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十三、胸貸してあげる

 従業員を新たに迎え入れるにあたり、まずは服装の準備から始めることとなった。


「ちょっと! くすぐったいんだけど?!」

「お黙りなさい、新人くん」

「痛っ!!」


 巴ちゃんが、礼くんの腕の皮を摘まんでひねった。礼くんの採寸を行っているのだ。うちの男性従業員は、全員お揃いの紺色の作務衣を着ていて、全て巴ちゃんのお手製。あ、研さんは、私と同じように着物だけどね。あの方はなんとなく特別だから。


「楓さーん、巴さんが苛めるよー」

「礼くん、あなたはもう可愛い男の子じゃないのだから、そんなこと言っても助けてあげません!」

「そんなぁ」

「じゃぁ、今から尋ねることを教えてくれたら、この後休憩していいし、夕飯に海老天を一個追加してあげる!」

「その話、乗った!! 何なに?」

「どうやって、二回も止まり木旅館に来たの?」


 礼くんから、それまでノリノリだった勢いがすっと消えて、急に暗い表情になった。


「姉ちゃんが、死んだんだ」


 礼くんには、私とよく似たお姉さん(ただし、私と違って胸が大きい)がいたらしい。初めて止まり木旅館に来た時は、お姉さんと喧嘩して家を飛び出そうとした瞬間、こちらへやってきたそうだ。今回は、そのお姉さんが開いていた魔剣道場に道場破りがやってきたことが事の始まり。お姉さんは善戦したものの負けてしまい、あろうことか、暴走した道場破りにそのまま殺されてしまったらしい。村はずれで一人、鍛錬をしていた礼くんは、血相を変えた門下生からこの知らせを聞くや否や、急いで現場に駆けつけた。けれど、道場に入ろうとした瞬間、止まり木旅館に来てしまったそうだ。


「……なんでそんな大事なこと、もっと早く言わなかったのよ?!! なんで、一人で抱え込んで、我慢してたのよ?!」


 私は、礼くんの肩を激しく揺すったけれど、彼は頑なに顔を上げない。たぶん、泣いているのを見られたくないからだろう。


「大好きなお姉さんだったんでしょ? 悲しいね。くやしかったね。つらいね」


 私は、座り込んでいる礼くんの前に立つと、彼の頭を抱えるようにしてぎゅっと抱きしめた。


「胸貸してあげるから。泣きたいだけ泣いていいんだよ?」


 意外にも柔らかな髪の毛をそっと撫でていると、礼くんはようやく顔を上げた。


「人に貸せるぐらいの大きさも無い癖に」


 真っ赤に腫れ上がった目で言われると、いつも程のダメージは感じない。


「ああ言えばこう言うって、このことね。本当に困った子」


 いつの間にか、巴ちゃんは部屋からいなくなっていて、私たちは二人きりだった。なぜか、すごく彼が愛しい。見た目は大きくなっても、私には、礼くんがあの頃のままのような気がした。


「ありがとう。もう大丈夫。今日からは、楓さんが僕の姉ちゃんだから」


 礼くんは、にやっと笑った。すっかり元の生意気な雰囲気を取り戻している。良かった。ならば早速、姉権限を行使してみようじゃないか!


「弟よ。姉は大変お疲れなのだよ。肩揉みでもやっておくれ」


 礼くんは、「面倒くせぇなぁ」とか言いながらも、私のカチカチに固まった肩を不慣れな手つきで揉み始めた。

 その時、窓の方から大声がした。


「お前! 楓さんに何やってるんだ?! そこを離れろ!!」


 窓から、さっと部屋の中に乗り込んできたのは忍くん。スパーンと礼くんを跳ね飛ばした彼は、肩揉みを引き継いでくれた。さすが、手慣れた揉み方だ。やっぱりこれも従業員として必要なスキルよね。礼くん、これも育成カリキュラムに加えさせてもらうわ。





 それから一週間。他の従業員の皆から一通りの洗礼を受けた礼くんは、最後に私の元へとやってきた。洗礼の中身? まずは、巴ちゃんが先生となって、止まり木旅館の基礎知識や、旅館従業員としてのノウハウや心構えを伝授。研さん特製激まずドリンクの一気飲み。忍くんからは手裏剣の基礎実習。潤くんからは、『楓さんと止まり木旅館の歩み』と題した特別講義まであったらしい。絶対に変なことを吹き込まれているんだろうな。機会を見て、片っ端から否定しておこう。

 こんな風に、いろいろな目に遭ったみたいだけれど、楽しそうだったので何よりだ。

 で、私は何をするかと言うと、お客様対応の流れを一通り見せることにした。今は、彼を女将部屋へ招き入れたところだ。


「なるほど。ここに、次に来る客の情報が出るんだな。なかなかすごい魔道具じゃん!」


 礼くんに見せているのは、例の不思議な台帳だ。


「礼くん、これは魔道具じゃないわ。でも、特別なものであることには変わりないから、私の許可なく不用意に触らないこと。いいわね?」

「はーい」

「では、そろそろお客様がお着きの頃だから、お出迎えに参りましょう」


 私達は旅館の玄関に向かった。私の少し後ろを歩く礼くんは、新しい作務衣を身に着けている。ちなみに密さんは、舞などの余興専門なので、これまで通りの服装だ。でも、部屋は客室から従業員用の部屋へ引っ越してもらった。


「では、このまま私の後ろで控えていてちょうだい。分かってると思うけれど、余計なことは何も言わないでね!」

「へいへい」


 私が姿勢を正して向き直ると、門は音もなく、ゆっくりと開いた。


「ようこそおいでくださいました」


 丁寧に頭を下げた後、ゆったりと顔を上げてみると、お客様は私の目の前で浮遊していた。


「……」


 今回のお客様は、精霊さん。緑の長い髪に、銀色に輝くドレス。半透明の細長い羽をパタパタさせて、こちらに向かって何かを訴えている。でも、声は聞こえないのだ。


「お客様、こちらは止まり木旅館でございます。私は若女将の楓です。どうぞ中へお入りください」


 これまで止まり木旅館にいらっしゃったお客様は、皆例外なく言葉が通じたし、理解していただくことができた。さらには、私が使っている文字も読めた。だから、そういう仕様なのだと思っていたのだけれど、今回のお客様とはうまく意志疎通が図れない。初めてのことに、私も少し驚いてしまった。

 しかし、たとえ言葉を交わせなかったとしても、お客様はお客様。私は、できるだけのことをして、コミュニケーションを図ろうとした。お客様を満足させるには、話ができないと何も糸口が掴めなくて困るのだ。

 私は紙とペンを持ってきて、お伝えしたい内容を書き留め、精霊さんに見せてみた。しかし彼女は、分からないといった風に首を傾げるばかり。

 今日は、礼くんも居るというのに、このままでは若女将としての示しがつかない。少し焦りを感じ始めた時、言いつけ通り静かに控えていた礼くんが、私の肩をちょんちょんと叩いた。


「楓さん、ちょっと僕が話してみてもいい?」


 そう言うと、礼くんは精霊さんに歩み寄って、突然彼女に抱きついた。礼くん?! 何やってるの?!

 まるで旧友と再会したかのように、固く抱きしめ合う二人。礼くんは、聖人のように穏やかな表情になっている。私の前でいやらしいことするな!と一瞬思ったけれど、それは神聖な儀式のような趣だった。


「よし」


 そう言って、礼くんは精霊さんの頬に軽くキスを落とした。ちょ、ちょっと待って! 礼くんって、そういうことに手慣れている人なのですか?! 私の中では、まだまだウブな男の子だったのに……。私は、今すぐ問い詰めたい衝動に駆られてしまった。


「礼くん?!」

「どうしたの?」

「どうしたの?じゃありません! お客様になんてことを……!!」


 礼くんはちらっと精霊さんを見ると、二人でほほ笑みあって、またこちらを向いた。


「僕は、家系的に精霊と親和性が高いんだ。さっきので、彼女と話ができるようになったんだよ」


 礼くんによると、精霊さんの元の世界では、大気中にマナと呼ばれる魔力の源となる粒子が含まれているらしい。精霊さんは、自分の意志を大気中に発散すると、それがマナを通じて相手に伝わり、反対に相手の話す言葉はマナを媒介して受け止めることができるとのこと。けれど、止まり木旅館にはマナなんてものが無いため、話ができなかったそうだ。

 でも、礼くんは、家宝の精霊剣から精霊の加護を受けて育ったし、私とは違って、体内にマナを溜める器官もあるらしい。だから、彼の体内に残っているマナと、精霊さんの体内のマナを皮膚接触で流通させ合うことで意思疎通が図れたとのこと。

 ぱっと見、同じ人間なのに、作りが違うだなんて……。何だか、私よりもハイスペックだと言われているようで、ちょっとくやしい。


「じゃぁ、文字が読めなかったのは、なぜかしら?」

「精霊に文字の文化はないからね。だからじゃない? ともかく、僕が彼女と手をつなげば話ができるようになったから、安心してよ」


 ま、負けた……。新人にフォローされる若女将。カッコ悪い。

 けれど、お客様に不自由させずに済んだのは良かった。コミュニケーションが取れないのは、お客様にとっても不安なことだと思うから。

 それにしても、先ほどから、したり顔の礼くん。その顔は接客に不要です! 後でお姉さんがご指導いたしますからね!


「楓さん、彼女が、この旅館に何か神聖な物があるのを感じるんだって」

「神聖なもの? そんなもの、あったかしら……」


 精霊さんは、その神聖なものの在処を突き止めたいとご所望だったので、急遽私達は、止まり木旅館探検ツアーへと出発したのだった。





「ここは、地下室の入り口ですけれど……」

「楓さん、この奥に感じるんだって。行ってみよう」


 私達は、女将部屋近くの壁にある扉を開けて、地下へと下っていった。

 地下室の灯りをつけると、精霊さんは、ある箪笥(たんす)の前で立ち止まった。


「楓さん、この中にあるらしいよ。引き出しを開けてもいい?」


 それは、私の母さんの箪笥だった。中には、形見の品や母さんの着物が詰まっているはずだ。母さん、神聖なものなんて、持っていたかしら? 私には心当たりが全く思い浮かばなかった。


「いいわよ」


 精霊さんは、艶やかな黒漆の表面に付いている金色の持ち手に手を伸ばすと、思いっきり引っ張った。すると、僅かに空気が漏れ出る音を立てながら、上から三番目の引き出しが開かれた。

 私は、精霊さんに促されて、引き出しの一番上にあった畳紙(たとうがみ)を外に出す。


「この中にあるらしいよ」


 今のところ、何も特別な印象は見受けられない。私が、礼くんと精霊さんをちらっと見やると、二人とも大きく頷いた。これで間違いないということだろう。

 私は、そっと畳紙の紐を解いた。


「きれい……」


 中から出てきたのは、黒引き振り袖だった。赤や朱色、若竹色の古典柄や吉祥紋が散りばめられ、金糸の刺繍も見事。豪華絢爛という言葉が似合う、まさに芸術品だ。

 黒引きっていうことは……母さんが結婚した時にでも着たのかしら。

 着物をうっとりと眺めていると、精霊さんの背後に扉が現れた。白いペンキが塗られた木枠に植物の蔓が絡まっている扉だ。


「お帰りの扉が開きました」


 精霊さんは、嬉しそうに空中で一回転して羽をパタパタさせると、扉の前へ移動した。


「この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」


 精霊さんには、直接私の声が聞こえないかもしれないけれど、どうかこの願いは届いてほしい。

 私が下げていた頭を上げると、手に持っていた黒引きの袖から、何かがポトリと滑り落ちた。


「これ、もしかして……」


 一冊の和綴(わと)じ帳だった。表紙には、楓の葉の墨絵が描かれている。

 礼くんから何か声をかけられた気がしたけれど、鳥肌が立って、返事するどころではなかった。だって、これはずっと私が探していた物かもしれないのだから。

 私は、一度深呼吸をすると、慎重にページを捲った。


 あった。これだ。

 ついに、見つけた。


 そこには、懐かしい文字が並んでいた。しなやかで優しく、流れるような美しい筆跡。母さんの字だ。これは、母さんの日記帳。

 母さんが、亡くなる少し前から日記をつけていたのは知っていたけれど、遺品の整理をしていた時には見当たらなかったので、不思議に思っていたのだ。


――七月十三日……


 私は慌てて、日記帳をパタンと閉じた。


「楓さん! 楓さん! 大丈夫? すごい汗かいてるよ?!」


 読もうとしたのだ。

 でも、読めなかった。読んだら、また動けなくなってしまいそうだったから。私は、もう母さんに頼ることはできない。どんなに私の中で母さんの存在が大きくなろうとも、もういないのだ。それが事実。


「楓さん?! 顔色すごく悪いよ。とりあえず、上に戻ろう?」

「……そうね。そうしましょう」


 私は、やっとのことで礼くんに返事をした。そして、黒引き振袖を箪笥に片付けると、日記帳を胸にしっかりと抱きしめて、地上へと繋がる階段をゆっくりと登った。

 母さんみたいな女将になりたい。ずっとそう思ってきた。日記帳を読んで、自分の不甲斐なさを思い知らされ、自己嫌悪に陥るのはいつでもできる。しばらくは読まずにおこうと、私は決めた。




「もう帰ったんだ? 今回はやろうと思ってたのになぁ」


 地下室から出ると、翔が廊下の向こうから歩いてきた。


「最近、あまり若い女の子来ないよね。残念」


 近頃は品行方正だなと思っていたら、そういうことだったのか。翔は時折、お客様の女の子と夜を過ごす。ただし、美人に限る。一晩中というわけではなくて、ほんの一、二時間のことなのだけれど、私はそれが好きではない。なぜかと聞かれると理由はよく分からないのだけれど、何となく嫌なのだ。


「お客様とそういうことするの、やめてほしいのだけど」

「じゃ、楓がかまってくれるの?」

「いや、私は、あの……」

「お前、勘違いしてないか? 俺、そんな、やましいことしてないからな? ただ、ちょっと、早く帰れるように手伝ってるだけだよ」

「じゃ、何やってるのよ?」

「知りたい?」


 翔は、私に急接近してきた。最近、翔の近くにいると無駄に緊張する。なぜかしら? 私は、彼の思惑通りになるのは嫌だから、ぷいっと顔を背けてやった。


「大丈夫。楓が困るようなことはしていないから。何なら……楓にも、してあげようか?」


 私は、何となく大人な会話をしているような気分になって、恥ずかしさのあまり俯いてしまった。


「ねぇ、何、二人でいちゃついてるの? そんなことより、そろそろ僕の歓迎会を開いてよ」


 そういえば、今日から礼くんが一緒にいるのだった。私は彼の存在を思い出すと、慌てて顔を上げた。


「歓迎会ですって? こちらに来た初日の夕飯、豪華にしたでしょ? あれでいいじゃない! 図々しいわね。お姉さん、怒るわよ?」

「えー? ないのー?! っていうか、実は僕の方が年上でしょ?」


 確か、礼くんは二十八歳。そして、私は……。

 あああああ!!


「実はね、昨日、潤さんから楓さんの年齢を聞いたんだ。よろしくね、妹ちゃん!」


「だめ!! さすがにそれは、私の沽券にかかわるもの! 看過できないわ! せめて……先輩とお呼びなさい!」


 私と礼くんが睨み合っていると、翔が大きな溜め息をついた。


「いや、普通に若女将か、『楓さん』でいいだろ?」


 ……はい。その通りでございます。




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お読みくださいまして、どうもありがとうございます!

第一弾 『止まり木旅館の若女将』
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第二弾 『止まり木旅館の住人達』
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第三弾 『止まり木旅館の御客様』
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『友達はエアコンお化け〈社内デザイナー奮闘記〉』も完結!
よろしければ読んでやってくださいね♪
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