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アルケミ・アルケマー  作者: 御手洗スガタ
15/19

掃除と異世界とスライムとシリアスなお話

 王立シュテルンツェルト学園の敷地面積は、野球ドームおよそ二十個分ほどもあるのだそうだ。広大すぎる敷地内を、歩いて移動するのはさすがに骨が折れる、だから移動手段としてマイクロバスを使用する。二十八人乗りだ。

 六時限目が終わり、帰りのホームルームも終わって、少しだけいつもの雑談を交わしてから、俺たちは職員室へと向かった。ティッティ先生と合流するためだ。到着して職員室の中を窺うと、ほとんどの先生が出払っているようだった。部活動の顧問として指導しにいっているのだろう。王立シュテルンツェルト学園の部活動の成績はそこそこで、いくつかの部活は大きな大会で毎回決勝に残るほどの力がある。職員玄関から入って正面に、優勝トロフィーなどが展示されているのを見たことがある。

 漫画やアニメで出てくるような変わった部活動はないが、しかし王立シュテルンツェルト学園には、あるはずの部活動が、なければならないのではないかと言えるような部活動が、存在する。俺自身も、なんでないの? と思う。

 王立シュテルンツェルト学園に存在しない部活。

 なぜかーー本当になぜだかさっぱり分からないのだが、学園の七不思議の一つとして数えられてもおかしくはないと思うのだが、錬金術に特化した学校にもかかわらず、我が王立シュテルンツェルト学園には、錬金術部というものが設立されていないのだ。

 本当に、謎だ。何か深い理由があるのでは……と勘ぐってしまうくらいに、謎だ。ミステリーだ。

 まあ、しかし……ないものは仕方ない。錬金術に特化しているからこそ、あえて作っていないだけ、作ろうと思う生徒がいないだけーーでは、ないだろうけど。

 たとえあったとしても、俺が入部するかどうかは微妙なところだ。……その勇気が、俺にはない。友達を作りたいと思ってはいるが、いきなり群れの中に飛び込む決意は、簡単にはできない……。

 ーー閑散とした職員室には、ティッティ先生の姿もまた、なかった。職員室で待ち合わせのはずなのに、一体あの錬金術の天才はどこに行ってしまったんだろう?

 と、首をひねっていると、廊下から探している人物の声が聞こえてきた。

 そちらを振り向くと、学校ではスーツ姿、錬金術の授業では白衣姿のティッティ先生が衣装チェンジしていて、今は長袖長ズボンのジャージ姿だった。確かにスーツで掃除するわけにはいかないよな。汚れるし、動きにくい。そういう俺たちは制服のまま、なんだけど。

 合流した俺たちはバス停に向かった。時刻表、決まった行き先というものがないので、マイクロバスは常時、各バス停に待機している。たまにいない時があるのだが、その場合はバス停の呼び出しボタンを押せば、数分後には駆けつけてくれる。今日は暇そうにした運転手さんが待ってくれていたので、すぐに出発できた。二十八人乗りのバスに五人だけ乗車して、ティッティ先生が行き先を運転手さんに告げて、発進する。

 そして、走り出してから十分も経たないうちに、バスは停車したーーのだが、停車したのはバス停ではなく道路の真ん中で、バスの運転手さんも本当にここでいいのかい? とティッティ先生に訊いていた。ティッティ先生は「はい。ありがとうございました」と返事をしてバスを降り、俺たちもその後に続いた。

 バスが遠ざかっていく。……なんだか、荒野のど真ん中に置き去りにされた感じだ。不安になったので、ティッティ先生に質問してみる。


「帰りはどうするんですか?」

「少し歩くとバス停がありますので、そこから帰れますぴょん」

「そうですか……それなら良かった」

「みなさん、目的の場所はこっちです」


 そう言って歩き出すティッティ先生についていく俺たち。

 ティッティ先生は、何かが書かれた紙を持っている。どうやら地図のようだが、なんというか……子供が宝探しゲームで描くような、わんぱくで、簡略化された地図だ。目的地らしき場所に『ココ』と記された矢印が伸びている。


「ティッティ先生って一回来てるんだよね~?」

「はい。一回だけですので、一応、地図を見ながらと思いまして」

「それ……誰が描いたの?」

「これですか? 学園長先生ですぴょん」


 ああ……と、俺とトリスは納得した。確かに学園長先生っぽい感じが伝わってくる。

 話が長くて、ユーモラス。


「実は……私、学園長先生に、錬金術の研究ができないかと頼んでみたんです。そしたら即OKが出まして、しかも研究できる施設も貸してくれることになり……描いてもらった地図を頼りに行ってみると、そこにあったのはボロボロの……いえ、いい具合に風化した建物があったーーんですけど……」

「そこで俺たちの出番ってわけですね」

「……はい」

「妾たちならこき使っても構わないと思ったのじゃな?」

「ちーー違いますぴょん!」


 ティッティ先生がぶんぶんと首を振ると、それと連動して長い耳もぶんぶん揺れた。


「ふんっ。どうだか」

「おいミーツハート。空気クラッシャー・ミーツハート。ティッティ先生がそんな汚いこと考えるわけないだろ。まさか忘れたのか? ティッティ先生がお前のために車を出してくれたことを。今のお前があるのは、ティッティ先生のお蔭なんだぞ?」

「それはお主がツヴァイハーゼを騙しておっただけじゃろうが」

「ぐふ……!?」


 せっかく過ぎ去りし過去になりつつあったというのにーー馬鹿だなあ、俺!

 墓穴を掘るとはこのことだよ!


「……。ーーティッティ先生、そこで錬金法アルケルールの開発をするんですね?」

「あ、話を逸らした」

「そうですぴょん。……ここだけの話ですけど、D組のみんなで、もちろん希望する希望しないは自由ですけど、錬金法開発免許を取ってもらおうかなあと思っていたりします。みなさんはどうしますか?」

「もちろん、取らない理由が見当たりません」

「わたしも一応、錬金術師だからね~」

「無論じゃ」

「わ……私も……取りたいです……」

「良かったあ……みなさん、頑張りましょうね!」

「ティッティ先生、質問なんですが、運転免許と錬金法開発免許、合格試験はどっちが難しかったですか?」

「考えるまでもなく、運転免許試験のほうが苦戦しましたね。教習で何回乗り越ししたことか……細かい速度制限とか重量制限とか、すぐに忘れてしまって……本当に大変でした。今となっては、ほぼ基礎的なことしか覚えていませんね、正直」

「なら大丈夫そうですね。みんな合格間違いなしですよ」

「はい。みなさんなら大丈夫に決まってますぴょん!」

「皮肉だよ、ティッティ先生」

「あの……ティッティ先生なら、運転免許の試験よりも錬金法開発免許の試験のほうが簡単に思えたのは、当然のことなんじゃ……ないでしょうか……?」

「……………………」


 アサガヤさんの言うとおりだった。

 例えるなら、紅帯が黒帯の昇段審査を受けるようなものだ。

 できて、当たり前。結果は目に見えている。

 ただ、ティッティ先生の運転技術が、少しばかりよろしくなかったーーただ、それだけのこと。錬金術のことならなんでもござれ、だがしかし、運転関連の知識を身につけるのには四苦八苦したーーと、ただそれだけのことなのだ。

 つまり、訊く相手を間違えた。


「免許は十五歳から取れるようになっていますので、みなさんのレベルなら、まず間違いなく合格できますよ」

「まあ……一生懸命、勉強します」

「わたしもみんなに置いていかれないように頑張るぜ!」

「妾の敵ではないわ。試験なぞ、けちょんけちょんに叩き潰してくれるわ」

「うぅ……自信がないです……」


 そんな風に顔色を悪くするアサガヤさんだったが、俺はそうは思わない。偉そうなことを言わせてもらえば、アサガヤさんには錬金術のセンスがある。上手い、と簡単に評価をしていいセンスではなくって……なんて言えばいいのだろうかーー、ティッティ先生に近いセンス? 錬金術に特化した学校に通っているのだから、錬金術が上手な生徒は、うじゃうじゃいる。ごまんといる。だけどその中でも、アサガヤさんのセンスは、埋もれることなくキラキラと光を放っている。しかも『ゾーン』の形が壺ときた。センスの塊でしかない。いや、もはやアサガヤさんはセンスなのではないだろうかーーうん、意味が分からないな。アサガヤさんを語っているうちに興奮してしまった……いかんいかん。このままでは何かの間違いでアサガヤさんのことが好きになってしまいそうで、怖い。


「トリスとミーツハートはともかく、アサガヤさんなら余裕だと思うけど」

「え……?」


 きょとん、とするアサガヤさん。


「トリスとミーツハートより錬金術上手いし、トリスとミーツハートより素材の知識があるし……ですよね? ティッティ先生」

「はい。アサガヤさんは本当に優秀です。だから自信を持ってください」

「あ……えっ……、うぅ……。……………………はい」

「おい、ジル・ヘルメス・ミウラ。トリス・ローゼンクロイツ・サクラザカならともかく、妾を引き合いに出すでない。ーーぶん殴られたいか?」


 妾を引き合いに出すでない。ーーぶん殴られたいか?

 ーーの間に、俺はミーツハートに殴られていた。


「何度も言うけど殴ってからその台詞を言うのはやめろ! もちろん言ってからもやめろ!」

「むぅ……ではお主を殴れなくなるではないか」

「それが正解だよ! 世の理だよ!」

「うむ。よし分かった。今度からは何も言わずに殴ることとしようかのう」

「それはよりやめろ! 頼むから殴ることから離れてくれ……」

「では妾は何をすればよいと言うのじゃ」

「お前って俺に暴力を振るうことが唯一の生き甲斐なの……?」

「お主は何を馬鹿なことを。--当然じゃろう?」

「誰か助けて」


 そうこうしているうちに結構歩いていたらしく、気が付くと、くだんの建物の前まで来ていた。

 ティッティ先生から聞いていた話を思い出す。

 なんでもその建物は長らく使われていなかったらしく清掃員さんの手も入れられておらず荒れ放題汚れ放題掃除し放題の問題物件となっているーーという話を聞いていた俺はある程度の覚悟を持っていたはずなのだがその覚悟が半端すぎるものだったのだと例の建物を前にして猛烈に反省することとなった。

 廃病院とか山奥にひっそりと建っている廃墟なんかは心霊スポットになり得るけど、今、俺たちの目の前に建っているコテージ風の建物は、それらとは無縁のように思われた。夜に訪れたとしても、同じ感想を抱くだろうと思う。

 話にあったとおり手入れがまったくされていない掃除のし甲斐がありまくりにもほどがありすぎるコテージ風の建物ーーティッティ先生がここを錬金法開発に使うので、アトリエということになるのだろうが……。


「「うわあ……」」


 俺とトリスの反応を見て分かるとおり、風化の具合が、想像の遥か上を行っていた。

 悪い意味で、予想を裏切られた。


「なんていうか……もはや草だね。緑の塊」


 トリスの感想は、まさにこの建物の現状を見事に言い表したものだった。言い得て妙、というか、そのものだった。

 コテージ風、なのだろう、廃屋と呼ぶことも躊躇われる建物は、様々な植物によって覆い尽くされ、主に太いツル状の植物に巻きつかれていて、入り口がどこなのかさえ把握できない状況だ。これは清掃員さんもお手上げの荒れ具合。

 さて、一体どこから手をつければいいものやら……。最近やたらと増え始めた、テレビのお掃除企画に応募したほうがいいんじゃなかろうか。


「ティッティ先生が助けを求めたくなる気持ち……よ~く分かったよ」

「分かってくれましたか、サクラザカさん……」

「砂漠の中で一粒の塩を見つけるようなものですね……」

「ジルくん。その例えは相応しくないから」

「きょ……今日中に終わりそうもない……」


 アサガヤさんは戦々恐々としている。俺も同じ気持ちだ。しばらくは通い詰めでお掃除しなければならないだろうな……。


「……………………」


 そう覚悟を改めていると、ミーツハートがおもむろに緑の塊と化した建物へと歩み寄っていった。

 無言でミーツハートを見守る俺たち。

 何をするんだろう?

 --と。

 ミーツハートは。

 植物に支配された建物の前で立ち止まると。

 至って緩やかな動作で、右腕を、左から右へ薙いだーーたったそれだけで、埋もれて見えなかったはずの入り口が、突如として姿を現した。

 --啞然、だった。

 --AZENN、DATTA。

 しかし、なるほどそうか合点がいったーーあのカリオストロ王家のご息女なら当然か、と冷静に考えてみることもできたはできたが、それにしてもーー啞然、だった。ミーツハートの身体的な力を疑うわけでは決してないが、ただ、あまりにも突然の出来事に、脳がついていけていないらしい。

 状況を完全に把握することができたのは、ミーツハートがこちらを振り向いて、呆れたように言った時だった。


「うざったい草じゃのう……。ほら、ボケっと突っ立っておらんで、早いとこ終わらせるぞ。まったく……草むしりか。妾の性には合わんのう……」


 ぶつくさ言いながら、どんどん切り進めていくミーツハート。

 性には合わないだろうが、業務内容にはこの上なく、どこに出しても恥ずかしくない、この人しかいないと太鼓判を押されること請け合いな、間違いなくミーツハートが一番の適任者のようだった。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



 ……まさか一日で作業が終わるとは思ってもみなかった。

 結局、建物を覆っていた草は草むしりのプロ(ミーツハートに言うと確実に殴られる)が全て刈り尽くし、その残骸を俺たちが外に運び出す、という手順で作業を進めていった。巣を作る動物か昆虫になった気分だった。穴を掘る際に出た無駄な土を外に運ぶ、みたいな。

 順調すぎて、それが逆に怖いと思うくらいに、掃除は順調に進んでいった。

 植物に飲み込まれ青々としていた建物……一体、中はどんな惨状になっていることやら……。という心配は杞憂に終わった。覆い尽くし、空間を食らい尽くしていた植物のお蔭で、思っていたほど汚れてはおらず、また、目立った破損箇所も見当たらなかった。

 しかしさすがに使用不可能な棚やテーブルもあって、それらを協力して外に運び出し、今は壁や床の清掃に取りかかっている。掃除道具も学園長先生が用意していてくれたらしい。至れり尽くせりだ。


「いやあ、ミーツハート大先生のお蔭で、今日中に終わるというミラクルが起こっている!」


 完全下校時刻の七時まで、まだ四十分ほどもある。最終段階も中盤に差しかかってきたところだから、サボらなければ余裕を持って終わらせることができる。大量に積まれた草や木材は、ティッティ先生が後で焼却処分してくれるとのこと。


「ミーツハート大先生、万歳!」

「ばんざ~い!」


 トリスはアサガヤさんと一緒に壁磨きを、そして俺は床磨きをしながら万歳三唱をしていた、--その時だった。


「万ざーーーー」


 恐らく床の一部が脆くなっていたのだろう。俺はなすすべもなく崩落に巻き込まれた。

 そう。崩落ーーである。

 崩れて、落ちる。崩落。

 俺の足が踏み抜いた床は、直径一メートルにもなる大穴に早変わりした。

 怪我はするかもしれないが、これは笑いのネタになりそうだった。万歳三唱の途中で床が抜けて大穴に落ちたとなっては、トリスが笑い死ぬレベルだろう。ミーツハートは死ぬほど馬鹿にしてくるだろうけど。

 さあ、笑え。俺をーーいじり倒せ!


「----------------」


 おかしい。

 非常におかしい。

 だって、床が抜けると、浸水対策? として設けている、よく猫とかが隠れている空間に行きつくはずじゃないか。

 それなのにどういうわけか、待てど暮らせど一向に、俺の足が地面を捉える気配がない。

 ああ、なんだ、思っていたよりも高く設計されていたのかーーと考えるほど、しかし俺は楽観的ではない。

 確実に落下速度が上がっていく中、大事な部分がきゅうっとなるあの感覚を味わいながら、俺は、恐る恐る、目を開いた。

 最初に目に飛び込んできたのは、どこまでも広がる青い海だった。太陽の光を受けて、きらきらと輝いている。

 首を動かすと次に見えたのは、長々と連なる山だった。連峰、というやつだろう。山頂付近には雪が積もっていて、麓には森がある。

 最後に下を見る。やっぱりというかなんというか、……いや、なぜこうなったのかはやっぱりまったくさっぱり分からないのだが、本当になぜだか、俺は現在進行形で、絶賛落下中のようだった。

 って……褒められることじゃねええええええええええええええええ!!


「俺ーー落ちてるんですけどおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 しかも見た目だけでは分かりづらかったが、思ったよりも高度が低い。地面がーー正確に言えば花畑が、みるみるうちに近づいてくる。

 見るも無残な姿で発見されるのはどうしても避けたい。てか死にたくない。

 俺は足りない頭をフル回転されて、落下地点に『ゾーン』を形成した。四角の形をした『ゾーン』に、柔軟性を付与する。

 果たしてーー『ゾーン』の上に落下した俺は、深く沈み込んだ後に強く弾き出され、奇跡的に尻餅をつくだけで事なきを得た。

 したたか打ったお尻を、さすりながら立ち上がる。そして、改めて周りの景色を確認する。

 ーー変な表現になるが、俺の目の前に広がる景色は、この世の景色のようで、この世の景色ではないーー、のかもしれない。というのが俺の抱いた感想だった。至極曖昧で、絶対にリポーターになってはいけないと思う。それでも無理して言葉をひねり出すとしたら。

 ーー美しすぎる、……だろうか?

 海も、山も、足元に広がる花畑も。

 何もかもが、……美しすぎるのだ。

 しばらくぼんやりと景色を眺めていると、俺は不思議な物体を発見した。

 それは、地面に埋まった真っ白な楕円形の巨大な岩、のようなものだった。つるつるに磨き上げられているので、陶器のようにも見えるが……いずれにせよ、この美しすぎる風景に合わせるのは不自然だ。これは調査が必要だなと思った俺は、警戒しつつ、ゆっくり、ゆっくりと近付いていったーー


「うおっ!?」


 ある程度近付いたことによるものなのか、謎の物体に変化が生じた。

 ぐにょん、という音は実際にはしなかったが、微かな音と共に、入り口のような穴があいた。

 中も外観と同じく、真っ白けっけだ。

 誰かの罠、という可能性は皆無に等しいだろうけど、いかんせん謎だらけで怪しい匂いがぷんぷん漂ってくるので、俺は、さらに警戒を強め、意を決して、中に入る。

 ……気持ちが悪いくらいに真っ白な空間だった。生活家具が配置されているところから、家であると推測されるーーが、中には誰もおらず、その上、生活感がまったく感じられない。

 ーーと、真っ白なテーブルの上に、これは自然の木を彫って作ったらしき彫刻が置いてあるのを発見し、手に取ってみた。

 ……怪物にしか見えない。

 ……おどろおどろしい。

 ……ただ、今にも飛びかかってきそうな迫力だけはあった。


「ジ~~~~ル~~~~く~~~~ん!! 返事をしろ~~~~!!」


 突然響き渡ったトリスの声にびっくりして、ある意味芸術的な彫刻作品を落としてしまい、慌ててテーブルの上に戻した。

 もう少し調べたいところだったが、調査を渋々断念する。

 なんなんだろう、あんな大声を出して。

 まるで俺が踏み抜いた床から落ちて、その上、高度数百メートル上空から落下していった、みたいなリアクションだな……。

 仕方ないなあ……戻るとしますか。


「なんだよ~~~~!! ト~~~~リ~~~~ス~~~~!!」


 空にあいた穴からトリスが叫んでいるのだろうが、いかんせん小さすぎてよく見えない。


「何があったのさ~~~~!?」

「俺だって分かんねえよ~~~~!! それより早く助けてくれ~~~~!!」

「分かった~~~~!! ちょっと待ってて~~~~!!」


 ーーそれきり声が降ってくることはなかった。

 まさか見捨てられてしまったのだろうか? と割と本気で心配し始めたそんな時、空にあいた小さな穴から、何かが落下してきた。どうやらロープのようだが、そんなに早くここまで届く長いロープを用意できるものなのだろうか……? という疑問は、ロープを近くで見ることで払拭された。

 それは、ミーツハート大先生が刈り取った植物を繋げて作った、緑色のロープだったのだ。繋ぎ目は、恐らくティッティ先生が錬金術で作った接着剤だろう、強めに引っ張ってみても全然切れそうにない。素材はどうしたんだろう? 俺みたいに忍ばせてあったのだろうか?

 まあ、助かるならどうでもいいか。


「しっかりつかまっててね~~~~!! 今引っ張ってあげるから~~~~!!」


 と言うので、俺はロープにしがみついた。程なくして、ゆっくりとではあるが上昇し始める。地面がーー花畑が遠ざかっていく。真っ白い謎の建物も、少しずつ、小さくなっていく。

 連なる山々。どこまでも広がる青い海。

 なぜだか、この景色を見ていると、不思議と胸の奥がきゅうっと締めつけられる。一度も来たことがないのに、どこか懐かしい感じがするのだ。

 この気持ちを郷愁というのだろう。本当に不思議な感覚だ。

 救助されている立場も忘れて、俺は、目の前に広がるこの美しすぎる風景をずうっと見ていたいーーと、そんなことを思っていた。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



 無事に生還を果たした俺を出迎えたのは、トリスの熱い……いや、暑苦しい抱擁だった。


「ジルぐぅぅぅぅぅん!! うぇぇええええ~~~~!! よがっ……! よがっだよおおおおおぅうううう~~~~!!」

「……鼻水はつけんなよ」

「ち~~ん!!」

「うおおおおおおおおい!?」


 トリスを引き剝がして確認してみると、幸い鼻水はついていなかった。

 でも、トリスの流す涙は本物のようだった。


「ミウラさん、一体何があったんですかぴょん!?」

「分かりません……いきなり床が抜けて、空から落ちて、『ゾーン』を展開してなんとか助かったんですが……落ちた先には見慣れない空間ーー綺麗な景色が広がってて……それから真っ白な家、のようなものがあって……」

「ボロ屋の汚い床が抜けるとそこは異世界であったーーか。なんとも奇妙奇天烈な話じゃのう。じゃが……」


 ミーツハートは床にあいた穴を覗き込んで、


「まあ、事実のようじゃ」

「なんで……こんなところに……」


 不安そうに、ぎゅっと胸の前で手を握るアサガヤさん。


「学園長は、このことをご存知なのでしょうか……?」

「どうでしょう……何も言ってませんでしたが……」

「そのことなんですけど、報告はしない方向でお願いします、ティッティ先生」

「ミウラさん?」

「どういうこと? ジルくん」

「何も考えはないのじゃろう?」

「そこは、何か考えがあるのか、だろうが……。もしこのことを報告したら、たぶんあの異世界を調査することになると思います。そしたらティッティ先生はここで錬金法アルケルールの研究ができなくなる」

「それは……よろしくないですぴょん……」

「できることなら、俺も、できる範囲でサポートしてみたいと思ってるんですけど……いいですか?」

「それはもちろん! いい、ですけど……学園長先生にはよくしてもらっていますので、黙っているのはとても心苦しいですぴょん……」

「バレなければよいのじゃ、バレなければの。にゃはは……血が騒ぐわ」

「一体なんの血を騒がせてんだよ、お前は……」

「ねえねえ、学校が終わったらティッティ先生の研究を手伝うーーこれってなんか部活みたいだよね~」

「ん」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 生活サイクルだけを見れば、だけど。


「ふっふっふ」


 怪しさ満点の笑いをこぼすトリス。

 俺には、次にトリスが何を言うのかが、分かっていた。

 どうせ、自分たちで部活を作っちゃおうとか言うに決まっている。


「どうせなら、自分たちで新しい部活を作ってしまおうではないか!」


 ほらね?


「あの……サクラザカさん? 大変申し上げにくいのですが……部活動の新設には、最低でも六人必要ですぴょん……。ミウラさん、サクラザカさん、ミーツハートさん、アサガヤさん。必要人数に足りていない現状では認められないと思います……」

「なんーーだとお!?」

「潔く部活モノは諦めるんだな」

「--ふっふっふ。ーーふっふっふっふっふ……」


 例の怪しげな笑いをこぼしまくるトリス。

 今度は何を言い出すんだ……?

 さすがの俺でも、皆目分からない。


「ふふ。ふふふふ。ふふふ。ふふっふふ。ふっふふふふ。ふふふふふふふーー」

「いやゲシュタルト崩壊しそうなくらい『ふ』って言うなよ! 次に『ふ』を見たら『心』か必要の『必』って読んでしまいそうだ! 言いたいことがあるなら早く言え!」

「分からないのかい? ジルくん。ジル・ヘルメス・ミウラくん。部活モノの見どころは、何も廃部の危機を様々なアイディアで回避することだけじゃあないんだよ。仲間たちと過ごす日常……襲いかかってくる試練の先に待つ、感動の結末……仲間との絆……他にも色々あるけど、わたしは、何よりも、ある一つの見どころを大事にしたいと、そう思っているんだよ!」


 またこのうざいテンションだよ……。

 早く終わらせよう。

 完全下校時刻も差し迫ってきていることだしな。


「その、トリスが大事にしたいと思っている見どころって、なんなんだよ」

「必必必……。それは、部活新設のため人数確保に奔走する魅力的なプロローグに決まっているじゃあないかね! どれそれの部活を作りたい……でも人数が足りない! 足りないのなら集めればいい! けど思うようには集まらない。初めての苦難を乗り越え、ついに自分たちの手で新しい部活を作り上げるという素晴らしい過程こそが、部活モノ人気の原点と言っても過言ではないのだよ! さあーー」


 わたしたちで創ろうぜ、新たな輝かしい歴史。


「……………………」


 いや、サムズアップで締めくくられても困るんだけど。

 なんて返せばいいの?

 今作ってほしいのは微妙な空気じゃなくて正常な空気なんですけど。

 これがトリスの言う部活モノだったら、間違いなく苦難にカテゴライズされるよ。


「が……頑張ります……」


 意外にも、最悪な空気を変えたのはアサガヤさんだった。とっても困り顔ではあったけど、ありがたいことこの上ないアクションだった。


「はあ……そろそろ解放してくれんかのう。役立たずばかりで、さすがに疲れてしまったわ……」

「その折は、本当にお世話になったと思ってるよ……マジで」


 これは偽らざる本音で、ミーツハートがいなかったらと思うと、少しぞっとする。初めてミーツハートを尊敬したかもしれない。などと言うとまた殴られかねないので黙っておくが。

 床にあいた大穴はひとまず応急処置としてテーブルの脚を外した板でカモフラージュしておくことにした。ここで疑問なのだが……床を全て剥がしたら、異世界の空にあいた穴も、広がるのだろうか? まあ、床を外すわけにはいかないので試しようがないんだけど。

 そういったところで、今回はこの辺で解散と相成った。

 ティッティ先生はもう少し片付けを続けると言っていたのだが、しかし完全下校時刻ギリギリだったこともあって、申し訳なく思いつつも、俺たちは帰路に就いた。

 校門をくぐり四人で歩くこと数分、買い物をしなければならないと言うので、途中でアサガヤさんが離脱した。

 こうして俺、トリス、ミーツハートの三人となった。

 あの一件以来、すっかりこのトリオが定着した。俺がしつこく誘わなくてもミーツハートのほうから寄ってくるようになり……って、この言い方はまずいか。また殴られる。ーーとにかく、そういうことだ。たまに、『変な組み合わせ』みたいな目で見られるが、あまり気にしないようにしている。中には『女王様と下僕の関係』では? と思っている奴もいるかもしれない。それはミーツハートの、いつでもどこでも誰にでも上から目線で高慢ちきな性格に起因しているのだと思われる。ミーツハートもまた、……俺やトリスとは違って、自ら進んで『浮いている存在』と認識されにいっている。だから彼女に話しかけようとする強者はいない。そんな命知らずは俺くらいなものだ。

 色んな話をしていると……、閑話休題必至ななんの利益も生まない無駄話の中で、極々たまにではあるが、真面目な話題が上がることもある。

 今日はその、レアなケースだった。


「そういえば今年もやってくるね~、あの季節が」

「ああ……あの季節だな。確か今夜だろ? 来るのは」

「鬱々とするのう……妾はこの時期が一年で一番嫌いじゃ」


 いつもはピンと立っているミーツハートの猫耳も、『この時期』のことを思い出してか、後ろ方向にぺたんと寝ていた。尻尾も元気なく垂れ下がっている。


「お蔭で月間ため息ランキングで堂々の一位を獲得したこともあるくらいじゃ。にゃはあ……」

「お前も大変だな」

「まったくのう……何故なにゆえこの時期は竜巻が発生しやすいのじゃ。ふざけとるのか。しかもよりにもよって世界有数の湿地帯で発生するときた。なんでじゃ。ふざけとるのか。いや、竜巻が生まれるのは百歩譲ってよしとする。それが自然というやつじゃからの。よしとするが……じゃがしかしじゃ、妾が許せんのは、その発生した竜巻にのって、あの忌々しいスライム共が、広範囲にわたって飛来することじゃ。しかもキミア王国一直線。あり得んじゃろ。どうしてそうなった。ふざけとるのか。何もピンポイントで降って来なくてもいいじゃろうに。誰かの陰謀とすら思えてくるわ」

「ミーツハートってスライム、嫌いだったの?」


 スライム玉を作っている時は、そんな風には見えなかったけど。

 でも、スライムのあの感触が苦手だと言う人は、結構いる。切っても切っても何度でも再生するし。


「違うわい。あれが空から降ってきてみろ。……にゃうう……想像しただけで毛が逆立つ……」


 ぞわわあっーーと、ミーツハートの髪の毛が波打つように逆立つ。尻尾も、根元から先っぽにかけて、ぞわわあっとなっていた。

 ーーもっとぞわわあっとさせたいなあ……。俺のいたずら心も、ぞわわあっとした。


「確かに空から降ってくるのは嫌だけど」


 トリスは言った。


「でも、翌朝の街はカラフルなスライムで彩られてさ、なんだか、カーニバルみたいな気分にならない? ハッピーな気持ちで一日を始められるから、どっちかっていうと……わたしは好き、かな~。気持ち悪いのはわたしもNGだけどね」

「トリス・ローゼンクロイツ・サクラザカ、お主はよいのう……そんな楽天的な考え方ができて。数日間だけは羨ましく思うわい」

「俺もハッピーな気持ちになるぞ? だって素材の回収がし放題だからな」

「……スライムってそんな使う?」

「あって困るもんじゃないだろ?」

「ん~……大抵の人は困る、かな~?」

「そうか? ミーツハートも確保しといたほうがいいぞ? スライム玉作成の練習に使える」

「………………………………」


 いきなり無言で俺を凝視してくるミーツハート。

 ……何? なんなの?

 恥ずかしくって目も合わせられないじゃないか……。


「み……ミーツハートが、そこまで言うなら……俺も覚悟を決めるよ……」

「何言っとるんじゃお主は。いやな、ふと思ったんじゃが……どうして妾はミーツハートなのじゃ? と思ってな」

「ーーは?」

「じゃから。お主は、最初から妾のことを、ミーツハートと、そう呼んでいたじゃろうが、と言っておるのじゃ。それはどうしてなのか、と思ったわけじゃ」

「はあ……。……--んん????」


 一言一言区切って言われても、やっぱり分からない。

 ミーツハートは呆れたように、またため息をついた。ため息ランキング首位独走中。


彼奴あやつのことは最初からさん付けで呼んでいたじゃろう」

「あやつ? って……アサガヤさんのことか?」

「他に誰がいる。そうじゃ。ルカネリ・ファウスト・アサガヤじゃ」

「へえ~。ミーツハートさんって、意外とクラスメイトの名前、覚えてるんだね~。一年D組のことが、大大大好きなんだ」

「その程度、当たり前じゃろうに」

「まさかミーツハートがそんなにクラスのことを想っていたとはな……」

「違う。言葉の綾じゃ。名前くらい覚えるじゃろ、普通……。それで、どういうわけか説明してもらおうか、ジル・ヘルメス・ミウラ」

「説明も何も、ミーツハートはミーツハート。アサガヤさんはアサガヤさんだろ。それ以外理由があるか?」

「……説明になっとらんわ」

「はあ……これからは妾もさん付けで呼べと? そう仰るのですか?」

「そうは言わん。そうは言わんが……ただちょっと気になっただけじゃ。分かった。もうこの話題は終いにしよう」

「まあ、強いて言えば雰囲気……だな。俺がミーツハートのことをミーツハートさんって呼んだら、なんか変じゃねえか? ……それ」

「あー分かった分かった。少し黙っとれ」

「訊いてきたのはお前のほうなのに……っ!」


 理不尽にもほどがある。

 それとも、ミーツハートはツンデレキャラだから、心の中では本当はさん付けで呼んでほしいと思っているのだろうか。

 ……だとしたら距離が離れるんじゃね? さん付けにしたら。


「はい、ここからシリアスなお話になりま~す」

「導入が斬新すぎるわ!」


 シリアス展開の導入がコメディータッチでどうすんだよ。

 緊張感の欠片もないわ。

 というわけで、シリアスなお話、らしい。あんまり期待はしないように注意しないといけない。


「ーー最近多発してる、連続通り魔事件のことなんだけど……」


 俺はトリスのおでこに手を当てて熱を測ってみたが、どうやら平熱のようだった。

 シリアスもシリアス、びっくりするくらいの重い話題ーーおよそトリスの口から飛び出すものとは到底思えなかったが、シリアスさを演出するために、俺は必死に口を閉ざさなければならなかった。

 ツッコんでは、ならない。

 堪えるんだ、俺……。


「ここら辺って、事件発生圏内なんだってね。この前、おまわりさんが不審人物には気を付けてくださいって、注意喚起してるのを見たよ」

「うむ」


 ミーツハートも、その件について関心を寄せているようだった。


「ここ最近は連日ニュースに取り上げられておるのう。なんでも、女ばかりが狙われているとか。まったく……非力な者ばかり襲いおってからに。犯人は間違いなく男じゃな」

「姿は目撃されていない、付近の防犯カメラにも姿は映っていない……でも、まだ犯人が男だと断定するには早くないか? 女の可能性だって、十分にあり得るだろうし」


 通り魔、と聞くと、どうしても女性よりも力の強い男性を連想させるけど……、闇夜に紛れた不意打ちや、武器を持っていたりしたら、力がなくとも女性でも男性に勝てるだろう。勝てなければ痴漢撃退グッズの需要がなくなってしまう。

 それにもしかしたら、ミーツハートみたいな奴かもしれないし。大人の男性でもーープロの格闘家だって、一瞬でノックアウトだ。


「男の人だとか女の人だとか、事件には関係ないよ。行為そのものが問題なんだから。……でも、亡くなった人がいないのは不幸中の幸いかも。怪我の程度も軽いみたいだし。……心の傷は、そう簡単には癒えないだろうけどね……」

「この事件には不可解な点が多いようじゃ。まず、犯人の動機じゃな。ストーキング目的でもなさそうじゃし、殺害が目的とも違う、不純な行為にも及んでおらんとなると……被害に遭った者の、その反応を楽しんでおるのか。いずれにせよ、決して許されんことじゃ」


 それにーーと、ミーツハートは空を見上げた。

 そう、この事件の不可解な点は、犯人の犯行動機だけではない。犯行時刻はいずれも深夜で、ターゲットは女性に絞られており、怪我は負わされるものの、手術するまでには至らない軽いものにとどまっている。犯行は人通りの少ない場所で行われているらしいが、それにしても、防犯カメラの網を、ことごとく器用に、奇妙なまでに、かいくぐっている。

 まるで怪盗のように。

 まるでゴーストのように。

 まるで夜の闇に溶けるカゲカリのように。

 すり抜ける。

 犯行時刻は、深夜。

 犯行は人通りの少ない場所で。

 狙われているのは全て女性。

 怪我は負うものの、どれも軽傷。

 犯人の姿は目撃されていない。

 決して少なくない防犯カメラの監視網を、まるで以前から入念に調査していたかのように、巧みに破る。

 これが、今回の連続通り魔事件の類似点。

 そしてーー謎が謎を呼ぶ、今回の事件でもっとも不可解な点を、ミーツハートは挙げた。

 闇に染まりつつある空を見上げながら、その答えを探すように。


「それぞれの事件現場に散乱していたという大量のゴミは……、一体、何を意味しておるのかのう?」

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