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先生へ

 5月16日(土)晴れ 体調 良好


 学校へ行けなくなって久しい私が、とうとう田舎にある先生の別宅へ移ることになった。なかなか大きいところで、浅井さんというお手伝いさんもいるし、さすが医者一家だなとつくづく思う。そもそも私のことに専念するために先生もここへ来て平気なんだろうか?まぁ、そんなことはどうでもいいけど。

 それにしても、久々の遠出は楽しかった。この旅がこれまでの生活や家族をはじめとする多くの人との別れを意味するものだと分かっているけど、外に出られてただ嬉しかった。だからだろうか。今日はかなり調子が良い気がする。


 ここは、星空がとてもきれいだ。




 6月27日(木)くもり 体調 良好


 ここに来てから大分調子が良くて、天気が良い日はよく外に出てる。この辺りに住んでる人とも顔見知りになって、家にいたときより楽しい生活だ。何せ発病以来両親はどこかよそよそしかったし、学校の人にも避けられてたから。何度うつり病じゃないと言っても無駄だった。

 子供たちとも仲良くなって、今日は川原まで行ってきた。先生も一緒に来たから最初は嫌がられるかと思ったけど、むしろ子供たちは興味津々で先生を質問攻めにしてた。いつもはすました顔してるのに、ずいぶんと困ってたみたいで、正直良い気味。また遊びに行きたいな。


 そろそろ天の川でも見えるころだろうか。




 8月17日(月)晴れ 体調 良好


 今日は近所に住むおばさんたちに面白い話を聞いた。どうやらあの別宅は、先生一家が不治の病を抱えた人の終のすみかのように使っているらしい。別宅に来る人の余命は様々で、数年間生きる人もいれば、半月で死ぬ人もいるそうだ。私はどちらなんだろうか。

 それと、私は変わっているとも言われた。ここに来るのは遠からず死ぬと分かってる人たちだから、いつも暗い雰囲気だったらしいし、そもそも外を出歩いて近所の人と話すことなんてなかったらしい。私にとってはそんなことどうでもいいけど。


 夏の大三角形が分からないほど、多くの星が輝いてる。




 8月18日(火)くもり 体調 良好


 昨日聞いた話が気になって、浅井さんに詳しい話を聞いてみた。この別宅は、確かに病の研究と病人の療養のための場所ではあるけど、その病人は少し訳ありらしい。その訳は人によって様々だが、私の場合は周りとの人間関係に問題があると判断されたそうだ。思えばここに来て以来、親は会いに来るどころか音沙汰一つ寄越さない。病気が判明した当初は私の短い人生を嘆いていたけど、だんだん両親の興味は長く生きることができる兄や妹に移っていった気がする。まぁ、両親が私に会う気がないならそれでいいと思う。私のことを気にかけるより未来を見据える方がずっとかしこい判断だと思うし。


 雲ばかりで星が見えない。残念だ。




 10月31日(土)くもり 体調 やや不良


 今日はなんだか体が重い。起き上がって着替えるだけでずいぶんと時間がかかってしまったし、いつもと比べてあまり調子が良くなかった。ここに来てからはずっと良かったのに。ここからは悪くなる一方なんだろうな。このことを先生に言ったら、今日はたまたまかもしれないと言われたけど、それでも気になったみたいで、先生と一緒にいる時間が長かった。良くないことかもしれないけど、少し嬉しかった。


 雲間から、秋の大四辺形がのぞいている。




 12月19日(土)雪 体調 良好


 今朝起きたら雪がうっすらと積もってて、降ったり止んだりの天気だった。さすが都会と違って初雪が早い。近くの子供たちとも会って少し遊んだけど、すぐに溶けちゃったから残念そうだった。私はそれでも疲れてしまって、病の進行を感じざるを得ない。


 また雪がちらつき始めた。明日はもっと積もるだろうか。




 1月1日(金)くもり 体調 やや不良


 年が明けた。私はまだ、生きている。死の存在が常に私につきまとうせいか、年を越せたことがとても不思議に感じる。先生が今年の抱負を聞いてきたけど、私はそれに答えなかった。どうせもうすぐ無に還るのだから、言う必要も、言ったことを成そうとする努力も無駄だと思う。それに、人に聞いておきながら自分の抱負を言わなかったから、答えないのはお互い様だと思う。

 ふと去年を振り返ると、たくさんの人と関わってると思う。家にいたころは友達もいなかったし、家族とも折り合いが合わなかったのに、今では先生や浅井さんや近所の人たちともよく話している。不思議だ。


 くもってても、オリオン座が輝いてるのがはっきりと分かる。




1月9日(土)雪 体調 良好→不良


 血が。初めて吐血した。びっくりした。今日も雪がきれいだったから、庭に出たら、急にせき込んで、そしたら、血を吐いた。苦しかったし、気分も悪かったけど、でも、それ以上にきれいだと思った。真っ白な雪の中に鮮やかな赤い花が咲いたみたいで。幸い先生がすぐに来て処置をしてくれたから、ついでに私の病状を聞いてみた。吐血は病がかなりのところまで進んでるサインだけど、予想よりもずっと遅い進行だって言ってた。精神的な面が関係してるのかもしれない。先生もひとつ質問してきた。何故生きることに後ろ向きなんだ?って。私はその質問に首を振った。生きることに後ろ向きなんじゃなくて、ただ死を受け入れてるんだって答えた。だからこそ私は必要以上の治療を受けないことを選んだし、それを貫いてるし、先生もそのことを理解してくれてる。先生にとって私は珍しいモルモットなんじゃないかな。


 雪が一段と強くなってきた。星は一つも、瞬かない。




 2月16日(火)晴れ 体調 不良


 今日は一日中寝たきりだったし、血も吐いた。いい加減寝飽きたからこれを書いてるけど、正直体を起こしてるのがつらい。先生はずっとそばにいた。それで、眠っては起きてを繰り返しながら、ぽつぽつと話をしてた。主には死生観についてだった気がする。死ぬのは怖いかとか、もし病気にならずに生きられたらどんな生き方をしたかったかとか。そんなくらいしか憶えてないし、どう答えたかも憶えてないけど、くだらないことを聞いてるなとは思ってた。どうしようもならないのに。


 窓の外の冬の星座。どこか冷たさのあるこの空も、とってもきれい。




 3月3日(水)晴れ 体調 やや良好


 外にも出られたし、血も吐かなかったし、今日は久々に気分が良かった。さすがに一人では出歩けなかったけど、先生がいればそれはそれで楽しい。

 先生は今日、死ぬまでにやっておきたいことを聞いてきた。適当にごまかしておいたけど、これは、そろそろ私の命も終わりだから最後にやり残したことをやっておこうということだろうか。私のやりたいことか…。何だろう、思いつかないな。少し考えてみることにしよう。


 うみへび座のアルファルド。コル・ヒドラエとも呼ばれるこの星の意味は「孤独なもの」。もうすぐ、私もそうなる気がする。




 5月17日(月)晴れ 体調 不良


 吐血の頻度が増えて、体調も日に日に悪くなって、一日中横になる日も増えた。そうすると時間だけはたっぷりあるから、やり残したことを考えてたけど、今日ようやく思いついた。でも、先生に気づかれたら意味がないから、バレないようにしないと。思いついたからにはやりきりたい。それまで私の命は持つのだろうか。


 北斗七星が輝いてる。あの星々は、私の行く先も示してくれるだろうか。




 6月12日(土)雨 体調 やや不良


 自分の部屋から出たのはほぼ半月ぶりだと思う。吐血は三日に一度しなければ奇跡のようになってる。今日は吐かなかったから良い日だ。ごはんもちゃんと食べれた。やり残したことも、書きたいことはまとまったから、あと少しで完成する。何とか間に合ってほしい。

 最近、ようやく生きたいと思うようになった。やり残したことが分かったから。もしかしたら先生は、私に生きたいと思わせるために聞いたのかもしれない。


 梅雨が明けて夏の星空が見えるようになるまで、私は生きられるだろうか。




 8月9日(月)くもり 体調 不良


 やっと、やっと書き終わった。良かった。

 何でだろう、さっきから涙が止まらない。やりきって嬉しいのに。

 色々なことを思い出す。家にいたときのことも、ここに来てからのことも。これは、死が近いってことなのかな。

 後悔と、切なさと、無念と、憧憬と、そして感謝と。他の人より楽しいこととか夢とかが足りてないのかもしれないけど、それでもこれが、私の人生だった。

 本当に、もうすぐ終わる。自分のことだからよく分かる。でも、不思議と怖くない。今はとっても穏やかな気持ちだ。


 もう、星を眺めることはしない。そうしなくても、私の心は。




〈先生へ


 先生がこれを読んでるころには、私はもう死んでると思う。これは遺書ってことになるのかな。

 私、ここに来れて良かった。私の短い人生の中で、ここで過ごした日々があって、本当に良かった。ここでの生活はとても楽しかったから。

 でも、少しだけ後悔もしてる。元の生活の中で、ちゃんと周りの人と関わっておけば良かったとも思うの。それはそれで人間関係がこじれて嫌になってたかもしれないけど。


 私は星が好きだった。今になって分かったんだけど、星を眺めるのは、足りない気持ちとか心とかを満たすためだったんだと思う。でももう、それもしなくてよくなった。私の心は、十分すぎるほどに満たされてる。これ以上に幸せな気持ちはないんじゃないかって思うくらい。それはきっと、先生のおかげ。


 私、先生に会えて良かった。最初は変な人って思ったけど、こんなすてきな贈り物をしてくれて、感謝してもしきれない。その中でも大きな贈り物は、やり残したことの話だったと思う。そのことを考えて、この手紙を思いついたの。そうしたら、生きたいって思うようになった。これって、私にとって大きな変化だったんだ。


 先生、ありがとう。本当に、ありがとう。〉




 少女の亡骸のそばで、彼女の主治医は、震える字と涙の跡でいっぱいの手紙を読み終えた。その手紙を机に置き、とても軽い彼女の体を抱き上げ、静かに語りかけた。


「本当は、君は年を越せなくて当然の容体だった。でも俺は、薬を一切投与しないサンプルが欲しくて、君をここに呼び寄せた。

 長く生きた分、苦しんだよな。楽しいことばかりじゃなかっただろう?最近の君は、特に辛そうだった。それでも君は、楽しかったと、ありがとうと、そう言うんだな。


 …実に良い死に顔だ。お疲れ様」


―Fin―

少女の病は空想です。具体的にどんな病気を患ったかまでは特定していません。


…書いた本人が言うのも何ですが、少女と主治医は恋愛関係に発展したりしなかったのでしょうか?

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