第184話〜教え子との長い一日〜
〜〜登場人物〜〜
・ルノ (氷の魔女)
物語の主人公。見た目は十八歳の不老不死の魔女。少し癖のある氷のような美しい色の髪が特徴。氷の魔法が大好きで、右に出る者はいないほどの実力。
・サトリ (風の魔女・風の双剣使い)
ルノの友達。綺麗な緑色の髪をお団子にした、カフェの看板娘。風の魔法・双剣の扱いに関してはかなりの実力者。
・フユナ (氷のスライム)
氷漬けになっているところをルノに助けてもらい、それ以降は魔法によって人の姿になって一緒に暮らしている。前髪ぱっつん。
・カラット (炎の魔女・鍛冶師)
村の武器屋『カラット』の店主。燃えるような赤い髪を一つにまとめた女性。彼女の作る武器は例外もあるがどれも一級品。
・グロッタ (フェンリル)
とある人物の手により、洞窟に封印されていた怪狼。ルノによって『人に危害を加えない』事を条件に開放された。ちょっぴりアホキャラ。
・ランペッジ (雷の双剣使い)
ロッキの街で出会った双剣使い。雷のような黄色い髪を逆立てた、ちょっぴり目つきの鋭い青年。
・スフレベルグ (フレスベルグ)
白銀の大鷲。自宅に植えてあるロッキの樹にある日突然やって来て住み着いた。
・レヴィナ (ネクロマンサー)
劇団として村にやって来た、ルノと同い年くらいの女性。紫色の髪が目にかかりそうになっていて、第一印象は『幸薄そう』と思われるような雰囲気。
・コロリン (コンゴウセキスライム)
ルノの使い魔。魔法陣の効果によってルノのまわりを漂ったり、杖の先端にくっついていたり。コロコロしていて可愛い。……が、人間の姿になれるようになってからはちょっぴりヤンチャに。イタズラ大好き。
・フィオ・リトゥーラ&オリーヴァ&バッカ
魔女に憧れて王都『リトゥーラ』からやって来たフィオ・リトゥーラ王女とその付き人のオリーヴァ(女性)とバッカ(男性)。三人とも金髪に翠眼。
・にゃんたこ (神様)
『天空領域・パラディーゾ』にその身を置く神様。『遊び』と称して様々な強者を襲撃する事が多々あり、その中でもルノは『当たり』らしい。
・フウカ (妖精王)
妖精の秘境『妖精郷』に住まう妖精の王。神様とは友人関係にあり、その実力も折り紙付き。風の魔法を得意としており、中でも【風刃・風華】は風魔法最強を誇る力を持っている。
・プウ、ペエ、ポオ(小鳥の親子とリス)
小鳥の親がプウ、子がペエ、リスがポオ。ペエのみが人間に変身できる魔法陣を身体に刻まれており、人間になってはプウやポオと一緒に村へ行ったりルノの家に遊びに来たりなどして美しい歌声を披露している。
・ライカ(獣王)
グロッタを以上の体躯と金色の体毛が特徴の獣の王様。何かあれば自ら動くところから同胞からの信頼も厚い。出会いが出会いなため、ルノからは『勘違いライオン』の烙印が押されている。
ことの始まりは早朝。
突如、挨拶と呼ぶにはあまりにも大き過ぎる声が我が家に響き渡った。
「先生〜〜! 先生ぇ〜〜? せ・ん・せぇ〜〜! おっはよう〜〜ございま〜〜っす!!! ぎゃあぎゃあぎゃあ――」
過去にも似たような経験をしたなぁと思い出すも、久方ぶりに聞いた『それ』を懐かしいなどと思う余裕が今は無い。
やはりうるさいものはうるさいのだ。というか、私の勘違いでなければ騒音レベルが一段階上がっている気すらするぞ。
「どちらさまぁ……!?」
「おはようございます先生!」
まだ寝ていたいと主張する身体を起こし、嫌々ながらも寝室を出て、階段を降り、まだ誰もいない早朝のリビングを素通りして玄関へ。
バコ〜〜ンと感情のままに押し開けたいのをなんとか堪え、それでも多少は勢いよく開けてしまった扉の前にいたのはやはりフィオちゃんだった。
「こらぁ……! こんな早朝に大声で叫ぶ子がありますかって、前にも、似たような、ことを、言ったでしょうがぁ……! ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと……!」
「先生! おはようございますと言われたらおはようございますと返すのが朝の挨拶ですよ! はい、おはようございます!」
「はい、おはようございます……!」
なんで私が説教されてるんだ?
今は早朝。まだみんなが寝静まっている時間帯に突然やって来るなり、挨拶と称して大声で騒ぎ散らすのはいけないことだぞ。
「はい先生これ! レストラン『オウト』から取り寄せた最高級チーズケーキです!」
「………………ありがとう」
まぁ、来てしまったものはしょうがないね。
仮にも相手は王女様。玄関先で挨拶を交わしてはいさようならという訳にもいくまい。
ここはひとまずリビングに通して話を聞く。全てはそれからでも遅くはないはずだ。
「どうぞ。お茶の用意をしてくるからちょっと待っててね」
「は〜〜い、お邪魔します!」
一応言っておく。ケーキに目が眩んだんじゃないぞ。
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朝日が差し込む静かなリビング。
二人分のコーヒーとお土産にもらったチーズケーキがテーブルに並べられ、あとは私とフィオちゃんが向き合うように座れば朝のお茶会がスタート――と思ったら。
「私、先生のお隣に座りたいです」
言いながら、コーヒーとチーズケーキと一緒にスス〜〜っと移動してくるフィオちゃん。今日はずいぶんと積極的なことで。
「改めてお土産ありがとうね。それじゃあいただきます」
「はいどうぞ! あの、先生。みんなはまだ寝てるんですか?」
「ご覧の通りね……!」
「ひ〜〜ん!? 先生ってば怖い〜〜!?」
そりゃあ水に流してあげた話題を突っつかれては眉間にシワが寄るのも仕方ない。
わざとらしくリアクションするものだから狙ってやっているのかと思ったがこれは素だろう。一応フィオちゃんの先生なのでそれくらいは分かる。
「みんな寝てるよ。だからあんまり騒がないように」
「うふふ〜〜! 二人っきりってことですね♪」
私の耳元に顔を持ってくるなり、妙に艶かしい声で呟くフィオちゃん。
分かっているような分かっているような……いや、きっとこの子は色んな意味で状況を分かっているから、私と二人きりになれる早朝にやって来たのだろう。
「ところで先生、最近はいかがお過ごしですか? 私の方はほにゃららほにゃららであんなことやこんなことがあって、プッチ〜〜ンと!」
お茶会が始まってからはほぼフィオちゃんの愚痴がメインだった。
教え子の愚痴を聞くのも仕事のうち。しかしフィオちゃんのはどちらかというとソフトな愚痴多かったので、近況報告的な意味合いで楽しみながら聞くことができた。
「それでですね、話は変わりますけど先生はどう思います? 可愛い教え子との約束を放ったらかして意気揚々とスローライフに勤しんでるような人!」
「それはよくないね。教え子と先生の関係って言ったら、家族の次――いや、場合によっては同じくらい大事って人もいるくらいだから放ったらかしなんて有り得ない」
「ですよね! あとあと、教え子のサプライズプレゼントに目が眩んで先生としての責務を果たせない人は? やっぱり尊敬する先生にはちゃんと叱って欲しい時もあるんですよね!」
「つまり確信犯やんけ〜〜いってツッコミはさておき、それはだめだね。可愛い教え子を前にしてつい甘くなっちゃうのは分かるけど、ダメなことはダメと伝える勇気は必要かな。……このチーズケーキ美味しいね」
「うふふ〜〜それはよかったです。ところで先生、何か気付きませんか?」
「ん?」
急に真顔になってどうしたんだ?
別に空返事はしていないので機嫌を損ねたなんてことはないだろう。
もしや、フィオちゃんが遊びに来たのには隠された理由があり、これまでの会話の中にヒントがあったにも関わらず、私がさっさと気付かないから痺れを切らしたとか? となると――
「あぁ、お誕生日ね。おめでとう」
「全ッ然違います! テキトーなこと言わないでくださいよ!」
「あはは!? 痛い痛い!?」
思い切り踏み抜いた地雷が大爆発。ギュウっと抓られた脇腹が痛いやらくすぐったいやらでどうリアクションしたらいいのか分からない。
「もお! 全部先生のことを言ってるのに全く気付いてくれないんですから! 鈍感!」
「ええっ!?」
ということはなにか? 私は今の今まで真正面で文句を言われていたと? 恨まれるようなことをした覚えは無いのだが。
「待って。もしかして約束っていつかの『もっと構ってください』ってやつ? それなら物語に出てこないだけでたくさん構ってるてしょ。ほら、この前も噴水広場の前ですれ違った時に手を振ったじゃん」
「ち・が・い・ま・す! そんなちょびっとの関係じゃなくてもっとこう、先生と教え子のガッツリな関係がいいんです!」
「また難しい注文だな……」
「簡単ですよ。つまりはこういうことです!」
じゃじゃ〜〜んとテーブルの上に叩きつけられたのは一枚の紙切れだった。
その紙に書かれているのは簡単に纏められたいくつかの文章と矢印。
一番上にはタイトルらしき文字が大きめに書かれており、その下、上から順番に『カフェでおしゃべり』『山登りしながら特訓』『温泉で教え子の好きなところを百個言う』と並んでいる。
「これってもしかして今日一日の予定かな?」
最後に関しては予定と言うより一方的な要望だけど。
「正解です! 今日は一日中、私と遊んでください!」
花咲くような笑顔とはまさにこのこと。
そんなふうにお願いされてしまったら先生として――いや、そうでなくとも言うことを聞いてあげるしかなくなってしまうではないか。
この時点で私の心は既に決まっていた。
仕方ない。そこまで言うなら一日かけて思いっきり可愛がってあげるとしようじゃないか。
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始めにやって来たのはお馴染みのカフェ。
カランカランと来店を知らせるベルの音を背に、フィオちゃんは迷うことなく、いつも私が使っているテラス席に向かった。
早朝特有のひんやりした空気が実に心地良く、スローライフに最適な空間だ。
「はい、どうぞ! 先生の特等席ですよ!」
「うむ」
これではどっちが王女様か分からないと思いつつも、悪い気はしないのでされるがままにテラス席のイスに腰を下ろす。そしてフィオちゃんが差し出してきたメニュー表を見た途端にいきなり問題発生。
「フィオちゃん。今さらなんだけど、ついさっきコーヒーとチーズケーキ食べたからお腹いっぱい……」
「先生がここに来て何も頼まないなんて!?」
「いや、せっかくだし何かしらは注文はするよ。たまにはじっくりメニュー表を見ながら決めようかな」
正直言えば水だけでも全然いいのだが、やっぱり談笑するにあたっては飲み物くらいはあった方がいいと思う。そのうち小腹も空いてくるだろうからその時にでも追加注文すれば――
「はい、いつのもコーヒーとチーズケーキ」
「早すぎる!」
着席してからほんの数秒。どこからともなく湧いて出たサトリさんが驚くべき速さで配膳したのは見覚えしかないコーヒー&チーズケーキだった。いや、たしかに結局は注文するだろうなとは思った。けど!
「じゃあ王女様もご注文が決まりましたらいつでもどうぞ! ……よっこらしょっと」
「いやいや。あのですね、今さらサトリさんがセットで付いてくることには驚きませんけどこれだけは言わせてください。注文はコーヒーのみ!」
「熱でもあるの? あのルノちゃんがチーズケーキを注文しないなんてめずらしい」
「ほにゃららほにゃらら〜〜ってな訳でついさっき食べたばかりなんです。サービスなら遠慮なくいただきますけど」
「は?」
あわよくば、と思ったのだがそこはやはりサトリさん。「だめだめ!」と言いながら、私がフォークを入れようとしたチーズケーキを自分の方に引き寄せて完全防備の構えを取られてしまった。
「堂々とサボる上にお客の目の前にケーキをチラつかせるなんて。店長に言いつけてやる」
「おっ、たまには姉さんも呼ぶ? ちょうど他のお客さんもいないから呼べば来ると思うよ」
「……やっぱり迷惑になるのでやめておきましょう。せっかく時間が拷問に――コホン。すいません口が滑りました」
思うのはタダ。言うのはダメ。
まぁ実際のところ、私とお姉さんの仲は出会った当初に比べたらだいぶ良くなっているのでもしこの席に来たとしても全然オッケーなんだけど。
「今日はめずらしいね。朝からデートかな?」
「あら、サトリさんにしては察しがいいわね。その通りよ」
「サトリさん。言う必要ないと思いますけどフィオちゃんジョークですよ。今日はたまたま一緒に過ごすことになったんです。ただ遊ぶ日なんです」
「そんなぁ!? 先生ってばさっき『今日は一日デートしようね』って言ったばっかりじゃないですか! 遊びなんですか!?」
「こ、こら! 微妙に信じちゃいそうなウソを言ったらいけません!」
またこの子は誤解を生むような言い回しを平気でするんだからな。お尻ペンペンの刑にでも処してやろうか。
「まぁまぁ落ち着きなさいなルノちゃん。フユナちゃんのことはわたしに任せてキミは安心して王女様の相手をしてあげなよ」
「サトリさんも乗っからないでください。朝から大変だったんですからね」
「あはは。とかなんとか言いながらこうして相手してあげるんだからルノちゃんは甘々だね。わたしも二人と一緒に遊び行きたいなぁ」
そういうことは小声で言った方がいいですよ、と思うも時すでに遅し。
視界の端に映った店長様の目が怪しく光っているのにサトリさんは気が付かない。こりゃ後でお叱りコースかな。
「残念ねサトリさん。今日は私と先生で二人きりだからあなたの入る余地は無いわよ。看板娘は看板娘らしく給仕に全力を尽くしなさい。ってことで注文よ。先生と同じコーヒーと『いちごのロールケーキ・ホイップクリーム乗せ』を持ってきてちょうだい。ほらほら、お客様がお待ちよ!」
「ほいほ〜〜い。少々お待ちを〜〜」
緩すぎるノリで注文を受けて去っていくサトリさんの背中を見つめながら「むっか〜〜!」とハンカチを噛むフィオちゃん。
私ばっかりに執着して交友関係が築けてるか心配だったけど思いのほか上手くいってるようで一安心だ。
「むむ、なんです先生?」
「ううん、なんでもないよ。先生は教え子の成長が嬉しいだけです。いい子いい子」
「子供扱い……でも撫でてもらえたのでいいです。ところで先生、この後はどこに行きたいですか?」
「うん? 私が行きたい所なの? さっきの『フィオちゃんプラン』があるんだからそれで行こうよ」
「うふふ〜〜違いますよ。これも会話の一環です。まだ一つ目の『カフェでおしゃべり』の時間ですよ。多少の矛盾はスルーしないとスローライフはマスターできません!」
「さ、左様ですか。そうだねぇ」
それからはフィオちゃんの質問攻めだった。
当然だがその内容はほとんどが私に対することで『よく行く場所TOP3』や『雨の日は何をしていますか?』など。
他には『家族達のそれぞれどこが好きですか?』なんて質問をされた時は少し恥ずかしかった。
「さてと。それじゃあ先生、そろそろ出ましょう」
「あれ、まだロールケーキが来てないでしょ?」
「その点は考えてあるのでご安心を! ……あら、ちょうどいい所に来たわね。ちょっと店員さん、そのロールケーキ、お土産用に包んでちょうだい」
「はい!? 注文した時に言ってくれませんかね!?」
「ふふん。あなたはいつから私が注文し終わったと勘違いしてたのかしら?」
「うわ、なんかそのセリフむかつく!?」
まったく困った子だ。
先程のお返しなのか、あちこち行ったり来たりするサトリさんを面白おかしく眺めるフィオちゃんは実に楽しそうだ。
そういえば私も似たようなイタズラをしたことがあったなぁと思い出し、少し違うけど子は親に似るんだと他人事のように思ってしまった。
その後、場所は変わってヒュンガル山。
「ここからはお遊びじゃありません。ただの山登りのようで山登りにあらず! 魔法の特訓ですよ先生!」
山道に足を踏み入れるなり、キリッと表情を引き締めたかと思うと謎発言をするフィオちゃんに私は疑問符をぶつけた。何が楽しくてそんなハードなことをしなくてはならないのか。
「忘れたんですか? 先生は私に魔法を教える先生なんですよ」
「あは、すっかり忘れてた……」
何の特訓かと思ったらそういうことだったか。でも山登りと魔法の特訓を同時にやる必要があるのか? 例えば山頂に着いてからでもよいのでは。
「いいえ先生。これにもちゃんと理由があるんです」
「聞こうか」
曰く。
魔法の特訓だけでは肉体が育たない。逆もまた然り。なら魔法の特訓をしながら山登りをすれば精神的にも肉体的にも鍛えられて一石二鳥!
「という訳です!」
「なるほど。なら教え子の考えを尊重するとしよう」
ただひたすらに私と色んなことをしたいだけだと思っていたがとんでもない。
フィオちゃんにフィオちゃんなりの考えがあってこの結論に辿り着いたのだ。ならばそれを後押しするのが先生としての務め。
「どうやら先生はフィオちゃんのことを侮っていたようだね」
自分で考え自分で行動できる。
案外身につけるのが難しい能力であり、これがあると無いとでは成長に雲泥の差が出ると思う。
少し大袈裟かもしれないが、その片鱗が見えただけでも先生は大変嬉しく思う。
「じゃあ出発しようか。山登りは文字通りとして、魔法の特訓は何をするのかな?」
「そこは先生、お願いします!」
「あらっ……」
微妙に期待とは違う答えにズッコケたのか、もしくは慣れない山道で物理的にズッコケたのか。
どちらにせよ、出鼻をくじかれた私自身もノープランだったので、ひとまず山登りをしながら考えることにした。
歩くこと数分。
「先生。変な人がいますよ」
「ん?」
一つ目の曲がり角を出た時のこと。
変な人――かはさておき、数メートル先にはフィオちゃんが言う通り人影が見えた。
お婆さんが一人。格好からするに、私達と同じように山登りを楽しんでいたようだが、その視線は下に向けたまま右へ左へ忙しなく動いている。落し物を探している、といったところだろうか。
「あっ」
どうやらお婆さんも私達の存在に気付いたようだ。
「何かお探しですか?」
当たっていると思うけど一応確認だけ。
お婆さんは困ったように「ええ」と頷いた。
「お財布を落としてしまってね。山頂まで登ったんだけど飲み物を買おうとしたら見当たらなくてねぇ……」
つまりこのお婆さん山頂からの帰り道をずっと地面と睨めっこしながら歩いてきたと。しかも未だにお財布は見つからず……か。
「ん? まてよ……もしかしてお婆さん、お水を飲まないまま往復してきたってことですか?」
「お金がないからねぇ……」
それは大変だ。お財布より先に心配すべきことがある!
「お婆さんお婆さん! えっと……こっち! ここ座って、ちょっと待っててください!」
「あの……?」
困惑気味のお婆さんだがそれは後回しだ。
私はお婆さんを手頃な切り株に案内してからフィオちゃんに任せ、手頃な樹を見つけると簡単な風の魔法で一刀両断。同じく風の魔法を使って中をくり抜くことで、歪ながらも小さなコップを完成させた。
「さらに。いでよ〜〜水!」
私の声に応えるように手から湧き出した水が木のコップになみなみと注がれた。
ここまで約一分。我ながら見事なお手並みだ。
「はいお婆さん。これどうぞ」
「おや、ありがとうねぇ」
受け取った水を美味しそうに飲み干したお婆さんはひとまず大丈夫だろう。
ほっと一息つくと、ここまで置いてけぼりだったフィオちゃんが私の肩を突っついてきた。
「すごいですね先生。私、もっと好きになっちゃいました」
今朝のような艶めかしい声で、しかし込められているものの全ては尊敬たった一つ。
気恥しい気持ちと共にフィオちゃんの顔を見ると、その目はまさに尊敬の眼差しでキラキラと光り輝いていた。
「ふっふっふっ。魔法を使って人助けなんて魔女らしく振る舞えて嬉しいけどまだ終わりじゃないよ」
「なるほど、お財布ですね?」
「そういうこと。どうせ山頂までは行くんだしついでに探してあげよう」
「はい!」
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えいえいお〜〜! と気合いを入れ直した後に、私とフィオちゃんはひとまずお婆さんと別れて本来の予定を再開した。
「いいんですか先生。完全に安請け合いですよ……アレ……」
「…………」
さっきまでのテンションはどうしたのかって?
時は気合いを入れ直した後、お婆さんと別れる直前まで遡る――
「お婆さん。私達もこれから山頂を目指すのでお財布を見つけたら拾ってお届けしますよ。ちなみにどの道を進んだか覚えてますか?」
「そうだねぇ。たしか今日はAルートからかね。途中で迷ったりもしたけどそこは長年の勘でどうにかなったのさ。道に戻るとBルートの看板があって、山頂に到着――と思ったら隣の山まで行っちゃってねぇ。それで次こそは本当に戻ってきたんだけど、その時に見た看板はCだかDだがEで……はて」
「……え、めんどくさい」
――なんてやり取りがあったのだ。
簡単に言えば探索範囲がヒュンガル山全域、さらには隣の山くらいまで広がったってわけ。難易度が爆上がりしたのがわかるかな?
「私の良心が……一度引き受けたことを断れなかった……!」
私の中に良心が欠片でもあったことを呪う日が来るなんて思いもしなかった。悪魔にでも生まれてくればよかった。
「はぁ。仕方ない、腹を括ろう」
ちょうど良い案が浮かんだのだ。しかもフィオちゃんにピッタリの案が。
「フィオちゃん、山登りを再開しよう。そしてたった今から魔法の特訓を始めるよ!」
「やっとですね! よろしくお願いします!」
やったぁ! と喜ぶフィオちゃんだが甘い!
「喜んだね? キミは今、両手を上げて喜んだね?」
「へ? あの、先生? 目がちょっと……え? え?」
何をするんですか? とは言わせない。
私は先生として、教え子に試練を与えるのみ。
「フィオちゃんお得意の動く火の魔法――【アニマルファイア】とでも名付けようか。その魔法を駆使して、この広大なヒュンガル山に落ちてるお財布を探すの。特訓にもなるし一石二鳥だよ」
「なるほど! でもあの魔法は攻撃専門ですよ? 何かを探してもらうなんてやったこともないですし……」
「やったことないは言い訳にはなりません。やれば出来る! 為せば成るッ!」
「そんな無茶振りな!?」
ズガ〜〜ン!
雷が落ちたような衝撃を受けるフィオちゃんを見れば無茶振りなのは一目瞭然。
まぁいきなりやれというのは冗談だが、学ぶ環境としてはなかなか良いモノが揃っているのだ。成長の糧にできればこれほどラッキーなことはない。
「いい? 自分で出した魔法を身体の一部だと思ってごらん。その上で腕や足、視覚や聴覚、その他もろもろ、イメージと重ねられる部分は全て重ねてみて」
「むむ……難しい。けどやってみます!」
目を閉じたフィオちゃんの手から、火で形作られたイヌ、ネコ、ヘビが現れて地面にピョンと降り立つ。
さぁここからが重要だ。
私達二人だけの現状において、この広大な山一帯を探索するにはどうしても目が足りない。それを補うために、移動する手段と視野を持った魔法を使う必要があるのだ。
「フィオちゃんの場合、魔法の操作に関しては問題はないからね。あと必要なのは魔法と視界を共有すること。この点に関しても、魔法自体が動物という特性上、イメージはしやすいから難しくはないはずだよ」
「なるほど。じゃあこの子達を小さな私だと思って、そこに目があると思えば……あっ、なんか見えてきた! けど視界が……あわわ!?」
早くもコツを掴んだようだ。火の小動物達がキョロキョロと当たりを見回しているのが可愛らしい。
「いいね。ひとまずその三匹で慣れていこうか。まずはみんなで別の方向を見て景色を楽しんでみよう」
「わ、わかりました! えっと、キミはあっちでキミはそっち、最後に……じゃあキミは上で! ぎゃあ!?」
ゴツン、と目の前の樹に正面衝突したのはあれこれ指示を出して自らの視界を疎かにしたフィオちゃんだ。
それからも一応、視界の共有はできているみたいだったが、慣れない作業でフィオちゃん自身は目隠しいているみたいにフラフラと色んな場所に衝突していた。ちょっと面白いな。
「ひ〜〜ん!? 先生〜〜! 私、自分を見失いそうです!」
「まずはゆっくり深呼吸しよう。司令塔はあくまでもフィオちゃんだよ。自分を中心に置いて、魔法はその周りをうろちょろさせるようにイメージしてみて」
「なるほど……! それなら王女様を護る騎士達をイメージ――ぎゃあ!?」
「ぷっ、ふふっ!」
なんだか公園デビューした自分の子供を見ているみたいだ。
初めてのことばかりで戸惑いながらも、抑えきれない好奇心に振り回されているみたい。
「ふぅ、ふぅ……見えてますよ……先生が、私を……嘲笑っているのが……!」
「ぎくっ!? そ、そんな訳ないじゃん。てかもうだいぶ使いこなせてきてるよ。さすがフィオちゃん! 優秀な教え子!」
「えへ、そうですか?」
正直な感想である。
山登りをしながら、しかも一時間もかからずにここまで来れたのは優秀と言う他ない。
元々、魔法を動物のように操作する才能はあったので、この特訓はフィオちゃんにとって最高の特訓になったようだ。
「よし、じゃああとはこのまま現状維持で。山頂に着く頃には数段レベルアップしてると思うよ」
「はい! あっ、でも先生? お財布の件は進展がありませんよ。あのお婆さん、結局どのルートを歩いたか分からないままですし、私の魔法を含めても『目』が全然足りませんし。……もう放置でもいいんじゃ(ボソッ)」
「そんな揺らぐようなこと言っちゃだめ。心配いらないよ。先生は教え子に全てを押し付けて終わりなんてことはしません」
ここまで頑張ってくれたフィオちゃんのためにも、一肌脱ごうじゃないか。『目』を持つ動く魔法なら私にもある。
てことで!
「ここからは私も行くよ! ――舞い踊れ、零の導き。【幻蝶・氷華】!!」
開花した氷の華から一斉に解き放たれる幻想的な煌めく蝶。百にも及ぶ大軍勢の一斉捜索によって、ヒュンガル山は一瞬にして青白い光に包まれた美しい秘境と化した。
「すご〜〜い! すごいすごい! 夢の中にいるみたいですね、先生!」
「だね。さ、それじゃあ夢の道をお楽しみあれ」
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長いようで短い夢の時間は終わりを告げた。
山頂。
麓の景色が一望できるベンチに腰を下ろした私とフィオちゃんは大きなため息をついた。
本来の目的である山登りと魔法の特訓は大満足の結果に終わったのだが、問題はもう一つの方――お財布探しだ。
「先生。あのお婆さん、どう料理してやりましょうか?」
「そうだねぇ。幻蝶による一斉射撃で氷像の刑かな――って何言わせるの!」
「でも先生ってば流れるように言葉が出てましたよ。同じ気持ちで安心しました!」
「あはは……ノーコメントで」
と言うのも。
まず結論から言ってお婆さんお財布は見つかった。ただその場所が場所だっただけで。
その場所とはなんてことはない、お婆さんのお尻のポケットでした。
【幻蝶・氷華】で捜索を開始してから数分後。やけに蝶達が集まるポイントを発見したので、そのうちの一匹と視界を共有したところ、なんと映ったのは件のお婆さん――もっと正確に言えばお婆さんのお尻だったのだ。あとは言うに及ばず。
「でも私が言いたいのはそこじゃないんですよ。あのお婆さん、先生の魔法のおかげでお財布見つけたのにそのまま帰っちゃったじゃないですか? お礼のひとつでも言いにここまで来るのが礼儀ってモンですよ!」
「どうどう。さすがにもう一度山頂まで来いは可哀想だから。まぁ私も思うところはあるけど、お婆さんはお財布が見つかってハッピーだし、フィオちゃんは夢の世界に行けてハッピー。ほら、みんなハッピーで言うことなしだよ」
「……まぁそうですね。本来の目的は果たせましたし、先生に手取り足取り教えていただけて私は幸せです!」
なんて言いながらも「お財布なんてついでだ〜〜!」と大空に叫ぶフィオちゃんは微妙に諦めきれていない様子だったがこれもまぁ経験ということで良しとしよう。
「では先生! 気を取り直しておやつタイムですよ!」
フィオちゃんが取り出したのはカフェでお土産用に包んでもらった『いちごのロールケーキ・ホイップクリームのせ』だ。あれはただの仕返しではなかったらしい。
「ちなみにご飯ではなくおやつと言ったのにもちゃんと理由はあるんですよ? この後は下山してから温泉に入るんです。それから、併設されたお食事処でお昼ご飯!」
「おっ、いいねぇ。じゃあそれまでにフィオちゃんの好きな所を百個言う準備をしておくよ」
「きゃ〜〜! 覚えててくれたんですね!」
感激のあまり抱き着いてきたフィオちゃんは優しく受け止めてあげた。可愛いやつめ。
「じゃあササッと食べて早く温泉に行こっか」
「だめですよ! 今だって先生との大切な時間なんですからもっとゆっくりしましょ! 恋バナなんていかがですか?」
そんな風にいつまでも可愛いことを言うフィオちゃんを改めてギュッと抱き締めてから、私達は仲良く同じロールケーキを食べたのでした。
夕方。
フィオちゃんプランの最後の一つ『温泉で教え子の好きなところを百個言う』のために、ヒュンガルの温泉に入った時のこと。
「気持ち良いですね先生」
「そうだねぇ。やっぱりシメの温泉は最高だよ」
ホッと一息つきながら、長いようで短かった一日を振り返る。
早朝から叩き起された時はどうなることかと思ったが、全体を通して見ればお釣りが来るくらいに充実した一日だった。
「フィオちゃんが考えてくれたプランのおかげだよ。今日はありがとうね」
「えへ、そんなぁ。……あ、もしかしてもう始まってますか?」
「???」
何が? と疑問符に支配される私を他所に、フィオちゃんはよりいっそう表情を明るくすると、続けて言った。
「『教え子の好きなところを百個言う』のやつ! もぉ〜〜先生ってば心の準備をする前に始めちゃうなんて策士なんですから! じ、じゃあ二つ目をどうぞ! あと九十九個も耐えられるかなぁ!?」
きゃ〜〜! と浴室に響き渡る声がそのまま期待感の現れだったのだろう。その期待に応えられるかどうかは私の実力次第。
フィオちゃんのことなら今まではもちろん、今日だってたくさん見てきたのだ。思い出の中を探せば良いところなんていくらでも――
「フィオちゃん」
ある。と思っていた時期も私にはありました。七個くらい言った辺りまでは。
「なんですか先生!? そういう前置きされると緊張しちゃいますよ! えっとえっと……あと九十三個!」
「ごめん。あっ、先に謝っちゃった。いやね、フィオちゃんの良いところはいっぱいあるんだけど……さすがにこれ以上は厳しいかな」
「!?」
ズガ〜〜ン! 本日二度目の雷が直撃。
「もお! もお! そうならそうで気付かないようにさり気なく終わらせてくださいよ! そんな風に謝られた上で厳しいとか言われたら乙女の心はズタボロですよ!」
なんて感じに。
最後の最後でまたしても地雷を踏み抜いてしまった私に待っていたのは『先生のダメなところを延々と語る』という地獄の時間でした。
これもまた思い出ということで……めでたしめでたし。