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邪智の種  作者: 縋 来冬
4/7

4地獄

 それから一月ほど後のことである。

 夏の終わり、シラクスでは祭りを催すのが毎年の決まりであった。それは華やかな祭りで、道々には露店が開き、人で溢れ街中が賑わい、祭りの終わりには祝砲として花火が打ち上がる。一年で何度とない盛り上がりを見せるその祭りは、シラクスに近隣の村まで響くほどの大音声をもたらす。

 ルシバは教育係から、祭りの夜くらいはと休暇を貰っていた。そのことをまだ二人の友は知らなかった。ルシバは持っている中でも成る丈古く痛んだ服を選び、平民のような格好で街へ飛び出した。

「モルトラとスイラシャは、おれが祭りに紛れていることなど知りはすまい。こっそり後をつけていって、頃合いを見計らって脅かしてやろう」

 ルシバはそういう魂胆で、数日前からこの祭りを楽しみにしていた。祭りに際して、王族としてやらねばならぬ事があったから、王城を出られたのは夜も盛りを迎えた頃であったが、満面に笑みを抱えてルシバは走り出した。ルシバはシラクス一の俊足として勇名を馳せていたから、こうなっては誰にも止められなかった。

 もっとも、止めようとする者など誰もいなかった。何故なら、これが悲劇の発端だとは、誰も知らなかったからである。


 二人を見付けるのにかなりの時間を要した。祭りの夜には街中の皆が路地へ躍り出てくるのを忘れていた。老若男女たくさんの人の中で、たった二人の友を約定も無しに見付け出すのは大変な苦労だった。

 並んで歩くモルトラとスイラシャの顔を見付けたとき、ルシバは心臓が跳ね上がりそうになってすぐにでも飛び出したくなるのを堪えた。無粋なフードを目深に被り、俯きがちに歩いて二人をやり過ごすと、その場で転身して二人を追った。ルシバのことなどまったく気付きもしない二人の楽しそうな間抜け面を拝めただけで、ルシバは腹を抱えて笑いそうになったものだった。

 その後もしばらく二人を追いかけたが、尾行は拍子抜けに容易だった。二人はものの一度も振り返りやせず、まったく周りのことなど意にかけていない様子だった。これはしめたり、さてどこで鼻を明かそう、とルシバはほくそ笑んだが、次第にこれは妙だと思った。妙だと思い始めたら、今度は言い知れぬ不安に襲われた。

 二人が歩くその空間に、自分がいる必要性をぴたりとも感じなかったのだ。

 そこには始めから自分はおらず、まるで、自分の死後を垣間見たようにも思えた。

 腹に重石を詰められたような感覚がした。早く出て行かなければ、二人は自分のことを忘れてしまう、そう思った。

 それでも出て行けなかったのは、二人が、既に自分のことを忘れているように思えてしまったからであった。

 少なくとも昨日は覚えていたろう。祭りに出る前も覚えていたであろう。いや、祭りに出て二人が揃い、一言二言交わしたそこでは、まだ覚えていただろう。

 しかし、今はどうであろうか? 先程、露店で細工飴を受け取っていたときは? 先程、手に持っていた果汁を溢して笑っていたときは? いや、ひょっとしたら、二人を見付けたときには既に。

 ルシバは不意に、自分が街の外れへ向かっているなと気付いた。つまり、二人は何を思ったか祭りを抜け出そうとしているようであった。

 ふと、服を後ろから引っ張られたような気がした。ルシバはいつもの強がりでそれを忘れようとした。否、怖かったのかもしれない。結末を、自分の想像に託しておくのが。

 二人は街外れにある大きな池の畔に腰掛けた。辺りに人の明かりはなく、月明かりと街から漏れた光が、池をきらきらと照らしていた。祭りの熱狂から外れ、そこには晩夏の風が透き通っていた。虫の音が耳を撫で、水草の匂いが鼻を潤した。

 ルシバは奔放に育った草の根に這って隠れ、二人の後ろ姿を見ていた。

「涼しいね、ここ」とスイラシャが呟いた。辺りに人がいないことは承知しておきながら、人目を憚る声音だった。

「ああ」とモルトラは返した。

「よく来るの?」

「ときどき。昼は掃除婦達が池を囲っているが、夜は涼やかになる。頭を冷やしたいときに、ここに来ると落ち着く」

「確かに」

「あの夜もここに来ていた」

「あの夜……」

 二人はしばし黙り込んだ。思い出しているのかもしれない。いつでも三人一緒だった友が珍しく嫌な匂いのする喧嘩をした、あの夜のことを。

 ルシバとモルトラは、それまでにもしばしぶつかり合っていた。ルシバは楽天的な性格で、モルトラはとにかく正しくあろうとする石頭であったから、二人は犬猿の仲であったとさえ言えた。だがそれでも、二人の喧嘩はいつも昼下がりに始まり、日が沈む頃にはお互い疲れ果てていて、スイラシャが涙ながらにもうやめようと訴えると、二人同時に謝って、翌日には仲直りが済んでいた。

 だがあの夜は違った。ルシバは中途で口を噤み、モルトラもあの後すぐに帰ってしまった。

 子供であった頃は良かった。喧嘩をしてもきっと仲直りができるという安心があった。それが三人とも子供とは言えない年頃になって、自然と喧嘩をしないで済むよう過ごしてきた。あんな風にぶつかることなど、まったく本意ではなかったのである。

 結局、今夜にいたるまで、仲直りらしい仲直りなどしていない。

「あの夜の俺はどうかしていた。先王が倒れ、いちばん辛かったのはルシバだ。王になるための教育を受けて、いちばん苦しかったのはルシバだ。それを俺は……あいつで憂さ晴らしをしたんだ」

「モルトラ……大丈夫だよ」

 肩を落とすモルトラの手を、スイラシャはそっと握った。そっと。

「きっとルシバもわかってる。モルトラが本気であんなこと言ったんじゃないって、ルシバだってわかってるから、今夜も祭りには来なかったんでしょう?」

「ああ……わかっている。わかってはいるんだ。だが……不安だ。ルシバが誤解してはいないかと、不安になってしまうんだ……」

 誤解? ルシバは腹の中を探った。誤解など。

「俺が、お前と二人になりたくてあんな事を言ったのだと、そうルシバに思われていないか……」

「そんな。ルシバだって莫迦じゃない。そんな誤解なんてしないよ」

「いや、誤解ではないんだ」

 虫の音がぴたりと止んで、また鳴き始めた。スイラシャは項垂れるモルトラをじっと見つめた。

「お前と二人になりたかったのは本当だ。お前やルシバと会うとき、いつも三人だった。それが……疎ましかった。たまにはお前と二人でいたい、そう思っていた。でも、いつも誘ってくるのはルシバだった。あいつはいつも、必ずお前と、俺を呼んで来た」

「そういえば……そうだったね。モルトラが私達を呼んだこと、ないもんね」

「スイラシャの都合が付かないときはあいつと二人だった。……その逆もあったんじゃないのか」

「うん……ルシバは、呼んで来た時は必ず顔を出すから」

 モルトラは顔を上げ、スイラシャの瞳を見た。夜空の下でなお、蒼穹の煌めきをたたえるその瞳を。

「俺は……俺は、お前のことが好きだ」

 スイラシャが息を呑むのがわかった。

「焦っていたんだ。あいつは次の王になる。俺は……騎士団になれるかすら……」

 モルトラは、生まれつき肺が弱かった。少しでも激しい運動をすると、息を切らして倒れ込んだ。だからルシバは、モルトラとは走らなくて良い遊びをした。スイラシャが二人の遊びに付き合えたのもそのおかげだ。ルシバは、同じ年頃の子供が走り廻るのを恨めしそうに眺めていたモルトラを知っている。父のような立派な騎士になろうと木の棒を振り回し、苦しんで胸を押さえながら涙を流していたモルトラを知っている。そんなとき、そっと傍らに近寄って、お絵描きだの石弾きだの、運動しなくて良い遊びを教えていたスイラシャを知っている。物静かな性格に育ち、からかわれることも多かったモルトラの代わりに、大粒の涙を流して彼の腕を握っていたスイラシャを知っている。

「だから、スイラシャ。これだけは言いたかった。俺は、お前が、好きだ。受け入れてくれなくて良い。嫌ってくれても良い。けどせめて、後悔はしたくなかった……」

「知ってるよ」

 スイラシャは、モルトラの腕を取って両の手で包み込んだ。

「モルトラが、人一倍勉強してるの知ってるよ。ルシバの役に立ちたくて、他の子供がしてない言葉の勉強や算数の勉強なんかしてたの知ってるよ」

 彼女は、額をモルトラの肩にとん、と乗せた。

「私、モルトラが頑張ってるの、知ってるよ。だから嫌ったりしない」

「スイラシャ……」

「モルトラ、ありがとう」

 それからルシバは、二人が口づけを交わすのを見届け、祭りの祝砲が上がり二人が池の畔を去るのを見送ってから、ゆっくりと立ち上がって、走り出した。


 花火が上がる。辺りが眩く照らされ、雷鳴のような音が大地の鼓を打った。

 ルシバは走り、その光と音から逃げるように、街から遠ざかった。シラクスでは誰にも負けないくらい速かった。自分より一つも二つも年上の子供たちをかけっこで負かすのが好きだった。


『ルシバよ、友を疑うな』


 母が死に、先王はルシバに教育を課した。立派な王になると、父に誓った。


『ルシバよ、友を責めてはならぬ』


 先王は――父は、ルシバにいろいろなことを教えてくれた。王になるために必要なこと。立派な人間にならねばならぬこと。そのために必要な、三つのこと。


『ルシバよ――』


 ルシバは駆けた。その走りは否にも乱れ、おかげですぐに息が切れ、胸が張り裂けそうに痛かった。


『お前が王たらんと望むならば――』


 喉が痛かった。肺が痛かった。痛いのは、疾走するせいだと、わかっていた。それでもルシバは走った。


 今はただ、風になりたかった。


『――友の誰よりも幸せであれ』


「う、うぁ、うああああ」

 ルシバは咆吼し、大地に倒れ伏した。腕で体を起こし、天を仰いだ。

「幸せって何だ!」

 ルシバは夜空に向かって叫び散らした。血の味が滲んだが、喉が裂けようと知ったことではなかった。

「父上よ。あなたはおれに、幸せであれと言った。だが、幸せになる方法など、教えてくれはしなかった。幸せとは、幸せになれとは、一体どういうことだ。教えてくれ。幸せとは、一体何なんだ。教えてください、父上よ!」

 星空は応えず、ただ遠き光は揺らめくのみであった。

 ルシバはまだ、十七の齢になったばかりであった。

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