Doubt.④
『いいね、の檻』
朝6時、部屋はまだ薄暗い。
彩花はスマホを顔の上に掲げて、カメラを起動した。
フィルターON。美肌加工ON。目のサイズ+10%。
「#おはよう自撮り # 今日もがんばろ」
タグを添えて、インスタにアップする。
投稿してから3分で、通知が鳴る。
♡が連なる。
「可愛い!」「今日も天使」「肌きれいすぎ」
その瞬間だけ、呼吸が少しだけ深くなる。
ーーDoubt.
突然、胸の奥がざわついた。
昨日からこの音が、頭に住みついていた。
彼女推しと自称するファンから届いたDM。
添付されていた数秒の動画。
何も誰も映ってなかった。
ただ、それを見たあとで、あの音が響きはじめた。
昼からは撮影スタジオでの仕事。
コラボ中のスキンケアブランド案件だった。
「ほんっとに、このアイクリーム、寝不足の日でも目元ふっくら! 私の救世主です!」
笑顔でカメラに向かって言いながら、実際は――
使ったことは、一度もない。
広告代理店が送ってきた原稿を、そのまま読んでいるだけ。
スタッフが笑い、写真を連写する。
「さすが彩花さん! ナチュラルで説得力あります!」
そのとき、また響いた。
ーーDoubt.
(それって、スタッフの言葉に対して?)
遅くまでの仕事を終えて家に帰ると、いつも肌はボロボロ。
クーラーの下、ノーメイクの顔をスマホで見て、すぐにカメラを閉じる。
「まぁ、加工すればどうにでもなるし」
鏡の前でつぶやいた瞬間、耳鳴りのようにそれは来る。
ーーDoubt.
はい、そうね。これじゃ、どうにもなっていない。
最近、肌荒れは加工でも隠しきれない。
太った頬、むくんだ目元、落ちないクマ。
鏡の前の自分と、SNSの自分が、どんどん別人になっていく。
(あの声はいつも正しい、このままじゃダメ)
「わたしの夢でしたし、やりたくてこの仕事してます」
雑誌のインタビューで、彩花は笑顔を作る。
「自分に嘘をつかずに、生きていきたいですね」
記者が頷き、メモを取る。
脳内に、また――静かに刺すように。
ーーDoubt.Doubt.
ほんと、嘘っぱち。夢じゃなかったし、憧れでもなかった。
ただ、最初にフォロワーが増えたから、止められなくなっただけ。
部屋に戻り、ベッドの上でスマホをスクロールする。
他のインフルエンサーの投稿に、イライラしているのは焦りだ。
「いつも、動画の加工しすぎっしょ」
「どれの金の匂いしかしないとか、やば」
「最近、顔変わりすぎなんだけど」
わたし宛に届くDMでの批判は既読のまま無視。
けれど、本当は全部自分にも刺さっている。
「もう、誰にも見られたくない……」
ポツリと漏らした瞬間、あの声がすぐさま返す。
ーーDoubt.Doubt.Doubt.
そう、本当はもっと見てほしい。
もっと羨ましがってほしい。
もっと、いいねを押してほしい。
SNSの海なんて、飛びこんだ時点で危険なんだ。
そのうち、自分がバラバラになって沈んでいく。
でも、誰かが押す♡の数だけが養分となって生き延びた。
嘘が増えるたびに、存在感は増していくけど、
同時に、どこかで自分が薄れていくことに気づいた。
でもさ、もう後戻りできないんだ。
その夜。
彩花は、新しい投稿をアップした。
「加工なしのリアル肌、勇気出して出してみた」
#すっぴん風メイク #ありのままの私
フィルター、自然光、レタッチ済み。
もちろんリアルではない。
投稿ボタンを押した瞬間、耳の奥に鋭く突き刺さった。
ーーDoubt.
スマホを握る手が震える。
「……ねぇ、もう、わかってるし……黙って!」
声に出しても、返事はない。
ただ、アプリの画面に表示されるいいねの数が、
その声の大きさに比例していくように思えた。
SNSの世界では、ウソに愛された者ほど、
本当の自分を見失っていく。
彩花もとっくに気づいていた。
そして今日もまた、誰かのスマホに、そっと響く。
ーーDoubt.




