十一、プロポーズ
台帳を開いた時、思わず二度見してしまったのは許してほしい。次のお客様は、なんとお二人様なのだ。
お二人とも、デコトポン株式会社にお勤めと記されている。デコトポン……。思わず、形は歪なわりに甘くて美味しいあの果物を思い浮かべてしまったが、おそらく関係ないだろう。
問題はそんなことではない。
お二人の名前は、下山貴子様と瀬元修様。そう。名字が違うので、家族関係にはないということだ。お二人は同い年で三十五歳。
一緒にお越しになるなんて、どんな関係なのだろうか。ただの同期なのか。もしくは親戚関係か。それとも、やはり……。
止まり木旅館は、一度にお迎えするお客様が少ないにも関わらず、部屋数はそれなりにたくさんある。私は、粋くんに事情を説明して、三種類のお部屋をあらかじめ用意してもらうことにした。
「粋くん、準備お疲れ様。お部屋見せてもらうわよ」
一つ目のお部屋は瀬元様向け。デフォルトの状態から、渋い雰囲気の掛け軸と画面が大きめのテレビに入れ替えられていた。冷蔵庫を開ければ、いつもよりも多めの種類のお酒が入っている。棚には、たくさんの本が並べられていた。退屈しないようにとの心遣いだろうか。スポーツ関連、車関連、ゲーム関連……女の子が見ちゃダメなものも混じっていた気がするけれど、それはスルーしてあげた。
二つ目のお部屋は下山様向けだった。落ち着いた間接照明で穏やかな空間が演出されている。座卓の上にあるお茶請けのお菓子は通常よりも少し多めに入っていて、急須と湯飲みの器は小花柄が入った可愛らしいものだった。洗面所にあるアメニティもちゃんと豊富に揃っていたし、合格。
そして、三つ目のお部屋に入った。
「粋くん、これは駄目でしょ?!」
ここは、下山様と瀬元様が同室を希望された場合を想定して、準備した部屋だ。片方の方に特別な介助が必要な場合、また、恋人関係にある場合はこの部屋を使うことになるだろう。
「このダブルベッドはちょっと……」
「えー。良いと思ったんだけどなぁ」
部屋は、ちゃんとお二人様用にカスタマイズされていた。コップや歯ブラシなどのアメニティに始まり、飲み物や座布団、様々な物が二つずつ。でも、ダブルベッドの枕元にある小箱は要らないだろう。中身は絶対アレだもの。べ、別に、自分がそういうのと縁が無いから僻んでいるというわけではないんだからね!!
「粋くん、うちは純和風旅館を売りにしているのよ。元々畳文化がある世界からのお越しなのだから、すぐに馴染んでいただけるでしょうし、無理に洋風にしなくても良かったんじゃない?」
「じゃ、せっかく準備したのにもったいないから、僕と楓さんでこのベッド使おうか?」
粋くん、そんな誘い文句どこで覚えたの?!……と思った瞬間、ふっと私の隣に突風が横切った。
「粋、楓さんを困らせるのはいけないなぁ」
見ると、粋くんは忍くんに柔道の横四方固めみたいな技をかけられて、動けなくなっていた。
ここに来る前、忍くんは、陽国の隠密だった。様々な村や街、お屋敷に紛れ込んで、お殿様から命令された情報をばら撒いたり、集めたりしていたらしい。その際、他の城の隠密とも度々遭遇し、利害関係において敵対する場合は戦闘も繰り広げられていたとのこと。この体術は、その際磨かれたものなのだ。
「忍くん、受身も取れない素人くんに、いきなり襲いかかるのはダメよ」
「楓さん、でも……」
「粋くん、このお部屋も普通のお布団でいきましょう。忍くん、ベッドを搬出するの、手伝ってあげてね!」
忍くんは、しゅんとして、粋くんの上から飛びのいた。
「分かりました。粋、これはデコピン株式会社の人のためにやるんだからな!」
「忍さん、デコピンじゃなくて、デコポンですよ!」
いたって真面目な雰囲気で会話しているけれど、正しくはデコトポン株式会社ですからね! お間違えなく!
「はじめまして。デコトポン株式会社企画部二課の下山と申します」
「デコトポン株式会社品質管理部の瀬元です。この度はお世話になります」
私は、お二人から名刺を頂戴してしまった。到着した途端、こんな行動に出る方は初めてだ。
下山様は、ハツラツとした感じの女性。長い前髪は全て上にあげていて、後ろ髪と一緒に結わえられている。つまり、つるんとしたおデコが、よく見える。
瀬元様は……おなかがポンと出ている男性。デコとポン。まさか、これがデコトポン株式会社の入社条件じゃないでしょうね?!
「ようこそおいでくださいました。ここは、止まり木旅館でございます。私は若女将の楓と申します。ささ、中へお入りください」
私は、客室へご案内する前に、お二人の関係を探ることにした。まずは、玄関近くにある、庭が良く見える和室にお通しする。
「素敵な旅館ですね。襖の絵画も、欄間の彫刻も見事です」
「ありがとうございます」
「庭もよく手入れされていて、美しいです。この煎餅に焼き付けられている絵は、襖の引き手の模様と同じものですよね。旅館の紋なのですか?」
「えぇ、そうです。よくお気づきになりましたね。旅館の名前にちなんで、止まり木と鳥を組み合わせた紋でございます」
お茶を飲んでいただき、和やかな雰囲気になったところで、私は本題に入ろうとした。
「あの……お二人は、同じ会社の同期でいらっしゃるのですか?」
「はい。そうなんです。さっきまで同期会の飲み会があったんですけど、家に帰ったら……」
途端に、下山様の顔色は悪くなり、肩を震わせ始めた。
「いかがされました?! 横になられますか?」
「いえ、体調は悪くありません。実は……」
下山様は、飲み会から自宅に帰り、いつも通りに玄関の扉を開けた。すると、キツイ香水の匂いが家の中に充満している。何かおかしいと思った彼女は、匂いを辿って自分の部屋へと急いだ。すると、そこに広がっていたのは、無残に荒らされた部屋。箪笥の引き出しは全て半開き。押入れも開いていて、中の物はほとんどが引きずり出され、床に散らばっている。机の上に並んでいた彼女の香水コレクションは床に落ちて瓶が割れ、ベッドの布団の上には、靴跡のようなものが残っていたそうだ。確認すると、預金通帳などの貴重品は一切残っていない。
泥棒。
その二文字が頭に浮かんだ彼女は、急いで家から出て、駐車場に停めていた自分の車の中に立て籠もった。彼女の両親は既に亡くなっているので、家に住んでいるのは下山様一人きり。もし、まだ泥棒が家の中にいたらと思うと、怖くて震えが止まらなかったのだ。
その時、下山様の携帯電話が鳴り始めた。瀬元様からだった。瀬元様は、直前まで行われていた飲み会の幹事をしていた。下山様が終電に間に合って、無事に家に帰り着けたかどうか、念のため確認しようとしていたのだ。
下山様は、瀬元様の電話に出て、簡単に事情を説明。すると、瀬元様は心配だからと言って、タクシーで下山様の家へ。このままずっと家の中に入れないのも困るので、二人で下山様の家の中の様子を確認することに決定した。そして、玄関の扉を開けると……止まり木旅館の門の前に来てしまっていたらしい。
「それはもう……とんだ災難でしたね。ご心中お察しいたします」
私は話を聞くだけで竦み上がってしまった。泥棒に入られて、家の中を荒らされたというショック。大切な香水コレクションが全てダメになったショック。預金通帳まで盗まれたことによる、この先の生活への不安。ちょっと考えただけでも、とても女性一人で抱えるには厳しい心細さだ。
部屋の中は、しんと静まり返ってしまった。何か言わないとと思うものの、気の利いた言葉がなかなか思いつかない。その時だった。
「下山さん。僕と……一緒に、住みませんか?」
下山様は、きょとんとした顔で瀬元様を見つめた。そして、本当は数秒だったのかもしれないけれど、永遠にも感じられるよう間が空いた。
「……はい」
下山様は、はっきりと瀬元様に返事した。瀬元様は、下山様の手を優しく握る。それと同時に、二人の背後に扉が出現した。
「下山様、瀬元様。お帰りの扉が開きました」
私は、お二人を扉の前へ促した。金属製の扉には、『WELCOME』と書かれたプレートが下がっている。
「あ、うちの玄関の扉だわ」
そう言った下山様は、瀬元様と寄り添って、扉の向こうへと消えていった。
「客はもう帰ってしまったのか」
お二人に出していたお茶を片付けていると、飛流芽さんが、廊下からこちらを覗いているのが見えた。
「はい。とても久しぶりに素敵なお客様をお迎えすることができました。良いお話にまとまりましたし。ちょっと感動ものでしたよ」
「妾も良い客であろう?」
どの口がそれを言うか。
「……そうですね」
「良い話か。そなた達にも早く良い話にまとまってもらいたいものだ。せっかく妾が来たのに、ほとんど進展せんではないか」
「申し訳ないのですが、何のお話なのか……」
「まあ、良い。妾も少しは働くとするかの」
飛流芽さんは、そのまま庭に降りていってしまった。







