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アルケミ・アルケマー  作者: 御手洗スガタ
16/19

誕生。遭遇。

「そういえば……ケーキ、買ってあったんだったわ」


 夜ご飯を食べ終えて、歯磨きをして、一番風呂をいただいて、テレビをつけて適当な道ブラ番組を観終えて、いざ地下室へ向かおうかとソファーから腰を上げた時、ハルフゥがそんなことを言ったのだった。

 見た目が中二女子、黒髪ツインテール、メイドインミウラ家の、マーメイドのメイドーーハルフゥ。

 いや、言うのが遅すぎるから。時すでに遅し、だから。

 もう歯、磨いちゃったし、かと言ってもう一度歯を磨くのを覚悟してケーキを食べるわけにはいかないので、ていうかケーキは三時のおやつか食後に食べるに限ると決まっているので、俺は、


「んー……後で食べる」


 そう言って地下室に向かった。

 向かおうと、した。


「早く食べないと固くなってしまうわよ?」


 ソファーに座ってテレビを観ながら、ハルフゥは言う。


「それに、もしかしたらだけど、明日の朝には忽然と、その姿が消えているかも。ケーキは鮮度劣化が早いから、一日経つと蒸発してしまうのね」

「それってケーキを食べたハルフゥの胃袋の中に消えてるだけだろ。鮮度劣化する前にちゃっかり美味しい状態で食べてんじゃねえよ。絶対残しとけ。言っとくけど、食べ物の恨みは恐ろしいからな……?」

「食べないわよ。冗談に決まっているじゃないの。あなた馬鹿なんだから、もう少し勉強しなさい」

「言ってることがめちゃくちゃだ……」


 見た目が中二女子のそれで、プラス、衣装がメイド服のハルフゥに言われると、かなり悔しいものがあるーーというか、物凄くシンプルにイライラする。

 まあ、言ってることは至極ごもっともなんだけど。

 反論させてもらえば、お前も勉強やってみろよ、って感じだ。勉強という行為がどれだけ面倒なのか、ハルフゥにはぜひとも体験してほしいところだ。


「世界には勉強したくてもできない子供たちが大勢いるのよ? そういう環境に生まれなかったことを幸福に思って、その子供たちの分まで、一生懸命勉学に励みなさい」

「うぐはっ……!」


 それを言われたら反論できないじゃないか……っ! ハルフゥ、卑怯なり!


「それに比べればケーキの一つや二つ、安いものよね」

「そんなに独り占めしたいんだったら最初からそうしろよな……。ケーキのために世界の問題を持ち出すハルフゥ……、俺はお前が恐ろしいよ……」

「確かに、冗談に絡めるべき話題ではなかったわね。絡めるならプリンの話題にすべきだったわ。……カラメルソースだけに」

「ドヤ顔してるとこ悪いけど、全然上手くないからな、それ」

「あら。あなたの魂よりは美味いと思うわよ? ジル」

「お前っ……いつの間に!? 人間の魂は食べちゃ駄目だって言っただろ!」


 人魚という生物は、人間の魂が大好物なのだ。食べないと死ぬーーということはないが、人間に迷惑がかかるのでハルフゥには魂を食べることを禁止している。

 自然界では、船乗りなどを海の中に引きずり込んだり船を沈めたりして、魂を食らう。魂を食べられた人間は、意識がぼうっとしたりするらしい。全て食らい尽くされた場合は、その後も魂が補完されることなく、一生動くことも考えることもできない植物人間となり果ててしまう……。

 魂、と聞くと曖昧な感じがどうしても否めないけど……、錬金術の行使を可能にする『想像の域からの逸脱グロウアップファンファーレ』は、その魂と深い関係があると言われている。

 まあ、『世界錬金説』の本に書かれていたことで、しかもほとんど理解できないでいるんだけど。

 勉強、かあ……。勉強をしなさいと言われると勉強したくなくなるのは、なぜなんだろうな? たとえ言われなくても、結局はやらないのだが。


「腐った大豆みたいな味だったわ」

「俺の魂はナットウキナーゼを多く含んでいたのか!? 全然嬉しくない! けど体には嬉しい!」


 --って。ボケている場合じゃあ、全然まったくないんだが。

 由々しき事態である。

 ただでさえカゲカリから生気を定期的に吸い取られているというのに、なんで内側から外側からと、生気やら魂やらを食らわれなければならないのだ。

 カゲカリの生気吸収はだいたい二週間に一度のペースで行われているが、そこに追い打ちをかけるように魂を削られていては、俺の身が持たない。このままでは廃人確定だ。


「後味は靴底だったわね」

「それって……」

「ええ。靴底。--つまりソールよ」

「ダジャレはいいから! それよりも! ハルフゥが俺の魂をこっそり食べていた問題についてだ! 父さんとも約束したはずだぞーーもう魂に手は出さないって」

「何ムキになってるのよ……いつものチャーミングな噓に決まってるじゃないの」

「いつもの噓もチャーミングなんかじゃねえよ。一時期問題になったこと、忘れてないだろうな? スーパーで買い物をしていた客が軽い眩暈を起こしたーーそれが何度かあった、あの問題。犯人がハルフゥだってバレなかったからよかったものの……下手すれば、父さんは人魚を捕獲していた罪で捕まっていたかもしれないんだぞ?」


 マーメイドは特別天然記念物に指定させているので、捕獲などはできないのだ。ハルフゥの正体がご近所にばれてしまうと大変なことになる。お隣のサクラザカ家には知らせているが、その辺の心配はしていない。ミウラ家とサクラザカ家は家族のようなものだからだ。


「それは深く反省しているけれど、やめられないものっていうのは、そう簡単にはやめられないものよ。依存……いえ、私は人魚ーーマーメイドなのだから、本能と言ったほうが正しいかしら。あなたにだってやめられないものはあるでしょう? ジル。例えば、明日から干物は買ってこないと言ったら? あなたなら、お小遣いを使ってでも食べたいと思うでしょうね。それとこれとは話が別、と言いたいところだろうけど、結構似ていると思うのよね、……『衝動』、っていう意味では、あまり大差はないんじゃないかしら。私にとって人間の魂っていうのは、あなたにとっての干物であり、あなたの好きなアニメなのよ。……え? 人間の魂と一緒にするな、ですって?」

「言ってない……」

「あの時のことは、こう見えても凄く反省してるのよ? 魂に対する欲求も、今となってはほとんどゼロに近いわ」

「そ、そうなのか?」

「これは本当。見れば分かると思うけど、ほらこのとおり、全然太ってないでしょう?」

「元から肉がついてないだけだろ……お前はこの家に来た時から、一ミリも変わってないっつーの」

「何言ってるのよ。この十年で身長が一センチ伸びたんだから。気付いてなかったの?」

「気付くわけねえだろ! え? 十年に一センチ? それって人魚の一般的な成長速度なの? っていうか……ハルフゥって何歳?」

「レディーに歳は訊くもんじゃないわよ。男としての一般常識でしょうが」

「れでぃいいいい……? 家族の間でレディーとかないだろ」

「じゃあ、今度からはノックなしであなたの部屋に入るわね。いちいちノックをして断りを入れてからっていうのも、家族の間では不要だものねえ」

「かっーー家族の間でも、プライベートの時間っていうのは大事だろう……? ノックは必要だ、うん。っていうか、本当の緊急事態以外はなるべく近付いてほしくない、完全なるプライベート空間を作りたいと、俺は思っているんだよ……」


 あれ? なんだろう……最初は俺がハルフゥを責め立てる構図だったのに、いつの間にか俺が責められている……? どのタイミングで形勢逆転満塁ホームランを打たれたんだろう……。

 こんなの絶対おかしいよ。


「あっそう」


 ちなみにーーと、ハルフゥは言った。


「ケーキを買ってあった、というのも噓だから」

「お前なんかワールドオブリヒト史上最悪の死に方をしてしまえ!!」


 うわあああああああああああん! 俺は泣きじゃくりながら地下室へと逃げ込んだのだった。そうやってみんな、俺ばっかりいじめるんだ……。

 梯子を降りて地下室に入り、まず書斎机に腰を下ろす。まず意外だったのが、ハルフゥの逆転サヨナラ満塁ホームランが、ことのほか俺の心に深いダメージを与えていたことだった。

 知り合いに言われるよりも身内に言われるほうがこたえるとはどういうことだ。

 そうだーー忘れよう。嫌なことは忘れるに限る。俺は立ち上がって、ぐるりと取り囲む円状の本棚に向かう。

 貯蔵数も定かでない、錬金術に関する書籍や資料はもちろん、冒険小説や自叙伝、中には料理本なんかも取り揃えてある本の数々を見て、改めて思う。果たして俺は、一生のうちに全ての本を読み切ることができるのだろうか? ということだ。たぶん恐らくそれは叶わないだろうから、しばらく吟味した後にようやく決定した、背表紙に何も書かれていない分厚い本を本棚から抜き取る。表紙を見てまた無謀とも言えるタイトルを選んだものだ、と後悔しなくもないが、一度手に取った本は内容が理解できなくても最後まで読み切ることにしている。単なる意地だ。どんなに難しかろうと、どんなに面白くなかろうと、絶対に読破してやるんだ……。


「--ん?」


 地獄のように分厚い本を取ったところで、本と本の間に挟まっていた厚手紙が、ぱたりと隣の本に倒れた。今まで気付かなかったのは、本の隙間に隠すように挟まっていたためだろう。気になって分厚い本と交換する。それは、二つ折りの、金の装飾が施された厚手の紙だった。決して『薄い本』ではない。父さんはハルフゥにあんな格好をさせているけど、隠れてこっそりオタク文化に身を投じてはいない……はずだと信じたい。一人息子として。俺は干物オタクであり魔法少女パピリリカオタクだけど、いやできればオタクなんて呼ばれたくはないけど、比較的オープンにしているつもりだ。好きなものは人それぞれ、ってことでいいじゃないか。

 --というわけで。

 俺は、その厚手紙を開いてみた。

 そこに書かれた内容に目を通して、俺は最初、メニュー表か何かだと思った。こだわりにこだわり抜いた数品だけのお店、という感じの高級感漂う文字の配置。贅沢な余白の使い方だ。それが効果的、なんだろうけど、見開きの右側には、ぽつ、ぽつ、と五行だけ記載があった。メニューとしてみれば、おどろおどろしいラインナップだーーといったところでようやく、これは錬金術に使う素材なんじゃないだろうかという推測に至った。だけど肝心な錬金結果が載っていない。これでは錬金法アルケルールとして未完成だ。イメージするものがないのなら、素材の無駄使いでしかないーー


「エンシェントドラゴンの眼球。

 

 ユニコーンの角。

 

 フェニックスの尾羽。

 

 バロメッツの種。


 人間の血液」


 ……揃いましたよ。揃っちゃいましたよ? 頭が痛くなるくらいの激レア中の激レア素材たちが、今、俺の目の前に鎮座なさっておりますよ? 中でもエンシェントドラゴンの眼球はもう二度と手に入らない、国宝級の素材と言っていいだろう。何せエンシェントドラゴンはもう絶滅してしまっていて、素材を手に入れたくても入手できないのだから。ユニコーンは滅多に姿を現さない神出鬼没の珍獣だし、バロメッツの種にしてみても、未だにどんな気候、気象条件で育つのかが判明していない謎の植物で、いつの間にか世界のどこかで羊の入った実をつけている。フェニックスは『霊峰オリープス』に棲んでいるらしいが、こちらも目撃例が少ない、世界でたった一匹の霊獣だ。人間の血液は俺の中に流れているが、どれくらいの量が必要なのか分からないところがまた恐い。

 最新版のアルケルールブックを確認しなくても分かる、この組み合わせは確実に載っていない。

 エリクシール事件の再来である。

 ……ただ。

 ただ、犯罪にーーいや、愚行に走るのには、それなりのわけがある。

 たった五行の文字列に誘われて、気が付いたらもうそこには四つの素材が並んでいたのだった。

 バスケットボールほどの大きさの、エンシェントドラゴンの眼球。

 仄かに光を宿したユニコーンの角。

 よく見ると羊の形をしたバロメッツの種。

 瓶の中に入った、抜けてからどのくらいの時間が経ったのか定かではないが、今でも燃え続けるフェニックスの尾羽。

 まるで導かれるように、俺の手が、俺の足が、--俺の魂が、なかば自動的に、無意識に、見えない糸に操られたかのように……そして気が付けば、こうである。

 もう、やらないわけにはいかないじゃないか。という理由を必死に探したからこそこうなった、と思わなくもないが。

 血は争えない、と言う。

 その血が、錬金術師の血が、騒ぐ。

 騒いで騒いで、もう爆発しそうなくらいにーー

 俺は、『ゾーン』を展開する。魔法少女パピリリカの魔力の結晶をイメージしたイガイガで、今の気持ちを反映しているかのように、いつもより大きめで、耀きも三割増しな気がする。

 こうなっては躊躇も何もなかった。もう二度と手に入らない素材を含めた四つの激レア素材を、『ゾーン』の中に放り込む。そして最後に、人間の血液。俺は制服のポケットから(パジャマから着替えてきた)ミニナイフを取り出して、以前エリクシールの効果を試すためにやったように、刃を左手の親指に押し当てる。僅かな痛みに次いで赤い血が溢れ出し、指を這う。床に零れる前に『ゾーン』の中に自分の手ごと入れ、五つ目の素材ーー人間の血液を投入した。ーーその直後だった。


「いっーー!?」


 痛み、疼痛、激痛、なんていう言葉では表現できない何かが、俺の指先のみならず、全身を駆け巡る。


「ぐーーぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッッッ~~」


 それがループする。もはや自分の体が原型を留めているのかも怪しい。もしかしたらスライムのようになっているかも分からなかった。

 悲鳴を押し殺すどころか悲鳴すら出させてもらえないので、なんだか狼の唸り声のようになってしまう。

 血が、恐ろしい速度で奪われていくのを感じる。体の先のほうから、みるみるうちに冷たくなっていく。目がかすんで、まぶたが重い。眠い。永遠の眠りについてしまいそうだ。『ゾーン』が揺らいでいる。このままでは錬金術が破綻してしまい、素材が失われる。それだけはーーそれだけは!!


「力をっーー貸してくれえ! 魔法少女……、パピリリカーー」


 俺は、俺にとってのヒーローの名前を呼んだ。

 するとーーパピリと青塚理華が、こちらを振り向いて微笑んでくれた。

 それは俺のイメージでしかないけど、でも、俺にはそれで十分だった。

 頑張る力が、湧いてくる。やっぱりパピリと青塚理華は、最高で、最強のコンビだ。二人に背中を支えられると、なんでもできそうな気さえしてくる。

 俺は『ゾーン』をしっかと見据え、震える足を踏ん張り、そして無理矢理笑った……のだと思う。

 視界が白一色に塗り潰されて、その直後のことは、よく覚えていない。

 ただ……教会や時計塔で耳にするような、大鐘を鳴らす音が響き渡っていたような……。

 まあ、これもまた、俺のイメージなのかもしれないけど。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



「…………。俺ーー生きてんじゃん」


 目を覚ました俺の第一声がそれだった。

 まず最初に目に飛び込んできた情報が地下室の天井だったので、とりあえずは生きているらしい。そうなると、さて俺は一体どれくらいの間眠っていたのだろうかと思い壁にかかった時計に目をやると、しかしどうだろう、地下室に来た時の時間と、あまり変わらない……?

 どうやら気を失っていた時間はほんの一瞬のようだった。大量の血を『ゾーン』に持っていかれたせいか死ぬほど重い身体を起こして、周りを確認する。

 --空中に白く光る球体が浮いていた。

 なんだろう、と思い力の入らない身体に鞭打って立ち上がったところで、そうだ……と思い至る。俺はついさっきまで、何かの錬金術を行っていたんだった。素材として必要な人間の血液が、思った以上に奪われてしまい気絶、そして現在に至る。ということは、眼前に降り立とうとしているバランスボールの二倍ほどもある光球は、錬金術の成功結果なのだろうか……? いや、そうでないと非常に困るんだけど。絶対にそうであってほしいところではあるんだけど。

 果たして、その光の球は……突然、ぐにゃりと形状を変化させた。驚く間もなくみるみる姿が変わっていき、そして最終的には、その……なんだ、俺の視力が狂っていなければなんだが、脳が正常に機能していればの話なんだが、姿形を変形させて俺の目の前に降り立った、二本の足でしっかりと自立する、これはまるでーーその姿は見るからにーー


「ヒト……?」


 ヒト。人。人間。ヒューマン。

 だった。

 そうにしか、見えない。

 頭、顔、首、肩、腕、手、胴体、脚。人間としてのパーツが、全て揃っている。

 白い肌ーー日焼けのしていない肌、という意味ではなくて、本当に、色としての白い肌。地面まで届く、こちらも白い長髪。ゆったりとした白のロングワンピース。白、白、白、で統一させた、触れただけで崩れてしまいそうな、儚げで、華奢な少女。しかし開かれた目は、蒼穹を映しているかような蒼い目をしていた。

 じゃあ……なんだ。

 あの、金の装飾が施された二つ折りの厚手紙に記されていた素材の数々は、人間という存在を生み出す錬金法だった、ってことなのか……? にわかには信じがたいがーーこうして二本の足で立ち、こちらを凝視してくる同年代くらいと思しき少女が錬金術によって現れたのだから、やはりそういうことになるのだろう。

 人間が。錬金術で。生まれた。産まれた。

『人間』が。

『錬金術』で。

 生まれてーーも、いいのだろうか。

 何ができるか分からなかったとはいえ。

 なぜ父さんがこのような錬金法を所有していたかなんてのは、この際置いておいて。

 たぶん、これは、とんでもないことをしでかしてしまったらしいことは、想像に難くない。

 倫理問題がつきまといそう。


「ーーお前は誰ぽよ?」


 と、少女の口からそんな言葉が俺に向けて放たれた。彼女の声は、よく晴れた雲一つない快晴の空のように、澄み切っていた。--って。


「ぽ……ぽよ?」


 それは魔法少女パピリリカに出てくる天使パピリの特徴的な語尾だ。


「ここは……どこぽよ? それに……自分は、誰ぽよ? そこのお前、何か知っているぽよか?」

「あー……」


 目を泳がせた俺の目に、一冊の本が入ってきた。『世界錬金説』の本だ。著者であるフィロソフィア・ドクトリン・カスガイ氏からセカンドネームを拝借させてもらってーー


「お前の名前は、ドクトリン。俺はジル。ジル・ヘルメス・ミウラ。俺が錬金術で、お前をつくったんだ」


 我ながらとんでもない台詞である。


「ドクトリン……うん。分かったぽよ。そしてお前はジル・ヘルメス・ミウラ。こちらも了解ぽよ」


 もっと警戒されたりするかと思っていたが、意外にすんなりと自分の置かれた状況を飲み込んでくれた。

 ドクトリン。

 んんー……もうちょっと真剣に考えてあげたほうがよかったか?


「で……ジル。ドクトリンは、何ぽよ?」

「哲学的な質問だ……」


 錬金術でつくられた人間? じゃあ可哀想だよな……。人間って何? って訊かれても困るし……。


「ドクトリン。お前は、俺の友達だ」

「友達……。--嫌ぽよ!」


 激しく拒絶したかと思うと、ドクトリンは突然走り出した。と思ったら梯子を登って一階へ逃走してしまう。

 ……こりゃあえらいこっちゃやで。


「おいどこ行くんだよ! 戻って来い!」


 俺もドクトリンを確保すべく一階に上がると、居間のほうからハルフゥの悲鳴が聞こえてきて、急いでそちらに向かう。あるはずの扉が、部屋の奥まで吹き飛んでいた。


「なーー何!? なんなの!?」

「嫌ぽよ嫌ぽよ嫌だぽよおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 リビングダイニングが、カオスと化していた。ドクトリンはドクトリンで居間の中をぐるぐる走り回り、ハルフゥはメイド服からパジャマに着替えていて、そしてその手にはショートケーキの載った皿を持っていた。


「ケーキあんじゃねえかあ!」

「そんなことよりも! 早くこれをなんとかしなさい! というかなんなのよ、この子は!?」

「ドクトリンはドクトリンぽよおおおおおおおおおおおお!!」

「はあ!? 意味分かんないわよ!」

「と、とにかく落ち着け、ドクトリン! なんでそんなパニクってんだよ! お前は俺の友達だって言っただけだろ!」

「ジルと友達なんてお断りぽよおおおおおおおおおお!!」

「なっーーぐしゅ」


 あまりのショックにドクトリンが突進してきているのに反応できず、恐らく扉と同じように身体がぶっ飛んだ。壁に穴があいた。ドクトリンはそんな俺には目もくれず、玄関の扉も破壊して、とっくにてっぺんを超えている夜の街に逃げていった……。


「めでたしめでたし……」

「何を勝手に自己完結させちゃってるのよ! 早くあの子を追いなさい! 壊れたドアとかは私が日曜大工で直しておくから、ちゃんとDIEで新品同様に修繕しておくから! ジル、あなたは責任を持ってあの子ーードクトリン? を連れ戻して来なさい! いい!? 分かった!? それと、後で詳しく説明してもらうわよ! でないと……DIY、あるのみだから」

「い、行ってきまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!!」


 血も凍りそうな冷たい視線を受けて、俺は家を飛び出した。


「ジルくん? どったの」


 飛び出したところで、二階の自室の窓からトリスが顔を出してそう訊いてきた。


「明日話す!」

「ほ~い」


 トリスの家の前を通り過ぎる。遠くからドクトリンのものと思われる気配が、ぷんぷんと漂ってくる。

 夜の住宅街をーー走る。走る。走る。

 運動不足を心配していたが、状況が状況なだけに、意外と動くものだなあと思った。

 犬の鳴き声が聞こえてきた、かと思えば猫の悲鳴のような鳴き声も耳に届いた。

 途中、家のブロック塀に自転車ごと叩きつけられノビているおまわりさんを発見し、背筋に冷たいものが走った。

 早く捕まえないと、色々まずい……。俺はさらに速度を上げる。

 ドクトリンの痕跡を辿って走っていると、いつの間にか、ぱたりと痕跡がなくなっていることに、俺は気付いた。住宅街からは少し離れて、ここは……高架下か。辺りを照らしているのは等間隔に設置された街路灯のみで、町明かりの恩恵からは除外されている。終電時刻もとっくに過ぎているから、電車の走行音や、駅に向かう人、または帰宅途中のサラリーマンなどの姿も見えない。……いや、それ以前に普段からこの道を利用しているのかも怪しいところだ。道幅はそれなりにあるのだが、至るところにポイ捨てされたジュースの缶やペットボトル、タバコの吸い殻などが散乱していて、その努力を違うところにぶつけろよと言いたくなるような、無駄に芸術的なスプレーアートで壁が埋め尽くされていたりする。約十六年この街で暮らしている俺だが、こんな場所があるとはついぞ知らなかったーー『近付いてはいけない場所』の存在。危ない奴らのたまり場。ストリートギャング。犯罪の温床。嫌なワードばかりが、ぽんぽんと浮かんでくる。


「ど……ドクトリンさ~ん……? いませんか~?」


 自然、声が小さくなる。


「いません……よね~……? いたら返事をしてくださ~い……」


 呼びかけてみるが、いつまで経っても返事は来なかった。

 ただの静寂が、雰囲気が違うだけで、これほどまでに気持ちが悪いものになるのか。


「--よし違うとこ探そ」


 早くこの場から離脱したい、というのが本音だ。もっと明るいところを探したほうが、見失った痕跡も見つけられるかもしれない。

 --と、踵を返したところで。

 ーー後ろから、何か硬い物がアスファルトをこするような音が、聞こえてきた。

 ガギジャ、ーーと。

 ミーツハートではないが、全身の毛が逆立つのを感じた。

 足の裏から根っこが張っているかのように、体がまるで動こうとしない。姿勢を正す例えとして、頭の上から棒を突き刺した感じと表現するが、今がまさにその感じだ。

 ありとあらゆる行動阻害の方法が、俺に行使されている。

 嫌な予感……どころか、ねっとりとねばついた、濃密で圧倒的な気配が、背後にある。その姿を確認することは憚られるが、いつまでも正体不明というのは、俺にしてみればもっと恐怖だった。

 口の中はカラカラで唾液も分泌されてはいないが、生唾を飲み込んだ俺は、努めて平静を装って振り向いた。

 人、--ではない。だが、人型、ではあった。

 身長は二メートルほどだろうか。頭の上には、猫のような三角の耳がついている。接続部は見えないが、尻尾のようなものが後ろで揺れていた。街路灯に照らされて光る長い爪は、手足合わせて二十本。なるほど、俺を恐怖させたのは足の爪だったのか……。

 と、ここまであえて『普通』の描写をしてきたわけだが、十メートルほど先にいる何かには、もっと特筆すべき特徴があるのだった。こんなにも殺意に似た気配をこれでもかと撒き散らしているのになんで気が付くのが遅れたのかとか、大きな身体で、しかも足音が耳障り過ぎるのになんで気が付くのが遅れたのかとか、この距離でも鼻が曲がりそうなくらいの異臭を放っているのになんで気が付くのが遅れたのかとか。

 そんなことは些細なことで。心底どうでもいいと思えるくらいのことで。

 そいつはーーその何かは。

 見るからに『普通』じゃない、その何かは。

 全身。頭の先からつま先にかけて。耳や尻尾のような部位にまで至る、その全てが。

 --ゴミ、だった。

 身体がゴミでできた怪物、だった。

 燃えるゴミ。燃えないゴミ。空き缶。空きビン。プラスチック。新聞・雑誌。ペットボトル。粗大ゴミ。エトセトラ……。ゴミと呼べるものの、集合体。

 よく見れば、耳の大きさや形が左右で違うし、尻尾は排水ホースでできていた。爪のほうは、割れたガラスや陶器、中には錆びた包丁なんかも紛れている。ガギジャ、という不快な音の正体だ。

 それにしても、ここは都会のど真ん中だというのに、いないところには本当に人がいないものなんだなあ……。不思議で不思議でしょうがない。まあ、通り魔っていう種類の犯罪者は、そういう人通りの少ない道に、こうして出没するものなんだけど……。ん? 通り魔? そのワードは今日……いや昨日聞いたぞ。

 犯行時刻は深夜で、姿は確認されておらず監視カメラにも映っていない、犯行現場は人通りの少ない場所で、女性に軽い怪我を負わせる。最近多発しているという連続通り魔事件。

 だけど、見てのとおり俺は女性ではない。それとも、いきなり路線変更したのだろうか。今度は男性ばかりを標的にすることにした、のだろうか。犯罪者の考えることはよく分からない。分からないけど、事件現場に残された大量のゴミ、その意味は判明した。

 だって犯人自体がゴミだから。ゴミの塊なのだから。

 んー……でも、これじゃあカメラに写っていない理由が謎のままだな。


「えーっと……」


 一目散に逃げだすのがこの場合ベストな選択肢なんだろうけど、とりあえずそんな風に呟いたのは、心に余裕がないという証拠だった。

 ーーと、その直後。なぜ通り魔の姿がこれまで一度も目撃されなかったのか、そしてなぜ監視カメラに映らなかったのか、その謎がついに解き明かされることとなる。

 単純に、犯人の身体能力が異常なだけだった。異様な容姿と同じく、化け物じみていた。

 一瞬で十メートルの距離が詰められて、歪な爪のついた右手のひらを広げたゴミの化け物は、俺の心臓を狙って、その平手を打ち込んできたのだ。

 頭が真っ白になりパニックに陥っていた運動神経・運動能力共にゼロの男子高校生であるところの俺に回避できるわけもなくーーもろに。

 ーー『攻撃』、という、噓偽りのない、純粋な物理的衝撃を受けた俺の細いひょろひょろの身体は、路上の小石のように、何度も硬いアスファルトの上を跳ね、しばらく転がった後、ようやく止まったーーのだと思う。いかんせん一瞬の出来事だったものだから、感覚だけで言っているんだけど、大体こんな感じだったのだろうと思う。

 っていうか生きていることに驚きを禁じ得ない。左腕がぴくりとも動かないので、右肘を立てて、上体を起こす。左胸が絶望的なまでに痛い。そして息苦しい……恐らく、折れた肋骨が肺に刺さっていたりするのだろう。人間という生き物は、そう簡単には死なないものなんだなあ……。

 ゴミの化け物は、ガギジャ、ガギジャ、と黒板に爪を立てるような不快極まりない足音を立てながら、虫の息の俺にとどめを刺そうと近付いてくる。念には念を入れ過ぎだ。

 絶体絶命の大ピンチというやつは、パニック状態に陥って何をすればいいか分からなくなるが、咄嗟にナイスなアイディアを思いつくことだってある。

 俺は血だらけの制服の内ポケットを探り、金色の液体が入った小瓶ーーエリクシールを取り出す。あの衝撃にも耐えられる頑丈な容器だ。歯を使って栓を抜くため、口に近付ける。といったところで俺の間抜けスキルが発動し、血で濡れていたこともあって、小瓶を落としてしまったーーそのままコロコロ転がっていくエリクシール。手を伸ばしても、届きそうにない。

 あーあ。やっちゃったよ……。

 諦めて前を向くと、ゴミの化け物は、俺の目の前に立っていた。赤く光るビー玉のような双眸が、俺をじっと見下ろしている。そこに意思というものは感じられなかった。ただ動いているだけの、動かされているだけの、それは操り人形のような。

 化け物はゆっくりと、俺の反応を楽しむかのように、歪な右腕を上げる。後は振り下ろすだけで終わりだ。殺人完了だ。連続通り魔事件においての初めての死者が俺になるわけだ。

 薄れゆく意識の中には、トリスがいた。ミーツハートがいた。ハルフゥがいた。ティッティ先生がいた。決して多くはないが、俺にとっては、約十六年の人生で得たかけがえのない繋がりだ。

 そしてもう一人、アサガヤさんもいる。

 ルカネリ・ファウスト・アサガヤさん。

 彼女とは、もっと仲良くなれたはずなのに……。

 錬金術の話を、もっとしたかったんだけどなあ……。


「あ……アサガヤ、さん……」


 ぴた、--と。彼女の名前を口にした瞬間、一瞬ゴミの化け物の動きが、止まった。気がする、ではなく確実に、腕を振り下ろすのを躊躇ったようだった。どうしたんだろう? ゴミの化け物に感情でもあるのだろうか、だとすればどういうわけなんだろうーーと怪訝に思った直後、ゴミの化け物の顔面に、何かが落下した。

 びちゃ、と音を立てたそれは、スライムだった。

 そういえばこれも下校時に三人で話していたなーー湿地帯で発生した竜巻にのって飛来するスライムの話。

 これで命の恩人リストにスライムが追加されてしまったわけだが、スライムには色々と世話になっていることだし、悪い気はしない。

 顔面に、人によっては気持ちの悪い感触が直撃したことで、ゴミの化け物は即座にスライムを除去しようとする。


「に……ゲ、……テ……」

「え」


 濁った声が混ざっていたが、その中に紛れ込んでいた声に、俺は聞き覚えがあった。

 連続通り魔。

 ゴミの化け物。

 その正体はーー


「ジルを……いじめるなぁあああああああああああああああああぽよお!!」


 そんな怒声と共に俺の上を通過しゴミの化け物をライダー的な跳び蹴りでぶっ飛ばしたのは、行方不明中のドクトリンその人だった。……気のせいだと思いたいけど、俺ってヒロイン並みに助けられてね?

 俺が強烈な張り手を喰らった辺りまで吹っ飛んだゴミの化け物は、しかしすぐさま起き上がると、反撃に転じることなく闇に紛れるように姿を消した。どうやら退いてくれたらしい。ドクトリンの跳び蹴りを受けたために、辺りにはゴミが散らかっている。


「大丈夫ぽよ!? 死んじゃ駄目ぽよ! ジル~、しっかりするぽよ~!」

「心配してくれるのはありがたいけど……頼むから揺らさないで……左腕が千切れ落ちそうだから……」

「ご、ごめんぽよ……!」

「ドクトリン……そこの瓶、取ってくれるか」

「瓶? ……これ?」

「さんきゅ……」


 ドクトリンに取ってもらったエリクシールを、今度こそ失敗せずに一口飲む。残りはあと一回、ってところか。飲み込むと、怪我をした箇所から炎が上がり、どんどん痛みが引いていくのが分かった。さすがに制服は直らないが、染み込んだ血は消えている。最後に灰が舞ったのを確認したところで、全身の力が抜けてアスファルトの上に寝そべる。高架橋と塀の間に、少ないが星を見つけた。もう少しであそこに仲間入りするところだったぜ……。


「ドクトリンのせい……ぽよね」


 ぺたんと女の子座りをして、ドクトリンは俯いてしまう。今気付いたが、ずっと裸足だったんだな。真っ白な足の裏が茶色くなっている。


「ドクトリンが逃げなければ、ジルが痛い思いをしなくて済んだのに……本当に、ごめんなさい……」


 その蒼い目には、涙が浮かんでいた。

 全部、俺が悪いのに。

 ドクトリンは、自分のせいだと言ってくれる。


「ドクトリンは……俺を助けてくれたじゃないか」

「それもこれも、全部ドクトリンのせいぽよ……ドクトリンが、悪いんだぽよ……」

「いや、俺が悪いんだ。全部ーー全部」


 全部、俺が悪い。

 全部、俺が背負わなければ、ならない。

 ドクトリンを錬金術で生み出したのは、俺なのだから。


「ううんーードクトリンだぽよ。全ての責任は、ドクトリンにあるんだぽよ。何も考えずに家を飛び出してしまったから、こうなってしまったんだぽよ……」

「そんなことない。ドクトリンは何も悪くないよ。悪いのは俺。全ての責任は、俺にある。全部全部、何もかも」

「違うぽよ……ドクトリンが存在していなければ、そもそもこんなことは起こらなかったんだぽよ……ドクトリンなんて……ドクトリンなんてえ……!」

「何言ってんだよ。……ぶっちゃけ、予想を遥かに超えてきたけど、俺、ドクトリンが生まれてきてくれて、めちゃくちゃ嬉しいと思ってるんだぞ? そうやって存在を否定されちゃあ、俺のこの気持ちも否定することになるんだ。だからそんなに自分を責めないでくれよ。今回の件の責任者は俺なんだから、俺から始まったことなんだから、ドクトリンが泣く必要なんか、これっぽっちもない。全部、俺が悪い。ただそれだけ。……はい。というわけで、これでこの話は終わりだ。万事解決、まん丸~く収まった。それに、暗い話は、俺たちには似合わないだろ? 楽しくやっていこうぜ、ドクトリン」

「そういうわけにはいかないぽよ!」

「え……ええぇ……?」


 まさかここで食い下がってくるとは。

 このシチュエーションで、無駄に熱い感情はいらないんだけど。

 少しは俺を立ててくれ。


「責任はドクトリンが取るぽよ! 何がなんでも、たとえ誰にどう言われ、どう見られようとも! ドクトリンは死ぬその時まで、この罪を背負って生きていくんだぽよ! だからジルは肩こりに悩む心配はしなくていいぽよ!」

「俺の長台詞を返してくれる!? しかしまあ見事にスルーしてくれたなあ! いっそ清々しいよ! その心意気や天晴れ! じゃあこうしよう。責任はドクトリンと俺とで半分こだ! これで決まり、文句は受け付けないからな!」

「うぐ……し、仕方ないぽよね……。半分こでいいぽよ」


 どうにも納得がいかないらしいドクトリンだったが、渋々条件を吞んでくれた。責任の押しつけ合いならぬ、責任の背負い合いだった。大人の世界では前者が恒例行事だけど、後者も後者で、迷惑至極だった。賄賂でも渡せば、もっと早い段階で解決を見ることができただろうか。これからはドクトリンの好物なんかも知っていかなくちゃならないな。


「--なあ、ドクトリン。そんなに責任を感じているんだったら……じゃないけど……」

「ん? 何か頼み事ぽよか? ジルのお願いだったら、なんでも聞くぽよ」

「……じゃあ、ドクトリン。俺と、友達になってくれないか」

「--それだけは嫌ぽよ」


 俺のお願いはなんでも聞くと言ったくせに。

 ドクトリンは満面の笑みを浮かべた後、そう答えたのだった。


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