表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/49

第一話 私が生きたい人生を【1】

 ふっと意識が浮上する。

 ぼんやりとした目を軽く押さえて瞬きをし、視界に映った光景にその場で固まった。


「え?」


 先ほどまで目の前にあったパソコンがない。

 目の前に広がるのは畳敷きの八畳ほどの部屋と、そこから一段下がって広がる土間。

 私はなぜかその畳の部屋に置かれた座布団に正座しており、目の前には土間と畳を隔てるように机が置かれていた。

 ここは私の部屋ではない、私の部屋はフローリングの洋室だったので畳があるはずはない。

 一拍おいて、自分の体が着物に包まれている事に気が付いた。

 ……誰かに着替えさせられた?

 背筋にぞっと寒気が走るが周囲には誰もおらず、試しに呼びかけて見ても返事は無いし、人の気配もまったくしない。


「あれ? この着物の柄って確か……」


 浮かんだ答えにまさかと思いつつも、膝の上に置かれたスマホに気が付いて慌てて手に取った。

 これは間違いなく私のスマホだ。

 心臓がうるさいくらいに音を立てている。

 いったいなにが起こっているのだろう?

 それでも日頃から触り慣れている感触が手の中にあることで、少しだけ落ち着くことが出来た。


「ここ、私のゲームの……」


 先ほどまでパソコンで起動していたゲームの中の店、そのままの間取りの家に放り込まれたような気分だ。

 土間部分には商品を置く木製の台が数台設置されているが、商品はなにも並んでいない。

 作業場もゲーム通り最大まで開放したものと同じで、薬やアイテムの調合なども出来そうだ。

 重りを使うタイプの古い計量用の秤や水瓶、火鉢やかまどなどが設置されている。

 ゲーム中のイベントで手に入れた美しい和風の飾り棚や生け花が、私がゲーム内で悩みながら設置したのと同じ場所に鎮座していた。

 着物もそう、藍色の前掛けや紫苑色の着物の桜模様の位置まで、すべて先ほどまで操作していた私のキャラクターが着ていたものと同じだ。

 ふと思いついて振り返れば、座る私の背中側には巨大な和箪笥が壁一面を使うように並んでおり、思わず息を飲む。

 この和箪笥、ゲーム中では様々な確認をすることが出来る家具だった。

 片付けたアイテムはこの中に収納されており、アイテムだけでなくお金や装備品もこの和箪笥を調べる事で変更や確認ができる。

 私もここに来る前は操作キャラクターをこの箪笥の前に動かしていた。

 少しの間悩み、躊躇しながらも和箪笥に近付いてそっと手を伸ばす。

 つやつやと磨かれた箪笥はまるで新品のようで、引き出しは軋む事も音もなくスルッと開いた。


「あ」


 綺麗に畳まれた状態で入っている着物や帯、かんざし。

 すべて私がゲーム中で気に入って購入したものと同じで、別の引き出しにはまったく世界観にそぐわないスリットの入ったタイトなミニスカートと胸元の開いたシャツが入っていた。


「これ、この間のイベントの……」


 和風の世界観を壊す、とこのゲームでは珍しく不評だったイベント景品の洋服。

 せめてロングスカートにしてほしかったという声も多数あったらしいが、ゲームをやりこんで高レベルになっている私はもちろん取得した。

 さらに別の引き出しを開けて……呼吸が止まりそうになるほどの衝撃を受けた。


「え、ええ……ちょっと待って。こんなところに無造作に入れていいものじゃないでしょうに」


 みっちりと小判が詰まった引き出し、その下の段もさらにその下の段にも隙間なく詰まっている。

 一番下の段には小判と一緒に巻物が一本入っており、紐をほどいて少し広げてみると、どうやらすべての小判の合計金額が書かれているようだった。

 そしてその金額にも見覚えがある。


「私のデータと同じ金額……」


 先ほどアイテム整理の時に見たゲーム内通貨と同じ金額。

 あくまで日本風というだけで昔の日本そのままと言う訳では無く、ゲーム通貨はすべて小判表示だったことを思い出す。

 冷や汗が止まらず、銀貨も銭貨も無いあのゲームの世界観をそのまま写し取ったかのような、サイズの違う小判が詰まった引き出しを閉めた。

 箪笥の開き戸部分を開ければ、中にはゲームと同じ見た目の商品や道具たちがずらりと並んでいる。

 口紅や軟膏が入った貝殻、液体状の薬や飲み物が入った竹筒、武器や防具に特殊な力を与えることが出来る組紐などの和飾り……正確な数は覚えていないが、入っている道具の数や種類は私のゲームと同じに思えた。

 これは夢だろうか、よく見る夢かどうか確かめるための方法を真似て頬をつねってみる。


「痛い」


 私は何をやっているのだろうか。

 頬をつねる手を下ろして周囲を見回すが、誰もいない室内は先ほどから何の変化もなく静けさを保っている。

 窓にもゲームで設置した通りの雪見障子があり、硝子部分からは闇に包まれた外が見える。

 ゲーム通りならば入り口を出てすぐのところに桜を植えているはずなのだが、その場所が見える窓の外も今は暗くて何も見えない。

 どうやらパソコン前にいた時と同じ様に夜のようだが……少し考えてからゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がって周囲を見回したことで広がった視界だが、特に現状を把握できる要素は無い。

 頭の中が混乱している、手に持ったスマホをぎゅっと握りしめる。


「あ、漫画の続き」


 混乱しているからなのか、現実逃避のような考えが浮かぶ。

 スマホを持ち上げて画面を点灯させると、ホーム画面に見知らぬファイルがあることに気が付いた。

 表示されているファイル名に見覚えは無い。


「世界の移動について……?」


 普段ならばバグかウイルスを疑うところだが、表示されたファイル名がこの状況と一致し過ぎている。

 先ほどよりもずっと長く悩んで、最終的にそのファイルをタップした。

 テキストファイルだったそれには、数ページにもわたって文章が書かれている。


『拝啓 桃の香り麗しい春分の候、貴殿におかれましては……』


「……ビジネス文書かなにかなのかしら?」


 挨拶から始まったその文章は読み進めていってもそのスタイルを崩すことなく、わかりにくいほどの遠回しな文章を用いて書かれていた。

 相手は名前を書いておらず、すべて“こちら“と”紫苑様“で表記されている。

 わかりにくさはあれど、今の所これが唯一私の現状を把握することが出来そうなものだ。

 これはじっくりと読みこむ必要がある、そう判断して文章に集中することにした。


______


 そうしてそれから数時間後、私はようやく自身の現状を把握することになる。

 文章から読み取るに、ここは私がハマったあの乙女ゲームの世界、らしい。

 ゲーム中の主人公がストーリー通り召喚された際に私のいた世界との道が出来てしまい、時々人を吸い込んでこの世界に飛ばしてしまうようになったそうだ。

 その道は一方通行で元の世界に戻ることは出来ず、この書類を書いた相手でも戻す事は出来ない。

 代わりに飛ばされる際に持っていた物を一つ持たせてくれて、尚且つそれ以外にもう一つ、飛ばされた人間の視界に収まっていたものに関わる何かをつけてくれるらしい。


「現実味がない、それにこの文章通りならゲームの主人公の子も私と同じ世界出身ってこと?」


 何かのドッキリではないだろうかとも思ったが、私にかける意味が無い。

 有名人でもなんでもないし、個人でネットショップを運営している私には職場関係の知り合いもいない、家族との関係をリセットしたくて家を出た際に友人関係も一掃している。

 あの家族たちはこういった事をくだらないと馬鹿にする人達だし、選択肢としては一番ありえないだろう。

 このファイルに書かれている事と、今の私の現状……ひとまず信じなければならないのだろうか?

 複雑な気持ちを抱きながら、もう一度重要事項が書かれていたページを表示していく。

 持ち物の項目にあった外部との連絡は不可のスマホ、という文字にやっぱりな、と手の中のスマホを見つめた。

 先ほどから使っているこのスマホが、唯一私がこの世界に持ち込めた物、という事なのだろう。

 スケジュールや電卓、メモ機能等は使えるだろうが、配達手段のない買い物は無理なようだ。

 電子書籍はポイントを大量に購入してあるのでこの分だけは使えるようだけれど、試してみても追加の課金は出来なかった。


「今までみたいに気になった漫画を全部買うのは無理そうね」


 これからは買う本を相当選ばなければならないのだろうか。

 今読んでいる連載がポイントが尽きる前に完結してくれることを祈るしかない。

 そしてこのスマホが持ち物だというのならば、視界に収まっていた何かはきっと……。

 辺りを見回せば目に入る、ここで気が付くまで視界に入っていたゲーム画面とまったく同じお店。


「もう一つは、私のゲームデータ通りの店舗、か」


 予想していたことと同じ言葉がそのページには書かれている。

 データ通り、という事は私の持っていた道具やお金がそのままある、という事で間違いないようだけれど。


「本当に?」


 疑ってしまうのはもうしかたがないだろう。

 まるで夢物語だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ