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第2話 護衛艦むさし

 


 ――戦艦『大和』を守るべく自らの命を捨てた男、伊藤整一。その息子たる伊藤叡は現在、海上自衛隊第1護衛艦群司令として任務を遂行している。しかしそんな彼は、そもそも海上自衛官になりたかったわけではなかった。父の背を追うようにして入学した江田島、海軍兵学校第72期生時代の彼は、“鉄砲屋”として道を進んだ父親とは真逆に“空”を目指していた。彼が入学した1940年は既に山本五十六や山口多聞、といったいわゆる『航空主兵主義』を支持する者達が幅を利かせていた時代でもあり、それは自然な流れでもあった。

 伊藤叡は第72期生として、入学から2年後となる1942年には無事、海軍兵学校を卒業した。しかしその修業年限は戦局の悪化に伴い、2年9ヶ月と短縮されていた。伊藤叡は少尉候補生として約300名の同期生達とともに霞ヶ浦航空隊に配属される。戦闘機パイロットとして、父親とは異なる道を歩んだのである。後に彼は筑波海軍航空隊へと異動し、教官として勤務。そして1945年には鹿屋航空隊へと配属され、特攻隊の護衛戦闘機部隊のパイロットとして終戦を迎えたのであった。また父である第二艦隊司令長官の伊藤整一中将もまた、呉において終戦を迎えることとなった。

 しかし1946年7月。父である伊藤整一はこの世を去った。ビキニ環礁にて艦艇を用いて行われた原爆実験の只中にその身を投じたのだ。かつて大日本帝国海軍の象徴であった戦艦――『大和』を救うべくしてか、はたまた気が触れたのかは今となっては分からない。しかし伊藤叡は前者の道を父親は駆け抜けていったのだと信じ、それを深く記憶に刻んだのであった。何故なら彼にとって父親とは、そういう存在だったからである。

 父親の伊藤整一は、まわりの者も一目を置く厳格な人物で、家族に対してもまた、それは同じことだった。しかし時として息子の体調を気遣ったり、と家族を良く想う人物でもあったのだ。米国、中華民国、満州国といった国々での駐在経験もあり、当時の海軍軍人としても国際意識の強い人物だった。また物事を常に客観的に見据え、“能率的”に行動する人物でもあった。そんな人物だからこそ、息子や家族、そして部下や、時には上司にも尊敬されたのだろう。だがその最期はあまりにも謎が深く、多くの人間に疑心を生むこととなったのである。

 1952年、海上警備隊の発足に伴い、海上保安庁職員として勤務していた伊藤は移籍することとなった。その後、1954年には海上自衛隊が発足することとなり、伊藤は晴れて海上自衛官となったのである。

 しかしそれは、彼が本当に望むべき道かといえばそうではなかった。海上自衛隊発足の同時期、航空自衛隊も発足していたからである。旧海軍時代、航空屋として激闘の時代を生き残ってきた彼は、パイロットとして再び空を飛ぶことを夢見ていたのだ。だからこそ彼は悩んだ。悩みに悩んだ。だがしかし彼は、かつて父親とともに歩んできた“海軍”――の道を捨てることは出来なかった。いやむしろ父の遺志を継ぎ、海からこの国を守り抜いていきたい、と彼は考えていたのだ。結局、それからの十数年間、彼は海上自衛官として責務を果たそうと必死に働くこととなる。

 そして1973年、海将補へと昇格していた彼は晴れて憧れの“第1護衛艦群”司令へと就任した。何故、第1護衛艦群かといえば、そこにはかつて父親が守ろうとした――守り抜いた“モノ”があったからだ。それが今、彼の乗艦している護衛艦『むさし』であった。

 

 

 

 第2話『護衛艦むさし』


 

 1973年5月。太平洋上――日本近海を航行する3隻の軍艦の姿があった。海上自衛隊の護衛艦『はるな』『あまつかぜ』『むさし』である。この3隻が目指すのは同盟国アメリカ合衆国ハワイ州、太平洋最大の米海軍拠点たる真珠湾だ。その目的は米海軍主催の海軍軍事演習――“環太平洋合同演習”。または通称『リムパック』と呼ばれる。そこには日本・アメリカの他、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドが参加しており、これらの国の海軍が共同作戦を展開していく。史実では日本の初参加は1980年からだが、今物語では今年が海上自衛隊初のリムパック参加となる。

 それ故、この演習艦隊を指揮統括する伊藤叡海将補を始め、艦隊を運用する自衛官達の不安と緊張はとても大きかった。特に改装したばかりの護衛艦『むさし』における心配は尽きなかった。何しろ『ターターシステム』やヘリ運用といった問題はさることながら、排水量6万t以上、艦齢30年超の老齢艦。整備には多大な労力を必要とし、様々な設備をだましだまし運用しているのが現状であったからだ。




 1973年5月、日本近海。


 艦隊は暁色の波間を切り裂くように駆け、針路を南東に取っていた。


 「敵航空機、本艦隊に接近中。高速で本艦に近付く」


 電測員長丸山豪一等海曹の報告に、砲雷長磯部昌二等海佐は静かに頷いた。

 「教練対空戦闘用意!」

 「教練ー対空戦闘用意ーッ!」

 CIC内に響き渡る復唱。CIC内に緊張が走る。

 護衛艦『むさし』のCICは他の護衛艦とは異なり、艦橋部司令塔に存在する。1970年の改装以前までは、第1艦橋に程近い第2艦橋にCICが併設されていたのだが、『ターター・システム』や新型の主砲火器管制システムの導入、そして艦のデジタル化に伴い、司令塔に移設されたのである。薄緑色の暗いCIC室内、ブラウン管モニター画面やレーダー画面が妖しく光っていた。

 CICとは、ミサイルや艦砲といった兵装の武器管制の他、レーダー・ソナー・通信及び自艦に関する情報を集約し、指揮・発令などを下す部署のことを指す。それ故、艦の中枢部たるCICが一度機能を失えばその艦の戦闘能力は無に等しくなるわけで、昨今の艦艇であればCICは抗堪性に優れた船体内に置かれることが多い。護衛艦『むさし』もまたその問題や、新たに導入されたシステム類の拡充を図るべく、第2艦橋から司令塔へと移転したわけである。何しろ司令塔は厚さ500mmの装甲によって包まれており、大艦巨砲主義どころか戦艦の影も形も見えなくなってしまったこの近代においては、圧倒的な強度を誇るといえよう。しかしそれによってCICに詰める兵員や、護衛艦『むさし』に務める乗員達は安心して任務を進めることが出来るのだ。

 「敵機接近。方位2-3-0。距離15000」

 「了解。ターター、攻撃始め」

 砲雷長磯部の号令とともに、計6発のRIM-24『ターター』艦対空ミサイルが発射機から次々と放たれる。各ミサイルはMk.11/WDS武器管制システムによって目標が割り当てられ、それを射撃管制システムが統括・誘導する。これらを一括りとしたのが『ターター・システム』である。

 しかし護衛艦『むさし』に配備されているその『ターター・システム』は、これまで海上自衛隊に配備されていたものとは異なり、その改良発展型というべき――通称『ターター・D・システム』と呼ばれる代物であった。

 史実では1976年、護衛艦『たちかぜ』で初めて配備される『ターター・D・システム』は、従来のターター・システムにデジタル技術を導入するとともに、海軍戦術情報システム(NTDS)とのシステム統合がなされたものであった。これによりターター・システムは、各種センサーからの入力と戦術情報処理機能、武器管制機能、そして射撃管制機能をシステム化して1つに統合することに成功したのである。

 この『ターター・D・システム』の配備により、かつて“鉄の巨艦”として太平洋戦争中を戦い抜いてきた護衛艦『むさし』は、海上自衛隊で初めて大規模なコンピュータを搭載したシステム艦となったわけである。

 「マークインターセプト5秒前……スタンバイ……マーク・インターセプト」

 レーダー画面上から3つの目標が消え去った。しかし残る3つは健在であった。

 「目標3、撃墜」

 「迎撃失敗した目標は半分……」

 砲雷長磯部は目頭を押さえ、項垂れた。「流石、“ター様”と呼ばれるだけのことはあります。司令、申し訳ありません。わざわざお越し頂きましたのに……」

 磯部は振り返り、自身の背後に立つ男――伊藤叡海将補に申し訳ない、と頭を下げた。

 「ああ……。確かに訓練の余地はありそうだが、しかしこの問題は失敗を成功に繋げられればそれで済む話でもある。そこまで落ち込まんでも構わんよ。気楽に……とは言えんがね」

 と、告げる伊藤であったが、磯部は現状が少なくとも良好な状態ではないことを理解していた。今回の航海の目的は海上自衛隊として初となる多国籍合同海軍演習――『リムパック1973』への参加である。しかし、ただでさえ『憲法違反』とマスメディアから批判を受けている分、政治的圧力は抑えようがなく、既に伸し掛かっていた。また肝心のリムパック演習内で、他国海軍にその練度を低さを露呈させて国内外に恥を晒すわけにもいかなかった。だからこそ現状のような練度ではいけないと、彼は認識していたのである。

 

 

  

 護衛艦『むさし』艦橋を貫き設置されたエレベーターは静かに昇降し、第1艦橋にて停止する。扉を開け、室内へと足を踏み入れる伊藤。その前には黄のカバーが掛けられた椅子が1つ、鎮座していた。それはこの護衛艦『むさし』艦長の席であった。

 「伊藤司令。如何でしたか?」

 護衛艦『むさし』艦長、千早勇一一等海佐は席を立ち、振り返った。彼こそがこの旧海軍の遺産、第1護衛艦群旗艦を操る男であり、伊藤が全幅の信頼を寄せる人物でもあった。伊藤同様、江田島の海軍兵学校を卒業しており、またアメリカの海軍兵学校(アナポリス)での留学経験もある。勤勉な努力家として、同期の中でも抜きん出た能力と実績を持つ彼は、今後の海上自衛隊を背負って立つ男として、伊藤も一目置く存在だった。

 「期待に添えませんでしたか……?」

 「いやいや、悪くは無かったよ」

 伊藤は椅子に背中を預け、微笑みを浮かべた。

 「全6目標中、半分の迎撃に成功した」伊藤は言った。「つまりターターの命中率は50%程度。だがターターの命中率は米軍でも60%に満たないんだ。上々ではあると、私は思う。むしろ改装完了の3月から6月に迫るこのリムパックまでの期間――詰め込みすぎた過密スケジュールの中で君は、最高の働きをしたといってもいいだろう……」

 「有難うございます。しかし本当の功労者は部下達です」

 帽を被り直しつつ、千早は言った。



 「――では君は良い部下を持ったわけだな」


 伊藤は笑みを漏らした。


 

 

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