樺太戦争~ベルリンを封鎖せよ
結構 飛ばしてます
1945年12月
大日本帝国軍は
ソ連の不意打ちを受けつつ
戦艦大和、長門、正規空母瑞鶴、天城、葛城を日本海に投入
ウラジオストクへの砲撃と制空権を行い
樺太防衛任務支援に当たった
米英からの石油禁輸制裁解除と
弾薬製造改革で
行動がうまくなっていた
翌年5月には
樺太奪回戦闘が始まり
破棄途中であった
爆撃機も投入した結果
北緯50度を越え
北緯52度付近でにらみ合いになった
ソ連は、イタリアから賠償艦としてせしめた
軍艦を投入したが
航続距離の都合上、日本海での活動しかできず
次々と、日本の航空戦隊にたたきつぶされていき
極東配備の海軍は壊滅した
6月には
日ソ共に大規模な犠牲を出す
落石近郊での大規模な衝突
中国やインドシナ半島から復員、撤退してきた関東軍を樺太に転入した
関東軍の猛攻で
人海戦闘の末
6月28日に樺太全土が日本に落ちた
その後、大日本帝国軍は、米英仲介で、ウラジオストク上陸は見送っており
ソ連は、ウラジオストク修復とバルト海や黒海からの艦隊捻出を狙ったが
7月29日
日ソ講和
無賠償、樺太日本領、日本とソビエトは、満州朝鮮不干渉と言う条件で
講和した
ソ連のウラジオストクは、復興計画が決まらず荒廃しており
支援している、中国共産軍も
内陸部から沿岸への進出が苦しい状態だった(国民党軍が放棄された日本帝国陸軍兵器を接収したり、米軍の空爆支援を受けたりして持ちこたえていたから)
朝鮮、満州の戦後処理は
米英との話し合いの結果
中華民国との連邦国家設立で固まった
1948年
大日本帝国政府は、
日本皇国へ国名を変更
ソ連から奪い取った北樺太にユダヤ特区を設立させた
外交と軍事治安以外の自治権をユダヤ人の自由とする代わりにその維持に必要な資金を日本に提出する
北樺太在住のロシア人で反ユダヤ思想を持つ人は、次々とソ連等に叩き出されたが
そうでないもの達は、共存を条件に居住が認められた
一方でドイツでは
ドイツは東西に分断されたが
西ドイツが史実より大きく
国境がベルリンから20km付近まであった
ベルリンは米英仏ソ分割統治とされ
西を米英仏
東をソ連管理とし
米英は、西ベルリンと西ドイツを最短で結ぶアウトバーンも道路のみに限り西ドイツのものと言う表明をだし、他の三本も使用許可を求めた
ソ連は、反発
その後
西ベルリンを覆う壁の建設を強硬
米英が指定したアウトバーンの一部を爆破し
爆発したところにも壁を作ろうとしたが
米軍による復旧工事が先に来たため失敗に終わった
続く
次回は来週水曜日の夕方