオスカー様に抱いていた気持ちなんて、全然愛じゃなかったんだって気がついて、ディア国を出る頃にはむしろ破棄してよかったとさえ思っていました」

「ごふっ」

その言葉がとどめとなり、オスカーはとうとう地に伏した。

その隣では国王が息子のやらかした内容とそれを差し引いても感じる不憫さに目を覆い、向かい側ではバートランド公爵が許せないという感情と哀れだと思う感情とをせめぎ合わせて顔を引き攣らせ、離れたところでは声こそ上げていなかったがルリアーナの付き添いで来ていた現ディア王太子であるヴァルトが腹を抱えて笑っていた。

「……なら、貴女にとってはこの婚約、破棄したままの方がいいかしら?」

ルリアーナは見たら彼女も笑ってしまいそうなので、オスカーやヴァルトを目に入れないようにしながら再度イザベルに問う。

そんな彼女の口元はプルプルしていたが、イザベルには気がつかれなかった。

「そうですねぇ…」

イザベルは今度は目を閉じてゆっくり考え始める。

その沈黙の間に、国王は顔を少し上げ、ルリアーナを真っ直ぐに見た。

「ん?」

ルリアーナがそれに気がつくと、国王はどんな技能なのか、目だけできっちりと言いたいことをルリアーナに伝えてきた。

曰く、『何が何でも彼女を説得してくれ』。

本当に顔に書いてあるのではと思うほど、ルリアーナの目にははっきりとその文字が見えた。

それを見たルリアーナの頬は引き攣り、同じように目で『マジですか』と返せば『大マジである』と返答が返ってくる。

「………」

国王と目だけで会話をしたルリアーナは眉間に皺を寄せながら天を仰ぎ、次いでちらりとヴァルトを見遣る。

はっきり言ってここでルリアーナが国王の願いを聞き入れるということはディア国がハーティア国に貸しを作るということになる。

両国は争いもないし、良き隣人として長年歴史を重ねている現状、それは問題がないように思える。

だが国政というのはそんなに単純なものではない。

まして国王が他国の王太子妃(つまり直系王族でもなく国母になったわけでもない、現状ただ王家に嫁いできただけの貴族の娘)に借りを作るなど、簡単ではないはずだ。

これがルリアーナにとって大きなプラスとなることでもない以上、このような大事に自己判断で勝手に返事をしてよいものか。

そう迷った末、今後国を動かしていくことになるだろう王太子のヴァルトを見たのだが、

『ああ、リアの好きにしていいよ』

と言わんばかりににっこり微笑まれただけで、なんの解決策も示してはくれなかった。

「…うん。やっぱりちょっと、難しいかもしれません…」

そんなやり取りをしている間に悩んでいたイザベルが結論を出そうとしていた。

そしてそれはどう聞いてもハーティア王家にとっては望まない結論で。

『王太子妃殿!!頼む!!!』

『イザベルを説得してください!!』

オスカーの仕打ちを思えばそれも仕方ないと思ってため息を吐いたら、それを敏感に感じ取った国王ととどめを刺されて瀕死だったはずのオスカーがまた謎の技能でルリアーナにそんなメッセージを送る。

「………えー…?」

うわこいつら超めんどくさい、とルリアーナは顔を顰めたが、ふとあるアイディアが頭に浮かび、彼らに貸しを作ることに…いや、願いを聞き入れることにした。

「ねぇ、イザベルちゃん」

「はい?なんですかルリアーナ様」

ルリアーナは結論をほぼ拒否の方向に定めていたイザベルの両肩を掴み、軽く微笑む。

「お別れの時にアデルちゃんが言っていたこと、覚えてる?」

「え?」

ルリアーナの言うお別れの時というのは3か月前にディアを出た時のことだろう。

あの時、イザベルはただの公爵令嬢にすぎない自分はもうディア国王太子妃のルリアーナとクローヴィア国王太子妃候補のアデルとは会えなくなると言って、2人に別れを告げた。

しかし2人は「友達だから身分は関係ない」と言い、その友情は今なお続いている。

「アデルちゃんが、イザベルちゃんが身分を気にするのならいっそイザベルちゃんも王太子妃になればいいと言っていたでしょう?」

「あ、はい。確かにそう…」

言っていました、と言おうとして、イザベルは目を見開く。

ルリアーナは自分の言いたいことが伝わったと笑みを深め、

「そう、このまま婚約を復活させたら、王太子妃候補として私やアデルちゃんと気兼ねなく堂々と会えるわね!」

と言ってイザベルをぎゅっと抱きしめた。

イザベルは死の淵で出会ったアデルと、自分を優しく抱きしめてくれるお姉さんのようなルリアーナが大好きだったので、

「それなら私、また婚約します」

そう言って嬉しそうな笑顔でルリアーナを抱きしめ返した。

「「「変わり身早っ!!」」」

そしてそれを見ていた国王とオスカー、バートランド公爵は声を揃えて言った。

けれどオスカーへの愛など全くないその結論に、オスカーは涙を流したし、国王とバートランド公爵はあまりに哀れだとオスカーから目を背けた。

唯一ヴァルトだけが「よかったねー」と抱き合う2人に拍手を送り、にこにこと笑っていた。



「明日から私はトライアへ行ってくるわね」

半年前の婚約破棄を撤回するべくハーティア王宮全体が慌ただしい中、その王宮に滞在しながらも全く関係のないルリアーナにお茶に誘われたイザベルは、見知った顔が駆け回る様を眺めながら持参した好物のガトーショコラを口に運んでいた。

ようやくお菓子もたくさん食べられるようになったのだとルリアーナに話しながら連日のように楽しい時を過ごしていたが、それが明日から中断されると聞いて一気にテンションが下がる。

「そう、ですか。やっぱり、行ってしまわれるんですね…」

肩を落として残り一口となっていたガトーショコラを飲み込んだが、さっきまでは美味しかったそれがなんだか味気のないものに感じてしまい、すっかり冷めてしまった紅茶で一息に飲み込んだ。

「ごめんなさいね。イザベルちゃんにはやっぱりまだ無理をさせられないから一緒に連れては行けないけれど、シャーリーはちゃんと見つけてどうしているか確認してくるから」

あからさまにがっかりしているイザベルの頭を撫で、ルリアーナは窓の外を見た。

今日はあいにくの曇りだが、明日からは晴れると宮廷占い師が言っていたからきっと爽やかな旅立ちとなるだろう。

そして馬車で5時間も走ればトライアに着く。

それなりに大きな街ではあるが、国王に貸しを作ったお陰でシャーリーを探し出すことは難しくないはずだ。

「トライアを探すだけだもの、順調にいけば5日もかからないわ。もしシャーリーが別の街に行ったという情報があればちゃんと手紙も書くし、何の情報もなければ5日でここに帰ってくる。心配しないで」

ね?と言い聞かせるように優しくイザベルに言えば、彼女は小さく「はい」と答えて顔を上げる。

「ルリアーナ様がいないのは淋しいけど、私はここで王妃教育でも受けながらお帰りをお待ちしてますね…」

ちゃんとお2人と並べるようにしないといけないから、とイザベルが拳を握って見せれば、

「…うん、でも少しはオスカー様のことも考えてあげてね?」

ルリアーナは苦笑しながらそう言って、再びイザベルの頭を撫でた。



大陸外の敵国に攻め入れられないよう海から離れた王都とは違い、国境の街トライアには海がある。

大きな菱形をしたこの大陸は、その中にバツ印を書き入れて小さな菱形を4つくっつけたような形で各国の国境が引かれているため、港町が国境であることも珍しくない。

そのため国防の要衝でもあり、海には軍艦が、港には多くの海兵の姿が見えるが、何代も前から平和が続く昨今では殺伐とした空気はない。

はずなのだが。

「……なんだか少し騒がしいね」

ヴァルトとルリアーナが情報を集めようと港に足を踏み入れると停泊している大きな商船の周りに人集りができており、そこには少なくない海兵の姿があった。

「違法船の取り締まり、にしては大袈裟ですね」

「ああ。それに見てごらん。船がボロボロだ」

「…本当だわ」

平和な港町で海兵が集まるようなことと言えば違法船の検挙くらいだろうと考えていたルリアーナはヴァルトの指摘に目を丸くする。

遠くから見ただけでも帆は裂け、マストに砲弾が当たったような跡と焼け焦げが見える。

まるで戦地を通り抜けてきたようだ。

「ちょっと話を聞いてくる。リアはここにいて」

「いえ、騒ぎの中離れるのは危険ですから、私も共に参ります」

ヴァルトはシャーリーの件もあるが、ディアの王太子としても詳しい話を聞く必要があると感じ、ルリアーナに待機を命じる。

だがルリアーナは首を振って顔を上げ、真っ直ぐにヴァルトの目を見た。

「それに、愛するヴァルト様だけを危険な目になんて合わせられません」

そして恥じらうように頬を染め、目を潤ませながらそう言ったのだが、ヴァルトはそれを見て目を細めた。

「……リア、本音は?」

怒らないから言ってごらん?とヴァルトがルリアーナの髪を一房指に絡ませれば、

「気になるから私も聞きたいです!」

バレたなら仕方ないと思ったのか、元々そんなに隠す気がなかったのか、ルリアーナはすぐに本音を明かした。

てへっといたずらっ子のように笑うその顔はとても成人女性とは思えないほど少女然としていて、

「…そんなことだろうと思ったよ」

年下のはずのヴァルトはお兄ちゃんの顔で苦笑した。


「…かいぞくぅ?」

「ちょ、リア、顔、顔」

人集りの中にいた船の乗組員だったという男に話を聞くと、彼の乗っていた商船は海賊に襲われたとのことだった。

だがこの世界では海賊というのは御伽噺にしか出てこない存在なので、ルリアーナはつい「んな馬鹿な」という心情を顔に出してしまっていたらしい。

「まあ、普通そう思うわなぁ」

しかし乗組員の方も「自分が当事者じゃなければ信じられなかったよ」と笑ってくれたので、不興は買わずに済んだようだ。

「連れがすみません。それで、海賊は何をしていったんですか?」

ヴァルトは妻の非礼を詫び、話の続きを促す。

事件の原因が海賊ともなれば、四方を海に囲まれているこの大陸で無関係な国はない。

であるならばディア国に被害が及びそうかどうかも含め、なるべく詳しい情報が欲しかった。

「ああ、奴らは急に大砲を打ち込んで来て俺らの船を止めて乗り込んできたんだ。武器持ってたし、やる気満々って顔してたから俺らも覚悟を決めていた。だが意外にも奴らは別に暴れることもなくこう言ったんだ」

『スズカを知っているか?』

「…スズカ?」

「ああ。それが何かはわからん。だから知らないというと水だけを奪って帰って行ったよ」

「そうですか…」

乗組員の話を聞き終え、ヴァルトは思考を巡らせる。

海賊らしき者たちは『スズカ』というものを探しているらしい。

けれど乗組員の誰も知らなかったようにヴァルトもまたそれが何か心当たりはない。

「お疲れのところお話しいただき、ありがとうございました」

「こんくらい別にいーってことよ」

これ以上情報は得られないだろうとヴァルトは乗組員の男に礼を言い「船の修理代の足しに」と金貨を1枚渡してその場を去った。

残された男は渡されたのが金貨だと知ると「うへぇ!?」と奇声を上げ、ヴァルトを探した。

だがその時にはもう港にヴァルトの姿はなく、連れだと言っていた女性もいなくなっていた。


庶民が利用するには少し高いが貴族向けではない宿屋に戻った2人は情報を整理しようと紙を広げたテーブルを囲む。

「なんだかよくわからなかったね。海で得難い水を奪って行ったのは理解できるけれど、彼らの一番の目的は水や金品ではなく『スズカ』というものだったようだし。でも肝心のそれが何かわからないなんて…」

ヴァルトは紙に『スズカ』と記すと、その横に文字を書き連ねる。

「植物や動物の名前でも聞いたことがないし、国や街の名前でも聞いたことがない。スズカなんて物も知らないし…」

植物、動物、地名、物、など口にしながら候補を出すが、やはり心当たりはなかった。

「人の名前にしては聞かない響きだし、もしかして何かの言葉の一部とかかな?」

人名、何かの一部分、とさらに書き足し、うーんと唸りながらそれを見つめる。

しかしやはりと言うべきか、それだけではなにもわからないままだ。

「そういえばリアはさっき随分静かだったし、今も静かだけど、何か心当たりでもあるの?」

ペンを置いて息を吐いたヴァルトは思考に行き詰まりを感じ、先ほどから何も話さないルリアーナに意見を求める。

普段煩くはないが口数の多い彼女が黙っているのは、もしかして何かわかっていることがあるからではと期待したのだ。

「…いえ、私にもわかりかねますわ」

けれどルリアーナには心当たりがなかったらしく、「お役に立てなくてすみません」と返された。

だがその表情は浮かないもので、心当たりはなくとも何か気がかりなことはあるのだろうと推察された。

「僕も知らないことだからそれはいいんだけど、ならどうしてリアはそんなに浮かない顔をしているの?」

「それは…」

だからヴァルトはルリアーナにそれを問うたのだが、普段ならば何事でもわりとはっきり答える彼女が珍しく口ごもったので少し意外に思い、詳しく聞くついでにいつもは遠慮していることについても一歩踏み込んでみることにした。

「リアがはっきり言わないってことは確信がないことなんだろうけど、何がヒントになるかわからないからできればそれを教えてほしいな」

言いながら椅子から立ち上がって彼女の横に移動し、優しく肩を抱く。

「あとね、なんで縁もゆかりもないシャーリーっていう子を探そうとしているのかも、そろそろ教えてほしいな」

ヴァルトの手の下にあるルリアーナの肩がぴくりと反応する。

それを抑えるように、ヴァルトは少しだけ手に力を込めた。

「…話だけ聞くと、オスカーの身に起きたことはライカの身に起きたこととそっくりだよね?言い換えればバートランド嬢とウィレル嬢の境遇はひどく似通っている。そして僕は、そんな人たちをもう一組知っている」

「っ!」

ルリアーナが立ち上がろうとする。

だが肩に置かれたヴァルトの手がそれを阻む。

はじめからそのために手を置いていたのだと、ルリアーナは今更ながらに気がつき唇を噛んだ。

「ねえリア。僕には知る権利があると思わない?」

「…知る権利?」

「そうだよ。だって兄様がカロン・フラウに誑かされなければ僕は気楽な第二王子として過ごすはずだったんだ。あの人はあんなことさえなければ間違いなく国王になれる器を持っていた。リアもそれはわかっていたでしょう?でもリアは『まるでそうなるとわかっていたかのように』兄様に興味も持たず、カロン・フラウの接近を許したばかりかどんどん愚かになっていく兄様を諫めることもなく、すぐに身を引いた」

ごくり、とルリアーナの喉が動く。

「当時の、ルリアーナ姉様だった頃の貴女は確かに淑女という猫を被っていたよ。でも母様や僕に気に入られる程度には本性も漏れていた。だから婚約を破棄したことも気高き負け犬なんて名前を受け入れていることも信じられなかった。でも、最近その謎が解け始めているんだ」

するりと肩に回されていた手が外され、代わりにその手がルリアーナの顎を取る。

「貴女と、少なくともウィレル嬢は事の真相を知っているよね?その真相、そろそろ僕にも教えてくれないかなぁ?」

ねぇ、ルリアーナお姉様?

そう言いながら近づいてきた顔はあの頃の無邪気な弟の顔ではなく、次代の為政者であり、獰猛な獣のような男の顔だった。


「…これで全部です」

ルリアーナはヴァルトに自分の前世とこの世界の繋がり、そしてアデルとの繋がりを包み隠さず話した。

と言ってもアデルに関してはこのゲームを4までプレイしていたことくらいしか知らないので『同じ世界で生きて同じものを愛した同志だ』と説明しただけだが。

「前世、ね。俄かには信じられないけど」

長い話になるからと席に戻されたヴァルトは聞き終えると「うーん」と呻きながら頭を押さえ、

「まあでも、これでなんでリアが魅了の魔法のことを知っていたのかとか、ウィレル嬢とバートランド嬢を気にかけているのかとか、…愛されていたのに兄様を愛さなかったのか、とか、ずっと気になっていたことが解決したよ」

そう言ってどことなく淋しさが垣間見える表情でディア国がある方角を見た。

彼の兄であるジークが廃嫡されて所属した国境守護騎士団は王都から離れたハーティア側の国境を守護している。

今回の越境時にはもちろん姿を見ることはなかったが、それでも13年間兄として慕っていた人物のことをそう簡単には割り切れない。

まして愛した人を自分の意志とは関係なく裏切らせられたのだということがわかった今、弟として、また同じ人を愛した者として不憫に思う。

「あの、ヴァルト様…」

ここからは見えぬ地にいる兄を偲んでいたヴァルトはルリアーナの声に視線を彼女に戻す。

すると彼女は驚いた顔をしており、

「私、ジーク様に愛されていたの…?」

呆然としたようにそう言って、その目から一滴だけ涙を流した。

それがどんな感情から来たものかヴァルトにはわからなかったが、その脳裏に在りし日の兄の言葉が蘇った。

『ルリアーナは俺を愛してなどいないのだろう』

『何故ですか?お2人は婚約者でしょう?』

それは酷く気落ちした様子の兄に、自分が永遠に手に入れられないものを持っているくせにと面白くない気持ちを抱きながらそう言った時の記憶。

『…そろそろお前も色々な令嬢と面会させられているだろう?』

『ええ。退屈な時間ですが、婚約者は早く決めておいた方がいいと母様にも言われまして、仕方なく』

早くリアちゃんを諦めるためにも、次の恋を探した方がいいわ。

気の毒そうな目で痛ましそうに自分を見る母にそう言われたから、当時のヴァルトはなるべくルリアーナの面影のない令嬢を探そうとして毎日失敗していた。

笑顔が似ている、爪の形が似ている、髪質が似ている。

今思えばそんなに似ていなかったようにも思えるが、当時は彼女たちの粗を探すように少しでも似ているところを探しては、彼女たちではダメだと言って断っていた。

その挙句に妥協して選んだのは自分に微塵も興味を抱いていないという、ある意味ルリアーナに一番似た令嬢だったが。

『その令嬢たちは名を呼ぶと、嬉しそうにお前を見ないか?』

『…そうですね。中には先走って自分が選ばれたのだという顔をする者までいましたよ』

そんな令嬢たちの顔を思い出してヴァルトはうんざりする。

自分がその表情を見たい唯一の人は絶対に自分をそんな目で見ないのだから。

『…それはそれで面倒だな』

ジークも経験があるからか苦笑いをして慰めるようにヴァルトの頭を撫でる。

『それが、どうかしたのですか?』

もう子供じゃありませんよ、とその手を拒み、要領を得ない兄の話に苛々した気持ちになってきたヴァルトは目元を険しくさせてジークを見た。

『…ルリアーナはな、俺が名を呼ぶと無表情になるんだ』

『……え?』

すまんと淋し気に謝った兄が、さらに淋しさを乗せて言った言葉がヴァルトは信じられなくて、思わず聞き返してしまった。

『誰かと談笑している彼女に声を掛けると無表情になるし、2人でお茶をしている時など目も合わない。……俺はルリアーナに嫌われているんだ』

兄はそう言うと、目元をくしゃりと歪めて、

『それでも俺は彼女を愛しているから、彼女を解放してやることができない…』

俺は情けない男だよ、と涙こそ流さなかったが、兄は確かに弟の前で泣いたのだ。

きっとこの話をすれば、ルリアーナもまた傷つくだろう。

実際にそうなったように、未来で自分を捨てるはずの男を愛せなかったルリアーナの気持ちもわかる。

だが、未来など知らなかったジークが純粋にルリアーナだけを愛していた気持ちもまた、ヴァルトには痛いほどよくわかる。

「…少なくともカロン・フラウに出会うまでは」

だから自分が知っている兄の気持ちは自分だけが覚えておけばいいと、ルリアーナには伝えなかった。

先ほど聞いた話では自分もカロンと出会っていれば魅了される可能性があったということだったから、そうならずに済んだことを神に感謝した。


脱線してしまった話を戻すべく、ヴァルトはため息を一つ吐いてルリアーナに問う。

「それで、その前世と『スズカ』がどう繋がるの?」

「え?…ああ、そうでしたね」

ルリアーナも今は思い出に浸っている時ではないと頭を振り、ヴァルトに向き直った。

「私の前世では『スズカ』という音は普通にあるものだったんです。地名にしろ人の名前にしろ、その音が特別耳慣れないということはありませんでした」

そして自分が気にかかっていた理由を告げた。

もちろん、海賊が言っていた『スズカ』が前世に関連したものを指すのかなどわからない。

それでもルリアーナの知る限り転生者が4人(ルリアーナ、アデル、シャーリー、ルナ)もいるのだから、可能性はゼロではない。

「………そういえば」

そう思ったところで、ルリアーナはまだ出会っていないものの、転生者である可能性が高い2人の人物に思い至った。

君とな無印のヒロインはシャーリー、悪役令嬢はイザベル。

君とな2のヒロインはカロン、悪役令嬢は自分。

君とな4のヒロインはルナ、悪役令嬢はアデル。

ならば、

「こうしちゃいられない!アデルちゃんに手紙を書かなくちゃ!!」

残る君とな3のヒロインと悪役令嬢もこの世界にいて、そのどちらかが『スズカ』、もしくはそれを探している人かもしれない。

ルリアーナはそれを知っている可能性が高い人物、君となを4まで余すことなくプレイしたというアデルに協力を仰ぐべく、彼女に手紙を書くための便箋を買いに再び街へと繰り出した。



『親愛なるルリアーナ様

お手紙ありがとうございます。

シャーリーを追っていただけなのに、なんだか大変なことになったようですね。

結論から申し上げれば、君とな3には『スズカ』という女性も地名も物も出てはきません。

ですが状況的に無関係とは言えないと思います。

何故なら君とな3の攻略対象者にフージャ・バロスという名前の海賊の末裔だという人物が出てくるからです。

彼は他国から奪った武器や宝物品を自国に献上した先祖の功績で貴族の仲間入りを果たしたとされる家の出で、『海賊貴族』と呼ばれて蔑まれ、恐れられていました。

詳しい話はそちらでしますが、もしその海賊船にバロス家の家紋である『蛇が絡む十字にクロスした短剣と長剣』のマークがあれば、それは海賊エンドを迎えたヒロインとフージャである可能性が高いと思われますので、それだけお調べいただけないでしょうか。

よろしくお願いいたします。

アデル・ウィレル


追伸

ライカ様に確認したら、2日後ならそちらへ行ってもいいそうです!

またすぐに会えますね。』


翌日の夕方、ヴァルトとルリアーナが宿に戻って来ると女将さんから一通の手紙を渡された。

それはアデルからの手紙で、そこに記されていたのはルリアーナの推測が当たっていそうだということ、そして今まさに欲しい情報の数々だった。

「ウィレル嬢はずるいね」

たったあれだけで、こんなに情報を提供できるなんて。

「僕もリアの前世に関係していたら、彼女みたいにすぐにリアが正しいかもって言えたのに」

ヴァルトは言っても詮のないこととわかってはいるものの、一日中調べてもわからなかった情報がたった1枚半の便箋に収まる程度に集約されて目の前にあることが面白くないとルリアーナに圧し掛かるように背後から抱きつく。

そして彼女に見えないのをいいことに、いい年をして拗ねた子どもの如く頬を膨らませていた。

「そんなこと言っても仕方ないですよ」

ルリアーナは見えていなくても気配でそれを感じ、そっと笑みを噛み殺しながらヴァルトに言う。

「それに海賊とか『スズカ』とかの情報を得たのはヴァルト様でしょう?その情報がなければいくらアデルちゃんでもわからなかったと思いますよ?」

そしてフォローというよりは本心からそう言って肩に回されたヴァルトの手をそっと握った。

彼女が意図した通りそれは慰めでもなんでもなくただの事実だったので、少しは自分も役に立っていたのだとヴァルトはすぐに機嫌を直した。

彼は王族の中でも王妃と並んで1,2を争うほど腹が黒いが、存外こういう子供っぽい所がある。

指摘するとまた機嫌を損ねるので言わないが、ルリアーナにはそれが可愛く思えていた。

だがそれがヴァルトの演技であることを、彼女はまだ知らない。

「ところで、『スズカ』って女性の名前なの?」

アデルからの手紙にはっきり『女性』と書いていたからだろう、ヴァルトはルリアーナに問う。

「そうですね。人の名前なら女性が多いのではないかと思います」

男性でもいるかもしれないし、鈴鹿さんという苗字も知らないだけで存在しないとは限らないから断言はできないが、大体が女性名だと思う。

「それにしても2日後っていつでしょう?この手紙が着いてからなのか、書いた時点での話なのか…」

そそっかしいところのあるアデルは日にちではなく日数で到着予定日を知らせてきたので、彼女がいつ来るのか正確なところがわからない。

「まあ、どっちにしろ明日に着くことはないから、港に行って海賊船のことを調べておこうか」

ヴァルトはくすりと笑い、ルリアーナの首筋にかかる髪に鼻を埋める。

控えめな甘さながら華やかですっきりとした香りが彼女に似ているとヴァルトが送った香油の香りが鼻腔を擽り、幸せな気持ちに浸れる瞬間だ。

「そうですね」

くすぐったいです、と笑いながらもルリアーナはそれを止めず、ヴァルトの好きにさせた。

そして「ほんと、私の周りには困ったさんが多いなあ」とため息とともに呟いたルリアーナは、類は友を呼ぶという言葉を知ってはいるが、自分がそれに当てはまることには気がつかなかった。


「ルリアーナ様!おはようございます!!」

「……おはよう、アデルちゃん」

翌朝、朝早い時間に響いたノックの音に女将さんの急用かと急いで着替えて寝ぼけ眼でドアを開ければ、元気いっぱいなアデルと申し訳なさそうな顔をしたライカが立っていた。

「あの、お手紙届いたの、昨日の夕方なんだけど…?」

到着は2日後だったんじゃ?という気持ちを込めてルリアーナがアデルに言えば、

「あの後ライカ様にお願いして、出発を早めてもらいました!」

早くお会いしたくて~とアデルが身を捩らせながら言い、その後ろにいたライカが「ごめん」と両手を合わせた。

その「ごめん」は止められなかったことに対してですか、それとも許可を出したことについてですか?

それとも、なんだかんだアデルちゃんに甘い自分のことを許してと言いたいの?

ルリアーナはそんなことを考えながらライカを見たが、どうやらその全部のようだと感じ取り、「お前も困ったさんの一人か」と項垂れた。

彼だけは常識人だと思っていたのに。

「……まあ、立ち話しも何だし、入れば?」

後からやってきたヴァルトは何も言うまいと言葉を全て欠伸とともに一度飲み込んだ後、それだけを口から出して2人を部屋へ招き入れた。


「ここに向かう途中でお伝えしていなかったと思い出したんですけど」

椅子が2脚しかないテーブルにはアデルとライカが座り、その横にあるベッドにルリアーナとヴァルトが腰かけた状態で始まった会談はそんな言葉からスタートした。

「君とな3の舞台はスペーディアでしたので、リーネとフージャは恐らくスペーディアのどこかの港を拠点にしていると思うんです」

昨夜からテーブルに広げたままだった紙とペンを手に取り、アデルはさらさらと書きつける。

「無印がハーティア、2がディア、3がスペーディアで4がクローヴィアが舞台でした。ちなみに毎回メインの攻略対象者として王太子か王位継承権のある王子が出てきます。あとサブの攻略対象者として悪役令嬢の親類がいましたね」

「へぇ。だからローグが入ってたんだ。そういえばルナの時は4人しか魅了されてなかったから会っていないけれど、アデルちゃんの親戚もいたの?」

「はい。でも学年が1つ下なので、まだ会っていなかったみたいですね」

アデルが不幸中の幸いでしたと笑えば、ライカが「ああ」と手を叩き、

「アディの親戚ってもしかしてレックス?生徒会の」

「そうです」

件の人物に心当たりがあるとその名前を問えば、その人物で合っているとアデルが頷いた。

それに「そっかー」と笑ったライカは、

「残念だけど、彼もルナと会っているよ」

とアデルに告げた。

しかしすぐに「でも」と続け、

「彼女、初対面で「レックスは好みじゃない」って本人にはっきり言っていたから、多分それで大丈夫だったんだと思う」

と言って、何とも言えない顔で曖昧に微笑んだ。

「………」

「…………」

「……おい、どうすんだこの空気」

その気まずさに女性陣は黙り込み、重くなった空気をどうする気だとヴァルトは目を眇めてライカを見る。

「…うん。この話はやめようか」

彼もどうしようもできないとして早々にこの脱線を修正し、元の議題へと戻らせた。

「ええっと、それで、シャーリーがいるかもしれないっていう方はどうでした?」

多少強引だがあの話題より悪いものはないとアデルがルリアーナに問う。

ルリアーナもすぐに気を取り直し「それがね」と昨日の聞き込みの結果を発表する。

「昨日夕食を食べに入った食堂で偶然『確かにシャーリーという名前の銀色の髪をした愛らしい少女と会った』って言う人を見つけられたんだけど、その人が言うには…」

半年前。

『私、ルカリオという人を探しているのですが、ご存じありませんか?』

『ああ?』

ルリアーナに情報をくれた男性は街中で目深にフードを被った人物に突然声を掛けられたのだそうだ。

声からしてまだ少女だろうに何故そんな恰好を?と思ったが人探しであれば何かしらの事情があるのだろうとそのことには触れずに、しかし知らない名前だったので『うーん、知らんなぁ』と答えた。

すると少女は考え込んで、

『では『スティンガー』『砂の果て』『マクベス』『影』などと呼ばれている組織のアジトを知りませんか?』

と聞いてきた。

だが男は先ほどと同じくそのどれにも聞き覚えがなかったので『すまんが、それも知らんなぁ』と彼女に伝えた。

『…そうですか』

男が知らないと言うと少女は酷く気落ちした様子でそう言うと礼を告げて去ろうとした。

しかしその背中が妙に小さく見え、可哀想に思った男は『そういえば』と最近聞いた噂を何かの足しになるかもしれないと彼女に教えてあげることにした。

『嬢ちゃんが探している奴らじゃないが、『蒼牙』っていう結構大きな盗賊団が最近誰かに襲われて壊滅させられたって話なら聞いたことがある』

それは酒場では普通に聞こえてくる噂話であり、特別な情報ではなかった。

だが酒場という少女が近寄らなそうな場所でしか話題にならないことでもあり、きっと彼女は知らないだろうと思ったのだ。

『それ、詳しく聞いてもいいですか?』

案の定彼女はその話を知らなかったようで興奮気味に食いついてきた。

その際、勢い込んで男に詰め寄ったせいで被っていたフードが取れてしまったらしい。

『あの子の目を見た瞬間、何が何でもこの子を助けなきゃと思って、俺は奔走したよ』

そう語ったその男はその後その『蒼牙』がハーティアとスペーディアに跨るアングール山の中にアジトを構えていたこと、壊滅させたのは1人の男だったこと、その人物が世間では『金影』と呼ばれている人物ではないかと噂されていることなどをシャーリーに伝えたそうだ。

「そしたら彼女が急に『それだああぁ!!』って叫んで、そのままスペーディアに向かって行ったよ」

そしてその背を見送った直後くらいから彼女に抱いていた思いが急になくなって妙な気分になったと言っていた。

「多分シャーリーは無意識にその男の人にも魅了をかけてしまったんだと思うけど、接していた時間が短かったからすぐに解けたのね。そしてシャーリーは情報を元にスペーディアへ向かったんだと思うわ」

その情報を得た後すぐにルリアーナはイザベルにも教えるために手紙を書いた。

『もしかしたらスペーディアに行くかもしれない』という旨も添えて。

「多分返事がそろそろ届くだろうから、それを受け取ったらスペーディアへ行くつもりだったの」

トライアからアングール山までなら片道1時間もかからないから、港での聞き込みが終わったら様子だけ見て帰ってくるつもりだった。

だがアデルたちの早すぎる到着に、今はどうするべきか迷っている。

コンコン

その時、客室の扉が叩かれた。

「はーい」と部屋の借主でもないアデルが返事をして扉を開けると、「お手紙が届いております」と老齢の執事のような男性が手紙を差し出し、一礼して去って行った。

「あ、やっぱり、イザベル様からです」

封筒をひっくり返して差出人を確認したアデルはいいタイミングだとそれをルリアーナへ渡した。

「ありがと」と言ってそれを受け取ったルリアーナは早速封を開け、手紙を取り出す。

「………なるほど」

あまり長くないその手紙はすぐに読み終わり、ルリアーナはそう呟いて、その手紙を他の3人にも見せる。

それには『シャーリーが生きていることがわかってよかった。どうか道中お気を付けて』という言葉と共に、こんな一文が記されていた。

『スズカという言葉を私は知りませんが、どこかで一度その音を聞いたことがある気がします。どこで聞いたか思い出せたらお知らせしますね』

「……なんでイザベル様が?」

彼女は無印の悪役令嬢なのに、とアデルはその一文をじっと見つめる。

しかしハーティアの船が襲われたということは、ゲームシナリオ外の無印関連である可能性も確かにあるため、あり得ないことではない。

しかし、やはり何かが引っ掛かる。

「もしかしたらシャーリーが知っているかもしれないね」

ライカがアデルと同じように手紙を見つめながらぽつりと呟く。

「例えば今スペーディアにいる彼女と海賊に何らかの繋がりができていたとして、『スズカ』という言葉が彼女の前世に関係していることだった場合、以前近くにいたバートランド嬢が何かの折にそれをたまたま耳にしたことがあったのかもしれない、とか」

僕は詳しくはわからないから見当外れかもしれないけど、と付け加えながら放たれたその言葉に、

「あ、そっか、そういう可能性もあるんですね」

アデルは目から鱗と言った表情でライカを見つめた。

君とな関連の情報で一番詳しいのは自分だと思っていたから、海賊=フージャ=君とな3関連と思い込んでいたが、『スズカ』という単語自体が海賊に関わるとは限らないのだと気づいた。

「……あれ?ちょっと待って」

アデルがライカに感心していると、ルリアーナが頭に『?』を浮かべながらアデルに問う。

「ねぇ、なんでライカ様が前世のこと知ってるの?」

当たり前のように話していたのでつい聞き流していたが、彼は前世関係者ではないはずだ。

だからそんなこと、誰かが教えなければわかるはずがない。

ルナが教えたとは思えないし、そうなると教えたのは目の前の彼女だろう。

「あ、ルリアーナ様がヴァルト様に教えたって言ってたから、私もライカ様に教えました!」

すると予想通り教えたのはアデルだった。

「そ、そうよね、それ以外ないわよね。……え?なんで?」

ルリアーナはうんうん頷きながらそれを聞いていたが、どうしてもそこがわからなかった。

ライカの性格を考えれば、ヴァルトのように脅して聞き出されることもなかったはず…。

「え?ダメでした?ライカ様なら絶対信じてくれますし、協力者は多い方がいいと思ってだったんですけど」

そんな風に考えていたのに、アデルから聞かされたのは惚気混じりの正論だった。

思慮深い上にクローヴィア王太子という立場にある彼が協力してくれるなら、確かにそれは心強く有難い。

だが自分はこんな風にヴァルトを信じられるだろうか。

「…いーなー、ライカは婚約者に信頼してもらえて」

「は、ははは…」

ルリアーナの心情を察したようにそう言ったヴァルトの目が笑っていなかったので、ルリアーナは代わりに自分が笑うことにした。

しかしそれは酷く乾いた音で2人の間にだけ静かに響いた。

「まあ、とりあえずシャーリーも海賊のアジトもスペーディアにあるなら、早いとこスペーディアに移動しようか」

冗談だよ、とルリアーナの頭を撫でるヴァルトの提案に反対する者はもちろんおらず、彼らはすぐに荷物をまとめて宿屋を後にした。



国が変わると言っても同じ海岸線を真っ直ぐ進むだけでは景色に然したる変化はない。

海は変わらず青いし、防砂目的で植えられたと思しき松と杉の中間のような針葉樹(前世のオウシュウトウヒに似ている)の黒々とした緑と砂浜の白のコントラストは美しさを保ったままずっと先まで延びている。

そしてその先はスペーディアからクローヴィアへと続き、ディア国へ繋がってハーティアまで延びてまたここに繋がる。

だから四方を海に囲まれてどこにも逃げ場のないこの大陸では国同士が対立することなど滅多にない。

史実上いずれかの国同士が争ったことはたった2回。

1回目は国分けの時。

2回目はハーティア王家に嫁いだディアの王女が産んだ王女がスペーディア王家へ嫁ぎ、さらにその子供の王女がクローヴィア王家に嫁いで身籠った時だ。

4国全ての血が入った王族の誕生など例がなく、その子供たちを各国が取り合ったのだ。

結果その争い自体は王女が3人目の娘を産んで亡くなった時に収まった。

既に王子も産まれていたので、その娘3人を他の3国に嫁がせる約束をし、以降全ての国の血が入った王族たちは争うことを禁じた。

そのため国境の警備などあってないようなものだが、犯罪者は大抵国を跨いで活動するので、彼らはそちら方面の取り締まりに力を入れている。

「見えてきましたわ。あれがスペーディア側の国境の街です」

トライアを出発してからわずか10分足らずで見えてきた国境の門を指差しながらアデルが言えば、他の3人も窓からそれを確認する。

灰色の門扉が聳えるその街の名はトランク。

シャーリーがいる可能性が高く、君とな3のヒロインであるリーネと攻略対象者のフージャがいるだろう街だ。

馬車は門に着くと一度止まったが、すぐに街の中へと進む。

ハーティア国王に融通してもらった王使通行証の効果は抜群だったようだ。

「では私とライカ様は予定通りこのまま港へ行きますね」

「ええ。私とヴァルト様はアングール山にある『蒼牙』のアジト跡へ向かうわ」

アデルとルリアーナが互いのなすべきことを確認し合う。

リーネとフージャの風貌を知っているアデルが港で2人を探し、シャーリーとルカリオを知っているルリアーナがアングール山へ行く。

そして何かあってもなくても15時までに必ず街の中央にある広場へ帰ってくること。

もし16時までにどちらかが戻らなければ、もう一方はそれを巡回騎士(日本で言えば警察のようなもの)に知らせ、イザベルに国王へ報告してほしい旨の手紙を書くことを確認する。

ほとんど私用で来ている以上自国の力を使うことはできないが、それでも王族やそれに連なるものとして疎かにしてはいけないところは自覚している。

だったらそもそも危険なことをするなという話だが、こればかりは成り行きだから仕方がないと開き直った。

「じゃ、またあとでね」

「はい。お2人ともお気をつけて!」

アデルたちにしばしの別れを告げ、アングール山の入口で馬車を降りたルリアーナとヴァルトは、そこからは馬で進むことになる。

盗賊のアジトと恐れられていた山は盗賊団が壊滅して間もないせいか人の姿が見えず、薄暗い鬱蒼とした森が広がっていた。

「…行こうか」

「ええ」

言うが早いかヴァルトは馬の腹を蹴り、2人の背は森の中へと消えて行った。

「…それにしても海賊だけじゃなく盗賊まで関わってくるなんて。アディを疑うわけじゃないけど、ヴァルトたちは大丈夫かな?」

馬車の中から森へ消えていく2人を見て、ライカは彼らの身を案じた。

ルリアーナと知り合ったのは最近だが、ヴァルトとは同い年の王族同士ということで幼い頃から友人関係だった。

『兄様がいれば僕は必要ないよ』と言って卑屈に過ごしていた少年がその気持ち全てを笑顔の下に隠しながらさらに性格をひねくれさせていく様を数年毎に見ていて内心とても気に掛けていたが、兄が失脚して手が届かないと思っていた最愛の女性を得てからの彼は本心から笑えるようになっていた。

そんな彼の変化を喜んでいた身としては、万が一にもこんなところで失いたくないと思うのは当然で、「大丈夫ですよ」と笑う婚約者のようには楽観できないでいた。

「ルリアーナ様が一緒なんですよ?だからなにかあっても心配いりません」

にこにこと「もうすぐ港ですね」と言うアデルを見て、逆に何故アデルはこんなに心配していないのだろうと気になった。

ルリアーナが大好きな彼女ならもっと不安がると思っていたのに、と。

そう問えば「え?だって」と彼女はきょとんとした顔でライカを見て、

「あの人は生ける伝説『流離うメイコ』ですよ?」

あの人にどうにもできなきゃ誰にも無理ですよ、と彼には理解できない理論でそれに答えた。



「あれがそうかな?」

「多分そうですね」

山の中腹に現れた、不自然に開けた場所。

奥に洞窟のようなものも見えるので、恐らくここが『蒼牙』のアジト跡だろう。

しかし壊滅したと聞いていた通り、人為的なはずの空間には人が生活している気配がない。

「うーん、やっぱり半年も前の情報だったし、もうここにはいないんだろうね」

念のためにと隠れていた茂みから立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回しても結果は変わらず、ヴァルトはそう言うとルリアーナの手を引いて茂みから抜け出す。

そしてどうせなら洞窟も見てみようとそちらへ歩を進めた。

しかし洞窟の中にも特に役立ちそうなものはなく、「ここに来たのは無駄足に終わったか」とため息を吐いて、そのまま街へ戻ることにした。

「何の手掛かりもありませんでしたね…」

ルリアーナは少しくらい手がかりがあるだろうと期待していた分、落胆が大きいようだ。

だが相手があの『金影』ならばそれも仕方がない。

「僕からすると手がかりが残っていると思っていたことの方が驚きだったけどね」

ヴァルトがそう言えばルリアーナはわからないという顔で彼を見返した。

一体彼女は『金影』を何だと思っているのだろう。

「…ねぇリア。もしかして僕が思っている『金影』と君が知っている『金影』は違うものなのかな?」

そんなわけはないだろうと思いながらも思わずそう聞いてしまうくらい、ヴァルトとルリアーナの中の『金影』像が違うように感じたのだ。

「いえ、同じ人物を指す言葉だと思いますけれど…」

しかしルリアーナは「何故そんなことを?」と、やはりわからないという顔で答えた。

「…僕が知っている『金影』と言えば、「たまたま闇夜に翻る金の髪を見た」という人がいたからつけられたその二つ名で呼ばれているものの、実際は容姿どころか名前も素性も不明な暗殺者のことなんだけど」

認識合ってる?とヴァルトが言えば、ルリアーナも「そうですね」と返し、

「君となで彼はイザベルちゃんがシャーリーを殺すために送り込んだ凄腕の暗殺者だとされています」

と、彼の認識を後押しする。

しかしヴァルトが「そうだよね」と胸を撫で下ろす前に、彼女によって大きな爆弾が投下された。

「まあ、実際は『王家の影の剣』との自負からハーティア王家に仇なす者を自己判断で消しているだけの王家大好き人間で、だからオスカー様を狂わせたシャーリーを殺そうとしていた、ルカリオという名前の孤児の少年なのですが。彼は本来、二つ名通りの金髪に碧眼の、過去に女の子と間違われたことがあるくらい可愛らしい顔をしていますが、荒んだ生活を送っているせいで常に顔を顰め、口からは罵詈雑言しか吐き出さない子になってしまいました。けれど仲良くなると次第に照れながら「別にお前も悪くない」などのデレを発揮しだすお姉様キラーとして有名で、さらに攻略すると「俺以外見てんじゃねーよ」などの嫉妬混じりのちょっぴり俺様な発言が聞けたりするなかなか美味しいキャラでした。そういえば実は甘いものが好きとか、昔もらったうさぎのぬいぐるみを大事にしているとかのお子ちゃま要素もあって、初期のギラギラした時とのギャップが萌えると…」

「ちょ、ちょっと一旦落ち着こう!ね!?」

「おい、てめぇ!なんでんなこと知ってやがる!?」

怒涛の勢いで次々と正体不明なはずの『金影』の個人情報を吐き出し続けるルリアーナに、「ちょっと一度に聞くには情報(しかもわりとどうでもいいもの)が多すぎるんじゃないかな!?」と止めようとしたヴァルトが声を上げた。

けれど全く同じタイミングで別の声が割って入ってきた。

そして恐らくその声の主であろうその人物はルリアーナの口を自分の両手で抑えるという物理的な方法で彼女の言葉を止めたようだった。

「俺が甘いもん好きとか、うさぎの…とか、それに名前も!おかしいだろ!?」

てかお前誰だよ!?と彼はルリアーナに詰め寄っているが、その口を自分が塞いでいるせいでルリアーナが答えられないことには気がついていないらしい。

「しかも王家とのことまで知ってっし。もうほんと何なの!?」

わけわっかんね!と言って彼が頭を掻きむしったため、ようやく口が解放されたルリアーナは開口一番にこう言った。

「ルカリオ、みーっけ!」

キラキラした笑顔で件の人物を指差すルリアーナを見ながら「うん、そうだと思ってたよ」と一人取り残されたヴァルトはため息を吐いた。


「ディア王家!?あんたたちが!?」

ルリアーナが自己紹介をすると、ルカリオは嘘だろと目を見開いた。

「本当よ。貴方が大好きな王妃様と同じ王族。ちなみにあそこにいるヴァルト様はディアの王太子で、直系の王族よ」

ルリアーナがそう言った瞬間、ルカリオはバッとヴァルトを振り返る。

そしてゆっくり近づいてくると目を満天の星空のように煌かせ、

「ほ、本当に、貴方は王族、なんですか?」

幾分ぎこちないながらも敬語でそう問うた。

だからヴァルトは「うん、そうだよ」と頷いたのだが、

「凄い!!あの王妃様の親戚なんて!!」

ルカリオは顔を紅潮させてさらに瞳の煌きを増やす。

それは噂とは随分異なる『金影』の姿だった。

「あの、ルカリオ、は、なんでそんなに王妃様が好きなのか、聞いてもいい、かな?」

名前を呼んだら「名前呼ばれたー!!」と叫びながらくるくると回り出したルカリオのテンションに気圧されながら、それでもヴァルトは気になったことを聞いてみた。

もしかしてルリアーナはこのことを知っていたから大丈夫だと言ったのか。

「俺、昔王妃様に命を助けてもらったことがあんだよ…、です」

ルカリオはテンションが高いまま素で答えてしまい、慌てて敬語っぽくしようと言葉を足す。

「俺のいた孤児院が火事んなって、命は助かったけど、住む場所も服も何もかも燃えちまって、みんなで呆然とそこに座ってたら」

あの日、これ以上ないくらいに絶望して、何もできずに焼けた孤児院の前に座り込んでいたら、遠くから馬車のガラガラという車輪の音が聞こえ始めて、それが孤児院の前で止まった。

そして中から見たこともないくらい綺麗な女性が降りてきて、

『早く子供たちにこれを配って。他の人は街の人にも声を掛けて、この瓦礫を撤去してください』

その人は凛とした声で従ってきた騎士に声を掛けると、煤や垢で汚れた子供たちに近づいてきて、内の一人をそっと抱きしめた。

『生きていてくれてありがとう。貴方たちはこの国の宝で、私の子供も同然よ』

そして女性はその場にいた全員を順に抱きしめ、頭を撫でた。

『すぐにおうちを直すから、それまではこのお菓子を食べていて。たくさん持ってきたから、いっぱい食べていいわよ』

さらには騎士に指示して配らせていたお菓子を示し、好きなだけ食べさせてくれた。

「…あの時、俺は女神を見た。この人のためだけに生きようって決めた。だからそのためには何をしたらいいか、考えて」

何故か犯罪組織に加入した、と。

「……ごめん、途中から意味わかんない」

自分が頭の良い人間だと知っているヴァルトはなんとか理解しようとしたが、世の中どんなに頑張っても自分の考えが及ばないこともあるのだと痛感した。

「え?どこ、ですか?」

一方のルカリオは「どこがわからなかったんだろう?」と首を傾げた。

彼は自分の歩んできた人生に疑問も矛盾もなかったので、ヴァルトが悩む理由がわからない。

「では私が教えて差し上げましょう!」

だがここにはそんな時に頼りになるルリアーナがいたので事なきを得そうだ。

「ルカリオはその時に王妃様に女の子と勘違いされて、たまたま王妃様が持っていたうさぎのぬいぐるみを貰ったんです。だから今もそれを宝物として大事にしています!」

「だからてめぇはなんでんなこと知ってんだよ!!もはや怖ぇよ!!」

得られなかった。

そこは確かにちょっと気にはなっていたが、今聞きたいのはそれじゃない。

「甘いものが好きなのも、その時の思い出の味だからよね~」

うん、それはなんとなく察してた、とヴァルトは頷く。

「あと、その日は仮設テントで一夜を明かすことになったんだけど、『私も今夜はここで子供たちと一緒に休みます』って言った王妃様とルカリオは同じ毛布に包まったのよね~」

「だめだ、もう俺つっこめない。逆に答え聞くの怖い」

そしてさらに齎される情報はルカリオの心を折ってしまったようだ。

けれどやはりヴァルトが欲しい情報ではなかったので、仕方なく自分から問いかける。

「えっとね、なんで王家のために生きようって考えて犯罪組織に入ったのか。僕が不思議だったのはそこだったんだけど」

もしかしてこれ疑問なの僕だけなの?と少し不安になりながらそう問えば、

「さっき言ったじゃないですか。ルカリオは『ハーティア王家に仇なす者を自己判断で消しているだけの王家大好き人間』だって」

「うん、それが?」

「彼は『王家の邪魔者を排除することこそ王妃様への恩返しだ』と考えて、その技術を学ぶために犯罪組織に入ったんです」

シャーリーが口にしていた『スティンガー』『砂の果て』『マクベス』は全てその組織の通り名だ。

実際には名前のない組織なので誰かが適当な名前を付けたらしいが、自分たちでは便宜上『影』と呼んでいる。

「ある時は「民のために領地の税を軽くするように」という王妃様の願いを聞いたふりをして改善しなかった貴族を、またある時は王妃付きの侍女を虐めていた同僚の侍女を消した。あとは『王妃が悪だ』という内容の舞台を書いた作家も殺してたわね」

ルリアーナはルカリオが『王家のため』に自己判断で実行したという殺しを指折り数えて挙げていく。

なるほど、確かにそのためには犯罪組織で覚えるのが早いことはわかる。

だがヴァルトはつっこまずにはいられない。

「王家って言うか、王妃様のためにしか動いてないよね?」

まあ王妃に助けられたのだからそれはある意味当たり前だろうが。

「そうですね。でも、今回は違ったんです」

ルリアーナはくるりと振り返り、『蒼牙』のアジトを見る。

「彼らは別にハーティア王家に関係ないのに、なんでこんなことをしたのか」

この私が知らないなんて、と余程悔しかったのか洞窟を睨みつけた。

「教えてくれる?なんで『蒼牙』を壊滅させたのか」

そして再びルカリオに向き直り、ここに来た理由を問う。

なにかシナリオ外でルカリオが動かなければならないようなことがハーティア王家にあったのかと。

しかしルカリオは「ああ」と言うと

「これは組織の仕事だから、あの人は関係ないぞ?」

これがシナリオに関わらない彼の日常の出来事であったことをあっさりと告げた。


「そういえば、貴方シャーリーを知っているわよね?彼女がここに来なかった?」

ルカリオの答えに「なにそれ~」と少し怒っていたルリアーナは「あ」と声を上げ、ようやくシャーリーの存在を思い出し、ルカリオに彼女の所在を知らないかと訊ねた。

彼女は彼を追ってここまで来たはずだから会っていてもおかしくはないと思ったのだ。

しかしその名前を聞いた彼は嫌そうに顔を顰めた。

「あんたの目的はあの女か…」

ルカリオはそう言うと「はっ」と吐き捨てるように息を吐き、

「あいつならここにはいないぜ?俺が嘘の情報流したからな」

やれやれだったぜ、と苛立たし気に呟いた。

『先日『蒼牙』を壊滅させた『金影』は次の仕事でクローヴィアへ行った』

変装して彼女に近づき、彼はそう言って彼女をクローヴィアに導いたらしい。

「今頃あっちで俺を探してるだろうさ」

殺さなかっただけ有難いと思えと言いたげな顔は初期のルカリオそのもので、

「うん、ルカリオはこうでなくちゃね!」

ルリアーナだけが妙に嬉しそうだった。

画面越しでなかった分、余計に嬉しかったのかもしれない。

「ってことは結局無駄足だったかな?あ、でも、バートランド嬢の目的はシャーリーの生存確認と今の様子が知りたいというものだったから、ひとまずは達成でいいのかな?」

ヴァルトはルカリオのせいでシャーリーを見つけられなかったが、彼のお陰で近況を知ることができたのでもうそれでいいかと思うことにした。

「いいと思います。王家から離れたからルカリオがシャーリーを殺すこともないですし、イザベルちゃんも安心するでしょうから」

ルリアーナもそれに同意し、ならやはりもう帰ろうと最後にルカリオに別れを告げる。

「じゃあね。貴方に会えて嬉しかったわ。今度叔母様に会ったら、あの時孤児院でぬいぐるみを渡した子供は元気でしたって伝えるから」

ルリアーナはそう言って微笑むと名残惜し気に自分と同じ位置にある彼の頭を撫でた。

その感触に懐かしい感覚を覚えたルカリオはハッと顔を上げる。

ちゃんと正面から見たルリアーナの顔に、大切な人の面影を見た。

「……おばさま?」

ルカリオは大きな瞳を限界まで開いてルリアーナを見る。

「ええ。ハーティア現王妃様は私のお父様の妹だもの」

そしてその目であの日見たものと同じ、暖かな陽だまりのようでありながら一本芯の通った凛とした笑顔に再会した。

その瞬間、ヴァルトが感じたのは寒気だったのか、恐怖だったのか。

ともかく、そんな良くない感覚だった。

「……なあ、俺、あんたについて行きたい。いや、行かせてください」

「……へ?」

ルカリオは自分の頭を撫でていたルリアーナの手を掴んで、それに口付ける。

そうして愛おしそうにその手を自分の胸に抱くと、

「あの日俺が出会った女神は、ここにもいたんだ…」

恍惚とした表情でそう言い、もう離れる気はないと全身で言っていた。

試しに軽く力を入れたが、びくともしない。

「………えっと、ど、どうしましょう…?」

突然の変わりように流石のルリアーナも頬を引き攣らせてヴァルトを振り返ったが、こうなったルカリオは無理やりにでもついてくることを知っていたので最終判断をヴァルトに委ねることにした。

個人的には危ない人間ではないと知っているから連れて行ってもいいが、現役の犯罪組織の一員であることを考えれば王家に近寄らせるべきではないとわかっている。

だから自分の主観ではなく、国のために得になるか損になるかをヴァルトに判断してもらいたかった。

「そう、だね…」

だが得も損も大きすぎる『金影』という存在はヴァルトを以ってしても即決できない危険な駒だった。

それに先ほどの得体のしれない感覚も気になる。

「…えーと、王子様、ちょっと耳を貸してもらえますか?」

どうしようかと決めかねていると、当人がそう言いながらヴァルトに近づいてきた。

そして屈んだヴァルトの耳にそっと囁く。

「俺を連れて行けば、この無鉄砲なじゃじゃ馬姫様の護衛、完璧にこなしてみせますよ?」

「採用」

その提案は先ほどの得体のしれない感覚など些細なことに思えるほどの利益を齎してくれるに違いない素晴らしいもので。

ヴァルトは一も二もなくルカリオを連れて行くことを決めた。

「リアのこと、くれぐれも頼んだぞ」

「お任せください」

こうしてルカリオは自らの居場所を自らの手で勝ち取ったのだった。



ヴァルトとルリアーナ、そしてその横にぴったりとくっつくルカリオが遅い昼食を済ませて待ち合わせの広場に着いたのは14時を少し過ぎたくらいだった。

けれどそこにはすでにベンチに座って談笑するライカとアデルの姿があった。

「お2人とも、随分早かったんですね」

ルリアーナが先に2人の元に駆け寄れば、ルカリオもそれに続く。

ヴァルトだけはきょろきょろと広場を見回しながら歩いて向かっていた。

「あ、ルリアーナ様!お帰りなさいま、せ?」

予想よりも早く現れたルリアーナにアデルが笑みを向ければ、その横にはなんだか知っている顔が増えていた。

「ええと、どうしてルカリオがここに…?」

探しに行ったのはシャーリーでは、と問えば、

「……なんでこいつも俺のこと知ってんだよ…」

ルカリオの目からはスッと光が消えた。

「『蒼牙』のアジト跡に行ったらいたの。で、ついてくるって言うから」

連れてきちゃった、と言って笑ったルリアーナの顔が可愛かったので、アデルは「そうですか」と笑顔で納得した。

「ええー…それでいいの?」

それに対してライカが控えめにツッコんだが、控えめ過ぎて2人には届かなかったようだ。

「それでね、シャーリーはルカリオのせいで今クローヴィアにいるみたいですぐに会うことはできなそうなの。でも生きてるってわかったし、ルカリオももう暗殺の対象にはしないって言ってるから、とりあえずイザベルちゃんに安心してって伝えに一度ハーティアに帰ろうと思っているの」

ルリアーナはざっくりとわかったことを2人に話した。

その間にヴァルトも合流したので、今度はアデルが3人に自分たちの戦果を披露する。

「と、言いたいところなんですが…」

しかしアデルはすぐに困ったように笑い、港がある方を指差した。

「海賊船やリーネとフージャのこと聞こうとしたのですが、その名前を出すと皆さん口を閉ざしてしまって、何も情報を得ることができませんでした」

すみません、と彼女はルリアーナに頭を下げた。

ルリアーナはシャーリーのことばかりかルカリオまで手に入れたのに、この中で一番この世界に詳しいはずの自分は何一つ情報を得られなかった、とアデルは気落ちしているようだ。

ルリアーナは「いいのよ、そんなこと」とアデルを慰めたが、横にいるヴァルトが「それでか」と呟く。

「さっきからなんか嫌な視線を感じると思ったよ。それが原因だね」

そして「ライカは気づかなかったの?」と彼を見る。

どうやら辺りを見回していたのはアデルたちに向けられていた視線の出所を探すためだったらしい。

「…実はね、港についてからずっと視線は感じてたんだ」

顔を上げてちらりと広場の一角を見つめたライカはヴァルトに一応は気がついていたと答える。

「でもみんな僕じゃなくてアディを見ていたから、てっきりナンパ目的かと…」

「阿保か」

しかし視線の理由を勘違いしていたと言い、ヴァルトにため息を吐かれた。

「だってその話をする前からねっとり絡みつく様にアディを見てたし」

アディは誰より可愛いから、とライカはしゅんと小さくなりながら、それでも仕方なかったんだと言い訳をしてみた。

だがそれはヴァルトにばっさりと切り捨てられる。

「それはな、多分見慣れない女だったからだ。彼女が『スズカ』だとでも思われたんじゃない?」

そう言った瞬間、空気がざわめいた。

「ほらやっぱり」

ヴァルトは当たりだったねと笑って先ほどよりも大きな声で言う。

「ここにいるのはアデルとルリアーナだから、スズカじゃないよー」

だがそれは誤魔化しも何もない、正直すぎる主張で、

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

ライカは突然そんなことを言って大丈夫かとヴァルトに聞く。

しかし返ってきたのは「さあ?」という言葉。

流石のライカも頬をピクリと動かしたが、

「でもさ、僕たちに勝てるのって騎士団長クラスだけだし、こっちには『金影』もいるんだよ?なにかあったとしても戦力過剰だと思わない?」

というヴァルトの言葉に「それもそうか」と納得し、少し落ち着いた。

王族として有事の際に備えている2人は幼少時より騎士団に交じって剣の稽古をしていたため、そこらの騎士よりよっぽど腕が立つ。

肝心の『金影』はまだ目から光を失わせているが、まあいざという時はきっと大丈夫だろう。

ライカは何かを悟ったように心が凪いでいくのを感じた。

「おい、あんたたち、何者だ?」

「何故『スズカ』を知っている?」

すると2人の男がライカとヴァルトに近寄って、不審気な目で2人を見た。

「海賊船とリーネとフージャのことを嗅ぎ回ってるだけだと思ってたが、『スズカ』を知っているなら話は別だ」

「このままあんたたちを返すわけにはいかないな」

その目には暴力的な色こそなかったものの、代わりに責任感と使命感があった。

これは逆にめんどくさいことになったかもしれない。

心穏やかになったはずのライカがそれを見てじろりとヴァルトを睨めば、彼は「悪かったよ」と目で返す。

これはどう切り抜けるのが得策か。

「貴方たち、鈴華を知ってるの!?」

そう思案する2人に、しかしそこに割って入る声があった。

「あ、リーネ、ちょっと待って!」

「お願い!鈴華に会わせて!!」

それは男女の2人組で、2人ともライカたちと同年代に見える。

「あ、リーネとフージャ!」

そして誰だと思う間もなく、アデルによってその正体があっさりとバラされた。



「ねぇ、貴女も私たちと同じ転生者じゃない?」

場所を彼らが拠点としている港にある商会風の建物に移して、給仕っぽい女性が紅茶とクッキーを置いて立ち去るとすぐにルリアーナがリーネに問いかける。

「ここが乙女ゲームの世界だって、知っているんじゃありませんか?」

その後にアデルも続いてリーネを見つめた。

「貴女たちも転生者なんですか!?」

リーネは2人の言葉に目を見開き口元に左手を当てて驚いて、右手では持ち上げた紅茶に口をつけることなくソーサーに戻した。

「ほ、本当、に?」

「ええ、そうよ」

「やっぱりリーネも仲間でしたねー」

まだ信じられないと2人に念を押すように確認すれば、ルリアーナは笑顔で力強く肯定を返し、その横ではアデルも無邪気に笑っていた。

そのアデルは見ず知らずのはずの自分たちの名前を当てていたし、もしかしたらこれは、本当に信じてもいいかもしれない。

そう思ったら、リーネの目からぽろりと涙が零れた。

「あの、私、前世の記憶はあるんですけど、この世界のことはよく知らないんです」

そして気がつけば、口からは誰にも言ったことがない自分だけの秘密が零れ落ちていた。

「え?」

「そうなの?」

驚いた顔をする2人にリーネはこくりと頷いて見せると、静かに前世のことを語り出した。

「前世では私は日本人で、妹と2人で暮らしていました。両親は私が大学1年生の頃に亡くなり、私は大学をやめて夜はバーになる喫茶店で1日仕事をしながら妹を、高校に入ったばかりの鈴華を育ててきました。なのに…」

リーネは声を詰まらせ、瞳にまた涙を溜め始める。

「突然でした。鈴華はどこかで誰かに刺されたらしくて、何とか辿り着いた私の仕事先の喫茶店の前で倒れて、私は物音で、鈴華が倒れてドアにぶつかったその音でそれに気がついて、でも、もう手遅れで」

しゃくり上げながらも、彼女は口を止めなかった。

そして急に始まったその話を遮る者もいなかった。

「私、必死に言ったんです。「死ぬな」って。「私を置いて行かないで」って。でもあの子はそのまま死んでしまった。私、悲しくて、もう、生きる意味なんかないって思って。だからあの子のお葬式を終えて、仕事の引継ぎをして、荷物も部屋も、思い出も全部片づけて…」

ああ、そうして世を儚んだのだと聞いていた誰もが思った。

彼女の前世はとても辛く痛ましいもので、この場の誰もが何と声を掛けていいか掴みあぐねていた。

しかし、話にはまだ続きがあったらしい。

顔を上げた彼女はうっそりと笑った。

「それから私は持っているお金全てを叩いて、鈴華を刺した犯人を捜しました」

当時を思い出しているからだろう、その笑みは悲しみを全て笑顔に変えたような歪さで、どう見ても壊れていた。

「そして3年かかってやっと見つけたんです。犯人の男を」

そう言った彼女は一瞬顔を輝かせ、けれどすぐに憎々し気に歪める。

「なのにそいつ、私の目の前で女の子に刺されて死んだんですよ」

そう言って砕けるのではと思う程の強さで歯を噛み締め、ギリィっという耳障りな音が室内に響いた。

また、膝の上にある手もきつく握りしめられており、握り込んでいるスカートに幾筋もの皺ができていた。

「男は私に追われていることを知って私を殺そうとしていた。それを知っていたから私は隠れながら男を狙っていたのです。ですが焦った男は私と間違ってその女の子を刺したようでした」

前世のリーネが見た光景は、脇腹から血を流した女の子が男の首にナイフを突き立てる瞬間。

その時、彼女は3年も追い続けた男が妹と同じ世界に旅立っていくのを感じた。

「私は男を探していたことを明かし、一番近くで様子を見ていただろう男性に話を聞きました。そしたらその女の子は自分が勘違いで刺されたことにキレて「道連れだ」と言って彼の制止も聞かず男を刺しに行ったのだと言うです」

はは、とリーネはソファに深く沈み込み、目元を覆う。

「見ず知らずの女の子は見事に復讐を遂げたのに、私の3年間ってなんだったんだろう。そう思いながらどうしようもなかった私は街を彷徨いました。けど、妹も仇もいなくなった世界に、もう私の居場所はなくて」

最後に一目鈴華に会おうと思ってお墓に行って、そこでそのまま死にました。

涙と共に放たれた感情のない静かな言葉で、彼女の話は締めくくられた。


部屋の中を耳が痛いほどの静けさが支配する。

誰もが呼吸音すら立ててはいけないような緊張感に身を固くしていた。

ヴァルトやライカ、ルカリオにフージャからするとリーネの話は想像を超えていたし、ルリアーナは平和な記憶しかない日本で起きたとは思えない凄惨な事件に驚きすぎて言葉もない状態だ。

だが、ただ一人、アデルだけは違っていた。

「私、その事件、知ってます…」

彼女は蒼白な顔色でそう言うと、カタカタと震える両手を組んで胸の前に当てた。

「リーネ、さんは、事件の後すぐに亡くなったんですね…?」

そして縋るようにリーネを見ながら口を開く。

その顔は否定してほしがっているようにルリアーナには映った。

「はい、そうです」

リーネはきょとんとした表情を浮かべながらもアデルの言葉に頷く。

それがどうかしたのか、と言わんばかりだ。

「…なら、事件の真相…犯人が鈴華さんを刺した理由は、知りません、よね?」

しかしアデルがそう言った瞬間、彼女は立ち上がってアデルを見下ろした。

「どういうことですか?貴女はあの事件の、私の知らないことを知っているの?」

その視線は仇を見るような激しさで、けれどどこかに怯えを孕んだような頼りなさでアデルを射抜く。

それを受け止めたアデルは一度首を振り、「私も警察から聞いたこと以外はニュースでやっているのを見ただけですが」と前置きをしてから、自分が知っていることをリーネに聞かせた。

「まず、犯人が鈴華さんのストーカーだったことはご存知ですか?」

アデルはリーネがどこまで事情を把握しているのか確認するために質問をする。

その言葉の意味を理解して驚いたのはルリアーナだけだったが、男性陣にはわからなくてもいいかとアデルはそちらを思慮の外へ追いやった。

「ええ。なんでか知らないけど、あいつは3ヶ月くらい鈴華の周りをうろついていたと警察が言っていたわ」

リーネもアデルの質問になるべく正確な答えを返そうと、外野を無視して話を進める。

だから間に立っているルリアーナは「ストーカーっていうのはね…」と用語解説に苦心した。

「あの犯人ですが、5年の間に鈴華さんを含めた6人の女性をストーキングしていたそうです。鈴華さんが3人目で、その前の2人は引っ越しや警察のお陰で逃げ切っていました。鈴華さんの後の3人の内1人は彼に殺され、1人は彼から逃げている最中に熱中症で亡くなりました」

アデルは手をきつく握りしめ、時々深呼吸をしながら言葉を紡ぐ。

「最後の1人は、多分途中で彼がリーネさんに追われ始めたおかげでしょう。3日程度つきまとわれましたが、すぐに男の姿を見ることがなくなり、平穏な毎日を取り戻しました」

その呼吸は次第に早くなり、その度に顔が下を向いていく。

その向かいで、リーネはアデルの言葉に引っ掛かりを感じ、それを口に出した。

「あの、なんだか最後の1人だけ、まるで見てきたような感じでしたけど…」

リーネが恐る恐るというようにそう問えば、アデルは一瞬迷ったように動きを止めたが、ややしてこくりと頷き、

「最後の被害者は、私です」

と言って、それきり口を閉ざした。


「えーっと、前世がなにかよくわかんないんだけど、さ」

それまで黙っていた男性陣のうち、最も殺伐とした話題に慣れていたルカリオが沈黙を破る。

「とりあえず、その話とスズカがどう繋がるのか、教えてくんない?」

彼のその言葉に、リーネとアデルが同時に顔を上げる。

「さっきから聞いてたらなんかスズカもリーネもスーなんとかって男もみんな死んだって言ってたじゃん?でもリーネはここにいるし、スズカを探してるって言うし、言ってる意味わかんないんだけど」

俺馬鹿だから、と少し恥ずかしそうに頬を掻きながら気まずげにルカリオが言えば、

「そうだよ、俺もわかんない。リーネは「スズカを探しているから協力して」って俺に言ったけど、スズカが死んでたなんて聞いてないし」

俺にも事情がわからないとフージャも手を上げた。

その2人には前世のことを何も話していないのだから当たり前なのだが、思わぬところで話が重なってしまって、つい何の説明もないまま話を進めてしまっていた。

説明を受けたはずのヴァルトとライカでさえ意味がわかっていないのだから、2人の混乱はもっとひどいだろう。

「ご、ごめんなさい」

「今説明します」

だから2人は男性陣に謝罪し、説明すると言ったのだが、

「あ、それは私がしておくわ」

ルリアーナが自分が請け負うと胸を叩いた。

「貴女たちは積もる話がありそうだし、私に任せて」

そして2人を気遣いパチリとウインクしてみせ、復習も兼ねて4人に前世の概念から説明を始めた。

その背にお辞儀をした2人は互いが知っていることを教え合おうと対面に座り、知っていることを洗い浚い話した。

そして全員にある程度の事情が共有された頃には夕食の時間となっていたので続きは夕食後として港町らしい魚介たっぷりの料理を堪能して、食後のコーヒーで落ち着いた後に再び話し合いとなった。


2度目の話し合いの口火を切ったのは、またしてもルカリオだった。

「んで、なんで前世で死んだ妹が自分と同じ世界に生まれ変わったと思ってんの?なんか根拠あんの?」

先ほどと同じようで、しかし理解している分先ほどよりも的確なルカリオの問いは、リーネ以外の全員が抱いている疑問だった。

何故リーネは妹がこの世界にいると思っているのだろうか。

「それが、私にもうまく説明できないのですが、なんというか、気配を感じるのです」

リーネは困ったような曖昧な笑みを浮かべながらルカリオの問いに答える。

「私に前世の記憶が戻ったのは11年前でした。きっかけはわかりません。ですが唐突に鈴華を思い出したのです。そして彼女の気配を強く感じた。でも、結局その時は見つけ出すことはできませんでした」

それ以降それほど強く気配を感じたことはないが、それでも常に薄っすらとは感じている。

だからきっとまだ彼女はこの世界のどこかにいるはずだ。

それはルカリオの求める根拠には遠く及ばないほど微かな、独りよがりな期待かもしれない。

だがリーネは今まで不確かなそれだけを追い求めて生きてきた。

「ある時、平民でも学があれば貴族と同じ学園に通うことができると知って、鈴華を探す手段を広げるためにそこに通うことに決めました。そして学園で出会ったフージャや生徒会の方たちの助けを借りて鈴華を探すうち、ハーティアの方へ行けば鈴華の気配が強くなるとわかり、以降ハーティアを中心に探していました。でも、ちょっと前になぜか突然気配が薄くなって、手がかりがまた遠くなったとがっかりしていたら最近また気配が強く感じられるようになって…」

「………うん?」

「原因が私なのか鈴華なのかよくわからなかったのですが、とりあえず気配が強くなったのならまたハーティアに行けばいいと、この前はあちらの商船の方に話を聞いてきてもらいました」

それがヴァルトとルリアーナが話を聞いたあの商船なのだろう。

それはいい。

それよりも気になったのは。

「ねぇ、リーネちゃん。一度気配が遠くなったって言ったわよね?」

ルリアーナは次第に逸る心臓を宥めつつ、慎重にリーネに問う。

「え?あ、はい。半年前くらい、でしょうか」

その返答に、ルリアーナの心臓はドクンと大きく脈動する。

「そう。ならもしかして、気配が強くなったのは、…3ヶ月ほど前からじゃない?」

ルリアーナがそう言った瞬間、反応したのは3人。

ヴァルトとライカとアデルだ。

他の2人はピンと来ていないようで、首を傾げている。

それもそのはず、彼らは『それ』を知らないのだから。

「多分そのくらいですが、あの、何か知っているんですか!?」

リーネも符合するルリアーナの言葉に目を大きくして詰め寄る。

前世の記憶を持っていて、ここの世界のことを前世から知っているという2人からなら何かしらの助力を得られるのではと考えていたが、こんなに早く手がかりを得られるなんて、と期待に目を輝かせる。

「確証は、ないのだけれど」

ルリアーナはリーネを落ち着かせようと「どーどー」と言いながら両手のひらを前に出す。

そして一つ息を吸うと、ゆっくりとリーネに語り掛けた。

「この世界は乙女ゲームの世界だと言ったわよね?」

「はい」

「そのゲームは『君のとなりで』という作品で、シリーズが4まであることがわかっている」

「はい」

「その中で貴女は3作目の『ヒロイン』なの。そこまではいい?」

「…はい」

リーネは真剣にルリアーナの言葉を聞き、適宜相槌を打っている。

その様は落ち着いているように見えるが、震える手がそうではないことを知らせていた。

「このゲームには『ヒロイン』と対になる存在である『悪役令嬢』という役割を持った人物もいる。それが2では私、4ではアデルちゃんね」

「はい。…え?そうなんですか?」

「そうなの。それでね、私が心当たりのある人物は、無印、つまり一番最初に発売されたシリーズ1作目の『悪役令嬢』である、イザベルちゃんっていう子なの」

ルリアーナがそう言うとリーネは「…イザベル」と口の中で小さく呟く。

そしてその名前を噛み締めるように何度も呟いた。

「その子はハーティアの王太子の婚約者だったんだけど、ゲーム通り半年前にディアへ追放されてしまった。でも私たちと出会って、色々あって3ヶ月前にようやくハーティアに戻れた子なの」

ルリアーナがそう言うとようやく事情がわかったフージャの顔に驚きが宿る。

一方のルカリオは「ああ、そういえばそうだったな」と独り言ちていた。

王家に関係あるから知ってはいたが、今まで忘れていたというところか。

「今まで『ヒロイン』と『悪役令嬢』には前世の記憶保持者が多くいたわ。でも彼女には前世の記憶がなかった。それが思い出していないだけなのかそもそも違うのかわからないけれど、確かめてみる価値はあると思うの」

それにイザベルからの手紙に『スズカという言葉を私は知りませんが、どこかで一度その音を聞いたことがある気がします。』とあった。

もしかしたらそれは前世の記憶の断片なのかもしれない。

そう言ってルリアーナはにこっと微笑み、リーネの手を取る。

「ということで、私たちと一緒にハーティアへ行きましょうか」

明日にも出発しましょうとルリアーナが笑みを深めれば、リーネは言葉が出ないのだろう、こくこくと首を動かし、また静かに涙を流し始めた。



翌日、空は無事に晴れ渡り、絶好の航海日和となったこともあってハーティアまではフージャが持っている商船で行くことになった。

彼は「元々こっちが本業です」と笑っていたが、乗組員は一緒なので、あちらでは顔を見られないように注意しなければならない。

「ハーティアに着いたら王都のルハートまでは馬車ですぐだから、午後にはイザベルちゃんに会えるわね」

「楽しみですね」

「はい。皆さん、本当にありがとうございます」

3人の女性は甲板に立ち、遠くに見えているハーティアの地を見る。

例えイザベルが鈴華ではなくても、数少ない候補をさらに絞れると思えば無駄にはならない。

「出港ー!!」

フージャの声と共に汽笛が鳴る。

その音がハーティアに届くまで、あと少し。

読了ありがとうございました。


※名字由来netさんによれば、鈴鹿さんという苗字の方は日本に2600名ほどいらっしゃるそうですが、調べるまで私が知らなかったのでルリアーナも知らなかったことにしています。

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[一言] 話を聞くためだけに船を襲撃するヒロインコワイ
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