『防衛機制』で会合を誘導してみた。
アーニャが持ってきてくれたお茶は、僕が知るところの『緑茶』にすこし似ていた。
というより味はまんま緑茶だったのだが、色が少し赤みがかっていた。
イメージとしては、見た目は紅茶!中身は緑茶!その名も…。
特に名前までは聞きませんでした。
少しの間四人でお茶を飲みつつ待っていると、再度アーニャが部屋に入ってきた。
「準備が整いました。ご案内します。」
少し暗い通路を歩くと、先の方に眩しい光が差し込んでいるのがわかった。
その光の射す方へ案内されいざそこに出てみると、そこはドームの中心部に広がっている広場のような場所だった。
決して広いとは言えないその広場の中心には、大きめのテーブルとたくさんの椅子が置かれている。
屋根はなく、注がれている光は太陽のものだった。
そして広場を取り囲むようにして設けられている観客席と、そこにぎっしりと詰められた亜人種の皆さんたち。どうやらテトラ・ミステスよりも男性の割合が多いと見える。
テトラ・ミステスにいた時は、町の市街地的な場所を歩いて、やっとこ一人二人に触れ違う程度だったのに、こちらには割と安易に見つけられるくらいの割合の男性がいる。
目算で4割くらいだろうか。
まぁそれこそ人種側でこんなことをすれば、大勢の中から男性を見つけることは至難の技で、リアルウォーリーを探せになるに違いない。
僕らが入場してからは、見慣れないものを見たからだろうか、会場がどよめいている。
そして中央に置かれたテーブルの側に立つ八人の亜人種。
おそらく今回の直接立会いの、いわばこのコミュニティのリーダーたちであろう。
うち三人が男性であることに、多少のがっかり感を覚えずにはいられなかったのは言うまでもない。
「わざわざこちらのコミュニティまでおいでいただき、ありがとうございます。私はここ、【ガスパス】の八柱院が一人にして、その長でもあるエリスです。そして後ろに控える者たちが、他の八柱院にございます。以後お見知り置きを。」
極めて丁寧な所作と物腰、上品な立ち姿と服装の彼女が一歩前へ出てそう告げた。
貴族生まれかなんかと思ってしまうほどの、絵に描いたようなお嬢様な雰囲気。
やはりケモノの耳が頭についており、ふさふさとした縁が白色、他が焦げ茶色をしている。
ここまではどんな動物にもありがちな特徴だ。
しかし彼女が軽く頭を下げた時に見えた尻尾は、綺麗な楕円形で、黒に近い焦げ茶色の縞模様が入っていた。
そしてなにより、彼女の頬に生える3本の白いひげ、の下に走る黒い模様。
そう、まさにそれはアライグマのラス○ルそのものだった。
まさかリスッ娘の次はアライグマッ娘で来たか。
「いや、わざわざこのような場を設けてもらって、こちらこそ面倒をかけてしまい申し訳ない。私はテトラ・ミステスの長を務めているミヤだ。後ろにいるのが、まぁいわば私の補佐だ。よろしく。」
二人が握手を交わし、それと同時に両者の後ろに控える僕らや八柱院と呼ばれる人たちも軽く頭を下げる。
会場に足を運んでこの様子を見ていた観衆は盛大な拍手を送る。
つまりそこまで人種にわだかまりはないらしい。
「ではお座りください。」
アーニャ僕らの椅子を引いてくれた。
ひとつひとつの仕草で大きな尻尾がフリフリと揺れ、その度に僕とミヤさんの理性は飛び立とうとする。
亜人種、侮っていたが、まさかこんな精神干渉攻撃を保持していたとは…。
大きなテーブルを挟んで四人と八人。
少し気になるのは、会場にしても目の前の八柱院にしても、モチーフとなっている動物が小動物のような者しかいないことだ。
ライオンやトラ、その他凶暴な動物がいてもおかしくないと踏んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
僕らが全員席に着いた時、八柱院の人たちは立ったままで、そしてエリスがこう告げた。
「先日の襲撃の件、大変申し訳ありませんでした。謝罪して済むとは思ってはおりませんですが、それでもどうか当人達の処分だけは…。当人たちはこちらできつく処罰しますので、今回は弁償という形で収めていただけないでしょうか。」
「いや、その件は構わんよ。やってしまった者も許してやってくれ。確かにやったことは許されないが、それでも食に困ってしまったとあらば、やむを得ないとしか言えないだろう。こちらもそちら側に食糧を回せなかったのがよくなかったのだ。今回は不問にしよう。」
「いや、でもそれでは…」
「気にすることはないさ。こちらの民もそう思っておる。」
「……。寛大な措置、痛み入ります。」
全くの嘘っぱちだ。
こちら側の民はかなり怒っているし、弁償がないとこちらとしてもかなりきつい。
ただここで恩を売るのはそれ以上の価値がある。
おそらくエリスがあの場面で少し渋ったのは、その恩が後々厄介になると気付いているからだろう。
さすがアライグマだ、賢い。
ただここに僕らが『大勢の人を呼んだ理由』の一つがある。
今後もし併合が決まった際、人種にマイナスイメージがあるのは望むところではない。
ただこの一つの会話でそのイメージは拭われる。
これをよく表しているのは、例えば学校生活にある。
よく先生達が言うあのセリフ。
『あなた達はこの学校の看板を背負っているのだから、節度ある行動を。』
もし仮にA高校の制服を着た生徒が、路上の人目につくところでタバコを吸っていたとする。
するとそれを見た人たちはこう思うのだ。
『A高校は素行の悪い高校だ。』と。
別にみんながみんな素行が悪いわけではないのにもかかわらず、こういうことが起こるのだ。
人が人を判断する基準の約8割は、目で見たものだ。
つまりこのファーストコンタクトで、良き印象を与えることで、あたかも人種は『みんな』いい人だ、と思い込ませるのだ。
まぁ他にも理由があるのだが、それは後ほど。
バッチリとイメージ付けを完了し、八柱院が席に着く。
ようやく本題に入るのだ。
「さて、事前に書面で伝えてはあることだが、今回は【テトラ・ミステスとガスパスとの併合】について、このような話し合いを設けてもらった。」
さてミヤさんの口調だが、わざと少し強くしてもらっている。
自然とここにいるみんなに、こちら側が有利であると錯覚させるためだ。
『こちら側は別にそこまで厳しい状況ではないが、助けると思って併合を持ちかけた。』と思わせることができたら、十中八九こちらの勝利だ。
「はい、書面をいただきこちらでも検討しました。ただ現段階ではそちらの望むような回答をすることはできません。単なる情報不足でもあるのですが…。詳しい説明を要求をしても?」
「ああ、構わない。おい、ラスト。」
そうそう、ここでミヤさんがビシッと内容を説明し…
「ふえっ!?」
人間、本当に驚くと腑抜けた声が出るらしい。
「こちらはラストだ。テトラ・ミステスの技術顧問兼参謀だ。今回の提案もこの者のものだ。おい、ラスト、ちゃんと説明しろ。」
まさかのバトンタッチ…。
僕の算段だとミヤさんの終始強い口調に、かわいい女の子達が尻尾と耳をたらし、喉を鳴らしながら了承する予定なのに!
「あ、はい。」
ってあれ?
ちょ、ちょっと待て。
メイさん、僕は確かに『下を向き目を閉じて頷いていろ』とは言ったさ。
でもね、メイさん?それはうたた寝ですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
ミュウちゃんのみが頼みの綱だな…。
「ええと、先程紹介にあずかりましたラストです。そしてこの併合の意見の発案者です。ではまずこの案の大まかな説明をーーーーーーー」
とりあえず概要を大まかに話した。
幸いなことに途中途中に突っ込まれなかった。
「大まかな説明はわかりました。たしかに今ガスパスは、未曾有の食糧危機にあります。かつて取引していた『インテス』が急に取引をしないと言い出し、食糧が入ってきません。知っての通り、ここは食糧自給率が著しく低いため、今までは取引で食糧を得てきました。その点ではこな併合の話はかなり魅力的です。」
周囲の観客もそう思っていることは雰囲気でわかる。
生きていく上で最も必要なものがないのだ。
「しかしー」
穏やかな顔から発せられる声に覇気が混じる。
「この併合の話は私達にとっての不利益も多いと思われます。まずは人材の流出。併合とは言っても、結局のところテトラ・ミステスとガスパスがそれこそ完全に一体化することはありません。そうなった時にテトラ・ミステスに多くの人材が流れると、自然とガスパス側の領土が衰退していきます。ここにいる八柱院もそうですが、ガスパスには領主がいます。自分の領土から人が流れてしまうのは、彼らにとって安い代償ではありません。もし仮に破綻でも起こしてしまえば、テトラ・ミステス側に流れた亜人種たちの帰る場所すらなくなることになります。」
さすがに『帰る場所がなくなる』の言葉には、会場の観衆も頭を抱えた。
ただこういう意見も予想通りである。
もっともな意見に聞こえるし、事実もっともな意見なのだが問題はそこではない。
彼女らガスパスは、この併合以外に存亡の道はないのだ。
第一にガスパスと取引しようとするコミュニティが他にない。
これは事前に調べてある。
というのも先程会話に出てきた『インテス』が、採掘できないはずの鉱物資源を、より安い値段で他に売っているのだ。
ここら辺、『鉱物資源と先端技術』しか持ち合わせていなかったモノ・グローリアスと、『食糧』しか持ち合わせていなかったインテスが、ちょうど同時期にテトラ・ミステスとガスパスとの取引の手を切ったあたり、かなり怪しいのだが…。
まぁそんなこんなで、結局のところガスパスはこちらと取引せざるをえないのだ。
それでも勇気を持って反論してくるあたり、エリスはかなりのキレる人だと思う。
「その点は重々承知なのですが、こちらも譲歩はできないというかなんというか。いや、でもそうですね。このままだとガスパスの衰退は目に見えて明らかですね。それならどうでしょう?併合した後は『商業都市』をそちら側に置くというのは。」
「商業都市とは?」
「まぁいま即席で命名したんですけど、いわば首都みたいなものでしょうか?併合した際はすべての規模がかなり大きくなります。そうなった場合、それらすべての中心となる大きな都市が必要になります。その大きな都市をそちらに置くというのはどうですか?」
「すみませんがあまりそれがメリットとは思えないのですけど…。都市の建設費や維持費等がかかってしまうと思いますが…。」
「いえいえ、そんなことはありませんよ?維持費や建設費を分割するための併合ですから。それにこれは言わば公共事業です。『仕事がない人たち』からしたらこの上ない待遇かと。」
ガスパス側はこの一件で大量の失業者が出た。
取引相手がいなくなったということは、つまり対外的商業系職業の人たちの仕事がなくなったということだ。
両コミュニティとも、他コミュニティとの取引に大きく依存していたため、その手の職業についていた人は少なくなかった。
こちら側は絶対的需要を誇る食糧が売りだったので、失業者たちもすぐに食糧生産系の職業に就けた。
最大人口を誇るテトラ・ミステスに食糧の作りすぎはなかった。
しかしガスパスは違う。
鉱物資源を大量に採掘しても買い手がいない。
食糧と違い需要に絶対性がないために、鉱物資源を採掘しても売れないという事態が発生した。
つまり、鉱物系職業と対外的商業系職業の人たちが一気に失業者したのだ。
さらに食べ物がない。
両コミュニティは全く同様な仕打ちを受けたが、まったく別種の危機だった。
「僕は経験がないのでよくはわかりませんが、収入もなくて、さらに食べ物がない生活なんてものは、正直地獄ですよね。」
あえてさも他人事のように話す。
そして続ける。
「商業都市をおいたら、職が必然的に増えますよ。街道を整えれば、その町にこちら側で作った食物を運び、そしてそちらで売ることもできますね。あ、街道を整えるのならガスパス名産の鉱物資源と職人さんも必要ですね。うーん、やはり仕事は増えますねぇ。さらに言えば、テトラ・ミステスで作った備蓄としてたまり過ぎている食糧も、流通させることもできますね。これってそちらとしてはかなりいい条件なのでは?」
エリスの目は見ない。
そう、僕が問いかけたのは、ここへ駆けつけた観衆たちだ。
今ここで観衆を煽ること、それが切り札だ。
正直なところ、僕の論理は破綻している。
おいしい話に見えるが、根本的なエリスの提示した問題は解決しない。
資金等は工面できるが、維持・運営するための人材も、やはりガスパスに多く頼ることになるだろう。
こんな簡単な事を、たかが僕の会話誘導で見逃すような人ではないだろう。
だからこそ、観衆を利用するのだ。
使う知識は、科目【現代社会】、分野【現代社会】におけるフロイト提唱の【防衛機制】だ。
端的に言えば、欲求不満やそれによる自我崩壊の危機に直面した時に、それらを無意識下に安定させようとする心の仕組みだ。
まずは、失業および食糧不足という【欲求不満】。
これが欲求不満に当たるかどうかだが、これはしっかりと満たしているのだ。
飲食に関する『生理的欲求』、集団帰属に関する『社会的欲求』の二大欲求を網羅している。
ここ二つが制限されているおかげで、防衛機制が働く下準備が整った。
そして二つ目が【自我崩壊】。
見た限り亜人種側の人たちは、そこまで気性が荒いようには見えない。
先の騒動も、本当に彼女らがやったのか疑わしいくらいに。
つまり普段温厚な人たちが、田畑を荒らすくらいに追い詰められていた。
それだけの欲圧に『自我が崩壊した』ということだ。
これでもう完璧。
あとはわざと煽り、そして騙すようにメリットだけを伝える。
ここで働く防衛機制は三つ。
【抑圧】と【摂取】、そして【同一視】。
抑圧とはつまり、実現不可能な欲求を無意識下になかったことにすること。
僕はここまで、『これ以上の譲歩はできない』ことや、『どうやっても多少の損は生まれる』と遠回しに伝えてきた。
これが引き金でガスパス側は、あらゆるさらなる欲求をなかったことにする。
摂取とはつまり、他人の感情を自分のもののように感じること。
ここの観衆は、食糧問題が解決できることを伝えると『喜び』、そして現在の失業および食糧問題の話をした時『悲しんだ』。
その感情は少なからず八柱院の人たちに摂取され、観衆の感情が自分たちのもののように感じられ、そしてここでの自分たちの不利が見えなくなる。
同一視とはつまり、自分にないものを自分に近づけることにより、その欲求が満たされたの錯覚すること。
僕はここまで、テトラ・ミステスがかなり厳しい状況だとは伝えていない。
つまりガスパス側は、テトラ・ミステスがまだ安定していると思っている。
そんなコミュ二ティが併合の話を持ちかけてきたのだ。
それだけであたかも救われたような気になってしまう。
以上三つが併発し、ガスパス側の考えは併合へと向いてくる。
「……。話はわかりました。確かに魅力的な話だと思います。食糧も職業も増えて民の生活が豊かになる。大変素晴らしいことですね。」
よし、乗ってきた。
エリスも完全に流された。
民が豊かになっても、ハ柱院含めた領主たちには損があるということを、完全にないことにしている。
「では、すこし八柱院でお話をする時間をくださいませ。アーニャ、待合室に案内を。」
僕らはアーニャに案内され、元来た道に戻る。
メイの口にはよだれが垂れている。
すっかり爆睡していたようだ。
ミヤさんとミュウちゃんはどこか満足げで、それにつられ僕も満足感に浸る。
アーニャが出してくれた茶は美味しく、来た時とは違うものなのかと思うほどだった。
さて後日談になるのだが、結果的に併合は認められた。
ただ本格的な動きはまだ先で、まずはその事実のみをはっきりさせた形となった。
観衆達もみんな納得してくれていたみたいだし、それは八柱院の人たちも同じだった。
エリスの縞々な尻尾も帰り際には左右に揺れていたから、ある程度納得できたのだろう。
ただ今回は完全な僕らの敗北だった。
今回の最大目標であった『その日のうちに可愛いケモノっ娘を先遣隊として連れてきちゃおう作戦』が未達成だったのだ。
この上ない喪失感と敗北感。
それでもいつか、そういつかはきっと…
可愛いケモノっ娘達をこちら側に引き寄せてみせる。
全ては我らの悲願のために。
…僕らの最大目標ってそれだったっけ?