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黒い触手

── @news.narou_jp


「若者を悩ませる原因不明の精神疾患、幻聴のような声が続く」


若者を中心に、原因不明の精神疾患が増加中。患者は「声」や「言葉」が頭の中で響き、日常生活に支障をきたしているという。専門家は、過剰な情報や孤立が影響している可能性があると指摘。治療法はまだ確立されておらず、早期の支援が重要だと呼びかけている。



1,空白があった


小さかった頃は、全部が新しかった。

テレビの中の色。知らない言葉。

友達の秘密。


小さな脳みそはそれらを「楽しい」かどうかで分類して、

「楽しくない」ものはあっという間に忘れることができた。


頭の中にある真っ白なノートに落書きしては、次のページに進む。

そこにはまた、真新しい空白があった。

何もかもが新しく、柔らかく、吸い込んで、受け入れて、手放せていた。


それがいつからだろう。

次のページがめくられなくなった。


中学、高校と年齢を重ねて社会というものを知っていくにつれて、知らない情報は増えていった。

さらにスマホを持つことで、世界さえ手のひらの中に押し込まれた。


Twitter、Instagram、LINE、ニュース、広告、陰口、いいねの数、誰かの自撮り、不幸な事故、炎上、死、差別、正義、地獄……


気がつけば、空白だった頭の中に、文字がびっしりと刻み込まれてしまい、

もう「忘れる」ことができなくなっていた。


僕の崩壊の始まりだった。



2,仲間を見つけた


そんな僕に、咲良から連絡があったのは、壊れ始めてから間もない頃だった。


「久しぶり。元気?」


メッセージは短く、絵文字もなかった。

けれど、それがむしろ懐かしく感じた。

彼女は小学校の頃の同級生で、よく一緒に遊んでいた。

あのころはまだ無邪気という言葉で片付いていた「楽しい」時間だった。


大学生にもなると、小さな頃を知っている人間は、周りからほとんど消えていた。

「懐かしい」という言葉が浮かんで、僕は返事を返した。


数日後、咲良と駅前のカフェで会った。

画面越しではない人間との会話は、久しぶりだった。


「あんた、変わってないねー」


彼女が笑いながら発した第一声だった。


僕は、そう見えるのか、と苦笑した。


彼女はと言えば、当時の面影はあまりなく、

というか、メイクのせいだろうかよりもずっと大人っぽく見えた。


しばらくは、たわいのない話だった。

咲良は大学の話をしたり、自分のSNSを見せてくれて、

そのフォロワー数を自慢したり、僕とは正反対のように見えたが、

急に真顔になって、


「ねえ、私さ」


コーヒーを見つめながら、ぼそっと彼女が言った。


「もう何年も、頭の中がうるさいんだよ。ずっと、誰か何か言ってるんだ」


一瞬、思考が止まった。

それって、もしかして?


「強い言葉、批判、炎上みたいな嫌な言葉が飛んできて忘れたくても、忘れられないの。あなたも……そうだったりしない?」


彼女の言葉を聞いて僕は、思わず頷いた。

自分の状況と似ていて、仲間を見つけた気がして、少し嬉しかった。


「……その相談で連絡してきたとか?」


「うん、だって、周りの友達とかにこんな話したら、変なヤツって思われるし」


彼女の言うことは正しいと思った。

そんなことを話したら、病んでると思われて、周りからはじき出されてしまう。

だから、僕も今の状況を誰にも話せなかった。


「これ、何なんだろ……」


と話す彼女の顔をよく見てみると左耳のすぐ下に、

細く黒い線のようなものが張りついているのが見えた。

 


3,触手が入りこんだ


その夜、僕がスマホを眺めている画面から「それ」が現れた。

よく見るとそれは単なる黒い線ではなかった。


「死ね」

「もう終わり」

「気持ち悪い」

「消えろ」

「お前が悪い」


といった黒い文字列がねじれ、絡まり合い、

一本の巨大な触手のようにのたうっている。


SNSの切れ端、匿名の怒り、誰かの絶望として打ち込まれた

モニター越しに見ていた言葉が、形を持って僕に向かって迫ってくる。


(おや、もう空白がなくなったみたいだな)


声? いや、違う。

その言葉は直接、頭の中に流れ込んでくるようだった。


(お前は溜めすぎた。見えない知らない言葉に触れすぎた。忘れることも、遮ることもできずにな。お前の中には、もう……お前自身の言葉はどこにもないのさ)


耳元に、触手が伸びてきたとき、

咲良の顔が、ふと頭に浮かんだ。


きっと、彼女もこいつを見てしまったんだ。

これに触れられてしまったんだ。


そう思った瞬間、言葉が作り上げたその触手が耳の中に入り込んだ。


さっき目にした、

「死ね」

「もう終わり」

「気持ち悪い」

「消えろ」

「お前が悪い」

といった言葉が頭の中で反響し始めて、徐々にその音量が拡大して……


ノイズが爆発して、僕は気を失った。



4,ノートに書いていく


数ヶ月後、僕はこの病院にいた。


あの日、起こったことを話しても、誰も正確に説明してくれなかった。

ただ、過剰なストレスによる精神的反応としか言わなかったが、

何か隠されている、そんな気がした。


担当医は、リハビリだと言って、僕に真っ白なノートを手渡した。

「そこに聞こえてくる言葉を書き出していってごらん、徐々に楽になるかもしれないからね」と。


僕は言われた通り今日も、白紙のノートに言葉を書いていった。


「消えたい」

「やめてくれ」

「うるさい」

「わかってる」


いくらそれを書き出しても、頭の中の音は止まらなかった。


ある日、咲良が面会にきてくれた。

あの時と比べると、顔色が悪くほとんど言葉を発さなかった。


沈黙が続き、僕がノートを取り出して作業を始めると、

ようやく彼女がぽつりと口を開いた。


「……何を書いてるの?」


「書いてるんじゃないよ、頭の中に溜まってるモノをノートに吐き出してるんだ」


咲良はうなずいて、視線を窓の外に向けた。


「最近の空って、どこまでも灰色に見えるんだよね」


咲良が呟いた声は、遠くから聞こえるようだった。


僕も病室の窓から空に目を向けた。

外なんてずっと気にしたことなかったけど、

そう言えば晴れた空を久しく見たことない気がした。


「昔は、真っ青できれいだなって思ったけど、最近はいつも濁ってるんだよね」

とボソリと呟いたあと、しばらく空を眺めていた。


その沈黙の奥に、どこか言葉にならない叫びが見えた気がした。


「なんか、ごめん……じゃ、また来るね」


咲良が立ち上がり、ドアへと向かった。

部屋を出る直前、彼女はふと立ち止まり、こちらを振り返った。


そのとき、僕には見えた。


咲良の顔に、黒い線、いや文字が浮かび上がっていた。

無数のハッシュタグが、皮膚の上に刺青のようににじんでいた。


#消えたい

#誰か助けて

#みんなの正義が怖い

#私はここにいない

#………………

#…………

#……


やっぱり、僕と同類だったのか。


浮かび上がる文字は彼女の声でなく、彼女が取り込んだ言葉たち。

そして、いまは彼女の頭の中に存在し叫び続けているものたち。


「……見えてるのね」


咲良はそう呟いて、不気味な笑みを浮かべた。

口元だけが、ゆっくりと、横に広がっていくような機械的な笑み。


よく見ると、彼女の瞳の奥に細く黒い触手が蠢いていた。



5,言葉に壊される

 

僕はやっと気がついた。

まだ若かったころ、僕の頭の中にはたくさんの空白があった。


あの頃はその空白を埋めたいと思っていた。

いろんなことをもっと知りたいと思った。


でも、あの空白は埋めるものでなかった。

無知じゃなく、自分を守るためにあったんだ。


言葉は本来、誰かに届けるために作られた優しいものだった。

でも今は、誰かを壊すために、言葉が身の周りにあふれている。


僕はまた白紙のノートに言葉を書いていく作業を続けた。


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