表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルケミ・アルケマー  作者: 御手洗スガタ
8/19

呪われミーツハート

「ぴょえええええええええええええええええ~~!!」


 Ⅾザイヤの森の惨状を目の当たりにしたティッティ先生の絶叫が、森の中に響き渡った。

 叫びたい気持ちはよく分かる。俺も、喉の奥から何かが迫りくるような感覚に襲われている。それがなんなのかは、とりあえず出してみないことには分からないが、たぶん、恐らく絵面的にアウトになりそうなので、ここは全身全霊を以て耐えてみせる。

 ていうか、ぴょえええええええええええええええええ~~って。

 独特な叫び声、ではあるけどーー同時に俺の叫び声でもある。泣きたい気持ちすらあるくらいだ。

 決して狭くない範囲が、一瞬にして見るも無残な光景と化したのだーーそれに加えて、文字通りの被害の中心に立っているのが、自分が受け持つクラスの生徒だと言うのだから、一年Ⅾ組の担任教師であるティッティ先生の心中がどのような様相を呈しているものなのか、簡単には想像することができない……。想像を絶するほど荒れていることだろう。目の前に広がっているDザイヤの森くらいに。あるいはそれ以上に。


「怒られる……、怒られちゃう……。どうしよう……、どうしよう……」


 ついにはティッティ先生は膝から崩れ落ちて、そのようにぶつぶつと独り言を呟き始めてしまった。

 何度か述べているとおり、Ⅾザイヤの森は、ここキミア王国が管理している。

 つまりはそういうことだ。これはもはやティッティ先生個人の責任ではなくなっている。全体ーーティッティ先生が勤める王立シュテルンツェルト学園にまで及ぶのだと思われる。その辺のシステムについては詳しくないので断言はできないが、ティッティ先生にはなんらかの形で罰が与えられることだろう。最悪の場合は解雇ーー、はないと信じたいが、本を正せば、元はと言えば、ミーツハートにカゲカリが憑いていることに気が付いて、それを祓おうと提案し、ティッティ先生に嘘をついてまで車を出してもらった俺が悪いのだーー正直に事情を話していれば、そもそもⅮザイヤの森に来ることももしかしたらなかったかもしれない。どうなるものでもないことは分かりきっているけど、しかし俺が全てを話せば、解雇は免れる可能性もあるのではないか……。

 ドリちゃんの悩み消去攻撃を乗りきったとはいえ、俺はつくづく駄目駄目だなあ……。

 直らないーー治らない。いつまで経っても弱いまま。


「ありゃりゃ~、これまたド派手にやっちゃったね~」


 トリスは呑気なもので、そんな風に感想を述べる。


「さすがはミーツハートさん。やることなすことの規模が桁違いですな~」


 うーむ……。ハルプカッツェ人っていうのは、個人個人が一つの兵器、あるいはそれ以上の戦闘能力を秘めているんだなあーーと、俺は改めて実感する。いつかミーツハートの手によって殺されるんじゃあなかろうか。わけもなくなんとなくとかいう理由で葬り去られるのではなかろうか。


「まずいぴょん……、これは非常にまずいぴょん……。ねぎを食べるくらいまずいぴょん⋯⋯」

「すみません、ティッティ先生……こうなってしまったのも、全部俺のせいです……。俺がティッティ先生に無理を言わなければ、こんなことには……」

「それは違いますぴょん!」


 ティッティ先生は激しく頭を横に振った。さっきまで項垂れていたとは思えない、キリッとした表情だ。先生としての顔ーー責任者としての顔。天然で頼りない風ではあるけど、やっぱりティッティ先生は、ちゃんと先生をしているようだった。


「監督不行き届き。……責任の全ては、この私にありますぴょん。Ⅾザイヤの森を知っていながら、ドリアードの生態がどのようなものなのか分かっていながら、それでもこのような事態を招いてしまった……先生失格、どころか、ツヴァイハーゼ失格ですぴょん……。このような失態を晒してしまった以上、ツヴァイハーゼ人の象徴である、この長い耳を切り落とさなければなりません……」

「ええ!? ツヴァイハーゼにはそんなしきたりがあったんですか!? 初耳ですよ!?」

「冗談ですが」

「冗談を言うタイミングがどこかにありましたっけ……」


 でもまあ、誰に責任があるかで争っていても、たぶんいつまでも結論は出ないだろうからな。俺だ私だになるに決まっている、実際なりかけていたし。

 怒られるのは確定だとしても、Ⅾザイヤの森に来たそもそもの目的は果たさないといけない。

 フィールドワーク。

 ではなくて。

 ミーツハートからカゲカリを取り祓うこと。

 究極に開き直っていこう。

 犯罪者の心理って、案外こんな感じなのかもな。開き直る。悪い奴ほどよく眠る、とも言うし。


「ジルくん」

「なんだよトリスちゃん」

「気持ち悪いから二度とその名前で呼ぶなよーーって言ってる場合じゃない。ミーツハートさんが死んでいるよ?」

「んな馬鹿なことーーあ、本当だ。ミーツハートが死んでいるーーって言ってる場合じゃない! 早く泉に連れて行かないと!」

「ミウラさん。今回のフィールドワークの最終目的地は確かに泉ですけど⋯⋯その口調からだと、私にお願いするよりもずっと前から、明確な目的が定まっていた、というように聞こえるんですが⋯⋯、私の気のせいでしょうか? 考えすぎでしょうか?」

「ジルくんは嘘をついていたんだよ、ティッティ先生」

「こらあ! 駄目でしょうが、トリスちゃん!」


 何気ない感じで、嘘をついていたのだと悟らせないように、ティッティ先生には全てを説明しようと思っていたのに!

 嘘つきのレッテルを貼られてしまうじゃねえか!

 ぺたぺたと、まるでミイラのような風貌に、幼馴染みがなってもいいと言うのか!


「嘘⋯⋯ですかぴょん⋯⋯?」


 そんな悲しげな表情で見つめないでくださいよ⋯⋯。


「お⋯⋯、オケツを掘ってしまったようだ⋯⋯」

「お尻に何突っ込んでんのさ」

「ーーと、それはさておき。カビが生えるくらいにさておいて」

「おかないでくださいぴょん! 嘘ってなんなんですか!? ちゃんと説明をしてください!」

「⋯⋯⋯⋯怒りませんか?」

「場合によっては激怒するかもしれませんね」


 なんと。

 ティッティ先生の激怒ーーというのも、なんだか見てみたい気もするけど、おちょくるのはなしの方向で、ここは話を進めることとしよう。

 ティッティ先生が怒らないことを願って。

 しかし心の奥のほうで、ぷんすか激怒してくれることを願いつつ、俺は重い口を開いた。


「実は⋯⋯」



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



『ゾーン』を展開、そのまま維持しつつ、複数の素材を投入していくーーしかしなんだろう、錬金術の授業でもティッティ先生には見られているはずなのに、プライベートというシチュエーションとなると、どういうわけか手が震えてしまう。

 恥ずかしい。トリスに何か言われそうで、物凄く嫌だ。

 どっか行けーーと言いたいところだけど、警戒対象であるトリスは、しかし俺の錬金術など見ておらず、着いたばかりの泉に釘付けだった。

 Dザイヤの森の泉。

 そこは、とても美しいところだった。

 直径二十メートルほどの円形で、泉の中心には立派な樹があって、泉の底のほうに根っこを伸ばしている。アクアブルーの水はとても透明度が高く、泉の向こう側の景色が、まるで宙に浮いているように見えた。

 トリスは泉の水を手ですくって、それから感嘆の息を漏らす。あのトリスでも、この世のものとは思えないような美しい景色を前にすると、なかなかどうして大人しくなるものなんだな。

 景色を持って帰りたいくらいだよ。写真とかではなくて。


「まさかミーツハートさんがカゲカリに取り憑かれていたなんて⋯⋯、体調が悪そうではありましたけど、どうしてそうだと早く言ってくれなかったんですか? 私、一応は先生なのに⋯⋯一年D組の担任教師なのに⋯⋯」

「本当にすみませんでした⋯⋯。正直、ここまで酷い状況になるとは思ってませんでしたので⋯⋯。泉に着いてミーツハートからカゲカリを引き剥がしたら話すつもりではいたんですよ? 本当に。そうなったら話さずを得ない状況ですから」


 イガイガの『ゾーン』に、まずはDザイヤの森の泉から汲んだ水、ラインハイトウォーターを入れる。その次にレッカーライス、ウルトラモールドを追加投入。


「No.7(ナンバーセブン)⋯⋯ミウラさんなら出来ますぴょん。落ち着いてくださいね」

「Cランクくらい余裕ですよ」

「その割には震えが止まらない様子ですけど⋯⋯」

「マンツーマンで見てもらうことがこんなにも緊張するものなのかと、今とても驚いているところです。チビってしまったらすみません」

「だ……大丈夫ですよ! ぴょん!」


 何も大丈夫ではないのだが、難易度はCランクとはいえ油断は禁物だーー全神経を錬金術に注ぐ。集中。集中。集中。

 ラインハイトウォーター、レッカーライス、ウルトラモールドが、『ゾーン』の中をぐるぐると螺旋状に回る。

 三つの素材が光り輝き、そして一つの塊となって、キン、キン、と金属を打ちつけるような音を鳴らしーー中央に留まったところで『ゾーン』を解除、完成したそれを両手で持つ。液体の入った一升瓶だ。

 No.7。一升瓶の中身は、お酒だ。


「いやっほおおおおおおおおう! 宴の始まりだぜええええええええ!」

「待て! 早まるな、トリス!」


 一升瓶をふんだくったトリスを、俺は慌てて止めた。


「肝心のつまみがないだろうが!」

「そこですかぴょん!?」

「何言ってんのさ、ジルくん……目の前にこんなにも素晴らしい景色が広がっているというのにーー、つまみなら最高のものがあるじゃないか! ……しかも減らない! プライスレ~ス」

「お前……、今日はいつになく冴えてんなあ! 雲一つない晴天の如く冴え渡ってんなあ!」

「いやいやいやいや~。それほどでもある!」

「自分で言うかよ! いや⋯⋯言ってよし! 自他共に認める冴え渡りっぷりに、もう脱毛ですよ!」

「おいおい。それを言うなら脱帽、だろう? 毛を脱いでどうするんだい? 羊じゃあるまいし」

「おお! そんなことまでご存知とは、博識ですなあ!」

「博識なんかじゃない、たまたま知っていただけ」

「どこかで聞いたことのある台詞のような気がしないでもない……、ですけど、やっぱりさすがと言うほかありません、トリップさん」

「小旅行を極めし者みたいに言わないでくれる? わたしの名前はトリスだよ。トリス・ローゼンクロイツ・サクラザカだよ」

「すみません。あろうことか、噛みました」

「いや、わざとでしょ……」

「トイレットペーパー」

「紙、巻いてるやつ!?」

「俺がやらなきゃ誰がやる!」

「息巻いてる奴!?」

「俺こそは⋯⋯孤独だぜ!」

「縦に巻いてるお方!? バタフライ!」

「あのぉ⋯⋯」


 俺たちの絶妙で巧妙な掛け合いを聴いていたティッティ先生が、おずおずと手を挙げた。


「なんですか? ティッティ先生」


 予定ではあと数分続けるつもりだったのだが、しかしティッティ先生が止めるのであれば致し方ない。残念この上ないが⋯⋯。


「早くNo.7を使って、カゲカリを祓わなくてもよろしいのですかぴょん? ミーツハートさんは眠っていますが、カゲカリが取り憑いたままでは、溜まった疲労も回復できないと思うのですけど⋯⋯」

「つまりーー巻きで、っていうことだね!」

「いつの間にかティッティ先生も参加してたんですね。良かった⋯⋯、これで続けられる」

「ちーー違いますぴょん!」


 でしょうね。分かっていますとも。

 楽しい楽しい会話劇はこれにて閉幕。

 巻きで行こう。


「と、いうわけでトリス、No.7をこちらへ」

「は〜い⋯⋯」

「⋯⋯なんで手を離さないんだよ」

「離したいよ? 離したいのは山々なんだけど、このおててが言うことを聞かなくて。それとも強力な接着剤でも付いているのかなあ? アロンオメガ」

「んなわけあるか。ふざけてると、また髪引っこ抜くぞ」

「引っこ抜いたら仕返しに髪毟り取るぞ」

「毛を少なくするで毟り取る、か⋯⋯本気でやめておくれ」

「ふん⋯⋯たかが髪の毛如きで喚き立てるでないわ」

「女性の髪の毛について熱く語っていた奴はどこのどいつだよ⋯⋯ていうか男にも髪の毛は必要だ」


 だから巻きで行こうって言っているじゃないか。

 ていうかこいつ、結構力強くね?

 これも酒の力ってやつかーー恐ろしい。飲んではいないが。

 トリスからNo.7を返してもらって、その一升瓶を、仰向けに眠るミーツハートの前に置く。影の前に置く。

 するとミーツハートの影に、二つの大きな眼球が現れた。なんだなんだ、と言うように、一升瓶を色んな角度から観察している。

 カゲカリを祓う、と言っても、要は交渉するだけだ。特別なお酒を用意して、影から出て行ってくれとお願いするだけだ。


「⋯⋯先生。どのようにすればいいんですか?」


 祓う方法は分かっていても、細かい作法とかがあるかもしれない。ここでカゲカリを怒らせてしまっては、全てが水の泡となる。


「まあ、丁寧を心がければそれでいいと思いますよ。上から目線でものを言われて喜ぶ人がいないのと同じように、カゲカリもへりくだった態度で接してあげれば、必ずこちらの気持ちが相手に伝わるはずですぴょん」

「色んな人がいるように、カゲカリも分からないよ? 逆に上からのほうが興奮するかも。ーーは? 何? まだいたの? さっさと出てってほしいんですけど〜。みたいな?」

「特殊なメイド喫茶じゃあるまいし。普通に丁寧口調でいかせてもらうよーー、カゲカリさんカゲカリさん」

「毟るよジルくん」


 それはやめろ。

 っと。丁寧に、丁寧に。


「カゲカリさん。お願いがあります。僕の大切な友達の影の中から、申し訳ないのですけど、出て行ってはくれないでしょうか。ここにお酒がございますので、これに免じて、何卒、何卒どうかよろしくお願い申し上げます⋯⋯」


 俺は恭しくゆっくりと頭を下げた。


「むず痒い! 全身がむず痒い! これほど堅苦しいのが似合わない人間がこの世界に存在していたとは⋯⋯!」

「やかましいわ。これほどやかましい人間がこの世界に存在していたことにびっくらこいたわ」


 真剣にやっているんだから、頼むから黙っていてほしいーーもしカゲカリを祓うのに失敗したのなら、失敗の原因は百パーセントトリスにあるからな。そうなったら、俺の恭しさを返してもらうぞ。年上とかに使う敬語などとは比べものにならないくらい、俺の精神力はガリガリと、ゴリゴリと、容赦なく削り取られたのだから。

 というか、何事もなくミーツハートの影からすんなりと退散してくれれば、それで問題が一つ解決するのだ。それに、何もミーツハートの影を借りることはなかろうに。また、人間である必要も、全然なかろうにーー、もしかしたらミーツハートの影の中は居心地がいいのだろうか? それともミーツハートの陰の部分は、それほどまでに美味なのだろうか⋯⋯? デリシャスなシャドウなのだろうか⋯⋯?

 ーーしていると、果たしてカゲカリに動きがあった。今まではギョロギョロと大きな目を開けていただけだったのだが、今度はあーんと、これまた大きな口を開けるのだった。そして影が盛り上がり、顔のような形となったーーと思った時には既に、カゲカリは一升瓶の蓋を器用に口で外していて、次の瞬間には俺の手から一升瓶を奪い、それを逆さまにして豪快にラッパ飲みを始めていた。

 よい大人は真似しないでねっ!

 ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴキューーと、No.7を一気飲みしたカゲカリは、一升瓶をぷっと吐き出してーー


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯消えた⋯⋯⋯⋯、のか? 出て行ってくれたのか⋯⋯?」


 ミーツハートの影に浮かぶ大きな目と大きな口は閉じられている、いるけどーーミーツハートの影の中からカゲカリが出て行ったかは、無事お祓いが成功したのかどうかは、しかし見た目だけでは分からない。お酒だけ飲んで影の中に引っ込んだだけかもしれない。飲み逃げは許さないぞ。No.7に見合った代価はきちんと払ってもらわないとな。

 などと思っていると、「んん……」と、ミーツハートが声を出して、それからゆっくりと目を開けた。


「気が付いた!」


 トリスが身を乗り出す。顔を押しのけてくるのはやめてくれ。


「んん……? んん……。うむ……。なるほど。理解した」

「理解力が神がかってんな、お前。それより、体の調子はどうだ? 怠い感じとかは残っているか?」


 ミーツハートはしばらく体の感覚を確かめるように手をぐーぱーぐーぱーとしてから、


「ないな。どうやらカゲカリとやらは出て行ったらしい。まったく、人騒がせな奴じゃのう……」

「ねえねえミーツハートさん。ジルくんに何か言うことがあるんではないかね?」

「そうじゃのう。……ジル・ヘルメス・ミウラ。褒めてつかわす」

「全然嬉しくねえ……。じゃなくて、礼には及びませんよ。ライム・ミケット・ミーツハート様。完全復活なされて良かったです」

「うむ。--しかし神秘的な光景じゃのう……。心が洗われていくようじゃ」

「ほんと、そうだったらいいんだけどな」

「余計なこと言わないほうがいいよ、ジルくん。口は災いの元って言うし。それに気を抜かないことだね。まだ何があるか分からないから。ただいまって言うまでがフィールドワークだよ」

「お前こそ余計なことをべらべらとのたまってんじゃねえよ。そんなこと言ってたら本当に」

「……来る」

「どわあ!? ーーって。ドリちゃん? お家に帰ったんじゃ……」

「……そこ。吾輩のお家」


 ドリちゃんは泉の中央にある大きな樹を指差すーー、ああ、なるほどね。

 そうなると、この森のボスっていうのも、あながち間違いではないな。

 再登場は素直に嬉しく思うけど、それにしても、一体何が来ると言うんだろうか?


「おい」


 --と、ミーツハートは立ち上がりながら言った。

 髪の毛が逆立っているし、尻尾もぴんと張っている。

 ハルプカッツェ人の威嚇なんてそうそう見られるものではない。じっくり髪の毛の先まで観察したいところではあるけど、そんなことをしている場合では、どうやらないらしい。


「魂を焼かれそうなくらい、やばい奴が来るぞ」


 魂を焼かれそうなくらい? なんだよそれ。

 と、そんなことを思っていると、分かりにくい表現にやや困っているところに、なるほどなかなかどうして言い得て妙な、ミーツハートの言うところの、魂を焼かれそうなやばい奴が現れた。

 木々を掻き分けて。

 木々を腐食させながら。

 Dザイヤの森を侵食するように。

 Dザイヤの森を我が物顔で。

 ドリちゃんのお家であるにもかかわらず。

 ドリちゃんはボスであるにもかかわらず。

 悠然と。

 悠々閑々と。

 場違いだなんて度外視で。

 それはご登場なさったのだった。


「確かに。やばやばオーラが全開だな⋯⋯」


 青白い炎に全身が包まれたそいつは、見た目的にはゴースト系のそれだけど、しかしどうだろうーーどの図鑑でも見たことがない。新種かどうかは、心底どうでもいい。栄誉? 何それ? 人間に必要なのは栄誉じゃなくて栄養だろう。


「何あれ⋯⋯。何あれ何あれ何あれ何あれ何あれええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ〜〜っ!!」


 隣の幼馴染みがあり得ないくらいやかましいが、まあこれに関しては大目に見よう。

 とにもかくにも。

 何はともあれ。


「し⋯⋯、死ぬ気で逃げろおおおおおお!!」

「イエッサー!!」

「ぴょん!!」

「遅れるなよ、お主たち!!」

「⋯⋯エスケープ」


 現れたなら現れたでそれはそれでいいのだが、なぜか全速力で追ってくるのであれば、こちらとしては逃げないわけにはいかない。

 それで、情けないことに俺が最初に逃げ出したのに、なぜ俺が最後尾なの?

 運動不足だなあ、この野郎⋯⋯。


「んなあっ! ⋯⋯なんとかしてよ、誰かあ〜!!」

「ま⋯⋯、待ってぇ!」


 ティッティ先生は自慢の脚力でぴょんぴょんと逃げている。

 ミーツハートは自慢の身体能力で楽々と逃げている。

 トリスは実は、何気に足が速い。なんでだよ。

 ドリちゃんはスキップでるんるん。だからなんでだよ。


「ジル・ヘルメス・ミウラ! 遅れておるぞ!」

「ま⋯⋯待って! 待ってってばあ!」


 時に。

 怖いもの見たさ、っていうのがあるよな。人間の恐ろしい性質。人間のサガ。本能的な部分。

 つまり何を言いたいのかと言うと、まあ、ただ逃げながら後ろを見てみただけなんだけど。

 それで。

 ふわふわと、足のない炎のゴーストが、こちらに骨ばった腕を伸ばしてーー


「きゃあああああああああああああ!!」

「後ろに女子がいる!?」


 恐怖は人をスピードアップさせる。そして少し距離を離すことに成功。

 俺たちは来た道を逃走経路に選んでいるのだが、そうなると必然的に、ミーツハートが破壊した道を通らなければならない。


「ミーツハートさん! ミウラさんをお願いします!」

「ちっ⋯⋯、カニ缶で手を打ってやる!」


 ティッティ先生はトリスをお姫様抱っこで、ミーツハートは俺の制服の首根っこをむんずと掴んで、自ら破壊した道をひとっ跳び。俺は猫の赤ちゃんじゃないぞ。

 それでもさらに距離を離すことができたので、まあよしとしよう。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。げ⋯⋯、限界かも⋯⋯です、ぴょんーー」

「ティッティ先生!? ここが踏ん張りどころなのに〜!」

「ったく。これだからツヴァイハーゼは⋯⋯」

「く、び⋯⋯首がもげた⋯⋯」


 距離を離したと言っても、どうせ数秒後には追いつかれる。機動力が削がれた俺たちに待ち受けている運命は、占い師でなくても視える。ずばりそれは死です。運命を変えるのは自分次第です。

 あー。万事休すかー。


「⋯⋯乗る?」


 と、そう言ったのは。

 二頭のルートホースを連れてきてくれた、救世主ドリちゃんだった。

 樹の精霊であり、Dザイヤの森のボスであり、俺たちの女神様だった。


「「ドリちゃああああああああん!!」」


 トリスと綺麗にハモったーーああ、なんだかドリちゃんの周りにキラキラしたものが見えるよ。ついにCG技術は現実世界にまで進出したのか。CGは超現実の略なのか。

 トリスは俺と一緒にーーと、普通ならばそういう組み合わせになるのだろうが、いかんせんどうしようもない緊急時なので、そのままの流れで、俺はミーツハートと組むこととなった。


「ぐえっ」


 だから首根っこをむんずと掴むなよ。そして流れとはいえ、死が迫っている緊急事態とは言っても、普通は男が前に座るものだろうにーー本当に情けない野郎だなあ、俺は。


「しっかり掴まっていろよ、ミーツハート! 舌を噛むからな!」

「それはこっちの台詞じゃ! ーーはっ」


 手綱はないが、まるでそこに手綱があるかのような身のこなしだ。結果的に後ろで良かったのかもしれない。

「ヒヒーン」というように前足を高く上げ、ルートホースは走り出す。速度は本物の馬と比べても遜色ない。これなら逃げ切れるかも……! 俺は後ろを確認する。


「--------」


 声のようなそうでないような声を漏らした青白い炎に包まれたゴーストは、しかし徐々に俺たちとの距離を着実に詰めてきていた。


「ルートホースでも駄目なのかよ! ていうかそもそもなんなんだよ、あいつ!」

「そ~だそ~だ! こっちくんな、エッチ~!」

「先生!」

「わ、私も困惑しているんです! ドリちゃんさんは何か心当たりがありますか!?」

「……さ~ね~」


 などと言うドリちゃんは、手を振りながら森の中に消えていった。


「いやいやドリちゃん! じゃ~ね~みたいに言い残して離脱しないでくれる!? --んあーもお!!」

「なんじゃいきなり奇声を発しおってからに!」

「ミーツハート! 俺の背中を頼む!」

「はあ? --な!? くそじゃのう、お主!」

「誰が鼻くそだ!」


 ミーツハートが俺を鼻くそ呼ばわりするのには理由があって、その理由とは、俺がいきなり奇声を発したからーーではもちろんなく、いやそれも含まれているかもしれないが、一番有力だと思われるのが、百八十度、身体を動かして、背中をミーツハートに向けたことだろう。この状況で正面を背面にしたことだろう。しかし仕方のないことなのだ。集中するには、できるだけ楽な姿勢でなければならないのだから。


「ジルくん!?」

「あいつの動きを封じる!」

「こんな時に何言ってんのさ~!」

「ダジャレじゃねえよ! ーーあいつを『ゾーン』の中に閉じ込める!」

「できるのか!? ジル・ヘルメス・ミウラ!」

「やってみるしかねえだろ……いや、やるんだよ!」


『ゾーン』は、基本的には自由自在に操作することができる。発火させたり凍りつかせたり爆発させたりはさすがに無理だが、俺のイガイガのように変形させたり、移動させたり、凝固させたり。

想像の域からの逸脱グロウスアップファンファーレ』の応用だ。

『ゾーン』を操り錬金術を行うための力。

 俺はまず、手元に小さなトゲトゲの『ゾーン』を作り出した。魔法少女パピリリカの、魔力の結晶をイメージした『ゾーン』だ。

 それを移動させてーーカッコよく言うと打ち出して、ゴーストのところまで持っていく。そして一気に膨張させてゴーストを『ゾーン』内部に捉えてーー、凝固させて、捕らえる。『ゾーン』の檻の完成だ。

 行く手を阻まれたゴーストは、そのままの勢いで『ゾーン』に激突した。が、すぐに、破ろうと試みているようで、骨々しい腕を乱雑に振り回し始める。


「うお〜う! ティッティ先生ストップ! ミーツハートさんもストーップ!」

「妾に命令するでないわ! 今回は渋々止まってやるがな!」


 さすがはトリス。

『ゾーン』を維持するので限界だからなーーこう揺れていては霧散しかねないし、それにお尻も痛いし。

 ゴーストはなおも破壊しようと頑張っているがーーおめでとうございます、その頑張りは報われそうですよ。

 なんという馬鹿力か。


「トリス、二重構造でいくぞ!」

「ほいきた!」


 俺の展開した『ゾーン』にはヒビが入り始めていて、その範囲が徐々に広がっているのを見て、トリスは俺の言いたいことを瞬時に把握、『ゾーン』の展開準備に入る。


「しーかーくー。⋯⋯ボーックス!」


 トゲトゲの『ゾーン』を変形させる。

 四角く。箱形に。正六面体に。錬金術師がイメージする一般的な『ゾーン』の形に。

 言うなれば俺の『ゾーン』は異端的なそれなので、こうして声に出して形をイメージしなければちゃんとした形にはならない。もちろん個人差はあるが。

 いきなり形が変わったからか、ゴーストは攻撃を空振ったーー猛攻が一瞬やんだところで、


「ふんぬ!」


 トリスが『ゾーン』を展開した。ふんぬ! とはなんじゃいな。

 ともかく『ゾーン』の二重構造の完成だ。

 完成したはいいが、……完成したところで、どうなんだ? 一枚厚くしたところで、事態は好転するだろうか? 思うように事が運ぶだろうか?


「ーーーーーーーー」


 俺の不安を知ってか知らずか、ゴーストは青白い炎の玉を、手のひらの上に生み出していた。

 うーん⋯⋯まあ、あれをぶつけてぶち破ろうって考えなんだろうけどーーおめでとうございます、その考えはもの凄く正しいと思いますよ。


「どうすんの次!? 当然何か考えてるんでしょう!?」


 お前も少しは考えろ! と言い放ちたいところだが、生憎そんな余裕は、どんな隙間を探してみても見つかりっこない。


「トリス、知ってるか? 俺って頭悪いんだぜ?」

「知ってるよお!」

「やってる場合か! そのまま彼方へおさらばすればよかろう!」


 後ろでミーツハートがそう言った。


「なーー、天才だな、お前!」

「そうと決まったら! やるよ、ジルくん! ーーせ~のっ」


 一瞬でもタイミングがずれれば恐らくどちらかの『ゾーン』が消えていただろうが、そこは俺とトリス、幼馴染みのナイスコンビネーションでぴったりと息を合わせることができた。

 箱形の『ゾーン』がみるみる遠ざかっていく。

 だけど、移動するのにも限界があるから、今の俺にでき得るギリギリのところまで持っていってみせる。彼方へ。おさらばだ。

 青白い箱から青白い点になったところで、俺たちの限界、もしくは『ゾーン』の耐久値が、限界を迎えたようだった。

 凄まじい爆発が、Dザイヤの森で起こる。

 怒られるではもはや済まない規模の大爆発が、恐らくドリちゃんの家付近で起こった。

 次いで起こったのはーーやってきたのは、腹の奥まで響く爆音。そして爆風だった。

 人間の身体を軽々と吹き飛ばすほどの猛風だ。この中で一番重いであろう俺までもが、まるで凧のように風に乗った。

 どのくらいの時間、空中にいただろう。妙に長く感じられたフライトは、固い地面に不時着するということなく、弾力のあるクッションによって無事着陸と相成った。

 ティッティ先生が展開した『ゾーン』だ。檻を作った際の凝固とは逆に、軟性を備えた『ゾーン』に変化させることで、俺たちを怪我から守ってくれたのだ。ぼよんと跳ね返った俺たちは、しかし各々、どこかしら地面に打ち付けていたが。言わずもがなだが、ミーツハート以外。

 背中を強打した俺は、痛みを堪えつつゆっくりと立ち上がって、横たわる二頭のルートホースに近寄っていく。さすがのティッティ先生でもルートホースを守ることには手が回らなかったらしく、ルートホースの体は、地面で擦った痕でいっぱいだった。しかし体を構成しているのが柔らかな樹の根っこで本当に良かったーー、じたばた暴れるようにして立ち上がると、二頭のルートホースは、元気に走り出して森の中へと消えていった。

 と、呑気に見送っている場合ではない。

 爆発の後、ゴーストは一体どうなったのか。

 自分の攻撃で自滅してくれていればそれで万々歳なのだが、しかしどうなんだろう、どうしても、俺にはそうは思えない。この程度でやられるような存在だとは、全然思えない。

 油断大敵、と言うが、油断なんて絶対にできない状況だ。


「今のうちに森を出よう。いつ復活するかも分からないからな……」

「そう心配せんでも、もう大丈夫じゃろう」

「⋯⋯? なんでそう言い切れるんだよ」


 ミーツハートが自分に、もう安心だよ良かった良かった、と言い聞かせるために強がって言った台詞だとは考えられなかったため、俺がそう訊ねると、ミーツハートは少し思案するような間をおいてから、


「なんとなく」


 --と、なんともぼんやりとした理由を述べたのだった。

 少しは発言に責任を持ってほしい。

 ゴーストが再び現れたら激しくそうツッコんでいたところだけど、幸いそのようなことが起こることなく、俺たちはなんとかⅮザイヤの森から脱出を果たしたのだった。

 行動範囲がⅮザイヤの森限定だとは限らないけど、こうしてゲートをくぐると、駄目だと分かっていても安堵してしまう。ゾンビ映画などでは絶対に次の瞬間にはやられる王道パターンだ。

 さて、ゴーストの次は、受付にて何があったかの報告だが、てくてくと戻ってきたティッティ先生の口から、絶望の色のまったくない、意外な言葉が飛び出した。


「あの……、整備はやっておくので気にしなくてもいい、だそうですぴょん」


 気にしなくてもいい。つまりはお咎めなし? そんなことがあってもいいものなのだろうかーーいやもちろんあったほうがこちらとしてはこれ以上ないほどにありがたいのだが、なんという心の広さだろうか。シュトラール大陸では狭すぎるくらいだ。

 気にしないでいいのなら、とことんまで気にしないことにしよう。

 そんなこんなで。

 行きがそうだったのだから当然帰りもそうなるわけで、ティッティ先生の車に向かっている俺とトリスの口からは、絶え間なく長い長いため息が出続けていた。

 精神に追加ダメージとはなんたる仕打ちだ。


「ため息をつくと幸せが逃げていくと言うのう」


 他人事のようにミーツハートは言う。

 おや。ドリちゃんのお蔭でハートが強くなったのかな?


「幸せだと感じるのは人それぞれだからな⋯⋯はあ〜」

「ジルくんの幸せは世界が平和であることだもんね⋯⋯はあ〜」

「俺はそんなにビッグなヒューマンじゃねえよ⋯⋯はあ〜」

「⋯⋯ミジンコ」

「もうちょいでけえよ⋯⋯はあ〜」


 世界が平和であるならそれは大歓迎、というか当然そうあるべきだが、まずは身の回りの平和を確立させたいところなんだが。心の安らぎを、どうか提供してほしいところなんだが。

 ティッティ先生がいるので口にはできないが、なんだか死地に赴く気分だ。死地を脱したばかりなのに⋯⋯。どうしてこう、幸せではなく不幸を掴まされなければならないんだ。

 誰か俺を幸せにしてくれ。


「にゃふふ⋯⋯重苦しい空気が漂っているわね。見ているこっちまで息苦しくなっちゃうわ」


 ーーと、もうすぐティッティ先生の車に到着、というタイミングで、またまた不幸の気配がこちらにやってきた。

 ネーブル・ブリューゲル・カリオストロ。

 ミーツハートの妹。

 なんで普通にしれっと登場してくれちゃってんの?


「なんでここにいるのか、なーんて質問は受け付けていないから、悪しからず」


 そんなことを言われてしまっては、こちらとしては会話のしようがないんだけど。キャッチボールの一投目が投げられないんだけど。

 戸惑っていると、ミーツハートが前に出た。


「ネーブル。またシュトラールに来たのか」


 その声色は以前の萎縮した感じとは違っていて、けれども俺たちと話すような口調でもない。そうーー家族と喋っている感じだ。

 その至って普通の感じに、ネーブルは一瞬、びびっているような表情を見せた。

 あまりにも堂々としているミーツハートのことを、なぜだか怖がっているようだった。

 思っていたのと違う、といった様子。

 そりゃあそうだ。


「プバーテートでやることがあるじゃろう。カリオストロ家に生まれたからには、一般人とは違う生活をしなければならんのだからな。小学生とて、それはなんら変わらん」

「逃げ出したお姉様に言われたくなんかないにゃん! わたくしだって、色んな施設を視察したり! 難病で苦しむ人たちの支援だってしてるんだから!」

「それは当たり前のことじゃろう」

「な⋯⋯何があったかは知らないけど⋯⋯、お姉様が弱いことには変わりないわ。違う?」

「確かに弱い。三つも下の妹に力で劣るなど、あってはならないことじゃ」


 じゃがのうーー、と、ミーツハートは言った。


「妾は妾じゃ」


 ミーツハートはミーツハートだろ。月並みではあるけどーーと前置きして言ったくさい台詞だったけど、意外にもミーツハートの心に残っていてくれたみたいだ。


「ーーっ! ⋯⋯、『わ』ばっかりで何言ってるのか分からないわわわわわわ」

「ぶっ、あははははははははは!」


 爆笑するトリス。

 ミーツハートのこめかみがピクピクと痙攣した。気がする。


「姉を馬鹿にするとはいい度胸じゃのう? ネーブル」

「『わ』ばっかりのお姉様が悪いんじゃない! このーー『わ』の女王様!」

「『わ』の女王様。⋯⋯ぷ。ぷはははははひひひひひひひひひひひ〜!」

「笑い死ぬ気かお前は。でも確かに、『わ』の女王様は傑作だな」

「そういえば、そろそろ爪を研ごうかと思っていたところじゃった。どこかにいい感じの爪研ぎがあれば良いのじゃが⋯⋯」

「俺を見据えて言う台詞じゃないぞミーツハート。その辺にいい感じの樹が死ぬほど生えているだろうが。ドリちゃんが良ければドリちゃんの樹でガリガリやってくるといい」

「あやつには世話になったからのう。それはできん」

「俺の扱いようも少しは緩和してくれよ⋯⋯。にしても、結局、あのゴーストはなんだったんだろうな」

「ドリちゃん? ゴースト? 一体なんの話をしているのよ」

「話せば長くなる」

「予想以上に大変だったのね⋯⋯」


 ん、予想以上? どういう意味だ?


「Dザイヤの森の守り神とか? 結構派手にぶちかましたからね〜、ミーツハートさん」

「あれは仕方なかったのじゃ。力で強引にねじ伏せてやらなければ、逆にこちらがねじ伏せられていたじゃろうからのう」

「仕方がなくという理由で森を破壊するのはどうかと思うけど⋯⋯なんにせよ無事に脱出できたこと、それに今回の破壊活動を見逃してくれたことは、本当に良かったと思うよ⋯⋯。ところでネーブルはどうしてここに?」

「その手には乗らないわよ。手乗りハルプカッツェにはならないわよ。けれど⋯⋯どうしても知りたいと言うのなら、教えてあげないでもないわ」

「俺たちがDザイヤの森を訪れることは予想していたって言うのか?」

「予想することは容易いけど⋯⋯わたくしたちの情報収集能力のほうもナメないでほしいわね」

「予想することは容易いのか。なんで容易いんだ? どうしてラインハイトウォーターが必要だと予想がつくんだ?」

「それはもちろん」


 ネーブルは言った。


「わたくしがお姉様にカゲカリを取り憑かせたからよ」

「なるほどな。ネーブルはミーツハートにカゲカリを取り憑かせる目的で王立シュテルンツェルト学園を訪れたわけだから、カゲカリを祓うのに必要不可欠なラインハイトウォーターを手に入れるためにDザイヤの森に入るーーそうかなるほど得心がいったよ。落ちるとこまで腑に落ちたよ。急転直下だよ。ひゅー、すとん、だよ。あー⋯⋯トリス。俺の身体を全力で押さえつけてくれないか。でないと躾という名目で固く握った拳をネーブルの頭に振り下ろしそうだーー」

「おお、落ち着きたまえ〜。鎮まりたまえ〜。大丈夫だよジルくん。わたしも同じ気持ちだから」

「そうか。⋯⋯なら一緒に」

「うん。一緒に」


 俺とトリスは拳を握りしめる。

 人様の妹とか関係ない。

 カリオストロ王家と戦うことになっても構わない。

 戦争ウエルカム。


「待てお主たち。カリオストロを敵に回すつもりか」


 さすがに止められた。冷静なミーツハートでなければ本当にごっつんこしていたところだ。

 ふぅ。危ない危ない。

 げんこつ、と言っても、暴力と紙一重だからな。行為的には殴っているわけだし。

 難しいなあ⋯⋯。


「まあ、げんこつをくれてやる前に、ネーブルにぼこぼこにされるのは目に見えているがな」

「お姉ちゃんがぼこぼこにされるくらいだからな。格闘技の心得のない俺たちには、土台無理な話だった⋯⋯」

「それでも、わたしは……わたしはあ……!」

「にゃふふふふふ⋯⋯」


 ネーブルは楽しそうに笑った。


「その様子だと、カゲカリを祓うことにはなんとか成功したみたいね。とりあえずはおめでとう、と言っておくわ。お姉様、いい友達を持ったわね。なかなかここまでしてくれる人なんて滅多にいないと思うわよ。人生において誇れる友達と言ってもいいんじゃないかしら」

「ホコリまみれの間違いではないかのう」

「おい」

「わたしはキレイキレイだからね~」

「そんなあなたたちにプレゼント。受け取ってちょうだい」

「プレゼント? 姿を目にするのも憚られるほどみすぼらしい俺たちに?」


 ネーブルは一人一人手渡しでプレゼントとやらを配った。ミーツハートも含めて、この場にいる全員にだ。見ると、いかにも何かの招待状が封入されていそうな高級感漂うペーパーアイテムだった。下手をすると俺が今着ている制服よりも、かかっている金額が高いかもしれないーーまあこれはさすがに言いすぎだとしても、それなりにお金をかけていることは確かだ。


「開けても?」

「どうぞどうぞ」


 破かないように慎重に封を切って……、取り出した中身を見たトリスが声を上げる。


「現ナマぁぁぁぁぁぁぁ~!?」

「ちゃうわ。よく見ろ。……、ダンスパーティー……? の、招待状?」

「そのようですぴょんね……」

「ネーブル。これは一体どういうことじゃ。どういう腹積もりで用意した。姉である妾にカゲカリを取り憑かせるだけでは飽き足らず、カリオストロに招いてのダンスパーティーとは。--何か企みがあるようにしか、姉である妾でもそう思わざるを得ないのじゃがのう」


 ぎろり。ミーツハートはネーブルを睨んだ。

 しかしネーブルは臆さない。怯まない。


「考えすぎよ。考えすぎ。錬金術教育に特化した王立シュテルンツェルト学園は、人間不信を生み出す学校でもあるのかしら。ああ怖い怖い」

「お主の通う学校は嫌味の言い方や嫌がらせの方法を学ぶことができるのかのう。羨ましい限りじゃ」

「にゃふふ⋯⋯。でしょう?」


 ここで、クロロさん、だったっけ? が、突然湧いて出てきたように音もなく現れ、ネーブルに耳打ちした。それを聞いて、ちょっとだけムッとなるネーブル。


「分かってるわよ。分かってるから。⋯⋯ごめんね、お姉様。もう行かないと。それじゃあ、ダンスパーティーでまた会いましょう。あなたたちもーーね?」


 あなたたちも、と言った割には、俺にしか視線を向けてはいなかった。気のせい甚だしい勘違い野郎かもしれないが、なんだろうーー獲物を狙う猫のような鋭い視線。

 俺はネズミじゃないぞ。そうだとしても、窮鼠猫を噛むということわざをお前に送ろう。

 はむはむしてやるぜ。

 ネーブルは最後に「にゃふふ」と笑って、真っ黒なリムジンに乗り込んだ。そして間もなく発車する。


「なんでリムジンって長いんだろうな」

「さあ? とにかく長くしたかったんじゃない?」

「タイヤの距離を離すことで揺れを軽減しているんですよ。シンプルに乗員数も増えますし、あとは居住性が高まりますぴょん」

「へえ、そうだったんですか。先生はなんでも知ってますね」

「いえいえ。たまたま知っていただけですよ」

「返しがなってないな〜、ティッティ先生。修行が足りんぞ!」

「? ⋯⋯?」

「ティッティ先生を困らせるなよ。先生は先生でも、ティッティ先生なんだからな」

「ミウラさん。それはどういう意味ですか?」

「それはそうとミーツハート。ダンスパーティーの件、俺たちはどうすればいいんだ? 招待状を受け取ったからには、それなりの理由がない限り、行かないわけにはいかないと思うんだけど⋯⋯」


 ミーツハートは、じっと招待状を見つめている。

 しばらくして、彼女は大きなため息をついた。


「はぁ〜〜〜〜ぁぁぁあああああッ!」

「なんか放出しただろ、お前!?」

「ストレスじゃ」

「ストレス波ぁ!? なんかめちゃくちゃ疲れそうだな、食らったやつ」


 何気に最強なんじゃねえか?

 ストレス波。


「ネーブルの奴め⋯⋯ああは言っておったが、絶対に何か裏がある。そうに違いない」

「お姉ちゃんだから分かること、感じること、ーーなのかもな。でも、兄弟姉妹じゃなくても不信感は抱かざるを得ないと思うぞ? 俺だって一波乱あるだろうなあと予想してるし。それがなんであれ、⋯⋯まあ、乗り越えればいいことだろ。ドリちゃんの試練に打ち克った俺たちに、もはや怖いものなんか、この世に一つとして存在しないんだ!」

錬金術アルケミーと生物以外の成績が怖いんじゃあないのかな〜? 高校に上がって、地獄の底くらいにまで落ちるんじゃあないのかな〜?」

「うっ⋯⋯」

「こりゃあ、一波乱も二波乱もありそうだね〜」


 うるせえよ、と言いたいところだが、悲しいかな、トリスの言うとおりであるーー俺は錬金術と生物以外の教科科目が、絶望的なまでに駄目駄目なのだった。

 でも。数学者や科学研究者など、その分野の知識が必要なのは当たり前として、一人前の錬金術師を目指している俺には、果たしてその、無駄とは言わないまでも、人生においてほとんど意味を成さない科目の知識は必要だろうか? いいや必要ない。足し算引き算掛け算割り算、水を温めると気体になって冷やすと固体に変化する、などを覚えていればそれで十分なのだ。


「さ、そろそろ帰りましょうか。あまり遅くなってはお家の人が心配するでしょうからね」

「⋯⋯リムジンに乗ってみたかったなあ。はあ〜」

「ジルくん。それ同感。はあ〜」

「私もリムジンに一度は乗ってみたいものですぴょん」


 俺たちの皮肉は、ティッティ先生には一度も通じなかった。

 はあ〜。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ