卒業条件が【推し登録】ってマジ?②
『推し包囲網』
家では母親にまで、推しのことを強く言われるようになった。
「なんであんた、推しの一人もいないの? みっともないわよ」
「お母さんは、〇〇ちゃんのファンよ? かわいいし、歌もうまいし」
推し、推し、推し……
SNS上には大人から子どもまで、一般市民はもちろん、
著名な作家や政治家、本来、推される側のアイドルや俳優たちでさえ、
「推しがわたしの生きがい」
「推しがなきゃ人生じゃない」
「推しはこれからの社会を支えていくでしょう」
「推しがいない人って何考えてるの?」
「推しは大切な日本文化のひとつです」
といった推し推奨コメントを投げまくっていた。
それらを眺めながらおれの心の中に、ひとつの言葉が浮かんだ。
「それってほんとに自分の感情か?」
2学期になると新しい取り組みが発表された。
「各生徒は、推しレポート(月1回)を提出すること。推しとの関係性、学んだこと、成長した点を800字で記述」
提出しなかった場合、個別面談が行われて、
「指導対象者」として親にも通知がいくと説明された。
おれはもちろん空欄のまま出した。
その翌週から、机が教室のいちばん隅に移動されていた。
ある日、ホームルームで担任が言った。
「3年D組の○△さん、進路希望を出せなかったらしく、昨日この学校を辞めた。非推奨者のままだったから、まあ、仕方ないよね。心が育ってないと判断されたら、推薦は難しい。みんなはよく考えて推しを選ぶように」
生徒たちは神妙な顔でうなずきながら聞いていた。
誰も違和感を持っていない。
むしろ、当然といった感じだった。
狂っているのは、おれの方ってことか?
『おれの推し』
3学期最後の「推しレポート」で、初めてレポートを提出した。
他の奴らが誰も推さない「推し」をおれは登録した。
名前:自分自身
年齢:18歳
ジャンル:未完成/不確定型
推しコメント:迷いも、空白も、全部含めて、俺を信じる。
レポート詳細には、こう書いた。
「おれが推すべきは、まだ完成していない自分自身です。誰かの感情を借りて生きるのではなく、未完成のまま迷い続けることを選びます。推しがいないことは、弱さじゃない。自分の感情を、自分で持ち続けるって、そういうことだ」
次の日から、おれの端末は使えなくなった。
ポータルサイトにもログインできない。
出席簿から名前が消えていた。
ロッカーは、鍵ごと撤去されていた。
誰も騒がなかった。
誰も訊かなかった。
誰も気づいていないふりをしていた。
それでもおれは──
名前のないその席に座り続けた。
教室の外、廊下の隅に置かれた一脚の椅子。
誰も見ようとしない場所に、おれだけの居場所があった。
おれは、俺を推す。
だから、壊されない。
壊せるものなら、壊してみろ。
自分を推すとか、キモいよな、ああ、わかってるさ。
でもな、まずそんな自分を受け入れてやらずに、なんで他を推したりできるんだ?
そもそも、こんなに推しって言葉が当たり前になったのは、いつからだ?
誰が最初に言い出して、どうしてここまで流行った?
おれはその疑問を調べた。掘った。辿った。
そして、知ってしまった。
『推し予算』
推しという言葉が初めて使われたのは、数十年前。
最初は小さなコミュニティの中だった。
アイドルを応援する、ただのスラングだった。
だけど、ある時から不自然に加速した。
SNSのトレンドに毎日のように推しが乗るようになった。
企業が推し活グッズを売り出し、
イベントは課金額で席順が決まるようになった。
推しという言葉は、感情を貨幣化するための入り口となった。
愛も尊敬も、ぜんぶ金に換えるシステム。
誰かを推すという名目で、日々、莫大な金が動く。
そして、人が熱狂するほどすれば、企業は儲かった。
その様子を見て、政府は気づいた。
これは使える、と……
国が主導して推しを奨励する教育方針「推し教育推進法」がスタートした。
「推しを持てる子どもは、健全な精神を保つ」
「推し活は自己肯定感を育て、社会貢献を促す」
同時に個人の推しへの理解や表現力を数値化した「推奨値」が導入された。
もちろん、これは表向きの話で真実はこうだ。
推しは、課金のための装置。
集金のための概念。
学校という名の集金装置が全国に整備された。
学校という看板の前では誰も疑わない。
むしろ、自発的に金を出すようになった。
その結果――
昨年度の国家予算の約25%、が推し事業に流れている。
すげえよな、これじゃおれが社会から弾かれても仕方ないわ。
おれのような推しを持たない人間には生きる価値なしってか……
はぁ、ため息が出た。
と同時に、疑問が沸いてしまった。
「ところでさ、キミの本当の推しってだれ?」