第七章 歩き始める冬【1】
「……きた」
そろそろのはず、と思っていた予感は大当たりだったようで、今、私の前では藤也さんが以前と同じように優しく、そして余裕のある笑みを浮かべている。
深夜、頭まで布団に潜り込んで光を発するスマホを見つめて、じわりと涙が浮かんだ。
良かった、無事に生きて再登場してくれた。
深いため息が零れるが、これは安堵からでマイナスなものではない。
「良かった、また会えるって信じてたけど……本当に良かった」
夜更かしした甲斐があった。
涙声になってしまったが、口に出すとより一層彼の無事が現実味を帯びる。
思い返せば数カ月という短い期間だったけれど、気持ち的には年単位に感じるほどに長かった。
気持ちが沈む事は無かったとはいえ、更新の度にまだなのかという焦燥感が凄まじかった。
何をしていても心のどこかで藤也さんの事は気になっていたので、これでようやく何も気にすることなく漫画の続きも日々の生活も楽しめる。
いや、気になる事はあるのだけれど。
藤也さんの隣にはあの女性キャラがいる。
特にくっついたような描写はないが、距離は目に見えて近くなっている気がする。
安堵と同時に浮かぶ、少しの悲しさと寂しさと嫉妬心。
「良い恋だった、って終わりにするのはやっぱりちょっと無理」
まだ……今はまだ、明確に二人がくっつく描写を見るまではそう簡単に吹っ切れない。
むしろ見たとしても吹っ切れるかどうか怪しい。
紙面の中の相手とはいえ、ずっとずっと大好きな人なのだから。
「でもまた、藤也さんと会える」
次の更新が楽しみだ、嬉しさで眠気が吹き飛んでしまったので、布団の中で数度寝返りを打ってから、また少し悩んでスマホを操作する。
「せっかくだし思い出に浸るのも良いよね」
こんな高揚状態ではとてもではないが眠れない。
藤也さんが生きている事がわかったので、最近怖くて読みかえせていなかった部分も含めて最初から漫画を読み直そう。
一日くらい眠らなくても何とかなる、なにせ幸福感でいっぱいなのだ。
この世界に来てから生活は規則正しくなったが、久しぶりに布団の中で電子書籍を読み続けるという夜更かしをしよう。
不思議な楽しさを感じながらスマホに映る漫画を読み進めていく。
私の恋はまだまだ終わらないようだ。
「……寝不足か?」
「え? 見ただけでわかる?」
「いや、そういうわけでもないが」
早朝、結局眠らずに漫画を読んでいたので良い気分の寝不足という、心が満たされつつ身体的にはちょっときついという何とも言えない感覚のまま布団から出て身支度をし、戦いに行くという蓮と顔を合わせたのだが。
おはようの挨拶もそこそこに寝不足を指摘されてしまった。
寝不足が顔に出ているとお客様に心配されてしまう、それはちょっとまずい。
「顔に出ているわけじゃない。昨日の夜中に目が覚めて厨に水を貰いに行った時、お前が起きていたみたいだったからな」
「そっか。確かにちょっと昨日は寝てなかったけど、元気だから大丈夫。悩みがあって眠れなかったわけじゃないから」
「なら良いが……元の世界の夢でも見たか?」
「だったらもっと不愉快な気分になってると思う。今は逆に気分が良いし」
なにせ藤也さんの無事が確定して、久しぶりに十分すぎるほどに彼の活躍シーンを堪能したのだから。
恋心というのは不思議だ、藤也さんの事を考えると自然に笑顔になってしまう。
ご機嫌な私の顔を見てそれが嘘でないと察したらしい彼は、少し唸るように頭を抱えた。
「……お前はよくわからんな」
「え、なんで?」
「いや、まあ元気ならいいさ。俺は戦いに行ってくる。ただ昨日の夜は結構雪が降っていたからな。雪の積もり具合によっては早々に帰る。店の前の雪はもうどかしておいたぞ」
「え、ありがとう。ごめんね、もっと早く起きてくれば良かった」
「早く出る事を昨日伝え忘れたのは俺だからな。今日は大した量じゃなかったから大丈夫だ。代わりに夕飯は任せた」
「了解。体があったまるようなものを作っておくよ」
「頼んだ。行ってくる」
「気をつけてね。いってらっしゃい」
派手な羽織を翻して去って行く蓮の背を見送り、自分も店の方に向かう事にした。
温まるものとは言ったが、夕飯は何にしよう?
最近は鍋にすることが多いが蓮と二人で鍋にすると具材が余る事があるので、具材をたっぷり入れて豚汁でも作ろうか。
「柊は今日も来られなさそうだしなあ」
ここしばらく見る事が出来ていない生真面目な顔を思い出す。
彼はここしばらく城に籠りきりで、最後に会ったのは一週間以上前、三人で甘味屋に行った時だ。
蓮や柊のどちらかがいない、もしくは揃っていない時間は今までも当たり前にあったのに、三人そろわない日が十日程度続いただけでなんだか寂しいし落ち着かない。
「柊との約束は無理そうだし、来年連れて行って貰おう」
最近笑う事が増えてきた柊に誘われていた外出の約束。
甘味屋に行った日の夜に誘われたのだが、その時も上機嫌に笑っていた。
『え、山に? 雪は大丈夫なの?』
『とても良い雪景色の場所があって、天候次第にはなりますが冬でもある程度歩ける道が整備されているのです。少し前までは戦える者しか入れなかったのですが、最近はかなりの数の妖怪が復活した事もあってそこでの影の目撃情報が無くなりまして。戦えない人間でも足を踏み入れる許可が出たので、十日以内に天気が良い日があったらという条件付きではありますが、紫苑さえ良ければ行きませんか?』
『十日以内?』
『雪にしか咲かない花が群生して広がっていてとても美しいのですが、咲く期間が短いので今年は見られるとしても後十日程度なんです』
『それは見たいかも。行きたい!』
終始微笑んでいた柊もその場所へ行くのを楽しみにしていたようだが、さすがにこれだけ働き詰めならまず休んでほしい。
約束した日からすでに十日は過ぎてしまったし、日数が多少前後するとしてももう開花中には間に合わないだろう。
来年は最初から立ち入り禁止が解除されているので行けるチャンスは多いし、楽しみは一年後に先送りになりそうだ。
蓮と約束した花見といい、今回の雪の中の花畑といい、見たい場所や楽しみな事が多すぎる。
来年もいい年になるだろう。
いくつかの火鉢に火を入れて店内を温め、入口を開けて店の前の道へ一歩出る。
雪自体はやんでいるようだが空は暗く、人が歩く道以外はどっさり雪が積もっていた。
「この天気の悪さならどっちみち山には行けなかっただろうし、柊が気にしてないと良いけど」
家の前の道は蓮が言っていた通り綺麗に雪かきされていて、歩く分には何の問題もない。
だが山道はそうもいかないだろう。
柊や蓮は歩けるかもしれないが、私では厳しい。
「来年にはもっと体力がついてると良いなあ……運動の時間増やそう」
それにしても蓮はずいぶん綺麗に雪をかいてくれたようだ。
もう少し天気が良ければ店の前に休憩用の長椅子を置いてもいいくらいだが、この雲を見るにいつ雪が降ってきてもおかしくない。
椅子は出さない事にして、看板だけ立てておくことにした。
「夕飯の時にあのお酒でも出そうかな。高いお酒だから何か特別な時に出そうと思ってたやつだけど」
雪がほとんど残っていない店の前の道を見てそう呟く。
予想よりもずっとずっと多いこの世界で積もる雪、私一人では絶対に雪かきは追いついていなかっただろう。
「蓮の帰りは早そうだしなあ」
ここよりももっと雪深い山の方に戦いに行っているので、身動きは相当取りにくいだろう。
おそらく昼頃には帰って来る。
全身雪だらけのまま風呂に駆け込む蓮の姿が容易に想像出来てしまう。
「ああ、紫苑さん。おはよう」
「おはようございます、いらっしゃいませ」
近くに住むご年配のご夫婦がお店に来てくれたので、笑顔で挨拶をして店に招き入れる。
珍しく朝からお客様が来て下さったが、今日もお客様は少ないだろう。
こればかりは雪のせいなので仕方がない、除雪車など無いし、雪が解けるような造りをした道路もない。
ともかく雪が積もり放題なのだ。
「良かったら甘酒かお茶でもいかがですか?」
「ありがとう、もう寒くてまいっちゃうわ」
「いやあ、今日止んでくれて助かったよ。これ以上積もられたら燃料の備蓄が尽きてしまうところだった。保存食も心もと無かったし、紫苑さんの所で置いてくれるようになったのが本当にありがたいよ」
私の店では最近、冬の間限定で保存食を置き始めた。
この世界では大雪の際に遠くまで買い物に行けない人たちもいるからと、普段は食料品を扱っていないお店でも冬の間だけ多少の食料を売っている店は多い。
私も複数のお客様から置いてもらえるとありがたいという要望を受けて、多少だが揃えておくことにしたのだ。
冬のお客様の傾向もわかったので、来年以降はもう少し早めに冬の商品を作って売り始めて、なおかつ保存食の種類も増やそうと考えている。
「最近は雪の日が続いていますからね」
「それもあるんだがねえ、普段は息子たちに買い出しを頼んでいたからあまり困る事は無かったんだ。ただ最近は全員城の方に掛かりきりで帰って来られない状態で。ちょうど備蓄が少なくなった頃と息子たちが忙しくなった時期が重なってしまった上にこの雪でね。色々物が足りなくなってしまったんだ」
「楓様、早く良くなってくださると良いのだけれど。心配だわ」
「そうですね」
……ここしばらく、町では楓さんが原因不明の体調不良で寝込んでいると噂になっている。
正式な発表があったわけでは無いのだが、それでも町の人たちの間で話が広がってしまっているくらいなので、信憑性が増していた。
噂が真実ならば柊が忙しいのも納得だし……蓮いわく忙しすぎて部屋に戻るのは寝る時だけで後はひたすら動き回っているそうなので、柊の事も心配だ。
蓮からは柊が忙しいという事しか聞いていないので、楓さんの件が本当かどうかは私にはわからないが、柊の忙しさから何となく本当なんだろうなとは思っている。
町の人達もみな心配しているし、私も会った事は無いとはいえ同じ世界出身の子という事でなんだか気になってしまう。
早く元気になってくれると良いのだけれど。
頭の隅でそんな事を考えながらいつも通り店で数時間過ごしていたのだが、結局午後になって吹雪いて来てしまったので、ため息交じりに店を閉める。
緊急でお客様が来ても扉を叩いてくれるので、最近は音にだけ注意して店を閉めてしまう事が増えた。
今日は数組だけでもお客様が訪れて下さったが、この世界での雪は現代よりもずっと厳しい環境になるのだと思い知らされている。
冬になる前に蓮や柊が必要な物や数を教えてくれたので何とかなっているけれど、知らなければ食料や燃料切れを起こしていただろう。
商品もかなり多めに作った方が良いと言われていたので、こちらも冬の間は持ちそうだ。
雪かきや雪下ろしも二人が手伝ってくれるので本気で助かっているけれど、何よりも視界が悪すぎて外に出られない日が続くのは結構しんどいというか、二人が話し相手としていてくれるのが割と本気でありがたい。
「コンちゃん、家の方に帰ろう」
隅にある小さな炬燵に向かって声をかけると、少しの間の後に炬燵の中から見慣れた狐がもぞもぞと這い出てくる。
いつも遊んでいる子達も雪が強い時は自分の住処から出てこないらしく、一匹で炬燵の中にいるコンちゃんは最近少し寂しそうだ。
寄ってきたコンちゃんを抱き上げ、炬燵で温められた体温を感じながら家の方に戻る。
……獣型の妖怪はもうほとんど復活しており、色々と話を聞く中でコンちゃんは封印前から一人で過ごしていた事がわかった。
家族が復活したらコンちゃんはそちらと一緒に暮らすのだろうと思っていたが、蓮や柊が言うにはおそらく家族は亡くなっている事、たとえ生きていたとしても迎えに来ることはないそうだ。
獣型の妖怪の中でもコンちゃんのように実際の獣に近い種族は成長の過程で死別したり、どこかに移住する過程で一匹だけはぐれたりすることも多いそうで。
店に訪れる町の人達も同意見らしいし、きっと彼らの言葉は正しいのだろう。
どうりでどれだけ獣型の妖怪が復活しようと、どれだけ友達が出来ようと、コンちゃんがこの家に戻ってくるわけだ。
コンちゃんにとってはすでにこの家が帰る場所になっていたのだろう。
私としては同居人が増えるのは嬉しいので、コンちゃんが良いのならばこのまま一緒に暮らしていくつもりだ。
「コンちゃんは夕飯何食べたい?」
返事はもちろんないが、腕の中で軽く首をかしげたコンちゃんを見て笑う。
言葉は無くともコンちゃんが考えている事がなんとなくわかってきた今日この頃。
「冷え冷えで帰って来る蓮のためにも豚汁、いや、すいとんにしようかな。コンちゃん用に油揚げも焼こうか。蓮も食べるだろうし多めに」
ぱああ、と瞳がきらめいたコンちゃんは、最近油揚げという言葉を覚えたようだ。
油、と口にしただけで走ってくることもあるし、つまみで焼いている人がいると確実にその隣に陣取っている。
私だけでなく柊や蓮も視線に負けて小さく千切った油揚げを差し出していて、その光景がなんだかとても平和で。
元の世界よりもずっと不便でどこか不安な冬は、それでも元の世界では感じることが出来ないほどの幸福に包まれている。
「柊にも蓮にも栄養付けて貰いたいし、作れる料理の種類も増やしたいなあ」
中庭から見える分厚い雲で覆われた空を見上げて呟く。
真っ白な息がその空に昇っていくと同時に、ぶるっと体が震えた。
「……寒い寒い寒い」
コンちゃんをぎゅっと抱きしめながら急ぎ足で渡り廊下を歩き、囲炉裏のある部屋へと向かう。
春はまだ遠そうだ。




