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シーサイドスーサイド

作者: 飯田 健

「ちょっとすいません。特急列車は何番線を通りますか?」

 突然、見知らぬ女性に声をかけられた。驚きだ。こんな辺鄙な田舎駅に人がいるなんて。ましてや、話しかけてくるなんて。

「ええと、確か3番線だったと思いますよ。でも、ここ特急列車が止まらないですけど、いいんですか?」

「いいんです。乗るのが目的じゃないので」

 なんと。駅にいながらにして、列車に乗るのが目的でないなんて。何のためにこの田舎駅に……と思った瞬間、女性が口を開いた。

「わたし、これから自殺するんです」

 特急列車の乗用以外の用途が自殺とは、これまた斬新だ。

「自殺……ですか」

「そうです。自殺です。スーサイドです」

「本当に自殺をする人は、自殺宣言をしないものですよ」

 ただ他人に構って欲しいから、自殺をするなどといった狂言を行うのだ。この目の前にいる微妙に美しい女性もその1人だろう。

「でも、私はこれから確実に自殺するんです。決めたんです。止めても無駄ですからね」

「そうですか。いいと思いますよ、自殺」

 僕の発言に目を丸くした女性が言った。

「え、でも、フツー、自殺しようとする人が目の前にいたら止めませんか?」

「止めて欲しいんですか?」

「いや、そういうわけじゃないですけど」

 じゃあ、そもそも何で僕に話しかけてきたのだろうか。

「死ぬ前に一度見てみたかったんですよ。自殺を告白された人の表情とかそういったものを」

 僕の思ったことに対する返答を出してくれた。なんだこの女性は。エスパーなのか。それとも奇人なのか。たぶん後者だ。

「それに、特急列車が何番線を通るかも分からなかったので、あなたに話しかけたんです」

 それはそれは。自殺をするくらいなら事前の下調べくらいして欲しいものだ。ご自殺は計画的に。

「でも、特急列車が通る線路に飛び込んだって、死ねないと思いますよ」

「え、なんでですか。時速80キロですよ。昨日インターネットで調べましたけど。この速度なら確実に死ねるはずです」

 ついでに特急列車が通過する線路も調べてほしかったな。そしたら、こんな面倒な会話に参加せずに済んだのに。

「時速80キロの列車と衝突しても確実に死ねるとは限らないじゃないですか」

「え」

「そもそも確実に死ねるという思想が誤っています」

「へ」

「いや、『確実に』という言葉が適正でないと思うんです。電車と衝突したら確実に死ねるかもしれませんよ?でも、もしかしたら特急列車が何故か4番線を通っていってしまうこともあるかもしれません」

 自分で何を言っているのかが分からなくなってきた。

「この駅にくるまでに脱線事故を起こして永遠に特急列車がこないかもしれませんし」

 目の前の女性から、ため息が聞こえた気がした。

「正気ですか」

 今一番言われたくない言葉を一番言われたくない相手から聞く羽目になるとは。自殺を他人に宣言しちゃうような女性にだけは言われたくなかった。

「話を変えますね。確実って言葉は確実にないんです。たとえば……そうですね、体をつねったら確実につねった部分が痛むでしょうか」

 女性が口を開いた。

「痛むに決まっているじゃないですか」

「そのつねった部分が、肘の皮膚だとしてもですか?」

 怪訝そうな顔をした女性が肘をつねった。そして何かに気づいた顔をした。

「……痛くないです」

「肘の下の皮膚には痛覚がないですからね。……何の話でしたっけ?」

 女性は驚き半分呆れ半分の奇妙な顔をこちらに向けた。

「確実に、という言葉は確実にないという話だったと思います」

 そうだった。そもそも何でこの話をしようと思ったんだっけ。そうか、目の前の微女が自殺宣言をしだしたから、現実逃避がてらに変な話をしようと思ったんだ。それにしても、この女性、見れば見るほど微妙な美しさだ。

「えっと、だから、電車に飛び込んでも確実に死ねるとは限らないと思うんです」

「ごめんなさい、理論が飛躍しすぎていて何が何だか」

 見知らぬ他人である僕に、いきなり自殺宣言をすることは理論の飛躍に値しないのだろうか。

「それに私、そんな話をされても自殺をやめようだなんて微塵も思いませんから」

 僕自身も、別に自殺を止めようと思っているわけじゃない。むしろ自殺推進派だ。人生の終止符を自ら打つのって素晴らしいと思う。

「死にたければ死ぬのも一興だと思いますよ」

「いや、でも、目の前で血とか肉片とか飛び散るんですよ。電車が赤く染まる光景なんて見たくないんじゃないですか」

「特急列車はもともと赤い車体ですし」

 いや、問題点はそこじゃないと言いたげな女性の視線を無視して言葉をつむいだ。

「それに、自殺予告がなされているので、その光景を見ないように立ち去ることも可能です」

 ……と、自分で言っておきながら気づいた。ここから立ち去る気がしないことに。

「じゃあ、立ち去ればいいじゃないですか」

女性の言うとおりだ。でも、なんだか話してみたくなってきたのだ。これから自殺をしようとする人と話せる機会なんて、そうそう無いだろう。たぶん。

「いいんです、肉片とか血とかは見慣れていますから」

「どんな日常生活を送っているんですか」

「日常的に見ているわけじゃないですよ。ただ、1年前にちょっとね」

 まぁ、これは今話すようなことでもないだろう。1年前の出来事を話そうとすると顔から烈火の炎が出てしまう。消したい過去だ。

「そういえば私が自殺する理由とか聞かないんですか?」

「カーペットに墨汁をこぼしてしまったので自殺する小学生がいたり、彼女だと思っていた方に泣きながら『ストーカーです』と通報されたので自殺する少年がいたり、なんか死ぬのも一興かなぁと唐突に思って自殺する青年がいたりする現代社会ですし、あなたがどんな理由で自殺しようと驚きません」

「そういうものですか」

「それに、理由はどうあれ自殺して死のうとする結果に変わりはありません。だから自殺する理由は聞きません」

 自殺を決意する人の心理に興味がわかないから、仕方ない。だけど。

「そうですね、でも何でこの田舎駅を選んだのか、その理由だけは聞きたいかもしれません」

「私としては、あなたが何故花束を持っているかということも気になるんですけどね」

 そう言って、女性は僕の持っている花束を指差した。

「これですか。じゃあ、この田舎駅を自殺の舞台に選んだ理由を話してくれたら、花束を持っている理由も話しますよ」

「分かりました。……私がこの田舎駅を選んだ理由はですね、これですよ」

 女性は僕の目の前に何かのサイト画面が映った携帯電話をつきだした。

「なんですか、これ」

「インターネット掲示板です」

 何だかとても懐かしい。自殺志願者が書き込んでいくインターネット掲示板。僕も見たことがある。

「で、これが何ですか」

「ちょうど今から1年前。7月1日の書き込みです。見てください」


 名前:名無し

 題名:死ぬのも一興だと思う

 内容:海辺が見える駅、新海横町駅で特急     

    列車に轢かれて死ぬつもりです。

    7月1日、午前10時決行。


 僕は左手に巻かれた腕時計を見た。時計は午前9時50分をさしていた。まさか。

「私は先人に見習って、この駅を、この日を、そしてこの時間を選んだんです」

 なるほど。だからこの辺鄙な田舎駅を選んだわけか。着眼点はいいんじゃないか。でもちょっと気になることがある。

「その名無しさん、確実に死んでいないかもしれませんよ。自殺を失敗しているかもしれません」

「それはあり得ません」

 きっぱりと言い切ったぞ、この人。

「今度はこれを見てください」

 そう言って、僕が持っていた携帯電話を取り上げ、その代わりに新聞記事らしき切り抜きを手渡してきた。

 その記事にはこう書かれていた。


『列車にはねられ男子高校生死亡 自殺か』

 1日午前10時ごろ、新海横町駅で特急列 

 車が、線路内にいた男子高校生(17)を   

 はねた。高校生は全身を強く打ち死亡。


 僕は女性に向かって言った。

「時間も日にちも、掲示板に書かれていた自殺予告と全く同じですね」

「そうです。ですから、名無しさんはきちんと予告通りに自殺していったと考えられますよね」

 そうだろうか。この男子高校生が名無しさんだったとは限らないんじゃないか。

「やっぱり自殺するなら確実に死にたいじゃないですか。だから、既に自殺に成功した方の書き込みを参考にしてこの場所を選んだんです」

 既に自殺に成功した、か。この人は何か勘違いをしていると思う。勘違いをおこすのも無理はないけれども。

「私の理由は以上です。……あなたが何故花束を持っているかの理由を聞かせてください」

 これから自殺をする人に話すには向かない内容かもしれないけれども、いいか。

「僕が花束を持っているのはですね」

「はい」

「一年前に死んだ男子高校生に弔いの花を贈ろうかと思って」

「え」

 ほら、やっぱりこうなった。

「その高校生の知り合いの方なんですか?」

 知り合いといえば、知り合いかもしれない。

「まぁ、一応。というかその高校生と最後に会話したの、僕ですし」

 驚いた顔の女性を横目に、話を続けた。

「彼、なんか自殺するって言い張っていたんですよ。僕としても自殺されては困るなぁと思って止めようと思ったんですけど、止められませんでした。目の前で血とか肉片とか飛び散る光景って凄いですよ、ホント」

「で、一年経った今、弔いの花を贈りに来たら、また自殺志願者と会話する羽目になっていて。驚きですよ」

 女性は黙ったままうつむいている。

「最初、特急列車が通過する線路を聞いてきたじゃないですか。あのときに分かっていました。この人も自殺するつもりなんだなと」

 腕時計は9時58分を示していた。もうすぐ特急列車がやってくる。

「でも僕はあなたの自殺を止めるつもりはありません。どうせ無駄に終わると思いますしね。死ぬのも一興なんだな、と諦めきっています。そもそも他人の人生における終止符の打ち方に文句をつけられる権利なんてないかもしれないですし」

 僕が話を言い終わると、女性がやっと口を開いた。

「そうです。私は自殺するんです。止められるはずがありません」

 またか。またなのか。僕はため息をついた。一年前も同じ台詞を聞いた気がする。好きだと思っていた女性に泣きながら『ストーカーです』と通報されたから、自殺を決意したという狂った男子高校生も、同じ台詞を言っていた。なぜ自殺志願者はこうも強情なのか。

「そろそろ特急列車がくるはずです」

 女性がその言葉を言った瞬間、駅構内のアナウンスが特急列車が通過することを告げた。

「まもなく、……番線に、列車が通過します」

 女性が微笑みながら言った。

「海が見える駅で死ぬのっていいですよね。名無しさんも同じ風景を見ていたんですかね」

「いや、同じ風景を見ていたはずじゃないと思いますけど」

 僕の言葉を無視して女性は言った。

「また肉片とか血とか飛び散る光景を見せることになりますけど、ごめんなさい。最後に話せてよかったです」

 そう言って女性は3番線の線路に飛び込んだ。特急列車が走る音が近づく。

「またか。どうしてこうもうまくいかないかな」

 僕はつぶやいた。そして特急列車は駅に近づき……4番線を通過していった。3番線の線路には、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした女性が座り込んでいた。僕は彼女に向かって言った。

「言ったじゃないですか。確実に死ねる、ということはないんですよ。特急列車が何故か4番線を通過していってしまうこともあるんですよ」

 女性は泣き笑いのような複雑な顔をして言った。

「どうしてですか……どうして特急列車は4番線を通過していったんですか」

「あ……、もしかして。さっき言ってましたよね。最初に私が特急列車が通過する線路を聞いた時点で、私が自殺することが分かっていたって」

「そうです。だから僕は嘘をついたんです。特急列車が通過する線路は3番線だと。あなたの自殺を止めようとしませんでした。でも邪魔しないつもりだとは一言も言ってませんよ」

 彼女は線路に座り込んだまま、恨めしげな視線をこちらに向けた。

「どうして自殺の邪魔なんかしたんですか」

「それは僕の台詞ですよ」

「え」

「僕、今度こそはきちんと自殺しようと思ったんですよ。前回は男子高校生に先を越されましたからね。僕が先に自殺予告をしたっていうのに、あの高校生ときたら、『名無しさんの書き込みを見て僕もここで自殺しようと思いました』なんて口走って」

「高校生と一緒に死ぬわけにはいきませんから、必死に彼の自殺を止めたんですよ。困るからやめてくれと。でも、ダメでした」

 女性は携帯電話をまじまじと見ている。

「じゃあ、この名無しさんって」

「そうです。僕です。ほら、自殺に成功してなんかいないでしょう?」

 新聞記事には男子高校生が死んだことは書いてあったけど、名無しさんが死んだとは書いてなかったわけで。

「いやあ、自殺予告の書き込みなんてするもんじゃないですね。すごく恥ずかしいですし、何よりこの書き込みのせいで2回も自殺を邪魔されるなんて思いもしませんでした。今年こそは死ねると思ったのにな」

「私が自殺すると口走らなければ、あなたはここで自殺していたんですか」

「そうですね。やっぱり肉片とか血とか飛び散る光景は見ていて気持ちのいいものでもないですし、他人がいる前ではなるべく自殺したくないんですよ。特に言葉を交わしたことのある他人がいる前では、なおさらね」

「じゃあなんで一年前、自殺予告の書き込みをしたんですか。書き込まなければよかったじゃないですか」

 構って欲しかったからだ。自殺予告を見知らぬ他人にした女性だったら、その心理は痛いほど分かるはずだと思うのだけれども。

「そもそも自殺を決意するほど人生上手くいかなった人が、死ぬことを上手くできるはずがないんですよね」

 僕は笑いながら言った。そして、3番線に手をさしのべ、彼女の手をとった。

「生きるのもまた一興だと思うんですよ」


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