第94話 真白、立つ
特別最高審問の会場には、藍良と千景をはじめ、百を超える黒装束の死神たちが集まっていた。ひんやりとした空気が肌に触れるたび、緊張が走る。高い天井のせいか、蘭丸の咳払いも、幻道が万年筆を走らせる音も、どことなく響いて聞こえる。
地下に設けられたこの場に、窓はない。重厚な扉は固く閉ざされ、逃げ場のない厳格さが漂っている。唯一感じられる「温度」は、壁に灯された琥珀色のランプくらいだろうか。明滅し、影が揺れるたびに、藍良の神経は不思議と研ぎ澄まされていった。
そんな中、兼翔が小声で千景に囁く。
「おい。どうするつもりだ。今の花倉は自らの化身、カグヤから精神干渉を受けている可能性が高い。いわば被害者も同然だぞ。それに蘭丸の見立てでは、すでにカグヤは花倉の中にいない。奴をいくら審問しても、カグヤの手がかりはまず掴めんぞ」
「そうじゃ、千景。今カグヤは、別の人間か死神に宿っておるはずじゃろ?一刻も早く宿主を探すのが筋ではないか?」
──被害者も同然……。
兼翔の言葉が、藍良の頭の中で反芻する。
昨日の兼翔とタマオ、蘭丸、そして幻道の会話を踏まえれば、花倉はただカグヤに利用されているだけ。真白を貶めるために操られ、殺され、この特別最高審問が開かれるように仕向けられた……ということになるのだろう。
そんな彼女に、藍良は先ほど親指を突き立てて下に向けた。今更ながら、ちょっぴり罪悪感が芽生えるものの、その感情はすぐに霧散した。それを踏まえても、藍良はなぜか彼女に同情できなかった。
それは、花倉にナイフを突き立てられそうになったからか。
真白の存在を白日の下に晒されたからか。
理由は自分でもわからない。だが、不思議と確信があった。目の前にいる花倉は、決して被害者ではない。そんな確信が。
「大丈夫。さっきも言ったけど、この審問が終わればすべて明らかになるから」
そう千景が答えた次の瞬間、幻道の声が飛んだ。
「千景。まずは状況の整理からしてちょうだい。水無瀬藍良さんの審護の死神について」
「はい」
千景は、端正に幻道へと身体を向けた。
「兼翔に代わりに、本日は僕が水無瀬さんの審護を務めます」
一瞬、場がざわりとする。
藍良はようやく状況を理解した。そもそも藍良と千景の接近が禁じられていたのは、真白がカグヤだった場合、二人に精神干渉をしているのでは?という疑念があったからだった。その疑念が払しょくされた今、接近が禁止される理由はなくなった、ということなのだろう。
藍良は改めて隣に立つ千景を見つめる。
幻道に頭を下げる彼の所作には無駄がなく、頭から指先まで神経が通っているようだった。高校の制服姿ではなく、威厳を纏う審問官のローブせいか。それとも、琥珀色のランプに照らされ、影を帯びているせいか。いつもの「ふにゃっと千景」とは明らかに違う「きっちり千景」に、藍良の鼓動は徐々に高鳴っていく。
──なんか千景……いつもより格好いい……かも。
そう思った途端、藍良の頬はポッと赤らんだ。そして、慌ててぶんぶんと首を振る。こんなときに何を考えているのだ。大事な審問会の最中だというのに。
「花倉さんの審護は昨日に引き続き、わたしが担当します」
千景に続き、そう告げたのは蘭丸だった。彼の銀髪がランプの灯りを受けて淡く光っている。蘭丸は穏やかさと纏ったまま、鋭い眼差しを幻道へ向けた。
幻道は納得したように小さく頷く。
「よろしい。では始めましょうか。まずは昨日中断となった、水無瀬さんの審問から」
一瞬、藍良の喉がひくりと鳴る。
「あなたに化身が宿っているのかどうか、この場で確かめさせてもらうわ。水無瀬さん、証言台へどうぞ」
藍良は戸惑いながらも、頷いた。幻道は真白の存在をすでに知っている。それなのにこう指示するということは、建前上死神たちの前で事実を明らかにしなければならないのだろう。
兼翔が近づき、藍良の首元に手を伸ばす。巻きついたタマオを引き離すつもりなのだろう。だが、タマオは兼翔の気配を感じるや否や、「シャアッ」っとあからさまに威嚇した。
わしは絶対に離れぬぞ。離せるものなら離してみろ、このたわけが……。
……とでも言いたげな気迫を全身から感じる。
兼翔は苦笑し、諦めたように手を離した。一方の藍良はタマオの男気に励まされ、証言台へ向かうべく顔をあげる。すると……。
「お待ちください」
凛とした声が響いた。皆の視線が一斉に千景へと注がれる。
「今更そんな審問をしても無駄です。彼女に化身が宿っていることは、この場にいるすべての死神がすでにわかっていることです」
千景の言葉に鋭さが増す。
「なぜなら、昨日花倉さんが水無瀬さんに襲い掛かったから。その際、攻撃を水無瀬さんの化身が防いだ。そうですよね?幻道様」
幻道は僅かに頷いた。
すると、対極の席にいる花倉が無表情さを保ったまま、静かに呟く。
「水無瀬藍良に化身──真白がいるのは紛れもない事実。そして、化身は危険極まりない存在……なんですよね?早く封じた方が良いんじゃないですか?」
「今、あなたの発言は認められておりません。お静かに」
蘭丸の制止に、花倉は悪態を吐いて黙る。
すると、千景は揺るぎない声で淡々と告げた。
「仰る通り、水無瀬さんの化身はしっかり検証する必要があります」
藍良はギョッとした。何を言っているのか。だが、次に千景から飛び出した言葉は、さらに藍良を驚かせるものだった。
「そのために、水無瀬さんではなく……まずは別の証言者の発言を認めていただけませんか」
「別の証言者?」
「はい」
そう言うと、千景は真っ直ぐ藍良を見据えた。
「水無瀬さんの化身本人──真白さんです」
その瞬間、場が一斉に静まり返った。
そして……。
「どえええぇぇぇぇ!?」
厳粛な会場の空気をぶち壊すように、藍良は叫んだ。そしてそのまま、千景の胸元をがっしりと掴む。
「ぐ……ぐえ」
「ちょいと!なーに考えてんのよ、あんたは!」
揺さぶられる千景のローブが乱れる中、兼翔が割って入った。
「落ち着け。お前が取り乱してどうする」
「だまらっしゃい!」
「お、落ち着いて、藍良……」
千景は咳込みながら、小声で続けた。
「このことは真白さんも承諾してるはずだ。幻道様が話をつけてくれてる」
藍良は目を瞬かせた。
そういえば昨日、幻道と真白が会話をしていた最中、藍良は情けないことに眠気に襲われ、意識を失っていた。どうやら、あのあと二人はこの話を進めていたらしい。
≪藍良、心配いらない。わたしに話させて≫
真白の声が穏やかに響く。藍良は渋々千景から手を離した。
「……まったくもう」
藍良は確かな足取りで証言台へと進むと、ゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、ざわめきが遠のき、音が溶けていく。深い水底に吸い込まれるように、足元が揺らいだあと、藍良は意識の奥で、微かに千景の声を聞いた。
「あなたの名前を、教えてください」
真白は目を開けると、はっきりとした声色で告げた。
「真白です」




