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防人大戦

防人大戦・幕間

作者: ともゆき

「…前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードして居ります、前畑リード、前畑がんばれ! 前畑がんばれ、リード、リード、あと五メートル、あと五メートル、あと四メートル、三メートル、二メートル、あっ、前畑リード、勝った! 勝った! 勝った、勝った! 勝った! 勝った! 前畑勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 前畑勝った! 前畑勝った! 前畑勝った! 前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑の優勝です、前畑の優勝です…」


 1936(昭和11)年8月12日。

 立秋は過ぎたとはいえ、まだまだ暑い日が続くその日の昼過ぎのある家。


「…こんにちは」

 一人の子連れの女性が玄関の中に入った。

智佐登ちさと、いらっしゃい」

 母親であろう女性が彼女を出迎える。

「これ、お土産」

 智佐登と呼ばれた女性の隣に立っている10歳前後の少年が西瓜を差し出した。

「あ、ありがとう。立ち話もなんだから、上がりなさい」

「うん。義明、靴はちゃんとそろえるのよ」

    *

「お父さん、久しぶり」

 智佐登が父親――防人忠孝――に挨拶をする。

「おお、智佐登。元気でやってるか」

「はい」

 そしてその男は彼女の連れてきた少年のほうを向くと、

「義明。いい子にしていたか?」

「うん」

「よおし。ちゃんとお父さんやお母さんの言うことを聞くんだぞ」

「しばらく見ない間に義くんも大きくなったわね」

 智佐登の母親である防人真佐代が切った西瓜を乗せた皿を持ってきながら言う。

「本当?」

「そりゃ智佐登は毎日見てるからわからないかもしれないけれど、お母さんたちは時々見るんだもの。前に来た時と比べると大きくなってるのがわかるわよ」

「それで、今日は何の話できたんだ? 残暑見舞いか?」


 そしてしばらくの間は彼らはごく普通の会話をしていたが不意に智佐登が、

「…ところでお父さん」

「どうした?」

「ちょっとお父さんに聞きたいことがあって…」

「何のことだ?」

「その…、例のことに関してなんだけれど…」

これから智佐登が何を言おうとしているのかを忠孝は感じると、

「…ちょっと席を外していてくれないか?」

 隣に座っていた真佐代に言う。

「…義くん、お祖母ちゃんと一緒にあっちの部屋に行こう」

 そして真佐代は義明を連れて部屋を出て行った。

 その後ろ姿を見ながら忠孝は、

「…まだ五十半ばだというのにお祖母ちゃんか」

「そうね。あれから13年経ってるんだもん」

「13年か…、もうそんなに経ったんだな」

    *

 かつて日本を混乱に陥れようとした男、阿那冥土。

 31年前、父親である忠孝が戦ったその男と娘の智佐登が戦った13年前・大正12年という年に東京は大震災に見舞われることとなり、その時の前後の出来事は智佐登にとって強烈な思い出となっていた。

 同じ年、父親の忠孝がある人の伝手を頼って仏蘭西の巴里へ行っていたため不在だったのである。

 その年の暮れに忠孝が帰国し、その2年後、智佐登は19歳で結婚をし、一人娘ということもあってか、忠孝の勧めもあって家を建てる代わりに、夫には婿養子という形で防人家に入ってもらうことになった。そしてその翌年には息子である義明が産まれ、智佐登は傍目には小さいながらも幸福な家庭を築いていたのだった。

 そして1926年12月25日に時代は昭和となったが、それ以後、彼らの周りでは今日までこれといった出来事は起こっていなかったのだった。


 不意に忠孝が大あくびをした。

「…お父さん、もしかして寝不足なんじゃない?」

 智佐登が指摘する。

「わかるか?」

「オリンピックのラジオ放送をやっているとき、日本は夜中だもんね。寝不足にもなるわよ。昨日の前畑選手の金メダルは私も興奮したわ」

「オリンピックか…。そういえば今ドイツでやってるんだな」

 そういうと忠孝は何かを考えているようだった。

「お前、アドルフ・ヒトラーについてどう思う?」

「何いきなり?」

「いや、今ベルリンでオリンピックが行われているだろう? そのベルリンがあるドイツでヒトラーが総統についているのをどう思ってるのか、ってな」


 戦後「独裁者」の代名詞とでもいうべき人物となったヒトラーだが、1933年にドイツの首相、翌34年には国家元首に就任し、このころは独裁体制を着々と進めつつあった。

 そして今は、そのヒトラーが大会総裁に就任し、ナチスドイツの国家の威信を賭けた、と言ってもいいベルリン・オリンピックが開催されている真っ最中だったのである。


 智佐登はしばらく考えていたが、

「…ああいうのはダメよ。きっとドイツを滅ぼすわ」

「…そうか、お前もそう思うか」

「お父さんもそう思うの?」

「ああ。ああいう独裁者というのは結果的に自らの手で国を滅ぼしてしまうことになるんだからな」

「そうね。大変なことにならなければいいけれど…」

「それで智佐登、ちょっと気になることがあってな」

「気になること?」

「…13年前の地震があった年にお父さんが半年間巴里に行っていたのはお前も知っているだろう?

「うん。例の件についていろいろと調べたんでしょ? おかげでいろいろなことが分かったけれど」

「その時に巴里でお父さんの調査の協力してくれた人から昨日手紙が届いたんだが、それに気になることが書いてあったんだよ」

「気になること?」

「…ベルリンで阿那冥土らしい男を見かけた、という内容だったんだよ」

「なんですって? でもなんでドイツなんかに…」

「届いた手紙によると3年前ヒトラーがドイツの首相に就任した直後からドイツ周辺で阿那冥土らしい男をあちこちで見かけた、という話があったらしいんだ。ナチスの幹部とも何人も接触があったらしいぞ」

「ナチスの幹部とも?」

「そうだ。そしてそのころからナチスは台頭を始めた…」

「それじゃあ…」

「勿論断定はできないし、これからも調査は続けていく、と言っているが、その人の考えとしてはナチスの台頭は裏で誰かが糸を操っているのではないか、ということだった。ここから先はお父さんの考えだが、ここ数年の間阿那冥土が姿を見せないのは海外に潜伏してひそかに準備を進めていたのではないか、ということだ」

「でもお父さん、確か半年前に…」

「…確かにな。半年前に本人かどうかはわからないが、東京で目撃情報があったのは事実なんだが…」

「もし、今ドイツに阿那冥土がいるとしてもなんで日本に戻ってきたの?」

「それはわからないが…、もしかしたらここ数年の日本の情勢を見てまた混乱が起きている、というのを知って舞い戻ってきたのかもしれないな」


 これより5年前の1931(昭和6)年に「満州事変」が勃発し日中が戦争状態に突入し、翌1932(昭和7)年に帝国海軍の将校が時の首相・犬養毅を暗殺する、という「五・一五事件」が起きてからというもの、少しずつではあるが日本にも戦争の波が押し寄せ、そして半年ほど前の1936年2月26日、「昭和維新」を掲げた帝国陸軍の将校1483人が決起し、当時「帝都不祥事件」、後に「2・26事件」と呼ばれることになるクーデター未遂事件が起きた。

 一時は霞ヶ関や永田町といった日本政府の中枢を占拠することに成功した将校たちだが、政府首脳が数名殺害された、と知った今上天皇(のちの昭和天皇)が「朕自ら近衛師団を率いて、此れが鎮定に当たらん」と激怒したことからもわかるとおり、彼らは「反乱軍」とみなされ、結果的に「反乱軍」は鎮圧され、4日後の2月29日(この年は閏年である)には収束に向かうことになったのだが、この時から少しずつではあるが、日本政府においての陸軍の影響力が強くなっていくのである。


「確か半年前のあの時って、陸軍の将校の何人もが阿那冥土らしい男とあっていた、っていう話よね」

「うん。軍にいるお父さんの知り合いから聞いた話だがあの事件が起こる前の日にも何人もの将校が行き先も告げずにどこかに行っていた、という話だしな。ただ彼らの口が固く何も聞き出せなかったそうだ。彼らが阿那冥土らしい男と会っていたというのはあくまでも噂話に過ぎないんだよ。しかも海軍のほうにも似たような噂話があったらしいんだ」

「海軍のほうにも? でも海軍はあの時は徹底抗戦の構えだったんでしょ?」

「まあ、殺害された政府首脳が海軍の大物だったということが海軍の反発を呼んだからな。おそらくクーデターが成功しても海軍とは対立していたと思うぞ。それでおそらくヤツは失敗を悟ったんだろう。それでドイツに戻った…」

「…そうなのかしら」

「今はそうとしか考えられんよ。…そういえばヤツについてもう一つ気になることがあったんだが」

「気になること?」

「…智佐登、フランス革命を知っているだろ?」

「いきなり何を言い出すのかと思ったら…。それくらい知ってるわよ。当時の国王と王妃が断頭台ギロチンにかけられたってあれでしょ?」

「ああ。じつはお父さんが巴里に行っていた間ちょっと気になったことがあったので調べていたのだが、その時に民衆を扇動していた人物の中に阿那冥土らしき人物がいたというのだよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、お父さん。フランス革命って言ったら今から150年も前の出来事じゃない。いくらなんでもそんな馬鹿なことは…」

「いや、お父さんが帰国した後もその人は追跡調査を続けていたんだよ。もちろん150年も前の出来事だから当時を知っている人なんて誰もいないんだが、その人はその時の子孫だという人に何人かであって話を聞いてみたそうだ」

「それで?」

「この間来た手紙にもその後のことが書いてあったのだが、話を聞いてみると――もちろんこれは伝え聞いた話だから詳しいことはわからないが――フランス革命がおこる数日前から何者かが民衆をあおっていた、というんだよ。そしてある人がその時の様子を書き残していた、というのだが、その日記を見せてもらったところ、特徴が阿那冥土によく似ていたらしい。そしてな、その容姿というのが親父やお父さん、智佐登があった時と全く変わっていなかった、というんだよ」

「なんですって?」

「詳しいことはまた調べて手紙をよこすといっているが、阿那冥土という男は調べれば調べるほど新たな謎が出てくる人物なんだ」

「阿那冥土とお祖父ちゃんが遭ったのが70年も前の出来事だというのに、私が遭った時となんら変わらぬ容姿だったということがどういうことなのかもわからないというのに…。だとしたらあいつはいったい何者なの?」

「それはまだわからないが…、ただもう一つ他にわかったことがあったんだ」

「わかったこと?」

「フランス革命のときにその阿那冥土らしき人物はこの混乱に乗じてフランスそのものを混乱に陥れようとしたらしい。その時に一人の人物が戦って撃退したらしい」

「本当なの? まるで私たちみたいじゃない」

「ああ。そしてその人物は一振りの剣を持っていた、という話だ。ある日、阿那冥土らしき人物がフランスを脱出した、といううわさを聞いてある日フランスから姿を消した、というんだ」

「その阿那冥土らしき人物を追って行った、ということなの?」

「あくまでも噂話に過ぎないがな。実はこの話には続きがあるんだ」

「続きが?」

「…今から100年近く前、その頃清国と呼ばれていた中国で戦争があったのは知ってるな?」

「清とイギリスが戦った『阿片戦争』と言われている戦争でしょ?」

「うん。その時にも清国で阿那冥土らしき人物を見かけた人物がいる、というのだよ。もちろん、フランス革命のときと容姿は全く変わっていなかったそうだ」

「嘘…」

 思わず智佐登は絶句した。

「…そしてその時にも一人の人物が現れ撃退した、そして、その人物も一振りの剣を持っていた、という話なんだよ。そして、その剣というのが智佐登、父さんがお前に渡した神剣と同じような形をしているというんだよ」

「なんですって?」

「これはお父さんが巴里に行っていたときに、その手紙をくれた人が以前中国に調査に行った時に聞いたといって話をしてくれたし、その後の調査結果でそういう噂話をあちこちで聞いた、という話だ」

「それで、二人はどうなったの?」

「二人ともある日清国から姿を消した、という話だ。そのころから日本に向かったのではないか、と噂されていたらしい」

「…それじゃあ…」

「ああ。その頃に阿那冥土が日本に来た可能性は十分にあるし、その撃退した、という人物が阿那冥土を追って日本にやってきた、という可能性も十分にあるんだよ」

「…」

「…智佐登、防人家は親父――お前にとってはお祖父さんだが――の代より前の家系がわかっていない、というのは知っているな?」

「う、うん…」

「これはあくまでも父さんの推測にすぎんが、もしかしたらその人物が防人の祖先なんじゃないか、という気がするんだ」

「私たちの祖先?」

「ああ。こう考えると、親父がなぜ生まれた時からあの神剣を持っていたのか、ということや70年前にあった出来事のつじつまが合うんだが…」

「私たちは遥か昔から阿那冥土と戦う運命を持っていた、ってことなの?」

「かもしれないし、そうでないかもしれない。…ただ一つだけ言えるのは、奴がまた日本を襲うかもしれない、ということだ」

「…そうね。残念ながらそうとしか考えられないわね。それが来年になるのか、10年後になるのか、30年後になるのかはわからないけれど…。となると、いよいよあの子に継がせなければいけないのかな…」

「義明にか?」

「うん。私ももう三十歳だし、私が義明の歳のころには毎日のように練習していたもの」

「…大丈夫か、智佐登?」

「大丈夫よ、義明は防人家の血を継いだ男の子だもん。私が責任を持ってこれから育てていくわ」

 そういう智佐登の表情は何かの決意を表しているようだった。

    *

 翌1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件勃発。これにより日本と中華民国間で日中戦争が起こる。

 1939(昭和14)年9月1日、ナチスドイツ、ポーランドに侵攻。第二次世界大戦が勃発する。

 1940(昭和15)年9月27日、日独伊三国軍事同盟成立。

 1941(昭和16)年12月8日、日本、ハワイ・真珠湾を攻撃。これにより太平洋戦争(大東亜戦争)が起こり、第二次世界大戦が世界的規模に発展する。


 そしてこれはいつ終わるかわからない長い長い戦争の始まりでもあった。


(「戦争編」に続く)

(作者より)この作品に対する感想等がありましたら「ともゆきのホームページ」BBS(http://www5e.biglobe.ne.jp/~t-azuma/bbs-chui.htm)の方にお願いします。

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