第14話
日曜の午後、可八が旅行から帰ってきた。夕方だったが、明羅と、そして一緒に取材に行ったという仲間も一緒だった。
どちらにせよ、お世話になった以上挨拶せねばと思っていた愛姫は、全員をリビングに招いた。
この家に父の連れ以外の客が入ったのは初めてだ。それぐらい、愛姫と可八は他人を介入させない生活を送っていた。
大人が五人もそろうと、ソファはスツールまでも埋まり、狭く感じる。
「可八はお仕事の邪魔ではなかったでしょうか。」
擬似麗句でたずねると、四十近いカメラマン風の男は、笑顔で答えた。
「とんでもない。こちらこそ、色々手伝ってもらっちゃって恐縮してますよ。あんまり気が利くので、こっちもつい頼ってしまって。」
すると、可八と同室だとったいう女性記者、間宮早紀子も相槌を打った。
「本当に。せっかくの旅行なのに、全然気の休まる暇もなかったみたいで。かえって申し訳なかったくらい。」
優しい言葉だ。こういうメンバーだから、明羅も安心して可八を誘ったのだろう。
明羅も穏やかな表情で可八を見つめた。
「夜中まで間宮さんと二人、ずっとおしゃべりしてたみたいですよ。」
「そうそう、女ってどうして話題が尽きないのかと不思議になりますよ。望月と二人で、あきれたくらいで。」
すると、早紀子は可八と顔を見合わせ、悪戯っぽく笑った。
「あら、たった三晩でどれほどのことが話せるというの?まだまだ足りないくらいよ。」
この話の様子では、明羅と可八が同じ夜をすごしたことはないようだ。ならば、愛姫は可八との間に決定的な差をつくってしまった。
お茶の葉を入れなおそうと席を立った愛姫を、早紀子が手伝いに追った。
「すみません、お客様に。」
「いいえ、こちらこそ急にお邪魔してごめんなさいね。」
「とんでもない。可八がお世話になったお礼を申し上げねばと思っていたので、こちらこそ調度良かったと感謝してます。」
早紀子は、きれいに整えられた眉で微笑んだ。
「私、望月さんの記事を読んでいますので大体のことは承知しているつもりでした。でも、可八さんとお話していて、記事とひとつだけ違うことを見つけましたわ。」
「・・・違うこと?」
「ええ。橋田さんは、本当に大事に可八さんをお育てになったのだということです。記事で橋田さんは『自分に災いが及ばないため』みたいなことをおっしゃっていましたが、そんなことはないと思います。」
「・・・。」
「ごめんなさい、生意気なことを言って。あなたより二つ年上だということで、それは許して。でもね、幸い両親に大事に育てられた私は、可八さんと話をしていて、それを痛感したんです。」
「可八が話さない真実はたくさんあります。」
「ええ、色々あったのでしょう。でも、それはどんな家庭にでもあること。愛し合う家族だって憎みあうこともあるし、喧嘩もするし、傷つけあうこともあります。でも、必ず元に戻るのは、普段から培った絆があるからです。お二人にもその絆・・・感じました。」
手際よく、早紀子は洗ったポットに茶葉を入れた。
「例えあなたが否定しても、あなたは立派に可八さんの保護者だわ。」
「・・・。」
「お二人は、二人だけの家庭を作り上げているでしょう。でも、その狭い世界は自立には邪魔になることがあるのよ。可八さんは、あなたと別れることをひどく恐れています。」
もしかしたら、明羅も同じことを感じていたのかもしれない。だからその濃い関係に風穴を開けるため、今回の旅行を提案し、早紀子のようなアドバイザーをつけたのかもしれない。
「また、可八の・・・話を聞いてやって下さいませんか。あの子、友達がいないんです。あなたのような方がいらっしゃると、心強いと思います。」
「私でよければ、いくらでも。」
「すみません、お仕事も忙しいでしょうに。」
「大丈夫。私、パラサイトシングルですから。」
「独身・・・ですか。」
「ええ。」
信じられなかった。早紀子のようにさばけていて、でも女らしい穏やかな色気がある女性なら、引く手数多だろうに。
「意外?」
愛姫の表情からすべてを察したように、早紀子は笑った。
「・・・ええ。」
「結婚してない女って何らかの欠陥があるみたいに言われるのは心外だわ。もちろん、人間だから欠点もあるけど。でも結婚ってそんな簡単なものではないでしょう?そもそも出会えるかどうかから問題ね。好きイコール結婚なんて、あまりにも単純すぎるって知ってしまったし。」
「私、結婚に至るまでは、少なくとも十の関門があると思ってます。」
「真理ね。同感だわ。」
心から思った男は、可八のものだ。世界で一番知っている男は、一生遠い存在だ。この先の人生で、これ以上の出会いを期待はできない。未来に裏切られるのが怖いから、もう、何も期待はしない。
「望月さんと藤木さんの間にも、まだ関門が残っているみたいね。」
早紀子の何気ない言葉が、愛姫をどきりとさせた。
そう、その関門こそが瑞希だからだ。そして、瑞希を思い出すと、あの夜のことだけが思い出される。瑞希の肌の感触が、全身を走り抜ける。
苦い、しかし、心を騒がす、疼き。
自分の中の「女」を強烈に感じる。今更ながら目覚めてしまった女の性。
客が去った後、可八が後片付けをすると言ったが、疲れているのだから先に休むよう諭した。
穏やかな余裕は、もう未経験の女だと嘲笑される心配がなくなったから。
時に暴れだす気持ちは、今まで知らなかった自分が目覚めてしまったから。
二人の女が自分に同居している。
それをコントロールできなくなったら・・・。
それは、新しい自我への不安だった。