放課後に 2
「―――植田!」
めずらしく和貴が大きな声を上げた。
「迎えに行くって言ったのに。」
「だって・・」
電話で聞いた和貴の住所は割と近所であることが発覚した。
今まで学区が重ならなかったのは、たまたま変な場所で区域が区切られていた為らしく、和貴はずいぶん遠くの小・中学校へ通っていたのだという。
深雪の中学は家からわずか徒歩10分ほどだったというのに。
電話をかけたのは、彼女にしてみれば勇気を振り絞るような思いだった。だって電話はかけたかったが、何かどうしても話しておかなければいけないことがあるわけでもない。ただかけたいという理由だけでダイヤルを押しきるのにはかなり勇気がいった。家族にはさも友人に電話をかけるかのように子機を部屋に持ち込んで、いざかけようとした際には指先が震えるほどだった。
それを知ってか知らずか、和貴が「今から行くよ」とひとこと、申し出てくれた時には、自分が出した勇気以上の嬉しさが身を包んだ。
だから深雪が、和貴が通るだろう道を勝手に歩いてきてしまったのは、迎えに来させるのが悪い、と考えたというより待っていられなかったという理由の方が強い。
「・・危ないから、もうしないで。」
和貴はわずかに目を伏せた。そのしぐさがとても暖かい。
まだ7時なのに・・
「うん。」
小さく深雪はうなずく。
このあたりは近所だし、危なくなんかないのに。わかっていて、頷いて、笑みがこぼれる。
「けがは大丈夫?」
「これくらいは怪我のうちに入らないよ。」
「でも今日辛かったんでしょ?」
「いや、今日のはかったるかったから・・」
・・・・
微笑みかけて和貴の表情が固まった。
真面目な深雪に対して、うっかり失言をしてしまったのではないかと不安になったからだ。
自分をあんな風に恐れていた女の子なのだから、きっと不真面目な不良男は好みのタイプとは正反対に位置するのでは・・。
「ならいいんだけど。・・・、浜崎君?」
固まった和貴を不安げに見上げる。
私何か変なこと言ったかしら。
「いや、ごめん。なんていうか・・」
和貴はやや思考してから、
「俺・・まともになるから。」
「えっ!?」
予想もしなかった発言に深雪はぎょっとする。
「今だって十分まともじゃ・・」
思案した末の台詞のようだったので、意味はわからなかったが、なるべく傷つけないようにと言葉を選びながら次を促す。
「その、どう言ったらいいかな。」
「いい加減な男はきらいだよね。」
「・・。」
一瞬のち
「あはっ」
何を言い出すのかと思えば・・
「そんなことかぁ。」
浜崎君て、本当にかわいい人なのね。と胸中穏やかに微笑む深雪を、
「そんなことって・・」
可愛いと思ってしまい、穏やかにいられない高校二年生の男の子。
暗くてよく見えている訳はないが、頬が熱い。
自分の肩ほどの身長に、左右で三つ編みに結われた長い髪。今時めずらしい大きめの眼鏡とその奥にある黒色の深い瞳、控え目な口元。どこをとっても自分にはない宝石に見える。もちろんその心根を表す、優しげな声の音も―――
「そんなことだよ。浜崎君は別にいいかげんじゃないと私は思うよ。」
そうかな、とあらぬ方向に目をやりながら、気恥かしさを押し隠すのに必死なっているのを、更に悟られないようにと和貴は必死だった。
「あ、でも・・」
「ん?」
「先生は、浜崎君が毎日学校に来てくれたら喜ぶと思うよ。」
深雪の放ったこの台詞にはまったく他意はない。確かに教師たちは一人でも多くの生徒が真面目に勉学に臨むのを期待している。
が、
「・・植田は?」
「えっ?」
無意識に表れてしまった感情と出てしまった言葉。
その言葉に対して素直に反応してしまった深雪。どちらにも非はない。
ただ
植田は毎日俺が学校に来たら嬉しい?
なんて聞かれて、冷静に答えられるような深雪ではない。
「・・・・・」
そりゃあ嬉しい。
今日だって和貴が来ないとわかっただけで、寂しさを感じたくらいだ。
でもそこで
「うん。和貴君と毎日会えたら嬉しい。だから学校休まないでね。」なんてさらっと言えてしまうような娘だったら・・
「・・・・。」
「・・・・。」
和貴はこんなに魅かれはしなかった・・かもしれない。
たとえその結果、深雪の反応で自分の発言の重大さに気づいた彼自身と、真っ赤になって困惑してしまった彼女と、閉店した豆腐屋のシャッターの前でにっちもさっちもいかなくなったとしても。
「悪い・・。」
今回はいくら待てども助けは入ってくれず、二人はそのままそこから深雪の家へと引き返して、本日の短いデートを終えたのだった。
「なに?じゃ結局手もつないでないわけ??」
「ちょっと!声が大きいよぉ!!」
日付は変わって、只今9月26日放課後。