二十七、口止め
なぜ『旅館木っ端みじん』を選んだのか。それは、母さんを一番慕っていた兄弟が経営しているからだ。
母さんの弟、千歳さんは、姉である私の母さんを母親代わりにして育った。そして大きくなってからも、ずっと母さんを尊敬し続けてきた人物だと、日記には書かれてあった。
ならば、きっと母さんのことについては詳しいはず。『時の狭間チェーン』の宿屋の主人としての知識も期待できる。これでようやく、私の疑問は解決するにちがいない。
私は、止まり木旅館の正門の内側に立った。いよいよ、生まれて初めて、止まり木旅館以外の場所に行く。高鳴る鼓動をなんとか静めて、私はすっと息を吸いこんだ。
「旅館木っ端みじんに行ってきます!」
私は、言い終わると同時に、自分の両腕を重ね、地面と平行となる状態で右側に集め、それをぐるっと円を描くように動かした後、左側に指先を向けた状態でピタリと止めた。つまるところ、アレだ。昔の特撮系ヒーローが変身する時みたいな動きである。
あれ? セリフや動きを間違えたかしら? 何も起こらない。
こんな意味不明なポーズのまま、じっとしているのが辛くなってきた頃、突然勢いよく門が開いた。私は、そこからの突風に吸い込まれたと思ったのを最後に、意識を手放した。
気が付くと、見知らぬ建物の前で倒れていた。見上げると、狭い玄関らしきところに、『旅館木っ端みじん』と書かれた内照式の電飾看板が取り付けられている。どうやら、本当に止まり木旅館から出ることができたらしい。
その時、ガラッと目の前の玄関の引き戸が開いた。
「いらっしゃい! ん? えー?!」
玄関から出てきたのは、少し紫がかったピンク色の髪の男性。長靴を履いていて、腰からはゴムでできた裾の長いエプロンをつけている。上半身は、着古した感じのジャージ。私は、漁港に出入りしている魚屋のおじさんみたいだと思った。
この髪色。ほぼまちがいなく、彼が母さんの弟なのだろう。
「突然の訪問、失礼します。私、止まり木旅館の若女将で、楓と申します」
「やっぱり!! いやぁ、似てると思ったんだ!」
弟さんに、似てると言われるだなんて! 美人な母さんに似ているだなんて、私にとっては最高級の褒め言葉だ。しかし、その幸せ気分も長くは続かなかった。
「この髪の美しい色、艶やかさ……。本当に姉さんにそっくりだよ」
……はいはい。どうせ髪の毛しか似てませんよーだっ!
「おっと。立ち話も何だし、入って入って!!」
私は、彼に促されて、民宿の中に足を踏み入れた。こじんまりとした玄関には下駄箱があって、そこに草履を入れると、狭くて短い廊下の先にあった和室へ通された。
「俺は、千歳って言うんだ。君の叔父にあたる者だよ」
「母さんもそうでしたが、叔父さんもとてもお若い方ですね」
「若く見えるって言うなら、千歳って呼んで?」
「はい?」
「楓ちゃんは、姉さんと声もそっくりなんだね。なんだかゾクゾクする!」
私は、悪い意味でゾクゾクしています。私、人選間違えたかもしれない。この人、たぶん、変態だわ。他の兄弟と比べると、まともなことしか書かれていなかったから、すっかり油断していた。
「では……千歳さん? 本日は教えていただきたいことがありまして……」
「えっと、この若さの秘密?」
「いや……あの……では、それも教えてください」
千歳さんは、翔と変わらないぐらいの年頃に見えた。母さんも全然老けない人だったけれど、そういう血筋なのだろうか?
「これはね、時の狭間の宿を仕切る女将や主人、仕入れ係にかけられた魔法のようなものだよ。俺達は、永遠に宿屋を経営し続けなければならないから。だから、寿命がないんだよ」
なんですって?! じゃぁ、母さんはなぜ……
「だから、楓ちゃんもこれ以上年をとることはないよ。それに楓ちゃんは、神の子だから、もっと不思議なことがあるかもしれないね」
神の子? 昔、母さんも言っていた。
千歳さんは、急須からお茶を注いで、私に出してくれた。
「神の子って、どういう意味ですか?」
「え? 姉さんに聞いてないの? 楓ちゃんの親父さんは、神様だってことだよ。見た目はちょっと中性的な感じで、俺はちょっと苦手だったけど、すごく良い人だよ。うちの実家の温泉が枯れそうになっていたのも、復活させてくれたしね」
まさか、本当に父さんが神様だったなんて……。私は、母さんは未婚の母なのだと思っていた。相手がよく分からないだとか、言えないなどの理由で、神様っていうことにしているのだと思い込んでいたのだ。
「あの……母さんが、三年前にいなくなったんです。私、母さんが死んじゃったんだと思ってたんですけど、もしかして……」
「ごめん、楓ちゃん」
千歳さんの声色が急に冷たいものになった。少し長めの前髪から覗く瞳を申し訳なさそうに細めている。
「それだけは、聞かないで」
そんなこと言うだなんて、何か事情を知っていると言っているようなものだ。
「他の兄弟も、これについては絶対に口を割らないと思う」
私は、帯留めのトンボ玉に視線を落とした。
「うちの仕入れ係は、母さんが死んだと言うんです」
「……じゃあ、一つだけヒントね。翔くんも、口止めされてるんだよ」
もしかして、神様に口止めされてる?! 私は、さっと顔を上げたけれど、千歳さんは私を拒むように顔を横に背けた。
「実は、翔もいなくなってしまって……」
「え?! それだけはありえないだろ? だって、彼は楓ちゃんのこと……」
千歳さんは驚いたのか、机から身を乗り出した。
「あの……探し方、ご存知ありませんか?! 私、翔がいないと駄目なんです!」
「それは本人に言ってあげなよ。そうだな……巫女さんとか、そういった職業の人がお客として来てくれたら、どうにかしてくれそうなんだけどな。以前、うちの猫が行方不明になった時は、そうやって探したんだけれど」
ふと見ると、奥の部屋の襖が少しだけ開いて、三毛猫がこちらに滑り込んできた。噂されたと思ったのだろうか。
「巫女さんのお客様……巫女さんではありませんが、巫女さんみたいな従業員ならばおります」
「じゃ、その人に頼んでみたらどうかな?」
「はい! そうします! お茶、ご馳走様でした!」
急に、なんとかなるような気がしてきた。私は、ぺこりと頭を下げて立ち上がった。同時に、千歳さんも猫を抱き上げて立ち上がる。
「待って待って! せっかく来たんだし、ごはん食べてお酒でも飲みながら姉さんのことしゃべろうよ! 昔の写真とかもあるよ!」
「すみません。次の機会にお願いします」
私は、玄関で草履を履くと、引き戸に対して向き直った。
「止まり木旅館に帰ります!」
来るときと同じ変身ポーズをすると、今度はすぐに扉が開かれた。







