下り坂
次の日、部活のなかった宮本さんと一緒に帰った。
おおまかな自己紹介がすんだ後、昨日の告白の話題になった。
「なんで柊くんは屋上を選んだの?」
「いや深い意味はなくて、なんとなく屋上なら成功するような気がしただけです」
僕は緊張しながら答えた。
「ふーん。私、屋上って好きなの。だから、屋上で告白されたときにOKする気になったのかも。そういえば、私を呼び出したあの子は誰なの?最初君の彼女かと思ったけど」
「いやいや全然そんなんじゃないですよ。あいつはただの幼なじみです」
「あらそう?彼女、全校集会の時も君の隣にいたけど、君のこと見る目が違ったような気がするのよね」
「違うってどう?」
「好きな人を見る目っていうのかしら。ま、私の憶測だから気にしないで」
まさか地球がひっくり返ったってそんなことはないだろう。
それから僕は遥のドジな話をいろいろ話したりして宮本さんを笑わせた。
家に帰ると疲れがどっと押し寄せてきた。
年上の人と話すのはこんなにも緊張するものなのか。
それでも、1週間、2週間と彼女と話すうちに、僕の心臓は落ち着きを保てるようになったし、ますます彼女の魅力にひかれていった。
きれいで、どこかの国の王妃といった印象の整った顔立ちに、肩の下まである黒いストレートの髪はよく似合っているし、イメージ通りのよく澄んだ声は僕の心になめらかに染み込んでくる。
僕は世界にひとつしかないこの芸術作品を独り占めしていることを、世界中の男どもに優越感を感じ、申し訳なくも思った。
遥と康貴とファミレスで話すのは久しぶりだった。
付き合いだしてからこの1ヶ月、僕は帰りはいつも宮本さんと一緒に帰っていた。
部活がある日でも、図書室で時間をつぶして宮本さんを待った。
しかし今日は例外である。昼休み、康貴から突然、
「遥が悩み相談したいらしいから帰りファミレスに付き合ってくれないか」
と言われた。
遥が自分から悩みをもちだすことは珍しい。
たいてい僕か康貴が遥の落ち込んだ様子を見かねて悩みを聞き出すのだ。
だからよほどのことなんだろうと僕は宮本さんに断ってファミレスに付き合うことにしたのだ。
それなのに、遥といったらなかなかその悩みを言い出さない。
僕たちが促しても、うん、とか、分かった、としか言わない。
もうファミレスに入ってからかれこれ1時間になる。
さらに30分経ってから遥はうつむきながら話しはじめた。
「マドレーヌにさ、新しいバイトの人が来たんだよね」
マドレーヌとは遥がバイトしている駅前のパン屋のことだ。
「その人が、なんというか、まあ、その、かっこいいなーっていうかなんていうか」
そう話す遥の顔は真っ赤だった。僕と康貴は目を合わせた。
「だから、その、柊のときみたいにちょっと手を貸していただけたらなーって思って」
いつもの遥の強引な感じはこれっぽっちもなかった。
「俺は断る権利はないよ。最初に手伝ってもらったのは俺だし」
少しの沈黙の後、僕はそう答えた。
「ありがと。康貴は?」
康貴はテーブルを見つめたまま何も言わない。
「康貴も手伝ってやるよな?」
僕がそう言ってもなかなか首を縦に振ろうとしない。
再び沈黙が訪れようとしていた。
まったく、どうしたんだよ康貴は、と声をかけようとした時だった。
「今度は悪いけど俺抜きでやってくれよ」
康貴はそう言って店を出ていってしまった。
「私、なんか悪いこと言ったかな」
遥はしきりにそう繰り返した。
でも僕はその理由はなんとなく分かるような気がした。
おそらく康貴は遥のことが好きだったのだ。
本人の口から聞いたことはないが、これだけ長い付き合いだと仕草や雰囲気でわかるものなのだ。
次の日から、康貴は遥のことをなんとなく避けるようになった。
あからさまに無視をするわけではないが、自分からは絶対話しかけないし、最後の授業が終わるとすぐ帰ってしまう。
遥は自分に責任があるんだと思いこみ、ひとりで悩み込む時間が増えていった。
そんな遥を励まそうと、僕はなるべく遥と一緒にいてやった。
そうすると必然的に宮本さんと一緒にいる時間は減っていった。
それまでは安定していた道を転がっていたものが、何かをきっかけに下り坂に迷いこみ、知らないうちに手をつけられないスピードになり、今まで登ってきた山のふもとまで落っこちてしまうような感じだった。
それがはっきりと見えたのが夏休みに入る前の期末試験でだった。
うちの学校では成績優秀者は学校新聞で名前が出される仕組みになっていて、いつもなら康貴が学年トップ争いをし、僕と遥は名前が載るベスト30に入れるかの争いをするはずだった。
今朝も張り出された学校新聞を遥と見に行った。
しかしそこには早くもひとだかりができていて、女子の中でも背の小さい遥は見ることができない。
僕はそれほど大きいわけではないが、背伸びをすればなんとか見えなくもなかった。
「えーっと、俺は29位だな」
「私は?私は?」
「んー、見えな・・・げっ!24位だ!」
「ほんと?やったー、自己新記録!」
どうやら遥の元気も出てきたみたいで、元通りになれるかな、と思ったのはつかの間だった。
「じゃ、康貴は?今回は学年トップとれてる?」
遥はあれから3週間たっても自分を避け続けている康貴のことを気にしてるらしかった。
「いや、ダメだったみたいだな、トップ3にもいない」
遥の顔が曇る。
「トップ10にもいないみたいだな」
「やっぱ私のせいかな」
「あれ?おかしいな、トップ30にもいない・・・」
「んなわけないじゃない。ちゃんと見なさいよ」
何度も見た。
それでもやっぱりいなかった。
前にいたひとだかりが消えてから、遥も自分の目で確認したようだった。
「きっと先生のミスでしょ」
遥はわざと明るく言った。
「さ、教室行こ」
教室は康貴がトップ30落ちした、という話題で騒がしかった。
康貴がまだ来てないのをいいことに、いろいろな噂が飛び交った。
その日康貴は学校に来なかった。
夏休みに入ってすぐ、遥は新しいバイトの人に告白した。
久瀬幸弘という人で、僕らより2つ年上で、ルックスはというと、これはもう申し分ないくらいかっこよくて、言うこともずいぶんとキザな人だった。
彼は遥の告白を聞くと、すんなり受け入れてくれた。
遥はそれから毎日のように彼とどこかにでかけては、うれしそうに思い出を僕に語った。
その時の遥の顔は幸せに満ちていて、なんだか可愛かった。
恋をすると可愛くなるってのは本当だったのか。
また、なぜか分からないが、久瀬氏に対して悔しさも感じた。
一方、それとは対象的に宮本さんは部活が忙しいらしく、僕は一人で取り残された気分だった。
康貴から電話がかかってきたのは8月も半ばに差し掛かった頃だった。
遥とお前にあやまりたい、という内容で、僕は仲直りできるという期待を胸に抱いて遥を誘い康貴の家に行ったのだった。
康貴の家は寿司屋をやっている。
昔よくタダで食べさせてもらったな、なんてことを遥と話しながら康貴の家に向かった。
僕は仲直りできることを信じて疑わなかった。
「ごめん。俺のせいで迷惑かけちゃって」
康貴の部屋で顔を合わせたとたん、康貴はそう言った。
「ごめんな、遥。俺さ、お前のことが前から好きだったんだ。だからお前の告白の手伝いは気が進まなかったんだ。」
「え、いや、こっちこそなんていうか無神経で」
遥はいきなりの展開に慌てている。
「いいよいいよ。でも今日話したいのはこのことじゃないんだ」
康貴はきっぱりと口にした。
「俺、寿司屋継ごうと思って」
「え?」
僕と遥は意味が理解できなかった。
「そういうわけで、明日から修行に出ちゃうからさ、今日謝っとこうと思ったってわけ」
聞きたいことが沢山あった。
遥のことはいつから?修行ってどんな?いつ戻ってくる?3学期は?でもどれも実際に口には出てこなかった。
そのうちに康貴は
「じゃ俺、荷物の用意とかあるから。帰ってきたら一番最初の客はお前らに頼むぞ」
と言って部屋を出ていった。
僕たちは帰り道、何もしゃべらなかった。
別れ際、遥に
「元気出せよ」
と言ってみたけど、返事は返ってこなかった。