二次元から三次元へ【2】
私への嫌悪に溢れた声に戸惑うが、正直その言葉へ嫌な感覚を覚えるような心境ではない。
そもそも見知らぬ人からの敵意、それも自身へ危害を加えるつもりはない様子の人に何を感じる必要があるのだろう。
推しキャラにゲームの画面越しに言われたらショックを受けるかもしれないが、現実で親しくもない人から向けられた嫌悪に傷つくようなタイプではない。
明らかに病人である相手からなのだから、なおさらだ。
……家族と呼ばれる人たちからの敵意に慣れ過ぎて麻痺しているだけかもしれないけれど。
「別に進んで関わりに行く用件もありませんので、ここでこのお店を運営して良いという許可さえいただければ構いませんが……あの、そんなことよりも、あなたは大丈夫なのですか?」
え、という声が二人分揃い、柊さんと男性が驚いたような表情で私を見つめる。
ゲーム中で冷たい美貌と称されていた彼の顔は、本当に生きているのかと思える程真っ青で、べったりとした隈が刻み込まれていた。
「何をおっしゃっているのですか? まさかそんな言葉で私たちの興味を引けるとでも思っていらっしゃるのですか?」
「何をおっしゃっているのかよくわからないのは私の方ですが……それに知らない方が相手だとしてもそんな顔色の方がいたら心配しますよ」
「顔色、ですか?」
「あなたの元々の様子は存じ上げませんが、その、失礼ながら今すぐ倒れたとしても納得できる顔色ですよ?」
確かに自分のことには無頓着なキャラクターだったが、ここまで顔色が悪いのならば絶対に何らかの症状が出ているだろうし、周囲からの指摘も入るはずだ。
思わず彼の後ろにいる部下らしい男性の方を見ると、悲痛そうな表情で首を横に振られた。
「私が冷たいからと部下から先に誘惑でもするおつもりですか? 攻略だか何だか知りませんが、来訪者の方と関わる気などありませんよ」
「いえ、あなたの顔色についての意見が一致しただけですが。それに先ほども言いましたが、用事もないのに関わる必要を感じません」
なんだろう、このやり取りは。
彼の顔色のことはとりあえず置いておいて、彼が初対面であるはずの私に向ける敵意はとても強い。
ゲーム中の彼は仮にも初対面の相手にこんな態度を取るような人では無いのだけれど。
上手に言葉を選んで私に悟らせないまま自分達に近寄らないように仕向けることぐらい、朝飯前の人のはずだ。
それに先ほどから私の言葉を完全に聞いていないようだし。
しつこいやり取りに少し苛ついてきた気がする、もう少し落ち着いて話せる相手のはずなのに。
もっとも今の彼はキャラクターではなく一人の人間なので、これもゲームと現実の差異なのかもしれないけれど。
彼の口振り的に私以外にも今までここに来た人間、つまり来訪者があのファイルに書かれていた通り実際にいたのだろう、という事はわかる。
そして誘惑という言葉、それもこの人は誘惑されるのが部下の男性ではなく自分の方だという事を把握しているようだ。
それに、彼は今“攻略”と言った。
もしかしなくても、私の前に来た人たちは乙女ゲームのままの感覚をこの現実へ持ち込んだのだろうか。
初対面の男性をゲームのキャラクターと同じ様に“攻略”しようとして言い寄った、そんなところだろう。
大きくため息を吐きだした柊さんは頭痛を堪えるように頭を押さえながら、嫌悪感がにじみ出る口調のまま言葉を発し始める。
「初めは別の世界からの来訪者たちを一般市民と同等の暮らしが出来るように保護していたのです。私たちに彼女たちを助ける義務などありませんが、強制的に連れて来られた彼女たちを気の毒に思ったからこその措置でした。それを……」
そこで言葉を止めた彼から少しの怒りを感じる。
私の前に訪れた来訪者たちは全員女性のようだ、という事はわかった。
そして今彼らはその彼女たちにまったく良い感情を抱いていないということも。
「彼女たちは自分も別の世界から来たのだから、と、この世界を救った女性と同じ待遇を求める上に、何故か皆初対面の男性達へ突然言い寄るような真似をします。その中にはこの国の城主も含まれている上に、それを幾度も繰り返す者ばかり。注意しても聞く耳を持たないどころか、私が彼女たちに相手にされないから城主に嫉妬している、なんてふざけたことを言う始末。そんな風に言わなくてもあなたの事も好き、などと意味のわからないことを言う方まで現れ……一人たりとも私たちの注意を聞いたり、与えた待遇を受け入れて自力で生きようとしたりはしません。あなた方が初対面のはずの私たちを知っている、という事にはもう慣れましたが、だからといって関わり合いになりたいとは思いません。城主は世界を救った女性と恋仲です。あなた達の入る隙間など存在しません」
「……そういうことですか」
私の出した答えを彼の言葉がすべて肯定する。
同じ世界から来たとはいえ、功績のある人間とそうでない人間に差があるのは当然だ。
そしてどうやら、ゲーム主人公はメイン攻略対象だった城主と結ばれたらしい。
この人は嘘は言っていないだろう、言い寄られたと言った時に相当な怒りのオーラがにじみ出ていたくらいだし。
確かにうっとうしいだろうな、と納得してしまう。
自分にその気はないのにあなたも私のことが好きなんでしょう、なんて言われるのは。
しかも親友でもあり自分が仕える相手でもある城主様にも言い寄っている相手に。
「今まで訪れた来訪者があなた方に無礼を働いた、と。そしてこの国の城主様を含めた男性たちにも言い寄り迷惑をかけ続けた、だから私も同じなのだろう。そういうことでしょうか?」
「ええ」
「……そうですか」
彼は親友である城主様のことをとても大切に思っている。
あのゲームには同時進行でキャラクターを攻略するルートもあり、その攻略対象の組み合わせによって特別なイベントが発生することがあった。
攻略対象が城主様とこの人で、本命が城主様だった場合、彼は自分の気持ちを誰にも吐露することもなく、親友と想い人を笑顔で心から祝福し、一人きりでひっそりと涙する。
心から浮かべた笑顔で二人を祝福し、誰もいない場所で大粒の涙を流しながら自分の終わった恋を過去のものに変えようとしていたシーンはゲーム中の切ない音楽や美麗なスチルと相まって、たくさんのプレイヤーを泣かせた。
私も涙をボロボロと零しながらごめんねと謝りつつ、そのエンディングを見た記憶がある。
あのルートを見てから柊さんは推しキャラの一人になったのだから。
そんな風に親友と主人公を大切に思うような彼だからこそ、二人の仲を割く人間が許せないのだろう。
しかし、その心配は私に対してはまったく不要なものだ。
「あなたが納得するとは思えませんし、言っても無駄かもしれませんが一応言っておきますね」
「なんでしょうか?」
「私は恋愛も結婚もごめんです。どちらもする気持ちは欠片もありません」
そう言い切った私を、彼も男性もぎょっとした顔で見つめて来る。
事実だ、なにが悲しくてお見合いをしなくて済んだと喜んだ瞬間に別の恋に関して考えなければならないのか。
私は一人で良い、気持ちよく付き合えるような友人は欲しいけれど、恋人はいらない。
いずれ家族、という関係へと変わってしまう相手なんて……。
そもそも、私が好きな柊さんはキャラクターの彼、二次元の彼だ。
三次元、現実を生きる男性として目の前にいるのはただの初対面の男性でしかない。
ときめきも好意も欠片も感じない。
あるのはこの人が死にそうな形相であることへの一般的な心配の感情だけだ。
しかしやはり信じられないのだろう、彼の表情はすぐに険しいものへと変わる。
「その言葉を私が信じると思いますか?」
「無理でしょうね」
今まで来た来訪者たちが相当やらかした後だ、彼の態度も仕方のない事なのかもしれない。
体調不良で余裕が無いのもなんとなくだが見て取れるし。