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☆氷の魔女のスローライフ☆  作者: にゃんたこ
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番外編 〜☆氷の魔女のスローライフ☆〜




〜〜 プロローグ 〜〜



 ここは魔法あり、戦闘ありの、言ってしまえばなんでもありの世界。人間はもちろん、動物からモンスターまであらゆる種族が四季の恩恵を受けながら共存しています。


「ふあぁぁ……朝かぁ」


 そんな世界のとある場所で一人の少女が目を覚ましました。だらしなくあくびをしているその姿を見ると、寝不足なのかと疑ってしまいそうなものですがそんなことはありません。これも彼女の性格――スローライフ好きが故の癖のようなものです。


 それはさておき……そんなにゆっくりしている暇など無いのでは?


「やば……!? 急がなきゃ!」


 ガバッと勢いよくベッドから飛び起きるや否や、お気に入りの服の袖に腕を通し、少々寝癖がついた髪はクシで整え、朝食に関しては……残念ながらお寝坊さんには用意されてはいないので諦める他はなさそうです。


「うぅ、仕方ないか。こうなったらさっさと予定を消化してお昼ご飯を食べよう。まずは役目を果たさなきゃね」


 その通り。遠く離れた地元からここまでやって来たのに惰眠を貪っているようではお日様に顔向けできません。それでは気を改めて。王女様への魔法の指導役――先生としての役目を全うしましょうね。


「よし、準備オッケー。行ってきます!」


 はい、行ってらっしゃい。






 さて。この物語はここからスタートするわけですが、そろそろ皆さんも彼女のことが気になり始めたのではないでしょうか? 


 では簡単に。




 彼女の名前はルノ。


 知る人ぞ知る、凄腕の魔女です。






☆第1話 〜〜 氷の魔女・ルノ 〜〜



 ここはとある国の王都『リトゥーラ』

 春、夏、秋、そして冬に至るまで、至る所に咲き誇る美しい花達はリトゥーラの特色を示す最たるものであり、『華の国』と呼ばれる由縁でもあります。自然との共存は思いのほか難しいものですが、ここに建てられた家はそのほとんどがレンガ造りで統一されており、リトゥーラ全体の景観は決して損なわれることなく、むしろ洗練されているように感じることでしょう。

 そんなリトゥーラの中心には国の心臓とも言える重要な建物があります。ひときわ大きく立派なそれは、国王が住居とする王城です。


 突然ですが。そんな神聖な建物内でありながら、無作法にも廊下を駆け回る一人の少女の姿がありました。一体誰でしょうか?


「間に合うかなぁ……」


 彼女の名前はルノ。年齢は十七歳。氷を彷彿させる透き通るような水色の髪をハーフアップにし、今日も今日とて服装はお気に入りのワンピース。目的地を見据える瞳には濁りが一切無く、お願いをされてしまえば無条件に首を縦に振ってしまいそうな可愛らしさに満ち溢れています。


「あ、あれ? また同じ所……」


 おやおや、目的地を見据えていた瞳はどこへやら。すっかり迷ってしまったようですね。ですがルノはこの王城に先生としてやって来てまだ一ヶ月ほどしか経っていないので無理もありません。こういう時は素直に助けを求めるのが一番ですよ。


「もう少しだけ頑張ろ。先生という立場上、道案内されて目的地に辿り着くのは避けたいもんね。いい笑いものにされちゃうよ」


「その意識は素晴らしいですが、このままでは本当に遅刻してしまいますよ。そうなってしまっては本末転倒では?」


「ぎくっ!?」


 背後からかけられた言葉は正論も正論。反論の余地もないままに振り返ると、そこにいたのは肩の位置でで切り揃えた金髪に、理知的な瞳を宿した麗人。ルノがこれから会いに行く王女様の教育係でもあるオリーヴァでした。まだ時間ではありませんが到着が遅いことを心配して迎えに来てくれたようです。


「オリーヴァさん! ヘルプ〜〜! あ、みんなには内緒で……」


「まったく。ルノ様もそろそろ迷子にならないようになっていただきませんと先生としての威厳にかかわりますよ?」


「うっ。返す言葉がない……けど返す! この王城、広すぎるんですもん。もうちょっとこう目印みたいな物があると助かります。例えば――」


「こんなものですか?」


「そうそう、まさにそういうやつ。……って、あぁっ!?」


 オリーヴァがパッ広げた五本の指。その指先には赤青黄色など、色とりどりのシールがくっついていました。それが何を意味するのかを理解しているのはたった一人だけ。目印にしようと壁にシールを貼り付けて回ったルノだけです。ご覧の通り、それらは見事に回収されてしまったので残念な結果に終わってしまいましたが。


「無いと思ったら! もぉ、なんで剥がしちゃうんですか。迷子になったのはオリーヴァさんのせいじゃないですか」


「そんな子供みたいに。王城内にこんなものを貼り付けて回ったなんてことがフィオ様のお耳に入ったらどんな顔をされることやら……」


「ふっふっふっ、甘いですねオリーヴァさん。フィオちゃんはそんなことで幻滅したりしませんよ。なんたって私にゾッコンなんですから」


「はぁ……」


 あまりにも前向きなルノの言葉をオリーヴァは否定することができませんでした。教育係という立場上、その仲睦まじいやり取りを人一倍見せつけられてきたのは彼女なのです。


「そんなことより中庭までご案内しますのでついてきてください。あと十分ほどで時間になってしまいますよ」


「すいません、助かります。……今度お礼にアイスご馳走しますね」


「そんなにお気になさらず。……ですがご馳走していただけると言うのなら有難くいただくとしましょう」


「あっ、オリーヴァさんってばまた赤くなってる」


「何か言いましたか?」


「あはは」


 また。そう言うだけあって、実はこのやり取りはこれまでにも何度かありました。その度にルノはお礼と称してアイスをご馳走し、オリーヴァはクールを装いながらも大喜びしたものです。いくら取り繕ってもルノの目には『年上のかわいいお姉さん』くらいにしか映っていないのかもしれませんね。

 

「なんでもありませんよ。さ、行きましょ?」


「はい。ではこちらへ」


 どうやらこの二人の関係もなかなか良好みたいですね。これもルノの魔法の実力だけでなく、人当たりのいい性格が幸いしてのことなのでしょう。多くの人に認められるということはそれだけ良いものを持っている証拠なのです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 オリーヴァの案内もあって、ルノは無事に待ち合わせ場所であるお稽古に最適な中庭――外と遜色ない広大な敷地面積を誇る芝生の絨毯へと足を踏み入れることができました。先生としての威厳が保たれたかは分かりませんがここだけの話、ルノが王城で迷子になるのは日女茶飯事なのでみんな慣れっこなのです。困った先生ですね。


「なんだか私の知らないところで不当な評価を下された気がするけど……まぁいいや。今日も張り切っていこうか、フィオちゃん!」


「はいっ! よろしくお願いします、先生!」


 こちらまで元気になってしまうような明るい返事をするのは弱冠十五歳の王女様、フィオ・リトゥーラ。腰まで届く美しい金髪にエメラルドのように輝く瞳は王族の証。高貴な身分でありながらルノとの間に堅苦しい空気が一切存在しないのは、先生と教え子という関係以上に尊敬や憧れという気持ちが大きいからなのでしょう。なにせ初めて顔を合わせたのは、魔女に憧れる王女様自らの訪問という異例のものでしたから。


「それにしてもあれからもう一ヶ月か。早いものだねぇ」


「突然どうしたんです? お陰様で私は毎日を楽しく過ごせてますよ」


「ふふっ、フィオちゃんはお上手なんだから。そんな子には……はい、クッキーあげる!」


「わ〜〜い!」


 ポイっと口に放り込まれたのは近くのテーブルに用意されていた何の変哲もないクッキーでした。それでもこの喜びようなのですから心の底からルノを慕ってくれてるのがよく分かりますね。


「それじゃあ今日のお稽古だけど。久しぶりに私と直接対決といこうか」


「いいんですか!? いつもはスローライフを盾にして、呑気に見てるかお菓子食べてるかだけなのに!」


「んぐっ……!?」


 さすがと言うべきでしょうか。フィオも先生のことをよく分かっています。食べ損なった朝食の代わりと言わんばかりにクッキーを口に運んでいるのですから当然ですね。


「コホン。なんのことかはよく分からないけど、たまには先生として直接手合わせするのも大切だと思ってさ。一ヶ月とはいえフィオちゃんの魔法もずいぶんと成長したみたいだから私に勝つつもりで遠慮せずぶつけておいで」


「分かりました! それなら本気でやっちゃいますからね!」


 なんだかんだ言ってもこれはフィオにとって嬉しい誤算だったみたいです。尊敬する人に自分の成長を見せつけるチャンスなのですからやる気を出すなという方が無理でしょう。


「よし、その意気だ。それじゃ、私に一発でも魔法を当てることができたらフィオちゃんの勝ちね。制限時間は特に設けないから魔力が続く限り攻めておいで。はい、どうぞっ!」


「では行きますよ! 炎のイヌ! 炎のネコ! 炎のトリ!」


 開始と同時に放たれたのはフィオの得意魔法――自在に動く炎の動物達でした。それぞれの動物達の特色まで再現されたその魔法は、走り回り、飛び跳ね、空中ですら味方にします。なかなか厄介な魔法を身につけているようですね。


「うん、いいねいいね。やっぱり先生として教え子の成長ほど嬉しいものはないや。泣きそう」


 感動のあまり目に涙を浮かべるルノですが大丈夫でしょうか。ジリジリと肌を焼く熱気からも分かる通り、素人目に見てもフィオの魔法はなかなかのレベルです。直撃を許せば丸焼きになるのは避けられませんよ。


「それは困るからまずは防御かな。氷の柱、数は十……いや、二十かな。火の粉一つすら通さないよ。とりゃ!」


 対してルノのが放ったのは複数の氷の柱。自身を囲むように地面から突き出した計二十本の氷柱は強固な壁を完成させました。有言実行とはまさにこのこと。氷柱に衝突した炎の動物達は、ルノの髪の毛一本すら燃やすことなく消滅してしまいました。


「あぁ! 全方向防御なんてずるいですよぉ!? えいっ! えいっ!」


 気持ちは分からなくもないですが『勝負』という世界の中ではそんなことも言ってられません。それに、通じない手をいくら出し続けたところで相手に時間を与えてしまうだけ。先生に教わったでしょう?


「くぅ! だったら先生にも見せたことのないやつを見せてあげます!」


「ほうほう。今度こそ本気ってことだね。受けて立つよ!」


「本気も本気、超本気です! 行きますよ!」


 よほど悔しかったのか、涙目のなりながらも牙をむくフィオ。現時点でも力量差は感じたはずですが、それでも立ち向かってくる様子からは戦意の衰えは感じられません。心身共に立派になりましたね。


「炎の――」


 次はサカナかな? などと呑気に考えるルノですが、フィオも動物の種類を変えただけで違う結果が得られると思うほどバカではありませんでした。一番の理由が魔法の威力不足だったことは百も承知。ならば次の手は当然――


「オオカミ! トラ! オオワシ!」


「え」


 ゴオッ!! っと先程とは比べ物にならない音と凄まじい熱量で構成されるのは全ての魔力をつぎ込んだ渾身の魔法。規模で言えば先程の数十倍となる炎の動物達は人間など容易に丸呑みし、骨も残さぬ程の威力を秘めているのは明らかです。これほどの魔法を放たれてはいよいよルノも本気でやらなければならないのではないのでしょうか?


「成長したとは言ったけどこれはちょっと予想外だね。……さて」


 予想以上の成長に驚きを隠せないルノですが、その目が向くのは迫り来る炎の動物達――ではなく自らの手。実は今回の手合わせは、決してその場のノリで決めた訳ではなく、しっかりとした目的があったのです。簡単に言ってしまえば、優秀な教え子に『上には上がいる』ということを教え込むこと。たった一ヶ月という短い時間の中で満足できるほど、魔法の世界は狭くない……と。


「ごめんねフィオちゃん。君のためにも先生は鬼になるよっ……!」


「え〜〜? なんですか先生〜〜?」


 どうやらルノの考えは間違いではなかったようです。「我ながら会心の出来ね!」とでも言わんばかりのフィオはすでに勝ちを確信し、目に見えて油断しています。ここは先生として、腕の見せ所ですね。


「よし、特別サービスだよ。――煌めく彗星。【輝氷の射手】!」


 一瞬の内に詠唱を完了させて待機状態となったのはルノが最も得意とする魔法――煌めく氷弾を高速で撃ち出す【輝氷の射手】でした。これを使うということはフィオがそれだけ認めたというほかならない証明なのです。


「てなわけで、まずは君だね。――ずどん!」


「!?」


 掛け声とともに掌から放たれた氷弾は鉄壁を誇っていた氷の壁を軽々と貫通し、まず最初に先頭にいた炎のオオカミを消し飛ばしました。

 

「あとは君たちで終わりだね。ずどんずどん!」


「えぇっ!?」


 最後に炎のトラとオオワシがほぼ同時に消し飛びました。的確に撃ち込む器量。美しい彗星を彷彿させる芸術性。実に見事な魔法ですね。


「そ、そんなぁ!? なんなんですかそれ!? なんであんなチンケな氷に私の全力が……!?」


「チンケなんてひどいなぁ」


「うぅ〜〜あぁ〜〜……!? なんでぇ……」


 どうやら今のフィオは現状の理解が追いついていないみたいですね。やっと手が届いたと思った矢先にこれほどの差を見せつけられてしまったのですから当然かもしれません。少々イジメが過ぎたのではありませんか?


「あはは。まぁそんなに落ち込むことはないよ。今までと同じ力でやってたら対抗できないくらいにフィオちゃんの魔法はすごかったんだからさ。本当に驚いたよ」


「……」


「あらら? お〜〜い。聞いてるフィオちゃん?」


 おやおや。指導の一環とはいえ、これは少々厳しかったかもしれませんね。一本取ることはできませんでしたが、その成長が評価に値するのはルノも認めるところ。これなら及第点なのでは?


「仕方ない。フィオちゃんも頑張ってるみたいだからご褒美をあげます。なにか欲しいものとかは――」


「先生」


「ん?」


 お稽古の終了を悟ったルノがフィオの元へ駆け寄ったわけですが、なにやら俯いたまま言葉を発するフィオ姿にはどことなく不気味な雰囲気がありました。言うなればそれは隙を狙う狩人。もしくは獲物に飛びかかる寸前のネコ。つまりまだ勝負は終わっていないということなのですが……果たしてルノは気付いているのでしょうか?


「下」


「うん?」


「……(ニヤリ)」


 残念ながらルノがその不気味な笑顔の意味に気付いた時にはすでに手遅れでした。何かが焦げる臭い、次第に熱を帯びていく足首。言うまでもありません。フィオが残りわずかとなった魔力で放った炎のヘビが、ルノの足首に巻き付いていたのです。最後の最後で油断しましたね。


「わ!? まってまって!? あ、熱いっ!!」


「やったやった! これで一本ですね! 私の勝ちですよね?」


「勝ち! 勝ちだからはやく消して!?」


「え〜〜どうしよっかなぁ? せっかくなのでもう片方の足にも炎のヘビを巻き付けてぇ〜〜♪」 


「こ、怖っ! この子は悪魔なの!? オリーヴァさんヘルプ!?」


「はぁ……」


 先程までの緊張感をどこかへ捨ててきてしまったようにギャアギャアと騒ぐ先生と教え子。オリーヴァの気持ちを代弁するのであれば「ずいぶんと仲のよろしいことで」といったところでしょうか。同感ですね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 フィオのお稽古が終わって、そろそろお昼になるであろう時間帯。お腹の虫を鳴らしながら王城の廊下を歩くルノはすっかり疲れ果てていました。


 「あ〜〜……とんでもない目にあった。おてんばな教え子を持ったものだよ」


 そんな呟きとは裏腹にルノの表情は実に清々しいものでした。やはり教え子の成長は嬉しいですよね。


「よし。今日も頑張ったしお昼は奮発しちゃおうかな。自分へのご褒美だ!」


 それはいいですね。凄腕の魔女と言えど心身共に疲れは溜まるのでご褒美が必要なのも当然のこと。暴食にならないようにだけ気を付けましょうね。


「でもどこにしようかなぁ。気ままに屋台を回って食べ歩きも良いけど……今日は久しぶりにあそこのお店に行きたい気分かな。シュークリームが美味しいんだよね。決まりっ!」


 お昼ご飯の甘味に顔を輝かせながらピュ〜〜っと王城を飛び出すルノには既に疲れた様子などありませんでした。もちろん王城で出される最高級の食事も文句無しに美味しいのですが、たまには違う場所で食べたくなるものです。するとそこで――


「先生〜〜! 待ってくださ〜〜い!」


 門を出る直前、先程別れたはずのフィオが背後から駆け寄ってきました。しかもその格好はお出かけ用の身軽な装い。なんとなく察しはつきますね。


「お昼ご飯ですよね? 一緒に行きましょ!」


「やっぱりそう来たか。いいよ、おいでおいで」


「はい!」


 お稽古が終われば今度はお友達。仲睦まじいそのやり取りは仲の良い姉妹を見ているようで微笑ましい限りです。


「あ、でもちょっと待って。オリーヴァさんは?」


「え? どうして?」


「ほら、フィオちゃんは一応王女様でしょ。護衛なしってまずくない?」


「一応もなにも王女サマですけど。大丈夫ですよ、護衛なら先生以上の人はいませんから!」


「本気?」


「もっちろん! ちゃんとオリーヴァの許可ももらったので安心してください!」


 これもお稽古の効果でしょうか。ルノの実力を改めて見せつけられたフィオはすっかり惚れ直してしまったようです。オリーヴァからの信頼も得られて一石二鳥でしたね。


「う〜〜ん、なんだか過大評価な気もするけどいっか。よし、フィオちゃんに危害を加えようとする不届き者がいたら跡形もなく消し飛ばしてあげるね!」


「きゃ〜〜! ありがとうございますぅ! それじゃあそこであくびをしながら門番をしてる不真面目な輩を懲らしめてください!」


「よしきた。――ずどん!」


「いてっ!? あっ、フィオ様にルノ様! またイタズラして!?」


「あはは。バッカさんは門番なんだからあくびなんてしてたらだめですよ。私達はお昼に行ってきますね」


「お気お付けて。フィオ様のことをよろしくお願いします」


「お任せ下さい。変な輩が来たらさっきの数倍の威力で吹き飛ばしますから」


「さすが先生! それなら跡形も残りませんね!」


 いったいなにを物騒なことを言っているのやら。本当にやってしまいそうなところが怖いですが、笑顔で門を出た二人の頭の中はお昼ご飯のことでいっぱいなので心配いらないでしょう。


「さてと。ところでフィオちゃんは行きたいお店とかあるかな? 私はレストラン『オウト』にしようかと思ってたんだけど」


「あ、私もそこがいいです! 王都で先生と初めて行った思い出のお店ですね!」


「そうそう。名前はちょっとアレだけど味は確かだしね。……それにフィオちゃんがいればお昼の混んでる時間帯でも席が空くし(ボソッ)」


「え、なんですか?」


「あはは、なんでもないよ。行こ行こ!」


「は〜〜い!」




 王城から少々歩いた場所にある商業区。その一角にあるのはルノがお気に入りのレストラン『オウト』

 パンケーキが積み重ねられたような円柱状のポップな風貌のこのお店は、王都の中でも珍しい食べ放題のお店です。その希少性もあってか、お昼時ともなれば大変混雑し入店するだけでも困難を極めるんだとか。


 ですが――


「おや、フィオ様にルノ様ではないですか。ようこそいらっしゃいました。では……こちらの席が空きますのでどうぞ!」


「ラッキー!」


 出迎えてくれた店員さんは王女様であるフィオはもちろん、凄腕の魔女でありフィオの先生も務めるルノを大変良くしてくれます。お陰様で大人気のこのお店でも席は常に確保されているようなもの。……見えないところで「お前ら、そこの客を放り出せ」「へい!」などというやり取りの後にポイポイと犠牲が出ていることも知らずに。


「本当ですか〜〜? 先生ってばラッキーって言った時にすごく黒い顔してましたよ?」


「ん、なんのことかな? それよりほら、食べ放題のお店は王城みたいにコックさんがお料理を持ってきてくれるわけじゃないんだからね。早速取りに行こ!」


「あ、待ってくださ〜〜い! 私も先生と同じやつ食べたい!」


 その後も行く先々で人がいなくなるものですから――もう好きにさせておきましょう。なんにせよルノ達は目的ものへと辿り着いたようです。


「あったあった! おじさん、こんにちは!」


「おぉ! ルノちゃん、久しぶりじゃないか! おじさん寂しかったぞ!」


「またまた〜〜。ちょいちょい食べに来てるじゃないですか」


「はは、そうだったな! いつものでいいのかい?」


「はい!」


「よし。ちょっと待ってな!」


 ここのお料理はそれぞれの種類ごとにキッチンが併設されており、提供する前には完成となる一手間を加えるというこだわりっぷり。ちなみに、今目の前にしているのは主にデザートのコーナーで、提供前に表面をこんがりと炙る巨大なシュークリーム『爆弾シュークリーム』が大人気でルノの好物でもあります。元気な店員のおじさんと、甘いシュークリームのアンバランスな組み合わせもまた人気集めに一役買っているようですね。


「あ、二つでお願いしますね。私とフィオちゃんの分!」


「了解! フィオ様もご機嫌麗しゅう」


「私への挨拶を後回しにするなんて相変わらずね。先生の知り合いでなかったら首が飛ぶところよ?」


「はっはっはっ、返す言葉もない! 以後気を付けます!」


「本当に分かってるのかしら。とりあえず爆弾シュークリームの中でも一番美味しい爆弾シュークリームをよろしくね」


「難しい注文ですなぁ」


「大丈夫ですよ、おじさん。ここのシュークリームは全部美味しいですから」


「おっ! さすが、ルノちゃんは分かってるな。ほら、一個オマケだ!」


「オマケも何も食べ放題やんけ〜〜なんてツッコミはもうしませんからね」


「っていう新たな返しか。うまい!」


「もぉ〜〜二人で楽しんでないで私のこともかまってくださいよ〜〜!」


「おや、フィオ様がデレるなんて珍しい。なんだか照れますな!」


「あんたにじゃないわよ! 先生よ! せ・ん・せ・い!」


「あぁ、ごめんねフィオちゃん。お詫びにオマケでもらったシュークリームをオマケであげる!」


「やったぁ!」


 なんともまぁ楽しそうですね。魔女と王女様、そして何の変哲もない店員のおじさん。本来交わることも難しい立場の人間がこうして笑い合っているのは素晴らしいことです。


「でもいいんですか、先生? お昼ご飯なのにシュークリームって……」


 テーブルの椅子に腰掛けるや否や、ノリで受け取ってしまったシュークリームを前に、フィオがごもっともな疑問の声を投げかけてきました。


「ちっちっ。シュークリームを甘く見ちゃいけないよ。確かに甘いんだけど、その甘さは脳を働かせるための重要なエネルギー。つまりどんな時にどんな時魔法を使うかの判断がスムーズにできるようになるのさ。私とフィオちゃんの差はそこだね」


「そんな秘密があったなんて……!?」


「しかもフィオちゃんはシュークリームが二つだから二倍の効果が得られるよ。やったね」


「すごいっ! 頑張って食べます!」


 すっかり信じ込んでしまっているフィオですが、もちろんそんなはずありません。魔法云々は単に実力ですし、お昼ご飯にシュークリームを選んだのもただルノが食べたかっただけのことです。


「ではでは。いただきます!」


「いただきま〜〜す! ……え、何をしてるんです?」


 フィオがさらなる疑問を投げかけるのは当然でした。シュークリームを食べるというのに、ルノが取り出したのはストロー。そしてそれをブスリと突き刺して中身のカスタードクリームを飲み始めたのですから。


「お、フィオちゃんは爆弾シュークリーム初心者だね。これはね、こうして中のクリームを減らしてからじゃないとかじった時にで大惨事になるのさ。ちなみに私はそれでテーブルがカスタードクリームの海になったことがあるんだ。恐ろしい……!」


「あははっ、そういうことですか。面白いですね」


 そんなわけで、ルノに倣って同じようにストローでクリームを飲み始めるフィオ。傍から見たら何してるんだと突っ込んでしまうところですね。


 それから数分後。


「あぁ! クリーム飲みすぎちゃって生地しか残ってない!?」


「ふふっ、私も同じことやったなぁ。でも大丈夫だよ。こんがりと炙られた生地はそれだけでも美味しいからね」


「むぐむぐ……本当だ!」


 周りの喧騒に溶け込んだ二人はすっかり市民に馴染んでいました。お昼ご飯も毎回こうだと楽しくて良いですね。先生と教え子の関係に留まらないことが仲良く続く秘訣なのでしょうか? それはいずれ分かっていくことでしょう。


「ふぅ。美味しかったね、フィオちゃん」


「はい! 先生と一緒でしたからさらに美味しかったです!」


「あはは、それなら一緒に来たかいがあったよ。んじゃ出ようか。おじさん、またね!」


「おいおい、シュークリームしか食べないんか〜〜い!」


「あはは。爆弾サイズなのがいけないんですよ。今度は手のひらサイズのやつをお願いしますね。ごちそうさまでした!」


「手厳しい! 毎度ありぃ!」


 なんとも賑やかなお昼ご飯でしたがそれもご愛嬌。いつもこんな感じなんだなぁ程度に思っていただければ幸いです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 レストラン『オウト』を出てから数分。ルノとフィオは露店で買ったアイスを片手に、のんびりと王都をお散歩していました。食後の運動を意識してかは分かりませんが良い心がけですね。



「ふあぁ〜〜……でもなんだか眠くなってきちゃったねぇ……」


「天気も良くて暖かいですしね。王城に戻ってお昼寝でもしますか?」


「いいねぇ……それも最高だけど……とりあえず座ろうか」


「あ。もう、先生ってば」


 呆れ返るフィオの視線の先では、噴水広場にあるベンチへ一足先に腰を下ろしたルノが寝落ち寸前になっていました。これは王城までもちそうにありませんね。


「ほらほら、フィオちゃんも隣においで。特等席だぞ」


「先生のお隣!? じゃあお邪魔しま〜〜す♪」


 結局、ルノとフィオは二人仲良くベンチに座り込んでしまいました。噴水から流れる水の音とポカポカ陽気がこの場にいる全ての人を平等な眠りへと誘います。


 と、その時。


「きゃあああ!?」


「ま、魔物ぉぉぉ!?」


 突如響き渡る人々の悲鳴。魔物が出たとは穏やかではありませんが今に至っては不幸中の幸い。なにせここには凄腕の魔女(寝落ち寸前)がいるのですから。


「ん〜〜……うるさいなぁ。一体なに?」


「ひゃあああっ!!」


「うわぁ!?」


 耳元で爆発したのはフィオの叫び声でした。寝落ち寸前の身としてはこれ以上ない目覚ましとなったことでしょう。


「ちょ、ちょっと驚かせないでよ!?」


「ええっ!? だって魔物ですよ魔物! ほら、もうすぐそこ――ひゃあああ!?」


 先程までの平和を絵に描いたような空間はあっという間に阿鼻叫喚を極めてしまいました。ですが視線を巡らせてもルノが確認できたのはゼリー状のモンスター『スライム』たった一匹のみ。攻撃力など皆無に等しいこのモンスターに何を脅える必要があるのかルノには全く理解できません。ひとまず状況を見極める必要がありますね。結果、見えてきたのはこんな光景でした。


「ぐわぁぁぁ!」←スライムに体当たりされて尻もちをつく男性。


「リンゴが消滅したぁぁぁ!?」←スライムのお昼ご飯に恐怖する女性。


「ひっ!? こっち見てるぅぅぅ!?」←文字通り。


 とまぁ、こんな感じで特に害はないご様子。精々おちゃめな野良ネコが現れた、といったレベルですね。ルノにとっては。


「なんだよもう。……寝よ」


「助けてくださいよ〜〜!?」


「わ!? わ!? うわ!?」


 グワングワンとルノを振り回すのは周囲と同じように取り乱すフィオ。その表情は午前中のお稽古で圧倒的な力を見せつけられたとき以上に青ざめています。


「もう。フィオちゃ〜〜ん? 先生怒るよ〜〜? スライムの方が怖いってか? ん?」


「そんなこと言ってる場合ですかっ!? ほら、ちゃんと見てください! 魔物ですよ! ま・も・の!」


「はいはい。ま・も・の〜〜♪ ま・も・の〜〜♪」


「きぃぃ! もう知らない! こうなったら私が――うえぇん! 怖い!?」


「あはは、かわいいなぁ」


 こらこら。いくら可愛くても教え子が怖がっている姿を見て楽しむなんて悪い先生ですね。そろそろ助けてあげないとかわいそうですよ?


「仕方ないなぁ。はい、ずどん」

 

 グシャ。フィオの目の前でピョ〜〜ンとジャンプしたスライムが氷弾に撃ち抜かれて弾けました。


「せ、先生! あと一匹いますっ! ほら、そっちそっち!?」


「お、ご飯食べてるしチャンスじゃん。フィオちゃん、やっちゃっていいよ」


「ひぃぃ!? あんなの無理ぃ!?」


「……」


 炎のオオカミだのトラだのをポンポン出していた子が何を言っているのやら――なんて表情がルノの顔から滲み出ていたのは言うまでもありませんね。


「まぁいいや。ずどん」


 グシャ。はい、終わり。ご苦労様でした。


「きゃ〜〜! 先生かっこいいっ!」


「おおっ、さすがルノ様だ!」


「いよっ! 最強の魔女様!」


 先程までの恐怖はどこへやら。スイッチを切り替えたかのように賞賛の嵐がルノに向けられました。フィオはもちろん、その場に居合わせた人から、実際に襲われた人まで、それは皆同じです。


 それもこれも理由は簡単。


「平和なのは素晴らしいことだけど、モンスターに免疫が無さすぎるのも問題だよねぇ……」


 この騒ぎの正体はつまりそういうことです。王都という場所はその名の通り王様が住居を置く場所。そうなると必然的に警備は厳重になり、モンスターの侵入など滅多なことではなくなります。その結果は見ての通り。複雑な気持ちになるのも無理はありませんね。


「ま、でもフィオちゃんが取り乱す様子も見れたことだし良しとしようか」


「もぉ、からかわないでくださいよ〜〜!? でも助けてくれてありがとうございます!」


「あはは。これくらいお安い御用だよ。怪我しなくて良かったね」


「ポッ。先生は優しすぎます! これはもう王女としてぜひお礼をしなければなりませんね!」


「いや、別にそこまでしなくても……一応私は護衛なんだし」


「だめです! 先生は良いことをしたんですからもっと胸を張ってください!」


「さ、左様ですか……ではお言葉に甘えて」


 ルノとしては、人助けをしたという実感があまりないので少々複雑な気持ちでした。しかし自分を囲む人々、その視線は確かに尊敬や憧れ、なにより感謝の気持ちを示しています。フィオと同じですね。


「それでは、お礼はこちら! 『午後も私と過ごせるチケット』です! おめでとうございます、先生!」


「はいはい、あざ〜〜す」


 なにはともあれ、これもリトゥーラの日常なのです。イベントと言ったら不謹慎かもしれませんが、こうした出来事があるからこそ、毎日を楽しく過ごせるのだとルノは改めて実感したのでした。






☆第2話 〜〜 氷の魔女は自宅に帰ります 〜〜



 ある日の夜ことです。


「い〜〜や〜〜だ〜〜!?」


 夕飯を食べ終えて、何気ない会話と共に平和な時間を過ごす中、ルノがとある話を切り出すと、王城どころか王都全域まで響き渡るような声でフィオが発狂しました。一体何事でしょうか?


「先生のお家はここでしょう? 帰るお家なんてここ以外にないでしょう? ね〜〜え〜〜!」


「ひどい」


 なるほど。どうやらルノが家に帰ると言ったところ、フィオが駄々をこね始めたみたいです。あまりに突然と言えば突然の報告ですがなにか心境の変化でもあったのでしょうか?


「ねぇ、なんでなんでぇ!?」


「いやね、この前の手合わせで思ったんだよ。魔法はもちろん、身も心も立派になったなって。もうフィオちゃんに教えることは何も無いと思うんだ」


 脳裏に過ぎるのは、フィオが放ってきた数々の炎の動物達。予想以上の成長に驚いたのは今となってはいい思い出ですね。王城でフィオの先生として暮らすようになって約一ヶ月。長いようで短い時間でした。


「だから……ね。バイバイ、フィオちゃん!」


「や〜〜だ〜〜!?」


 ここまで食い下がってくれることを嬉しく思いつつも、終わりの見えない話題にルノが困り果てていたその時でした。


「フィオ。その辺にしておきなさい」


「そうよ。ルノさんも困ってるでしょう?」


 思わぬ助け舟を出してくれたのは正面に座る夫婦でした。筋肉質な肉体を持つ男性の名前はブレッザ・リトゥーラ。女神の如き美貌を持つ女性の名前はフィオール・リトゥーラ。金髪にエメラルド色の瞳という特徴と、その名前からも分かる通り、この夫婦はフィオの実の親。つまり国王様と王妃様です。


「そんなこと言って、お父様も泣いてるくせに……」


「何を馬鹿なことを。これは汗だ(キリッ)」


「はい汗ですね。お母様はなんでそんなに笑顔なんですか?」


「笑顔だなんてとんでもないわ。お母さんだって寂しいのよ? 強いて言えば……ルノさんが帰ってしまうことで、魔女様と言えばわたくしだけを指すようになるからテンションが上がってるだけよ。ふふふ……!」


 そうなのです。実はこのフィオールは光の魔法が得意な立派な魔女。ルノが来てからはその人気は二分されてしまいましたが、それまでは陰ながらモンスター退治などの善行を行う『光の魔女』なんて呼ばれて王都中で大人気になっていたものです。ちなみに、同じ魔女でありながらも圧倒的な実力で自分の上を行くルノのことはフィオに負けないくらいに尊敬しているようです。


「そういうことだから……さ。バイバイ、フィオちゃん!」


「もぉ、先生そればっかり! 私とバイバイして寂しくないんですか?」


「いや、それはもちろん寂しいけどさ。というか、今生の別れみたいな空気になってるけど違うからね? また遊びに来るよ?」


「そうですけどぉ。……うえ〜〜ん!」


 ご両親の援護もあって、もうどうしようもないと悟ったフィオは泣きながらルノに抱き着いてしまいました。教え子にここまで好かれているなんて幸せ者ですね。


「よしよし。ほら泣かないで。困ったなぁ。ブレッザさんも国王様としてぜひなにか一言お願いしますよ」


「うむ、いいだろう。フィオ。世の中はそう思い通りにはいかない時もある。現状を受け入れて前を向かなければならない時が必ず来るのだ。それがいつなのかは分かるな?」


「うぅ、今……ですね。お父様……」


「うむ、その通りだ(キリッ)」


 ここでようやくフィオはルノから離れました。納得とまでないかなくとも現状を受け入れる覚悟は決めたようです。これなら安心して行けますね。


「ありがとうございます、ブレッザさん。本当にお世話になりました」


「あぁ、こちらも随分と楽しませて……もらっ……うおぉぉぉ……!」


「うわ、泣いた。ちょっと……!?」


 いつもはキリッとキメ顔を作ってふざけたりもするブレッザですが今回ばかりは本当に寂しそうです。ルノのことを家族のように優しく扱ってくれたブレッザからすれば当然かもしれませんね。


「ふふっ、ルノさんは本当に人気者ですわね。羨ましいわ」


「あはは、そんな……。フィオールさんもありがとうございました。魔女仲間がいてくれてとても楽しかったですよ」


「あらぁ、もったいないお言葉ですわ、魔女様」


「魔女様って……まぁ、いいか。光の魔女様もお身体に気を付けてくださいね。応援してますよ」


「はい、お任せくださいな」


 さて、これで挨拶は終わりました。あとは明日の朝の出発まで最後の夜を楽しむだけ。そう考えると今生の別れではないとはいえ本当に寂しくなってきてしまいますね。


「それではこの辺でお開きにしましょうか。ルノさん。良かったら今晩はフィオと一緒に寝てあげてはいかがです?」


 そう言ってチラリと向ける視線の先では、今もフィオとブレッザがルノの旅立ちを惜しんで泣いていました。少し声をかけにくい雰囲気ではありますがここまできたら遠慮はいらないでしょう。


「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますね」


「はい、どうぞ遠慮なく」


 そういうわけでその日の夜、ルノは簡単に荷物の整理をした後にフィオの部屋を訪ねました。と言ってもここだけの話、部屋は隣同士な上にこれまでも夜な夜なフィオがこっそりと遊びに来てそのまま一緒に寝てしまうことが多々あったので、状況はそんなに変わりません。


「ふふふ〜〜♪ 先生がこっちに来てくれるなんて初めてですね!」


「そうだったっけ? いつもフィオちゃんが先に来ちゃうからかなぁ」


「だって先生と過ごす夜の時間は最高なんですも〜〜ん!」


「あはは、それは誠に光栄でございます」


 先程までのしんみりとした空気はどこへやら。フィオの表情はどこか晴れやかでした。お別れの悲しさよりも自分の部屋に来てくれた喜びの方が大きいみたいですね。


「そうだ。実は先生のためにチーズケーキを用意したんですけどいかがです?」


「え、でも歯磨きしちゃったし、こんな夜中に食べたら太っちゃうよ?」


「へへ〜〜もう持ってきちゃいました!」


「あっ!? まったくこの子は!」


 とかなんとか言っていますが実はこれもお約束。ある時は自分の部屋から。またある時はキッチンからこっそりと。毎回何かしらのお菓子を持って来てくれるのでルノ自身も楽しみにしていたのです。


「ささ、どうぞ先生。最後の夜なんですから遠慮せずに! ……うえ〜〜ん!」


「忙しい子だなぁ、フィオちゃんは。ほら、冷めないうちに食べよ。なんちゃって!」


「あははっ、チーズケーキは冷めたりしませんよ?」


「お、ウケた。んじゃ、食べよ!」


「はい!」


 こうして、残りわずかとなった時間を二人は水入らずで過ごしました。初めて会った時のことや、毎日のお稽古のこと。今日までの出来事を再確認するかのようにとにかく沢山の会話をしました。


「本当にいろいろあったねぇ」


「そうですね」


 それから何時間経ったでしょうか。楽しい時間というのは早いもので、既に日付けが変わる時間帯が迫っていました。このまま朝までという手もありますがこれ以上の夜更かしは身体にも良くありません。寝坊して「じゃあもう一泊だけ!」だなんてことになりかねませんからね。


「さてと。んじゃ歯磨きもしたしそろそろ寝ようか」


「え〜〜もうちょっとだけぇ」


「だ〜〜め。ほら、電気消しちゃうよ」


「え〜〜ん。最後の夜なのにぃ……」


「こらこら。もう泣いちゃだめだぞ。ブレッザさんも言ってたでしょ。前向きに生きなきゃ」


「前向きに……」


「そうそう。それにさ、もし時間があったら初めて会ったあの日みたいにフィオちゃんの方から来ても構わないし。あ、でもちゃんと護衛は付けなきゃだめだからね?」


「そ、そうですね。……あ!」


「ん?」


 ほんの数秒。思い悩んだ末に何かの結論が出たようです。電気を消してしまっているのでその表情までは確認できませんが、少なくとも落ち込んだ様子は無いようです。ぜひ聞いてみたいものですね。


「うふふ。えへへ〜〜!」


「なになに? すごい気になるんだけど」


「うふふ〜〜まだ秘密です。明日の朝を楽しみにしててください」


「そう? よく分からないけど元気になったみたいで良かったよ。んじゃ、寝坊しないように今度こそ寝ようか」


「は〜〜い。おやすみなさい先生」


「うん。おやすみフィオちゃん」


 明日の朝。ということは出発前に何かプレゼントでもくれるのかもしれません。可愛い教え子のサプライズに期待しながら眠りにつくルノはどこか幸せそうでした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 翌朝。


 王城の門前には早朝にも関わらずたくさんの人がルノを見送りに来てくれました。ブレッザにフィオール、教育係のオリーヴァ、門番のバッカ、そして顔見知りのお手伝いさんや衛兵などなど。その全員の視線を浴びるルノは精一杯の感謝の気持ちを伝えます。


「な、なんか恥ずかしいな。皆さん、私なんかのためにわざわざ集まってくれてありがとうございます」


「家族同然のルノさんとのお別れだ。当然だろう?」


「ルノさん。どうぞお元気で」


「はい。本当にお世話になりました」


 ブレッザとフィオールの家族同然という言葉。ルノも同じ気持ちでしたが、こうして改めて言われてしまうと照れてしまいますね。


 ですがそれも一瞬。


「フィオも元気でな。たまには顔を見せに来るんだぞ」


「お母さんも時間作って遊びに行くわね」


「はい。お父様! お母様!」


 おや?


「フィオちゃんもありがとね。これからも魔法の練習は怠っちゃだめだからね」


「もちろんです。これからもよろしくお願いします!」


「うん。……うん?」


 やはり聞き間違いではないようです。この流れはひょっとして?


「えっと……ちょっといいかな?」


「なんですか、先生?」


「まずそれ。その荷物はなにかな?」


「これですか? えっと……着替えとハンカチ、それにおやつや飲み物などですね」


「どっか行くの?」


「はい。先生のお家に!」


「……じゃあ次。昨晩のアレは? 楽しみにしててください! ってやつ。私はてっきりサプライズプレゼントなのかなぁって思ってたんだけど……」


「う〜〜ん、そうとも言えるかもしれません。はい、サプライズプレゼント〜〜!」


「わっ」


 フィオはそう言いながらとても嬉しそうにルノへと抱き付いてしまいました。やはりそういうことなのでしょうね。


「私、決めたんです!」


「ふ〜〜ん」


 この時、ルノはおおよその答えは分かっていました。聞くだけ無駄といっても差し支えないかもしれませんね。


「ちゃんと聞いてくださいよ〜〜!」


「うわ! はいはい、なにかな!?」


「私、前向きに考えたんです! 先生と一緒にいられる方法を!」


「う、うん」


「その結果、何かを成し遂げたいなら自分で動かなきゃ、という結論に至りました。だから私自ら先生について行くことにします!」


「はい」


「反応が薄い〜〜!」


「あはは、だってこの流れだからね。何となく分かったよ」


「じゃあ!?」


「バイバイ、フィオちゃん!」


「なんでぇ!?」


 その言葉を最後に、ルノはクルリと背を向けて歩き出してしまいました。国王様や王妃様が見てますよ?


「むむ……じゃあひとつ聞くけど、ついて来るのはいいとして、寝泊まりはどうするの?」


「もちろん先生のお家に♡」


「はいだめ! 我が家には既に可愛い娘と怪狼と大鷲がいるのも知ってるでしょ? フィオちゃんの入る余地なんて無いよ」


「ひど〜〜い!?」


「ひどくありません。どうしてもって言うならちゃんと護衛の人もセットで寝泊まりは宿ね」


「えぇ。それじゃあ先生と二人きりでイチャコラできない……」


「それなら私の家族がいる時点でできないでしょ。さぁ、どうする? 残り時間一分!」


「えぇ!? そんなに急かさないでくださいよ〜〜!? お父様、お母様、どうしよう!?」


「うむ。ルノさんの言う通りだ」


「えぇ。魔女様に間違いは無いわ」


「もぉ! お父様もお母様も先生に弱すぎ!」


「はい、時間切れ! 皆さん、お世話になりました。どうかお元気で。バイバイ、フィオちゃん!」


「あぁ、待って!? うぅ〜〜どうしよう……!?」


 未だに頭を抱えるフィオは、ルノを見たりブレッザを見たりルノを見たりフィオールを見たり。挙句の果てにクルクル回り始めてしまいました。ルノと二人きりが良いけどそれは無理だと分かって困惑しているようです。その様子を見たルノは少々いじわるするかのように――


「ほら、先に行っちゃうよ〜〜? あぁ、見えなくなっちゃう〜〜!」


 とかなんとか言いながらゆっくり歩くのは来て欲しいという気持ちの現れなんでしょうね。これはもうお互いに気持ちは固まっているのではありませんか?


「そういうことだ。オリーヴァ。フィオのこと、よろしく頼むぞ」


「かしこまりました。……フィオ様。早くしないとルノ様が行ってしまいますよ?」


「くぅ、分かったわよ……! もう先生といられるならなんでもいいわ! 行ってきます、お父様! お母様! 待って、先生〜〜!」


 こうして、ルノの旅立ちはフィオだけでなく、護衛としてオリーヴァまでついて来るというまさかの展開に。ですがそれは確かなサプライズプレゼントとなってしっかりと届いていたことをフィオは知る由もありませんでした。素直じゃない先生を持つと苦労しますね。


 ……まぁ、ここだけの話。


 ルノ自身も「フィオちゃん、ついてくるかなぁ〜〜?」なんて密かに期待していたので結果オーライといったところでしょう。


 めでたしめでたし。






☆第3話 〜〜 ただいまヒュンガル 〜〜



 ここは大自然に囲まれた村『ヒュンガル』


 リトゥーラから遠く離れた山奥に位置するこの村は自然の恵みが豊富で、色鮮やかな草花はもちろん、食材となる山菜やキノコも多数存在し、この周辺に住む人間や動物にとっては欠かすことのできない食の宝庫となっています。


「今日もいい天気だなぁ」


「こっち、掃除終わったよ〜〜!」


「オッケー! ありがとね!」


 早朝にもかかわらず元気な声が響くのはヒュンガルでも有名なカフェ。大木をそのまま持ってきたような剥き出しの柱に、雪化粧を施したかのような純白の壁。極めつけは外の空気を肌で感じながらのんびりできるテラス席がスローライフ好き達に絶大な人気を誇っています。


「うん、だいたいこんなもんかな。あとは看板を出して……と」


 彼女の名前はサトリ。カフェの看板娘であると同時に、魔女でもあり、ルノの親友でもあります。エメラルド色の綺麗な髪と瞳、そしてお団子にした髪型がとても可愛らしく、人当たりの良さそうな笑顔はいかにも看板娘といった感じですね。


 そしてもう一人。


「はい。ここでいい?」


「おっ、ありがとうフユナちゃん! 助かるよ」


「えへへ〜〜! どういたしまして」


 フユナと呼ばれる愛らしい少女は、人間に見えて実は世にも珍しい氷のスライムです。ひょんな事からルノに助けてもらい同じ屋根の下で暮らすようになったのですが、なんとルノが施した魔法陣の効果でご覧の通り人間の姿になれるのです。年齢の程は不明ですが、ルノの理想を元に形作られたその姿は十五歳前後といったところ。氷のように透き通った水色の髪をうなじが隠れる程度まで伸ばし、前髪は綺麗に切り揃えたぱっつん。ルノは娘のように溺愛し、サトリにもとても可愛がられています。


「んじゃちょっと早いけどオープンしようか。準備はいいかい、フユナちゃん!」


「お〜〜!」


 二人とも元気がよろしいですね。このカフェが人気な理由はコーヒーやお料理が美味しいのはもちろん、ご覧の通り店員さんの人当たりの良さも関係しているのでしょう。


「それではオープン! さぁ、今日こそルノちゃんは来るのでしょうか!」


「どうかなぁ? リトゥーラへ行っちゃってからそろそろ一ヶ月くらい経つけど……元気にしてるといいね」


「まぁその点は大丈夫でしょ。心配しないでもそのうちヒョコっと帰ってきて、いつものやつで! なんて言ってくるよ」


 それはどうでしょうか? 確かにルノは今朝、リトゥーラを出発したところですが、距離を考えたら到着はお昼頃。


 少なくとも今この瞬間では――


「じゃあいつものやつで」


「はいはい、チーズケーキとコーヒーね。……ん!?」


「ルノ!? 帰ってきたの!?」


「そうだよフユナ〜〜! 会いたかったよ! ちゅちゅちゅ〜〜!」


 サトリのフラグ回収が見事に決まりました。なんだかんだ言って寂しかったのはみんな一緒だったのでしょう。ルノの帰還によってこの場が一気に盛り上がったのが何よりの証明でした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 その後。


 ルノは懐かしのカフェで大好きなコーヒーとチーズケーキをお供にのんびりと過ごしながら、家族のフユナと親友のサトリに王都で過ごした一ヶ月の思い出を語りました。


「それで、フィオちゃんが思った以上に成長してたから驚いちゃったんですよ。まぁ、一般人にしてはですけど」


「へぇ? でも確かにあの王女様って出会った時から魔法のセンスはなかなかのモノだったよね。まぁ、一般人にしてはだけど」


「ちょ、ちょっとルノもサトリちゃんも! フィオちゃんが目の前にいるのに……!?」


「「ん?」」


 久しぶりの再開で会話に夢中になりすぎていたようです。フユナが止めてくれたことでようやく自分達のテーブルにご本人がいることに気が付いたルノとサトリに弁明の余地は……もう残っていませんね。


「ふふん。安心なさいフユナちゃん。私は先生と一緒にいるという目的を達成したから、正直魔法のことなんて二の次よ」


「えぇ〜〜……」


 微妙に反応に困ることを堂々と言い放つフィオでした。先生が目の前にいるというのに大きく出ましたね。


「こ〜〜ら〜〜! そういう悪いこと言う子はお家に強制送還しちゃうぞ。魔法の鍛錬は欠かさないようにって言ったでしょ?」


「うぅ、ごめんなさ〜〜い。これからも頑張るのでよろしくお願います、先生♪」


「本当に分かってるのかなぁ」


 まぁ、今だけは見逃してあげましょうか。フィオはルノと一緒にいられることの幸せで胸がいっぱいのようですから。


「ところでルノちゃん。今日は随分と朝早くの帰還だけど夜な夜な馬車で逃げ出してきたのかな?」


「出発したのは今朝ですよ。リトゥーラから十分ほど箒を飛ばして帰ってきました。ちなみに夜逃げしたわけじゃなく、ちゃんとお別れを済ませて来ましたからね」


「あ、そうなのね。てかその時間で帰ってくるなんて相変わらずの速さだね。わたしならその倍はかかるよ」


「あはは。普通はそんなものですよ。私は早くフユナに会いたくて急いだだけですから」


「なんだ、そういうことか。あはは」


 やはり親友同士というだけあって、久しぶりの会話には弾むものがありますね。しかしその華ばなしい会話に反して、隣では顔を青くしている人がいました。帰りの箒の上で散々振り回されたフィオです。


「あれで急いだだけって……? 私はどれだけ怖い思いをしたことか。普通は馬車で半日はかかる距離なのに……ブルブル……!?」


 おやおや。魔女同士の会話は刺激が強すぎたようですね。これを何気ない顔で受け流せるようになればあなたも一人前――そんなことを思いながらさらに魔女トークを加速させるルノは、久々の故郷の味を心置き無く堪能しました。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 カフェでのコーヒーブレイクを終えたルノは、フユナと共にヒュンガルの中心にある噴水広場の前を歩いているところです。フィオとオリーヴァは宿の手続きなどでお別れしました。


「ところでカフェのお仕事はよかったの? 私ならフユナのお仕事が終わるまでいくらでも待ってたのに」


「も〜〜! だからサトリちゃんが気を利かせてくれたんだよ。久しぶりの再開だし家族水入らずの時間を過ごしておいでって言ってたよ?」


「そうだったのね。なら遠慮なくお言葉に甘えようね! ちゅちゅちゅ!」


「うわわっ!? こんな所で恥ずかしいってば〜〜!?」


「ふふっ、気にしない気にしない――と言いたいところだけど、とりあえず家に帰ろうか。グロッタとスフレベルグにも顔見せてあげないといけないしね」


「うん! ……え、このまま行くの?」


「そうだよ〜〜? フユナは私のお姫様だからね。はい、レッツゴー♪」


 ルノはそう言うとヒョイっとフユナをお姫様抱っこしてしまいました。とはいえ、このまま歩くわけにもいきませんので、魔法で作り出した氷の箒に乗って行くことにしたようです。王都から乗ってきた箒と同じものですね。


「ねぇ、せめてもう少し高いところ飛ばない? みんな見てるけど……」


「高いと疲れちゃうからなぁ。このままでいいよ」


「リトゥーラから十分で帰ってきちゃう人がなにいってるの〜〜? ルノのばか〜〜!」


 とかなんとか言いながらも逃げないのがフユナの可愛いところです。フィオがこの場にいたら発狂しながら羨ましがるでしょうね。


「いやぁ、こうしてフユナと戯れてると帰ってきたんだなって実感が湧いてくるよ。私がいない間は大丈夫だった?」


「うん。時々サトリちゃんが遊びに来てくれたりしたから平気だったよ。グロッタとスフレベルグは相変わらずかな」


「あはは、なんかすごく分かるなそれ。んじゃまぁ今度サトリさんにはきちんとお礼しないとだね。今度みんなで温泉旅行にでも行こっか?」


「うん、行く行く〜〜!」


 温泉旅行とはまた心躍る提案ですね。ヒュンガルにもありますが、やはり温泉といえば大樹の街『ロッキ』が有名です。メインストリートに並ぶ六本の巨大な樹に様々なアトラクション、そして温泉。まさに旅行にはうってつけの――とまぁ、それはまたの楽しみにということにしておきましょう。


「よし、到着!」


 徒歩でなら約十分といったところでしょうか。ここがルノの自宅です。目を引くのはサトリのカフェと同じく剥き出しの柱に純白の壁が特徴の一軒家。一階部分にはリビングとキッチンがひとまとめになった大きな部屋とトイレやお風呂。二階部分には寝室やちょっとしたベランダなど。極めつけはすぐ横に広がる庭――大草原とも言っていいその広大なスペースはルノが胸をはるアピールポイントでもあります。


「う〜〜ん、懐かしいなぁ! 先に荷物置いてきちゃうね!」


「じゃあフユナはグロッタの小屋に行ってるね。スフレベルグも一緒だと思うから早く来てね!」


「オッケー。んじゃまた後ほど。さらば!」


「さらば〜〜!」


 ルノも久しぶりの我が家というだけあってずいぶんとご機嫌みたいですね。この後にはまだ二人との再会も控えているのですからその時までテンションを爆発させるのは我慢したらどうです?


「そんなの無理無理! 我慢できないからこそ急いで帰ってきたんだから。 元気にしてるかなぁ?」


 家に入るや否や、ポイっと荷物をソファーに放り投げて家族達が待つ場所――グロッタの小屋へ向かうべく家を飛び出しました。


 ところが。


「あれ? グロッタ〜〜? スフレベルグ〜〜? もしかして上?」


 上。そう言って見上げるのは小屋のすぐ横にそびえ立つ『ロッキ』という巨大な樹木。これは過去にロッキの街へ旅行に行った時に買ったロッキの苗木が成長したもので、その大きさは上空の雲に届こうかというほどの高さ。てっぺんにはルノの遊び心の結晶とも言えるツリーハウスとテラスがあるのですが――


「そこにいる……ってわけでもなさそうだなぁ。フユナは何か知ってる?」


「うん……」


「???」


 難しい質問ではないはずですが、ルノの言葉に対してフユナは浮かない表情で返事をするばかり。留守の間に何かあったのでしょうか?


「まさか、モンスターに襲われちゃったとか!? ウソでしょ……!?」


 家族の一大事に慌てふためくルノですが、目の前にいるフユナは今も俯いたままです。その様子だけでも家族が大好きなルノにとっては気が気ではありません。


 数秒後。ここでやっとフユナが口を開きました。


「ルノ」


「なに、フユナ!?」


「後ろ見て?」


 いまいち状況は分かりませんが、だからこそ問答無用で反応してしまうルノ。すると目の前には――


「ガウッ!」


「ひゃあああっ!?」


 振り向いた瞬間に視界いっぱいに広がるのは鋭い牙がズラリと並んだ巨大な獣の大顎でした。その大きさは人間など簡単に丸呑みできそうな規模で、常人ならこの時点で腰を抜かしてしまうことでしょう。


 ところが――


「うりゃ!!」


「ぎゃあああ!?」


 残念ながらルノは常人などとはかけ離れた凄腕の魔女。目にも止まらぬ速さをもって、謎の襲撃者を一瞬にして氷像に変えてしまいました。


「あぁ! グロッタが氷漬けになっちゃった〜〜!?」


「うそ、グロッタ? あ、本当だ」


 白銀の美しい体毛に、鋭い牙が見え隠れする大顎。前述の通り、人間くらい簡単に丸呑みできそうな大きさのそれはルノの家族――怪狼フェンリルのグロッタでした。


「びっくりさせないでよ……。変な声出ちゃったじゃん」


「それならサプライズしたかいがありましたな! ゲラゲラ!」


 氷漬けになりながらもゲラゲラと笑っていられるのはグロッタの強さの現れ……ということにしておきましょう。しかしこうなると気になるのは最後の家族ですが?


「フフフ……こちらですよ」


「上!?」


「うしろです」


「うひゃ……!?」


 突然うなじの辺りにツツ〜〜……っと、触れるか触れないかくらいの微妙な強さで何かが肌を撫でました。振り向いてみればそこにいたのはグロッタと同じく規格外の大きさの家族――白銀の翼が美しい、大鷲フレスベルグのスフレベルグでした。


「もぉ、スフレベルグまで! みんなして驚かせないでよ。それにやるなら空からでしょ。なんで大鷲なのに背後からなのさ……」


「フフフ、だからこそですよ。事実、上なら反応できたでしょう?」


「確かに。おぬし、なかなかやりおるな」


「みんなのチームプレイですよ。ね、フユナ、グロッタ」


「そうだよ〜〜! 大成功だね!」


「ゲラゲラ!」


「まったくもう。……でもどうせならやるなら今度はチーズケーキの海にダイブとかにして欲しいなぁ」


「それは無理だけど沢山のご馳走があるよ。じゃ〜〜ん!」


「えぇ!? すごい! いつの間にこんな!?」


「それはですな。作者の力で――」


「グロッタは余計なこと言わないでいいの〜〜! ほら、食べよう、ルノ!」


「うん……うん! ありがとうみんな!」


 どうやらここまでが久しぶりの再会にあたってのサプライズだったみたいです。突然の帰宅にもかかわらずこんなにもおもてなししてもらえるなんて羨ましい限りです。愛されてますね、ルノ。


「それじゃ、いただきます!」


「あ! 待って、ルノ!」


「大切なことを忘れてますよ」


「そうですぞ!」


「ん? なになに?」


 なにやらルノ以外の三人は意思疎通できている様子。『大切なこと』とは果たして――そんなの決まってますね。


「「「おかえりなさい」」」


「あ……」


 そうですね、帰宅の挨拶です。ルノに向けられたのは家族としてのとても意味のある「おかえりなさい」でした。もちろん、返す言葉も決まってますね。


「うん! ただいま!」


 はい、よくできました。


 これにてルノの帰宅は無事に完了です。あとは温かい家族と美味しいご馳走に囲まれながら、心ゆくまで幸せな時間を堪能してくださいね。






☆第4話 〜〜 風邪の魔女 〜〜



 ルノが王都から帰ってきた日の翌日のことです。


「う〜〜ん……」


 ここは自宅の二階部分に位置する寝室。人間が三人ほど横になれるサイズのベッドに本棚が一つ。その横には庭の草原が見渡せる大きな窓があり、そこから差し込む陽射しが朝の眠気を一気に覚ましてくれます。


「う〜〜ん……う〜〜ん……」


 そんな中、太陽という名の目覚ましに負けじと、唸りながらベッドで横になっているのはルノでした。フユナはもうとっくに起きて朝食の準備をしてくれているというのに困ったお母さんです。


「ルノ〜〜? いつまで寝てるの〜〜?」


 噂をすれば。フユナが痺れを切らして起こしに来てしまいましたね。旅の疲れがあるのは分かりますが、過度な睡眠は身体に毒ですよ。


「ねぇねぇ、朝ご飯できたよ? ……ルノ?」


 いつまでも起きないことを不審に思ったのか、部屋に入って来たフユナが顔を覗き込みます。いつもならそのままベッドの中へ引きずり込んでイチャイチャしたりするのがルノという人間のはずですが……様子が変ですね。


「ねぇ、どうかしたの? 大丈夫?」


「う〜〜ん……フユナ……?」


「うん、フユナだよ。起きないの?」


「すごくだるい……風邪引いちゃった……ゲホッ!」


 最強の魔女でも所詮は人間。昨日までは元気に見えましたが、思いのほか疲れが溜まっていたみたいですね。今日一日は静養しましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 それから約十五分。ルノの風邪を重く受け取ったフユナは朝食のメニューを変更して卵を使ったお粥を用意してくれました。体調不良の時にはこれ以上ないメニューですね。


「ゲホッ。ごめんね、フユナ。ありがとう」


「うん、気にしないで。食べられる?」


「フユナが作ってくれたものならなんでも美味しく……ゲホゲホッ!」


「ん〜〜……よし。待ってね」


 フユナはそう言うと、部屋の隅に置いてあった椅子をベッドのすぐ横に持ってきました。お粥を食べさせてあげようという気遣いからでしょう。


 と、そこで。


「あ、待って……ゲホッ!」


「どうしたの?」


「その……風邪を移しちゃうかも。自分で食べるね……」


 どうやらルノもルノで気を使っている様子。お互いに家族思いが故のことでしょうが「はい、そうですか」と引き下がるフユナではありませんでした。


「だ〜〜め。病人なんだから大人しくしてなさい」


「あ……」


 無理していたのがバレてしまったのか、受け取ろうとしていたお粥をスッと遠ざけられてしまいました。ここまでされてしまっては素直に看病されるしかありませんね。


「んじゃ、食べさせてあげるね。はい、あ〜〜んして」


「ま、待って……心の準備が……」


「そんな準備しないでいいの。ほら、あ〜〜んは? あ〜〜ん」


「うぅ……あ、あ〜〜ん」


「はい、よくできました」


 フユナの勢いに負けてしまう形になってしまいましたが、同時にその愛情をこれでもかというほどに感じたルノ。こういう時は特に家族のありがたみを実感すると言いますが本当ですね。


「な、なにこれ。クセになっちゃうかも……」


「こら〜〜変な事言ってないでちゃんと食べなさい。はい、あ〜〜ん」


「あ〜〜ん」


 この頃になると何かが吹っ切れたような――端的に言ってノリノリでした。風邪の辛さよりもフユナに看病されることに対する幸せの方が勝っていたことはその表情を見れば明らかですね。


「はい、おいちいね〜〜」


 ちなみにそれはお互い様でした。親と子の立場がすっかり逆転してしまいましたね。


「うぅ……! 私は今、最高に幸せだよ……ゲホゲホッ!」


「はいはい。食べ終わったらなんて言うんですか〜〜?」


「ご、ごちそうさま……」


「はい、よくできました。いい子いい子」


「きゅん……!」


 家族を好き過ぎるというのも困りものですね。ですがこれも二人の間にそれだけのものが育まれているという証拠なので、口出しするのは野暮というものでしょうか。ここは二人きりにしてあげて外野は退散するとしましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 翌朝。


「ふぁ〜〜あ……よく寝たぁ……!」


 早朝の陽射しが照らすベッドの上。そこには昨日とはうってかわって元気に満ち溢れるルノの姿がありました。どうやらフユナの看病のかいもあって無事に回復したようですね。


「ふぁ……ルノ? おはよぉ〜〜」


「おはよう、フユナ。今日も可愛いね」


「もぉ〜〜朝から何言って――わぶっ!?」


「素直な気持ちだよ。ちゅちゅちゅ!」


「うわわっ。よく分からないけど元気になったみたいで良かった」


「フユナのおかげだよ。ありがとうね」


「うん。どういたしまして!」


「よし。それじゃあお礼もかねて今朝は私が腕によりをかけて朝ご飯作ってあげるね」


「やった! 何作ってくれるのかな〜〜?」


 こうして戻ってきた本来の笑顔。最高に家族思いのこの二人が揃えばどんな苦難も乗り越えてしまうのでは――そんなことを思ってしまうような微笑ましい光景がそこにはありました。


 皆さんも風邪には気を付けましょうね。






☆第5話 〜〜 アルバイト始めました 〜〜



 ある日のことです。


「ルノちゃんってさ。王都から帰ってきてからほとんどウチに来てるよね」


「ふふ、お店も繁盛して幸せでしょう?」


「まぁね。ただそれとは別に、ルノちゃんがこのままニートになっちゃわないか心配でねぇ」


「あはは。ご冗談を」


 現在の場所はすっかり慣れ親しんだお気に入りのカフェ。そして当然のように同じテーブルに座るのは仕事中にもかかわらず暇さえあればルノの元へお喋りに来るカフェの看板娘であり、魔女仲間であり、親友のサトリ。すっかり見慣れたしまった光景です。


「それよりいいんですか? ほら。お客さんが一人……お客さんが二人……お客さんが三人四人五人!」


「まさかぁ? それこそ冗談……いや、それなりに来てるな。ちょっと行ってくるね!」


「行ってらっしゃい。頑張ってくださいね」


「またね、サトリちゃん!」


「はいは〜〜い! 二人共ごゆっくりね〜〜!」


 こうして、この場に残ったのはルノとフユナの二人のみ。おサボりとはいえ、一緒にお茶するのが当たり前になりつつある人がいなくなってしまうと違和感がありますね。


「サトリちゃん、忙しそうだよね」


「そうだね。まぁ、これが本来の姿だと思って諦めよう。せっかくだから私達は優しく見守りながらお昼ご飯でも食べようか!」


「うん! フユナも久しぶりにここのサンドイッチ食べたい!」


「いいね。それじゃあ……店員さん! サンドイッチ二つくださ〜〜い! あとコーヒーも!」


 こらこら。今の姿が本来の姿だと言ってもそんなにイジメてあげてはかわいそうですよ。いくら親友のお店と言えど混雑時には気を使ってしまいまいそうなものですが、ルノとフユナは我が家だと言わんばかりのくつろぎようですね。


「あ、忘れてた。店員さん! 食後にチーズケーキもお願いします! ……なに、フユナ? あ、お水ね。すみません、お水のおかわりも〜〜!」


「きぃぃぃ! お前ら覚えてろよ〜〜!?」


 これも友達以上恋人未満とも言えるこの三人だからこそなのでしょう。ですがこの調子では次に会った時にどうなってしまうことやら……二人とも覚悟しておいた方がいいかもしれませんよ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 無事にお昼のピークを乗り越えたサトリが片付けに追われる中、ルノとフユナは食後のチーズケーキとコーヒーをお供に、スローライフを満喫していました。


「それにしても今日のサトリさんは本当に忙しそうだったね。なんだかいないならいないで落ち着かないなぁ……」


「あ、そう言えばね。ルノが王都に行っちゃってから、サトリちゃんてばお店をオープンさせる度に入口を見張ってたんだよ。ルノちゃん来るかな〜〜って」


「それって寂しがってたってこと? なんか照れちゃうなぁ」


「今のルノと一緒だね」


「ゲホッ!? な、なんのことかなぁ?」


「ふふっ。でもフユナも同じくらい寂しかったよ? あの日は突然でびっくりしたけどルノが帰ってきてくれて嬉しかったなぁ」


「!?」


 まさかの不意打ち。さすがのルノもこれは想定外でした。


「ふふっ、うそだよ〜〜!」


「っていううそでしょ? 可愛いなぁフユナは! ちゅちゅちゅ!」


「うわわっ! なんでそうなるの〜〜!?」


 その答えは至って単純。長年共に過ごしてきた家族だからこそでしょう。その仲睦ましすぎるやり取りを見てるとこちらが恥ずかしくなってきますね。


「はいはい、ずいぶんと仲のよろしいことで」


「あっ。サトリちゃん、お疲れ様!」


 ここで再びやって来たのは先程までとは打って変わって、ボロボロの雑巾のようになったサトリでした。エプロンを外しているその姿から察するに、今回はちゃんと休憩を取って来たみたいです。


「あのサトリさんがサボり以外で私達の席に来るなんて……」


「ルノちゃんがわたしのことをどんな目で見ているかはまた後で話し合うとして。はぁ〜〜……疲れたぁ……」


 余程疲れてしまったのか、先程おちょくられたことを特に言及することもなくイスに腰を下ろすサトリ。いつもの元気な姿を知っている身としては少々心配になってしまいますね。


「大丈夫ですか? 今回ばかりは本当にお疲れのようですね。どうぞ、コーヒーでも飲んでください」


 そう言って優しく微笑みながら差し出したのは淹れたてのコーヒー。まるでサトリが休憩に来るのを分かっていたかのような準備の良さですがそれは――


「いやあの。これ今わたしが持ってきたやつ」


「てへ」


 という訳です。ですがどんなコーヒーであれ疲れた身体には最高の癒しになることは同じです。


「ふぅ、生き返るなぁ。今さ、ちょうどフェアもやっててお客さんの量が半端ないのだよ……」


「言われてみればたしかに。そろそろ新しいアルバイトを雇った方がいいのでは?」


「いいのっ!?」


「???」


 疲労に染まった表情が一転し、あっという間に元気を取り戻したサトリ。ただ提案をしただけのルノにはその意味が全く分かりません。


「いいなにも……それを決めるのはサトリさんでしょう?」


「ありがとう、ルノちゃん! 君を採用だ!」


「……(サッ)」


「ちょっと! なんで目をそらすのさ!?」


「ぐえっ!?」


 少々誤った解釈をされてしまったが故にそらした目線だったのですが、あろうことか顔面をサンドイッチされて無理矢理戻されてしまいました。ゴキッ! っと変な音がしましたが大丈夫でしょうか?


「んじゃ、とりあえず明日からーー」


「待って待って!? アルバイトを雇うって私のことじゃないですから!」


「じゃあ誰を雇うのさ?」


「そりゃヒュンガルにいるフリーな人ですよ。私ではないことは確かですね」


「でもアルバイトできそうなフリーな人なんて私の知り合いで一人しかいないんだよねぇ? (チラッ)」


「……(サッ)」


「……(グイッ)」


「ぐえっ!? (ゴキッ!)」


 どうやらもう逃げられそうにありませんね。親友のピンチみたいですからここは素直に助けてあげてはいかがですか? 冒頭でも言われてましたが、リトゥーラから帰ってきてからはニート同然の生活なのですから。


「いたた……仕方ないですね。それならご褒美の温泉旅行は無しですからね」


「え? なんのことか分からないけどそれは行きたい」


「……コホン。それでアルバイトのことですけど」


「あぁ、そうだね。それじゃあーー」


 こうして突如決まったアルバイト。大まかな詳細としては、明日の朝にカフェに集合。手ぶらでオッケー。そしてお給料は弾む。との事でした。ちなみにフユナも一緒なので多少の緊張はあれど楽しみという気持ちの方が大きいルノでした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 翌朝。

 

 天気にも恵まれたおかげか、カフェへ向かうルノの足取りはどこか軽やかに感じます。隣を歩くフユナもそれは同じで、こちらは一緒にお仕事できるのが嬉しいのでしょう。


「でもさ、いつもお客さんとして行く場所でアルバイトするってなんだか新鮮だよね」


「本当だね。でもフユナはルノがいない間はずっとアルバイトしてたから慣れちゃったよ」


「そっか。言われてみれば今日って初心者は私だけじゃん。フユナの裏切り者〜〜」


「ふふっ、じゃあ今日はフユナが先輩だね。頑張りましょうね、ルノさん」


「は〜〜い、フユナせんぱ〜〜い!」


 朝からとても楽しそうですね。新しいことに挑戦する時はだいたい緊張してしまうものですが、この様子ならその心配も無さそうです。


「こら、そこの二人! 遅刻だぞ!」


 会話に夢中になっているといつの間にカフェに到着していました。扉の前で仁王立ちしているのは一足早く着替えを済ませた本日の指導役――サトリです。


「おはようございます、サトリさん。遅刻どころか余裕の三十分前到着ですよ。初出勤でいろいろ準備があるとのことでしたので」


「その通り。遅刻しなかったことは褒めてあげよう、新人君よ」


 サトリの様子がどこかいつもと違うように見えるのは、ルノという新人が入ったことであれやこれやと指導できるが故の喜びからでしょうか。いつになくやる気に満ち溢れているのが分かります。


「んじゃ、まずはわたしについて来て。ちなみにこれから行く部屋は従業員しか入れない秘密の部屋だから他言は禁止だよ」


「あ、知ってますよそれ。いつもサトリさんが着替えて出てくる部屋ですよね。あそこが更衣室か」


「いやいや。あそこは従業員だけの秘密の部屋だから」


「なんですかそのこだわりは……」


 早くもルノの知らない知識を披露しようとしたサトリでしたが失敗に終わってしまいました。そういう知識よりもこの後に控えている現場での研修に力を入れないといけませんよ。


「それじゃ、とりあえずこれに着替えちゃって。わたしのおさがりだけど」


「おっとと」


 そう言ってポイと投げ渡してきたのはすっかり見慣れたカフェのユニフォーム。サトリが着用しているものと同じズボンやシャツ、それとエプロンでした。


「おぉ。こういうの見るとカフェで働くんだなぁって実感が湧いてくるなぁ。さっそく着替えようか、フユナ」


「うん!」


 更衣室に入るとそこは小さな部屋でした。中心には休憩時に使うテーブルと椅子があり、壁に沿って並んでいるのは従業員が使用するロッカーの数々。いかにもといった感じの光景を前に『従業員』として来たことを再確認したルノです。


「よし、これでオッケーっと。うん、いいねいいね」


「似合ってるよルノ。かわい〜〜!」


「あは、そうかな? フユナこそ似合ってるよ。ちゅちゅちゅ!」


「わわっ!? 早く行かないとサトリちゃんに怒られちゃうよ〜〜?」


 そうですね。なんと言っても今日はお客さんではなく従業員。オープンまでにやることはまだまだ沢山ありますよ。


「では案内よろしくお願いします、フユナ先輩!」


「ではこちらについて来てください」


「ははぁ!」


 なんとも締まらないやり取りですが、サトリのお怒りを買う前に準備は済んだみたいですね。ホールに出ればここからは従業員。気を引き締めて行きましょう。


「サトリちゃん。準備できたよ!」


「ん、オッケー。相変わらず可愛いねフユナちゃん」


「もぉ、サトリちゃんまで……」


「そうですよ。私には何かないんですか? フユナは可愛いって言ってくれましたよ」


「はいはい、ルノちゃんも可愛いよ。んじゃ、まずはみんなで店内の掃除からね」


「……」


 割と自信があったみたいですが見事にあしらわれてしまいました。フユナも言ってましたが、心配しなくてもよく似合ってるので大丈夫ですよ。


「まぁいいや。今日は可愛い可愛いフユナ先輩に色々と教えてもらおうっと。ふふ〜〜ん♪」


「残念だったね。ルノちゃんの教育係はこのサトリ先輩さ」


「うげ」


 本日一番の予想外に思わず顔をしかめるルノ。フユナに手取り足取り指導してもらえるという楽しみがあったからこそ、今日という日を楽しみしていたのですが……残念でしたね。


「あの……フユナ先輩は?」


「フユナちゃんならもう一人前だから向こうの掃除してるよ。さ、無駄口叩いてないで私達もやるよ。まず最初に窓を全部開けて、そんで箒とちりとりはそこにあるからそれで綺麗にしてね」


「分かりました……ぐすっ」


 大いに残念な気持ちを抱いたルノですが、いざ始めてみればなかなかの集中力と手際の良さを発揮するのが本人も無自覚の良いところでした。


「終わりましたよ、サトリさん」


「早くない? フユナちゃんですらまだ終わってないよ?」


「ではチェックしてみてください。ゴミを一つでも見つけられたら全てやり直しましょう」


「お、言ったなぁ?」


 ドンとはる胸は自信の表れでしょうか。その意味はすぐに分かりました。


「ん〜〜…………こ、これはっ……!」


「ふっ」


「信じられない。本当にゴミ一つない!?」


「でしょでしょう? そしたらこういう時は……終わってない人を手伝うのが鉄則ですよね。フユナを手伝ってきま〜〜す!」


「なにこの子。手馴れてる……」


 驚きを隠せないサトリですが、ルノはこう見えても一家の主。掃除に洗濯、お料理など基本的なことは並以上にできるのです。


「フユナ。手伝いに来たよ」


「え? そっちはもう終わったの?」


「うん。やればできるもんだね。ちゃんとサトリさんにオッケーもらってきたよ」


「すごい……! フユナはまだまだだなぁ」


「あはは。そんな大したことじゃないってば。んじゃ、私はそっちの半分をやるね」


「うん、ありがとう! ……あれ? 箒は?」


 ここまで来たら隠す必要もないでしょう。実はルノは箒を使って掃除をした訳ではありませんでした。魔女の特権を使ったと言ってもいいかもしれません。


「ふっふっふっ。私が箒を使うのは空を飛ぶ時だけだよ。ゴミ相手にはこうだ!」


 そう言ってゴミに向けたのは自身の手でした。もうお分かりですね。


「ゴミが全部外に飛んでいっちゃった!?」


「これで掃除は終わったね、フユナ先輩」


 それは驚くべき風の魔法のコントロール。椅子やテーブルは飛ばさず、しかしゴミだけは飛ぶ程度に。そんな緻密なコントロールの結果がやけに早い仕事の秘密でした。


「こらこら! ルノちゃんてばそんなことしてたの!?」


 と、これにはさすがにサトリも黙ってはいられませんでした。なにせ彼女は風の魔法を得意とする『風の魔女』なのですから。


「よっし! わたしもそれやろっと!」


 その名の通り『風』と名がつくものでは負けたくないと思ったのでしょう。ところが見返してやろうと意気込むサトリを前にルノは余裕の表情で――


「ふふん、残念でしたね。もう掃除は全部終わりましたよ。さぁ、どこにそのチートを使うのか教えてもらいましょうか!」


「ぐぎぎ……!?」


 すっかり調子に乗ってしまっているルノですが、結果を出してしまっているだけに咎めることもできません。ここはサトリも素直に褒めるにとどまりました。


「よし。じゃあせっかく早く終わったことだしルノちゃんは今のうちに接客の練習をしておこうか」


「来ましたね。接客業最大の壁」


「ははっ、そんなに難しく考えなくていいよ。お客さんが来たらいらっしゃいませ言って、注文取って、料理のを運ぶ。最後にありがとうございました。大体の流れはそんな感じかな」


「ふむふむ。聞いてるだけだと簡単そうに聞こえますね」


「でしょ。あとは慣れの問題さ。てことで一回やってみようか。わたしがお客さんね」


「あの。もしよかったら一度サトリさんのお手本が見てみたいんですけど……」


「わたしのならいつも見てるでしょ?」


「え? いつも目の前でサボってるだけ」


「……」


「あはは、どうどう。働いてる姿働いてる姿……」


 静かに怒る看板娘を宥めながら過去の記憶を掘り起こしているようですが、残念ながらルノの頭の中にはサトリが仕事をしている記憶がほとんどありませんでした。もしかしたらそれを見たのは昨日のピーク時が初めてだったかもしれませんね。


「仕方ないな。それじゃ、お手本見せるからルノちゃんはお客さんね。はい、いらっしゃいませ!」


「いつものやつで」


「ばか! それじゃ参考にならないでしょうが! ルノちゃん、それ言われたら分からないでしょ?」


「あは、確かに。では改めて。コーヒーとチーズケーキをお願いします」


「はい。コーヒーとチーズケーキですね。ご注文ありがとうございます! ……お待たせしました。こちらコーヒーとチーズケーキでございます! ごゆっくりどうぞ! ……って感じだね。オッケー?」


「なるほど、分かりました。ありがとうございます」


「よし。んじゃあとは回数こなして慣れておこう。特に笑顔は大切にね。はい、お客さんがいらっしゃいましたよ!」


「わっ」


「え、フユナ?」


「お客さんも様々だからね。これも勉強だよ」


 ここでお客さん役に抜擢されたのはまさかのフユナでした。思いがけない無茶振りに戸惑う両者でしたがそれも一瞬。すぐに練習が再開されます。


「い、いらっしゃいませ!」


「えっと……それじゃあコーヒーをお願いします」


「お砂糖はおいくつ入れますか?」


「え?」


 あるようでない接客につい目を丸めてしまうフユナ。数秒静止した後に、目線だけをサトリに移したのは戸惑いの証拠です。


「ばか! ここでコーヒー注文した時に未だかつてそんな返答をされたことがあった!? 少なくともわたしは今までも、さっきのお手本でもそんな返しをルノちゃんにした覚えはないよ! お砂糖やミルクはそれぞれのテーブルに備え付けてあるから聞かなくていいの!」


「てへ。つい……」


「まったくもう。はい、じゃあ最後。フユナちゃんがコーヒーを飲み終わりましたよ」


「ごちそうさまでした〜〜」


「あ、ありがとうございました! またのご来店をお待ちしております!」


「よし。まぁ、なかなかじゃないかな。あとは実際にやっていくうちにどんどん上達していくと思うよ。笑顔と挨拶、それだけは忘れずにね。一応言っておくけど、お砂糖のネタは現場でやったらダメだからね。ミルクも一緒だよ!」


「は、はいはい!?」


 何はともあれ、ルノの研修は無事に終了。元からの人柄か、基本的な挨拶などは問題無かったのであとはサトリが言ったように現場に出て慣れていくのが一番でしょう。オープンが楽しみですね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 それから少々の練習を重ねた後に、ついにオープンの時間がやって来ました。この頃になるとやはり多少の緊張はしてしまうもので、それはルノの顔にも現れていました。


「その気持ちは大切だよ。現場は戦場と同じ! 失敗はクレームに繋がるからね!」


「今思うと目の前で堂々とサボられてクレーム入れなかった私ってすごいお人好しですね。これを機にサトリさんも――」


「はい、じゃあオープン! フユナちゃん、今日もよろしく!」


「お〜〜!」


「スルーされた」


 兎にも角にも、緊張が程よくほぐれたところで遂にオープンです。早朝のこの時間帯はルノのようなスローライフ好きがほとんどなので、来店数も少なく練習にはうってつけです。


 お客さんが来店したら率先して接客に挑んでみよう。そう考えていた時がルノにもあったのですが――


「……誰も来ませんね」


「自分で言うのもアレだけどさ。この時間帯の売り上げってほぼほぼルノちゃんの分だけだったんだよね」


 口に出した途端に虚しくなる現実。そこで我先にと立ち上がったのはフユナでした。


「じゃあフユナが外でお客さん呼んでくるよ!」


「お、悪いねフユナちゃん。んじゃお願いしていいな?」


「任せて! たくさん呼んでくるからルノも頑張ってね〜〜!」


「了解です、フユナ先輩!」


 フユナはずいぶんと接客業に向いているみたいです。お店の外に出るや否や、元気な声で客引きを始めると辺り一帯が早朝の眠気を吹き飛ばしてくれるかのような明るい雰囲気に早変わりし、一気に活気が満ち溢れてきました。それに釣られるようにどんどんお客さんがやって来ます。


「これは思わぬ誤算。練習すっ飛ばしていきなりピークみたいになりましたね」


「この中で状況分析ができるとはなかなかやるね」


「でしょ? さらに言わせてもらうなら、フユナを呼び戻さないと大変なことになりますよ。人気すぎて」


「同感。フユナちゃ〜〜ん、戻ってきて! 接客するよ!」


 あっという間に店内はフユナ目当てのお客さんで埋め尽くされてしまいました。さすが、ルノやサトリが溺愛してるだけはあって優秀ですね――


「なんて言ってる場合じゃない!? いらっしゃいませ〜〜!」


 いきなりピーク時のようなスタートとなってしまいましたが、この繁盛っぷりが逆に緊張を感じさせる暇も与えてはくれなかったので、結果的にルノにとっては嬉しい誤算でした。出だしの挨拶はなかなか好調のようですね。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」


「それじゃあこのコーヒーセットで」


「はい、コーヒーセットですね。ご注文ありがとうございます!」


 よく出来ました。初めての現場でこの出来なら文句なし。遠目で見ていたサトリもすっかり安心したみたいです。


「それで……注文のメモはこのボードに貼り付けるんだったね。あ、もうお料理ができてる。急げ急げ」


 注文を取ってお料理を運ぶ。仕事内容は単純なものでしたが、やはり物量の力には勝てないようです。ルノの新人とは思えない働きぶりを持ってしても、その忙しさは衰えることを知りませんでした。


「ふ〜〜む。ここまで来るとフユナの才能が怖いね。サトリさんはもう看板娘の座をフユナに譲った方が良いんじゃないかな」


「こら、失礼なこと言ってないで手を動かしな!」


「痛い!?」


 バチン! 気が緩んで出た言葉を聞いて、サトリが容赦ない喝を無防備なお尻にかましてきました。これで気が引き締まりましたね。


「だけどさすがにこれはキツいよ。よしっ!」


 気を取り直して――と言うよりも、名案を思い付いたといった感じですね。何をするつもりかは知りませんがこのピークを乗り越える手助けになるのでしょうか?


「ふっふっふっ。それは結果で出すとしよう。まずはこれが二番テーブルで、そっちのコーヒーは七番テーブル。今出てきたデザートは三番テーブル……ね」


 おや? ルノが料理を前にして何かメッセージカードのようなものを書き始めましたね。『お待たせしました』の挨拶と共に、注文されたお料理の名前、そして最後に可愛らしい一点イラストまで描いてあります。


「あとはこれをお料理と一緒にお盆に乗せて完成。はい、レッツゴー!」


 なんということでしょうか。ルノの合図と共にお料理を乗せたお盆が宙を舞い始めました。行き着く先はもちろん各テーブルに座るお客さん達の元。今朝の掃除の時と同じく魔法の力ですね。


「すごい! 料理が飛んでくるぞ!?」


「可愛いメッセージカードまで付いてる!」


「こ、これは! フユナちゃんからのメッセージだとっ!?」


 お客さん達の評判もなかなかよろしいようで。ちなみに、お客さんがフユナのメッセージカードだと思い込んでいるのは、ルノがランダムに書き入れた店員達の名前。お客さん達は知る由もありませんが、要するに全部ルノのサインです。


「自分の才能が怖い。この調子で注文も簡単に取れるように『ご注文票』と書いた紙を――」


「こら! さすがにそこはルノちゃんが行きなさい! 会話あってこその接客だよ!」


「痛い!?」


 本日二度目の喝がルノに入りました。やはり魔女でも限界はある――これはこれでいい勉強になりましたね。この後も魔法は程々にして頑張りましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 無事に一日の業務を終えたルノ達三人は、閉店後の店内でサンドイッチやコーヒーなどを用意してちょっとした打ち上げを楽しんでいます。共に苦難を乗りこえたからか、その表情は達成感に満ち溢れた実に晴れやかなものでした。


「二人共、お疲れ様! 今日は本当に助かったよ! お陰様でフェア最終日を無事に乗り越えることができました!」


「色々と勉強になりましたし力になれたなら何よりです」


「うん。今日は楽しかったね!」


 友達以上だった絆がさらに深まった気がしますね。アルバイトはお金を稼ぐという他にも、こういったメリットを手軽に得られるのが素晴らしいところです。もしも嫌なら辞めるという手も簡単に――いえ、何事もすぐに諦めるのはよくないですよ。苦難を乗り越えた先には必ず光が(以下省略)


「さてさて。それではお待ちかねのお給料タイムだけど……欲しい? あ、フユナちゃんは今月分のといっぺんにあげるから安心してね」


「分かった〜〜!」


「私はいらないですよ。今日の売上にでも当ててください」


「え?」


 予想外の言葉にサトリは唖然としてしまいますが、これはどういうことでしょうか? 労働の対価としてお金を頂くというのはごく当たり前のこと。お金以上に欲しいものでもあるのでしょうか?


「いえ。フィオちゃんの先生をやってたのでお金に困っていないというのが大きいですかね。それに今日のはほんのお手伝いみたいなものだったので」


「……」


 ルノの言葉に何かを返すわけでもなく、じっと見つめてくるサトリ。長い付き合いが故か、その言い訳はさすがに無理があったようですね。


「コホン。強いていえば……今回のアルバイトは、私が留守にしていた一ヶ月間、フユナを見ていてくれたことへのお礼も兼ねてのことだったって感じですかね。もぉ、言わせないでくださいよ。こういうのは口に出した途端に胡散臭くなるんですから!」


「あはは、確かに胡散臭いね」


「ひどい」


 正直に理由を言ってしまったのは失敗だったでしょうか。これは少々恥ずかしい思いをしてしまいましたね。


「ま、そんな細かいことは気にせずにルノちゃんは黙ってお給料を受け取っておきなさいな。ちゃんと働いたんだからバチは当たらないよ? ほらほら」


「わ、分かりましたよ。それでは遠慮なく」


 なんだかんだ言っても二人はとても嬉しそうです。やはり親友同士に隠し事はできないようで、お互いに言葉の裏に隠された気持ちまで共有していることでしょう。おそらくですが……今回のこともルノは貸し借り関係なしに協力していたのでしょうね。


 この微笑ましい関係がいつまでも続くことを願うばかりです。






☆第6話 〜〜 師匠と弟子 〜〜



「ぽけ〜〜……」


 ――っとしてるのは、朝ご飯を食べ終えて特にやることもないので、リビングのソファーにて無心で天井の一点を見つめるルノ。隣ではフユナが読書して有意義な時間を過ごしているというのに少しは見習ったらどうですか?


「……」


 多少の自覚はあったのでしょうか。チラリと横目でフユナの様子を伺い始めたルノはとてもソワソワしています。これは見習うというよりも、どっちかというとちょっかいを出したそうな雰囲気。このあとの展開も目に見えるようですね。


「フ〜〜ユ〜〜ナ〜〜」


「ん〜〜?」


「うりゃ」


「わっ……わっ……むぐっ!」


 ボフッ! という音と共にフユナがソファーに埋もれてしまいました。ルノが読書の隙をついて押し倒した結果です。困ったお母さんですね。


「もぉ、ルノ〜〜! フユナは読書中なんですよ〜〜?」


 そう言いながらルノに見せつけてくる本のタイトルは『双剣使い・サトりんのワクワク冒険記』でした。実はこの本はサトリが書いたもので、タイトルの通り様々な冒険を繰り広げていくのですが、フユナはそのかっこ良さにすっかり惚れ込んでしまい、なんやかんやとあった末に、行き着いたのが師匠と弟子の関係でした。ルノとフィオに少し似てますね。


「フユナは本当にその本好きだねぇ」


「ふふふ〜〜もう何十回も読んでるからぜんぶ覚えちゃった。サトリんは本当にかっこいいなぁ〜〜!」


「その憧れが私に向いていないのが悔しい……!」


 歯をくいしばるルノの目の前ではフユナが恋する乙女のように目を輝かせて、ここにはいない『その人』に思いを馳せています。これは悔しいと感じてしまうのも仕方ないかもしれませんね。


「心配しなくてもルノもかっこいいよ。また時間ある時に魔法教えてよ」


「もちろん! あ、良かったら今日やる?」


「ごめんね。今日はサトリちゃんとのお稽古があるの。あ、もう準備しなきゃ!」


「しょぼ〜〜ん……」


 かっこいい姿を見せて――なんて意気込んだ矢先にこれです。どうやら今日のルノはいつも以上にフユナにかまって欲しいみたいですが、それならいい機会ですしフユナのお稽古の様子を見学しに行ってはどうでしょう?


「うん、それはアリかも。フユナ!」


「ルノも一緒に来る?」


「行く行く! フユナ大好き! ちゅちゅちゅ!」


「わぁ!? 準備するんだってば〜〜!」


 ダメと言われてもついて行こうとしていたルノですがこれはラッキーでしたね。そうと決まれば早速準備をしなくてはなりませんよ。


「えっと、お弁当におやつ、あとジュースも持って〜〜♪」


「ピクニックじゃないんだからそんなにいらないよ〜〜?」


「ふっふっ……甘いよフユナ。お弁当やおやつは貴重なエネルギー源。つまりそれだけたくさん特訓ができるようになるわけだよ」


 いつかと似たようなことを言い出しましたね。確かにその通りかもしれませんが、ルノに至っては完全にピクニック気分だと感じてしまうのは気のせいでしょうか?


「よし、こんなものかな。お待たせ、フユナ」


「うん。それじゃあ出発しよ!」


「お〜〜! レッツピクニック!」


「お稽古だってば〜〜!?」


 なんだかんだと言っていますが、フユナも似たような気持ちになってきているのではないですか? その証拠に、その手にある水筒やお菓子などなど……やっぱりその辺はお母さんに似てしまったのでしょうね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 カフェの前でサトリと待ち合わせした後にやって来たのは、ヒュンガルを出てすぐ――山の麓にあるお稽古にはうってつけの広場でした。ここなら道から外れた場所にあるということもあって、思う存分動くことができるでしょう。


「それじゃさっそく始めようか。準備はいいかい、フユナちゃん!」


「はい! よろしくお願いします!」


 いつもの平和な空気を一切感じさせない緊張感。到着して早々、いかにも師匠と弟子といったやり取りを見せつけられたルノは少々びっくりです。


「ちゃんとやってるんだねぇ。フィオちゃんとの手合わせを思い出すな」


 ルノに見守られながら戦うのはフユナとサトリ――二人の双剣使い。先程の本のタイトルからも分かる通り、サトリは腕のたつ双剣使いでもあり、それに惚れ込んだフユナも当然、双剣使いになるわけですね。


「あれから一年でよくぞここまで……才能があったんだね」


 今も目の前で打ち鳴らされるのは双剣の特性を活かした連撃の数々でした。さらに驚くべきはその身のこなし。実戦もかくやという緊張感の中、当たりそうで当たらないギリギリ回避。隙ができれば瞬時に背後を取るスピード。風を彷彿させるその動きは当初のフユナとはもはや別人です。サトリの教えがその身に染み込んでいるのがルノにも分かりました。


「うん。なかなかいいよ! だけど闇雲に手を出すだけじゃだめ! 教えたよね!?」


「決め手となる一撃を! ……撃ち込む!」


「っ! いいね!」


 キィンッと弾ける快音と動きを止めることなく交わされる会話がお稽古の厳しさを物語ります。戦闘中は止まるなと言っているようですらありました。

 そのまま見守ること数分。状況が動いたのはその時です。


「よし、だいぶついてこられるようになったね! 今日はもう一つレベルを上げるよ」


「!?」


 その言葉とサトリの姿が消えたのはほぼ同時。そして間を置かずにフユナ襲ったのは暴風のような凄まじい連撃でした。成長したとはいえ、フユナにとってはそのどれもが脅威。師匠の名は伊達じゃありませんね。


「もっと行くよ!」


「くうっ!?」


 一際大きく鳴り響くのは、徐々に加速していくサトリの攻撃がフユナの双剣を弾いたためです。この辺りになると、フユナはサトリの姿を追うのがやっとになっていました。


「もっと! 反応して!」


「うっ!?」


「もっとっ!! ――いくよ!」


「……っ!?」


 そして。


「最後っ!!!」


「わっ!?」


 キィン! と空高く打ち上げられた双剣。数秒後、地面に落下したのがどちらのものかは……言うまでもありませんね。


「ま、負けました……」


「ん。お疲れ様」


 フユナの肩に置かれた手と、首筋に当てられた双剣。


 サトリの圧勝でした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「うぅ〜〜……!」


 その後、一旦休憩を挟むと言ってルノの元に戻ってきたサトリとフユナ。しかし戻ってくるや否や、己の不甲斐なさに涙を浮かべるフユナはすっかり落ち込んでしまって元気がありません。


「ほら、フユナ。元気出して。美味しいお菓子もあるよ。はい、あ〜〜ん」


「ぐすっ。……あ〜〜ん」


 いつかフユナがルノにやってあげたような光景ですね。こんな時であるにも関わらず、涙ながらに口を開けるフユナが愛おしくてたまらないルノでした。


「それにしてもサトリさんはイジメが過ぎたんじゃないですか? もし悪意があってのことなら私が……」


「いやいや、違うって!? 予想外の成長でわたしも手を抜いてる余裕なんて無かったんだよ。見ててわかったでしょ?」


「見てたからこそ、なんですけどね。実は成長速度が凄まじい弟子に世界の厳しさを教えるために圧勝したんじゃないですか?」


「ぎくっ!? まぁ、遠からずってところかな。まるで自分がそうしてきたような口ぶりだね」


「ふっ。つい最近、フィオちゃんにやったことですから」


「ルノちゃんもなかなかの悪魔だね」


 とはいえ、これも教える立場として悩んだ結果なのでしょう。こういうものは正解が無いだけに難しいところですが、ルノとサトリもその辺を悩みながら頑張っているようですね。


「そんな……まだまだ余裕があるってこと?」


 おやおや。どうやら今の会話をフユナに聞かれてしまったようです。これが吉と出るか凶と出るか。果たして――


「フユナじゃまだまだ足元にも及ばないんだ……もしかして才能無いの……かな……? うえ〜〜ん!」


 残念ながら凶と出てしまったみたいです。サトリが桁外れの実力者なだけであって、フユナの成長速度と現在の実力は並外れているのですが……残念ながら今それを言っても効果は無さそうですね。


「こ、この〜〜! フユナを泣かせましたね!」


「ちょっ!? ルノちゃんが口を割らせたくせに!」


 う〜〜ん……こちらはこちらで妙なことになってきてしまいました。いつもの悪ノリだといいのですが……


「よし、決めた! フユナ。悔しい? サトりんを倒したい?」


「ぐすっ……悔しい……サトりんを倒したい……」


「分かった。じゃあ私がフユナの代わりにサトリさんを討伐するね!」


「………………え?」


 何を言っているのでしょうかこの子は。ですがやはりただの悪ノリみたいですので放っておいても良さそうですね。なによりルノとサトリの対決とは実に興味深い――そんなふうに思ったフユナも目の輝きを取り戻したようです。


「ということです、サトリさん」


「いやいや、全然意味分かんないし! 絶対ルノちゃんがフユナちゃんの仇討ちしたいだけでしょ!」


「もちろんその通りです。フユナを泣かせた罪は重いっ!」


「うわっ、モンペだ! モンペがここにいるよ!?」


「ふんっ。そんな現代風な言葉を使っても誤魔化されませんからね! お覚悟!」


「ええいっ! なら先に一撃入れた方が勝ち! ジュース奢りね! わかったかモンペめっ!」


「いいでしょう! 特大サイズですからね!」


 なんだかとても小さなことで勝負を始めてしまう二人ですが、傍らで見ているフユナは興味津々でした。なにか糸口が掴めるかもといった期待の現れでしょう。図らずも『かっこいい姿を見せる』といるルノの願望が叶いそうですね。


「初手からガッツリ行きますよ! ――煌めく彗星! 【輝氷の射手】!」


 さっそくルノの十八番が出ました。氷を撃ち出すだけの単純な狙撃魔法ですが、だからこそ威力やスピードを極めると一気に化けるものです。これはルノがその身をもって味わった『経験』なので間違いありません。


「ずどん!」


「あまいっ!」


 しかしサトリ負けてはいませんでした。まだまだ力を温存していることを示すように、先程よりもさらなる加速をもって時には地を、時には空を、風の如く舞ってルノの狙撃を不発に終わらせます。


 しかし――


「ずどん! ずどん!」


「むっ! おっと!」


「ずどん! ずどんずどん!」


「くっ! うっ! と、とうっ!」


「ずどん! ずどんずどん! ずどどどどどん!」


「ちょっ!!?」


 ルノが放つ彗星の如き美しい輝氷は底知れぬ加速を見せ、気が付けばそれは流星群を彷彿させる程の怒濤の攻撃となって一方的にサトリを襲っていました。さて、威力の方は?


「ひえっ!?」


 ズドンッ!!! 


 キラリとサトリの目の前を横切った氷弾が数本の大木を貫通し、そのままの勢いで着弾地点にある岩を粉砕しました。フユナはもちろん、サトリですらも顔を真っ青にしてしまうルノの魔法は尋常ではありません。


「ちょっと! 冗談じゃないって!? マジ!? 『倒す』ってマジの方なのっ!?」


「ふふふ。おしゃべりする暇があったら風の鎧でも纏って置いた方がいいですよ。一応……ね?」


「鬼畜!」


 と言いながらも未だ直撃を許さないサトリはさすがの実力。ですが回避に専念していることからも分かる通り攻める余裕は無さそうです。このままお互いに当たらず攻められずでは戦況が改善しそうにありませんがルノはどうするつもりなのでしょうか?


「見ててごらんフユナ。サトリさんみたいに速い人はね、まずは動きを止めるの。方法はいくつかあるけど基本は脚を狙うこと。いくよ」


 次の瞬間。ルノの周辺に複数の氷杖が現れました。


「はい、君達は狙撃を続けてね」


「こらそこ! 自分で戦え〜〜!?」


 杖達に狙撃を任せることでルノは晴れて自由になりました。この状態なら隙をついて『決め手となる一撃』を放てば勝てそうな気もしますが……?


「そんなの生ぬるい! ここはフユナのために完全なる勝利を! 終わりです、サトリさん!」


 未だ狙撃の雨に晒されているサトリは氷弾を躱すのに忙しくて動きがかなり制限されています。このチャンスを逃すほどルノは甘くありませんでした。次の瞬間――


「迫る終焉、氷の牙! 全てを穿て! 【怪狼・フェンリル】!」


「!?」


 紡がれたのは周囲を凍てつかせるほどの膨大な魔力が込められた詠唱。


 瞬間。轟音を引き連れて地面から現れたのは、獣の牙を彷彿させる鋭い氷の数々。周囲の木々よりも高く聳え立つその数は十本、二十本、三十本と次々に増えていき、ただでさえ逃げ道の無かったサトリは氷の牙に全方向を囲まれて完全に逃げ道が絶たれてしまいました。


「ちょっと何これ!? こら〜〜!!」


「動揺してる動揺してる……!」


 サトリの声がずいぶんと遠くから聞こえてくるように感じますが、それは氷の牢獄に閉じ込められているが故にです。これでほぼ勝ちは決まりましたね。


「だけどこれで油断する程愚かではないですからね。あとはちょこっと穴を開けて……と」


 ルノが氷に手を当てると、バキンという音と共に中を覗ける程度の穴が開きました。


「あ、こんにちは」


「んなっ!? 早くここから出しなさい!」


「それを成し得るなら自分の力でですよ? ふふふ……!」


「きぃぃぃ!? 絶対に破ってやる!」


 とは言ったものの、それが叶わないから今も閉じ込められているわけで。今に至るまでの数分間。幾度となく双剣による連撃や、特大の風魔法をぶつけてみたサトリですが強固な氷の前では全てが無力でした。ルノの不気味な笑顔の理由が分かりますね。


「さぁ、仕上げですよ。ヒュウ〜〜!」


 これこそまさに鬼畜の所業。たった一つの穴から注ぎ込まれた強烈な冷気がサトリの身体を容赦なく凍えさせました。これはたまりませんね。


「ひぃ〜〜!? 寒い寒い!? こら、やめなさい!」


「じゃあ負けを認めますか?」


「ふ、ふんだ! まだ一撃ももらってな――」


「ヒュウ〜〜!」


「ひゃあああ!? 分かった! 降参! わたしの負け!!」


「よしっ!」


 いまいち緊張感に欠ける勝利でしたがこれも実力ということでしょう。結局ルノは氷の牢獄へと歩み寄った数歩分しか動くことなく勝ってしまいました。果たしてフユナの目にはどう映ったのでしょうか?


「勝ったよ、フユナ! やったね!」


「う〜〜ん……」


 勝利のピースを贈るルノですが、肝心のフユナの表情は晴れません。あまり参考にならなかったのでしょうか?


「うん。だってフユナはあんなに規格外の魔法使えないもん」


「あら……」


 つまり今回の戦いは、ただルノとサトリがジュースを賭けて勝負した、というだけのことになってしまいました。犠牲になったサトリが一気に可哀想に思えてきましたね。


「でもね」


「……!」


 フユナがニコリと笑ったのは今日一番のご褒美でした。どういった心境の変化なのかはその目の輝きを見れば明らかでしょう。


「やっぱりね、ルノはすごいなぁって思ったの。サトリちゃんを簡単に倒しちゃうし……それにフユナのために行動してくれたのがとっても嬉しかったよ!」


「あは……改めて言われると照れちゃうな。でもフユナが喜んでくれたならサトリさんを討伐したかいがあったよ。少なくとも『絶対に勝てない相手』じゃないことは分かってもらえたなら嬉しいな」


「うん! これからも諦めずに上を目指して頑張るね!」


「その意気だ! 応援してるよ」


 こうして、フユナのお稽古の見学は予想以上の収穫と共に終わりを告げました。きっとこの調子なら近いうちに必ず同じステージまで上がってきてくれると、そんな期待を抱いてしまうルノでしたとさ。






「お、お〜〜い……そろそろ本当に助けて〜〜!? ガクガク……!」


「あ、忘れてた。てへ」


「もう、ルノってば〜〜! あはは!」


 めでたしめでたし。






☆第7話 〜〜 食の宝庫? スライムの島 〜〜


 

「ぽけ〜〜……」


 自宅のすぐ横に聳え立つ巨大なロッキの樹。そのてっぺんに造られたテラス付きのツリーハウスでは、今日も今日とてルノがぽけ〜〜っと空の一点を見つめながらスローライフを送っていました。数日前のサトリとの激闘の反動が今になってやって来たようです。


「ルノ。あなたは朝からずっとそうしてますが何をしているんですか?」


「ん〜〜?」


 その姿を見て疑問を投げかけてきたのは、ツリーハウスの屋根に止まっている白銀の翼が美しい大鷲のスフレベルグでした。怪狼のグロッタと同じく、そのサイズは不意に出会ってしまったら腰を抜かしてしまうような規格外の大きさ。ルノやフユナはもちろん、ヒュンガルのみんなもとっくに慣れてしまいましたけどね。


「ふふ、ご覧の通りだよ。『何もしない』という時間を平気で過ごす。これがスローライフを送る上でもっとも大切なことなのさ」


「なるほど。つまり無駄に時間を浪費しているだけということですね」


 ズバリその通りですね。痛いところを突かれてしまいましたが、ルノは身体を起こすどころか顔だけをずらして言葉を返すのみ。スローライフ好きを公言するだけはあるようです。


「でもさ、スフレベルグも私がここに来てからずっとそこにいるでしょ? やった〜〜仲間だね」


「ワタシはただの食休みですよ」


「ふ〜〜ん? もしかして今日も巨大なイモムシ食べてたの?」


 思い出すだけでもゾッとするのはスフレベルグの食事風景でした。イモムシの踊り食いと言っても過言ではないそれを初めて目撃した時は、つい目を逸らしてしまったものです。


「あれだけは未だに慣れないからなぁ。まぁ、慣れる日は来ないと思うけど……」


「残念ながら今日は違う食事でしたよ。ワタシもイモムシばかりでは飽きてしまいますからね」


「へぇ、珍しいね。今日は何食べたの? ラーメンとか? あはは」


「惜しいですね。スパゲティです」


「スパゲティかぁ。シャレオツなもの食べてるじゃない」


「そうでしょう? ちなみにトマト味でした」


「お、ナポリタンみたいな感じだね。 ……で、本当は何食べたの?」


「いきなりですね。このワタシを疑うのですか?」


「いや、だってさ……トマト味のスパゲティでしょ? 百歩譲ってトマトまではいいとして、それでイモムシを煮込んでもスパゲティにはならないよ?」


「バカにしてるのですか。と言いたいところですけどそれは良いかもしれませんね。今度ぜひ作ってください」


「私が!? ムリムリ!?」


 考えただけでもブワッと立つ鳥肌。それはさておき、どうやらスフレベルグもスパゲティはいかなる料理かは理解している様子です。そうなると余計に謎が深まるばかりですが――


「ウソはついてない……か。クチバシにトマトソース付いてるもんね」


「おや、これは失礼」


 どこからともなくおしぼりを取り出すと、口を拭き始めるスフレベルグ。器用なものです。


「そうだ。どうせルノも暇でしょう? せっかくなのでこの後、フユナとグロッタも呼んで遊びに行きましょう」


「お、それいいね。どこ行くの?」


 スフレベルグから遊びのお誘いとは珍しい。ぽけ〜〜っと過ごすルノのだらけぶりを見かねてのことでしょうか? なんにしても家族でお出かけとは心躍る提案ですね。


「ついでにワタシがスパゲティを食べたということも証明してあげましょう。行先はなんと……」


「ゴクッ!」


「スライムの島です」


「へ……?」


 名前からしてスライムばかりの島だということは容易に想像でます。しかしスパゲティを食べた証明となると少々疑問が残ってしまいますね。レストランでもあるなら話は別ですが……とにかく今はスフレベルグを信じてついて行くのが一番でしょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 その後、すぐに支度を済ませたルノ達はスフレベルグの背中に乗って空の旅を楽しんでいる最中です。ちなみに、大きすぎるグロッタはルノの魔法で小型犬程の大きさになってフユナに抱えられています。


「出発してからもうすぐ三十分くらいか。そろそろだっけ?」


「あそこじゃないかな。ほら、まん丸の島が見えてきたよ!」


「正解です。ルノ、フユナ。降りますのでしっかり捕まっていてください。グロッタは特に気を付けてくださいね。それっ」


「ぎゃあああ!?」


 今さらですがグロッタは高い所が大の苦手。高度が変わる時のフワッとする感じが特に苦手なんだとか。怪狼と言っても可愛いところもありますね。


「はい、到着です。グロッタも元の大きさになって大丈夫ですよ」


「うおぉぉぉ!」


 地上に降り立ったグロッタがいつもの調子を取り戻すと、メキメキッという音と共に元の大きさに戻っていきます。力を解放していくその様子はとてつもない力の証明。ものすごい迫力です。


「はいはい、私が魔法で戻してるだけね」


「ゲラゲラ!」


 つまりはそういうことでした。グロッタはとんだおふざけキャラなんですね。


「さて……ここがスライムの島か。最初はネタかと思ったけど本当にあったんだね。見た感じは普通だけど」


 そうなのです。目の前に広がる景色は島だということを除けばあとは自然豊かというだけで特に変わったところはありません。ヒュンガル周辺の山々と似たような感じでしょうか。


「この島の特色は景色よりも生息するスライムの数ですからね。少し進めば面白くなりますよ」


「ふむふむ。ならここからは前進あるのみだね。んじゃ、レッツゴー!」


「お〜〜!」


 未知のスライムに出会えると知ってルノやフユナ、そしてグロッタのテンションも一気に上がります。これは思ってた以上に楽しめそうな予感がしますね。


 そんな時です。


「あっ、見て見て。なんか気持ち悪いのがいるよ!?」


 森の中に入るや否や見たことも無い生き物に出会いました。フユナにしては珍しい表現ですが、視線の先にいるのは言葉通りの物体。具体的に言うならば、それはイボイボが全身を埋め尽くしている、絶対に触りたくない球体でした。


「あれは『イボスライム』ですね。ここでは割とポピュラーなスライムです」


「知りたくない情報だったなそれ。それだけ沢山いるってことだもんね。鳥肌立ってきたよ……」


「ど、どうする? 道の真ん中で通せんぼしてるよ……?」


 スライムのくせに。と言ったら失礼かもしれませんが、あのイボスライムの顔は「通れるものなら通ってみな」と言っているかのようでした。これは思わぬ強敵かもしれませんね。


「ふっふっふっ。ここはわたくしにお任せください。ガウッ!」


 少々引き気味のルノとフユナに代わって自信満々で飛び出して行ったのはグロッタでした。フェンリルに相応しい加速をもって一気に距離を詰めるとそのままバクリ。身の毛もよだつイボスライムを捕食してしまいました。さすがはルノ家の番犬ですね。


「ふん。大したことありませんでしたな! (ムシャムシャ)」


「う〜〜ん。さすがというか、好き嫌いが無いってのがある意味最強だよね。またイボスライムが出たよろしく頼むよ」


 とは言ったものの、本心としてはイモムシの捕食ほどではないにしても見たくない。というのが正直な気持ちでしょうね。今後は現れないことを祈るばかりです。


「これくらいで驚いてたらこの先に進めませんよ。中には羽が生えてたり、虫と区別がつかないようなスライムもいますからね」


「へぇ。例えばそんなやつ?」


「???」


 そんなやつ。そう言って指差すのはちょうど今スフレベルグのクチバシに舞い降りた物体。話の流れ的にはこれもスライムなのでしょうが本当に虫にそっくりですね。


「おや、これはなかなかのレアですね。強烈な臭いが特徴の『カメムシスライム』です」


「なるほど。フユナ、向こうに行こうか」


「そ、そうだね。うっ……!」


「ぐおっ!? 臭いぞスフレベルグ!」


 徐々に広がる臭いは『強烈な臭い』などという表現では生ぬるいものでした。痛みを感じるほどのそれは『毒』と言っても過言ではない威力を秘めているようですがスフレベルグは大丈夫でしょうか?


「ぎゃあ! 臭いが直接!? オエ! オエ〜〜!」


 やはりこうなりますよね。臭いによるダメージは大鷲も怪狼も、もちろん人間にも共通。ある意味万能な力です。


「ねぇ、ルノ。助けてあげた方がいいんじゃない? 転げ回っちゃってるよ」


「おかげでここまで臭いが飛び散ってくるようですな」


「まずいね。こうなったらカメムシスライムを氷漬けにして臭いごと封印しよう。狙撃してもいいけど万が一にでも体液とかが飛び散ってきたら地獄だからね」


 ナイスアイディアと言いたいところですが、それだと自らカメムシスライムに近付かなければなりません。それまでルノの鼻が耐えられるかが問題ですね。


「ルノ、大丈夫〜〜?」


「平気平気。少し息を止めればあれくらい……うっ!?」


「どうやら呼吸を止めても臭いが貫通してくるようですな」


 現時点でのルノの位置はスフレベルグと約十メートルの距離を置いた辺り。だというのに吐き気を催す様子から察するに、直接引っ付かれているスフレベルグは相当な臭さを体感しているということになりますね。ご愁傷さまです。


「ほら、助けに来たからじっとして……おえ!」


「はやく! はやく! オエ!」


「うぅ〜〜……おりゃ!」


 ピキン! ルノが身を呈しただけあって、猛烈な臭いを放つカメムシスライムは見事に氷漬けになりました。これでやっと臭いから解放される――そんな風にこの場の全員が安堵の表情を浮かべたその時です。


「良かった……って……? うえっ!? だめだ、残り香が! 残り香がまだ!?」


 一難去ってまた一難とはまさにこのこと。結局最後は、偶然通りかかったコウスイスライムを全身に擦り付けて事なきを得ましたとさ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 その後もイボスライムやらカメムシスライム、もちろん火や水といった普通のスライムなど、スライムの島に相応しい出会いを繰り返した後に到着したのが森の中にポッカリと空いた拓けた空間でした。中央には花が咲き誇る綺麗な泉、周りには緑の芝生に広がっており、この場にいるスライム達からも敵意を感じることは無く、心做しか平和な雰囲気が伝わってきます。


「いい場所だね。こんなことならお弁当でも持ってくれば良かったよ」


「気に入ってくれたなら何よりです。そして安心してください。ちゃんとご飯はありますからここでお昼にしましょう」


「そういえばスパゲティの証明とか言ってたけどレストランでもあるの?」


「ある意味ここがレストランですね」


「いや、全然意味が分かんないけど……?」


 頭の中を埋め尽くす疑問符。とりあえず何かの情報を得ようという考えに至ったルノは、いくらか視線を彷徨わせた後に妙な光景を目の当たりにしました。

 

「あっ、このハンバーグおいし〜〜!」


「このギュウステーキもなかなか!」


 これはどういうことでしょうか? 少し目を離した隙にフユナとグロッタが泉のすぐ横で仲良く食事を始めていました。ハンバーグにステーキなど、そのどれもが出来たての湯気をたち登らせルノの食欲を刺激しています。


 「え、なに? お弁当持って来てたの? 私にも分けて!」


 ご馳走に匂いに誘われるがままにルノはフユナ達の元へ駆け寄りました。スフレベルグも一足先に合流して食事を始めているようです。


「じゃあルノは何が食べたい?」


「そんなに色々あるの? えっとね、ハムとレタスとタマゴのサンドイッチがいいなぁ」


「は〜〜い。どうぞ!」


「うそ!?」


 さすがにそこまでピンポイントなものは無いだろうと思っての冗談でルノは言ったのですが、フユナから手渡されたそれは紛れもなくハムとレタスとタマゴのサンドイッチでした。肉厚なハムにみずみずしい新鮮なレタス、そしてほんのり温かいタマゴ――なかなかに手の込んだ逸品のようです。


「なになに? 今日は私に御奉仕する日とかそんな感じなのかな? いただきま〜〜す!」


 ピクニックの定番サンドイッチ。ルノの手が止まらないところから察するに、味も文句無し。これならむしろ毎日ピクニックでもいいなとこの場の全員が思ったほどです。


「うんうん。良い景色なのを差し引いてもすっごく美味しい! フユナも料理の腕を上げたねぇ」


「くすくす!」


「ゲラゲラ!」


「???」


 素直な感想を述べただけで何故か笑われてしまいました。特にボケたつもりはなかったルノはまったく状況についていけていません。


「まぁいっか。そうだ、スフレベルグ。今朝言ってたスパゲティはないの? 私、すごい楽しみだったんだけど」


「そう言うと思って捕まえておきましたよ。どうぞ」


 スッと差し出されたのは真紅のトマトソースがかかったスパゲティ。今朝のスフレベルグの言葉が嘘ではなかったと証明された瞬間でした。


「捕まえて……? あはは。面白い表現をするねスフレベルグは。ありがたくいただくね」


「フフ、ごゆっくりどうぞ」


 こうして、ルノは言えば言うだけ出てくる食事を心ゆくまで堪能しました。サンドイッチ、ステーキ、ハンバーグにロールケーキなどなど。太ってしまわないか心配になってしまいますが、それ以上に気になる事がありました。それは――


「こっそり持ってきたお弁当にしてはずいぶん沢山ある……よね……?」


 チラリと横を見れば今もギュウステーキやらブタカクニをガツガツと食べるグロッタの姿が見受けられます。あの勢いで食べても未だに無くならない『お弁当』とはどう考えても不自然ですね。


「ではそろそろ真実を教えてあげましょう」


 ルノの怪訝な表情に気付いてズイッっと前に出てきたのはスフレベルグでした。やはり何か秘密があったみたいですね。


「ですがその前に。今一度、何が食べたいか言ってみてください」


「ん〜〜じゃあデザートがいいね。チーズケーキと、あとジュースも欲しいな」


「分かりました。フユナ、グロッタ。急いで探してください」


「任せて〜〜!」


「すぐに見つけて――むむっ、さっそく『チーズケーキスライム』発見!」


「あっ『ジューススライム』も。案外近くにいたね!」


 次々と用意されていくデザート達。しかし今のルノの頭の中は別のことで支配されていました。


「ねぇ。スライムって言ったよね? 言っちゃったよね君達……?」


「フフ、そうですね。ちなみにルノが楽しみにしていたそれは『ナポリタンスライム』ですよ」


「……」


 聞き間違い……では無さそうです。つまりさっきまで美味しいと言って食べたのはスライム。デザートとして出されたこれらもスライム。ピョンピョンと跳ね回るそれらを捕獲する家族達を見てしまった身としてはもう受け入れるしかないようですね。


「はぁ……そういうことね。でもなんでだろう。割とすんなり受け入れられた気がする」


「それは当然ですよ。美味しい食事はいつでも幸せを運んできてくれるものですから」


「う〜〜む……認めたくないけど良いお言葉。スフレベルグのおかげで一つ賢くなった気がするよ」


「そうでしょう? 家でのんびりスローライフもいいですが、これからはもっといろんな所へ行きましょうね」


「ははっ、だね」


 こうして予想外の食べ放題『スライムバイキング』は美味という幸福を一家にもたらしました。スライムで満腹になったと考えると少々複雑ですが、この場にいる全員の笑顔を見れば間違いではなかったということは言うまでもないことでしょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 こうして満腹になったルノ達は、食休みのために泉のすぐ横で寝転がったりおしゃべりしたりなど、各々のんびりと過ごしていました。


「てかさ、この島って食事がスライムなことを除けば天国じゃない? ここに引っ越そうかなぁ」


「残念ながらそれはだめですよ。ここは人の手が入っていないからこそ、これだけの楽園が維持されているのですから。それにあなた、ヒュンガルのみんなを捨てることなんてできないでしょう? サトリやフィオが泣きますよ」


「あはは。かもしれないね」


 どうやら全て見透かされているみたいですね。ではこの辺りで楽しいピクニックも終わりです。


「んじゃ、名残惜しいけどそろそろ帰るとしようか。また今度みんなで来ようね」


「ええ、そうしましょう」


「それじゃあみんな帰る準備して。……ん?」


 楽しい思い出を胸にしまってこの場をあとにしようとしたまさにその時。ルノが目の色を変えたのには理由がありました。


「まさかあれは――コンゴウセキスライム!?」


 突如、森の奥からやって来たのは驚くべき激レアスライム――全身が最高峰の硬さと美しさを誇るコンゴウセキスライムでした。その身はあらゆる魔法を反射し、捕まえることができればとんでもない額のお金で換金出来るのはもちろん、飾っておくだけでもその美しさに癒されるのは有名な話です。これはすぐにでも捕獲しようと考えたルノですが――


「なんか追い回されてるね」


「あれは忌まわしきカメムシスライム……!?」


 ルノとスフレベルグが見守る中、今もカメムシスライムに追い回されてるコンゴウセキスライムが「コロコロ〜〜!?」と逃げ惑っています。最高峰の硬さを持ってしても臭いまでは防げないようですね。


「ルノ。あの忌まわしき存在を撲滅しましょう。そしてついでにコンゴウセキスライムを助けてあげてください」


「私もだけど特にスフレベルグはカメムシスライムがトラウマになってるね」


 思い出されるのは鼻を引き裂くような強烈な臭い。同じ苦しみを味わっているのなら経験者としてぜひ助けてあげたいところですね。


「ま、今回はさっきと違って距離があるから狙撃でオッケー。残骸がついちゃったらごめんね。――ずどん!」


 グシャ! 発射とほぼ同時に命中した氷弾がカメムシスライムを絶命させました。ルノ達はもちろん、コンゴウセキスライムも弾け飛んだ臭いからは無事に逃げ切れたみたいですね。


「よし。あとはコンゴウセキスライムを捕獲して」


「コロコロ〜〜♪」


「え、あれ?」


 なんということでしょう。助けられたことを理解しているのか、コンゴウセキスライムが感謝を示すようにルノのところまでコロコロと転がってきました。


「なになに? もしかして私に懐いちゃったの? 君を売り飛ばして一攫千金を狙う悪い人かもしれないよ?」


「コロコロ〜〜♪」


「あらら……だめだこりゃ。どうしようか?」


「連れていってはどうです? たぶんこのコンゴウセキスライムは一生ルノについてくると思いますよ」


「だよねぇ」


 お金目的で助けただけに少々の罪悪感が芽生えてしまったルノでしたがもう後には引けません。こんなに可愛らしいコンゴウセキスライムを放置して行くなんてできませんよね?


「これも何かの縁だよね。ほら、おいで」


「コロコロ〜〜! コロリン♪」


 観念したルノがスッと手を差し伸べると、コロコロと転がったコンゴウセキスライムが手の上に乗りました。この時になるとルノもすっかりその愛らしさに魅了されていたのは仕方の無いことでしょう。


「じゃあ行くよ、コロリン」


「なんです? その『コロリン』というのは?」


「この子の名前だよ。見ててね?」


 そう言うとルノは再びコンゴウセキスライムを地面に降ろして改めて手を差し伸べます。すると――


「コロコロ〜〜! コロリン♪」


「ほらね? この子の名前はコロリンしかないでしょ?」


「なるほど。フユナといいコロリンといい、ルノはスライムたらしですね」


「もぉ、人聞き悪いこと言わないでよね。私の愛は家族みんなに平等だよ」


 ふんっと誇らしい表情で言い放つルノですが、この言葉に嘘はありません。なにせフユナ、グロッタ、スフレベルグの全員がルノに助けられて家族になったのですから。


「てことで今度こそ本当に帰ろうか。ね、コロリ〜〜ン♪」


「コロリ〜〜ン♪」


「くっ、やっぱりかわいい……!」


「「「……」」」


 そのメロメロっぷりを見つめる家族達は呆れ返る一方。しかしルノはそんなの知ったことかとばかりに、自宅に着くその時までコロリンと仲睦まじいお戯れを繰り返すのでした。先程の『愛は平等』という言葉はどこへやら。今日くらいは大目に見てあげるとしましょうか。






☆第8話 〜〜 新生コロリン 〜〜



 スライムの島へ遊びに行った日の翌日のことです。


「ふぁ〜〜あ……よく寝た……」


 珍しくフユナよりも早く起床したルノは、疲れを感じさせない足取りでリビングへとやって来ると、コーヒー片手に優雅に読書でもしようなどと考えていました。スフレベルグの言葉のおかげかは分かりませんが昨日のぐーたら生活よりは活動的になりましたね。


「どうせならフユナも起こしてイチャコラすれば良かったかなぁ〜〜なんて。さて、コーヒーコーヒー……っと」


 おやおや。まだ寝ぼけているのでしょうか? 欲望がそのまま言葉となって出てきてしまってますよ。


「お湯お湯〜〜♪ お湯お湯〜〜♪ ……ん?」


 機嫌良く鼻歌を歌っているところに割り込んできたのは何かがコロコロと転がる音でした。徐々に近付いてくるそれは、スライムの島で懐いてしまったコンゴウセキスライムのコロリンで間違いないでしょう。


「どこ? コロコロ聞こえるのに姿が見えないな。お〜〜い、コロコロしてないで出ておいで〜〜」


「コロコロ〜〜♪」


「お、来たね」


 どうやらテーブルの下に潜んでいたようですね。名前を呼ばれて飛び出してくるとはなかなかお利口さんです。


「おはようコロリン。今日もコロコロしててかわい……ちょ、ちょっと? わ、うわっ!?」


 ガシャン! チョロチョロと足下を転がるコロリンを踏んずけてルノがずっこけてしまったのは偶然か必然か……残念ながら必然でした。何故なら「してやったり!」とばかりにコロリンが逃亡してますから。


「こ、こら〜〜! またこの子はイタズラして!?」


「コロコロ〜〜♪」


 手慣れていると言ったら変ですが、実はこのやり取りは昨晩もありました。コロリンはまさかのイタズラっ子だったのです。


「いたた……まったくもう。最初は癒し系の子かと思ってたのに」


「ルノ? 大丈夫〜〜?」


「あぁ、おはようフユナ。ちょっと転んだけど怪我もしてないから大丈夫だよ」


 先程の音を聞きつけてフユナが起きてきたようです。愛娘の気遣いに癒されるルノは一気に元気が出ました。コロリンが物陰で目を光らせてるとも知らずに。


「なら良かった。すごい音したから心配したよ〜〜」


「あっ!? 待ってフユナ! ストップ!?」


「え? うわぁ!?」


 ガシャン! 本日二人目の犠牲者が出てしまいました。しかしこれはコロリンの失敗でした。自分よりもフユナ。そんな性格のルノを目の前にしてこのイタズラをしてしまったのですから。


「いた〜〜い!?」


「こ、この〜〜! フユナを泣かせた罪は重いぞっ!」


「コロコロ!?」


 さすがに身の危険を感じたのか、ピュ〜〜っと必死に逃げ回るコロリン。そしていつか聞いたようなセリフを吐きながら追いかけるルノ。結論から言うと、硬すぎるコンゴウセキスライムにはお仕置きも無意味に終わってしまったのですけどね。


「捕まえた! イタズラする子にはお尻ペンペンだよ! ……硬〜〜い!?」


「コロコロ〜〜♪」


 今日も今日とて氷の魔女の家はとても賑やか。いつまでもこんな生活が続けば、なんて思ってしまうような微笑ましい一日の始まりでした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 フユナと共に朝ご飯を食べた終えたルノはとある目的のために庭のすぐ横にある草原へとやって来ました。


「でもその前に。いい天気だしちょっとゆっくりしようっと!」


 草原のど真ん中に辿り着くや否や、大の字で寝っ転がり空を仰ぐルノ。そこへ――


「何をしているのですかな!」


「うわっ!?」


 突然、視界に紛れ込んできたのは鋭い牙が見え隠れする巨大な大顎――怪狼のグロッタでした。


「びっくりさせないでよ……なに? 暇を持て余してるの?」


「ははっ! ルノ様と同じく!」


「べ、別に私は暇を持て余してるわけじゃないしっ!? ちょっと休憩してただけだしっ!?」


「ゲラゲラ!」


 慌てて言い繕ってみたものの、やはりルノの生活を知っている家族達には通用しないみたいですね。早く本題に移った方がよろしいのでは?


「もうちょっとゆっくりしたかったけど仕方ない。せっかくだからグロッタも見ていきなよ」


「ふむ。一体何をするつもりで?」


「それはね。じゃ〜〜ん! こちらです!」


「コロ?」


 一緒についてきてその辺をコロコロと転がり回っていたコロリンがヒョイと持ちあげられて目の前に置かれました。ルノとグロッタの二人に見つめられるコロリンは少々戸惑っている様子です。


「なるほど。ついに換金する時が来ましたな!」


「なんでそうなるの! そうじゃなくて今日はこの子を人間にしてみようと思うのだよ。フユナみたいにね」


 それはつまり、コロリンに魔法陣を描き込み『人間化』の能力を付与するということ。フユナとの思い出が蘇ってくるようですね。


「まぁでも今日はお試しだからね。ちょちょいと魔法をかけてみようってところだね」


「なるほど。フユナ様の例があるので期待できますな!」


「でしょ? んじゃ早速試してみようか。準備はいいかい、コロリン?」


「コロコロ!」


 コロリンにもしっかり意図は伝わっていたみたいで「ドンと来い」と合図を送ってきます。


「それじゃいかせてもらいます! それっ!」


「ぎゃあああ!?」


「へ?」


 ルノの指先から放たれた魔法は一直線にコロリンの元へ向かいそのまま直撃――と思ったその瞬間。魔法が意思を持ったかのように急激に方向を変え、あろう事かグロッタに直撃してしまいました。


「忘れてた! コンゴウセキスライムって魔法反射の能力があるんだ! グロッタ大丈夫!?」


 なにはともあれ、優先すべきは家族の身の安全です。類まれな強さを誇るフェンリルですが、放った方は放った方でこちらは凄腕の魔女。ことが深刻なら回復魔法を使う必要も出てきますが……


「ゲホゲホッ!? ご安心を! この程度でやられる程フェンリルはヤワではございません!」


「良かったぁ。……え?」


「ん?」


 煙が晴れた視線の先。そのにいたのは白銀の髪をなびかせた一人の人間。一瞬だけ夢かもと勘違いしたルノでしたが、ほっぺたをつねれば痛いし、草原に広がる草木の香りも健在です。そして先程までいたはずのグロッタがいないことを踏まえると導き出される答えは一つしかありませんね。


「いやいや、それはさすがにない。ねぇ、君だれ?」


「急になんのボケですかな?」


「一応聞くね。……もしかしてグロッタ?」


「当たり前ですぞ!」


「ひぇ……」


 認めるに認められない現実ですがその口調は確かにグロッタのものでした。


「あのね、グロッタ。これから見る自分の姿にびっくりしないでね。不可能だけど」


「???」


「百聞は一見にしかず。はい!」


「んなっ!?」


 ルノが生み出したのは全身を見ることができる氷製の巨大な鏡でした。そしてそこに映し出されているのは紛れもない美少女。フユナと並んで立てばそれはもう百合百合しい絵になることでしょう。グロッタもたまらず――


「か、かわいい!?」


「そう。その通りだよグロッタ。残念ながらね」


「なぜ残念なのです?」


「いや、だってさ。……え、グロッタって雄でしょ? 男の子だよね?」


「よく分かりませんがグロッタはグロッタですぞ!」


「うわ、はぐらかされてる感が半端ないけど……まぁいいや。とりあえず元に戻すね」


「なぜです!? もったいない!」


「うぐっ、否定できない。けどなんて言うのかな、グロッタがフユナレベルの美少女ってなんか嫌だから……かな」


「ひどいっ!? 私を消さないでっ!」


「グロッタはそんなこと言わないっ! じゃあね!」


「ぎゃあああ!?」


 とんだ茶番でしたが、過去最高のクオリティだったことは間違いありませんね。もし家族がグロッタだけだったらルノもそのままだったことでしょう。


「ふぅ、びっくりしたよ。でもこうなると普通に魔法を放ってもだめってことか。魔法陣を直接描き込めばいけるかな?」


「試してみる価値はありますな!」


「おぉ、なんだかものすごい安心感。おかえりグロッタ」


 場も落ち着いたところで再挑戦です。


「うん、うん……いけるみたい。あとはほいほいほいっと。これで完成! よし、さっそく発動させてみるね」


「ドキドキ!」


 合図と共に魔法陣が光り輝き始めたのは成功の証。はたしてコロリンはどのような姿に変身するのでしょうか。先程の例がありますから期待は膨らむ一方です。


「「ぎゃあああ!?」」


 数秒後。草原に響き渡る悲鳴はルノとグロッタのもの。しかしそれは誰もが納得してしまうものでした。何故ならそこにいたのは人間化したグロッタ以上――ルノが溺愛してやまないフユナと同レベルの美少女がいたのですから。



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 見た目年齢はフユナと同じく十五歳くらい。腰以上に伸びる白い髪はコンゴウセキの輝きを彷彿させるように所々が光の反射によって虹色に光り輝いています。一言で言ってしまえば美少女でした。


「なんなの。君達はもれなく美少女に変化する才能でもあるの? 許せない……」


「そんなに卑屈にならずともルノ様だって美少女ですぞ! ゲラゲラ!」


「ありがとね、グロッタ。……泣きたくなってきた」


 おやおや。グロッタも本音を言っただけなのですが今のルノには届いていないみたいです。今のコロリンを目の前にしてしまえば仕方の無いことかもしれませんね。


「それよりもコロリンだ! ねぇ、あなたはコロリンで合ってるよね?」


 ここでようやくコロリンに意識を集中させることに成功しました。人間として話すのは初めてのことなので緊張しますね。


「そうですよ。私はコロリンです」


「おぉ!」


 やはりしっかり言葉でやり取りするのはいいものですね。家族としての絆がさらに深まったと言ってもいい瞬間です。


「えっと、何から話したらいいのかな。自己紹介はいるかな?」


「いえ、その必要はありません。ルノにグロッタ。それとフユナとスフレベルグ。みんな知ってますよ」


「おぉ。話が早くて助かるよ。というか人間になったことにあまり驚いてないんだね?」


「フユナの例がありましたからね。いずれこうなるんじゃないかと」


 どうやら、コロリンはなかなか賢い子のようです。いろんな手間が省けて助かりますね。


「ふむ。それじゃ一応、家に戻ったらその時に改めてみんなに紹介しようか。よいしょっと」


「……? まだここで何かするんですか?」


「さっきはのんびりしそびれちゃったからね。美少女ドッキリ二連発で疲れちゃったから少しお昼寝する」


「まだお昼にもなってないのに……」


「いいのいいの。ほら、コロリンも一緒にゴロゴロしよ。いや、コロコロかな?」


「相変わらずですねあなたは。それじゃせっかくなので遠慮なく。コロコロ〜〜!」


「あ、待って。行っちゃった……」


 人間になってもその移動力は現在のコロリン。しかし女の子が草原をコロコロ転がるとは、ずいぶんとおてんばですね。


「まぁ、元気に越したことはないか。……おやすみ」


 糸の切れた人形のようにパタンと大の字で仰向けになったルノは、改めてお昼寝をするべく瞼を閉じました。寝ることに関してはピカイチですが、そんな彼女だからこそ迫り来る悲劇には気付けませんでした。


「――――コロ〜〜!」


「すや〜〜……」


「――ロコロ〜〜!」


「ん〜〜……?」


「コロコロ〜〜!」


「うぎゃ!?」


 ドカン! 平和であるはずの草原でものすごい音が響きました。お昼寝中の無防備なルノに草原をコロコロしていたコロリンが激突したのです。しかも今回は人間の姿なのでダメージも比較になりませんね。


「こ、こら! 人が気持ちよく寝てるのになんでぶつかってくるの!?」


「偶然ですよ。まだ人間の身体でコロコロするのは慣れてなくて。もう少し練習しますね」


「ちょ……ぐえぇ……!?」


 再びコロコロし始めたコロリンはそのままルノを轢いて行ってしまいました。可憐な見た目に騙されていましたが、あくまでもあの子はイタズラ好きのコロリンなんですよ。


「こら〜〜ちょっと戻って来なさい!」


「なんですか? コロコロ〜〜!」


「甘いっ!」


「わぶっ!?」


 ルノはさらなる突撃を予想していたようにコロリンの顔面をサンドイッチして受け止めました。呼んで来るのはお利口ですが、それがイタズラ目的なのはいただけませんね。


「まったく。誰これ構わず突撃しないの。それにあっちにもこっちにも草を付けちゃって……コロコロするならスライムモードの方がいいんじゃないの?」


「一理ありますね。ではさっそく――ボンッ!」


 早くも魔法陣の特性を上手く使いこなしているコロリンですが、今度は遠くには行かずにルノの足元をコロコロし始めました。やろうとしていることはなんとなく予想できますね。


「コロコロ〜〜♪ コロコロ〜〜♪」


「こ、こら!? そういう意味じゃない! 危ないでしょうが! ちょ、こら! いいかげんに――うわっ!?」


 今朝の出来事を再現するかのような見事な転倒をかますルノ。コロリンはこの手のイタズラにずいぶんと慣れているみたいですね。


「もう怒った! 今回こそはしっかりお仕置きするからね! ずどん!」


「ピキ〜〜ン! (反射)」


「ぎゃあああ!?」


 なんということでしょうか。ルノが放った裁きの氷弾が見事に跳ね返されてお昼寝中のグロッタに直撃してしまいました。元々の硬さといい、魔法反射といい、これは厄介ですね。


「くっ、これはサトリさんよりも強敵の匂いがするぞ。どうするかな……」


「ご安心ください。良い方法がありますぞ!」


「おぉ、よくぞご無事で。良い方法って?」


「簡単です。ルノさまの全力をぶつけて魔法反射を貫通すれば良いのです!」


「なにその脳筋プレイ。やってもいいけど、もし跳ね返されちゃったらグロッタを盾にするからね」


「望むところですぞ!」


 実は過去にも自分の力をそのまま受けた事のあるルノは反射されるというのがどれだけ厄介なことか知っています。しかし今回ばかりは大丈夫でしょう。過去と今。圧倒的に相手の『格』が違いますから。


「よし。それなら【怪狼・フェンリル】でいこう。ところでさ、貫通して討伐とかってなったら困るんだけど大丈夫かな?」


「それも問題無いかと。コンゴウセキスライムはあらゆるダメージを『1』に抑え込む特性がございますので討伐の心配なら無用ですぞ!」


「まじか」


 聞けば聞くほどコロリンのハイスペックさが浮き彫りになってきますね。もはや心配するだけ損すると言って差し支えないのではないでしょうか。


「ふふふ……それが分かれば安心だよ。さぁ、コロリン。お仕置きの時間だよ」


「コロコロ〜〜♪ コロリ〜〜ン♪」


「かわいいけど逃がさん!」


 この時になると何もかも吹っ切れたルノはとても清々しい表情になっていました。久しぶりに『全力を出してもいい相手』に巡り会えたからでしょう。


「よし、まずは動きを止める。サトリさんとの勝負の再現だ。そりゃ!」


「コロコロ!?」


 草原のど真ん中にで余裕の転がりを披露していたコロリンがあっという間に氷の牢獄へ閉じ込められてしまいました。さすがですね。


「ふっふっふっ……どうだねコロリン。これでもう逃げられないよ?」


「コロコロ〜〜!? コロコロ〜〜!?」


 どうやらコロリンも自らのピンチに気が付いたようで、ガンガンと氷の壁に突撃して脱出を試みています。ルノが杖を構えてるところから察するにもう手遅れみたいですが。


「さぁさぁ準備が整ってきました。杖の数は三本……七本……十本! お仕置き開始!」


 その声と共に、コロリンを閉じ込めた氷の牢獄の周りに設置された計十本の氷杖が次々に光を放ち始めます。


「迫る終焉、氷の牙。全てを穿て! 【怪狼・フェンリル】!」


「コロ!?」


 ズガガガ! バキィンバキィン! ゴシャ!

 轟音と共に砕け散っていく氷の牢獄。数秒後、役目を終えた氷の牙が一斉に砕け散っていく中、ポトッと落ちてきたのはスライムモードのコロリンでした。


 そして。


「ば、ばけもの……!?」


 ボンッと音を立てて人間の姿になったコロリンの第一声がそれ。どうやらお仕置きは成功のようですね。


「いや、まだだよ。コロリン? 人にぶつかったらなんて言うのかな? (ニコリ)」


「ひっ!?」


 もはやお仕置きだということも忘れてノリノリのルノですが、なにかいけないものに目覚めてしまったのでしょうか。当初の目的をしっかり果たしてくださいね。


「悪いことをしたら謝る。ごめんなさいは?」


「ご、ごめんなさい」


「はい、よくできたね。いい子いい子!」


「ちょ……なんなんですかもう……」


 こうして無事にお仕置きは完了。これからは新しい家族として共に歩いていくことでしょう。イタズラ好きでもコロリンは根は優しい子のようですからね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 その後、グロッタとコロリンと共に自宅に戻ったルノは庭のテーブルにコロリンの歓迎会も含めてのお茶会の準備をしていました。


「えっと。一応、紅茶とコーヒーの二種類用意して……あとはプリンとクッキー。こんなもんかな」


 ささやかながらお茶会の準備ができたようです。あとは家族のみんなを呼ぶだけですが――


「すご〜〜い! コロリンは珍しい魔法が使えるんだね!」


「これは『コンゴウセキ魔法』と言って、あらゆるものにコンゴウセキの防御力を付与する魔法です」


「なるほど。つまりワタシの羽にその魔法をかけてルノに投げれば攻撃にも使えるということですね」


「では試しにこのグロッタ様秘蔵のロッキの実にコンゴウセキ魔法をかけてルノ様に齧らせてみようではないか!」


 なにやら物騒な話題で盛り上がっていますが、早くもコロリンは家族の中に打ち解けているみたいですね。


「みんな。準備できたよ」


「は〜〜い! 一緒に座ろう、コロリン!」


「いいですよ。じゃあ私はここに」


「ガ〜〜ン……!?」


 ルノは狙っていたフユナの隣を取られてしまってショックを受けているようです。別に隣でなくても手を伸ばせば届く位置にいるのだからそんなに変わらないと思いますが?


「ぐすっ……まぁいいか。フユナとコロリンの仲良しツーショットもなかなかいいしね。さ、始めようか!」


 こうして始まったお茶会は実に賑やかでした。フユナにグロッタ。スフレベルグにコロリン。『一人増えただけ』と言えばそれまでですが一人暮らしをしていた昔に比べたら雲泥の差ですね。


「そう考えるとほんと……私は家族に恵まれたよね」


 そんなことを思いながら自らの幸せを再確認するルノの目の前では今も平和な光景が広がっています。


「もぐもぐ。このプリンはとても美味しいですね。お代わりは無いのですか?」


「美味しいよね〜〜! でも残念ながらこれだけしかないの。今度コロリンも一緒に作ろうよ!」


「ふむふむ、手作りでしたか。楽しみにしてますね」


「うん! あ、フユナちょっとお水取ってくるね」


「……」


 フユナが席を空けたことで仲睦まじいやり取りが中断してしまいました。しかし、何やらコロリンの様子がおかしいですね。フユナがいなくなって寂しいのでしょうか?


「ねぇ、コロリン――ってあれ?」


「じろ〜〜……」


 コロリンがじっと見つめるのはフユナの背中。そして数秒後にはフユナの食べかけのプリンでした。これは嫌な予感しかしませんね。


「あの〜〜コロリン? 一応言っておくけどそれはフユナのプリンだからね? いくら美味しくても人のプリンを食べたらだめ。フユナがいないからってその隙に食べちゃだめ。お腹に入れちゃえば勝ちとか思っちゃだめ。絶対に。分かった?」


「……パク!」


「やっぱりやった!?」


 ルノの説得も虚しく、フユナのプリンがコロリンのお口に吸い込まれてしまいました。またしてもコロリンの失敗。理由は今朝と同じですね。


「な・ん・で! コロリンは人のプリンを食べちゃうんですか!」


「な、なんですかいきなり!? 目の前にあったから食べただけですよ!」


「コロリンの目の前には空の容器しかないでしょうが! ガミガミガミガミ!」


 先程までの平和な光景はどこへやら。再びルノのお説教タイムが始まってしまいました。そこへ――


「あれ!? フユナのプリンは〜〜!?」


 さて、どうしましょうか。分けてあげようにもルノもコロリンもプリンは食べ終えてしまいました。何か代わりになるものは――とルノが悩んでいるその時でした。


「そのプリンはルノが私に食べさせました」


「え〜〜ん! ルノのばか〜〜!」


「えぇっ!? ちょっと待って! 私は何もしてないよ!?」


「ひどい! 私に食べさせようとあれだけふってきたくせに!」


「ふってない! まっっったくふってない! ほら、さっきも教えたでしょ! いけないことしたらなんて言うのかな!?」


「ごめんなさい、フユナ。私がルノを止められなかったばっかりに……!」


「ルノのばか〜〜!」


「まったくこの子は!?」


 こうして平和だったお茶会はすっかり阿鼻叫喚を極めてしまいました。それでも場を離れようとする人が誰一人としていないのは、この賑やかな空間を誰もが愛して、誰もが望んでいるからなのでしょう。プリンを失ったフユナだけは少々可哀想ではありますがその穴も家族が埋めてくれました。


「フユナ様。わたくしにこのプリンは小さすぎますのでよければどうぞ!」


「これもぜひ。ワタシにはイモムシがありますから(ムシャムシャ)」


「わ〜〜い! ありがとね、グロッタ! スフレベルグ!」


 なんだかんだでバランスの取れている家族ですね。少しはルノもこの三人を見習ってみてはどうですか?


「だから、ごめんなさいするときはちゃんと――ガミガミ!」


「だ、だから私はちゃんと――ギャアギャア!」


 ……どうやら今は何を言っても無駄なようですね。困ったお母さんですが、今の家族があるのもルノのおかげ。みんなが幸せなら多少のことは目を瞑るのも成功の秘訣なのかもしれませんね。




 これからもこの家族が笑って暮らせますように。


 そう願うばかりですね。






 〜〜エピローグ〜〜



 我が家の遥か上空に浮かぶ神様の住居『パラディーゾ』にて。


「めでたしめでたし」


「……」


 そう言って盛大に胸を張りながらドヤ顔するにゃんたこ様。突然のお呼び出しで何事かと思いきや、私を待っていたのはにゃんたこ様直々の『読み聞かせ』だった。


「感想は?」


「……」


 と、言われましても。


 先程から私が無言を貫くのには理由がある。約一時間にもおよぶ読み聞かせは、確かにそのドヤ顔に見合うだけのものだった。たまにしか本を読まない私でも良いと思う程の。


 しかしその内容が……


「感想は?」


 二度目の質問。やはり答えなければ終わらないか。


「そうですね。面白かった……です」


 嘘を見抜くにゃんたこ様に嘘は通じない。それを知っている私は紛れもない本心を言った。


 だが。


「これってモデルがいますよね? それもすぐ近くに」


「いないよ。これは私のオリジナル」


 平然と言ってのけるにゃんたこ様に私は確信を持って言った。


「はいウソ! 私でもそれくらい分かりますからね! 確かにアレンジはされてますけどモデルは絶対に私だ!」


「でも面白かったでしょ?」


「いや、まぁ面白かったですけど……恥ずかしいです。一体いつから私を見てたんですか?」


「くす」


 静かに笑ってはぐらかすにゃんたこ様。とりあえず本の内容からしてかなり昔からというのは分かる。下手したらこの世界にやって来てからずっと見られてたんじゃないかな。


「さて。それじゃあ今日はこれでおしまいね」


「あ、まって! ひとつ聞いてもいいですか? どうして私の本なんて書いたんです?」


「大した理由じゃないよ。出来が良ければヒュンガルで売ろうと思ったの。残念ながらボツだけどね」


「ん〜〜私は面白いと思いましたけどね。いや、決して売りに出してほしい訳じゃないですけど」


「くす。自分の本だからこそ面白いと思うんだよ。自分の絵日記をなんだかんだで読んでしまうみたいにね」


「そういうものですか」


「そ。だからこれは……はい」


「え?」


 スッと差し出されたのは件の本だった。なぜ?


「えっと……?」


「あげる。フユナにも見せてあげたら喜ぶよ」


「それは恥ずかしいので……気が向いたら。でもありがとうございます。大切にしますね」


「うん」


 ニコリと優しい笑顔を浮かべるにゃんたこ様。そして同じように笑顔を返す私。


「あはは」


 視線を落とせば、絆の証とも言えるにゃんたこ様お手製の水色の本が私の手の中で確かな重みを主張していた。


 その表紙には――






『☆氷の魔女のスローライフ☆』


 私にピッタリのタイトルが綴られていた事に改めて気恥しさを覚えたと同時に、なんとも言い難い喜びの感情でつい表情が綻んでしまいましたとさ。


 めでたしめでたし。




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