二十八、失礼な!
止まり木旅館に帰ってきて、まず目に入ったのは、見慣れぬ巨大な石碑だった。まだ、庭への設置作業中なのか、忍くんのかけ声で、潤くんと礼くんが石碑に巻きつけたロープを引っ張り、場所の調整をしている。
「ただいま!」
私が三人に声をかけた瞬間、石碑の表面がこちらを向いた。そこに刻まれていた文字は……
『若女将 楓の墓』
「何これ?!」
私が止まり木旅館を不在にしたのは、倒れて気を失っていた時間を含めても二時間程度。なんで、この短時間のうちに死んだことになってるのよ?!!
「楓さん、違うんです!!」
忍くんが、何やら言い訳を始めた。
「楓さんが、大女将の時みたいな感じで消えてしまわれたから、もしものことを考えて、念のために用意しただけであって!」
「馬鹿おっしゃい!! じゃぁ、なんで早速、庭の一等地に墓石なんて立てているのよ!?」
「いや、あの、俺達の心の拠り所にするために……」
拠り所?! 今すぐ、あなたの死に所にしてやろうか?! 墓石の名前を書き換えて、あの下に埋めてあげてもいいのよ?!
ありえない事態に怒りを爆発させていると、旅館の玄関の戸が開いた。
「そっち、作業うまくいってます? 手作いましょうか?」
顔を出したのは、粋くんだった。けれど、彼は私の顔を見るや、幽霊にでも会ったかのような形相に変貌し、再び旅館の中にすっこんでしまった。失礼な! 私はなんだか悪い予感がして、慌てて粋くんの後を追った。
そして行き着いたのは、私が管轄する物置部屋だった。でも、もはや『元・物置部屋』という状態である。
入口には、立派な看板が立てかけられていた。
『遺品展 ~時の狭間に遺された宝と思い出~』
この部屋は、過去のお客様が止まり木旅館に忘れていった物や、持って帰りそびれた物の中から、とりわけ私が気に入っている物を集めて保管していた場所である。
部屋に入ってみると、中は改造されて、大小様々なショーケースが並び、その中に私のコレクションが大切に陳列されていた。でも、ある国のとある王子様の使用済み割り箸なんか展示したところで、全く見映えしないわよ? だって、ただの箸だもの。しかも、割る時に失敗していて、左右対称になっていない。いや、そんな物を後生大事に保管していた私も私だけれど。
私は、せっかくなので、順番にディスプレイを見てまわることにした。そして、ようやく最後のショーケースに差しかかったのだが……
「ちょっと!! これはどういうこと?!!」
なぜか、私が寝間着に使用している浴衣が展示されていた。しかし、問題はそれだけではない。なんと、戦国武将並みに厳ついおっさんマネキンが仁王立ちの状態で、私の浴衣を羽織っているのだ。
「もうちょっとマシなマネキンはなかったの?!」
っていうか、私まだ生きているんだから、いかにも遺品みたいな体で飾らないで!!
「マシなマネキンなら、ここにいますよ」
そう言えば、私の隣には、小柄な女の子マネキンがあったはず。私がゆっくりとそちらの方へ向き直ると……
「楓さん! どう? 似合います?」
あまりにも動かないので、マネキンかと思っていたが、それは巴ちゃんだった。あぁ、びっくりした。以前お越しになった、お嬢様ミリアリア様のドレスを身につけている。
「えー?! そのドレス、私まだ一度も試着してなかったのに!!」
「楓さんがこれ着たら、胸の辺りに不自然な隙間が出来てしまって、カッコ悪いと思いますよ」
どうせ貧乳ですよ。けっ。
「上からボレロを羽織ればなんとかなるわよ!」
「そうですかね?」
そうなんです!
私が巴ちゃんと言い合っていると、廊下の方からパタパタと足音が近づいてきた。
「こちらは、関係者以外立入禁止ですので!!」
慌てた様子で部屋に入ってきたのは、密さんだった。私の顔を見て、きょとんとしている。
「私、関係者ですから! むしろ、この部屋の責任者兼管理人ですから!!」
だいたい、お客様がいらっしゃらない今、旅館内には関係者しか存在しない。もう、みんな失礼すぎ! こうなったら、これから十日間ぐらい、毎食フレンチトーストしか出してやらないぞ!!
「そう言えば、研さんは?」
私が物置部屋から廊下を覗くと、ちょうど研さんがこちらに向かって歩いてきた。
「楓さん、お帰りなさい!」
ああ、この言葉が聞きたかったんだ。まともな人が一人でもいてくれて良かったと思った瞬間、私の視界はぐにゃりと歪んだ。
「皆、心配かけてごめんね!」
私は、従業員控え室に顔を出した。
「もう大丈夫なんですか?」
忍くんを始め、皆が口々に声をかけてくれる。
私はあの後、止まり木旅館を出るという慣れないことをしたせいか、熱を出してしまった。お客様をお迎えする準備の指示は、うわごとでブツブツ呟いていたらしく、皆はそれに従って対応してくれていたようだ。
「えぇ、もう大丈夫よ。お客様のご到着に間に合って良かったわ」
気持ちとしては、今すぐにでも、旅館木っ端みじんで聞いてきた話を皆と共有し、密さんにはお願い事もしたい。けれど、私は止まり木旅館の若女将。お客様は、何よりも優先されるべき存在なのだ。だから、すぐに満足して、さっさとお帰りいただけるように、私はいつも以上にがんばっておもてなししなくてはならない。
「皆、聞いて? 訳あって、今回のお客様にはできるだけ早くお帰りいただきたいの。協力してね。お願い!」
私は、皆からの了解を示す反応を受け止めると、玄関に向かった。
今回のお客様は、分類としては神様にあたる。フロリアレーヌという世界に住まう、春を呼び込む女神様だ。
予定時刻ちょうど。止まり木旅館の門は音もなく開いた。そして現れたのは、巴ちゃんとほとんど背丈が変わらない女の子だった。複雑に編み込まれた長い髪の毛には、たくさんの生花が差し込まれていて、華やかな様相である。
彼女は、ぱっと顔を輝かせると、こちらの方を向いた。
「あら? 久しぶりね!」
久しぶり? 私はお会いするのが初めてだ。ならば、私の背後に並ぶうちの従業員の中に、彼女の知り合いがいるのかしら?
動いたのは、研さんだった。
「春の女神、久しぶりだね。悪いけれど、今日は帰ってくれないかな?」
えー?! まさかの大穴、研さんの知り合い?! でも、いきなり帰ってくれだなんて、そんな失礼なことを言ったら、機嫌を損ねてしまうのでは……
私は、冷や汗が出そうになったけれど、事態はすぐに解決した。
「……分かったわ。久々にあなたの顔を見られたことだし、もう帰るわね」
女神様はにっこりとする。その途端、扉が現れたのだ。ホワイトホールとでも言えばいいのだろうか。真っ白な亜空間へと繋がる長方形の細長い窓のような形をしている。
「またね!」
女神様は、ウインクを飛ばして、光と共に扉の向こうへ消えていった。
「この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」
早っ!! 止まり木旅館史上、最速だったのではないだろうか。私は、研さんにいろいろと尋ねてみたい気持ちに駆られたけれど、先に飛びっきりの笑顔で制されてしまった。正直言って気になるけれど、今はいいわ。せっかくすぐにお帰りいただけたのだ。次のお客様がいらっしゃるのは三日後。それまでに翔を探して、母さんのことも調べなきゃ!







