十、こいつはお前のものじゃない
今回のお客様は、やたら偉そうな方である。
「冷たいお茶をお持ちしました。どうぞ」
「ありがとう。そこ、置いといて」
彼は、勇者様。なんと魔王との最終決戦でかなり深手を追った直後だったため、到着するや否や、倒れておしまいになった。まだ、うちの旅館で死人は出たことはないけれど、ついに?!と身構えていたら、温泉に入ってあっと言う間に復活。何これ。チートってやつなの?! どうなの?!
もし、お客様がお亡くなりになった場合、扉は現れるのか?とか、御遺体はどうしたらいいのか?とか、いろいろ頭によぎっていたが、要らぬ心配だったようだ。
今は、お風呂上がりのお茶をご用意したところ。水分補給は大切ですものね。
「ねぇ、腹減ったんだけど」
「かしこまりました。すぐにお食事のご用意をいたします」
なんとなく、勇者ってよく食べそうなイメージがあったので、あらかじめお料理はいろいろ仕込んであるのだ。お口に合うといいのだけれど。
日焼けした肌に、筋肉隆々の勇者様だけれど、今は傷が癒えたばかりで病み上がりも同然。ガツンとしたものも良いけれど、栄養価が高くてお腹に優しいものもお出ししてみようか。そんなことを考えながら、部屋を辞そうとした時だ。
「ここって、女の子ないの?」
「女性従業員は、私と後もう一人おりますが……」
「じゃ、呼んできてよ。見てみたい」
何だか嫌な予感がしたけれど、仕方なく私は巴ちゃんを呼んだ。お客様の中には、食事の際、女の子にお酌をしてもらうのが当たり前だと考える方も少なからずいる。勇者様は爽やかなイケメンの癖に、考え方はオッサンなんだな。やれやれ。
「お待たせいたしました。巴と申します」
たとえお客様からいやらしい目つきで舐めまわすように見られたとしても、巴ちゃんは笑顔を崩さない。女官時代に酸いも甘いも味わい尽くした彼女には、些細なことなのだ。
「あんた、実は年増だろ?」
その時、部屋の空気にピシリと音を立てて亀裂が入った気がした。見ると……嘘でしょ?! 巴ちゃんが青筋を立ててる! 初めて見たよ、私。まさか、歳のことがこれ程にもタブーだったなんて!
「おい、表に出ろ! お前みたいに非常識な青臭いガキは、巴様が直々に仕置きしてやるわ!!!」
お部屋の窓を開け放つと、ぐるぐる腕を回しながらお庭に出ていく巴ちゃん。お客様にそんなこと言っちゃ駄目だって! しかも相手は勇者様なのだから、巴ちゃんが危ないよー!
私が、慌てて巴ちゃんと勇者様を追おうとすると、袖がきゅっと後ろに引かれた。
「楓さん、大丈夫です。彼女は、女官であると同時に、皇帝の護衛もしていたそうですよ。腕前は確かかと」
潤くんは、いつものノートを眺めながら、落ち着き払ってこう言った。すると、忍くんまで、それに追随する。
「俺もそう思います。この前なんか、庭の木に止まった鳥を、どこからか取り出した弓で射抜いてました。しかも、一発です。絶対に何かの経験者ですよ」
二人の話に聞き入っていたら、庭の方から熱風が吹いてきた。びっくりして目をやると……
「火炙りの刑にしてくれる!!」
巴ちゃんは、炎が燃え盛る太いロープをブンブン振り回して、勇者様を捕まえようとしていた。
「やめてくれーー!! 庭と旅館が燃える!!!」
忍くんは、辺りに火が燃え移りそうなので、二人を止めにすっ飛んでいった。いつもありがとう、忍くん。
私も、こんな時こそ冷静に……と思いながら、近くの水道を探そうとした。……が、すぐに事態は解決した。
――ザーーーー……
突然、バケツをひっくり返したような豪雨が降ってきたのだ。呆気にとられて空を見上げる私たち。タイミング、良すぎでしょ?! しかし、雨は一瞬であがった。お陰で、巴ちゃんが手に持つロープも無事に消火。
「どうじゃ。雨乞いの祈祷をしてみたのだ。たまには妾も役に立つであろう?」
ふと見ると、庭沿いの廊下に立っていたのは、飛流芽さんだった。
「え……今の、飛流芽さんが降らせたんですか?」
ぐしょ濡れの忍くんが、飛流芽さんに尋ねた。
「疑い深いのぉ。ならば、もう一度降らせてやろう」
飛流芽さんは、その場で艶やか且つ優雅な舞を舞い始めた。
頭上を見上げると、あっという間に空が暗くなり、次の瞬間にはポタリ、ポタリと水滴が。それは次第に大粒になって、ザーっという音を立てる程の大雨になってしまった。
……すごい。本当に降ってきた。ドヤ顔の飛流芽さん。これだから、ついつい彼女の言うことは信じちゃうのよね。
しかし雨は、巴ちゃんの怒りの炎までは、鎮火することができなかったらしい。巴ちゃんは、どこからか取り出した刀を振り回し始めたのだ。すると忍くんと潤くんが、暴れる巴ちゃんを取り押さえに駆けつけてくれた。巴ちゃん、小柄な人で良かったな。そうじゃなかったら、二人がかりでも危なかったかもしれない。
こうして、巴ちゃん最強(最凶)説と、飛流芽さん巫女説が生まれたのだった。
「お客様、女は魔王よりも怖い生き物にございます。くれぐれもお気をつけくださいませ」
私は、地面に腰を落として動けなくなっている勇者様に、そっと手を差し伸べた。
「冷たいお茶をお持ちしました。どうぞ」
はい、本日二回目です。ずぶ濡れになった勇者様には、もう一度温泉に入っていただいたのだ。大浴場の男湯では、また何かあったのか、勇者様は異様にお疲れのご様子。
「身体の傷は、全部治ったみたいだよ」
身体の傷は、ねぇ……。勇者の癖に、巴ちゃんの気迫に負けて、心の傷は負ったままということなのかしら。
「それはよろしゅうございました」
私が返事すると同時に、勇者様の背後に扉が現れた。岩を組み合わせて造ったようなゲート型で、まるでゲームに出てくるダンジョンの入り口のようだ。
「お帰りの扉が開きました」
内心、すごくほっとした。彼が居る限り、巴ちゃんはずっと大荒れになりそうだから、できるだけ早く帰っていただきたかったのだ。
すると、勇者様は、こんなことを口走った。
「じゃ、女将さんでいいわ。一緒に帰ろう」
もう扉が出現したから、一件落着だと安心しきっていた私。完全に油断していた。
「離してください! 痛いです!!」
勇者様は、私の手首をぎゅっと掴んで扉の方へ引っ張っていく。私は時の狭間の住人。どうせ扉を通過できないのだから、早く諦めてほしい。
必死に滑る畳の上で足を踏ん張っていると……
「やめろ!」
翔の声だ。私は、いつの間にか勇者様から引き離されて、翔の腕の中に収まっていた。
「こいつはお前のものじゃない」
数秒間、翔と勇者様は睨み合っていた。でも、すぐに時間切れ。扉は強い光を放って勇者様を吸い込み、やがてその形も消えてなくなってしまった。
私は咄嗟に、いつもの台詞を言い忘れた!と思った。
「そうよね。私は止まり木旅館の若女将なんだから! あんな人について行くものですか!」
私は、翔の腕から離れようとしたけれど、反対にぎゅっとされてしまった。子どもの頃はこんなこと、よくあったはずなのに、なぜか今はすごく居心地が悪い。
「翔、助けてくれてありがとう」
翔は私を解放して、ちょっと寂しそうに笑った。







