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第90話 百年前の約束

 百年前──。

 

 特別最高審問を前にして、片寄(かたよせ)藍良は会場へ続く黒い扉の前に立ち尽くしていた。張り詰めた雰囲気に耐え切れず、思わず顔を伏せる。足元に広がるのは大理石の廊下。磨き上げられた廊下は、藍良をあざ笑うかのように冷たく(きら)めいていた。


 ──どうして、こんなことに。


 藍良は息を吐き、右手を握りしめた。そして拳をゆっくり胸元へ当てる。


 ここにいる真白。


 審問官たちは真白の存在には気付いていない。だが、真白がもたらす“力”。人であるはずの藍良にもうっすらと“闇属性”が出ているらしく、その異質さは目を付けられていた。


 なぜただの人間が闇属性を持っているのか。

 それは危険ではないのか。


 そんな疑念を徹底的に洗い出すために、この特別最高審問が開かれることとなった。


 この審問で無罪放免となれば、藍良は転生を許される。だが、ひとたび危険と見なされれば、待っているのは即刻の封印。藍良だけではなく、真白もまた同じ運命を辿ることになる。


 現実を直視して、藍良は身震いした。恐怖に揺れる心も、真白と築いてきた友情も、数時間後には魂の消滅とともに跡形もなく消えてなくなるかもしれない。そう思うだけで、冷静ではいられなかった。そして──。


 藍良は左横に立つ死神審問官──千景へと視線を向けた。


 この日、彼が(まと)っていた衣装は、首元から手首、足首までを覆う黒装束のローブだった。

 襟元に刻まれた銀色の月の紋章。それこそが審問官の証──特別最高審問に出席するための正装らしい。


 そんな千景は今、特別最高審問へと繋がる重厚な扉だけを見据えている。迷いのない眼差しは鋭く、内に炎を宿しているかのようだった。その横顔からは、何があろうと揺るがない、決意が伝わってくる。


 特別最高審問では、審問される者の立場に立つ“審護”の審問官を選ぶことができる。その役目を、千景は躊躇うことなく引き受けてくれた。


 初めは、この男が嫌いだった。偉そうで、皮肉屋で、人の言葉をすぐに疑ってかかる。扱いづらい鬱陶(うっとう)しい死神。そんな印象だったのだが……。


 それは、彼の本来の姿ではなかった。


 本当の彼は、穏やかで、柔らかくて、それでいてとても真っ直ぐだった。千景はいつも、藍良の言葉に真剣に耳を傾けてくれた。ときには笑い合い、ときにはぶつかり合いながら過ごしたこの期間。気付けば、鬱陶(うっとう)しいと思っていた男のことばかり考えるようになっていた。


 どうしてかはわからない。だが、彼と一緒にいると、肩の力を抜いていられた。無理に強がらず、飾らず、自然体のままでいられる。離れているときでさえ、千景の柔らかな笑顔がふと脳裏(のうり)に浮かぶ。そのたびに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 だが、そんな想いが芽生えてしまったことが藍良には怖かった。この特別最高審問。どちらにしろ、残された道は二つしかない。封じられるか、転生するか。千景と並んで歩く未来は存在しないのだ。


 藍良は横目で千景を見ながら、特別最高審問が開かれることが決まったときのことを想い返していた。あのとき、彼は迷いなくこう告げたのだ。


 ──僕が必ず、あなたを守りますから。僕のことを、信じてください。


 その言葉は嬉しくもあり、同時にひどく心苦しかった。審問中、藍良は真白を守るためとはいえ、彼に嘘を()き続けた。罪悪感は影のように(まと)わりつき、ずっと離れることはなかった。


「大丈夫ですか?藍良さん」


 千景が静かに問いかける。藍良は視線を逸らし、誤魔化(ごまか)すように小さく笑った。


「もちろん。ここまで来たら、もう腹括るしかないし」


 藍良はあっけらかんとそう告げた。特別最高審問が終われば、千景と離れなければならない。そう思うと余計に気が滅入るが、考えても仕方がないことだ。藍良は死者で彼は死神。元々、住む世界が違うのだから。


 そのときだった。


 千景がそっと、藍良の左手を握りしめた。突然のことに、藍良は思わず千景を見上げる。目が合った瞬間、千景は慌てたように目を泳がせ、あからさまに目を逸らした。頬だけではなく、耳まで真っ赤に染めながら。


「し、心配しないでください……僕がいますから」


 言葉を振り絞る千景。声に宿った熱が、そのまま心地よいぬくもりとなって、藍良の手に伝わってくる。そんな千景に精一杯の気持ちを伝えたくて、藍良は頬を赤らめながら、小さく頷いた。すると、千景がそっと身を寄せて耳元で(ささや)く。


「あの、ひとつ……僕と交渉してくれませんか?」

「……交渉?」


 唐突な千景の提案に、藍良は目を丸くする。


「この特別最高審問……僕があなたを守り切ることができたら……その……」

「……その?」

「ぼ、ぼ、ぼ……」


 千景は覚悟を決めたように、大きく息を吸い込んだ。


「僕と……お付き合いしてくださああ~~~い!!!」


 張り詰めた空間に、思いきり響き渡る叫び声。次の瞬間、周囲にいた審問官たちの視線が、一斉に二人へ注がれる。そして……。


 …………。

 …………ズコー!!


 数秒の沈黙のあと、藍良は盛大にズッコケた。


「この緊迫した状況で、ぬぁーに抜かしとんじゃ!このすっとこどっこい!」

「ち、違うんです……ずっとお伝えしたかったんですけど、タイミングがなくて……」

「そう思っていたとしても、今じゃないでしょ!」

「でも、これが終わったら……本当に、言うタイミングないですから」


 藍良は混乱のあまり、目に涙を浮かべる。


 何を言っているのか、この男は。

 そんなことを言われたら、余計離れるのが辛くなるのに。


 藍良は勢いよく顔を上げ、千景を睨みつけた。


「あのねえ!この特別最高審問でわたしが危険認定されたら、魂ごと封じられる!でもって無罪放免なら転生!つまり、どっちにしてもあんたとはもう会えないの!それなのに、どうやって付き合うっつーのよ!」


 必死な形相で叫ぶ藍良が意外だったのか、千景は一瞬きょとんと目を丸くしたあと、困ったように笑った。


「確かに、そうですね。でも、ひとつ確実なことがあります」

「はあ!?」


 千景は、握っていた藍良の手をさらにぎゅっと握りしめた。


「あなたは封印されません。僕が必ず、守りますから」


 あまりにも真っ直ぐな言葉に、藍良は呆れたように顔を歪めた。


「転生したら、もうここにはいられない。千景とも離れ離れになる」


 千景は俯いていた藍良の前髪を指先でそっと分け、穏やかな笑みを向ける。


「僕と付き合ってください」

「だから……」

「来世のあなたに、会いに行きます」


 そう告げる千景の瞳は、(きら)めいていた。迷いはなく、冗談でも、勢いでもない。純粋な想いの強さが、光のような鋭さで藍良の心を射抜いていく。


「本気です」


 藍良の胸が大きく波打った。高鳴る鼓動を抑えるように、数秒息を整えてから、どうにか声を絞り出す。


「……転生したら、千景のことも忘れちゃうよ」

「思い出させてみせます」

「思い出せないかも」

「そのときは……また、僕のことを好きにさせてみせます」


 ──また?


 その言葉に、藍良の顔が一気に熱を帯びた。バレていた。想いを伝えてくれた千景と同じように、藍良も同じ気持ちを彼に抱いていたことを。


 藍良はそっと、今度は自分から、千景の手を握り返す。


「……本当に?」

「はい」

「本当に、本当に、本当!?」


 千景は諭すように微笑むと、そっと抱き寄せた。


「はい」


 その言葉が優しく耳元に触れた瞬間、藍良の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。凍り付いていた胸の奥が、速まる鼓動とともに、じんわりと温かく溶けだしていく。藍良はぬくもりを噛みしめるように、彼を強く抱きしめた。そしてそのまま、ゆっくりと口を開く。


「約束だよ。千景」

「はい、絶対。藍良さんに、会いに行きますから」


 かしこまった言葉に、藍良はプッと吹きだした。


「あのさ……前から思ってたんだけど、その『藍良さん』ってやめてよ。敬語もさ」

「え?」


 藍良は耳を赤くしたまま、勇気を振り絞る。


「わたしは敬語使ってないし、千景のことも千景って呼んでるんだからさ。……千景にも、そうして欲しい」


 しばしの沈黙。

 やがて、千景は一歩だけ距離を取り、藍良を見つめた。


「……藍良」


 途端に、千景は照れたように顔を伏せた。


「……で、いい?」


 遠慮がちに言う千景があまりにも愛おしくて、藍良はにっこりと笑いながら彼の頬をぷにっと摘む。


「うん」


 二人は、顔を見合わせ、自然と笑い合った。先ほどまで無機質な空気が漂っていたこの廊下──二人の間だけ、暖かな風が吹き抜けたかのようだった。


 そうして、いよいよ始まった運命の特別最高審問会。


 ──僕が必ず、あなたを守りますから。


 千景はこの言葉を、文字通り守り抜いた。藍良は無罪放免となり、彼との約束を胸に抱いたまま転生した。


 それから百年後。

 冥界にある巨大な棟──ある一室で、千景は静かに佇んでいた。覚悟を決めたように前を見据え、目の前の棚を開く。


 そこに掛けられているのは、死神審問官の正装であるローブ。彼はそれを手に取ると、そっと袖を通し、襟元に刻まれた銀の月の紋章をなぞった。


 百年前と同じ誓いを、胸に抱きながら。

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