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隣室からの音(愛、あるいは憎しみ)

作者: 幕田卓馬
掲載日:2026/08/02

夏のホラー2026「音」参加作品です。

「音にまつわる怖い話、ね……」


 突拍子もない質問だったけど、彼氏は咎める事なく親指を唇の先に当てて押し黙った。

 ほんと、美しい仕草だ。

 付き合い始めて1ヶ月。これから何年、彼の横顔を拝めるのかはわからないけど、この眼福な時間を出来るだけ長く味わえる事を願う。


「企画小説のテーマなんだけど、何も思いかばなくて……。参考にさせてもらいたいなーって」


「これ、俺が体験した話なんだけど……、ちょっと胸糞悪いよ?」


「ううん、大丈夫」


「ていうか、ホラーも書くんだ?」


「意外?」


「恋愛小説だけだって、勝手に思ってた」


「恐怖だって、心の動きだからね。恋愛感情も、恐怖も……怒りや喜びだって、人の心の動きを書き記す事には変わりないの」


「ふうん。よくわからんけど」


「愛と憎しみは、表裏一体って事」


「おお、こわっ……」


 笑いながらそう呟くと、彼氏はローテーブルに置いた缶チューハイを一口飲んだ。


 彼氏の部屋にくるのは初めてだ。今日はきっと、今まで以上に二人の距離が縮まるに違いない。

 甘い時間を際立たせるために、ちょっぴりビターなホラー話で舌をリセットするうのも乙なものだろう。


 テーブルに頬杖をついて、天井の隅の方を眺めながら、彼は語り始めた。



   *   *   *


 えーっと——


 あれは、就職してすぐの頃だったかな。

 金もなかった俺は、街の隅のボロいアパートに住んでたんだ。1LDKで家賃は3万くらい。

 たまにゴキブリなんかが出没する、ひどく惨めったらしいところだったよ。


 はじめての土地だから友達もいなくてさ。とは言え、会社の連中とベタベタするのもなんか違うだろ?

 だから俺、夜はずーっと一人で部屋に閉じこもってたんだ。バーとか、そういう大人の社交場で出会いを求める柄じゃないし。寂しかったっちゃー寂しかったけど、まあそういうもんだよなって割り切ってた。


 住み始めて1ヶ月くらい経ってからかな?

 あの音が聞こえ始めたのは。


 夜中に『コツ、コツ』って壁を叩く音さ。


 最初は家鳴りの類かと思ったんだけど、えらく規則的に鳴るもんだから、気になっちゃって。

 それにその音、隣の部屋の壁から聞こえてくるんだよね。


 その部屋には、やけに辛気臭い女が住んでたんだ。

 アパート前の廊下で一度すれ違って、部屋に入るところを見たから、多分間違いないと思う。


 ボサボサの茶髪で、妙に派手な服装だったけど、猫背だし、どこか洗練されてないっていうかさ……。でも顔は整ってた。もったねーって思ったよ。


 その隣の部屋も、全然来客がないみたいでね。

 なんでわかるのって?

 いや、すごく壁が薄いから、話し声とか丸聞こえなわけさ。反対側の部屋の男はしょっちゅう女連れ込んでて、話し声もそーゆう声もすごいもんだったよ。

 でも、女の部屋からは何も聞こえない。


 俺と同じだなーって思ったんだよ。

 きっとこっちに友達なんて居なくて、夜も孤独に怯えてるんだろうなって想像してたわけよ。

 現に俺がそうだったからね。


 そんな隣の女が、壁をコツコツしてるわけさ。

 

 俺も寂しかったんかもしれないな。どーでもいい戯れで気を紛らわしたい時ってあるじゃん?

 不意に『この音に返事したらどうなるんだろ』って思っちゃって……試しに俺も、壁をコツコツって叩いたわけさ。


 そしたら向こうもコツ、コツって。


 なんか……そのやり取りが心に沁みたんだよね。

 真っ暗な世界に、やわらかな日日に光が一瞬だけ差し込んだみたいな。


 人は生まれながらに孤独だって、ガキの頃は斜に構えていた時期もあったけどさ、やっぱり人は一人じゃ生きていけないんだ。

 心から実感したよ。


 あの日から、俺と彼女の()()()()が始まったんだ。


 どちらかが壁をコツ、コツって2回叩くと、相手もコツ、コツって2回叩く叩く。

 ただそれだけの、たわいもないやり取り。


 今思うと何の生産性もない行為だけどさ、俺達はそれで自分以外の『他人』の存在を感じて、孤独を紛らわしたかったんだろうな。


 コツ、コツ……


     コツ、コツ……


 コツ、コツ……


     コツ、コツ……


 その遊びはしばらく続いたんだ。

 もはや俺の日常に染み込んでしまったし、今更やめ時がわからなくなってたってのも、あるかもしれない。


 晩飯のあと、風呂上がり、歯磨きをしながら——俺は気が向いたら隣の壁を叩く。そうすると彼女もまた、壁を叩く。

 君を前にして言うのなんだけど……あの時の俺と彼女は、互いをつつき合って笑うバカなカップルと変わらなかった。やわらかな時間に俺は酔いしれていた。


 事件が起きたのは、それから2ヶ月ほど経ったえらく蒸し暑い夜だった。


 布団の上でうつらうつらしていた俺は、爆音の雷鳴で目を覚ました。意識がはっきりしてくると、それは雷ではなく、男の怒鳴り声だって気がついてゾッとしたよ。

 

 その声は彼女の住む隣の部屋からだった。


 何を怒鳴ってるのかわからないけど、返せとか、騙しやがってとか、そんなニュアンスの言葉が飛び交っていた。


 彼女はきっと、あまり良くない仕事に首を突っ込んでたんじゃないかな。それで、誰かの恨みを買って、こんな状況に陥ってたんだと思う。

 

 俺が抱える以上の孤独と闇が、彼女の生活を満たしてたのかもしれない。

 深淵を覗き込んだ気分だった。

 ぞっとしたよ。


 ビクビクしながら諍いに耳をすましてたら、いきなり壁がでかい音をたてた。


 何かがぶつかった音だ。彼女が壁に叩きつけられたって直感的にわかったね。


 俺は暗闇の中で携帯を探したよ。暴力沙汰になったのなら、通報しなきゃまずいと思ったから。

 電気は……つけなかった。明かりがついて、俺が起きたって隣に気づかれたら、こっちにまで被害が及ぶんじゃないかって、よくわからないけど、怖くてね。


 その間も、怒鳴り声は続いてる。

 そしたら——


     ドン! ドン!


 大きな音で、壁が2回たたかれた。

 

     ドン! ドン!


     ドン! ドン!


 俺に助けを求めてるんだってわかった。


 わかったけど、俺に何ができる?

 俺は彼女の素性も……名前すらも知らない。

 激昂する男との間に何があったもわからないのに、ノコノコ仲裁に入れるわけがないだろ?


 だから……タオルケットを頭まで被って、耳を塞いだ。俺の貧弱な指の隙間から、鈍い音が流れ込むのを、堰き止めようとして、さ。


 音は少しずつ小さくなって……そして止まった。


 ドアの閉まる音がして、そっからは無音。


 俺は外が明るくなるまでずっと布団を被って震えてたよ。


 その間もずっと、隣からは物音ひとつしなかった……。


 正直、死んだって思ったよ。

 あの男に殺されたんだって。


 外の世界が目を覚ます頃、俺は唐突に不安になって、警察に通報するために携帯を探したんだ。


 そしたら——


     コツ、コツ……


 音がしたんだ。

 いつもの、あの音が……。


 俺は壁の前でへたり込んだ。


 生きてた——そう思ったね。


 いつも通り、俺も壁を叩く。


 コツ、コツ……


     コツ、コツ……


 コツ、コツ……


     コツ、コツ……


 互いの名を呼び合うように、俺たちは言葉のない会話を——



   *   *   *



 急に生まれた不自然な沈黙。


「——良かった。その人、無事だったんだね」


 それを破るように私は言った。


「いや、死んでたよ……」


「え?」


「例の男が押し入って、言い争いがあった時点でね……」彼は深いため息を吐く。「首、締められててさ、壁沿いに倒れ込んでたらしい」


「だって、そんな……。ほら、壁を叩いてきたって……」


 死んでいたのなら、翌朝の壁伝いのやり取りはなんだったのか。死体が動いたとでもいうのか?


「警察が聞き込みに来てね……死んだのは夜で間違いないらしいんだ。死体にネズミに齧られた跡があったから、その物音なんじゃないかってさ。まあ、古いアパートだったし……」


 彼氏はそう吐き捨てて、不満そうな顔で私を見る。その見解には納得していないという様子だった。


 私だってそう思う。


 ネズミの物音だって?

 それならば、彼女が彼に別れを告げるため霊障を引き起こしたと考えた方が、まだ納得できる。

 もし、私が彼の隣に住んでいて、同じ様に壁越しの会話で繋がり、息絶えたとしたら……そうしたと思うから。


 名前も知らない、言葉も交わさない関係だったけど、二人の間には奇妙で……でも強い絆があったんだ。

 今カノとしてちょっと口惜しいけど、そう理解してあげたい。


「胸糞悪い話でごめん」


「こっちこそ、嫌なこと思い出させちゃって、ごめんね……」


 呆けた顔で空き缶を眺める彼氏の隣に座り、スウェットの膝の上に片手を当てた。


 ごめんね。

 

 でも、私には『これから』がある。


 彼女が見せた絆を超えるくらい、私はこの愛を強く強く育んでやるんだ。


 膝に置いた手に熱い手が重なる。


 見下ろす彼の目には、ほてった私の顔が映っていた。


 そして、互いに唇を近づけ——




 ドン! ドン!



 

 壁が、怒声を上げた。


 引かれ合う唇を止めて、私達は音がした壁を見る。


「私達、うるさかったかな……?」


 震える声でそう呟いたけど、言葉の矛盾にすぐ気がつく。


 違う、ここ、角部屋だ。


 部屋に入る時に見た。こっちの壁側に、部屋なんてない。

 

 じゃあこの音はなに?


 私は彼の身体に縋り付く。


 再び、壁がけたたましく鳴り始めた。


 軟弱な石膏ボードに拳を叩きつける音が、雨音のように幾重にも重なる。


 これは何?


 これは……怒りと、憎しみ?


 狂った音が部屋中を埋め尽くしていく。

 邪魔者を叩き出そうとするかのように。

 

 ああ、そうか。


 彼女、まだ()()()()()()()()


 私は彼を見上げる。

 彼は苦虫を噛み潰したような顔で、けたたましく鳴り響く壁を睨みつけ、呟いた。


 

 いい加減、あの世に行けよな——


 

 私は、自分に巻き付く彼の腕を払い除けた。


 無理だ。

 死んでも彼に執着してる女も、そうと知ってて私を連れ込んだこの男も。

 全部が全部、無理無理無理。

 

 隣室の彼女さん、あなたの事を知らなかったのよ。

 フリーのフリした男に騙されただけで、どっちかっていうと被害者なの。


『愛と憎しみは、表裏一体って事』


 音は鳴り続ける。


 これ以上、痴話喧嘩に巻き込まれてたまるか。


 私は荷物をかき集めて、駆け足で部屋を出た。

 


お読み頂きありがとうございます(*´Д`*)

一人暮らしを始めたばかりの頃、夜が妙に心細かったのは今でも覚えています。部屋の隅で巣作りしてるクモに謎の友情を感じてました(^◇^;)

クモに友情を感じてたのは笑い話ですが、人付き合いが苦手な幕田にとってあの時の「誰かと繋がりたい」って感覚はあまりに不慣れで、そんな自分に戸惑ったと記憶しています。

当時を思い出しながら書きました。


【追記】

2026年8月2日18時30分。最後の方を少し変えました。どっちとも取れるような所を、書き直してます。

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― 新着の感想 ―
今年の夏のホラーは「音」をどのような意味を以てして読ませるのかっていうのがポイントになるかと思っていて。それは大きな擬音語でしっかりとみせるものなのか、何かしらの状況を以てして違和感のあるモノとしてみ…
うわぁ… ある意味蛙化現象? なのかな? 一瞬でドン引いちゃったんですね(´・ω・`) そのうち彼氏さん連れてかれちゃうカモ。 自業自得(笑)←(笑)じゃないw
これは、こわい……。 ホラー要素は置いといて、彼女に元カノの話とかするものだろうか? (これが元カノの話かどうかは微妙ですが) モテる男の発想は分からなない。 人外にまでモテる男に、喪男の怨嗟を贈り…
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