普通の子が壊れると……
── @news.narou_jp
【速報】都内の住宅で女子高生3人の遺体発見 母親の関与を調査中
【東京・○○区】13日午前、都内にある住宅で女子高校生3人の遺体が発見された。遺体が見つかったのは、30代女性が住む自宅で、女子高生のうち1人の母親とされている。警察によると、通報を受けて現場に駆けつけたところ、室内で3人の女子高生が倒れているのを確認。その場にいた母親は「娘の友達のため」と、意味不明な発言をしていたという。
1、普通
放課後の帰り道、いつも風景が変わらない。
毎朝同じ時間に起き、母親が出す朝食を半分だけ食べ、
学校に行き、話しすぎず、目立ちすぎず、帰る。
人からどう見られているかを意識するわけでもなく、無視するわけでもない。
紗季は、“普通の子”。
どこにでもいる女子高生だった。
彼女は自分で自分をそう思っていたし、周りからもそう思われていた。
「なんか毎日、同じ繰り返しだな……」
これが、彼女の本音だった。
駅から住宅街へ抜けるまでの約15分。
制服のまま歩く女子高生、紗季は、そのルートを毎日、ほぼ同じ時間に通っていた。
その日も、いつも通りの時間だった。
だからこそ、歩道の隅に「それ」が落ちているのが妙に目についた。
「ん? スマホ?」
紗季が手に取ってみると、画面に割れはなく、電源は入っていて、通知も表示されている。
なのに、なぜかロックがかかっていない。
「……落としたばっか、なのかな」
中を開いてみると、ホーム画面の壁紙には、若い女性の顔写真。10代くらいだろうか。
無表情で一度、目を逸らすと思い出せないような、全体的に印象に残らない感じ。
「なんか地味ー、同族っぽいし」
連絡先一覧から「ママ」と登録された番号にかけてみた。
「すみません、このスマホ、落ちてたんですけど……」
「あ、ありがとう。助かりました。すみませんが、しばらく預かってもらってもいいですか?」
無機質な声。どこか、音声を加工したような不自然さがある。
紗季は少し戸惑ったが、「はい」とだけ答えた。
2、中身
3日がすぎても何も連絡はなかった。
スマホの中身が妙に気になって、紗季は少しだけ覗いてみた。
カメラロール、メモ、SNSのログイン履歴。
……そして、フォルダのひとつに、見覚えのある景色があった。
通学路、学校の裏門、近所のスーパー。
すべて、紗季の生活圏内だった。
そして、明らかに“盗撮”と思われる写真が複数あった。
ポニーテールの後ろ姿。
家の2階の窓を見上げる構図。
傘をさして横断歩道を渡る姿。
一瞬で血の気が引いた。
慌てて電源を落とし、警察に届けようと思ったその時
――スマホが震えた。
「今から受け取りに行きます」
女の声だった。
相変わらず感情の読めない音だった。
3、返却
夕暮れの公園。
ベンチに座って待っていると、女が現れた。
母親と同じくらいの年齢だろうか。
黒いワンピースに、まっすぐな髪。表情はない。
だけど、目だけが異様に大きく、動きが滑らかでない。
人形のようだった。
紗季がスマホを渡すと、女は両手で丁寧に受け取った。
「ありがとう。壊れてなくてよかった」
「このスマホは、娘さんのものですよね?」
「ええ、そうよ。あなたみたいに良い子だった」
「そうですか……それより、あの、なんでわたしの写真が……」
女は、にこりと笑った。
「うん。見たんだね」
「あなた……私のこと、ずっと……」
「ええ、いつも見てたわ。ほんとにあの子そっくりなのね」
この女性の娘さんに何かがあったことを紗季は悟った。
だけど、そんなこと言えないし、だからと言って、
この女性を責めることもできない、それが紗季の性格だった。
女はスマホを軽く振って、こう言った。
「あなたが拾ってくれたおかげ。これで全部が揃ったの、ありがとう」
「全部? どういうことですか?」
4、観察
女はスマホの中身を確認している様子で、しばらくいじっていた後、
「あのね、このスマホ、偽物なのよ。いや、違うな、中身が少し他のと違ってるの」
女は話し始めた。
「表向きはただのスマホ。でも、中には監視アプリが仕込まれてる。遠隔操作できるやつ。マイク、カメラ、位置情報、加速度センサー、全部」
「……は?」
「あなたが拾った瞬間から、ずっと記録してた。あなたが寝るとき、どこにスマホ置くか知ってる? 枕元でしょ。寝返りの音も、寝息も、ばっちり録れたわ」
紗季は凍りついた。
「ずっと動いてたの?」
「ええ、シャワーのとき、洗面台の上に置いたのもよかったな。蒸気の音、歯磨きの時間、全部リアルで、すごく……生活感があった」
「……なんでそんなこと、したの?」
女はうっとりしたように、ぽつりとつぶやく。
「そうね、あなたも娘もすごく普通だった」
「……普通?」
「ええ、平均的。決まった時間に寝て、同じ場所で食事して、口数も感情も波が少ない」
女の笑みが、ふっと消える。
「あなたみたいな子って、壊れるときも整然としていて美しいの。パニックにならず、否定もせず、静かに受け入れていく。感情を殺して、日常を保とうとする。狂う瞬間まで、自分では気づかないのよね」
「狂うってなに?」
「今までに何人か他の子も見てきたわ。でもね、途中で叫んだり泣いたりするのは、絵にならない。だって、そこまでで終わりなんだもん」
「娘さんは、そうじゃなかったんですね……」
「ええ、ある日、突然って感じでわたしには気づけなかった。あなたもきっと同類。あなたなら、ずっと普通のまま壊れてくれる気がするの。……だから」
女はスマホを抱きしめるように持った。
「これはもう返してもらうわ。わたしを訴えるなら好きにして」
そう言い残すと、くるりと背を向け、歩き始めた。
最後に言い残した台詞があったが、紗季の様子を見て、
もうそれを知らせる必要はない、と理解してた。
(もう遅いと思う、あなたの中に入り込んでしまったから。あなたは、訴えたりできないの)
5、変化
あの出来事から、1か月が過ぎた。
女からの連絡は、一度もなかったし、ストーカーされるわけでもなかった。
何より、彼女は娘のことが忘れられなくて、あんなことをしてる、可哀想な女性という思いがあった。
だから、警察にも誰にも話さなかった。
ただ、紗季の心の中には、すでに変化が起こっていた。
彼女の生活は、1ヶ月が過ぎた今も変わらず、誰かに見られている前提で動いていた。
寝る時間、食事の時間、整った部屋、笑顔の練習。
そして毎晩の「おやすみ」も、どこかにあるカメラを意識しながら行動していた。
(あの人、まだ見てくれてるよね)
紗季は「もう壊された後」だということに、気づいてなかった。
本人は、「まだ見られてる」と思い込んで、丁寧に生活を続けた。
見られていること、一人でないことに、どこかほっとしていた。
でも、そのうち、紗季は気づいてしまう、
もう彼女は自分のことを見ていない現実に。
つまらないと言っていた同じような日常が
また戻ってくることを。
『監視されることが、紗季の支柱になってしまった』
その監視という支柱がなくなったと気づいたとき、
女が望んだように、紗季は完全に壊れてしまう。
その壊れた先にあるものは……
6、友達
もちろん、あの女にはもう紗季のことは頭になかった。
彼女が今、覗く画面の先に映るのは、別の少女だった。
違う街、違う家、違う生活が、そこに見えた。
女のスマホの画面には、新しい「普通の子」が記録されていた。
「……この子も、きっと、綺麗に崩れそうね」
画面の下には、動画フォルダの名前が並んでいた。
「紗季」(完了)
「志帆」(進行中)
「美緒ちゃん、ずっと一人で寂しいでしょう。もう少ししたら、気の合うお友達がそっちに行くから待っていてね」
待受画面に映る娘の姿は、紗季が拾ったときの無表情なものでなく、
両脇を友達で囲まれて笑顔で三人こちらを向いていた。




