第七章 歩き始める冬【2】
「申し訳ありません、誘ったのはこちらだというのに」
「気にしないで。そもそも天気もずっと悪かったし、来年連れて行ってよ。私もそれまでに雪道でも長時間歩けるような体力付けておくから」
「……来年、そうですね。開花の時期になったら誘いますので、行きましょう」
早朝、まだ店を開ける前に訪れた柊は、以前ほどではないが目の下に薄く隈があった。
彼一人が無茶をしていたわけではなく城全体が忙しかったようなので、こればかりは仕方がない。
起き出して来た蓮も交えて久しぶりに三人と一匹で囲炉裏を囲み、朝食をとる。
「今日は休みなんでしょう? ゆっくり休んでいってね」
「ええ、ありがとうございます。あの、紫苑。一応確認なのですが、最近体調の悪さを感じた事は?」
「特に無いかな」
少ししかめた顔でそう問いかけてきた柊は、私の返事を聞いて蓮の方を見る。
視線に気づいた蓮は少し考えこんだ後に口を開いた。
「特に寝込んだりはしていないな、本当だと思うが」
「え、なんで蓮に確認取るの?」
「一応、ですね。紫苑が気づいてない可能性もありますし、何か理由があって隠していたとしても蓮なら気付くかと」
冗談交じりにそう言った柊は、すぐにその表情を真剣なものへと変えた。
多少仕事モードに入っているのが見て取れて、なんとなく居住まいを正す。
「もう噂になっておりますので知っているでしょうか、楓が体調を崩ししばらく寝込んでいました。以前も突然不調になって倒れてしまったのですが、今回はそれよりもずっと重く、長期間寝込んでしまった形です。今は回復して元気になっていますが」
「そっか、良かった」
「ただ、原因が不明なのです。病気でもありませんし、毒消しの薬が効いた事から毒が疑われたのですが、今まで判明している毒の中に該当するものはなく……食事に毒を盛られた様子もなければ毒性のある武器で傷をつけられたわけでもなく、もしかしたら楓や紫苑が生まれた世界の病かもしれないという事で、紫苑にも確認をしてきてほしいと」
「ああ、それで私にも詳しく話してくれたんだ。さっきも言った通り、特に体調は崩してないよ」
「わかりました。ただもしも、ほんの少しでも体調が悪いと感じた時は私でも蓮にでも良いので言って下さい。しばらくの間、少し慎重な判断をお願いします」
「一応聞いておきたいんだけど、楓さんはどんな時にどんな症状が出たの?」
「本人が言うには、部屋で世話役の女性と話している最中に突然眩暈が起き、続いて頭痛と吐き気、喉に強烈な痛みが発生して息が出来なくなりそのまま倒れた、と」
「そ、れは……本当に大丈夫なの?」
「ええ。幸い話し相手が大慌てで人を呼びましたから。発見が早かったので薬も間に合いましたし」
「その話し相手の人は大丈夫だったの?」
「ええ。彼女には何の問題もなく、その後もずっと、それこそ眠る時間を削って楓に付き添っていました。元気になった今も心配そうにしているので、逆に楓が慰めているくらいです」
甘味屋で見かけた時に柊といた女性だろうか。
楓さんと仲が良いらしいし、友人がそんな状況になったら心配でたまらないだろう。
私だって蓮や柊が突然倒れて苦しみだしたら、治ったと言われても気が気ではない。
……ああそうか、二人も私に対して同じように思うのか。
「わかった。私も体調は気をつけておくよ。二人から見て違和感があったら教えてね」
言葉一つで彼らの不安を一つ消せるのなら、口にしない理由もない。
同時に上がった了承の声に笑いつつも、体調には今まで以上に気をつけておこうと決める。
それにしても楓さんの症状、一気に色々と起こり過ぎではないだろうか?
病気だったとしてもこんな風に様々な部分に同時に痛みが発症したあげく倒れるなんて、元の世界だったら救急車からの大手術になりそうな気がする。
私は医者ではないので、そういった症状が出る病気を知らないだけなのかもしれないが。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「いや、うん。楓さんの症状と一致するかはわからないんだけど、前に何かでこんなに色々な症状が出るのか、って思った事があった気がして」
「え」
「……お前がなったのか?」
「ううん。何かで聞いたんだと思うけど……なんだったかな。そもそも病気じゃなかった気がする」
テレビや動画で見たのだろうか?
さすがにこの世界に来てから半年以上経過した今ではよく思いだせない。
「ちょっと今は思い出せないかも。一度に出る症状が多いんだな、って思った記憶があるだけだし、違うものかもしれない」
「……そうですか、もしも思い出した時は違っていたとしても教えてください」
「うん」
楓さんがまた同じ症状になるとも限らないので、ここはなるべく思い出しておきたいところだが。
もしかしたら私にも同じ事が起こるかもしれないし。
「今日は蓮は戦いに行くの?」
「いや、昨日の積もり具合を見ると今日は無理そうだ。大人しく休んでおくさ」
「私も久しぶりの休日ですし、蓮に話もあるのでここで過ごします」
「疲れてるなら遠慮なく寝ていいからね」
「ええ、ありがとうございます」
久しぶりに三人揃って過ごせるのが嬉しい。
とはいえ私は仕事があるので、二人を残して店を開けに行く事にする。
どんよりとした雲と降り出した雪を見るに、今日もお客様は少ないだろうが。
「そういえば、部下が天気が大荒れにならなければこの子の健康診断を兼ねて様子を見にいきたい、と言っていたので、もしかしたら来るかもしれません」
柊が視線を向けた先には、ご飯を食べ終えて毛繕い中のコンちゃんがいる。
それならば店の方に一緒にいた方が良いだろうか。
「じゃあコンちゃんは一緒にお店の方に行こうか」
コンちゃんにそう声をかけると、しばらく私の顔を見つめた後に立ち上がり、ぽてぽてと私の傍まで歩いてくる。
どうやら今日の店番の相方が出来たようだ。
「二人も何か用事があったら店の方に来てね」
「おう」
「紫苑も何かあれば呼んで下さいね」
「うん、ありがとう」
囲炉裏を囲む蓮と柊を置いて、コンちゃんと一緒に店の方に移動する事にした。
店を開けてすぐにお客様が三組ほど訪れたが、それ以降は客足がぱったりと止んでしまった。
いつもは世間話をするお客様たちも雪を気にして足早に帰ってしまうので、滞在時間も短い。
提灯用の和紙に黙々と絵を描きながら、年越しも近いなあ、なんてしみじみと思う。
いらない物の整理や普段はしない細かい場所の掃除は早々に終えたので、後は年末を待つばかり。
隣で丸くなって眠るコンちゃんの寝息と、火鉢の上に置いたやかんのシュンシュンという音。
そして手元の和紙のかさりという音が時折聞こえるだけの店内は、とても静かで平和だ。
「静かだなあ……」
元の世界で住んでいた家で感じていた一人きりの静けさとは違う、優しい静けさを感じる時間。
大きな窓からは雪が見えるが、この窓からは春には桜の花、夏には青葉、秋には紅葉が見える。
「来年はもっとうまくやれるだろうし、年末年始の大売出しとか福袋とかもやってみたいなあ」
今年は様子見の部分が大きかったのであまり商品の数に余裕が出来ず、その辺りの事をやるには少し心もとない。
ああでも、年末の売り出しは間に合わなかったが、年始には多少余裕が出来そうだし、安売りしてみてもいいかもしれない。
色々と予定を立てながら筆を置き、丸くなって眠るコンちゃんの背をそっと撫でる。
特に意識せずとも、自然に笑みが浮かんだ。
「……幸せ」
テレビもSNSもない世界だがつまらないと感じる様な暇な時間は無く、楽しい事が多くて退屈しない。
イライラする事もまったくと言って良いほどに無く、日々は穏やかで楽しい。
藤也さんの件だけは相当沈んだが、それでもこの世界にいたからこそあの程度で済んだのだろう。
また落ち着いた時間が出来たら纏めて読みかえそうかなと考えて、元の世界でも時間が出来た時は漫画やゲーム尽くしだった事を思いだした。
この世界では楽しく出来る事が増えたけれど、これだけは変わらない。
元の世界でも年末年始の長期休みにはテレビをBGM代わりに漫画を読んでいた事を思い出し、苦笑した時だった。
不意にテレビ画面と音声の記憶が頭の中に流れ込んでくる。
「あっ……」
そうだ、思い出した。
年末に点けっぱなしにしていたテレビで、楓さんのものと似た症状について特集されていたじゃないか。
症状の特徴がずらっと画面に並び、アナウンサーらしき人が一つ一つ示しながら何かを説明している画面がどんどん蘇ってくる。
「そうだ、あれって……っ」
そう呟いたと同時に店の扉が開く音が響き、慌てて顔を上げて表情を引き締める。
いらっしゃいませ、と笑顔で口にしたが、入ってきた女性を見て少し驚いてしまった。
甘味屋で一度だけ見かけたあの女性、私をにらみつけるように見てきた楓さんの友人だ。
あの時と似た表情……眉根をぎゅっと寄せて私を見る彼女。
その表情を見て、あれ、と妙な感覚を覚えた。
甘味屋で見かけた時は遠目だったこともあって気付かなかったが、なんというか、顔立ちが幼すぎないだろうか?
楓さんと年が近いと聞いているし、少なくとも十代後半から二十代前半のはずなのだが十代半ばに見えなくもない。
童顔なだけかもしれないので何とも言えないけれど。
そんな彼女は商品棚ではなく、私に向かって一直線に歩いてくる。
一瞬城からのお使いだろうかと思ったが、今日は特に何も頼まれてはいない。
勘定台を挟んで真正面に立った彼女は、あの、と声をかけた私に応える事は無く、じっと私の顔を見つめてから、少し迷ったように視線を彷徨わせた。
「…………して」
「はい?」
「あたしは……いのに」
少し俯きながらぎゅっと口元に力を入れて呟く彼女の言葉はうまく聞き取れず、それでも彼女が泣きそうな事だけは震える声でわかる。
楓さんは散々来訪者に迷惑をかけられた立場だろうし、友人である彼女もその事で私を嫌いなのかもしれないと思った事はあった。
しかしそれにしては様子がおかしい。
ぎゅっと胸の前で両手を握り締めている彼女の目からぽろぽろと涙がこぼれたのが見えて、頭の中が余計に混乱する。
「……どうしてっ、あなたは幸せそうなのっ?」
「え……?」
彼女が叫んだと同時にさらに涙は量を増し、ひっく、と彼女が息を吸う音が店内に響く。
異変を感じたのか目が覚めたらしいコンちゃんが私の膝に上ってきたのがわかったが、私は彼女から目が離せないままだ。
泣きながら強く唇を引き結んだ彼女が黙った事で、店の中にはシューシューというかすかな音だけが響いている。
「あの……っ」
彼女が何を言いたいのかがわからず聞き返そうとした言葉は、くらりと目の前が揺らいだことで音にはならなかった。
あれ、と思い目元を抑えたと同時にぐるりと世界が一転し、目に劇物でも入ったかのような鋭い痛みが走る。
「いっ……!」
涙で視界が一気に歪む。
咄嗟に両手で強く目を押さえても痛みは一切和らがない。
「何っ……? げほっ、げほごほっ!」
涙の向こうで世界がぐるぐると回っているような不快感の中、突然喉に刺すような痛みが走り、思いっきり咳き込んだ。
咳も涙も止まらない、必死に息を吸おうとしても空気が入ってこない。
息が出来ない……!
「げほっ、ひゅっ……」
はあはあと響く自分の荒い呼吸の音を聞きながら、たまらずその場に倒れ込む。
苦しい、苦しい、痛い!
必死に痛む喉を押さえて転がるが、痛みも涙もまったく引かず苦しさも変わらない。
「……え! …………てば! ……の」
女性が何か言っているのがわかったが、それに返事など出来るわけもない。
ただひたすら突然の痛みにのたうち回る事しか出来なかった。




