よろずや異世界店、始動【3】
店内に足を踏み入れた蓮さんは薬を置いてある棚へ一直線へ向かい、いくつかの竹筒と貝殻を手に取って見比べ始める。
彼は胸元から出した方の手だけしか使っておらず、もう片方の手はだらりと下げた状態で羽織の中に入ったままだ。
遠くの商品も体の向きを変えてまで出した方の手を使って取っている。
そういう癖なのかもしれないし、腕を見られたくない理由があるのかもしれない。
違和感は覚えるが、特に親しい訳でもないので指摘する必要はないだろう。
彼が薬を選んでいるのを横目に周囲の棚をざっと見まわし、補充しなければならないものを確認していく。
ろうそくの減りが一番早いが、薬やかんざし、塗り物の器や刃物なんかもそれなりに売れる。
もしもこれが日本の過去にタイムスリップだったとしたら、こんなに自由に物は売れなかっただろう。
柊一郎様が来た時に男性から税に関する書類と共に手渡された紙、そこにはこの世界でお店を出すにあたっての注意事項などが書かれており、やってはいけないことなどもわかりやすくて本当に助かっている。
こういう書類を用意してくれていた時点で、関わるなと言いつつもお店を出す許可はくれるつもりだったのだろう。
今まで来た来訪者ならば絶対に受け取らなさそうだが、それでも念のために用意してくれていたのかもしれない。
お人好しというか、隠し切れない優しさを感じてしまう。
そういえば柊一郎様はどうなったのだろう?
私と結んだ契約は、彼の体調回復の手助けくらいにはなっただろうか。
私には知る術もないし、それを知るためにわざわざ時間を割くつもりはないのだけれど。
そんなことよりもまずは店をある程度安定させなければ。
引き出しにはみっちり小判が詰まっているので生活が厳しいわけではないけれど、お店の経営は私がこの世界で生きている証だ。
お客様と話すのも笑顔で商品を褒めていただくのも嬉しいし、人生が充実してきている気がする。
そう考えるとやはり特殊効果付きの水瓶や提灯などの商品も、何とかして一定数作れる体制を整えたいところなのだけれど。
勘定台の方へ戻り、薬をじっと見比べている蓮さんが会計に来たら気付けるくらいに気にしつつもこれからの事を考える。
「……特級の勾玉、何とか手に入れないと」
それが無ければ特殊な商品は作れない、けれど依頼を出す方法がない。
一番可能性が高いのはお客様と仲良くなって、そこから伝手で強い人を紹介してもらう方法だけれど、特級となると討伐可能な人は少なく、やはり難しいだろう。
今は地道にやっていくしかない、開店してからそんなに日数も経っていないわけだし、今は来訪者という不利な状況を打破するための信用を築いていく時期だと思って頑張っていこう。
「これを頼む」
「はい、ありがとうございます」
色々と考えている内に貝殻に入った軟膏を三つと大判の手ぬぐいを持って来た彼に声を掛けられ、そろばんを弾いて金額を告げる。
すぐに告げた金額と同じだけの小判が机の上に置かれ、それを受け取ろうと手を伸ばした時だった。
「……っ?」
至近距離に現れた蓮さんの顔に驚いて言葉が詰まる。
勘定台に頬杖をつく形で私の顔を下から覗き込むように顔を近づけてきた彼は、口角を挑発するように上げて笑っていた。
相変わらず凄まじい色気だが、たとえ美形であろうとも初対面の男性に顔を近づけられて喜ぶような性格はしていない。
「なあお嬢さん、頼みがあるんだが」
低い声に艶やかさを乗せて、まるで誘惑でもするかのように彼が目を細める。
延ばされてきた彼の手が私の手に重なりそうになったのに気が付いて、とっさに手を引いて勘定台の下へと入れる。
ついでにすすすっ、と顔を引いて彼の顔から距離を取ると、彼は笑いを引きつったものへと変えて固まってしまった。
「…………」
「…………」
先日訪れた男性とのやり取りの時の様に無言の空間が続く。
あの時と違うのは私の営業スマイルが確実に引きつり笑いになっていることだけだ。
「……そこまで嫌がらなくてもいいんじゃないか?」
「申し訳ありません」
ようやく硬直から開放されたらしい彼にそう言われたので一応謝っておく。
お客様なのできつい言葉では言えないが、私の表情から拒否の感情は読み取ったらしい。
しばらく無言での見つめ合いが続いた後、彼は大きくため息を吐いた。
「悪かった。今までの来訪者たちは喜んだからお前もそうなのかと思ったんだ。まさか町の評判通りにまったくこちらに興味を示さないとは思わなかった」
「……そういうことですか」
私は顔を離したが彼の体勢はそのままで、勘定台に頬杖をついたまま少し申し訳なさそうな表情を浮かべている。
是非ともこの世界の人達には、以前の来訪者たちのほうが特殊なのだとわかってもらいたい。
こういっては何だが、ハズレくじを連続して引いたようなものだ。
私の二次元好きな考え方はある意味特殊だが、それでも元の世界の人達がみんな初対面のキャラクターに色目を使うはずもない。
今までこの世界に来た来訪者たちが特殊なタイプだっただけだと思う。
「あなたも私のことを試しに来られたのですか?」
「いいや、目的は買い物さ。ただ来訪者相手だから軽く誘惑すればこちらの思惑に乗ってくれるだろう、と思っていただけだ。結果は惨敗だったが」
「思惑?」
「城に来た来訪者たちは本当にうっとうしかったが、ちょっと誘惑してやればすぐに俺をかくまってくれてな……相手をするのは面倒だし不快だったが、城の連中からの何ともいえない視線から逃れるのにはちょうど良かったのさ。今も薬を塗る場所を無償で提供してもらおうと思ったんだが、当てが外れたな」
「薬を塗る場所……? 怪我を?」
「ああ、ほら。特級の影が集団で向かってきたからな、無傷とはいかなかった」
羽織の中から出す事のなかった手をちらりと見せた彼、その手は真っ赤な包帯に覆われていて思わず息を飲む。
戦いとは無縁の私にはかなりの大怪我に見える、どうりでそちらの手を一度も使わなかったわけだ。
今もじわじわと血が滲みだしているその手を見つめて、長椅子の方を指し示した。
「そちらの長椅子でよろしければ使っても大丈夫ですよ。他のお客様達も休憩などに使っておりますし。必要でしたら綺麗な水やお湯などもお出しします」
「それだと城の見回りの連中にでも見られたら面倒になるだろう? あんたが来訪者である以上はこの店の中までは入ってこないだろうが、店舗なだけあって見通しが良い。前の道を歩けば中が見えちまう」
「……お城や町では治療はしていただけないのですか?」
「いいや。別に危害を加えられることもないし適切な治療もされる。だが視線はずっと複雑なままだ。お前も来訪者ならば知っているだろうが、俺は敵対していた身だからな。どんな理由があろうともお互い殺す気で刀を向け合っていた相手を何の感情も無しに治療をするには、もっと時間が必要だろう」
ただでさえこうして妖怪関連の事で複雑になっているこの世界の人にさらに迷惑を掛けるとは……本当に前の来訪者たちは何をやっていたのやら。
疲れ切っていた柊一郎様や町の人たちとは違って、この人はしっかりそういう部分も利用しているみたいだけれど。
それにしてもどうしたものか。
いくらキャラとはいえ、今はよく知らない男性に過ぎないこの人に自室スペースである裏手の家を貸すのは抵抗がある。
この店で目立たない場所はそこしかないけれど……。
しかしこの人を匿えばただでさえ厄介視されている立場なのに、城の人達との揉め事のきっかけになってしまう可能性がある。
そんな私の葛藤に気が付いたらしい彼は、にやりと笑って頬杖をつくのをやめて背筋を伸ばす。
身長の高い人だ。
段差があるとはいえ座っている私は彼の顔を見上げなければいけなくなってしまった。
彼の頭上で狐の耳が嬉しそうに揺れている。
「本当に前の奴らとは違うようだな、なら取引だ」
彼が懐から取り出した袋を勘定台の上に置くと、じゃらっ、と重い音が響いた。
お金を払うから使わせてくれとでもいうのだろうか?
特に困窮しているわけではないし、お金を出されても困ってしまう。
冷たいかもしれないが、店の長椅子が無理なのならばお城か町の診療所へ行ってもらいたいのだけれど。
「さっき呟いていただろう? 特級の勾玉が欲しい、と」
そう言ったと同時に彼の手が袋の口を開けてひっくり返す。
袋から出てきた物が勘定台の上に音を立てて散らばる。
勘定台の上に乗った五つの勾玉、それは間違いなく私が今一番欲している特級の勾玉だった。