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紺碧の窓  作者: 井浦美朗
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第28話

 可八がウェディングドレスを手作りしている。柔らかな生成りのシフォンは、優しい雰囲気を持つ可八にはよく似合うだろう。

「式の後は、少し手直しすればワンピースになるんですよ?便利なキットが売ってるもんですよね。」

 ソーダ水の入ったグラスを手渡し、愛姫はかすかに微笑んだ。

「手作りのドレスなんて、素敵ね。」

「だって、借りるだけでもすごく高いんですよ?一日しか着ないのに。これなら貸衣装代の五分の一ですから。」

「しっかりしてる。」

「愛姫さんが教えてくれたんですよ。・・・いろんなこと。」

可八は、立ったままの愛姫を大きな目で見上げた。

「感謝しています。本当に、心から。」

可八の言葉は、愛姫の良心を咎めさせる。

「そんなこと・・・言ってもらう資格はないわ。」

「いいえ。愛姫さんがいなかったら、私は絶対に死んでいました。それか、どこか街の片隅で荒んだ暮らしをしていたはずです。」

「それを言うなら、私の父に感謝するのね。あなたを引き取ったのはあの男だから。」

「もちろん、おじ様には感謝してます。でも、実際に育ててくださったのは愛姫さんです。」

「私は、可八をひどい目にあわせてる。」

「それ以上に、愛姫さんは私に色々なことをして下さいました。それに、私のせいで愛姫さんがどんなに苦労なさったか。」

「そんなことない。・・・苦労したというなら、可八の方でしょう?」

「いいえ。」

可八は力強い瞳で愛姫を見つめた。

「今、私は最高に幸せです。ですから愛姫さんに感謝します。でも、負うべき罪は忘れません。それが私の償いです。私の義務です。」

 ゆるぎない自信から出た言葉だ。

 明羅からの愛が絶対的なものであるという自信が可八をここまで強くし、愛姫に何のわだかまりもないような感謝の気持ちをもたせているのだろう。

 明羅ほどの男でなければ、可八の相手など務まらないのかもしれない。明羅だから、任せられる。どんな苦境でも乗り越える力を、信じることができる。

 しかし、今、可八をねたまないで祝福できるのは、瑞希という存在がいるからだ。例え気紛れでも自分と一生を共にしたいという言葉を情熱的に語ってくれる男ができたからだ。そうでなければ、最後まで毒々しい厭らしさを表面だけ取り繕って、可八を見送ることになったろう。そんな自分がたまらない。

 他人の幸せを心から祝福できない自分が嫌だ。

 友達を見下ろす位置にいないと満足できない自分。

 自分以上の力を持つ友達をライバルとしか見れない自分。

 だから友達がいない。

 心からの親友など、夢のまた夢だ。

 可八を蔑むことで、精神のバランスを保ってきた。可八を、体のいい玩具のように扱ってきた。

「本当に罪深いのは私。許されない罪を犯してきたのは私の方よ!なのに可八はそれを責めない。駄目よ、もっと責めなきゃ。痛い言葉で私をついてよ!そうでもしてくれないと、私の気は治まらない!」

すると可八は、落ち着いた眼差しで愛姫を見上げた。

「私が言葉で責めた方が、遠慮なく私を憎むことができるからですか。」

 びくっ、とした。

 初めて聞く、可八の言い返し。

 その言葉の冷たさが、愛姫の全身を震わせる。

「そのほうが、楽でしょうね。責める私自身も、自虐の念にかられますし。」

「可八・・・。」

「でも私は、もともと愛姫さんを責める気はないですから。悪いのは私で、愛姫さんは被害者ですから。ただ、私が瑞希さんに言ったことを思い出してしまって。」

「なんて、言ったの。」

「瑞希さん、私に謝ったんですよ。でも私は、私が自分の罪を忘れないように一生責め続けてくれ、と瑞希さんにお願いしたんです。」

 可八の遅れ髪が、乱れて頬にかかる。

「私は、私の罪を忘れない。でも私は、その罪が私の責任ではないと、いつも心のどこかで思っているんです。云われの無いことを誰かに責められることで、自分を悲劇のヒロインに仕立てて、自分を可哀想がっていたいっていう欲望があったんです。瑞希さんを、悪者にして。」

 可八の手元に絡んだシフォンが、今は硝子細工のように見える。

 可八は、鈍くなどない。お人好しなどではない。そんなことに、今更気付いた。

 瑞希が思うより、愛姫が考えていたより、可八はずっと頑強だ。

 自殺しようとしたのも、可八が弱いからではない。明羅を想う確固たる強い意志があったからだ。

(私が憂うことなど、もう、何もなかったのだ。)

 本当は、もうとっくに互いに自立していたのかもしれない。

 愛姫のあげたエプロンの向日葵が色褪せるように、二人の距離は徐々に遠くなっていっていたのだ。

 仕上がったドレスをハンガーにかけ、可八は愛姫の前で手をついた。

「お世話になりました。私のような者を、二十年以上も見捨てないで育ててくださって、ありがとうございました。」

 感動とか涙とか、そういうものは二人には無縁だった。冷めた場面が繰り広げられているのを、他人事のように見ている。

 しかし、愛姫にはわかったことがある。

 可八はまさに自分自身ではないのか。あの考え方、物言い、まさに自分の性格生き写しではないのか。

 自虐的なセリフを言いながら、自分の悪いところをちゃんと正視できる人間なのだとアピールして満足している厭らしさ。

 それは、愛姫そのものではないか!?

 こんなに不愉快なのは、自分を見てしまったから。そうだ、本当の正視とはこういうことなのだ。そしてそれは、逃げ出したいほど居心地の悪いものなのだ。

 式を明日に控え、愛姫は本当の取り残されを実感した。

 可八の結婚は、終わりではない。

 愛姫の人生の本当の始まりだ。そしてそれは、可八のせいでない罪の償いの始まりなのだ。

 最後の夜を感傷的にすごすつもりだったのに、そんな気分はどこかへ吹き飛んだ。

 可八こそ、自分を見下しているのかもしれない。様々な災いを全部他人のせいにして悲劇のヒロイン面している馬鹿な独り者と、鼻の先で嘲っているのかもしれない。

 梅雨の前ぶれを、湿った空気が匂わせていた。


 式当日。

 広い教会にもかかわらず、そこには身内の姿だけだった。

 愛姫は、明羅が可八のことを本当はどこまでわかっているのだろう、と考えた。愛姫でさえ今さら気付いた可八の本性。愛姫だって同じものを持っているのに、可八が持っていることだけを嫌悪している。

 可八が差し出したピンクのブーケを、愛姫はにこりともせずに受け取った。

「次は愛姫さんが幸せになってくださいね。」

 そんなセリフが白々しい。愛姫が可八の立場だったら、どういう気持ちでブーケを渡すか想像できてしまうからだ。

「可八を引き取って、よかっただろう?」

愛姫の父が、隣でそう言った。

「もし一人だったら、お前は傲慢で挫折を知らないお嬢様そのものだったろうからな。」

「・・・可八がいなければ、かわりにお母さんがいたわよ。可八はその代わりになどなりえない。」

「こんなめでたい日にも、お前は・・。」

「それとこれとは別だからよ。私は、何も終わったと思っていない。むしろ、これからだわ。」

 そう言った瞬間、少し離れたところに立つ瑞希と目があった。

 こんな自分を知らないで恋をした瑞希を、気の毒に思った。

 きれいな肩のシルエットがこちらへ近づいてくる。

「記念撮影だそうですよ。さあ。」

 今日の写真を、この先見ることはないだろう。

 可八が夕べあんなセリフさえ言わなければ、今頃二人で抱き合って涙できたかもしれないのに、今の愛姫には何の感慨もない。

 披露宴代わりの会食が終わると、明羅と可八は着換えてそのまま島へと出発した。

 この先どんなことがあろうと、可八は図太く生きていく。きっと、愛姫よりずっと強く、たくましく。

 一人、マンションに着いた愛姫は、もうこの先可八がここで出迎えることはないのだと実感した。

(別に・・だから何よ。一人暮らしの人間がこの世に何人いると思っているの。当たり前じゃない。)

 リビングの電気をつけ、クーラーを入れる。

 冷蔵庫を開け、僅かに残っていたキャロットジュースを飲み干した。

 テレビの電源をつけ、ニュースにチャンネルを合わせる。

 一人になりたかったではないか。

 誰に気兼ねすることなく、生活したいと思っていたではないか。それがこうして叶ったのだ。

 ふと、可八のくれたブーケを思い出した。

 可八と別れた後、瑞希の叔母と切花を分けようと思ったら、美紗緒は笑った。

「確かに私は独身だけど、もう縁はないから。でも、橋田さんはこれからの方でしょう?大事に全部、お持ち帰りなさい。」

 穏やかな声が切なかった。

 この先ずっと独りだったとして、美紗緒くらいの年になったらあんなふうに穏やかに笑えるようになれるだろうか。

― 次は愛姫さんが幸せに ―

(何よ、私が幸せを掴み損ねたみたいに!)

 可八はおなかの中で自分を笑っていたのではないだろうか。先に結婚して愛姫に見送りをさせて、ざまあみろと思っていたのではないか。散々見下されていたが、今こそ勝ったと思っていたのではないだろうか。

(ふざけんなよ!)

 床に投げつけたブーケから、花びらが舞う間もなく無残に散らばった。

 息が上がっている。

 肩が激しく上下する。

 今日が結婚式だったなんて。

 こんなにめでたい日だったなんて信じられない。

 悲しくなんかないのに、頬を涙が伝う。

 ソファに顔を埋めて、愛姫は瑞希を思った。もし今、優しく慰めてくれる人がいたら、間違いなくすがる。抱いて、行き場の無い感情をぶつけたいと思うだろう。

 あの夜の瑞希が、そうだったのだ。

 可八に明羅を取られたなどという単純な悲しみではない今、瑞希の気持ちがよくわかる。

(それを、やっぱり責められない。責められるものじゃない。あの行為自体は罪じゃない。罪は、私が子どもを殺したこと・・!)

 嗚咽して泣いた。独りでも大声では泣けないが、子どものように泣きじゃくった。

 愛姫は、三十三歳になっていた。

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