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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
最終章 運命の死神審問会

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第97話 剥がれゆく仮面

 ――ぱちくり。


 唐突に、藍良は目を見開いた。瞬きをし、目の前を見つめる。そこにあったのは、胸元ほどの高さまである、濃い色の木材の証言台。そっと指先で触れると、ひんやりと冷たさが伝わってきた。


 藍良は察した。たった今、真白と自分は入れ替わったのだ。


「藍良」


 名を呼ばれて顔を上げる。すると、審護席から立ち上がった千景がこちらを見ていた。張り詰めた空気の中で、彼は穏やかな笑みを携えながら、右手を藍良へと伸ばした。


「こっちへ」


 藍良は小さく頷くと、千景の元へ走った。


 場は痛いほどの静寂に包まれている。先ほどまで藍良は、真白の心の奥底から、この審問会を見守っていた。千景は鋭い口調で花倉を追い詰め、緊張感が途切れることはなかった。その空気が、今も確かに感じられる。


 千景は藍良の手首を掴むと、自分の元へ引き寄せた。


「千景……?」


 戸惑う藍良に、千景は揺るぎなく告げた。


「絶対に、僕から離れないで」


 千景の視線は、対極の審護席に座る花倉へ、真っ直ぐ注がれていた。一方の花倉は無表情のままだ。


「……何を仰っているのか、わかりません」


 呟くような声だった。


「それでは、ひとつずつ明らかにしましょうか」


 そう言うと、千景は証言台を右手で指し示した。


「証言台へ、どうぞ」


 その瞬間、蘭丸が声を上げる。


「待ってください。千景、君はいったいどういうつもりだ」


 蘭丸の表情は、いつにも増して厳しかった。彼は花倉から視線を外さないまま、言葉を絞り出す。


「彼女を審問しても無駄だ……どうしてか、わかっているだろう」


 藍良はすぐに理解した。


 花倉はカグヤから精神干渉を受けている。だから審問をしても意味がない。

 そう彼は言いたいのだろう。


 だが、千景は動じないどころか、蘭丸に向かってにっこりと微笑んだ。


「蘭丸。君は随分、花倉さんを(かば)うんだね」


 この発言に兼翔はグッと千景のローブを引っ張った。

 彼はそのまま、声を荒げる。


「おい、何を言っている。蘭丸は花倉の審護を務める審問官。庇っているように見えているだけだ」


 だが、千景は兼翔に応えることなく、前を見据えたまま静かに口を開いた。


「花倉さん。ここでのあなたの発言は、一貫性がなく矛盾だらけです。誰が見てもおかしいとすぐに気付くほどに。そんな中でも、彼――蘭丸はあなたを守ってくれる。彼はあなたの審護を務める審問官ですからね。頼りになるでしょう?」


 蘭丸は首を傾げた。冷静で穏やかな彼が、目をぎらつかせている。千景の言葉に、苛立っているのは明らかだ。それでも、千景は止まらない。


「幻道様。花倉さんへの審問は、すべての真実を明らかにするために、極めて重要です」


 幻道はしばし沈黙したあと、静かに頷いた。胸元に刻まれた銀の紋章が、一瞬煌めきを放つ。幻道は右手を掲げ、証言台を指し示した。


「花倉さん、どうぞ」


 この流れに、蘭丸は悪態を()いた。こんな審問、意味がない。そう思っているのだろう。

 だが、藍良は千景が先ほど放った言葉が頭から離れなかった。


 ――いい加減、猿芝居はやめにしませんか。


 この言葉がそのままの意味だとしたら、つまり花倉は……。


 だが、藍良の思考が追い付く間もなく、千景は証言台の前に立つ花倉に向けて、間髪入れずにこう問いかけた。


「あなたは、前回の特別最高審問の場で、水無瀬藍良さんにナイフを向けた。そうですよね?」

「覚えていません」

「あなたは何度も、この審問会で水無瀬藍良さんの化身の名を口にしています。その名をこの場でもう一度お伝えください」

「覚えていません」


 同じ言葉を繰り返す花倉。

 抑揚も、迷いもない。ただ機械的に、同じ言葉を繰り返しているように見える。


 藍良は千景の隣に立ちながら、息を詰めた。千景の声色はいつもよりも格段に鋭く、冷たかった。まるで相手の逃げ道を塞ぐかのように。それでも、花倉の証言はぼやけたままで、何ひとつ前に進まなかった。


「くだらない!」


 蘭丸の怒号が響いた。彼は審護席から離れて前へ出ると、そのまま幻道に訴えかけるように千景を指さした。


「幻道様もおわかりのはず!こんな審問は無意味だ!」


 幻道は答えない。ただ、千景の出方を窺うように黙り込んだままだ。

 その表情は冷静そのものだったが、隙は一切ない。数メートル離れた場所にいる藍良は、彼の静かな息遣いまでも聞こえてくるような気がした。


「なぜ、無意味だと?」


 千景の問いに、蘭丸はあからさまに顔をしかめた。


「……わかっているはずだ!幻道様も、兼翔も!」


 一瞬、場がざわつく。蘭丸は「精神干渉」という言葉を敢えて口にしなかった。千景なら察するだろう──そう思ってのことだということは、藍良にもわかった。


 だが、そんな思惑を断ち切るかのように、千景は淡々とどこか楽しげに口を開いた。


「ああ……花倉さんが精神干渉を受けてるから?」

「馬鹿!」


 すかさず、兼翔の声が飛んだ。だが、そんな一喝もかき消すほど、場には一気にどよめきが走る。


 精神干渉を使えるのはカグヤだけ。

 つまり、「精神干渉」という言葉が出た時点で、花倉とカグヤに接点があると明かしたも同然だ。


 だが、肝心のカグヤは「千景に封じられた」ということになっている。この決定的な矛盾を前に、審問官たちの間には動揺が広がる。


「千景……」


 藍良は思わず声をかけた。千景は一瞬だけ藍良を見やり、静かに言う。


「大丈夫。心配しないで」


 千景は息を吸い、覚悟を決めたように続けた。


「およそ九十年前。僕は幻道様からカグヤ討伐を命じられました」


 その瞬間、証言台で俯いていた花倉が、はっとしたように顔をあげた。


「そして、僕はカグヤを封じた──そう審問官たちの間では話が通っていますが、真実は違うのです」


 千景は後方の審問官たちを見渡し、はっきりと告げた。


「僕はあの時、カグヤを取り逃がした。そして彼女は、その瞬間に僕に精神干渉を行い、自らを封じたという偽の記憶を植えつけたのです」


 千景の声が放たれるたび、ざわついていたはずの場が、奇妙な静けさを取り戻していく。気付くと、千景の澄んだ声が、空間の隅々まで響いていた。


「そうとは知らず、僕はカグヤを封じたと幻道様に報告した。その情報はあっという間に審問会全体に広がりました。ですが、それ以来たびたび幻道様の審問を受けました。初めは、そんなことをする理由がわからなかった。でも、あるとき、幻道様はこう言ったのです」


 ──落ち着いて聞きなさい。彼女は生きてる。あなたは、精神干渉を受けたのよ。


 千景は顔を伏せ、(わず)かに唇を震わせた。その表情には見たことがないほどの苦悩が滲んでいた。


「カグヤは僕から逃れ、生き延びた。この事実は、一部の死神にしか共有されませんでした。それから約九十年、死神界では彼女は封じられたものとして扱われた。ですが、そんな中、カグヤ候補ともいえる化身の存在が明らかとなったのです」


 千景は藍良を見つめた。


「そのひとりが、水無瀬藍良さんに宿る真白さんです。ですが、彼女はカグヤではない。死神審問官なら誰しもが知っている月詠の模倣のリスク──これを何の躊躇いもなく何度もできたのは、彼女がそのリスクを知らなかったからに他ならないからです。もし彼女がカグヤなら、自身の月詠を使うはずですからね」


 そう言うと、千景は視線を花倉へと移した。


「となると、次に疑わしいのは花倉さんに宿っていて、今はなぜか姿を消した──という化身です。この化身がカグヤである可能性は、極めて高いと考えられました。なぜなら、花倉さんの証言には一貫性がまるでなく、精神干渉を疑うには十分すぎるほどの材料が揃っていたからです。ですが……僕たちは、根本的に間違っていたのです」


 ざわめきは水のように静まり、一同が千景を見つめる。

 そんな中、藍良は花倉から目を離せずにいた。


 表情ひとつ動かさず、千景の言葉を聞いている花倉の姿は、これまでの彼女とは決定的に異なっていた。瞳の奥から感じられるのは憎悪と狂気。それらが混ざり合い、底知れぬ闇となって、静かに千景を見返していた。


 千景は大きく息を吸うと、花倉を真っ直ぐに見据えて、決定的なひと言を落とした。


「彼女に化身などいない。彼女こそ──九十年前、僕が取り逃がしたカグヤ自身なのです」


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