第二話 二次元から三次元へ【1】
文化的にチャイムも無ければノックの文化も無いので、人を訪ねる時にはこうして声を掛けるしかない。
そうだとしても突然の大声は心臓に悪い、何かいい方法や道具はないだろうか。
お店を開ける時は風鈴を扉が開いたら鳴るように設置してみるのも良いかもしれない、なんて思いながら扉へと歩み寄る。
返事はしたものの向こうにいる相手は関わっても大丈夫な人物なのだろうか。
今更不安が湧き上がってきたが、もう返事をしてしまった身なので無視するわけにもいかない。
そっと鍵を外して扉を横に引けば、扉にかかった暖簾越しに和服を着た男性の胸板が見える。
私も女性の平均身長よりは高いのだけれど、それでも私の事を見下ろすくらいには身長の大きい相手のようだ。
昔の日本なら高身長は珍しいのだろうが、こういう身長のような身体的な部分も乙女ゲームだからなのだろう。
そういう細かいところを気にしてしまうと女性一人で店を経営、なんて確実に無理になってしまうし、もう気にしないことにした。
暖簾を片手で捲りながら相手の顔を見るべく視線を上げていけば、灰色の着物、濃紺の羽織、濡羽色と呼ばれる紫がかった黒い短い髪が順番に目に入る。
そして少し顔を上へ向けるくらいの高さでようやく相手の顔が見えて、髪と同じ濡羽色の瞳が眼鏡越しに冷たく私を見下ろしている事に気が付いた。
おそらく同い年くらいの男性だ。
来たばかりの世界で、もちろん見知った顔と言う訳でもない。
まだお店の看板を掲げているわけでもないのに、いったい何をしに来たのだろう。
しかし突然の訪問者を不思議に思っていたそんな気持ちは、男性の顔を見て吹き飛んでしまった。
「ど、どうしましたっ?」
「……えっ?」
彼の口が開こうとしているのに気が付いた時には私の口はもう言葉を発しており、彼の言葉を遮るように音になって店内へと響く。
自身の言葉をかき消すように発された私の声の勢いに押されたのか、冷たさを感じる瞳が少し見開かれた。
彼が少し後ろに顔を逸らした拍子に、眼鏡の両脇から下がる紫色の組紐が揺れる。
眼鏡越しでもわかるほどの乾いて少し充血した瞳、真っ青でかさついた唇と、同じように青く見える顔色。
どこからどう見ても病人にしか見えない。
よく見れば彼の後ろにはもう一人の壮年の男性が立っており、不安そうな表情を浮かべている。
もしかして体調を崩して咄嗟に近くにあったこの店に来たのだろうか?
冷たく感じる視線は体調が悪いからなのかもしれない。
「え、あの、私まだこの辺りに詳しくないのですが、病院……ええと、診療所の場所さえ教えていただければ人を呼んできますよ?」
昔の日本をモチーフにしていても元になった世界はあくまでゲームで、現実世界とは異なる歴史を歩んで来た世界だ。
外科手術だったり入院だったりが出来る診療所もあるらしいので、現代医療の恩恵を受けていた私にとってはありがたい。
車は無いので救急車なんてものはないけれど。
そんな状況の上、彼の体調不良ですと言わんばかりの状態にそう口にしたのだが、その彼自身は訝し気な顔をしている。
「あなたは、いったいなにを言っているのですか?」
元々細めていた瞳を更に細めて彼が嫌そうな、もしくは苦しそうにも聞こえる声を出す。
立ったままだと辛いのかもしれないと思い立って、慌てて体を横にずらして店内の土間部分に設置した長椅子を手で示した。
「すみません、気が付かなくて。どうぞお座りください」
「……失礼します」
嫌そうにしつつも戸惑った様子の彼が後ろの男性と共に店内へ足を踏み入れ、私が示した竹製の長椅子に腰掛けるのを見つめる。
丁寧な口調の人だけれど、どこかで聞いたことのある声に思えた。
似た声の人と付き合いがあっただろうかとも思ったが、私に声を覚えるほどの知り合いなんていないはず。
長椅子に腰掛けた男性が、ふう、と大きくため息を吐く。
やはり体調が悪いのだろうか、そう思えるほどの辛そうなため息。
後ろにいた男性もそのため息を聞いて、彼に心配そうに声を掛けている。
「柊一郎様、やはりここは私に任せていただいて……」
「あなたまでどうしたというのですか?」
……あれ? もしかしてこの人、体調が悪い自覚が無いのだろうか?
見るからに病人です、みたいな顔をしておいて?
柊一郎様、というのが彼の名前らしいが、こちらもどこかで聞いたことがある気がする。
柊一郎、しゅういちろう、しゅう……柊?
あ、と心の中でだけ声を上げる。
声にならなくて良かった。
イラストから現実になったことで確信は持てないが、おそらく間違いない。
ピシっとした装い、基本的に崩れる事のない丁寧な言葉使い、綺麗な顔立ちは神経質そうにも見える。
攻略キャラクターの一人、この国の城主の部下兼親友という立ち位置のキャラ、柊一郎という男性だ。
顔色が悪すぎる上にゲーム中よりも相当痩せて、いや、やつれて見えるけれど。
真面目で融通の利かない、そんなキャラだった彼は攻略対象に選ぶと初めての恋心に戸惑い、いつもの調子が保てなくなるような人だった。
私も最推しでは無いものの推しキャラだったうちの一人で、ゲームファンからは柊さん、と呼ばれていた人。
その彼は冷たい視線で私を睨みつけるように見つめ、口を開いた。
「あなたもやはり別の世界からの来訪者ですね」
「え……」
私の戸惑いの声に確信を持ったのか、彼の瞳が更に冷たく変化する。
店内の空気がピリピリとしたものへと変わり、心配そうにしていた男性も柊さんの事を止めるつもりはないようで私を真剣な表情で見つめていた。
「そうですね。来たばかりであまり把握しておりませんが、自分がこの世界で来訪者と呼ばれる存在だという事はわかっています」
「突然見知らぬ建物が出来たと聞いてまさかと思いましたが、やはりそうですか……念を押しに来ました、私たちに関わらないで下さい」
静まり返った店内に彼の凍えるような冷たい声が響いた。