スライムの質量保存と繁殖特性について
スライムの生態というのはよく知られているが、その正体は知られていない。汚水を浄化し、その栄養で分裂増殖する。人を襲い窒息させることや交尾を試みることから増えすぎてしまえば危険だが、マッチ一つ分の低威力の魔法ですら死滅し、子供でも果物ナイフ程度の刃物があれば駆除できることからあまり危険視はされていない。
「ねーねースライムくん」
「なんだい誘拐犯」
スライムは単細胞生物か多細胞生物かは不明で、多少の欠損ならば時間をかけて回復してしまう性質を持っている。一見は大きな核とゲル状の体から単細胞生物に見えるが、その組織液には生物に必要なミトコンドリアやリソソームといった細胞小器官のようなものは全く見受けられず、顕微鏡レベルでもただの液体に見える。ゲル状の液体は核に見える物体から切り離せば不活化するが、なぜ核と接続しているときは活性化しているのかはわからない。
「嫌だわ誘拐犯なんて。研究者たるもの不可解なものや興味深いものがあるなら研究したいって思うじゃない?スライムは喋らないし知能を持っていない微生物がただ大きくなっただけの生き物と思われてるのよ?」
「意思ある存在を本人の了承なしに勝手に研究材料にしちまうのは倫理的にどうなのよ」
傷付けば栄養を摂取して欠損した質量を回復する。しかし分裂時や、他種族の捕食時及び交尾時においては質量保存の法則を無視し、どこからか少なくない質量を取り出し、またどこかへと質量を消失させているのが確認されている。
「そんなもの、この世界にはないわよ。あなたの世界には人道とかいうものがあったらしいけど、ここでは権力者の命令は絶対で、浴槽を血で満たすために若い女の子を集めたとしても文句は言われない。あなたの世界には『郷に入っては郷に従え』っていう言葉があるらしいし、文句言わない」
「こえーな異世界!あとそれ使い方違くない?自分から言うものであって他人から強制されるものじゃないから!!」
スライムがどうやって有機物や重金属を含む水を浄化しているのか、またそれらをどうやってエネルギー源としているのか、全く不明である。おそらく全ての生命活動が行われている核からサンプルを取ろうと傷をつけると、たとえそれがほんの小さな傷でも核は生命活動を停止し、即座にただの液体へと変化する。
「あーもーうるさいわね。ドーナツあげないわよ」
「あっそれはやめて。この体になってからあれが唯一の楽しみだから」
二つの声は白衣を着た耳長の女性、そしてビーカーに入れられた液体からしている。散乱した紙や積み上げられた紙、ぐしゃぐしゃに丸められた紙で雑然としてはいるが、ここがなんらかの実験施設であることがかろうじて分かる。色のほとんどない場所だからだろうか、奇怪な形をした棘のないサボテンのような生き物が鉢に植えられており、その触手の先端には芸術性ゆえか色とりどりのドーナツが通されている。
「スライムは分裂だけじゃなく有性生殖、または消化管への寄生によって増殖するわけなんだけど、この一年あなたを調べて、どうして生殖がそういうあり方なのか、仮説以上には分からなかったわ。穴という概念に欲情してるってことだけはわかったけど。ほらサンプル取らせてくれたご褒美よ」
「うひょー!ありがとーう!」
耳長の女性は奇怪なオブジェからドーナツを一つ抜き取ると、ビーカーの上に乗せる。するとビーカーの中の液体は膨らみ、溢れ出しつつドーナツの穴に触手を通す。しばらくすると恍惚とした雰囲気で痙攣を始めた。
「そしてサンプルを調べた結果が出たわ。あなたの体はどうやら高純度の水ガラス、つまりケイ酸ナトリウムで出来てるみたい」
「あ・・・ああ・・・ああ・・・気持ちいい・・・あっ!ん?ケイ酸?ケイ素?それっておかしくない?だって」
「生き物は炭素でできているから。確かにケイ素は炭素と原子価が同じで、ケイ素で体を構成するのはそんなにおかしくはないかもしれない。でもスライムの他にはケイ素で出来た生命体なんて存在しないのよ。」
スライム山の頂上に据えられていたドーナツをどけると痙攣は収まった。名残惜しそうに触手をふらふらと伸ばすスライムと猫をじゃらすかのように動かす耳長の女性。
「え?なに?俺ケイ素生命体になったの?宇宙人?」
「宇宙人かどうかはわからないけど、それでもこの星に宿った命の形とは全く違う起源を持つことはほぼ確定したわ」
ドーナツを取り上げられたスライムはゆっくりと縮み、元のビーカーの中へと収まっていく。
「そっかぁ・・・異世界に来て宇宙人になっちゃったのか・・・」
「さぁね。もしかしたら案外神様なんてものが実在して、納期に追われて適当に作った生き物だったりするかもしれないわよ」
耳長の女性はビーカーを傾け、目の前の机へと中の液体をこぼす。ぽよよんという擬音がつきそうな具合で液体は広がることなく弾力を保つ。
「まぁ自分の体がどこから来たのかなんて考えてもしょうがないか。そんで、今日の実験はなによ?」
「あっさりしてるわね。それでいいと思うわ。今日はあなたに暗示と精神魔法を組み合わせて周囲の全方向が穴であると認識させるわ。それで質量がどうなるか調べる」
いつの間にか白衣を脱いだ女性は次々と服を脱ごうとしている。
「あの、ちょっと?なにしようとしてんの?」
「こちとら三千年と三百年エルフやってるのよ。しかも研究職なんてまず男が寄ってこない職場になっちゃったし。もうスライムでもいいかなって思うくらいには追い詰められてるのよ!居酒屋に出会いを求めて行ったら泥酔して床をゲロまみれにしたトラウマも持ってるの!割と普通の感性持ってて私とこんなに長い時間付き合ったのはあなたが初めてだし!もうこの際あなたで!」
いよいよ全裸になったエルフは両手でぽよよんしている液体をすくい取り、古代精霊語による呪文を唱え始める。
「え?もしかしてこれ貞操の危機なの?スライムに貞操とかあるのかわかんないけど!分裂したことないから童貞だよね?!」
その日、王立研究所から突如発生したゲル状物質は王城に張られた結界に阻まれつつも、その他一切を飲みこみつつ国土の約3割ほどまで膨れ上がり、最終的に王城内にいたエルフ族の老婆による解呪の魔法によって収束を迎えた。奇跡的に死者は出なかったが、ゲル状物資は老若男女問わず住民の穴という穴に入り込んだと報告がなされた。
「前世でも守りきった童貞が・・・経験人数一気に5桁になっちゃった・・・シクシク」
「『世界を灰色の泥で埋め尽くすつもりか!!』って師匠に怒られたわ。師匠が手を出さなくたって満足したらすぐ精神魔法を解除したわよ・・・」
「口がふさがってて呪文唱えられないのにか?」
「あ」