異世界で結ばれる縁【5】
それから数日後のお昼、組紐がまた少し完成したので蓮さんが来たら渡そうと決めつつお店でお客様の相手を続ける。
少しだけ勾玉にも余裕が出来たので、夏を先取りする意味で風鈴を作り始めることに決めた。
作業場で作った硝子部分を畳に並べ、絵を描いていく。
相変わらず材料を入れるだけで色々と出来るこの店の作業場、本当に便利でありがたい。
職人の様に硝子を上手く膨らませるなんて、私のふわっとした知識や技術では到底無理だ。
「紫苑さん、それは風鈴?」
「ええ、夏に向けて売りに出そうかと」
今日も買い物に来てくれていたいつもの奥さんに問われ、笑顔で言葉を返す。
まだ絵を入れていないが試しに作った何も書いていない風鈴を一つ手に取って、奥さんの方へ近づけて揺らしてみる。
チリン、という涼やかな音と共に少し冷たく感じる風が周囲に広がった。
「まあ!」
「これも特殊な道具なんです。揺れるたびに冷たい風が発生しますので。今はまだ寒く感じてしまいますが、夏場なら涼しくなれますよ」
「買うわ、売りに出したら教えてね」
「ありがとうございます!」
くすくすと笑い合いながらそんな風に会話を交わす。
彼女ともずいぶん仲良くなってきたが、独身である私と既婚者である彼女とでは時間の自由度も違うし、町で偶然会った時にお茶をしたりこのお店で話したりはするが、一緒に遊びに行ったり会う約束をしたり出来る仲ではない。
この世界の生活にも慣れてきたし、ここに来た時に考えたように友達と呼べる存在の一人でも欲しいところだ。
「一つ予約させてほしいわ。絵の指定は可能かしら?」
「私の絵柄でよろしければ。後は何も描かないままでもいくつか売ろうかとは思っていますけど。そのまま使うのもご自分で描くのも自由ですよ」
「自分で描くのも楽しそうねえ……でも私紫苑さんの描く花の絵って好きなのよ。提灯の桜も素敵だったし、風鈴には紫陽花を描いていただける?」
「ええ、喜んで」
漫画のファンアートを描くために身に着けた技術がまさかこんな形で役に立つとは。
着物の着付けや書道もだが、この異世界で役に立つ趣味を持つきっかけになった藤也さんにはもう感謝しかない。
しばらく奥さんと話した後に彼女を見送り、時折訪れるお客様達と話しながらも風鈴の内側に筆を滑らせた。
そして夜になってお店を閉めたところで、思わず笑みが浮かぶ。
ふふ、と笑い声を漏らしながら部屋の隅に避けておいた二リットルほど入っていそうな徳利と包みを手に取った。
「嬉しい、まさかこんなに良いものが貰えるなんて」
これは今日訪れたお客様から頂いた物だ。
以前提灯と水瓶を買ってくれた町の酒屋のお客様が、結構値の張るお酒と鰻を分けてくれた。
季節的にはまだ脂が乗りきっていないとはいえ、美味しい鰻であることに変わりはないし、お酒も自信作らしい。
「今日は晩酌しながら鰻焼こう。縁側に網を出して焼けば煙も気にならないし。蒲焼きのたれを作って来なくちゃ」
この世界は醤油もみりんもあるし、主食も白米だ。
おそらく本当の江戸時代辺りには無いであろう食材もあるし、本当に異世界様様だった。
縁側の環境が最高なので、最近は夜には縁側に出て過ごしている。
静かな環境での月見酒、桜も徐々に葉桜になってきたとはいえ、まだ綺麗に咲いている。
月明かりと花明かりの中のゆっくりとした時間……最高だ。
もっとも今日はそこに鰻の焼ける匂いが加わる訳だけれど。
ちょっと風情が損なわれる気がするが、たまにはいいだろう。
金網に鰻を並べて火を点け、香ばしく焼ける匂いの横に陣取って焼けるのを待つ。
ご飯はおひつに移して来たし、澄まし汁も作って、お酒と御猪口の用意も完璧。
焼けてきた鰻に自作のタレを塗りつけて更に焼き上げていくと、醤油が少し焦げる匂いが周囲に広がっていった。
鰻の油と混ざったタレがポタポタと金網の下に落ちていく。
「美味しそう……」
我ながら良い出来ではないだろうか。
一人で生きてきた身なので普通に生活全般はこなせるが、一人ゆえに見栄を張る必要がなかった。
夕飯と晩酌をしつつゲームをする事が多かったので、丁寧な料理よりもサッと食べられるつまみ系の料理の方が得意だったりする。
「この世界、魚が美味しくていいなあ」
美味しいご飯と綺麗な景色、やりがいのある仕事を終えた後の充実感。
家族というしがらみから開放されたこの世界での生活が楽しくてしかたがない。
「蓮さんのおかげで勾玉の心配もいらなくなったし」
パタパタと鰻にうちわで風を送りながらそう呟いた時だった。
ふっと頭上に影が掛かり、私のいる縁側から一メートルほど離れた庭に人影が飛び降りて来る。
静かな音と共にこちらに背を向けて着地した彼の……蓮さんの尻尾が揺れた。
いつの間にか離れにいる時はこうやって建物を飛び越えて入って来ていたようだ。
軽々と跳躍して建物を飛び越える、気持ちよさそうでちょっとうらやましい。
着地した蓮さんが私に気が付いてこちらを振り返り、いつもの様に色気を振りまきながら真っ赤な目が細められる。
「やあ、お嬢さ……」
彼の言葉を遮るようにぐうーっ、というどこか抜けた音が響く。
二人しかいない中庭には大きすぎるほどに響いた音は、彼のお腹から聞こえてきたようだ。
思わずうちわを動かす手を止めて彼の顔を見つめるが、蓮さん自身もあまりにタイミングの悪い音に固まっている。
「……ふっ!」
空気がそのまま漏れ出たような音が私の口から零れる。
どうやらツボに入ってしまったようで笑いの発作が治まらず、けれど堂々と笑う事も出来ず……口元を押さえて笑いを噛み殺そうとしてみるが、どうにも止まらない。
笑う私を見て蓮さんが口角をひくつかせた。
「おい、お嬢さん」
「……っ、ご、ごめんなさい。でも今お嬢さんって呼ばないで」
何もしていない状態で彼のお腹が鳴ったなら特に何も思わないか、聞こえなかったふりをするだろう。
月明かりの下で、着崩した着物が良く似合う妖艶な表情を浮かべた彼の“お嬢さん”という言葉、それと同時に鳴ったお腹の音が彼の色気を木っ端みじんにしてしまった気がして、笑いが止まらない。
どうしよう、これから彼がお嬢さんと私に呼びかけてくるたびに笑ってしまいそうだ。
そしてどうやら、私のその思考は蓮さんも察したらしい。
「……紫苑」
笑いを堪えようとお腹を押さえて前かがみになっている私に向かって、彼の言葉が振って来る。
突然、それも初めて呼ばれた名前に笑いが引っ込み顔を上げれば、少し引き攣った笑顔の蓮さんと目が合った。
「俺が呼びかけるたびに笑われては困るんでな。俺があんたを無害だと判断したように、あんたも俺が危害を加えて来ないことはもうわかっているだろう。他人向けの接し方は終わりだ。あんたも俺を好きに呼べばいいし、店主として接しなくてもいい。俺も普通に話すからあんたも普通に話せ。どうせ長い付き合いになるんだ」
そう言ってため息を吐く蓮さんからは、ずっとあったどこか遠慮したような雰囲気は感じられない。
彼が来訪者である私を警戒していたように、私だって初対面の彼の事は警戒していた。
その辺りを感じ取ってくれて以来、彼はずっと一定の距離を保って接してくれていたのだ。
私もきっと彼とは長い付き合いになるだろうとは感じていたし、お互いに距離間の見直しのタイミングを計っていた感はある。
まさかそのきっかけが彼のお腹の音だとは想定外だったけれど。
そんな理由もあるし、人のお腹の音に笑ってしまった身でいいえの言葉なんて返せるはずもない。
それに、戦い続ける彼が空腹ならばかける言葉は一つだった。
「それなら、蓮。一緒に夕食でもどう? 美味しい鰻とお酒を頂いたの」
「喜んでご相伴にあずかろう」
口調を崩してみても違和感や嫌悪感は覚えなかった。
そういえばこの世界に来てから一番長く同じ時間を過ごしていたのは、この人かもしれない。
私の友人が欲しいという願いは、意外とすぐに叶えられたようだ。
縁側に並ぶように腰掛けた彼だが、ふと気が付いて問いかける。
「怪我を治してきてからでも大丈夫よ?」
「毎回怪我をするわけではないさ、たまには傷を負わない日もある。今日みたいにな」
「え、でも離れには毎日のように来ていなかった?」
「ここは過ごしやすいからな。せっかく使って良いと言われていたから城へ帰る前に、休憩を兼ねて寄らせてもらっていた」
「なるほど。じゃあ鰻が焼き上がったのでどうぞ。ご飯とすまし汁も食べる?」
「ああ、貰う」
焼き上がった鰻はご飯に合うし、頂いたお酒は物凄く美味しい。
お酒の入っていた徳利も返しに行かなければならないし、追加で買ってきても良いかもしれない。
「このお酒美味しい。今度は買いに行かなきゃ」
「この徳利は町の東にある酒屋だろう? 結構良いものが揃ってるぞ」
「なら大目にお金を持って行かないと」
「……結構飲むんだな」
「晩酌は毎日の楽しみだから。お酒は強い方だしね」
「だろうな。顔色一つ変わっていない。鰻も良い味付けだな、久しぶりに食べた気がする」
「この時期の鰻はさっぱりしてるから、タレはちょっと濃いめに作ってみたんだ」
お互い気を使う事もなく手酌で飲み進め、他愛も無い話をする。
穏やかな時間は過ぎるのもどこかゆっくりに感じた。
一口お酒を口に含んだ彼が、ほう、と息を吐き出す。
「良い夜だ、穏やかで、飯も酒も美味い」
「そうね、良い夜だわ」
この世界に来て初めての一人ではない晩酌。
それは意外と楽しいもので、心地の良い時間だった。
そんな風に穏やかな時間を過ごしてからまた数日が経ち、あれから二回ほど蓮と飲み会のようなものを開いている。
会話や食事のペースが合うのか、不快感が一切ない飲み会はずっと楽しいままだった。
あの日以来、蓮は以前よりも気軽に離れを訪れているし、良い物が手に入ったからとお酒を持って来てくれたりもする。
組紐が出来上がり人手に渡るたびにその人達からも勾玉が貰えるようになったし、店の商品も安定して作ることが出来ていた。
色々と忙しい時間が続いたけれど、最近は何か起こることもなく平和な時間を過ごせている。
そうしていつもの様に朝早く開店準備をしている最中、開けていた扉の暖簾が捲られて、誰かが店内に入ってきた。
「あ、いらっしゃいませ!」
開店前とはいえ扉を開けていると人が入って来ることはあるので、特に気にせずそう口にしながら扉の方を振り返る。
ゆっくりと店内へ足を踏み入れてきた男性、見覚えのある姿に作業中だった身体がピタリと止まった。
「……すみません、早朝に失礼いたします」
「え、ええ、大丈夫ですけど」
眼鏡越しの濡羽色の瞳がまっすぐに私を見つめている。
以前よりも少しふっくらとしてやつれた印象の無くなった彼、柊一郎様を見て、私も姿勢を正して迎え入れることにした。