二次元から三次元へ【3】
おそらく彼らはただ私に釘を刺しに来ただけだろうが、痛くもない腹を探られ続けるのはごめんだ。
信じられないからと監視でもつけられたら面倒だし、少しでもいいから私が恋愛をする気がないこと、先に来ていたその人達とは違うということを信じてもらいたい。
そういえばこの世界、確か書面での契約を相当重視していたはずだ。
基本的に書面に残した契約は署名した時点で破ることは許されない、というのが常識として浸透しているはず。
「口頭で信じられないのならば一筆書きましょうか? 城や城主様へは近付かない、とでも」
「……文言はこちらで書かせていただきますよ」
「ここでお店を出すことへの許可をいただけるのでしたら」
「構いません」
やはりこの申し出は彼らには効果的だったらしい。
あのファイルの文面にある程度の常識は把握できるようになっているとは書いてあったけれど、しばらくは今まで生きて来た世界との差異で戸惑うことが多そうだ。
私がありえないと思う事でもこの世界では当たり前の場合もある。
常識も文化もまったく違う世界に来たのだと、ちゃんと意識して新しい日常を楽しんでいこう。
懐から紙と矢立を取り出した彼が、近くにあった机へとそれを置く。
矢立、筆と墨を持ち歩くことが出来る筆用のペンケースのような入れ物……知識はあったが実物は初めて見た。
謎の感動を覚えながら、矢立を開け筆を取り出し墨をつけた彼の手元を見つめる。
私も矢立を買うか作るかしよう。
この世界で筆と墨を持ち歩くのは当たり前の文化なのだろうし、そのためには矢立は必須だ。
すらすらと文字を書き始めた彼の手元を見つめながら、そういえば、と口を開いた。
「ここの土地代や税なんかはどうなりますか? いくらくらい納めればいいのでしょうか? それ以外にもお店に関して何か国に払う必要がある費用があれば教えていただきたいのですが」
私の言葉を聞いた柊さんがぎょっとした表情で顔を上げる。
もう一人の男性も驚きからか口をぽかんと開けた状態で私を見つめていた。
妙な静寂が広がり、なんだか気まずい。
「支払わなければならないものを知らずにお店を取り上げられても困ってしまいますし。お手数をおかけしますが、あなたたちとこれから関わらないためにも教えていただければ嬉しいのですが」
農民が年貢として米を納め商人は金銭を納める、そんな世界観だったはずなのだが、何かおかしい事を言っただろうか?
この世界で暮らすのだからそういった義務が生じるのはもうしかたがないことだし、やるべきことはしっかりとやっていた方が堂々と商売が出来ると言うものだ。
後ろ暗いところは少しでもない方が良い。
先ほどまでまっすぐにこちらを射抜いていた視線を戸惑ったように彷徨わせた柊さんは、少しの間の後に何かを悩むそぶりを見せつつ口を開いた。
「……店なんてものを持ち物として持って来たのはあなたが初めてですが、この店を取り上げる事が出来ないことはわかっています。来訪者の持ち物は来訪者以外の物にはなりませんから。それと、ここは国でも持て余していた誰の物でもない土地ですので所有権で揉めることもありません。店に関しての費用は土地代も含め特に必要ないでしょう。おそらく土地ごと来訪者、つまりあなたの物になっているはずです」
「え、その、申し訳ありません」
持て余していたとはいえ、勝手に国の土地を自分の物にしてしまった。
私が頼んだわけではないが、なんだか居た堪れない。
柊さんと男性は一度顔を見合わせ、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「この土地はあるだけで維持費がかかるのに、土地の状態が悪く何にも使えない状態でした。この店が建ったことで家を建てても問題無い状態になったようですが。率直に言いますと、私たちにとって邪魔で手放したい土地でしたのでこの土地を手放せるのはありがたいです。あなたが税を納めると言うのならば、尚更です」
「こちら、この周囲の店に課している税の大体の目安となります」
「ありがとうございます」
柊さんはまた紙面に視線を落としてしまったが、男性が一枚の紙を手渡してくれたのでその内容を読みこんで行く。
ここでお店を出した挙句、この先ずっとこの世界で生きていくのにこういったものを無視するのは違うだろう。
ただでさえ来訪者として恵まれた環境にいるのだから、住んでいる町の周囲の人たちと同じ条件を背負うのは当然のことだ。
「ああ、お店の場合は売り上げによって変わるのですね」
「はい、基本的に商売人の方はこちらを参考にしていただければ」
彼らに関わらないようにするのならば、重要事項の説明をくわしく受けることが出来るのは今しかない。
紙面を指し示しながら説明してくれる男性に気になったことをいくつか質問し、しっかりと覚えておく。
新しい世界に馴染むためとはいえ、こういう風に覚えなければならないことが多いのは少し面倒に感じてしまう。
一年もすれば慣れてしまうだろうが。
「すみません、ありがとうございました」
「いえ。まさか来訪者の方から税について聞かれる日が来るとは思いませんでした」
「この地で生きていくのを許していただけるのなら、義務は果たしますよ」
「そんな風に言う方など今まで一人たりともおりませんでしたがね。金銭があふれ出す巾着を持っていた方もおりましたが、それでも城から出ていかなかったくらいですし」
私と男性の会話を遮るように柊さんがそう口にする。
しかし今までの会話の内容のせいか、少しだけ棘が抜けたような口調だ。
関わる、つまり頼るつもりがない、というのを少しは理解してくれたのかもしれない。
「……別世界からの来訪者を手放しで歓迎する人間はもうおりません。以前来た方が町でも大騒ぎを起こしたことがありますので。今までの来訪者たちはこの国を追い出されています。世界を結ぶという道を塞ぐ方法も見つかって、後少しで作業終了という時にあなたが来たのです。町の人間に頭から拒絶をするような人間はいませんが、それでも戸惑いの視線には晒されるでしょう。商売をしたいのなら頭を働かせることです。この店が潰れあなたが路頭に迷ったとしても、こちらは国として一般の方にする以上の保障以外は一切手助けはしません」
「御忠告をどうも」
私の前の来訪者たち、なんてことをしてくれたんだか。
嫌味混じりの口調で話す彼の顔を見つめつつそんなことを思う。
まあいい、たとえ町の人々が私に思うところがあれど並んでいる商品が魅力的ならばお客様は来るはず。
私はただ誠実にしていればいい。
ゲームの知識がある以上、それこそ貴重で強力な道具だって作れるのだから、後は私がきちんと生活すればいいだけだ。
道がもうすぐ塞がれるのならば、尚更私とあの世界との縁は切れる事になる。
それにしても、もしも路頭に迷った時はちゃんと一般向けの保証はしてくれるのか……。
そういえばこの世界、ゲームでは相当お人好しだなと思える世界観だった気がする。
まあ、あまり迷惑を掛ける事がないように頑張ろう。
城主様へは近付きません、といった意味合いの言葉がサラサラと半紙に書き込まれていくのを見つめる。
……彼の手がわずかに震えているが、無意識のようだしこれも体調が悪いからなのだろう。
「…………」
少し考えて、じっと彼の疲労困憊であろう顔を見つめる。
嫌味な言葉が本当に気にならないくらいの病人のような顔色。
今いきなり倒れて息を引き取りました、なんて言われてもおかしくない。
さすがにそれは寝ざめが悪いな、と少し思案する。
この人はこの国では相当重要人物、もしも何かあれば国は混乱するだろう。
よそ者が町に馴染むには、ある程度平和な状況でなければまずい。
いくらお人好しの人が多くとも、自分たちの周りに余裕が無ければみなイラつくし、よそ者を快く思わない人間も増える。
よくわからないものを受け入れるには、受け入れる側の余裕は必須だ。
そしてこの国の安寧を保つために必須なこの人に何かあると、私もこの世界に馴染みにくくなってしまう。
どうせ嫌われているようだし、今更私への嫌悪感が高くなったところで私には痛くもかゆくもない。
きっと今後関わることもないだろう。
遠いところでこの人が健康でいてくれることが私のこれからの生活の平穏に関わってくるのならば、やることは一つ、彼を病院に行かせることだ。
私を突き放しながらも、必要なことは説明してくれたお礼代わりということにしておこう。
「文章、一文付け足していただけますか?」