ミーツハート・ヴェッセル
『今日も素晴らしい一日が始まりました! ぐっすり眠って、昨日の疲れは取れましたか? わたしは元気満タンです! さあ今日も一日、頑張っていきましょう! --今日も素晴らしいーー』
ずっと聴いていたい気持ちはやまやまだったが、アラームが鳴った瞬間に眼を開けていた俺は、仕方なくーー本当に仕方なく、泣く泣く時計のボタンを押して、アラームを止めた。
ルーティーンとして、本当なら次は寝ている間にカチカチに固まった体を伸ばす作業を行うのだが……、いかんせん、体が死ぬほど怠い。
呼吸以外はなんにもしたくなくなる、あれだ。
別段、俺は朝に弱いタイプではないはずだが、たとえそうだったとしても青塚理華(魔法少女パピリリカの主人公)のモーニングコールを聴くと途端に元気が湧いてくるはずなのだが、元気満タンにチャージ完了! 今日も一日頑張っていこう! っていう気持ちになるはずなんだけど、なぜか今日に限って究極に億劫だ。究極に億劫。略してきゅうきょくうだ。
ボケの精度も致命的なまでに落ちている。
このままではまずい。
俺は這うようにして楽園から転がり落ちると、出し得る限りの力を振り絞ってどうにかこうにか立ち上がって、一階の洗面所へと向かった。
階段が、俺を地獄へ誘っているかのように、果てしなく続いている気すらする。実際に数えたら、もしかしたら本当に段数が増えているかもしれない。
意識が朦朧とする中、惰性を頼りに洗面所に到着した俺は、眠っている間に繫殖した細菌を洗い流すためにうがいをして、それから顔を洗う。
ーーここにきてようやく脳が回転しだしたらしく、この怠さの原因について、ある仮説を立てることができた。
昨日。
カリオストロ王国にて。
ネーブル・ブリューゲル・カリオストロの邪悪なる企みに巻き込まれた俺とミーツハートだったが、俺たちの友情パワーに敵うわけもなく、激戦の末、ネーブルの野望はついに潰えたのだったーー
と、多少脚色されていないではないが、大体こんな感じで幕を下ろした。
あらすじを見ただけでは怠さの原因が分からないと思うので具体的に言うと、体を酷使したために発生する筋肉痛と、単純な疲労からくる気怠さなのではないか、ということだ。
……自分で言っておいてなんだが、長々と推測を述べておいてなんだけど、確かに疲れてはいる、しかし筋肉痛はないようなのだ。
熱がある感じもしない。風邪などの病気では、どうやらないらしいのだが……、じゃあ一体なんなんだって話だ。
結局わけが分からないままだ。
ていうか、わけが分からない不調って、めちゃくちゃこえーな。ここ数日間のうちで味わった一番の恐怖かもしれない。大型トラックに轢かれそうになるよりも、高難易度の錬金術に挑戦するよりも、ゴーストに襲われるよりも、ネーブルに殺されかけるよりも、ミーツハートに殴られるよりもよっぽど。
見えない恐怖。
ハッピーエンドを迎えたはずなのに、俺だけが死ぬのか。バッドエンドなのか。
いつもなら顔を洗った時点で完全覚醒を果たすはずが、今日はぼんやりとした頭でそんなネガティブ思考なことを考えていると、
「………………………………」
ばっちり目が合った。
ぼんやりと靄がかかった頭の中が、一瞬にしてクリアになった。
鏡に映る自分と目があったわけでは、もちろんなくって。
顔をじゃぶじゃぶ洗った後、ぼーっと洗面器の底を見ていた俺の目と。
顔をじゃぶじゃぶ洗った後、ぼーっと洗面器の底を見ていた俺の影に浮かんだ、二つの目とが。
ばっちしと。
交錯した。
真っ直ぐこちらを見つめてくる、二つのぎょろりとした眼球。
その双眸に、俺は、誠に残念ながら見覚えがあった。
同じ個体であるという根拠はないが、何せあんなことがあったのだーーミーツハートから祓われたと思い込んでいたが、実は祓った人間のほうに乗り移っていたのだった……と考えると、まあこんなこともあり得るのか? と思える。
「おはよう」
今日の俺は、いつにも増して冷静沈着だった。
朝の挨拶をすると、カゲカリは、何をするでもなく、静かに影の中に潜っていった。
どうやら出ていく気はさらさらないようだが、しかしここ数日間は気怠さもなく絶好調な毎日を送っていたのだから、ミーツハートのように常時生気を吸い取っていたわけではないらしい。
だとすると、この死ぬほどの怠さ加減は、カゲカリの栄養補給が原因だったというわけなのか……。
だけど、不思議と追い出そうという気にはならない。定期的にだるだるになるのはもちろん勘弁願いたいところではあるけど、カゲカリが生きていくためだというのなら、それも仕方のないことだろう。
知ってのとおり、俺は心の広~い男なのだ。
カゲカリの一匹や二匹、いつでもウエルカムだぜ。
突然だけど、今日、家族が増えました。
ハルフゥにそう報告すると、「あっそう」--と、意外に淡白な応えが返ってきた。
それからいつもどおりの朝食が始まった。
今日の干物はサンマだった。北のほうで獲れた、脂の乗ったそれなりにいい値段のする干物だ。しかも特大サイズ。
これを食べれば元気百倍というものだ。お蔭ですっかりスタミナが回復してしまった。
俺は制服に着替えて、玄関を出る。
これもいつものとおり、トリスのお迎えに上がるためお隣に向かう。
いや、向かおうとしたのだが、目の前を通る長くて黒い車にこれまた残念なことに見覚えがありまくったので、今すぐ逃げ出したい気持ちを我慢して足を止める。
リムジンが停車すると、後部座席の窓が開いた。
「あら、奇遇ね」
「こんな偶然があってたまるか」
果たして、窓から顔を覗かせたのは、ーーあえて丁寧に記述するが、カリオストロ王国の第二王女であり、ミーツハートの妹である、ネーブル・ブリューゲル・カリオストロだった。その表情はいたずらめいており、気のせいかもしれないが、一房分染められた金色の髪の毛が、いつもの五割増しで輝いている。
この状況を、絶対に面白がっているな。
俺はまったく面白くなんかないのだが。
「やっぱり運命の赤い糸で結ばれているのかしら」
「ん? 今、プツンって音しなかったか? なんか、糸が切れるような。……っていうかまた来たのかよ。ネーブルも学校あるだろ。こんなにサボってたら、いい女王様にはなれないぞ」
服装は初めて会った時と同じ、ネーブルが通う学校の制服なのだろうが、今すぐ飛んで行っても午後からの授業になるから、遅刻は確定だ。
不良お姫様。
「サボタージュだなんて人聞きの悪い。これは歴とした公務よ。わたくしだって、ちゃんとお姫様してるんだから。その証拠に、今もこうして友好国の国民と、楽しく会話しているじゃない」
「護衛の一人もいない公務なんて見たことねえよ」
「それなら心配には及ばないわ。クロロだけで十分だもの。それに、国費を使って渡航しているのだから、……公務でしょう?」
「問題がありすぎてどこから着手すればいいかまったく分からんわ! お前は矢継ぎ早にスクープ記者のスクープ魂を燃え上がらせるつもりか!」
その手の問題が掘れば掘るほどわんさか出てきている今日この頃だというのに……。
人より懐は暖かいはずなのにな?
「噓に決まっているじゃないの。知らないようなら教えてあげるけど、国政には噓とつく言葉が変幻自在に扱われることはつきものなのよ」
国は噓で成り立っている。
ネーブルはそう言った。
「--ま、これも噓なんだけどね」
「妙にリアルな温度を持って話していた気がするんですが……」
「気のせいよ」
「気のせいか」
「そ。気のせい」
「なら良かった」
「半分は」
「どの部分!?」
政治のニュースの見方が変わりそうな発言だった。
「にゃふふ……政治といえば、三年と少し前までは、国を出ようとなんであろうと、ハルプカッツェは絶対に錬金術を使用してはならない、という法律があったことは、もちろん知っているでしょう?」
「ん? まあ……辛うじて?」
「あなたって、錬金術以外はてんで駄目なタイプでしょう……? まあ、いいけど。…………その法律を廃止するように動いたのは、わたくしのお姉様なのよ」
「ミーツハートが?」
「違うに決まっているでしょうが。一番上のお姉様よ」
「あー……」
カリオストロ王国の第一王女。
ミーツハートとネーブルのお姉ちゃん。
確か、今の仕事を優先させたいらしい……とかなんとか、ネーブルが言っていたような気がする。
法律を廃止に運んだのだとすれば、カリオストロ王家の長女は政治に携わっているということか。
忖度の政界。
「ちなみに今は副総理大臣をしているわ」
「さすがはネーブルのお姉ちゃん、といったところだな!」
副総理の名前が出た途端に手のひらを返す最低な男だった。
お姫様とか女王様とかよりは、よほど現実味を帯びているというか……。副総理大臣という肩書きが、意外と破壊力抜群だったというか。
素直に凄いと思った。
「っていうか、待てよ? もしかして、錬金術禁止法を廃止した理由ーーというか、そう思い立ったのって、ミーツハートに錬金術を学ばせてやりたかった、……からなのか?」
「にゃふふ……」
ネーブルはいつものように含みのある笑いをこぼしてから、
「さあ? どうかしらね? もっとも、お姉様は頑なに否定するだろうけれど。まったく……わたくしのお姉様たちは、本当に素直じゃないんだから」
「……だな」
あえて言うまい。
三姉妹揃って、素直じゃない。
「あら。もうこんな時間」
「腕時計してねえじゃねえか」
「ごめんね、ジル。まだ公務の続きが残っているから、今日はこの辺で失礼させてもらうわ。それじゃあ、また明日。体調管理にはくれぐれも気を付けてね」
「嫌なこと言うなよ……授業にはちゃんと出なさい」
「にゃふふ……気が向いたら、--ね」
窓が閉まると、程なくしてリムジンが発進した。
後ろの小さな窓から手を振っているのが見えたので、仕方なく振り返す。
それにしても、よくこんな狭い道をぶつかりもせずに進めるものだ。
クロロさんはなんでもできるんだなあ。
ていうかネーブルの奴、本当に何しに来たんだよ。
「愛人なんて許しませんよ!? おはようジルくん! 今日も清々しい天気だね! わたしという愛する人がいながら、なんというけしからん奴だ! 罰として、今日のお昼にわたしお手製のお弁当を食べてもらうから、そこんところ覚悟しておくことだなあ!」
「おはようトリス。じゃあ行くか」
「うお~い! 誰かこのテンションにツッコミを入れておくれ~い!」
「ツッコミって……それがお前のいつもどおりだろ」
「うぬ……、きゅ、九割しかいつもどおりじゃないやい!」
「ほぼほぼいつもどおりじゃねえか」
「で、何を話してたのかな~? 内容次第では、ぼっこぼこのぎったぎただからね~?」
「お前はどこのガキ大将だよ。特には何も話してないって」
結構驚きの事実が語られたのだが、今はそんな気分じゃないので、この場では黙っておく。
「むむむ? 怪しい……怪しすぎる」
「変な会話はなかったってこと、お前が一番分かってるんじゃないか?」
「ん? ま~ね~。わたしは、ジルくん信ジルくん」
「簡単に言うと、みんな素直じゃないよなあ、……って話」
「? 意味が分からんのだけど」
「距離は離れていても、心は決して離れない、……って話だよ」
「??? 余計に分からんのだけど~?」
そりゃあ、分からないように言ったんだからな。
雑談ばかりしていては、ネーブルではないが遅刻してしまう。
俺とトリスは王立シュテルンツェルト学園へ向かう。
いつものように。
今日も、錬金術まみれの一日が始まる。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
一時限目、二時限目は錬金術の授業だった。
グループに分かれて、協力して課題をこなした。
一夜明けてのミーツハートの様子はと言えば、こちらもいつもどおり平常運転、上から目線で高圧的な態度だった。
あれだけ濃厚な一日を過ごしたはずなのに、にもかかわらず相変わらずの日常。
まあ、非日常だらけだというのも考えものだけど。
ティッティ先生には一応、事件については触れずにダンスパーティーのことを報告した。するとめちゃくちゃ羨ましがられた。俺たちが楽しんでいる間(前半だけだったが)、ティッティ先生は生徒のために教材などを作っていたのだと思うと、胸が張り裂けそうになる。錬金術の天才といえども、先生になってしまえば普通の先生として生きていかなければならないのか……。でも、それはティッティ先生が自分で選んだ道だ。だから俺は全力でティッティ先生を応援しようと思う。
ティッティ先生と仲良くなっておけば、将来の役に立つかもしれないしな……。ぐへへ。
--例によって楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去るもので。
ーー三時限目が終わって。
そして、ようやく四時限目も終了した。
俺にとっては錬金術と生物学以外の授業は苦行にほかならない、四時限目の終わりを告げるチャイムは、俺には天から届く鐘の音のように聴こえ、小さな純白の羽を生やした天使たちが、ラッパを吹きながら舞い降りてくる。
「やっと昼飯だー……」
俺は黒板に書かれた内容は一文字たりとも逃さずノートに記述するタイプだが、実は先生が口頭で説明している内容のほうにこそ、大事な部分が含まれているらしい。黒板に書かれたほとんどは補足説明に過ぎないのだとか。おまけを覚えても、確かにテストでいい点は取れない。だったらそうしろよ、という話だが、何せ俺にはその大事な部分がどこなのか、全然まったく分からないので、嗅ぎつける嗅覚が鈍りに鈍っている鈍間野郎なので、だからこうして無駄にノートを汚くしているという次第だった。蛍光ペンで下線を引いているワードのうち、果たしていくつがテストに出てくることやら。
伸びをした後、そんな無駄遣いノートや教科書を机の中に仕舞っていると、
「ついにこの時が来たね、ジルくん! 待ちに待った戦士たちの休息だ!」
隣のトリスは行動が早いもので、もう教科書などは机の中に仕舞って、弁当箱をリュックサックから出して机の上に置いて準備万端、机の正面をこちらに向けている。
確か自分で弁当を作ってきたとか言っていたが、実はトリスはそれなりに料理が得意なほうで、唯一と言っていいオトナの女要素だったりする。
あまり遅いとトリスが騒ぐので、俺は急いで机をくっつけた。
教室でランチをとる生徒がほとんどだが、晴れた日には中庭、または別の教室や空き教室、もしくは秘密の場所で、各々好きなところに散らばる。
俺たちは、特殊な事情がない限りは基本的に教室だ。移動する必要はないし、各地へ散らばってくれたお蔭で人口密度が減っているから、思う存分トリスのボケにツッコミを入れることができる。
「はよう……、はよう儂にカロリーをくれい……」
「ガス欠のところ悪いんだけど、まだメンバーは揃っていないぞ。ちょっと待ってろ。俺が責任を持って連れてきてやるから」
トリスは「あ……」と声を漏らした後、サムズアップしてみせた。
「健闘を祈る! 骨は拾ってやるさ!」
「俺の骨は錬金術の素材として使ってくれよな」
そう言い残して、俺は教卓の真正面の席に向かった。
ミーツハートはお弁当の準備を整えたところだった。
「……ミーツハート」
「……なんじゃ」
「……一緒に食べようぜっ!」
きらんっ。と、サムズアップする俺の白い歯が、眩いばかりに輝いたことだろう。
正直に言うと、誘うのがちょっと照れくさかったりする。食堂で強引に相席するのには苦労しなかったんだけどなあ……。
まったく不思議なものだ。
「はあ……」
なぜか深いため息をつくミーツハート。
「絶対に来ると思っとったわ。お主は何かにつけ、妾と接触を図ろうとするのじゃな。一度は断られたプロポーズでも、何度も何度もチャレンジしてぶつかっていけば、いつかは相手の心を変えられる、などと愚かしく思っている部類の奴じゃろ、お主は。それは誠意と呼ぶのか、はたまた、ただのストーカーなのか。……話は変わるが、ラブソングってあるじゃろ? 月並みじゃが、歌詞に込められた想い、……あれは重すぎじゃと思わんか?」
「重い想い。んー……ラブソング好きに叩かれたくないからノーコメントで。それより、話はお弁当を食べながらしないか? そのほうが盛り上がるし、何より、みんなで食べたほうが食事も美味しいし。ーーな?」
「うむ……おかずを無償提供してくれるのならば、誘われてやらんこともないが?」
「それ、毎回犠牲にしなきゃならないのかよ」
「さあの。妾の気分次第じゃな」
「俺はお前が幸せになることを全力で祈るよ。弁当のために」
「さて、トリス・ローゼンクロイツ・サクラザカが腹を空かせて待っているじゃろうからな」
「ミーツハートさん! は~~や~~く~~」
見ると、トリスはいつの間にかもう一つの机をくっつけて待っていた。だるーんと机に突っ伏している。
「うちの駄犬はもう限界みたいだな」
「そのようじゃの。まったく……」
俺がミーツハートを連れて戻ると、トリスは最初から三人で食べることが決定していたかのようになんのリアクションもせずに、
「はい、まずはお弁当箱を広げましょう~」
ちなみにミーツハートの席は俺とトリスの横、三角形になる位置だ。
指示に従って、お弁当箱を開けていく。俺のお弁当箱はトリスと同じ二段だが、俺のほうが少しサイズが大きいものになっている。ミーツハートはというと、四角の一段弁当だった。
二つ目を開けたところで、俺は思わず声を上げてしまった。その理由はーー
「白飯がぎっしり詰め込まれている、--だと!?」
ーーである。
二段弁当の二つ共に、白いお米が隙間なくびっしりと収納されていた。
ああ……これはあれだ、いわゆる仕返し弁当というやつだ。ご飯と梅干しの比率が逆になっていたり、手がつけられなくなる食欲減衰グロテスクキャラ弁だったり、海苔で罵詈雑言が書かれていたりする、あれだ。
しかしこれは、なんのひねりもなさすぎではないだろうか? 逆にダメージが大きいとも言えるが。現に今、少し泣きそうになっている自分がいる。
俺、ハルフゥに何かしたっけ? してないはずなのだが……。
「にゃはは! なんじゃそれは! 米々しいのう!」
「こめこめしいって、初めて聞いたわ……」
米だけに、コメントしづらい。
こめったこめった……いや、困った困った。
「どうやら、おかずを提供される側は俺みたいだな。米を全て消費するためには、提供されなければならない。というわけでミーツハート、……なんかちょーだい」
「うむ。ごぼうのきんぴら一本と白米四分の一で手を打ってやる」
「悪徳企業、株式会社ライム・ミケット・ミーツハートの会長かよ!」
「なんじゃその超絶怒涛の勢いでつまらないツッコミは。残業してツッコミの特訓をするがいい。ほれ、きんぴらごぼうーーの、にんじんをくれてやる」
「せめてごぼうにしてくれる!? てか八時間も働いた上にさらに残業なんて……なんか無駄なことをしている気がする! 人生の大半を棒に振りたくなんかないよう!」
「無駄口を叩いていると……異動させるぞ。会社のために、これからも尽力してくれ」
「悪質な嫌がらせ行為にしか思えない! 上の気分で下を困らせないでほしい!」
「要するに、何もあげんということじゃ」
「残業代は出ないということですね。ブラックだぜ……禍々しいほどに、黒々しいぜぇ……」
「安心したまえ、ジルくんや」
この先には白飯地獄が待っているのか……と戦慄していると、トリスが手のひらをこちらに向けて、そんな風に言う。
「そのご飯は、わたしのです」
「米も取り上げられるのか? 俺……」
まあ、その時は学食を利用すればいい話なんだけど、話の流れを邪魔するわけにはいかない。
「間違えた。片方は、わたしのです」
「どっちみち取り上げられるんじゃねえか……」
「そして、わたしの片方を、ジルくんに進呈します」
トリスはそう言って、自分の弁当箱と俺の弁当箱を交換した。弁当箱に白飯が詰まっていたショックで今頃気付いたのだが、トリスの弁当箱はどちらともおかずだった。内容も同じらしい。ーーってことは?
「ーーどういうこと?」
馬鹿な俺にはいささか難しい問題だった。
「見た目、中二少女のハルフゥに頼んだんだよ~。今日のお弁当はわたしが作るから、ご飯はそっちでお願い、って。朝も言ったでしょ? お手製弁当を食べてもらう、ってさ」
「それなら俺にも教えてくれたっていいだろ」
「それじゃあ、サプラ~イズにならないじゃんか~」
「うん。ある意味ではサプライズだったな。危うく心に深い傷を負うところだったんだぞ? な? ライス」
「どさくさに紛れて妾をファーストネームで呼ぼうとするな。殴るぞ」
「まあまあ、喧嘩はよくないよ? ミケットさん」
「セカンドネームはもっと呼ぶな。もっと殴るぞ」
「おお……どうやら琴線に触れてしまったようだ……といったところで、お手を拝借」
「何が『といったところで』、だよ」
言いつつ、俺は手を組んだ。
食事の前にはお祈りタイム。
ここでふと思ったことがある。お祈りはこの世界、ワールドオブリヒト共通の文化だと思っていたのだが、ミーツハートはお祈りの存在自体を知らないようだった。……これはあくまでも俺の妄想だけど、それは、カリオストロ王家限定なのではないか、ということだ。ダンスパーティーに招待されたゲストは、俺とトリスを除けば、みんなハルプカッツェ人だったこともあるし、表向きは友好的に接していても、裏側はもしかしたらそうではないのかもしれないーーミーツハートのツヴァイハーゼ人嫌いもそこに起因するものだとしたら、この先は危険な考えだけど……考えたくはないけど、カリオストロ王家は、まだ過去の歴史を引きずっている……? のかも?
そんなことはないと信じたい。
だって平和が一番だもんな。
争いは悲しみしか生まない。
「のう」
ーーと、お祈りタイムを始めようかと思っていたら、ミーツハートが割り込んできた。
「なんだよ。また怪しげな儀式を始めよってからに……とか言うつもりか?」
「言わんわ、そんなこと……。その、じゃな……。わ、妾にも教えてくれんか、その……怪しげな儀式を」
「言ってるよ、ミーツハートさん」
「まあ、いいけど……。でも、一体どういう心境の変化だ? まさか……一流の錬金術師になるためにはお祈りを覚えなきゃいけないと思った……とか!? あらやだコワい!」
「錬金術師の職務の一環として覚えておきたいだけじゃ。この先、何かしらで困る可能性も無きにしも非ず、じゃろうからな」
「お前……、本当にミーツハートか? 猫をかぶったまったくの別人なんじゃないだろうなあ! あのミーツハートがこんなに殊勝な心がけをするはずがないんだ! お前は誰だ! 誰だお前は! ミーツハートをどこへやった! あの、いつでもどこでも誰に対しても上から目線で高慢ちきのミーツハートを、早く返せえ!」
「そんなことより、早く教えろ」
「はい」
俺のボケを一蹴するこいつは、紛れもなく本物のライム・ミケット・ミーツハートだった。
「じゃあまず、浣腸のポーズをしてーー」
「いやいや! 超絶無駄なプロセスだから! それ!」
ちっ……余計なことを言いよってからに……。
「……だからいつまで経ってもオトナの女性になれないんだよ、トリスは」
「それとこれとはまったく関係ないよね!? 真面目に教えろこら~!!」
「しょうがないなぁ……。まず、利き手とか関係なしに、組み方は統一されてるんだよ。右手の薬指を、左手の小指と薬指の間に入れて、その後は自然に組んでいく。そしたら両手の人差し指と中指を立ててーー」
「ジルくん?」
「……っていうのは冗談で、これで祈りのポーズの完成だ。あとは祈りの言葉だけど……ちょっと待ってろ、書いてやるから」
俺は適当なプリントを取り出して、すっかり頭に染み込んだ祈りの言葉を書き綴っていく。これまで気にならなかったけど、こうして文字にしてみると、こんなに長いものだったんだな……という、新たな発見があった……というのは、至極どうでもいいエピソードだった。
それにしても、自分の癖が凄い字を他人に見せるとなると、案外恥ずかしいものがあるな……。そんなことを思いつつ「はい」とプリントを渡す。
「うむ。なかなか味のある字じゃのう」
「いっそ、こてんぱんにしてくれたほうが楽だ……」
新手の嫌がらせだろうか? ミーツハートならミーツハートらしく、ケチョンケチョンに言ってほしかったのだが。
「もっと俺を罵ってくれえ!」
「出た~~! 自分が超ド級のM気質であることを認める決定的発言! はい、いただきました~~!」
「いただくのは弁当のほうじゃ。さっさとやるぞ。ジル・ヘルメス・ミウラ、トリス・ローゼンクロイツ・サクラザカ」
「「はい」」
やる気満々のミーツハートに倣って、俺たちも手を組む。
目を閉じて、呼吸を穏やかにする。
……………………。
…………………………………………。
…………………………………………………………………………。
「…………あのう、ミーツハート?」
「なんじゃ。早くせんか」
「いや、なんていうか……ミーツハートのタイミングがまるで合っていないと言うか……な?」
トリスに振ると、トリスも「ん~……」と微妙な表情で小首を傾げる。
本当に、本当に、本当~に、微妙なところなのだ、これは……。幼稚園児の頃から毎食欠かさず行ってきた生活の一部分を、果たしてどのように説明すればいいのだろうかーー合わせるタイミングというのは、感覚的なものがあるからなあ……。 経験、慣れ、っていうやつだ。
「最初なんだし、途中参加でいいんじゃないかな~? 誰だって初めてはこんなもんだよ。--ちなみにわたしの初めてはジルくんにあげるって、産まれた時から決めているからね? 宿命、と言ってもいいよ」
「ミーツハートはそれでいいか?」
「はあ? それはお主らの問題じゃろうが。妾に振るでない」
「いやちげえよ! お祈りに決まってんじゃねえか! お前は俺の親か!」
「うっさいのう……。はいはい、それでいいそれでいい。はようテキパキやらんか、このバカップル共めが」
「こいつ……」
これまで無慈悲に理不尽に加えられてきた暴力の数々を、百倍にして、いや千倍、一万倍、一億倍にして、命を助けてもらった恩も綺麗さっぱり忘れて返してやろうかと本気で思った。俺にはその権利が十分にある。
いつかミーツハートをにゃおふん! と言わせてやるぜ……。
そう心の中で誓って、怒りを鎮める。
目を閉じて。
静かに呼吸をして。
精神を集中させる。
最初と変わらず、ミーツハートとはフィーリングがいまいち合っていない。お祈りには、その土地々々でいくつか祈りの言葉ややり方のパターンがあるのだが、ここら辺では最初から最後までみんなで合わせるのが一般的だ、なのでミーツハートには早く慣れてもらわないといけない。スパルタ特訓あるのみだ。
トリスとは、三秒と経たないうちに合わせられる状態になる。何も嬉しくなんかない。
とはいえ、これもミーツハートのためだ。
俺は、トリスと呼吸を合わせて。
祈りの言葉を、その一言一句を、丁寧に丁寧に、心を込めて紡いでいく。
全ては、俺たち人間の血となり肉となり、知となり力となってくれる、尊き魂たちのために。
--御霊よ、変えるべきものであることについて、それを変える力を、私たちに与えてください。
--闇のあるところに光を。
--絶望のあるところに希望を。
--悲しみのあるところに喜びを。
--分裂があるところに一致を。
--憎しみがあるところに愛を。
--御霊よ、私に慰められることよりも慰めることを。
--理解されることよりも理解することを。
--愛されることよりも愛することを。
--与えることによって与えられ。
--進んで許すことによって許される。
--私に、幸福の器となることを望ませてください。
--アーメン。
最後にそう締めくくってから、閉じていた目を開ける。
お祈りタイムの後は、決まってみんなの口数が減る。心を落ち着けて神聖な気持ちになっているからだ。
ミーツハートのほうを見てみると、「ふう……」と息を吐いて目を開けたところだった。目を閉じていてはメモの意味がないから、恐らくフレーズ毎に確認しては目を閉じてを繰り返していたのだろうーー案外真面目なところがあるんだなあ、とちょっとだけ感心する。
「これが祈りというやつか……ちょいとばかし長いのう」
寝起きみたいな空気の中、ミーツハートがそんな感想を漏らす。
「キレイ系女子の半身浴に費やす時間よりは短いだろ?」
「まあ、そうじゃの。要は早く慣れろということか。人間は案外単純な生き物じゃからなあ」
人間は単純な生き物。
トリスのお腹が『く~』と鳴ったのだから、本当に単純だ。
「きゃっ。恥ずかしっ」
「全然恥ずかしがってないだろ、お前」
「恥ずかしいよ! だっていつもならもっと豪快にかましてるとこだもん! くぅ~! 自分が不甲斐ない!」
「生物学的に女性であることを恥ずかしがれ」
「祈りも済んだことじゃし、食べるとするかのう」
「おお! 食べよう食べよう! いっただっきま~す!」
言うが早いか、おかずに箸を伸ばすトリス。
ツッコんでばかりの俺だが、俺だって腹がペコペコだ。
トリスの手料理は何度か無理矢理食べさせてもらっているので、味の心配はいらない。俺は玉子焼きをパクリと一口。
「ーー美味い。いつもながら美味いなあ、トリスの料理は。少し甘くて、疲れた脳に染み渡っていくようだ」
「ふっふっふ。そうかそうか。た~んとお食べ」
「なんじゃ、意外じゃのう。ちゃんと感想を述べてやるとは。てっきり微妙な答えを返すものだと思っておったのじゃが、それほどまでにその玉子焼きが美味じゃということか?」
「違う。いや美味いは美味いけど、そうじゃない。毎回毎回『どう? 美味しい?』って訊かれるから、それがイラつくから機先を制して感想を言ってるだけだよ。俺は醬油より砂糖派だし、普通に美味いし。ミーツハートも食ってみるか? もちろん無償提供だ」
「くれると言うのであれば、食らってやる」
はい、どうぞ。俺はもう一つの玉子焼きをミーツハートの弁当箱に移す。箸に口はついていないから、まあ大丈夫だろう。間接キスとかなんちゃらでぎゃあぎゃあ騒ぐのも面倒くさい。
「ミーツハートさんのお弁当はモモモさんが作ってるの~? めっちゃ美味しそう! 他のと取り替えっこしない?」
質素って感じでもなく豪華って感じでもない、まあ普通に美味しそうな弁当だ。もしもカリオストロ王家バージョンだったら、学生の昼休みにフルコースが出てくるのだろうか? 現役カリオストロ王家のネーブルはどうなんだろう? 今度訊いてみるか。どうせお姉様に会いに、また公務だとか噓をついて訪れるだろうしな。
「バリエーションを豊かにするためじゃ、いいじゃろう。では早速交渉に移るとしようかのう?」
「へっ……望むところだ!」
「……喧嘩はほどほどにな」
そんなこんなで、いつもとはちょっと違う昼食タイムが続くのだった。
こんなに楽しいと思ったお昼は、もしかしたら初めてかもしれない。
物心つく前から一緒だったトリスとでは決して味わうことのできない、凝り固まった心を解きほぐされるような優しい感覚。
お祈りの言葉にあるような、超真人間として生きていくことは、正直に言って難しいけどーー幸福の器。
ミーツハートは十分に、その役割を果たしているように思える。
俺は今、幸福の中にいる。
それは、ミーツハートが与えてくれたものだった。
与えてくれたのなら、俺も与えなければならないな。
ミーツハート。
ライム・ミケット・ミーツハート。
俺のーージル・ヘルメス・ミウラにできた、初めての友達。




