よろずや異世界店、始動【3】
「別にずっと匿えと言っているわけじゃない、治療さえ終われば出ていくさ。一番問題なのはこういう治療の時だからな。監視は当然のことだし甘んじて受け入れる。だが怪我の治療は話が別だ。いくら俺でも自分に対して良い感情を抱いていない相手に治療されるのには嫌悪感がある。ほっといてくれれば自分で治療するんだが、見つかると強制的に医者に治療されるんでな」
この世界の人達のお人好しっぷりと複雑な感情が混ざり合った結果、よけいに面倒なことになっている気がする。
どちらの気持ちもわかるけれど……目の前に置かれた特級の勾玉をじっと見つめた。
確かにこれは欲しい、ずっといられるのならば問題だが、治療なんてせいぜい数時間で終わるだろう。
彼の持っている軟膏は傷の上に塗って手ぬぐいなどの清潔な布で覆えば、一日程度で傷がふさがるというかなり良い物だ。
現実ならばあり得ないが、そこはまあゲームの世界だからだろう。
ひん死の登場人物が回復薬を飲んだ瞬間に全快して怪我も綺麗に消えるゲームなんて山の様にある訳だし。
そんなわけで匿うとしても長くて数時間、ちょっと外で夕飯を食べていました、程度の時間だ。
妖しい笑顔を崩さない蓮さんの思い通りになるのが何だか癪なような気もするが、正直この特級の勾玉は欲しい。
けれど……
「どうだ? 良い取引だと思うが?」
問いかける形を取ってはいるものの、彼の口調は自分の望みが叶うという確信に満ちている。
ゲーム中ではこういう余裕のある部分や自分に自信がある部分も格好良くて、本当に大好きだったはずなのだが。
「……面倒な」
口の中でだけそう呟いたつもりだったのだが、それに反応して思いっきり目を見開いて固まった彼を見て、この人が耳が良かったことを思い出した。
そうだ、この人狐の妖怪だから人間よりもずっと耳が良いのだった。
まずい、お客様だと思って多少は我慢していたのについ口に出てしまった。
ゲーム中の魅力が現実でも同じように魅力的に見えるかと言われればそうではない。
二次元であれば問題がある部分すら魅力的だし、むしろ主人公が関わることで影響を受けていく過程を楽しめる。
しかし実際現実になって目の前で遠回しに、けれど確実に自分の主張を通そうとされると若干の面倒くささと苛立ちを感じてしまう。
こういう訳で場所を貸してもらえないか、と素直に頼んでもらえた方が気持ちよく貸せるのに。
妖怪たちのトップだったキャラなのだから、こういった性格なのは当然なのかもしれないけれど。
けれどこの怪我人を放置するのもちょっと後味が悪い気がする。
柊一郎様といいこの人といい、なぜこちらが無視できないような状況で店へ訪問して来るのか。
「つまりこの勾玉と引き換えに人目に付かずに治療できる場を貸して欲しい、ということで良いですか?」
「あ、ああ、そうだ。頼めるか?」
「……中庭の離れをお貸しします。家屋の方には入らないでくださいね」
「もちろんだ、怪我の治療以外は何もしない。一筆書こうか?」
「お願いします」
書面での契約が絶対だというのは、こういう時ありがたいかもしれない。
大怪我をしている相手には申し訳ないしその怪我も心配ではあるが、女の一人暮らしの場所に男性を入れるのだからある程度は警戒しなければならないだろう。
離れ以外には無断で立ち入らないということや家の物に勝手に触らないなどの文書を交し、中庭へ続く扉を開く。
月明かりに照らされた美しい庭、その中心にある離れでゆっくりと過ごそうと思っていたのに。
先ほど考えていた時間は少しの間お預けのようだ。
私のがっかり感とは裏腹に、庭を見た彼はほう、と感心したような声を上げる。
「いいな……静かで美しい庭だ」
「ありがとうございます。あの池の傍の離れにはまだ何も置いていませんので、あちらでどうぞ。お湯か水は必要ですか?」
「……色々と悪いな、湯を貰えるか?」
「先に離れへ行っていてください、お持ちしますので」
離れへと向かった彼を見送って、急いでお店を閉めつつ店内にある水瓶の一つからお湯を汲む。
この水瓶も特殊なもので、作ったのではなく作業場の一部だ。
熱いお湯が出る水瓶、ぬるま湯が出る水瓶、冷水が出る水瓶など様々だが、道具作成だけではなく普段の生活でも役に立っている。
勾玉を使って似た物を作る事も出来るが、それだと回数制限があるのでこちらの方が便利だ。
店を完全に閉めて誰も入って来られないようにし、最後に大きくため息を吐いてから特級の勾玉を回収して中庭へと向かう。
手の中に収まった勾玉は五個とはいえ、これ一つで一種類の物が作れると考えると効果は大きい。
「あの人くらい強い人と専属の契約でもできれば、もっと安定して手に入るのに」
彼は妖怪としての力を失っただけで、今も戦闘能力自体は高いはず。
そんな彼がああいう怪我をしたくらいなのだから、やはり一般の人には難しそうだ。
金銭や装備品と引き換えに取ってきた勾玉をこの店に卸してもらうような契約が誰かと結べれば、と思ったのだが……特級の勾玉を得るのが難しいということをしみじみと実感した気がする。
何かいい方法は無いものか、そう思いながら離れの障子を一声かけて開くと、室内は薄い膜のようなもので包まれていた。
「……え?」
「汚すのも良くないから医療用の結界を張らせてもらっている。この中なら血が垂れようが何だろうが部屋も空気も汚すことはない」
六畳ほどの畳張りの室内には何もなく、その中央には蓮さんが羽織だけを脱いだ状態で座っていた。
部屋の中央には結界を出している札が張ってある。
私もこの世界の医者が使っている消毒用の特殊なお香なども持って来たのだが、どうやら必要なかったようだ。
彼自身がしっかりと対策してくれている。
「どうぞ。ぬるま湯ですが、綺麗な水ですので」
「ああ、ありがとう」
彼の様子が先ほどまでと少し違う気がしたが、とりあえず彼の横にお湯の入ったたらいを置く。
どうぞと告げようとした時、彼はその場で居住まいをなおして勢い良く頭を下げた。
驚きで声を上げる暇もなく、彼が口を開く。
「俺の名は蓮という。すまないが、部屋をお借りする」
そう言って顔を上げた彼はふざけている様子もなく、本心からの言葉だということがわかる。
普通に初対面である私に名乗り、そして部屋を借りる事への謝罪を口にしただけだ。
「先ほどは申し訳ない。今までの来訪者は初対面でも俺がこういう態度を取るとおかしいと大騒ぎをしてきたんだ。また同じようなことになるかもしれないと思い、店先で騒ぎ立てられたり不機嫌になられたりしてはたまらない、と普段の態度のまま接させてもらった。一般的な女性相手では不愉快だっただろう。すまない」
先ほどまでの態度が嘘のような真剣な表情……ああ、そうか。
お店で見せていた余裕たっぷりな性格は確かに普段の彼そのままなのだろう。
たとえばこれがお店での接客で、もうちょっとまけてくれないか、なんて色気たっぷりに言われたとしたら、この人でも別の人でも私は笑い飛ばしたかそのノリに合わせて接客したはずだ。
彼も日常の何気ない会話や頼み事などではそんな感じなのだろうし。
しかし今回の頼み事は初対面の女性にいきなり人目に付かない場所を貸して欲しいという少し難しい願いだ。
普通の人間ならば今の彼のように真剣に頼みこむだろうが、今までの来訪者が共通してこの態度に文句を言ったのならば彼の普段のままの頼み方にも納得できてしまう。
これは……もしかしなくても私も今まで来た来訪者たちと似た考え方だったのかもしれない。
ゲームそのままだと思い込んでいた彼女たちと、ゲームベースなんだからたぶんこうだろう、という考えのもとで行動していた私。
“キャラ”とはいえ初対面の男性、いくら“キャラ”とはいえ……現実に存在している初対面の男性だということは認識していても、前提にそんな考え方は常にあった気がする。
ゲーム中に見せていた態度は彼らの一端でしかないはずなのに、勝手にこの人はこんな人だから、と思い込んでいなかっただろうか。
ゲームと現実との差か、なんて思ったりもしたが、その考えもゲームでの知識を前提にしたものだ。
やってしまった……。
私が彼らに来訪者として一括りにされるのが不愉快だと思うように、彼らも詳しい理由は知らないまでもあなたはゲームでこういうキャラクターだったからこうなんだ、と決めつけられるのは不愉快なはず。
私だって自己紹介もしていなければ、自分は恋愛事に興味がないという説明すらしていない。
それでは彼が今までの来訪者と同じではないのかと疑ってもしかたがないだろう。
何だか恥ずかしくなってしまって、彼の前に正座をして同じように居住まいを正す。
目を見開いた彼に軽く頭を下げて、笑った。
「紫苑、と申します。こちらこそ色々と申し訳ありませんでした。私は恋愛事に興味はありませんので、あなた方に付きまとうような事もありません。怪我の治療、なにか手をお貸ししましょうか?」
「……いや、大丈夫だ。一人で問題無い。こちらこそ人目が無いところで対面するまで完全には信じ切れず態度を改めずにいた事、申し訳ない。場所の提供感謝する」
彼の返事を聞いて、終わったら声を掛けてくれるように頼んでその場を後にする。
たしかに彼は慣れた様子だったし、医者でない私が特に手を出すこともないだろう。
見られていていい気分でもないだろうし、離れを出ることにした。
離れの障子を閉めて自室のある建物の方に帰る最中、目に入る庭がいつもよりも現実的に見える気がして苦笑する。
知識がある以上ある程度はしかたがないとはいえ、これからは決めつけで行動しないように気を付けよう。
「……予定通り電子書籍でも読もうかな」
何となくすっきりした事もあって、よけいに藤也さんが恋しくなる。
私の好きなあのゲームの世界はもう私の記憶の中にしかない。
そしてゲーム機やパソコンが手元にない今、私はもう二度とあのゲームで遊ぶ事は出来ない。
つまり、私が“柊さん”や“蓮”にときめくことはもう無いわけだ。
彼らは柊一郎様と蓮さんとして私の前に現実として存在しているのだから。
やっぱりときめくのならば二次元だし、なんとなく画面越しの藤也さんに会いたい。
先ほど店を閉める前の感情が蘇って来て、ドキドキと胸が高鳴ってくる。
本当は離れでゆっくりと過ごす予定だったのだが、少し悩んでから自室から続く縁側に出ることにした。
そこなら離れが見えるので手伝いが必要だったり治療が終わったりで彼が声を掛けてくればすぐに気が付けるし、月が綺麗に見える。
この綺麗な月夜、藤也さんにときめくには最適の環境だ。
池の傍では無いが障子越しに光が漏れる離れやその隣の池は見えるし、ゆっくりと電子書籍を読めるだろう。
離れの行灯の明かりが揺らめいて池に映っているのもとても美しいし。
しかし人がいるのにゴロゴロと寝転がる訳にもいかないので、縁側まで座椅子を引っ張ってくることにした。
この時代の座椅子は元の世界とは違って木製で、ふかふかなわけではないし背もたれの角度も変えられないけれど、やはり寄り掛かって本が読めるのは良いと思う。
座布団とお茶を持ち、箪笥の中からゲームの中で手に入れていた和柄のひざ掛けを引っ張り出して、スマホの画面をタップした。
さて、予定通り最愛キャラの藤也さんに会いに行くとしようか。