二次元から三次元へ【4】
「……どういう事でしょうか?」
「あなたがそこに書いた城主様や城へ自分から近づかない、という言葉は守ります。代わりに私からの要求を一つ書いてください」
「何が望みです? 生活の保障ですか? それとも恋仲になりたいお相手でも?」
「先ほども言いましたが恋愛事をする気はありません。税を払うと言っている人間が保障を求めるのもおかしな話でしょう? 簡単な事です。私がその契約を守る代わりに、あなたはここを出たらすぐに診療所に行く。そう契約して下さるのならばすぐに署名いたします」
「……は、はい?」
私の言葉に目を見開いて動きを止めた柊さんの横で、彼をを見守っていた男性が妙案と言わんばかりに瞳を輝かせる。
やはり周囲の人間は彼を病院に行かせたいようだ。
病院に一歩足を踏み入れたと同時に入院させられそうな顔色だし、そこで医師が問題無いと判断するならば、もうそこからは私の管轄外だろう。
視線だけで部下の男性に援護射撃を頼むと、初対面で名前すら知らないにも関わらず奇跡的に伝わったようで、彼はすぐに口を開いた。
「柊一郎様、いいではありませんか。ここの帰りに一度診療所に寄るくらいのお時間はありますし、ただそれだけで来訪者である彼女は二度と関わって来ないのでしょう? 殿の祝言も近い事ですし、問題は早々に片づけてしまいましょう」
彼を病院に行かせるためとはいえすごい言われっぷりだ。
先ほどまで私に税について説明してくれていた親切さはどこへ、と疑問に思うほどの。
私の前に来たであろう来訪者たちの態度がどれだけ酷かったのかがわかる。
私は彼女たちと直接関係はないのだけど、なんて思いつつも怒りが沸いてこないのは柊さんの顔色が悪すぎるせいでもある。
……まさか椅子から立った瞬間に倒れるとか無いよね?
そう心配してしまうほど不調そうな彼は、部下の男性の言葉を聞いてしばらく考えた後に静かにため息を吐いた。
「そう、ですね。それでこの方との関わりが断てるのならば」
とげとげした口調だが、私が城主様に近づかないという契約は彼らにとってはそれだけ重要事項らしい。
もし私が恋愛事に前向きだったとしても、ゲーム内でならばともかく現実でいきなり城主なんて身分の人と恋仲に、なんて絶対に嫌なのだけれど。
ゲームがモチーフになっているがゆえに身分のあるこの人達ともこんな風に会話出来てはいるし、彼らの口調も丁寧ではあるが、それでも城主の正室になるなんて責任もやるべきことも多すぎる。
この世界の正しいマナーを理解していない身では、なおさら近づきたくない。
他の来訪者たちはよく城主様を口説こうなんて考えられたな、と他人事ながら背筋がひやりとする。
もしもこの状況が現代日本でのタイムスリップだったとしたとしたら、普通に処刑ものではないのだろうか。
今までの来訪者は追い出したと言っていたが、島流しのようなものなのだろう。
もしかしたら彼女たちは納得していないかもしれないが、それで済んで良かったのではないだろうか。
私だっていつやってはいけないことをするかはわからないし、もしかしたら無意識の内にやってしまっているかもしれないので、ここがゲームの世界観で良かったと心底思う。
「こちらです。署名をお願いいたします」
契約書の最後に診療所に行くと付け足した柊さんが、紙をこちらに向けてから静かに差し出してくる。
嫌味を言いつつも一つ一つの仕草が丁寧な人だ。
私が読みやすいような向きに変えられた書類や、そこに添えられた手を見てそんなことを思う。
攻略中、仲良くなったこの人がとても優しかったことを思い出す。
そういえばゲームでもこの人は最初の頃は別の世界から来た主人公を疑ってかかっていたっけ。
彼の書いた文面をしっかりと読んで、先ほどまでの作業で使っていた筆を持って来てサラサラと筆を走らせる。
紫苑、とだけ書いた紙、だがこれでもう内容を破ることは許されない。
許されるとすれば、契約書を作った本人である柊さんと署名した私が同じ考えのもとで破棄する手続きを取った時だけだ。
今の彼の様子から見るにまずありえないだろうし、私も破棄する理由はない。
「……字が、書けるのですね」
私の様子を見た柊さんが意外そうな声で呟く。
複雑そうな感情を乗せた言葉に顔を上げれば、彼は何ともいえない表情で私の手元を見つめていた。
「このくらいでしたら書けますよ」
「今までの来訪者のほとんどの方は筆が使えませんでしたよ。書けたとしても私たちには読めないような字ばかりでしたし。着物すら一人で着ることの出来ない方ばかりでした」
「ああ、そういうことですか。私たちの世界ではもう筆も着物もあまり使われていませんからね」
筆も着物も出来る人は出来る、という文化になりつつある。
私は以前ハマったゲームの推しキャラに影響されてどちらも覚えたけれど。
推しキャラが好きなら覚えたい、なんて感覚は同じ様にゲームや漫画などにハマりこんだ人間ならば理解してくれるだろう。
推しキャラに食べてもらう事を考えて料理を覚え、誕生日にはケーキを焼きたくてお菓子作りを覚え、コスプレのために裁縫を覚え、音楽系の作品にハマれば好きなキャラと同じ楽器を覚える。
グッズをうまく飾ったりするために整理整頓が得意になり、予算内でいかにグッズを買うかを考えて節約が得意になり……推しキャラが一人、また一人と増えるたびに自分の周りの環境が許すだけその推しキャラに関わる特技が増えていく。
実家を出た後に私に出来た趣味は、私の人生を本当に充実させてくれた。
そんなわけで、私もオタクゆえにある意味ハイスペックといえるだろう。
自分磨きだって、最初は推しキャラのためだった。
そのキャラに見られても恥ずかしくない自分でいたいと思って始めた自分磨きは、今では私にとっても趣味の一つになっている。
まさかそのせいであんな意味の分からない見合い話を持ち込まれることになるとは思わなかったけれど。
書き上がった紙を先ほどの柊さんの様に彼の方に向けて差し出す。
少し戸惑ったように受け取った彼は、すぐに表情を険しいものへと戻して口を開いた。
「約束、違えないで下さいよ。もしも破った場合はあなたもこの国から追い出すことになります」
「契約した以上は破りたくとも破れないでしょう? それよりもあなたは早急に診療所に行って下さいね?」
「またそのお話ですか。私も契約した身です。この後すぐに行きますよ」
話は終わりだと言わんばかりにゆっくりと立ち上がった彼は一瞬ふらついたが、すぐに体勢を整えて何事も無かったかのように入口へ向かって歩き出す。
戸惑いなどは一切見られないことに顔が引き攣った。
「もしかして、ふらついたことにも気が付いていないの?」
「ええ、そうなんです。私たちが診療所へ行って下さいと言っても、後で行くと言うばかりで」
私の小さな呟きに悲愴感の強い声で返してくれた男性が、柊さんが気が付いていない間に私の方を見た。
深々と一度頭を下げた彼は小さな声でありがとうございましたと告げ、柊さんの後を追うように店の入り口へと向かって行く。
入り口に手を掛けた柊さん達が扉を開けて出ていくのを見つめ、口を開く。
「お大事にどうぞ」
私の声を聞いて一度振り返った彼は顔をしかめ、そのまま失礼します、と言って出ていった。
後に続いた男性はもう一度私に向かって深々と頭を下げて店を出ていく。
静かに閉じられた扉を見つめて、今度は私がため息を吐いた。
よくわからないことが多いまま、流れに身を任せる様に色々と決まった気がする。
それにしても……
「現実だとあんな風になるんだ」
やつれていたこともあるが、やはりイラストで描かれた彼とは雰囲気が少し違った。
確かに綺麗で素敵な外見の人だったけれど。
「あーあ」
この世界に来てから一番のため息を吐きだして、首を垂れる。
私のお気に入りのゲームの世界に来られたのは嬉しいけれど、推しキャラがいなくなってしまった。
「なんで三次元になっちゃうかなあ」
二次元の時はあれほどときめきを感じていたのに、今はまったく無い。
そして嫌な態度を取られても気にならないほどに彼への興味も無い。
あまりにも体調が悪そうだったことへの心配の気持ち、そして彼が居なければ自分が今から住むこの国の平和が脅かされるかもしれないという不安はあるけれど、それだけだ。
彼とのやり取りの間に、個人的な好意は一切ない。
診療所に行かせるようにはしたし私に出来る事はもう無いと思うと、さらにどうでもよくなってくる。
やはり私の恋愛対象は二次元限定のようだ。
だって同じ柊さんでも、思い浮かべてときめくのはゲームキャラクターであるイラストの方なのだから。
私はゲームストーリーの中で、私が操作する主人公に恋をしている柊さんが好きなのであって、先ほどまで目の前にいた柊さんが好きなわけではない。
……心の中だけとはいえこの呼び方は駄目か。
彼はキャラクターではない、ゲームではキャラクターの苗字が出て来なかったのであの部下の男性に倣って柊一郎様とでも呼んでおこう。
関わらないと言った以上は、本人に向かって呼ぶ日は来ないだろうけれど。
恋愛事に関して現実を見ていないと言われても構わない、このことを口外したことはないし、元の世界でも恋愛をしなくても一人で生きていけるだけの基盤も作っていた。
家族さえ関わって来なければ、一生独身のままそれなりに充実した生活を送れていただろう。
誰にも迷惑をかけていないし、結婚していなくても問題の無い時代になってきていたのだから。
この世界で私くらいの年齢の独身女性がどう見られるかはわからないが、例えおかしいと思われても結婚をするつもりはない。
結婚して私の家のような関係になるかもしれないのなら、私は理想だけで完結する二次元にときめいていたい。
沢山の魅力的な彼らに、そして決して現実にはならない彼らに。
もっとも今まで現実の男性にときめいたことはないので、たとえ家庭環境に問題が無かったとしても私は二次元の方が好きだったとは思うけれど。
「三次元での恋だなんて、冗談じゃないわ」