三十三、重大発表
完全に勘違いしている母さんの誤解を解いた後は、顔が見やすいように押し入れから脱出。そして、ようやく、再会の喜びをまともに分かち合うことができた。
「母さん、ごめんね」
「ううん。私も、母親より男を選んだ口だから。気持ちは分かるつもりよ?」
「わ、私は、止まり木旅館が好きなわけであって……」
「翔くん。楓、こんなこと言ってるわよ?」
「とりあえず今夜、俺の部屋に泊めてもいいですか?」
「許可します!」
「えぇ?!」
その時、タブレット型端末から、「千景!」という声が聞こえてきた。これは万智さんの声だそうだ。
万智さんは、一人で旅館の屋根によじ登って瓦の交換を行っていたところ、三階の高さから落下。御年七十五歳だよ?! 何してるのよー?! 幸い命は助かったけれど、あちらこちらを骨折して、その後遺症で女将業を継続できなくなったとのことだ。そんな訳で、現在は女将を引退し、時の狭間チェーンの資金管理だけを担当していると、母さんは話していた。
「じゃぁ、またね! 翔くん、楓のこと、よろしく!」
母さんは女将を引き継いだので、毎日忙しくしている。でも、たまにはこうして会うことを約束できた。こんな方法があっただなんてね……。母さんが機械音痴じゃなくて良かった!
母さんとのビデオ通話が終わったので、私はもう部屋に帰ろうと、襖の引き手に指をかけた。
「だから、帰してあげない」
気づいたら、後ろから翔に抱きつかれていた。これで、ドキドキするなという方がおかしいだろう。ただし、こんな声さえ聞こえなければ。
「翔さん語録、増えてきたなぁ。今夜は山場だから、やっぱり徹夜かなぁ。さすがにそこまでいくわけないか。でも二人とも若いしなぁ」
翔は無言で、襖を開けた。そこには、やはり……
「潤くん、もう寝たら?」
「……ですよね? あはは」
潤くんは、乾いた笑いを残して、彼の部屋の中へと消えていった。私達はそれを見送った後、しっかりと襖の鍵をかけて、仕切り直した。
翌朝。
「楓さん、見ましたよ!」
粋くんは、卵を割りながらウキウキしている。朝食の準備を手伝ってくれているのだ。
「な、何を?!」
「朝、翔さんの部屋から出てきましたよね?」
「……詳しくは、後で皆の前で報告するから」
「楽しみにしてます!」
今朝も、懲りずにフレンチトーストだ。作る方も飽きてきた。やっぱり十日間連続は厳しいかもしれない。
朝食の後、私は大広間に皆を集めて、部屋の前方にある舞台に上がった。朝からカラオケをするのではない。重大発表があるのだ。
「皆、おはようございます! 今朝は大切なお話があるので、集まってもらいました」
皆、期待の眼差しで私を見つめている。
「翔、来て?」
私は、舞台の上に翔を呼んだ。彼は今日、いつもの作務衣ではない。真新しい着物に身を包んでいる。
「この度、翔は……」
礼くん、ドラムロールの効果音は要りません! 静かにしなさい!
「仕入れ係を辞任し、番頭になることが決まりました!!」
言ってやった! どうだ?! びっくりしたでしょ?!!
って……あれ? なんで、皆がっかりした顔してるの?
「楓さん、もっと大切な発表ありますよね?」
「巴ちゃん、もちろんよ! この後、話すつもりだったから」
すると、研さんと忍くんが舞台の上に乱入してきた。
「俺は、認めないぞ!」
「うちの娘は、お前なんかに……!」
翔は、二人を舞台の下に引きずり下ろした。やれやれ。皆、何考えてるの?!
私は、ふっと大きな溜め息をついて、カラオケ用のマイクの電源を入れた。
「では、もう一つ、一番大事なことを発表します!!」
礼くん、今度こそドラムロールが必要よ!! 早く鳴らしてちょうだい!
私は、口元にマイクをあてた。
「私、若女将の楓は……」
皆の息を飲む音が聞こえてきそうだ。
「この度……」
さぁ、皆、盛大に祝ってちょうだい!!
「止まり木旅館の女将に就任いたしました!!!」
時の狭間。この不思議な空間で生を受けて育った私。それも、迷い人を導く神の娘として。母さんがいなくなって三年、いろんなことがあったけれど、私はいつもお客様と真っ向から向き合い、ずっと全力を注いできた。時には従業員の皆にキツイことを言わなければならないこともあったし、私自身屈辱的な気分になったり、まだまだだなと思い知らされるような恥ずかしい思いもたくさんしてきた。それでも、ほとんどのお客様を無事に元の世界へ送り返し、従業員として新たな人生をスタートさせた皆とも良い関係を築き、私個人としての接客や料理の技量も磨き続けることができたと思う。
もちろん、これまでの止まり木旅館の歴史の中では、母さんこそが女将だったのかもしれない。けれど、今は胸を張って言いたい。私は何があっても止まり木旅館を離れない覚悟がある。あらゆる世界の住人にとって最後の砦となるのがこの旅館。私は、責任をもってこの稀有な存在を守り続ける。それがこの旅館で生まれた唯一の人である、私の使命だ。これは誰にも譲ってなるものか。若女将なんて中途半端な地位に納まってはいられない。
私こそが、女将なんだ!
……。静まり返ったままの大広間。どうしたの?
「ちょっと?! 私、昇格したのよ?! やっと母さんに認められて、女将を名乗れるようになったんだから!!」
あの後、母さんが仕事を終えたタイミングで、もう一度三人で話をしたのだ。母さんがもう時の狭間に戻ってくることがないということは、女将の地位は完全に空席となる。私は前々から女将を名乗ろうかとも思っていたが、それだと母さんの死を本当の意味で認めることになる気がしてできていなかった。だけど、今は事情が違う。これからは、私が正真正銘、止まり木旅館の主人。そこで、母さんにかけあってみたのだ。
「これからは、若女将じゃないわ! ただの女将になったのよ!!」
あれ? いざ口にしてみると、老けた上にレベルダウンした感じがするのは、気のせい?!
しばらくすると、まばらながらも、拍手が起こり始めた。
「女将!」
礼くんが、早速こう呼びかけてくれた。私自身、女将になった実感が少しずつ大きくなっていく。感慨のあまり、うっすらと涙をこぼしそうになった時、こんなことを言い出す勇者が現れた。
「楓、結婚話はまとまらなかったのか?」
密さんだ。
「恋愛、してみたいんだってさ」
翔は、仏頂面。
でも、ちょっと考えてもみて?! 前々から意識してるし、そりゃぁ好き……だけど、いきなりすぎるもの! しかもまだ、直接は何とも言われていないのよ?
「職場恋愛ですか?!」
潤くんに、また何かのスイッチが入ってしまったようだ。
「私は、駅前の時計台で待ち合わせて、「待った?」「ううん、全然待ってないよ」とかをやってみたいのよ!」
止まり木旅館に駅はないから、駅前なんて存在しない? ほんとだ、困ったわね。忍くんに頼んで、庭の中にプラレールでも走らせてもらおうかしら。
とにかくね、「好き」だとか言ってもらえるまでは、これまで通り仕事第一でがんばろうと思っている。
だって、私は、止まり木旅館の女将なのだから!
「さて、礼くんは翔からいろいろ引き継ぎしてもらってね。他の皆も、持ち場に戻って! 次のお客様は、雪女の吹雪冷子さんと、漂流した高校の修学旅行生ご一行様よ。気合い入れていきましょう!」
「はい!」
従業員全員の声がピタリと揃った。
今日も止まり木旅館は営業中。
人生に行き詰まっているそこのあなた。心に傷を負い、立ち上がれなくなったあなたも。時空の迷い人になったならば、是非とも止まり木旅館へお越しください。従業員一同、心よりお待ちしております。







