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アルケミ・アルケマー  作者: 御手洗スガタ
12/19

キトゥン

「お主の愚案にはひたすら頭痛を覚えることしかできんのう……」


 俺のナイスなアイディアを聞いたミーツハートが、なぜだかこめかみを指で揉みほぐしていた。顎を酷使したためだろうか?

 なんにせよ、とんでもないことに、さらにとんでもない事態を重ねてしまったーーまさかダンスパーティーがバトルパーティーに移行するとは、この場の誰も思っていなかっただろう、夢にも思わなかったことだろう……。

 しかし王女同士との闘いが見られるということもあって、招待客の目は期待と興奮で彩られていた。この状況を作った張本人としては、まあ悪い気はしないのだが。

 制服に着替え終わったミーツハートに、俺はネクタイを締めながら、


「そう言うからには他に打開策があったんだろうなあ? あのまま俺が屈していたら、ネーブルの奴、マジで実行に移していたぞ。確実に」

「じゃろうな……こうなっては致し方あるまい。全力で叩き潰すまでじゃ。にしても……二対一とはのう。騎士道精神を重んじるハルプカッツェ人じゃーーネーブルのことだけ悪くは言えまい」

「俺はハルプカッツェ人じゃないから関係ないだろ。ネーブルも快く了承してくれたことだし、ミーツハートは思う存分のびのびと闘ってくれればそれでいい」

「妾がその程度で遠慮すると思うか? するわけがなかろう。ーー妾は死んでも残る。誰にも邪魔はさせん」


 そう言うミーツハートの瞳は、決して揺らぐことのない強固な決意で満ちていた。

 そんな彼女の背中を、ささやかながら押してやりたいと、俺は思った。彼女のためならやりたくないことでもやってやろうと、そう思える。

 だから今回の決闘は錬金術有りのルールにしてもらったのだ。つまりこちら側は道具を使ってもいいという、ネーブルにはかなりのハンディキャップを背負ってもらう。

 これで負けようものなら、俺も腹をくくるほか道はない。将来はネーブルの旦那さんなわけだ……。


「一応、素材各種、取り揃えてございますが?」


 素材だけで十キロ近くの重量がある。錬金術師たるもの、このくらいの品揃えは当たり前だ。人生、何が起こるか分からないからな。とはいえ使うシーンは滅多に訪れないんだけど。タンスの肥やしというか、制服の肥やし? だから、使われようとしている素材たちが喜んでいるーーような気がする。


「いらん。お主が使ったほうが効率的じゃろうが」

「ってことは……俺は後衛か」


 言ってから、思わずため息をついてしまう。


「自分で言っておいてなんだけど、他ならぬ俺自身が招いた展開ではあるんだけど……、でもやっぱり暴力的な闘いで錬金術を行使するのは気が引ける……錬金術は人の暮らしをより豊かにするための技術なのに……。もし錬金術の神様がいるなら、たぶんめちゃくちゃ怒るだろうなあ……」

「そうだとすれば、既にツヴァイハーゼは滅んでいるじゃろうな。しかし残念なことに、どうやらしぶとく生き残っておるようじゃが」

「生き残るためには仕方ないだろ、それは……ハルプカッツェの純粋な武力に適うと思うか?」

「努力が足りんのじゃ。努力が」

「知ってるか? 努力で全ての困難を乗り切れるほど、人生甘くないってこと。叶わない夢だって、どうしてもあることを」

「この世に生を受けたその瞬間こそが運の尽き、ということなのじゃろうな」

「生きていく希望の欠片もないことを言うなよーー少しは応援して差し上げろ」

「うむ……せいぜい頑張れよ」

「話題の中心にいたのは俺だったのか……!?」


 だがこれで不幸続きだった原因が特定された。まさか俺が不幸の申し子としての命運を背負って産まれてきた、全世界のため息を凝縮させたかのような、不吉すぎてもはや逆に笑うことしかできない存在だったとは……。でも別の角度から見れば、本来ならば俺が享受するはずだった幸せを周りに分配しているのだと考えられなくもない……。

 ーー何それ? 全然嬉しくないんだけど?


「馬鹿なことを言っておらんで、さっさと行くぞ」


 言葉どおりさっさと部屋を出ていくミーツハートを、俺は慌てて追いかけた。


「ちょーー作戦とかどうすんだよ!」


 あまり意味がないだろうなと思いつつそう訊くと、ミーツハートは歩きながら、


「作戦はない。--というのが作戦じゃ」

「それっぽく言ってるが……要するに何も思い浮かばないだけだろ。……まあ、そう言う俺もだけど」

「なら良いではないか。最善手じゃ。下手な連携よりはよっぽど良い手じゃと思うが」

「無策で挑むのはいいとしてーーそれはしょうがないことだとしてもだ、俺としてはミーツハートの戦闘の邪魔にならないかが不安の種なんだけど……後衛として適切なフォローができるかどうか……」

「最初からお主に期待してはおらんが」


 ーーじゃが、とミーツハートは続けた。


「やってみなければ分からんじゃろう。意外な化学反応が、もしかしたら起こるやもしれんしな?」

「もれなく爆発が伴いそうなんだが……」

「にゃはは……勝負は爆発だ、と言うじゃろう?」


 意味不明な名言っぽいのは無視するとして。

 果たして勝算はあるのか、というマイナスな考えも頭の中から追い出して。

 俺とミーツハートは、ネーブルの待つダンスホールへと出陣する。

 できるのか、ではない。やるのだ。やるしかないのだ。成績が悪いわけでも何かやらかしたわけでもないのに学校を去らなければならなくなるなんて、絶対にあってはならないのだ。

 成績が悪くなる可能性も何かやらかす可能性もあるっちゃあるんだけどーー特に後者が可能性大ではあるんだけど! 前者は俺の可能性も十分にあるわけだけど! そうなっては、夜も眠れず寝覚めが悪いというかなんというか。先程も言ったように、ミーツハートとはもっと一緒にいたい……。知り合ったばかり、と言ってもいいほどの期間しか、まだ交流できていないのだ。引き離されてたまるものか。

 権力には屈しない。

 絶対に、負けない。

 ミーツハートの助けに、俺がなってやるんだ。

 ミーツハートの夢は、もはや俺の夢でもあるのだから。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



 ダンスホールは俺とミーツハートが着替える前と、まったく同じ雰囲気に包まれていた。まるで屈強な漢たちが闘う闘技場のような熱気が感じられる。紳士淑女ばかりなのに、暑苦しい。


「……いちいち着替える必要があったのかしらね」


 あの後ホールの中央から一歩も動いていなかったのだろうドレス姿のネーブルがそんな嫌味を浴びせてくる。


「これが錬金術師アルケミストとしてのドレスコードなんだよ」


 ブレザーの開いたところを両手で持って、歪みを直すように、キュッと下げる。


「そういうネーブルは余裕そうだな。ひらひらふわふわで動きにくくないか? 踏んづけて転んだりしたら大変だろ」

「にゃふふ……。いいのよ。そうはならないから」

「なんで自信満々にそう言い切れる……」

「自信があるからこそ、そう言い切れるんじゃないかしら」


 息を吞む。

 そして改めて認識させられる。

 圧倒的なまでの戦力差が、向かい風となって容赦なく吹きつけてくる。

 挑む相手を間違えた……半ば強制的に、本能的に、そう思わされる。

 猫と猫の闘いに蟻が一匹馳せ参じたところで形勢逆転するはずもない。その場のノリで決闘をしようと言ったわけではないが、錬金術を用いれば勝てると思ったわけでも、またないのだが、しかし勝負相手としてこうして対峙してみると、こうも気圧されるものなのかとーー己の甘さを実感させられる。弱気にならざるを得ない。

 もしかしたらーーこの勝負ーー


「それはこちらも同じことじゃ」


 そんなマイナス思考を振り払うかのように、ミーツハートが一歩前へ進み出る。


「この前は手加減しておったのじゃがーーしかし今回ばかりはそうもやっておれん。いささか不安ではあるが……、全力でいかせてもらうぞ」

「転校がかかっているのだから、不安になるのは仕方ないわよね。にゃふふ……」

「何を言っておる。妾は、お主が怪我をしないかどうかを不安に思っておるのじゃが」

「あらそう。お姉様の理想どおりのバトルになるといいわね。可能性は皆無に等しいだろうけれど。いずれにせよ、観客を楽しませることができればそれでいいのよ。同時に、わたくしたちの証人となるのだから、一石二鳥ね。国民の承認を得たならば、後はすいすい事が運ぶと思うの。ゆえに今日この日がわたくしとジルの結婚記念日と言っても過言ではないわね。これを機に国民の祝日にしようかしら? 休みが増えると、みんな喜ぶでしょう?」

「ただでさえ残業時間が増える一方じゃというのに、無駄な祝日を増やしてどうする。喜ぶのは学生か極一部の社会人だけじゃ。残業しておる者の恨みを買うつもりか」

「ていうか忙しい忙しいと言う割にはよく有給取れるよな。ゴールデンウィークとか。会社っていう組織のことは詳しくないけど、その間の仕事は滞ったりしないのかなあ? サービス業の人たちだって仕事したくない日はあるだろうに⋯⋯」

「残業は別として、その道を選択した者が悪いじゃろう。契約じゃからな」

「むぅ⋯⋯自分でハンコを押したんだからしょうがないか⋯⋯頑張れリーマン」


 錬金法アルケルールを開発する錬金術師にも、休みはなさそうだ。

 好きなことを職業にする、って⋯⋯案外、人生においての一番の幸せなのかもしれない。

 していると、観客のほうから俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた気がして、そちらを見てみると、

『が・ん・ば・れ〜』

 と、トリスの口がぱくぱく動いていた。

 俺は頷きを返す。

 そうだーー俺も頑張らないといけない。定時に帰ることのできないリーマンが世の中にはいっぱいいるのだと思うと、不思議と力が湧いてくる。俺よりも頑張っている大人が大勢いるのだと思うと、ここで弱音を吐いてなんかいられないと思うことができる。

 心の持ちようで、何かを変えることができるのなら。

 俺は、どんな強敵にも立ち向かえる。

 ネーブルにも、勝ってみせる。

 勝利を、強くイメージするんだ。


「ーーミーツハート。条件が条件だ。たとえ相手が人様の妹だろうと、俺は俺なりの本気を出させてもらうからな」

「いちいち妾の許しを得んでもよい。だがそうじゃのう⋯⋯、殺す気でやればちょうどよいじゃろうな」

「それは人として終末を迎えろと言っているのか?」


 殺す気になんて絶対になれない。なっちゃあ、いけない。駄目だろう、それだけは。人として終わっているだろうが。

 俺は、人間をやめる気は、毛頭ない。


「気を抜くなという意味じゃ」

「ならそう言えよな……分かってるよそれくらい、気を抜いていい相手じゃないことくらい、この身を以て実際に体感済みだからな。とはいえ正直、未だに

まだノープランだーー何せ錬金術を闘いに使うなんてこれまで一度も考えたことがなかったからな、まったくの未知数、想像が全然つかない……それにネーブルは体育館の一件で本気を出していたとはどうしても考えられない、ネーブルの実力もまた未知数、想像を遥かに超えているのは確実として、ミーツハートは本当になんの作戦も立てずにまったくの無策で行き当たりばったりで、しかもこの急造コンビで勝利できるって、強気とか理想とかは抜きにして、本気でそう思っているのか?」

「……先程の、確固たる決意に満ちたまなこは偽物じゃったのか?」


 ミーツハートは俺を見据えてーーんん?

 ていうか、心の中を読まれていた!?

 恥ずかしい……。恥ずかしいよお……!


「ま……まさか……。俺がカリオストロの玉座を密かに狙っていることがバレるなんて……!」

「国の終焉を未然に阻止した妾は歴史に名を刻む英雄じゃな」

「ーーそろそろ作戦会議は終わったかしらぁ?」


 こんな時でもいささか緊張感に欠ける会話をする俺たちに、さすがに痺れを切らしたのか、少々イラつき気味にネーブルがそう言ってきた。

 そりゃあイライラもするよな。

 放置してすみませんでした……。


「ああ、もうばっちりじゃ。彼の名将も目から鱗な計略知略、秘策奇策を、腹がはちきれるまで堪能させてやるからのう。必ずやネーブルーーお主をにゃおふん! と言わせてやる」

「あっそう。それは楽しみね」


 ネーブルはそう言ってから、パチンと指を鳴らす。

 BGMなのだろう、ただ闘いを見せるだけでは物足りないと判断したのか、合図を受けてハルプカッツェ楽団が演奏を開始した。ダンスチューンならぬバトルチューンというわけだ。


「舞台は整った」


 ネーブルは緩やかに両腕を広げて、言った。


「--にゃふふ……これ、一度言ってみたかったの。さあ、いつでもどうぞ。どこからでもウエルカム」

「ではそうさせてもらうかのう。--ジル・ヘルメス・ミウラ、行くのじゃ」

「って俺かーいっ!」

「先陣を切って敵の懐に飛び込むこと、光栄に思うがよい」

「俺は国に忠誠を誓う一兵卒じゃねえよ! 鮮やかな散り花を咲かせられることを光栄になんて思わねえよ!」


 だから俺は後衛だってば。肉弾戦はお得意じゃあない。

 一体全体いつの時代の話をしてんだよ。

 井伊時代創郎の名が泣くぞ。


「援護は任せる、という意味じゃ」


 ミーツハートはそう言って駆け出したーーなるほどね。

 大将が言うんじゃあ、しょうがない。俺は俺なりの、だ。しかしこの期に及んで、こうして後衛という役職が与えられただけでなんの役目が果たせるのか漠然としている。まるでドリちゃんの『領域』に足を踏み入れたかのように、その場から一歩も動けないのではないか……。

 だけど、ミーツハートは言ったーー言ってくれた。援護は任せる。え・ん・ご・は・ま・か・せ・る。たった八文字の言葉ではあったけど、でもこれって……。

 やる気スイッチをONにするには、十分すぎると思わないか?


「あんまりはしゃぐなよ?」


 そう言う俺のほうこそが、はしゃいでいた。どうしてもにやけてしまう。


「こういうのはなんでも、やり過ぎなくらいがちょうど良いのじゃ!」


 ミーツハートの固く握った拳が、防御のため前に突き出されたネーブルの手のひらに吸い込まれる。

 一瞬の静寂をおいてーー訪れたのは、本当の静寂だった。

 ミーツハートの攻撃はすれすれのところで寸止めされていたのだーーと俺が思い至る頃には、既にミーツハートは次の行動を起こしていた。


「にゃ……?」


 意外な戦法を繰り出されて軽く混乱しているネーブルの突き出した腕を掴んだミーツハートは、何度かぶんぶんと振り回してから、天井目がけて放り投げた。ダンスホールの天井はお椀型に湾曲した造りになっていて、それを抜きにして考えても高いから、ネーブルは天井に叩きつけられることなくしばらく浮遊することとなる。ネーブルの行方を視線で追って初めて天井を仰いだが、これまた見事な天井画だった。今にも動き出しそうな躍動感溢れる戦士たちが描かれている。緻密な計算の上に成り立っているのだろう、稚拙な表現で申し訳ないが、まるで巨大な飛び出す絵本を開いているかのようだ。

 古代の戦うハルプカッツェ人の中に吸い込まれていくネーブル。その表情は、嬉々としていた。嬉しくて嬉しくて、楽しくて楽しくてたまらないといった様子だった。

 戦闘狂。

 そんな言葉が、頭の中に浮かぶ。恐らく天井画の戦士たちも、三度の飯より試合ーー死合いを求めていたのだろうと思うと、ネーブルのあの表情はぞっとしないな……。

 ていうか歴史的にも価値のありそうな施設で、こんな暴力の嵐を吹かせてもよろしいのだろうか。Dザイヤの森での一件もあることだし、心配だなあ……。


「ぼおっとするでない! ジル・ヘルメス・ミウラ! この間に何か考えておけ!」

「作戦を練る時間は結構あったと思うんだけどお!?」


 作戦はない、というのが作戦だったと思うんだが……いかにもそれっぽく言い放っていたと、ばっちし記憶しているのだが。

 なんにせよ、めちゃくちゃ頼られているようなので、学力用に使う脳ではなく錬金術に使う脳、能を最大限フル回転させる。もちろん傷を負わせない……、いやできるだけ負傷させない形でバトルを終えることを念頭に、いつも制服に忍ばせてある様々な素材たちを思い浮かべる。

 こいつらで、何ができるーー? 攻撃ーー……いや。直接攻撃は、直接というくらいだから、どうしたって怪我がつきまとう。間接攻撃、飛び道具も同じこと。素人が何かやったところで、武器と呼べる物は武器でなくなる。ただのガラクタに成り下がってしまう……。

 だから、そうじゃない。そうじゃなくて。そんなんじゃあ、全然なくって。

 攻撃、から思考を逸らさないといけない。

 それにしても、俺にできること、か……。

 んー。……何をしてもミーツハートの邪魔になる気がしてならないし、それでしこたま怒られる未来しか見えてこない。助けになるどころか邪魔になってどうするんだよって話だ。邪魔じゃ、殴るぞーーと、また殴打宣言してくるに違いない。……ん? 邪魔?

 ーー邪魔! そうだ、邪魔邪! いや、邪魔だ!

 邪魔をしたら駄目だけど、邪魔はしてもいいんだ! --うん。言ってる意味がまったく分からんな。

 要するに、攪乱。

 俺にできること。場をかき乱す。

 少しでも、ネーブルの動きを阻害することができれば重畳、ほぼ戦力外にしてみれば、とてもいい働きをしたのだと胸を張ってもいいだろう。

 戦術方針は決まった。

 あとは、これからどう動くかだが……。

 ある程度考えがまとまったところで、ミーツハートが跳躍した。助走もなしで、しかも少し膝を曲げただけなのに、軽々と数メートルもの跳躍を実現させた。空中ではどちらも回避がままならない、ミーツハートの繰り出す連打をネーブルは全身を使って受け止め、また流していく。反撃の機会をうかがっているのかとも思ったが、あの楽しそうな顔を見る限りそうではないらしいーーミーツハートの力量を、再確認している? ……のか? まるで弟子の力を見極める師匠のように。


「お姉様の中で、何かが変わったようね。心の持ちようで、まさかここまで強くなるなんて、正直、予想外だわ。わざわざカゲカリを憑けた甲斐があったというもの」


 言いつつ、ネーブルは連撃の合間を縫うように、ミーツハートに一撃を叩き込んだ。

 それにしても、こいつらに作用する重力って、俺たちとは異なっているのだろうか? 滞空時間が異常だったぞ。

 痛烈な一撃を食らったミーツハートは、それでも床に激突する間に体勢を立て直して柔軟に着地するーーそこへ飛来してくる一つの影。この一撃で決めてやると言わんばかりに、拳を岩の如く固く握りしめーー


「っ! --ミーツハート!」


 俺は両手を前に突き出して、四角い『ゾーン』をミーツハートの頭上に作り出した。

 直後にネーブルの拳が『ゾーン』を捉え、青白い破片となって、粉々に砕け散ったーーって、ぇぇえええええええ!?

 ボックス状には慣れてないとはいえかなりの強度を持っている『ゾーン』をいとも簡単にしかも片手で!?

 あのゴーストの攻撃ですらいくらか耐えたというのに!?

 恐るべしカリオストロの血脈。

 しかし僅かながら時間を稼げたこともあって、ミーツハートはネーブルから距離を取ることができた。初仕事にしてはなかなかいい成果だと自己評価する。


「いたた……。手が割れるかと思ったわ」


 そう言う割には涼しげな顔をしているネーブル。


「錬金術はそういう使い方もできるのね。一つ無駄な知識が増えたわ」

「無駄な知識言うなよ……」

「感心している暇などないぞ、ネーブル!」

「あら、お姉様の戦闘欲求には感心しちゃうわね」


 空中戦の次は地上戦。押し負けたにもかかわらず、そんな事実は最初からなかったかのように、めげることなく勇猛果敢に挑むミーツハート。

 俺は『ゾーン』を展開させた。素材を中に放り込む。


「にゃふふ……観客のボルテージも最高潮、といったところかしら」

「余裕ぶっこいとるとーー足元をすくわれるぞ」

「そんなこと、万が一にもあり得なーー、い?」


 常に移動しながら肉弾戦を繰り広げていたミーツハートとネーブルだったが、またネーブルは受けに徹していた。それが仇となった。後方確認もできないままミーツハートに押されながら後退していたものだから、足元不注意で段差にかかとをぶつけてそのまま後ろに倒れ込むーーダンスホールになぜ段差があるのかというと、もちろん俺の仕業だ。『ゾーン』の段差につまずいたネーブルは、しかしさすがと言うべきか瞬時に片手を床につけ、側転の要領で転倒を回避した。ドレスが舞って、なんだかダイナミックだ。


「ジル、やってくれるじゃないのーー」


 バシャッ! --と。

 側転を華麗に決めた直後、ネーブルは全身に大量の水を浴びせかけられていた。

 なぜ水をかぶったのかというと、それももちろん俺の仕業だ。

 飛んできたスライム玉を乱暴に弾こうとすると、こうなる。


「一体どういうつもりなのかしら……?」

「え、だって⋯⋯猫って水、苦手だろ?」

「個体差はあるわよ。水浴びが大好きな猫だって、中にはいるでしょう。ハルプカッツェにも、少なからず苦手な人もいるようだけれど、わたくしはお風呂が大大大好きなのよ! でも服を着たまま水をかけられるのは大嫌い! 後で覚えておきなさいよ、ジル!」

「そんな怒んなよ⋯⋯」


 言いつつ、もう一つのスライム玉を放り投げる。

 バシャッ! しかし今度は避けられた。局地的な大雨でもあったかのように、ぴかぴかな床がびしょびしょだ。かなり広範囲なので掃除が大変そうだ。


「女の子をずぶ濡れにする趣味でもあるのかしら⋯⋯」

「気持ちの悪いことを想像してんじゃねえよ!」


 性癖が知れ渡る前にーーいやそんなものが存在するわけがないとは思うが、俺はネーブルの頭上に『ゾーン』を形成し、凝固の特性を与え、そのまま降下させる。

 超特大のやつを、食らいやがれ。


「何をするかと思えば。ーーあら?」


 だからその余裕が命取りだって、ミーツハートも言っていただろうに。足元をすくわれる。

 思いどおりにいかなかったのは、片手で軽々と破壊できなかったのは、単に出来が違ったからだ。慌てて作ったのに比べたら、時間をかけて集中して作った『ゾーン』のほうが、強度が高いに決まっている。ただでかいだけじゃない、俺の魂を込めて作り上げた特別品だ。砕きたいのなら、核爆弾でもーー持ってこいやあ!

 ーーと、このチャンスを見逃すミーツハートではなかった。

 まるで以心伝心、阿吽の呼吸で、俺が『ゾーン』をどのように活用するのか最初から分かっていたかのように、我がクラスの猫姫様は、一瞬のうちにネーブルの懐に潜り込んでいた。

 拳を握り。

 腰を落とし。

 脇を締めて。

 足を踏ん張り。

 命中ポイントを確定し。

 鋭く息を吐き出すと同時に。

 渾身の正拳突きが、炸裂した。

 みぞおちの少し上辺りに一撃を食らったネーブルの小さい身体が、回転を加えられた正拳突きによって、まるで風車のように、または間違った飛び方をする竹とんぼのように、ぐるぐると回りながら吹っ飛んでいって、最後はダンスホールの壁に激突して止まった。人型にえぐられた壁に埋まるネーブルの首が、力なく垂れた。

 いつの間にか音楽も止まっていて、聞こえてくるのは壁の崩れる音だけ。

 俺は祈る。ーーもう動くなよ。あれじゃあ肋骨が折れていたり下手すると内臓が破裂しているんじゃなかろうか、とも思うが、たぶんネーブルなら大丈夫だろうな。確かな手応えがあったのなら、さすがにミーツハートも慌てるだろうし、そのミーツハートは「ふう……」と息を吐いて構えを解いているし、これは決着でよろしいのでは? いや決着であってくれ。頼むから。


「にゃふ、にゃふふふふ……」

「マジかよ……」


 そりゃあ嘆きたくもなるというものだ。


「これくらいやってもらわないとつまらないものね。--にゃふふ……にゃふふふふふふふふふふ……」

「こいつ、生粋の戦闘狂だな……あれを食らってまだ立つのか」

「うむ。体力は削ったが、インパクトの寸前に僅かじゃが後ろへ跳んでのう。百パーセントのダメージとはいかなかった。これもブランクの差というやつじゃのう」

「お前らの間ではどれくらい高度な戦闘が行われているんだよ。一秒にも満たない一瞬のうちに、どんだけ考えを巡らせてるんだよ」

「ふん。お主に言われたくないわ」

「お前は俺の何を知ってるんだ……?」


 一人語りが筒抜けなようで、なんだか怖くなってきたぜ……。


「さあ、バトルを再開しようじゃないの。ようやく体も温まってきたことだし、そろそろほぼ本気でいってみようかしら」


 ネーブルはそう言うと、指先を太もも辺りに当てて円を描くように一周させた。すると、チャックがついていたわけでもないのに、指先の沿った跡に合わせてドレスが切れて、ぱさっーーと床に落ちた。恐らく爪で裁断したのだろうが、簡単に説明すればそうなるんだろうけど、やるのは容易くないに決まっている。例えどんな業物でも、可能かは分からない。

 自ら加工してミニドレス姿になったネーブルは、ヒールのついた靴も脱ぎ捨てて、彼女の言うところのほぼ本気モードで再びミーツハートの前に立つ。


「ねえお姉様、複数人と戦う時のセオリーって、なんだか知ってる?」

「なんじゃそれ、知らん。セロリなら知ってるがのう。じゃが複数と戦う時、か……。まとめて叩きのめせばそれで良いのではないか?」

「お姉様らしいと言えばお姉様らしい、とっても短絡的な考え方ね……」


 ネーブルがちらりと音楽隊に目を向けると、たったそれだけで伝わったのか演奏が再開した。レベルが高いっていうレベルじゃない。


「だからお姉様は、いつまで経ってもお姉様なのよ」

「意味が分からん。じゃったら教えてくれるか? その、カロリーというやつを」

「教えるほどのものではないと思うんだけど、仕方がないわね……浅学なお姉様のために、カリオストロ王国第二王女であるこのわたくしが、元カリオストロ王国第二王女であるお姉様のために、ありがたき幸せなことに、恐悦至極なことに、本当に仕方がなく、戦闘のなんたるかをご教授してあげるわ。知ってた? わたくしって、実はとっても優しい子なのよ?」

「それは初耳じゃ。寝耳に水じゃ。ではなく、さっさと教えんか。その、ボキャブラリーというやつを」

「もはや原形をとどめていないわね……でもまあ、いいわ。教えてあげる。複数人との戦闘においての定石、それはねーー」

「……………………」

「ちらり」

「…………?」


 ネーブルが意味ありげに明後日のほうを向いたので、それにつられてミーツハートもそちらに目をやった、次の瞬間だった。


「弱いほうから叩く! 常識でしょう?」

「こっち来たぁあああああああああああああああああああーーッ!!」


 ていうか古典的な罠にはまるなよ!

 そんな古典的な罠にまんまとはめられたミーツハートはというと、


「……なるほどのう」

「納得してないで早く助けてくれぇええええええええええーーッ!!」

「にゃふふ……手加減してあげるから、安心してね」

「よし! お前を世界で二番目に信用できないやつに認定してやろう!」

「それはそれは」

「誉れじゃねえからな!!」


 言うまでもなく戦闘能力が皆無な俺は、まずガードをすることを考える。ハルプカッツェの、たとえ手加減された攻撃といえども、恐らく掠っただけで戦闘不能ーーゲームオーバーだろう。しかも、運動能力がなければ運動神経もゼロな弱々男子高校生であるところの俺が、ネーブルの素早さについていけるわけがない。猫と鼠はよくペアで語られるけど、俺たちの場合は猫と亀、だろうか。亀は無駄なエネルギーを消費しないためにゆっくりと動いているけど、俺は素だ。デフォルトでこのザマだ。

 この、鈍間が。

 まさにそのとおり。

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 だけど、簡単にやられていてはさすがにカッコ悪い。俺なりの全力でいくとしよう。

 両手を前に突き出して、大盾をイメージした『ゾーン』を作り出す。見た目は薄いが頑丈にできているはずなので、直接的なダメージは回避できる。ミーツハートの到着まで持ち堪えられれば及第点だ。

 腰を落とし、足を踏ん張って衝撃に備える。

 ほぼ透明な青白い『ゾーン』越しの風景の中には、しかしながらどういうわけか、猛然と迫りくるネーブルの姿が……、どこにもないんですけどーー?


「後ろがガラ空きよ?」

「い? --だだだだだだだだだだだっ!!」


 両腕を後ろに回されてがっちりと固定されてしまった。勝ちよりも、痛みの緩和を優先させたいので、無駄な抵抗はよしておこう。


「--だ?」

「と思ったけれど、やっぱり正々堂々、妨害有りのバトルに挑むとするわ。騎士道精神を蔑ろにはできないものね。錬金術師アルケミストになったお姉様には関係のない話、だろうけどにゃ」

「本当にいちいちうるさい奴じゃのう……」

「なあミーツハート、少しでも俺を助けようとしたか? 気のせいだと思いたいが、まったく全然その気持ちが感じられなかったんだが」

「何を言っておる。めちゃくちゃ助けようとしていたではないか。妾の体に流れる血は凍ってなどおらんぞ」

「俺たちって本当にチーム……だよな?」

「正直に言うと面倒じゃった」

「そういうことは心の奥底に秘めておけよ! 意外とナイスコンビネーションだと少しでも思った自分が馬鹿だった! そうだよな……俺たちはポイズンスターと油。混ぜても混ざり合わない。最初から無理な賭けだったんだ……ネーブルに勝つなんて。でも……負けたら俺はネーブルのお婿さんになるんだった! そんなのあってたまるか! ミーツハート、たぶん次がファイナルラウンドになる。これまで以上に気合いを入れていくぞお!」

「まったく……妾の周りにはやかましい奴しかおらんのか。言われなくとも承知している。何しろ妾の人生がかかっておるのじゃからな」

「俺のことも忘れずに」

「気が向いたらの」


 それはぜひとも向いてほしいところだ。

 ファイナルラウンド。かどうかは俺たち次第、ネーブル次第だ。最初から臨戦態勢でいく。

 錬金法アルケルールの極一部には『裏技』というものがあって、それは、素材を省略したり、時間短縮であったり、一度で複数個完成させたりするといった政府公認の技術だ。決して闇の部分ではない。例えるならば、煙草や酒の摂取を容認している、みたいなものだ。安全に配慮して使えば錬金術師にとって最大の武器となる。もちろん武力面としてではなくて技術的な面で。

 俺は、液体などを圧縮して保存できる特殊な容器を制服の内ポケットから取り出して、早速錬金術に取りかかる。

 スライム玉の裏技は実にシンプルだ。量を増やせば増やすほど、完成する量が増える。ちなみに一般的に必要な素材は、スライムと弾けきのみ、そして星のエネルギーが形となったと言われている、自然玉だ。自然玉、という名称だが系統で言えば『不思議系』に該当し、海や山なんかに行けば必ず入手できるので、レベルは1だ。完全な球体で、中では無数の金色の糸のようなものが揺らめいている。


「そういう趣味はないからな。先に言っておくけど」

「そう言う奴ほど怪しいというもの。さすがの妾もドン引きじゃ」

「だから作戦だってば。ーー既に布石は打ってある。これで俺たちの勝利は確定したも同然、大船に乗ったつもりでいろよ、ミーツハート」

「泥船どころか沈没船でないことを祈るほかないようじゃのう」


 じゃがーーと言って、にゃはは……と笑う。


「乗ってやるのも、やぶさかではない。舵取りはお主に任せるとしよう、ジル・ヘルメス・ミウラ。しくじるようなことがあればーーその時は分かっておるのじゃろうな?」

「なんでもかんでも責任を押しつけるのはやめてくれ。誰にだって失敗することくらい、ままあるだろうに。だったらミーツハート、お前が失敗したら、どんな責任を取ってくれるんだ? 妾は失敗などしない、はなしで」

「うむ……」


 どうやら結構真剣に考えてくれているようで、顎に手を当てて熟考した後、ミーツハートはさらりと言った。


「まあ、お主らの友人になってやっても良いのではないか?」

「……………………」


 絵に描いたような開いた口が塞がらない状態が、数秒間続いたものと思われる。演奏はホールに響いているはずなのに、俺にはまったく聞こえなくなった、そんな時間だった。

 友人ーーこれほどまでに甘美なる響きを持った言葉が存在していたとは……。そして、まさかこのミーツハートの口からそのような言葉が漏れ出してくるとは……まさしく青天の霹靂、歴史の教科書に十ページにわたって載せたいくらいの出来事だ。

 じゃあ。

 だとするならば。


「ま……。負けたら友達になってくれる……?」

「アイデンティティーぶっ壊れとるじゃろ」


 とまあ、これは冗談だとして。


「ていうか俺たちってもう友達のレベルだと思ってたんだけど。ただのクラスメイトにしては一緒に行動する時間が長すぎるだろ」

「よく言うじゃろ。現実は例外のほうが多い、とな」

「誰が仰ったの? それ」

「要するに、神のみぞ知る、ということじゃ」

「……そういうことにしておくか」


 大量のスライム玉を抱えながら、ネーブルを見据える。

 彼女は軽いストレッチを終えたところだった。俺たちの会話シーンを有効活用したらしい。


「わたくしの爪が、唸りを上げているわ」


 ネーブルの磨き上げられた長い爪が、奇妙な生き物のように蠢いた。全身が凶器。存在そのものが一つの兵器。

 ネーブル・ブリューゲル・カリオストロ。

 ミーツハートの妹にしてカリオストロ王国第二王女。

 いずれは女王になるのであろう、小学六年生。

 下手をすれば俺のワイフになってしまう少女。

 人から好意を寄せられたことのない俺にとっては、たとえそれが小学六年生であっても、なんやかんや言っても少し嬉しいものを感じるのが本音だ。親目線で見て可愛らしい女の子だなあ、とも思う。「わたくし、お父様のお嫁さんになる!」と言われているようなものだ。この勝負だって、ただのわがままに過ぎないのかもしれない。

 だったら、最後まで、全力で付き合ってやろうじゃねえか。

 たぶん、王族であるネーブルも、親の愛を十分に受け取っていないだろうから。

 アホ親父の子供に産まれた俺みたいに。

 --孤独。だったんだな。たぶん。ネーブルは。……そして俺も。

 だからミーツハートにかまってもらいたかったんだな。

 兄弟姉妹の絆、か……。

 一人っ子の俺には羨ましい限りだ。


「最高の結果を、この手で掴み取ってみせるわ。待ってなさい、ジル。もうすぐあなたはわたくしのものになるのよ。にゃふふ……」

「独占欲の強い女の子は嫌いだな。裏を返せばそれだけ一途ってことなのかもしれないけど」

「ただの自己中心的で欲望に忠実なだけじゃろうが。典型的な独裁者気質じゃの。ネーブル、お主は女王に向いておらん。主婦にも向いておらん。つまり一生独り身で、最期も独り虚しく死ぬのじゃ。残念じゃったのう」

「ーーお姉様に、それを言われたくなんか、……ないわよっ!」


 初速は言わずもがなだが、駆け出してからの加速がこれまでの比ではないーー来た! と思った頃には、既にミーツハートの眼前に迫っていた。そのまま神速の拳が突き出されたようだ。ようだ、と推測になってしまったのは、あまりにも速すぎて見えなかったというのもあるが、気付いた時にはネーブルの拳がミーツハートの手のひらに収まっていたからだ。二人は俺の認識するところの少し先で戦っているらしい。俺を置いていかないで。

 ネーブルは拳を引っ込めると、反対の手を手刀の形にして薙いだ。それをミーツハートは身体を後ろに倒して避けたーーのだが、髪の毛も自在に操れるわけがないので、切られた数本の黒髪が宙に舞った。

 腕を薙いだ際に生じた遠心力を利用して回転、そのままの勢いでネーブルは足を打ち込む。ぴんと伸ばされた脚はミーツハートの腹に直撃したが、体勢を維持したまま床を滑って転倒を免れた。


「上だ!」

「ーーッ!?」


 次の手を警戒して前を向くミーツハートだったが、そこにネーブルの姿はない。しかしほぼ観客状態な俺にはネーブルの動きが見えていた。速いが、空中移動なら俺でもなんとか目で追える。ネーブルは、跳躍と同時に縦回転を加えていた。ぎゅるぎゅると唸りを上げてーーかかとを落とす。

 なんだか、ミーツハートが大型トラックを受け止めた時みたいな音がした。人間の体から鳴ってはいけないそれだ。その威力を物語るように、ミーツハートの足元の床がひび割れ、さらに足首まで埋まっている。

 これがほぼ本気かよ。

 限界突破にしか見えないのだが。

 腕をクロスさせてガードしたミーツハートはネーブルを押し返す。宙返りして着地したネーブルに、俺はスライム玉を投げつけた。

 タイミングはばっちし。着地とほぼ同時に直撃するようにタイミングを計って投げたので、これは避けられまい。--と思っていたのだが、ヒットは確実だと確信していたのだが、ネーブルは直撃の寸前に妙な動きをした。

 いや、妙な動きでもなんでもないのだが、


「はえ……?」


 俺の想像する結果を捻じ曲げてくれたのだから、こんなみっともない声も出てしまう。

 ではどのようなことが起こったのかというと、スライム玉が破裂しないように、衝撃を吸収するように、遠投された卵を割らずにキャッチする記録に挑戦する要領で、ネーブルはスライム玉を華麗で流麗な体裁きで手のひらに収めたのだった。


「これはお返しするわね」

「ういぃ!?」


 避けたは避けたのだけど、鼻の先を掠めていったらしく熱を感じた。流れ玉の餌食になった観客の悲鳴が聞こえてきたが、そんなことはどうでもいい。


「にゃふふ……もう当たらないわよ?」


 やっている隙に、ミーツハートが肉薄する。手刀を振り下ろすところだった。

 しかし余裕で避けられてしまう。


「にゃふ!?」


 かと思われたが、ネーブルは足を滑らせていた。その結果として十分な回避が行えずーー距離を取ったネーブルのドレスに、縦の線が刻まれた。

 ……ていうか腹を掻っ捌くつもりだったのかよ!?

 兄弟姉妹は腹を割って話すことのできる関係だけど、物理的には絶対に駄目だろ!

 はらわたは、そう簡単には見せてはいけない。

 それにしても、あのネーブルが単純な失敗を犯すとはな。危うく大惨事になるところだったぞ。

 確かに床はつるつるぴかぴかだけど、動きにくいという感じはこれまでまったく見せていなかった。ネーブルのリアクションもまた、「ええ!? 何!? どういうことにゃん!?」--といった風だったし、だからそこには何か、他の原因が転がっているはずだ。

 ダンスホールの床はつるつるぴかぴかに磨き上げられていて、変わらずびしょびしょだった。特にネーブルが足を滑らせる要素は見られなーーいや常時びしょびしょならそれは怪談の類いじゃねえか。

 スライム玉の水を浴びたネーブルの身体から滴り落ちた、わけではないらしく、よく見てみるとかなりの広範囲にわたって濡れているのが確認できた。

 そういえば、二投目は避けられて、それで水溜まりができたんだったな。もはや掃除が大変そう、では済まない状況ではあるが……、俺が今考えているプランを滞りなく進めるためには、どうしてもネーブルにはずぶ濡れになってもらわなければならない。

 しかしもう当たらないと宣言されてしまったのであれば、いやはや、どうしたものか……。

 ずぶ濡れ。びしょびしょ。


「…………パルスが弾けんの、遅すぎだろ」


 自分でもよく分からないことを呟くと同時に、己の馬鹿さ加減をつくづく痛感する。やはり俺は一生かけても軍師キャラにはなれそうにない。

 直接、当てる必要はなかったのだ。というか、二投目からは警戒されていることだし不可能に近いと思うべきだったのだーー頭が絶望的に足りない。

 こんなところで不勉強が祟るとは、夢にも思わなんだ。


「……少し危なかったわよ? お姉様」

「それは残念じゃった。妾としては、すっぱり一刀両断したつもりでいたのじゃがのう」


 む……。と、ネーブルは顔をしかめた。

 それから、ゆっくりとミーツハートのほうへ歩いていく。ーーひた。ーーひた。--ひた。--ぴしゃ。素足で水溜まりの上を歩く音。ーーぴしゃ。--ひた。--ひた。--ひた。ひた。ひた。ひた。ひた。ひたひたひたひたひたひたひたひたたたたたたたたたーー!!

 自動車でいうギアチェンジのように、いやそれ以上のスピードで加速をしていったネーブルは、瞬きするよりも速くミーツハートの懐にーーではなく、背後に回り込んでいた。指を九十度曲げて、背中に切りかかる。

 ミーツハートもさすがの反応速度だったが、制服の二の腕辺りに五本の線が走った。幸い皮膚には届いていないようだが、ネーブルの猛攻には対処できなかった。

 足を払われ、身体が宙に浮いたところに、左の掌底打ち。硬い床を何度も跳ねて、ようやく止まったミーツハートだったが、ダメージが酷いらしく上体を起こすのがやっとといった様子。追撃してくれと言っているようなもので、この流れを無視するネーブルではなかった。


「この……!」


 俺は咄嗟に軟性を備えた四角い『ゾーン』を両者の間に作り出すが、しかしこちらは無視された。

 横を通ってミーツハートの元へと向かったネーブルは、実の姉を思いっきり蹴り飛ばす。行きは掌底、帰りは蹴り。ミーツハートは床を転がることなく、『ゾーン』に柔らかく受け止められた。


「何よそれ?」


『ゾーン』は硬いもの、と思い込んでいたらしいネーブルは、シミュレートが外れたからかそんな声を上げた。それでも止まる気は毛頭ないと言わんばかりに駆け出して、極上のジェルベッドに沈むミーツハートに攻撃を繰り出す。身動きの取れないミーツハートに、その攻撃はヒットした。拳が腹に捻じ込まれる。だが衝撃のほとんどがジェルベッドに吸収されて、次いでずぶずぶと二人の身体が沈んでいく。

 そして『ゾーン』の限界値に達した時だった。

 パァアアアアアン!! ーーと、風船の割れる音を何十倍にも増幅したような、耳をつんざく破裂音がダンスホールに響き渡った。空気がビリビリ震えているのが分かる。そういえば、音は空気の振動だったな、確か。


「なんじゃ、その⋯⋯へなちょこな攻撃は。痛くも痒くも、ないわ⋯⋯。マッサージ、にも⋯⋯ならんぞ⋯⋯」


『ゾーン』の中から現れた二人ーーミーツハートは、とてもそうは思えないがニヤリと不敵に笑い、対してネーブルは不機嫌そうに歯噛みしていた。


「やりにくいったら、ありゃしないわね⋯⋯!」


 右手をミーツハートに掴まれているネーブルは、指を揃えた左手を首に振るう。ミーツハートはその左手も掴んだ。


「にゃはは!」


 ーーご。

 ミーツハートの頭突きが、ネーブルのおでこを捉えた。たぶん、一瞬、ネーブルの意識が飛んだと思う。そのまま後ろに倒れ込むーーと思ったが、ハッと気絶から復帰したネーブルは、仕返しよ! と言わんばかりに、少しジャンプをして頭突きをお見舞いした。ーーご。

 すると、がくん⋯⋯と首が後ろに折れ、ネーブルの手も放し、気絶から覚醒することもなく、ミーツハートは床に倒れ込んでしまった。

 水溜まりじゃなくてよかった⋯⋯と言うべきだろうか? いや全然よくない。よろしくない。極めて遺憾だ。いかんせん俺にはなんの力もないわけで、主力戦力であるミーツハートが戦闘不能になってしまった今、ほぼ敗北が決定したと言っても過言ではないくらいに、次の俺の行動いかんで全てが決まってしまうくらいに、とってもいかん状況だ。

 額がほんのり赤くなっているネーブルが、ギラリとした瞳をこちらに向けてくる。--次はあなたよ、と言っているに違いない。俺は腰が抜けるのを我慢しつつも、底知れぬ圧迫感に怯みまくって、一歩、二歩と後退りしてしまう。

 仰向けに倒れたままのミーツハートは起き上がりそうにない。

 ネーブルがこちらに歩いてくる。

 ーーやるしかない。

 俺だってやる時はやる男だ。

 抱えているスライム玉を、どんどん投げていくーーやけくそのように、ぽいぽいと。

 ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいーー

 だがその全てが狙いを外れ、床を濡らす。

 ネーブルはただ普通に歩いているだけだ。真っ直ぐに向かってきている、ただそれだけだ。

 手元を探る。しかし死ぬほどあったスライム玉は、いつの間にか枯渇していた。ネーブルが足を滑らせた付近には集合して復活したものも落ちてはいるが、--うん、もう十分だろう。


「……待て!」

「……?」


 片手で制止のジェスチャーをしたところ、ありがたいことにネーブルは水溜まりの上で立ち止まった。

 俺は余計なことは言わず、制服の内ポケットに手を入れて、あらかじめ作っておいた作戦の最重要アイテムを取り出す。結構前半に作っておいたものだ。

 それは、フリスビーのような形状をしていたーーっていうか、まんまフリスビーなんだけど。

 エレクトロニクスフリスビー。

 読んで字の如く、電撃をまとったフリスビーだ。

 俺は下についたスイッチを押して、丁寧なフォームを心がけて飛ばした。ネーブルには当たらなくてもいい。というかフリスビーの行方をコントロールするのは球を投げるのとは全然違う感覚が、才能が必要なので、そこのところはまったく期待していないーーある地帯に届いてさえくれれば、それでいい。

 思いのほか綺麗な放物線を描きながら飛んでいくエレクトロニクスフリスビーが、……バチチチチチチチィ!! --と、青白い稲妻をまとう。


「--ッ!? なるほどそういうことね!」


 俺の狙いに気が付いたのだろうネーブルは、エレクトロニクスフリスビーがびしょびしょに濡れた床に触れる前に、跳躍して感電を逃れようとする。

 だけど、そんなことをさせるわけがないだろう。


「にゃうーー!?」


 体のバランスを崩してよろめいたネーブルは、大きく一歩前に踏み出して支え、何事かと俺を見る。恐らく不快な感じがしたのだろう、その原因が俺であると推測したのだろう。ずばりそのとおりで、俺は今、地味な手袋をはめている。

 引き寄せグローブ。以前に錬金術の授業で作ったものを、ずっと持ち歩いていたのだ。……その存在をすっかり忘れていたわけでは、決してない。引き寄せグローブの効果もその名のとおりで、対象をこちらに引き寄せることができる、といった代物だ。それを使ってネーブルの身体を引き寄せて体勢を崩し、ほんの僅かな時間ではあってもすぐには動くことのできない状態を作り出した。

 水は電気を通す。

 馬鹿な俺でも、これくらいは分かる。ってことだ。


「チェックメイト。--なーんつって」

「にゃふ……」


 口の端を吊り上げて笑おうとするネーブルだったが、その表情は、完全に追い詰められた、万事休す、絶体絶命、……という感じだった。

 エレクトロニクスフリスビーが床に触れるか触れないかといったところで、まとっていた青白い稲妻が、床に広がる水溜まりに吸い寄せられた。そしてーー

 ーー電撃が、駆け巡る。


「ふぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーッ!!!!!!!!」


 稲光を身体中から放出しながら咆哮するネーブルは、まるで雷の化身にでもなったかのようだった。長い髪の毛は樹の枝のように広がって、なんとも壮絶だ。

 エレクトロニクスフリスビーの機能が終了すると、床から、そしてネーブルの身体から白煙が上がった。白目を剥いたままぴくりとも動かないのだが、--まさか死んではいないよなあ……?

 熱に弱いスライム、電気が通ったことにより熱が生まれて、本来ならば夥しい数のスライム玉が転がっているはずが、その全てが蒸発して跡形もなく消失していた。

 ーー永遠とも思える沈黙が訪れた。ネーブルは、立ったまま死んだように動かない。……本当に死んで、……ないよな?

 そんな不安を抱えていると、


「……どうやら見せ場を取られたらしいの」


 いつの間にやら気絶から復帰していたミーツハートが、耳が痛くなるくらいの沈黙を破った。


「妾たちの勝利じゃ」


 勝利。というミーツハートの言葉を聞いた途端に張り詰めていた糸がぷつりと音を立てて切れ、すとんと膝から崩れ落ちてしまった。

 観客もまた、目の前に広がる信じられない結果に騒めき立つ。

 ネーブル様が負けるなんて、といったように現実を受け入れられない感じだ。

 それは俺も同じこと。最終的に勝負を決めたのはどうやら俺らしいのだが、必死すぎたためかその辺の記憶があんまりない。クライマーズハイならぬバトラーズハイといったところか。

 だけど、勝ったことには変わりない。ミーツハートは転校を免れ、俺はネーブルのお婿さんにならずに済んだ。大団円、といってもいいのではないだろうか。めでたし、めでたし。と締めてもいいのではなかろうか。


「惚れ直したよジルく~ん!」


 観客の中から飛び出してきたトリスが、勢いそのままに横から抱きついてくる。


「あ~よくやったよくやった! ご褒美の、ちゅっ」

「やめろ! ほっぺが腐る!」


 トリスを押しのけて唇が触れたところをごしごし擦る。


「いや~、久方振りにいいものを見せてもらったよ~」

「お前はなんのベテランだ」

「ビクトリーおめでと。ジルくん、ミーツハートさん!」

「ふん。当然の結果じゃな」

「そうかあ? どう考えても奇跡だろ。特に俺は奇跡の男の子だっただろ」

「なんか一億人に一人の大天才現る! みたいに聞こえるよ? それ。……んでも、今日のMVPはジルくんで間違いないんだし、今回に限って言えばそうなのかもしれないね。ミーツハートさんもそう思うでしょう?」


 トリスがミーツハートに水を向けると、


「……まあ、譲ってやらんでもない。認めたくはないが、妾としたことが、途中から何もかもが面倒くさくなって、不貞寝を決め込んでおったのじゃからのう」

「てめえおい」

「まあまあ、ミーツハートさんもこうしてお認めになったんだし、ここは素直に喜んでおこう?」

「……そうだな。ミーツハートも己の失敗を素直に認めたことだしな」

「はあ? お主は何を馬鹿なことを言っておる。妾がしたのは失敗などではなく不貞寝じゃと言っておろうに、なぜお主は強引にそっちの方向へと持っていこうとするのじゃ。本っ当に、飢えておるのう」

「んん? なんか意味ありげ?」

「ありもあり。なんでも、ミーツハート曰く、何か失敗したら俺たちと友達になってあげてもいいんだと」

「え? わたしたちって、もう友達じゃなかったっけ?」


 俺と同じような反応をするトリス。だよなあ?

 ベストフレンドと言っても差し支えないよなあ?


「何を勝手な妄想を……、じゃが」


 ミーツハートはそこまで言って、ちらちらと俺たちのことを横目で見てから、なんとなく……ではあるが、微かに頬を赤らめた、ように見えた。何を逡巡しているんだろうと俺とトリスが首を傾げていると、やがてミーツハートは至極言いにくそうに唇を尖らせた。「その……なんだ……」と漏れ聞こえてくる。

 俺たちは辛抱強く待った。その甲斐あって、ミーツハートは「ふん!」と鼻を鳴らして腕を組むと、だけど俺たちのほうは見ずにそっぽを向いたままで、


「ーーす、好きにするが良いにゃん!」


 と、このように言ったのだった。

 その意味するところは、まあ、そのまんまの意味なんだろうけど、自分の耳を疑うには十分すぎるほど十分な発言だから、ぽかんと口を開けたまま放心するのも仕方ないと言える。

 確かDザイヤの森で二人きりになった時にも似たような発言を聞いた気がするけど、あれとは比にならないくらいの、確実性? みたいな意味が込められていた。

 苦節数週間。苦節、という言葉を使うにはあまりにも短い期間ではあるが、それでも俺にはとっても長い時間を生きてきたように感じられた。

 ミーツハートの言葉を聞いて。

 ぶわあ……っと、ダムが決壊するように、感情が溢れ出す。

 コントロールがまったく利かない謎の現象だ。


「な……何故泣いておるのじゃ、お主……。気色悪いのう……」


 本気で引かれても止まらない、抑えられない。メンタルの弱さをこれでもかと実感させられる。だが、さすがにわんわん声を上げて泣くことは憚られるので、その点だけは全力を以て対処する。嗚咽みたいな喋り方になってしまうのは、どうか見逃してもらいたいところだ。


「ない、て……泣いてなん、かっ……。組織液だっ……つーの……っ!」

「まあなんにせよ、これからもよろしくね、ミーツハートさん!」

「言っておくが、致し方なくじゃからな! 致し方なく! これだけは絶対に、記憶が飛ぼうが何があろうが、死んでも忘れんようにな!」

「ほほう……。なるほどなるほど。わたしがお色気担当。そして、ミーツハートさんはツンデレキャラだったのか。これで一層深みが増すというもの。ミーツハートさんは物語のバターだね~」


 コクが出る、と言いたいのだろうが、例えが微妙すぎて涙腺の補強が急ピッチで進められ、ようやく涙ーーもとい組織液の流出が止まった。


「妾はツンデレキャラなどでは決してないからにゃ!」

「いやツッコむとこ違うだろ」


 お色気の風上にも置けない奴の代表選手だろうに。オトナの女を目指しているくせに、その努力がまったく実を結んでいない。

 本当にやる気あんのかよ。


「うっふ~ん」

「ほんと懲りないよな、お前」


 げんなりしていると、目の前に手が伸びてきた。これまた信じられないことに、差し出されたのはミーツハートの傷だらけの手だった。


「勝者は勝者らしく、しゃっきりするものじゃ。いつまでもへたり込んでいては、格好がつかんじゃろうが。さあ、勝鬨を上げるぞ。予想外な展開に意気消沈している奴らへ向けて、これでもかというくらいに嫌味たっぷりに……な。カリオストロは妾たちの手によって落ちた、と高らかに宣言してやるのじゃ。にゃはは!」

「これほどまでに差し出された手を取りたくないと思ったことはないな……」


 でも、せっかくだからと思い手を取って立ち上がる。

 結局のところ、ミーツハートの懸念どおりネーブルの企みが俺たちを待っていたわけだが、それは有無を言わせず婚約、実質的には結婚を強要するという世にも恐ろしい身の毛もよだつ謀計だったわけだけど、辛くもなんとか退けることに成功した。どんな困難が待ち受けていたとしても、まあなんとか乗り越えられるだろうーーという楽観的な精神論も、少しは当てになるのかもしれない。

 俺たちなら、きっと上手くやっていける。そんな気がする。


「----まだ。----終わって。----ないにゃ」


 地の底から響いてくるような声に、全身の毛が逆立つのを感じた。

 握ったミーツハートの手も、みるみるうちに冷たくなっていく。

 滝のような、とまではいかないまでも、嫌な汗が止まらない。

 どうやらこのまますんなりと、ハッピーエンドを迎えさせてはくれないようだった。

 ----負けて。----なんか。

 と。

 ネーブルの、呪いのような声が、耳に滑り込んでくる。まるで耳元で囁かれているみたいな感覚に、身を縮こまらせているとーー


「わたくしがーーーー、負けるはずがーーーー、ないんだにゃあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 その直後の出来事だった。

 ネーブルの大絶叫は爆風を生み、容赦なく俺たちに襲いかかったのだ。

 しかしどうにか踏みとどまることができたーーと思っていたが、ミーツハートに胸ぐらを掴まれていたかららしい。風の影響をもろに受ける面積の広い衣装を着ていたトリスはもちろん、観客全員も風の脅威に晒されて、もれなく壁際に追いやられていた。

 上から何か降ってきた。それは床に落ちると硬質な音を立てた。そうして今頃になって気付く、ダンスホールが薄暗い。ネーブルの怒りの咆哮は、シャンデリアのガラスや電球を割り、その上、窓ガラスまで吹き飛ばしていたのだ。

 なんのマジックだよ? と、その時は本気で思った。思わなければ、やっていられなかった。

 まあなんとかなるだろうーーなんて、思えるはずもなかった。

 ミーツハートに助けを求めようと目を向けると、ミーツハートはよろよろと後退し、俺の横までくると、それからまったく動こうとしない。いや動けない、……のか。口は一文字に固く結ばれ、……体が、小刻みに震えている?

 あのミーツハートが、怯えているのか?

 トラウマ、という言葉が頭の中に浮かんでくる。

 そうだ……ミーツハートは自分の力のなさから家出したんだった……カリオストロ王国、いやプバーテート大陸では純粋な『力』が全てだと、ネーブルが言っていた。

 ミーツハートの力は、他のハルプカッツェを凌駕するものだと思うのだが、それは少なくとも『一般的』に言えば、なのだろう。

 カリオストロ王家は、その名に恥じないほどの力を身につける必要がある。国のトップとして、もっとも求められるのがーー『力』。

 もちろん、人徳とか、まつりごとの能力も欠かせない。ただ玉座にふんぞり返っているだけでは、王にはなれない。立場的な王にはなれるが、本物の王にはなれない。

 ただ、ミーツハートの性格からして女王には程遠いとは思うが。家臣が毎日のように殴られる光景が目に浮かんでくる。

 勘当を言い渡され、国を出たミーツハートには、もはや力など必要ない。

 彼女は錬金術師なのだから。

 彼女は錬金術に特化した学校に通う俺のクラスメイトで。

 彼女は俺と同じ一流の錬金術師を目指していて。

 彼女は俺の友達だ。

 俺はミーツハートの前へ進み出る。

 友達は、友達を守るものだ。

 こんな時くらい、カッコイイとこを見せないとな。


「ジル……ヘルメス・ミウラ……」


 ミーツハートが後ろでそう呟いた時だった。

 突然、ダンスホールを照らす光源が生まれたのだ。

 太陽にも負けないくらいの眩しい光を発生させているのは、


「全部ぅ! 吹、き、飛、ば、し、てぇーーーー」


 強烈な光源の正体は、ネーブルの両手の間に浮かぶ黄金色の光球らしかった。ていうか、あれしか考えられない。一房の髪の毛も、鼓動に合わせるかのように、ぎら、ぎら、と獰猛な輝きを放つ。

 まるでDザイヤの森で遭遇したゴーストのような攻撃方法。

 あの、エネルギーを凝縮した塊をどうするかは、いくら馬鹿な俺でも容易に想像がつくというものだ。

 ……ていうかこれって、めっちゃやばくね?

 早くも後悔する俺だった。

 そして、後悔するのが遅すぎた。

 光弾をチャージし終えたのであろうネーブルは、腰を捻って撃ち出すための助走をつけると、


「ーーくれるにゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーッ!!!!」


 被害のことなどまったく考えず、なんの躊躇もなく、ただ本能に従って、光り輝く死の光球を発射した。ーーって!?

 俺、死ぬじゃん!! 小学六年生に殺されるのか!?

 ……そう思ってしまって、カッコつけたにもかかわらず恥ずかしながら尻餅をつく。濃密な死の予感に耐えられなくなったのだ。

 正気を失ったハルプカッツェはこの世の何よりも恐ろしいということが判明したのだが、今更すぎる。だって数秒後には死んでいるのだから。

 もっと生きて、色んなことをやりたかったんだけどなあ……。新しい錬金法を、たくさん発見してみたかったんだけどなあ……。

 俺、本当に死ぬのかよ……?


「お主の未来、妾が守ってやる」


 その声は、目の前から聞こえてきた。

 いつの間にやら。

 守るべきはずが、逆に守られていた。


「感謝しろよ? この、鈍間が」

「ミーツハート!!」


 必死に手を伸ばすーーが、それで何か変えられるわけもなく、迫りくる光弾を、ミーツハートは両手でしっかりと受け止めた。

 押されない。

 逃げない。

 立ち向かう。

 圧倒的な力を前にしても、ミーツハートは負けじと食らいつく。


「にゃぐぐぅ……!?」


 光弾を操るネーブルは思いがけない抵抗に表情を歪める。


「このくらいの苦境などーー」


 ミーツハートは右足を引いて、


「妾にとってはーー」


 左手だけで光弾を受け止め、右手を引いて腰に溜める。

 そして、握った拳を、下から振り上げた。


「屁でも、--ないわああああああああああああああああああ!!」


 ずむっ! --と。

 ミーツハートのアッパーカットが光の球に突き刺さった。粘土のようにぐにゃりとへこんだ光球は、下からの衝撃を受けて軌道が変わり、ほぼ真上に打ち上がった。

 たぶん、会場にいる全員の動きがシンクロしていたことだろう。まるで花火のように上昇していく光の塊を、目で追っていく。

 歴史的に価値のありそうな天井画を粉々に砕いて。

 夜の空に高々と上がったエネルギー球は。

 カリオストロ王国を照らす、綺麗な光の花を咲かせた。


「……………………」


 腹に響く爆音の後に訪れたのは、奇妙な沈黙だった。

 なんとなく気まずい、あれな感じの空気がどんよりと広がっていく……。


「う…………」


 どうしたものかと悩んでいると、突然ネーブルが「うわぁぁああああああああああん!」と大声で泣き出した。怒って泣いて、忙しい奴だ。

 しかしなんだか、絵面的にはこっちが悪者みたいだな……と思ってしまうくらいに見事な号泣っぷりだ。

 すると、恥も外聞もなく泣きわめくネーブルに、ミーツハートがゆっくりと歩み寄っていった。まさか俺みたくぶん殴るつもりなんじゃ……? と、決してあり得なくはない行動に出るのではないかとひやひやしたものだが、その心配は杞憂に終わった。

 泣きじゃくるネーブルの頭の上に、ミーツハートは、ぽんぽんと手を載せたのだった。それから、これはミーツハートらしいというか、乱暴にくしゃくしゃと頭を撫でてやる。俺のせいでただでさえゴワゴワの髪の毛がさらに大変な状態になってしまったが、ネーブルはそんなことはどうでもいいというように、涙で濡れた顔を上げて、


「お、……お姉様のっ、……ばかぁ……っ!」


 と、小さい子供のように、ミーツハートの胸の中に飛び込んだ。

 抱きつかれたミーツハートも、引き離すことはせずに、優しく頭を両腕で包み込んだ。

 先程までほぼ殺し合いを演じていたとは思えない、微笑ましい光景。

 家族関係は断ち切られていても、姉妹はいつまでも姉妹、だということか。

 この一件を通じてミーツハート姉妹が少しでも仲直りできたことは嬉しく思うが、羨ましいと思う気持ちも、正直に言ってある。

 家族……か。

 早く家に帰って、愛しのハルフゥに会いたくなってきたぜ……。別れて数時間しか経っていないはずなのに、二人を見ていると、なぜかそう思ってしまう。これが噂のホームシックというやつなのかもしれない。ノスタルジー。……まあ、父さんに会いたいかどうかは、微妙なところなんだけど。帰っていたら帰っていたで、あー、いたんだ? って感じだけど。 

 それにしても、今日は本当に色々なことが起こった一日だった。もしも絵日記にするならば、とても一ページでは足りない情報量だ。長期連休の全日程をこの一日に凝縮されていると言っても過言ではないくらいに、みっちみちでぎゅうぎゅう詰めだった。それこそ、一日では語り尽くせないかもしれない。

 だから、ハルフゥが作った料理を食べながら、ゆっくりと語るとしよう。そうしたら、一体、どこから話すべきなんだろうな?

 泣き続けるネーブルを、優しく抱きしめるミーツハート。

 姉と妹。

 姉妹の絆を見せつけられて、ほっこりしながらそんなことを考える俺なのであった。

 次こそが本当の。

 めでたし、めでたし。

 物語の締めは、やっぱりハッピーエンドに限る。


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