見憶えのある看護師(射)
さとみは宿直で夜勤をしていた。
あの夜が思い出される。
当時行きたかったイタリアンの店に
達也と行って夜はホテルで過ごしていた。
はずだった。いつの間にか寝ていた私は
朝、目が覚めると一人にされていた。
机の上に一万円。
枕だったはずの達也の腕は居なかった。
え?何で?あんなに優しくしてくれていたのに
どうして……。
髪がボサボサの自分が鏡に映る。
そのだらしない格好に目を背ける。
あ、ダメだ。こんなところに長く居たら。
服を着て、机の上の一万円を握ろうとする。
紙幣に映る肖像画が、ニタっと笑って見える。
紙幣をくしゃっと握りつぷした。
急いでホテルの部屋を出た。
達也は目を開いた。まだ朝早く薄暗い病室。
病院のベットで足が固定されている。
さとみ……そんな子いたかな……。
いたような気がする。バイトね……。
そんなの数えきれない。
そしてまた眠っていた。
朝、さとみが処置に来た。
「前に話した彼、最後は駅で別れました。
そんなに会話もなく、私が話しかけても、
あ、そう、ぐらいの返事だったかな。
それが最後でしたね・・・。」
正直、朝から何の話だよ、と思っていたが、
早朝に目が覚めたせいで眠い。
「え?何ですって?ちょっと眠くて。」
「いえいえ、気にしないで下さい。
もう済んだことですから。」
さとみは黙々と包帯を変えていた。
さとみは、忘れられない
最後の夜を思い出していた。
さっきまでホテルにいたが
終電で帰るらしく駅に向かう。
少し後ろからついて行く。
「ねえ、明日は予定ないんだよね。」
声を掛けたけれど全くこっちを見ずに
達也は無視して歩いて行く。
その背中はいつもより
どんどん遠くなって行く感じがした。
黙ってついて行く。
沈黙が続いたが駅に着く。
達也はほぼこっちを見ずに電車の改札を
黙って通り過ぎた。
「あ……」
と小さく声が出た。
それは達也に聞こえるわけもなく、
彼は改札の、その先のホームの、
どこかに消えて行った。
眠気に負けていた達也は目が覚める。
汗がびっしょり出ていた。
慣れない病院暮らしで早く退院したかった。
また戻って行く。煌びやかな夜の街へ。
さとみは包帯を交換した後、
いつも言わない事を言う。
「何かありましたらナースコール押してくださいね。」
「え?あぁ、分かりました。」
さらに病室からの去り際になぜか
さとみは初めてマスクを下ろした。
出てきた顔を見て、達也は
やっぱり綺麗な子だな、と思った。
しかしその口は口角を上げて
目も釣り上がっていた。
その表情を見た達也は頭のてっぺんから足先までを
一本の線で上下から急に引っ張られるような
胃の辺りが薄れるような痺れを感じた。
その夜、深夜にさとみが
ナースコールもしていないのに
ベッドまでやってきた。
そうすると特に説明もなく、何か準備し始める。
「田所さん、じっとしてて下さいね。」
「え?何?」
さとみは笑っていた。
左右の腕が順番に固定される。
それを見て内心、SMみたいで少し高揚した。
男ってほんと馬鹿だな、って思う。
「ふふ。」
さとみはにっこりとして
ゆっくりと鼻を摘んできた。
「はい、あーん。」
息苦しい。口を開けた。
さとみは手早く穴の空いた球体を
口に突っ込んで顔に固定した。
は!、さすがにヤバい。
咄嗟に腕で振り払おうとしたが動かず、
叫ぼうとしたが、球が口を塞いでいた。
「うー、うー、うー!」
が精一杯だ。
さとみは笑いながら注射器を取り出す。
さとみはベットの横に腰掛ける。
さとみの目が釣り上がる。
「今はこんなことしても
気付かれないようにできるんですよ。
医療の進歩ってすごいでしょ?」
「うー、うー、ううーー!」
さとみは達也の脳天を片手で乱暴に押さえ、
注射器の針を田所の口の上に徐々に近づける。
そしてさとみはゆっくりと注射器を親指で押す。
一滴、一滴、液体が田所の口の球体に落ちてゆく。
球体から液体が伝って
舌の上から、舌の根本、
そして喉の中に染み込んでいく。
手足から頭の裏まで痺れるような感覚に陥った。
「う、うー、う!」
「そんなに早く効かないから。」
「うー!うー、うー!」
「ふ、今更。
何も憶えてないくせに。
はい、ゆっくり、ゆっくり。ふふ。」
徐々に手足の力が抜けていく気がする。
意識が遠い気がする。
(タツヤ、
ホントニオボエテナイノ?
ワタシノコト……。)
「う、うー。」
一体俺が何をやったって言うんだ。
誰か、助けてくれ……。
(ダッテ、
レンラク トレナクナッタンデスヨ。
ヒドクナイデスカ?)
「う、う、うー。」
俺は悪くない、悪くない。
やめろ、やめてくれ……
看護師の顔がぼんやりとしている。
視界がぼやけて、音声も水の中みたいだ。
はっきりとしない意識の中で声が聞こえる。
「この注射、何が入ってるのかな?
その辺にあったのを適当に持ってきたんだよね。
はははー。嘘嘘。」
(ドウシテ レンラク トレナクナッタンデスカ?)
(タツヤ……)
俺は悪くない、悪くない……。
(ドウシテ レンラク トレナクナッタンデスカ?)
朦朧とした意識の中に声だけが響く。
徐々に意識が遠のいていく。
さっきまで踠いていた田所の腕は
力なくベットに沈んでいた。




