表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紺碧の窓  作者: 井浦美朗
13/34

第13話

 朝は、少しの狂いもなく訪れる。

 乱れた前髪の先の金色の光が眩しく、愛姫は思わず目を細めた。

 夕べ、どうやって家にもどってきたのか思い出せない。ただ、重い頭をもたげると、一つの記憶だけがまざまざと呼び起こされた。

 男を、初めて知った。

 自分の体が自分のものでなければいいと思うくらいに、瑞希の感触が全身に残っている。どんなに体を洗っても、振り払おうと思っても、決してかなわないことがあるのだ。

 自分が嫌いなとき、自分の顔を見たくない。

 今日は、自分の肌を見ることもできない。

 自分が途轍もなく淫らになったような気がして、生理的嫌悪さえ覚える。

 瑞希と寝たことを後悔はしていない。だが、それとこれとは別なのだ。

 食事などする気にはならなかった。

 唇しか見えない口紅用の手鏡で化粧をすませ、早々に家をでた。

 涼しい風を感じながらアスファルトを闊歩しているのに、信号で立ち止まると、途端に体が瑞希を思い出す。はっとして思わず腕をつかむと、その感触が自分のそれとは明らかに違っていたことを自覚する。

 瑞希と会ったのは、昨日が二度目だったというのに、今まで出会った誰よりも深い関係を結んでしまった。どんな気持ちだったとしても、どんな状況だったとしても、それが良いことだとは思わない。だが、どうしても瑞希を独りにしたくなかった。その手を離したら、もしかしたら一生後悔するような気さえした。

 愛姫は、瑞希を愛していたわけではない。

 瑞希が自分のことなど何とも思っていないことも、百も承知だ。

 しかし、率直に言えば、愛姫にとってこそ必要な行為だったのだ。

 ずっと恐れていた。一生、男を知らずに終わるのではないかと。この歳になっても、とコンプレックスを抱えていた。自分が相当に異常なのかもしれないとさえ思うことがあった。自分は自分と言い聞かせながらも、一生独りはやはり寂しいことだと感じていた。そこへ、夕べ初めてのチャンスがやってきた。これで自分を縛り付けてきた劣等感から解放される。そう、冷静に計算していた。これでもう、一生未体験なんて言わせない。一度があるのとないのでは大きな違いだ。

 世間の目に、言ってやりたくなった。

 自分は、ちゃんと経験済みなのだと。

 男を知っているのだと。

 何という悲しいコンプレックス。

 何という、さもしい見栄。

 でも、軽率だったなんて思わない。

 いい。

 この先、もう二度と男と関わることがなくても、生きていける。

 だが、本当に冷めた行為だった。情熱は、悲しみに占領されていた。

 ただ、慰めあうためだけにベッドに入る。それを今までどんなに嫌悪し、軽蔑してきたことだろう。貶していたことだろう。

 だが、そうせずにはいられなかった。瑞希の全てが必要だった。誰かに抱きしめられたかった。孤独が募っていた。

 しかし、もう二度と瑞希とこうなることは無いだろう。

 また、苦しみも悲しみも、自分一人で抱えていかなければならない。

 瑞希は、他人だ。例え一度寝たからといって、恋人でもなんでもない。苦しいからといって飛び込んで行ってもいい関係にはならない。

 愛姫の身体を、愛姫の意思以上に支配しながら、瑞希は違う世界を生きていく。

 愛姫は、独りの夜を越えていく。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ