二十五、彼は私がもらってく
本日のお客様は、モデルさん。
どんなファッションも、彼女達のためだけに生み出され、あつらえたかのように見えてしまう。服を魅せる。文化を創る。流行を発信する。そして何より、世の女性の憧れの的となる。
でも、芸術を感じさせる、その端正なお顔や姿に騙されてはいけない。彼女達のような職業であっても、中には手強い方がいらっしゃるのだ。今回のお客様は、その良い例だと言えるだろう。
「ねぇ、なぜだと思う?! 私、スタイルも良いし、もちろん美人だし、性格もすっごく良いと思うのよね」
スタイルの良さと美人は肯定しよう。でも、性格は……。名付けて、残念系高飛車美人と言ったところか。
「何とか言いなさいよ! ね? そうでしょ?!」
今すぐ全否定して差し上げたい。でも相手はお客様。
「……さようでございますね」
「どうしたの? 私にどこか、悪いところなんてある? 私は、奴にふられて……じゃないわ、私から見切りをつけたのよ!」
モデルさんは、私が用意したフルーツを次から次へと、その整ったお口へ運んでいる。サラダとフルーツだけという偏ったお食事で節制しているみたいだけれど、フルーツって案外糖度高いからね? そんなに食べて大丈夫?
「で、いつになったら私を満足させてくれるの? 次のコレクションは一週間後なのよ。移動とか、打ち合わせとかリハもあるから、早く帰らせてもらいたいのだけど」
私も、是非とも早くお帰りになっていただきたい。ストレスで、ニキビとかできそうだもの。
その時、客室の襖の向こうで、翔の声がした。モデルさんがソファをご所望だったのだ。畳の上でのんびりしてもらおうかと思っていたのだけれど、正座なんかしたら脚の形が悪くなるとクレームが出たためだ。
「どうぞ」
私が返事すると、翔と粋くんがソファを部屋の中に搬入してくれた。早速ソファに腰掛けるモデルさん。私は畳に正座したまま。すらっと長い脚を組んだ彼女に見下ろされていると、かなり居心地が悪い。まるで悪いことをして叱られているかのような気分になってしまう。
「ねぇ、そこの人。あぁ、あなたみたいに小さいのはお呼びじゃないのよ。そっちそっち。そう、あなた」
モデルさんは、突然ビシッと翔の方を指差した。
「私の男にしてあげてもいいわよ」
はい? 今、何とおっしゃいました?
「大変申し訳ございませんが……」
翔はすぐさまお断りの返事を伝えようとしたが、モデルさんに阻まれてしまった。
「この私が、わざわざ選んであげると言っているのよ? 感謝なさい」
モデルさんは、ソファから立ちあがって、翔に接近した。わ、私の……じゃなくて、うちの従業員は、渡しませんからね! とりあえずモデルさんを睨んで牽制しようとしたけれど、彼女は私のことなんて眼中に無い。
「でないと……私、絶対に帰りませんから!」
嘘でしょ?! 翔をモデルさんにとられてしまうなんて……。でも、もしお断りしたら、モデルさんはここに居座って、いずれはうちの従業員?! どちらも嫌だ!!
ところが、翔は彼女にこんな返事をしたのだ。
「……分かりました。お客様のご帰還に同行させていただきます」
「うふふ。光栄に思いなさい」
そう言ったモデルさんが、特上スマイルを浮かべた瞬間、なんと扉が出現した。
まさか本当に、彼女について行ったりしないよね? 私は不安になって翔に視線を投げたけれど、なかなか気づいてくれない。
「お帰りの扉が開きました」
翔は、モデルさんをフラットな銀色の金属扉の前にエスコートした。
「じゃ、彼は私がもらってくわ」
え……?
次の瞬間、モデルさんは、開いた扉の向こうへ消えてしまった。
翔と一緒に。
翔が扉を通り抜けることができたこと。それ自体は不思議ではない。彼は仕入れ係だから、元々、様々な世界や時代を渡り歩くことが可能なのだ。最近知ったことなのだけれどね。
でも、本当に一緒に行ってしまうことはなかったのに。モデルさんと親しげに腕を組んでいた翔の姿が目に焼き付いて、なかなか離れない。
「あれ? 楓さん、いつものお見送りの言葉はよろしかったんですか?」
粋くんが私に尋ねた。
そんなの、言えるわけがないじゃない。もし言ってしまったら、本当に二度と翔に会えなくなる気がして。
翔が扉の向こうに消えて、三日が経った。
たまたま、次のお客様のお越しまでは一週間空いていたから、私は翔のいない止まり木旅館で、ぼんやりとして過ごしている。
これまでも、仕入れのために半日から二日程度不在にすることはよくあった。けれど、三日も姿が見えないだなんて……。
もしかして、モデルさんの出身世界で、何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。大怪我なんかして、帰るに帰れなくなっていたのだとしたらどうしよう?! まさか、最近私が母さんのことを教えてくれと、しつこく言い募っていたのが悪かったのだろうか。
それとも、この時の狭間の止まり木から飛び立って、新たな止まり木を見つけてしまったのだろうか。
昨日から、私の近くに潤くんの気配は少ない。彼なりに、私の今の状況を理解し、そっとしてくれているのだと思う。
私は、帯留めの青いトンボ玉にそっと触れた。これは以前、翔にもらったものだ。いつもの支給品かと思ったら、プレゼントだと言われた。そんなの、後にも先にもそれきりのことだったから、何となく嬉しくて、毎日使っている。けれど今は、かえって翔の不在を実感させられて、苦しいだけだ。
「楓さん、もう食べないんですか?」
巴ちゃんが、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「うん、もうお腹いっぱい。私、部屋に戻るわね」
ご飯は、ほとんど喉を通らなくなってしまった。日に日に、従業員の皆が不安そうにしている様も強くなってきている。このままではいけない。翔を探さないと。その方法も、私が知りたい真実も、あれに記されているかもしれない。
私は、女将部屋に戻ると、中から鍵をしっかりとかけて、座卓の前に正座した。
さあ、いい加減そろそろ向き合ってみよう。私は、最大の手がかりに手を伸ばした。







