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邪智の種  作者: 縋 来冬
5/7

5幸せと干渉

「兄様、起きていますか?」

 厚い扉を遠慮がちに叩く音と、柔らかな鈴にも似た声に目を覚ました。目を開くと、豪奢な天蓋が視界に広がった。

「兄様、朝食の用意ができています」

「ああ、今行くよ」

 義妹は、ルシバが着替えと洗顔を済ませて部屋から出てくるのを、扉の前でじっと待っていた。ルシバは困ったように笑う。

「先に行っていても良かったのに」

「いえ……」

 ルシバが食堂まで歩き出すと、義妹は後をついてくる。いつもの朝だ。

「昨夜は帰りが遅かったようですが、何かおありでしたか?」

「いや……祭りだったからな」

「そうですか」

「……ああ、そうだ、随分久しい友に会ったよ」

「久しい? モルトラさんや、スイラシャさんではないのですか?」

「ああ。そいつは街で石工をしているんだ。とにかく無口なのだが、喋るとなかなか面白いことをいうやつだ。祭りの中、露店でばったり出くわしたんだが、やつめ、祭りの最中だというのに仏頂面でな」

「そうなのですか」

「ああ。つい話し込んでしまった」

「どんなお話を?」

「近頃のことを。やつとおれでは、暮らしがまるで違う。違った暮らしをしているやつの言うことは、それだけで面白い」

「そういうものなのですか?」

「そういうものなのだ」

 王城の廊下は長い。義妹は少し黙ったかと思うと、また唐突に話し出した。

「では、昨夜はずっと露店に?」

「いや、途中でやつの家に邪魔させてもらった。石細工を眺めてきたよ」

「そうですか……」

 嘘だった。だがこれは、義妹に心配をかけぬための嘘だ。だからルシバは、嘘をつくことを己に許した。

 食堂に着き、朝食を摂る。先王も王妃もとうにこの世に去り、無駄に長いテーブルに着くのはルシバとその義妹、この二人だけだ。

 ルシバは食事の最中、義妹がちらちらとこちらを見る視線に気付いた。

「どうした?」

「あの……その……」

 ルシバは首を傾げる。どこか服装が乱れているかと召使いを見やったが、その召使いもどこかいつもと違った微笑みを浮かべるだけであった。

「どうしたのだ。はっきりと言っておくれ」

「その……このスープ、わたしが作ってみたんです」

 義妹は恥ずかしげに、むしろ申し訳なさげに縮こまって言った。そういうことか。ルシバは得心がいった。

「なんと。これを、おまえが? 一人でか」

「はい……」

「ははあ。よくできたものだ」

「お、美味しいですか? お口に合いますか?」

「ああ。旨いぞ」

 笑ってやると、義妹は嬉しそうに微笑んだ。召使いが、良かったですね、と声をかける。はい、とえへ、の中間のような声を出して、てれてれと義妹は照れる。ルシバはそれでだいぶ機嫌が良くなった。

「おまえはいつか、きっと良い嫁になるな」

「は……嫁……ですか……?」

 義妹は目を見開いて驚く。

「うむ。ただ飯が旨いから言うのではない。おまえは気が利くし、優しい子だ。他人に何かを施してやり、その人の喜びを自分のことのように喜べるというのは、尊いことだ」

「そんな……わたしはただ……」

 ルシバは、いつか義妹が嫁いでゆくその日を楽しみに思った。義妹は優しく、良くできた子だ。だからきっと幸せになるに違いないと、そう思った。

「幸せになれよ。おまえは人を幸せにできる人だ。だからおまえは、きっと幸せになれる」

「幸せに……ですか?」

「ああ。幸せは与えた分だけ帰ってくる。そうでなければ……割に合わんというものだ」

 はあ……と義妹は聞き入っていたが、そこに扉を開け放つやかましい音が響いた。

「王子!」

 飛び込んできたのは衛兵だ。

「何事だ。食事中だぞ」

「馬車が。――賊が出ました」

 その一言で、ルシバは顔色を変えた。


「これは酷い……」

 衛兵に連れられ、被害に遭った馬車を見たルシバは思わずそう呟いた。そう、呟く他無かった。

「東の農村へ、乳や小麦を取りに行っていた荷馬車です。今朝方、馬だけで帰ってきたので様子を見に行かせたところ、これが……」

 近衛隊の隊長は顔をしかめる。その馬車には矢が刺さり、荷台にはいくつも切り傷が付き、荷台の中は当然空、逃げようとして横転したらしく、車軸も歪んでいた。

 そして何より惨劇を物語っているのは、荷馬車の御者台や車輪についた血だ。

 ルシバは隊長に断り、馬車の傍らに横たわる麻布を覗き込んだ。

「……この二人は?」

「荷馬車に乗っていた、御者夫婦です。御者を生業にしていたとかで、人を乗せたり物を運んだりして暮らしていたようです。今回は荷物だけだったようですが……それも根こそぎ持って行かれましたな」

 ルシバは顔を覗き込んだ。夫の方は横を向いていてよく見えなかったが、妻の方は首が繋がっていたのでよく見えた。

「……若いな」

「はい。……なんでも、先日婚儀をしたばかりとかで」

 ルシバは麻布をかけ直して立ち上がる。その顔には渋面が張り付いていた。

「遺族は」

「今は引き払わせています。……どうします」

「遺体は返してやれ。葬儀の費用はこちらで工面すると伝えろ」

 隊長は衛兵に二、三の指示を飛ばし、速やかに馬車と遺体は王城から持ち出された。

 すっかり惨状の臭いがなくなった王城の一角に、それでもまだ大勢の衛兵が残っていた。皆、思うことは同じであった。

「東の山賊か……どうも最近、目に余るな」

「はい。……恐らく、王の不在を狙い活気づいているものかと」

「舐められたものだな……」

 ルシバは唇を噛んだ。実際、先王が逝去してからというもの、この手の事案は増えている。山賊だけではない。盗賊、詐欺、殺人に強盗。単なる暴力も数えれば枚挙に暇が無い。民は至って平静に今まで通り過ごしているが、現状を冷ややかに見渡せば、確実にこの街は荒れてきている。

「隊長、剣を貸してくれ」

 隊長は瞬時ためらったが、ルシバの眼差しを受けて腰に差した剣を差し出した。

 ルシバは兵達の前に躍り出て、声を張り上げる。

「皆のものよ、聞いてくれ。此度の惨劇は皆も悼んでくれるものと思う。ここにいる一同、受けた哀しみは同じであるとおれは信ずる。だがおれは泣かぬ。おれは決めたぞ! おれはこれ以上看過しない。今まで見逃してやっていたが、こちらが甘く構えればその分仇なすというならば! 今まで傷付けられた分、こちらも牙を剥く!」

 ルシバは剣を抜き、天高く掲げた。

「おれは誓うぞ! いままで血を流した民達に、その誇りをきっと返すと! おれはこれより、山賊を掃討する! 悔しき者は剣を持て! 怒れる者は走り出せ! 赦さぬ者はおれについてこい!」

 おう、おう、と兵達の号令が木霊する。拳を掲げ、剣を掲げ、我ぞ我ぞと皆が声を上げた。

 誇り高き城壁のように熱量を上げてゆく兵達を見回してルシバは頷く。

 斯くしてルシバは、戦へと歩を向けるのであった。

「すまない、隊長」

 ルシバは剣を返す。幼い頃から、隊長はルシバの剣の師だった。隊長は口の端で笑み、剣を押し返した。

「それは王子が持っていてください」

「良いのか」

「ええ。……立派になられたな、王子」

「隊長……ありがとう」

「あなたならきっと王になれる」

 隊長はルシバの肩を叩き、兵達へと向き直って指示を飛ばした。ルシバは隊長の剣の柄を握り、高き空を見上げた。

 雲の隙間を縫うように、黒い鳥が飛んでゆくのが見えた。


「兄様、本当に行ってしまわれるのですか」

 戦支度を進めるルシバに、義妹は度々同じことを問うた。

 ルシバの答えは、いつでも変わらなかった。

「ああ。男の声に二言はない」

 ルシバは、鎧を着付けられながら鋭い視線を窓の外へ投げた。開け放した窓から、城下町が一望できる。シラクスは今、山賊掃討へ向けた準備で静かに熱を溜めている。そしてそれは、もうじき放たれようとしていた。

「今まで民達が苦しむのを知りながら見過ごしていた。おれも甘えていたのだろう。民達を幸せにできなければ、王とは呼ばれまい。……人を幸せにできない男が、幸せになることなどできまい」

「しかし……もし、もしも兄様が帰ってこなくなれば、この国は……」

 義妹は不安そうに俯いた。いや、実際不安なのだろう。義妹の出自を思えば、それも無理からぬことではあった。

「そうか……おまえは山賊の恐ろしさを知っているのだったな」

 ルシバは兜を小脇に抱え、籠手で彼女の頭を撫でた。

「大丈夫だ、心配するな。おれは絶対に帰ってくる。男ルシバとして約束しよう」

 義妹はいつまでも不安そうに眉を垂れたままであったが、それでもそれ以上、何も言わなかった。

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