ベトナム遠征
東京五輪の頃
ベトナム社会主義国は、中華人民共和国の支援を受け
北ベトナムの主要都市である
ハノイ、ハイフォン、ヴィンを次々と落とした
8月には
中華民国の南の国境の先が
ベトナム共和国じゃなくベトナム社会主義国になってしまい
トンキン湾で米国の駆逐艦が国籍不明艦の魚雷攻撃を受ける事態になり
大問題となった(数年後、米国の偽装工作と判明)
一方で米国は、日本皇国と高麗連邦に援軍を要請
高麗連邦は、フリゲート供与を条件に陸海軍の出兵を認めたが
日本皇国は、国会での反対が多く
最終的に、東シナ海艦隊から
最上と雲竜
そこに戦後駆逐艦 新睦月型2隻(米国発注)
戦後空母(呉工廠)
鳳翔を投入
雲竜と最上は、この任務終了後に除籍が決まっており
戦いが見ものだったが
1968年3月に
日本皇国は、在ベトナム邦人に
同年6月15日までにベトナム出国を通達
同月に起きた、ソンミ村虐殺事件を理由に
6月中にベトナム内戦から手を引くことを宣言
皇国海軍航空隊24名の犠牲を出した上で
撤退とした
帝国時代の残留日本兵も希望するものがいれば
駆逐艦やフェリーで撤退した
そして、数年後
アメリカは、ベトナム内戦から撤退
ベトナム共和国は、政権基盤が崩れ
社会主義国化したのだった
そして、時は進む




